シナリオ詳細
<半影食>母無し聲
オープニング
●
熱を孕んだ鞄のベルトが、いつになく肩に食い込んで痛い。
汗を掻いたビニール袋を提げながら、彼女は立ち止まっていた。
「……おかあさん?」
不安そうな声が繋いだ手を伝い、彼女ははっとして微笑みかける。
「ユキちゃん。今日はちょっとお散歩して帰りましょうか」
顔に出すまいとすればするほど、頬が引き攣りそうだ。
何故なら、娘のユキがいつも指差す鉄塔は、役目を忘れず灯りを明滅させているのに錆びた信号機は赤なのに、横断歩道を渡る間のメロディを低く、鈍く流し続けていて。
仰ぎ見た空は、夕焼けの美しさから遠い朱殷に染まっていた。母が辺りを見渡しても、この時間帯は行き来の激しい車や学生たちの姿がない。
ぶわりと、汗が噴き出した。日常から外れた雰囲気に、本能が拒否を選んでいる。
汗は次の瞬間、恐ろしいほど冷えきって、代わりに持っていたビニール袋がぼたぼたと泣き出す。
「それ溶けちゃわないかな、平気?」
不意に母子の耳朶を打ったのは、柔らかくまろい声。
振り返った二人の目に、宵が映る髪を揺らして首を傾ぐ少年の姿が飛び込んでくる。
「え、ええ。ありがとう、優しいのね、ぼく」
言われて母は思い出す。娘にせがまれて買ったアイスが溶ける前に、家へ帰らなければと。
「ぼく、一人? 親御さんはどちらにいるの?」
やや姿勢を低めて、きれいな顔の少年へ母は尋ねた。
すると少年は、翡翠めいた瞳を潤ませて微笑む。
「お母さん、いないんだ」
俯いた少年の頬に睫毛の影がかかる。
母たる女性は自然と、少年を『守ろう』と考え始めていく。
「なら一緒に行きましょ。この道は危ないから。ね、ユキちゃん」
「うんっ。あのね、あおしんごーになったら、手をあげるんだよ」
母と手を繋いだまま、ユキも少年へ笑顔を向ける。
嬉しいな、と眦を和らげて少年は弾む声でこう続けた。
「僕、お母さんがずっと欲しかったんだ」
――先ほどまで握ってもらっていた手が、寒い。
たったひとつのよすがを、世界のすべてとも呼べる存在を喪失した少女にできることなど、そう多くはない。
だからユキは泣いた。見知らぬ宵の真ん中で。
「おかあさ……おかあさぁぁん」
瞬きをした直後、母の温もりは消えた。目の前にいた少年と共に。
「おがぁざあぁん……!」
泣きじゃくる。泣きじゃくる。その度に鳴き声がひとつ増えていく。
増えていく。増えていく。やがて泣き声たちはユキを囲み始めた。
――チリン。
鈴の音もユキへ届いただろうに、冷静に聞く余裕など持てやしなかった。
「ずうっと傍にいてくれるんだよね、お母さん?」
廃れて濡れそぼったバス停のベンチで、少年――ヒスイは持て余した足をぶらぶらと揺らして呟く。
「ええ、もちろんよヒスイちゃん。ほら、バスが来る前に食べちゃいなさい」
「はあい」
溶けかけのアイスへかぶりつくヒスイの横顔を、母は見守った。
それはもう、いとおしげに。
●
「母無し聲?」
耳馴染みの薄い言葉に『Dáinsleif』ライセル(p3p002845)が瞬いだ。
そう、と頷いた情報屋のイシコ=ロボウ(p3n000130)は、帽子を目深に被り話を続ける。
母無し聲がネットのオカルト掲示板で出始めた頃、消息不明になった親子がいる、と。
「名前、お母さんはカナさん。お嬢さんはユキさん」
「母無し聲とやらが関係して、噂の異世界へ消えたってことだな?」
「うん。横断歩道の近く、コンビニで目撃されたのを最後に」
コンビニ店員によると、いつも同じ時間にアイスやお菓子などを買って帰るという。
