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シナリオ詳細

<傾月の京>思慕の消息

完了

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●術者
「療養中とお伺いしましたけれど、御健勝そうで何よりですわ」
 花ノ宮 百合香の微笑みは穏やかだ。可憐で柔らかいがゆえに、後ろめたさのある相手には恐ろしく感じる。実際、彼女たちの前にいる八百万の顔からは血の気が引き、見開いた瞳孔もやり場なく揺れた。
 違う、違うのだと繰り返す彼が庇おうとした襟を、失礼、と断りを入れて桃江 金時が開く。
 すると男性の胸元には――妖のものと思しき新しい傷痕が、生々しく残っていた。
「妖の痕だな。どこでついた傷だ?」
 言葉を多く飾らぬ金時の質問に、ひゅっ、と男性の喉が鳴る。
「巷を騒がせている呪詛は、妖を切り刻み、その血肉を用いることで術と成すらしいが」
 金時が追い詰めていく間も、ガタガタと男性の歯が噛み合わない。
「……お前が襲撃を受けたという一報は、受けていないな」
「おかしいですわね。まさか呪詛返しで、なんてことは」
 睨みつける金時と、百合香のふんわりした問い。温度差のある詰問が追い討ちとなり、男性は項垂れた。
 観念したかのような彼の反応に、金時と百合香が顔を見合わせて頷く。
 ――この八百万もまた、同じ兵部省内の者を狙い呪詛をかけた術者だ。
「ちち、違うッ、私は……」
「言い訳なら刑部省で聞いてもらえ。行くぞ」
「待ってくれ! 私はただ文を……っ」
「文、ですか?」
 金時が男性の腕を掴んだ矢先、思いがけず零れた言葉に百合香が反応した。
「慶事殿が私を……の、呪い殺そうとしていると、そう教えてくれた矢文があったんだ!」
「で、その文とやらは?」
 すかさず金時が尋ねるも、男性の顔色は晴れぬままで。
「疾うに燃やしてしまった……そうするよう、記されてあったのだ」
「話にならんな、さあ立て」
 逃げ出さぬよう両手を括る間も、男性はつらつらと話を止めなかった。

『獄人に擦り寄るかの渡辺・慶事なる者。汝に対する不穏当な動きあり。注意されたし』

 彼の言い分によると、燃やしてしまった文にはそう書かれていたらしい。
 名指しの文を読んで、男性は恐れ戦いた。呪詛の騒ぎが蔓延し、誰もが疑心暗鬼になる中で、真にそうした手紙を受け取ったとしたら――「呪われる前に呪ってしまえ」と衝動的に行動しても不思議ではない。
 しかし百合香たちには解っている。同省に所属する渡辺・慶事なる八百万は、そんな男ではないと。
「陽さんに呪いをかけた術者の言い分と、同じですわね」
 百合香が別の八百万を想起して、溜め息をつく。
 そう、少なくとも彼女たちにとって『この証言』は幾度も聞いたものだ。
 先刻捕らえた八百万は、陽という兵部省所属の鬼人種を呪った張本人。そして今回もまた、同じ兵部省の渡辺・慶事に呪詛をかけた相手。他数名、突き止めた術者はいずれも文がどうのと口にした。
「真実だとしたら、文で不安を煽るなど……ひどいお話ですわ」
「しかも、元々獄人に思うところのある八百万ばかり狙って、文を届けている」
 同胞たる鬼人種の扱いに苦心する金時も、眉根を寄せた。
「兵部省の者が次々狙われている、だなんて噂もいつのまにか広まっていましたし」
 大騒ぎという程ではなくとも、省内や勤め人の身内に動揺が走っているのは事実で。
「動き難くてなりませんの」
「……それが狙いかもしれないな」
 端的に告げて、金時はすっかり萎れていた八百万を連行する。
 後をお願いします、と百合香は頭を下げて踵を返す。いつものことだ。自分は一足先に兵部省へ報告に戻るのみ。けれど暫く歩を運んだところで百合香は足を止める。そういえば、刑部からの帰り道なら、あそこを通るはず。美味しいと評判の茶店ができたと思い出して、彼女は金時へ知らせようと刑部省へ向かった。

 金時が向かったはずの場所はしかし、刑部省ではなかった。
(どういうことですの?)
 一度覚えた疑惑は、百合香の内側で嫌な渦を巻く。
 何故なら此処は、高天御所。様々な寝殿作りの建物が並び、天守閣を有する城を中央に拝む城壁の内側。
 しかも金時が男性を連れていったのは、とある屋敷で。
(こちらのお屋敷……記憶違いでなければ巫女姫様を仰ぐ方がいらしたはず……)
 誰だったか、はっきりとした情報は得ていないが、噂で耳にしたことを百合香は思い出す。
 なぜ、このようなところに。