その日も普段と変わらず買い物をし、忽然と姿を消した。
「異世界、か。夜妖と遭遇していたら危険だな、急がないと」
優しげなライセルの眉に僅かな緊張が走り、周りのイレギュラーズも首肯した。異界へ入り込んだ希望ヶ浜の人々は、非日常を受け入れられぬまま彷徨うはめになる。気が狂う可能性もあり、最悪の場合は死に至るだろう。
「……ちなみにその『母無し聲』というのは?」
「横断歩道で待っていると、幼い子の声がしてくる。お母さんどこ、ママたすけて、って」
イシコの説明を受け、イレギュラーズの面差しに各々の感情が走った。
「で、その声を認識した人は、泣き声の世界へ囚われる」
昔から交通事故の多い道路だ。事故で亡くなった人々を偲び、犠牲者が増えぬよう祈った石碑も建っている。
「おしごと。異世界でカナさんとユキさんを探して、連れて帰ってあげて」
そう告げたイシコの唇も色こそ失せているが、母と子を守りたいとの情を刷く。
「任せてくれ、絶対に助け出す」
だからライセルたちも迷わず肯った。するとイシコがふと口を開く。
「あと、異世界で気をつけてほしいこと、ひとつある」
少女の言葉できょとりとしたライセルたちへ、イシコは静かにこう告げる。
「見ちゃいけないナニカに、正気を『持っていかれない』ようにして」
- <半影食>母無し聲完了
- GM名棟方ろか
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2021年08月30日 22時06分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
朱殷で飾られた空は変わろうとしない。
『竜剣』シラス(p3p004421)は身震いしながら駆けていた。微動だにしない街路樹の葉。木陰に浮かぶ人を模した影。車もないのに何処からともなく響くブレーキ音。走るイレギュラーズに纏わり付く、どろりとした気配。
「気味の悪い世界だな、クソッ……何だよ」
シラスは額を掌でぐりぐりと押して、篭りそうな熱を発散する。彼だけが感じているのではない。
鳥を遣わす『私の航海誌』ウィズィ ニャ ラァム(p3p007371)は、羽ばたきが音を持たないことにぞっとした。スターバードで捜索の手数を増やした『忠義はかくあるべし』八剱 真優(p3p009539)はまたウィズィと違い、鳥の翼に塗りたくられたタールらしきものに瞠目する。
横断歩道が点在する通りもまた至って『普通』で、歪なのだ。
「おがぁざぁぁぁん……!」
そして歪な空気を伝う幼子の叫びは、はち切れんばかりの孤独を表した。
四囲するモノにも気付かぬ少女ユキの袖や足を、幾つもの手が掴む。あれこそが母無し子だと、『忠義はかくあるべし』矢矧 鎮綱 景護(p3p009538)は眉根を寄せた。そんな彼へ真優から声が飛ぶ。
「準備はよいですか、景護!」
「ええ、真優様」
景護は静かに顎を引き、そして連ねる。
「泣く子を泣かせたまま終わらせるなど、鎮綱の名に懸けてさせませぬ」
言いながら景護は改めて、奇妙な景色を目に映した。
今にも無数の手がユキに縋りつき、取り込みそうな有様で『良い夢見ろよ!』ジョーイ・ガ・ジョイ(p3p008783)のヘルメットも無意識に曇る。
「気合を入れて援護しますぞシラス殿、ライセル殿!」
「っ、頼んだ!」
「お願いするよ」
道を切り拓かねばと、ジョーイは夜妖の群れへ突撃するシラスと『Dáinsleif』ライセル(p3p002845)を見送りながら、熱砂の嵐を起こす。
(これは一刻を争うですぞ!)
ジョーイが生むのは、陽炎代わりの砂嵐。砂の粒にまみれた母無し子の声が、かき消える。
お母さん、タスケテ。イタイヨ。
脳を揺さぶる聲を『死生の魔女』白夜 希(p3p009099)は頭を振って払った。
――やめて。
訴えるつもりで放った神気の光が、母無し子を痺れさせる。
(……この子達もなんとかしてあげたいけど、今は)
死した魂よりも、生きる者を。ごめんねではなく夜妖の名を呼び、希は閃光の余韻を駆ける影を見届けた。影の主は、未練の結晶を鳴らす『霊魂使い』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)だ。歎きの子らへ迫り、軋んでばかりの怨嗟で押し返す。
アーマデルが幾らか子を制したため、足をとられたライセルとシラスは前へ進めた。夜妖の絵図へ消えゆく彼の後背を見やり、アーマデルは睫毛を揺らす。壁をカリカリと削るような音を、壁など無いはずの間近で聞きながら。
その間もシラスは夜妖を掻き分け、泣きじゃくるユキを漸く捕まえた。掴んだ腕が冷えきっている。
「こいつら、ユキばかり狙いやがって……!!」
直後、シラスは少女をどうにか引き寄せて、真後ろで退路を作るライセルへ預けた。押し付けるようなバトンタッチにライセルが首肯し、ユキを抱き留める。ライセルは、ユキの視界に母無し子が入らぬよう鋼鉄の翼で遮った。
「ユキちゃん、もう大丈夫だよ」
宥めながら群れからの離脱を試み、見送る余裕もなくシラスも戻ろうとして。
――お母さん、コワイヨ。
腕を、つかまれた。
●
ユキを抱えたライセルの目前、阻もうとした子らへ景護の乱撃が混ざり、散らそうとする。
「喰いつくなら来い……喰いつけば、ただでは済まさぬがな!」
景護が使うのは、明王鎮綱の刃と隼人明星の拳だけではない。蹴りも角も、すべてを以て景護を引きずり込もうとする母無し子を叩いた。縋る子らには目もくれず――そう、彼を狙えば、触れたそばから傷つく。その痛みを連れて「タスケテ」と告げる夜妖に構う暇など、景護には無い。
そしてジョーイも、衝術で夜妖を吹き飛ばし、仲間たちが退避しやすい流れを築く。
「とっとと撤退でありますぞ! 信号が変わってしまわぬうちに!」
明滅し始めた赤信号を一瞥して、ジョーイが呼びかける。チカチカした信号は、異界を訪れた時からずっと青にならない。青を見せようとしない。
こうして仲間たちが母無し子を押さえ込む間に、人だかりから逃れたライセルはユキへとある贈り物をしていた。
Fiori per te――あなたの為に花を。ヒマワリにチューリップ、可愛らしい花を次から次へ。嗚咽を繰り返していたユキも間もなく、双眸に彩を映し、届く芳香を堪能し始める。泣くのを忘れかけている少女に、ライセルは目の高さを合わせて話しかけた。
「お母さんにね、ユキちゃんを迎えに行って欲しいって言われて来たんだ」
「おかあさ……」
ユキの想いがまた募わぬうちに、ライセルは連ねる。
「だからね、すぐにお母さんに会える。もう少し我慢してね」
「が、まん」
ユキがぐしぐしと袖で目を擦ろうとしたものだから、ライセルはその小さな小さな腕をそっと押さえて。
「擦ったら目が痛くなっちゃうよ。大丈夫、オバケは俺たちがやっつけてあげるから」
「ほんと……?」
震える声に懐旧の念を抱いてライセルが頷く。幼い頃の妹を想起して、思わず頬が緩んでしまう。
そのときだ。
「バス停もカナ様も、発見致しました!」
開放的な通りで妙に響いた大音声。真優の報せが飛んだのだ。
真優はすぐさま鳥を通して得た景色へ向かうべく、地を蹴った。
「ご案内します! ウィズィ様、こちらお願いしてもよろしいでしょうか」
「はい! 真優さんは先導に集中して頂ければと!」
真優の示した『こちら』に対処しようと、ウィズィが殿を担う。
そこでシラスの展開した魔法陣が、母無し子を拘束の呪いで満たしていった。
「今のうちに!」
子を傷つけぬ術で誘う聲を振り切ったシラスが、横断歩道で蠢く塊から脱出してくる。
傷こそ無いが疲弊しきった彼へ「どうぞ」と希が治癒を寄せれば、感謝の言葉を傾けてすぐにシラスは先を急いだ。
(……まるで悪夢だぜ。この世界も、さっきの聲も)
彼は眉根を寄せながらも足を止めず、走り続けて。
ぐっと腰で構えた景護が、豪鬼喝で四辺の子を跳ね除けていく。
「先を急ぐ故、貴様らとはここまでだ……退けぃ!!」
喝は世界を破るほどに強く、大きく轟く。
夜妖が寂しげにかれらを呼ぼうと、景護はもう振り返らない。
――なんでそんなに、泣いてるの。
そう問いたい心をぐっと飲み込み、希は未だ揺れ続ける母無し子らを見渡した。
夜妖であるかれらの狂気を少しでも癒せるのなら、寄り添いたかった。仲間たちが真優に導かれる中、希は躊躇と迷いで渦を巻く。
(おいでおいでして、丸かじりとかされたらヤだけど)
むうと尖らせた唇。そんな希へ、母無し子はやはり縋ろうとした。
在りし日の子を思い起こして、希の双眸も揺れる。
「あとで歌ってあげるから」
それだけ言い残して、希も仲間を追う。
全員が発ったのを視認したウィズィは、光輝のラヴリラと意志を掲げ、光をぽおんと投げた。
「さあ、子どもたち。私が一回だけ遊んで差し上げましょう!」
尚も『誰か』を追いたがる母無し子へ、光彩を炸裂させるために。崩れ落ちたトタン屋根や看板までもが、ウィズィの閃光に負けてガタガタと騒ぎ立てる。
光の残滓を背にして、アーマデルは遠くの音を拾おうとする。同時に嫌な予感もした。
(……聴こうとするのも、良くなさそうだな)
怖さなど感じないけれど、アーマデルを取り巻く風景そのものがまるで彼を、彼らを見定めるかのような。そこでふと我に返り、アーマデルは前をゆくユキへ意識を移す。
ライセルに連れられたユキは、彼の背負う翼の造形に心奪われたのか、もらった花をそこへ飾ろうとしていた。
●
「ユキちゃん、お姉ちゃん達がママを見つけたから、一緒に行こうね!」
「うんっ! おねえちゃんとおにいちゃん、いっぱい!」
ウィズィが甘い香りで少女の心をより落ち着かせながら話していた。
もちろん、ユキを気遣うのは彼女だけではない。
「子犬や子猫は好きですかなユキ殿!」
「だいすき! おにいちゃんも?」
「左様ですぞ! 小動物いとかわゆし!」
ジョーイもまた、小動物の幻影で道中を楽しませていた。朗々と空を渡る声の数々は、どれも母無し子が欲するものから縁遠い。
だから景護たちも確信した。やはりかれらは「母」を呼ぶ心に反応していると。
「ユキちゃんは何味が好き? りんご? いちご?」
「イチゴ! あっ、これイチゴのにおいするっ。いただきまーす」
ウィズィは飴玉をユキの手へと転がすと、少女は遠慮なく飴玉を口へ放り込む。
見守る仲間たちの間で、笑みがこぼれつつあった。
こうして数人がユキの相手をする間に、景護は皆へ増援のトリガーを囁いて回る。
「承知の上かと思うが……」
暫し休息めいたひと時が訪れたが、しかし。
カンカンカン。
耳をつんざく踏切の警告で真優がハッと気付いた時にはもう、バス停はそこに在った。
横断歩道から離れたところ。踏切の――内側に。
思わぬ歪んだ光景と、鳴り止まぬ踏切の音が皆を一瞬固まらせる。そこへ。
「こらー!」
ジョーイが拳を掲げて叫んだ。
「いたいけな少女からお母さんを奪うとは何事でありますかー!」
叱りをぶつけるジョーイの声は、踏切の音をも凌ぐ。
瞬ぐカナとヒスイへ迫る彼の訴えは、単純明快。
「貴殿もお母さんが欲しいのならば、お兄ちゃんポジションになってユキ殿と一緒に愛されるべしでありますぞ!」
「???」
「見ちゃいけません」
ヒスイが露骨に疑問符を浮かべ、カナは不審者扱いをした。天を仰ぐジョーイ。項垂れるジョーイ。
「なにゆえ!!!」
悲痛な叫びをと轟かす彼が時間を稼いでいる間に、仲間たちは行動を開始していた。
パチンと指を鳴らしたウィズィが、高らかに告げる。
「さあ、Step on it!! 問答無用!」
目立ちに目立つ動きと声音で名乗りをあげた彼女の周りへ、バス停付近をうろついていた母無し子たちがぞろぞろと近寄る。こっちへおいでと手招くようなステップを踏むウィズィの姿は、ユキから見ても楽しげで。これまでのはイレギュラーズとの触れ合いに夢中だった少女は、まだ理解できていなかった。
いよいよ試練の時が訪れたのだと感づいているアーマデルたちは、視線を重ねる。
「母に認識してもらえなければ、ユキ殿は再び悲嘆に暮れる」
ヒスイを我が子と扱うカナは、ユキを邪険に扱う可能性すらあった。
「万が一の時は、援護に入る」
そう宣言したアーマデルに、シラスも首を捻る。
「なんとか……何とか正気に戻せれば……」
戻せないだろうかと、シラスは言いかけた音を飲み込む。願い縋るような己にかぶりを振って、彼はすぐさまユキへと振り返った。
「鍵になるのは、娘のユキだ」
シラスの発言に、癒しを仲間へ招きながら希も顎を引く。
「多分、親子二人の帰りたいという気持ちが、ここでは大事なはず」
「ええ、だからこそ周りの懸念はこちらで受け持ちます」
そっと後ろから話を添えた真優は、言い終わるより早く母無し子の元へ向かう。一足先に戦うウィズィの傷を癒し、支えるために。景護も、仲間へ会釈だけして彼女を追った。
懸念。端的な一言は、仲間たちの思考へ吉兆を呼ぶ。
ふとライセルがユキの頭を撫でた。まるでこれから起こることを察したかのように。
だからシラスも魔法陣で母無し子を鈍らせながら、静かに少女へ呼びかける。
「お母さんに呼びかけて、大丈夫だよ。必ず届くから」
ちらつく光と影。苛む感覚がシラスを眩ませるも、彼は決して諦めない。
(そうさ、諦めなければいつか……)
口先だけのものではなく、かといって夢を見るでもなく、ただ――。
「俺はそう信じてるよ」
彼の音を受けとったユキが、ぱちりと瞬いた。
「カナさん! ユキちゃんを連れて来ましたよ!」
ウィズィが娘の名を伝えるも、カナはきょとんとするだけだ。
耐え兼ねてジョーイも叫んだ。晶槍で母を求める夜妖を抑えながら。
「家族仲良く! それが一番大事であります! 邪魔するのは『めっ』ですぞ!」
それを聞いたヒスイは、変なの、と笑う。ヒスイが笑ったから、カナも嬉しそうに微笑んで。
ユキの眼前で起きた出来事のすべてが、ユキ自身の胸を抉る。だが彼女は泣かなかった。母と、そして周りで戦うイレギュラーズたちを確かめていく。花やイチゴ飴のにおいが染みた手を、ぎゅっと握りしめて。
「如何に母が恋しかろうと、他者の母を奪ってよい理由にはならぬ」
景護が、H・ブランディッシュで母無し子へ終焉を刻みながら言う。ヒスイへ向けた言の葉は、果たして届いたのか否か。張本人はぶらぶらと退屈そうに足を揺らすばかりだ。
母無し子がひとつ潰えたところで、ヒスイに動揺の気配もなく。
それでもアーマデルは確実に、銃短剣で夜妖へ呪殺を贈る。いつでもカナとヒスイを引き離せるよう、ベンチを気に留めながら。
そして真優も。
「……ユキ様」
全員での帰還を前提とする彼女は、ただただ力を振り絞り、この場で聲に抗う仲間たちを癒す。
そして種々の気持ちを与えられた少女は、踏切の煩さも構わず線路を目前にして立つ。
「おかあさーーん!!」
泣くのではなく、悲しむのではなく、ただ呼んだ。
「おにいちゃんとおねえちゃんが、いろいろ教えてくれたの!」
届くと信じて少女は叫ぶ。めいっぱいの笑顔を浮かべながら。
「おかあさんにも、いっぱい教えてあげる!」
不意にけたたましかった踏切の音が止んだ。前触れも余韻もなく、静寂が訪れる。
結局、電車がくることもなかった線路の内側、すっくとカナが立ち上がるのをイレギュラーズは目にした。
「ユキちゃん! ユキ!」
やや足が縺れながらもカナは走りだし、踏切を抜ける。
抱き合う親子を瞳に映して、希はそっと顔を逸らす。先ほどまで、倒さぬよう気をつけていた子の群れが、いつのまにか消失していた。
(……この世界はなんなんだろう……)
寂しさを編んで結わえて、そうしてできあがったような異世界で。
脅威だったはずの夜妖は、ヒスイただ一人を残していなくなってしまったというのに。
ヒスイは駄々もこねず、イレギュラーズを見つめる。
「おにいちゃん、おねえちゃん……かあ」
新しいおもちゃを発見した、子どものような面差しで。
●
ヒスイ、と呼び止めたライセルの声は、彼自身が思うよりもずっと丸く、やさしい。
「寂しいんだろう? だったら、俺が君の兄ちゃんになってあげる」
まるで迷子へ話しかけるかのような素振りだ。混じり気なきヒスイの瞳がほんの僅か、見開かれる。
「お兄さん? 僕の?」
「そうだよ。だから、一緒においで。寂しい思いはさせないからさ」
少年の抱く感情にライセルは寄り添う。そこに偽りは迷いは無かった。彼が差し伸べた手は本物だ。
居場所になってあげると、彼は言う。これなら寂しくないはずだと、彼は言う。
ヒスイは手渡される気持ちの数々を、混じり気のない双眸で捉えて。
「やーだ」
甘く駄々をこねた。
「でも僕のお兄さんなら、また遊んでくれるよね?」
「勿論。いくらでも相手してあげられるよ」
ライセルがあまりにも迷わないから、ヒスイも多くを交わさず背を向ける。
「ばいばい、おにいちゃん」
いたずらっ子のような笑みを湛えて、愛らしい姿は赤い空へと溶けていった。
「不思議な夜妖でしたね」
やり取りを見ていたウィズィが小首を傾ぐ。
「不思議……そうかもしれないね」
ライセルは情を噛み締めるように、じっくりと言葉を濡らして呟いた。
そのとき。
「……あ」
シラスが突然立ち止まる。赤のままだった横断歩道の信号が、青へ変わっているのに気付いたからだ。
それはカナとユキも同じで。
「帰ろっか、ユキちゃん」
「うんっ」
イレギュラーズへ深々と頭を下げたカナは、娘と手をつなぎ、夜妖の影も形もなくなった横断歩道を渡っていく。
「よきかなよきかなですぞ!」
うんうんと頷くジョーイの、その後ろでは。
真優が胸を撫で下ろしていた。
「良いものですね。お互いの無事を喜び、想いと手を重ね合う親子の姿は」
結ばれていく心を、景護は唇を引き結んで聞く。
「家族の絆とは斯くありたいものです。ねぇ、景護?」
改めて名を呼ばれて漸く、景護も思いの丈を綴る。
「ええ、真優様。……たまには兄者らに手紙等、認めてみましょうか」
なんとなく懐かしさを覚えて、二人して目許を和らげた。
各々が想いに耽る間、希は広がる世界のにおいを、色や音を、そうっと抱き留める。
(あの子たちのこと、きちんと覚えておこう)
覚えておくために、唄を送った。夜妖の記憶に残らなくても――約束したから。
希の歌がメロディーとなり、歩行者を安心させる。そして渡った先にあるのは異界の出口。全員渡りきったというのに、信号は青のままだ。
「誰もが無事に渡れるよう、これからも『そう』であることを祈る」
何とはなしにアーマデルが言えば、横断歩道で一斉に靴音が鳴り出した。
元気に手をあげて渡る子どもたちの様子が、色濃く浮かび上がるかのように。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。カナもユキも、無事に帰宅。
皆様もご無事だったようで、何よりです。
……おかえりなさいませ。
様々な心くばりを、ありがとうございました。
GMコメント
いつもお世話になっております。棟方ろかです。
●目標
母カナと娘ユキを保護し、現実世界へ連れ帰る
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●ロケーション
舞台は異世界。希望ヶ浜とそっくりなようで、ナニカが歪んだ世界。
空は赤黒く染まり、ひと気もなく、ナニカがおかしな場所。
地形も現実と同じはずが、道路が崩落していたり、土砂で埋もれていたり。
よくわからないものがあったり、無かったり。
リプレイは異世界突入直後、横断歩道からスタート。
ユキとは近いですが、母カナとヒスイの居場所は不明です。
●阻むモノたち
・ヒスイ(夜妖)
オープニングに出てきた少年。ライセル(p3p002845)さんの関係者。
カナをそばに置いて、何処かでバス待ちの間、のんびりしています。
目的や真意は不明ですが、今は「母親がほしかった」気持ちが強いよう。
戦闘になった場合、混乱系列の『無邪気な笑顔』を向けたり、泣いて相手のスキルを封印する傾向にあります。
・母無し子(夜妖)×20以上(増援あり)
ユキを取り囲む泣き声の主。母を求めて彷徨うらしき夜妖。
母を失った子、母の愛を欲する子の意識を読み取り、仲間にしようと襲ってきます。
手で掴んだ相手の体力を奪い続け、泣き声で人々を狂わせます。
しかも何かをトリガーに数が増えてしまう上、意外と体力もあるので油断は禁物です。
なお、夜妖ヒスイと母親カナの近くにも5体存在しています。
●NPC
・カナ(母)
女手ひとつで娘を育てている女性。
現在は夜妖ヒスイに狂わされ、ヒスイを自分の子と思い込んでいる。
・ユキ(娘)
保育園児。すでに母無し子に囲まれていて危険です。
●Danger!(狂気)
当シナリオでは『見てはいけないものを見たときに狂気に陥る』可能性が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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