●共闘
「神使様、これから高天御所にあるお屋敷へ、私と共に来て頂けませんか?」
 百合香から向けられた願いに、イレギュラーズが顔を見合せる。
「……仰りたいことは予想がついておりますわ。これは私個人の依頼ですの」
 兵部省に所属する彼女だが、上が正式に認可したものではないそうだ。せわしく動き回る兵部卿へ情報が届くまでの僅かな間に、どこからか百合香の行動が漏れでもしたら――これから行う作戦にも、支障が出る。
 百合香は慎重に、屋敷へ向かう準備を整えていた。真実を得るために。
「それに私だけですと心許なくて。皆さんの知恵とお力をお貸し頂きたいんですの」
 彼女によると兵部省では、次々と発生した事態に対応するため、手が足りていないそうだ。
 蔓延る妖や怨霊、呪具に続いて呪詛騒ぎ、呪詛をかけられ負傷した者――そこへ重なった今回の『強大な呪詛』の件で、仲間も殆どが出払っているとのこと。それに百合香はイレギュラーズを信頼している。お姉様が所属してらっしゃるんですもの、と目を輝かせて話した彼女が、イレギュラーズを頼るのも当然だろう。
 こうして請け負うことを決めてたイレギュラーズに、百合香は嬉しそうに頭をさげて。
「……実は、術者と判明した兵部省の八百万が皆、現在ゆくえ知れずなんですの」
 イレギュラーズの働きもあって、兵部省では『省内の者を標的とし、呪詛をかけた術者』を数人突き止めたという。いずれも兵部省所属の八百万で、不穏な噂が耳に入っただの、矢文が寄越されたなど口を揃えて言い訳をしていた。
 しかし肝心の手紙は焼却済み。差出人も不明で、ましてや省内をうろつく怪しい人物の目撃談もなく。
「彼らの言に違わず、噂の流布はともかく文を仕掛けるとしたら、普通にはできませんわ」
 つまり、手引した者――協力者がいるはずだ、と彼女は言う。
 そこで気になってしまったのが、金時だ。きっかけは他愛ないものだった。術者の連行を任せていた彼へ、そういえば帰り道においしいお団子屋さんがあるのだと伝えるべく後を追い――そして。
「刑部省へは寄らず、術者と共にお屋敷へ向かわれましたの。高天御所の、あるお屋敷へ」
 人物の特定まではできないが、そこは巫女姫一派が住まう屋敷だった。
 わざわざ金時が足を運ぶような場所でもない。
「刑部省へ伺いましたけれど……『金時殿は確かに来訪した』との答以外は得られなくて」
 術者についても「口外無用の件だ」とした刑部省の返答は、素気なくも業務としては正当。
 だから百合香も追求できず、地道に調べを進めていたのだが。
「金時さんが、またあのお屋敷へ向かわれたと、仲間から情報が入りましたので」
 理由は不明だが、わざわざこの状況下で屋敷の八百万と会うのだ。もしも新たな企みがあるとすれば、情報を得て阻止したい。偶然か否か、強大な呪詛が行われるとつづりが感知したのもあり、嫌な予感が百合香の頭を過ぎっていた。
「巫女姫様に味方する者を特定し、金時さんとの繋がりも確かめたいのですわ。きちんと」
 そうすれば、兵部省を狙った此度の事件についても決着がつくはず。そう百合香は信じていて。
「確かめた後、両人が接触している現場を押さえたいのです。そして可能なら捕縛を」
 となれば戦いになる可能性も高いだろう。充分に用心が要る。
 ここまで話した百合香は、依頼を引き受けてくれるというイレギュラーズへ深々と頭を下げた。
「不束者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」

●屋敷にて
 月の葉末が、灯りのない部屋に差し込んでくる。訪ねた折には浅かった月明かりも、今はおちかたにある建物の陰影を濃く刻んでいた。深まる夜はしかし静寂を連れず、屋敷内はざわつくばかり。城で行われる呪詛とやらに関連して、煩忙な者が多いのだろう。
 いずれにせよ金時の胸を常より掻き乱すのは、城でもかれらの企てでもない。
 思えば今の心の様と夜景とは、似通う節があると金時は己の手を見つめる。彼が握るのは得物のみ。彼が抱くのは憂いも怒りもなき心の戦のみ。かの者への想い深きがゆえか、血ののぼる感覚が喉をカラカラにさせる。けれど想うだけでは耽り得ない痛みが、胸を締め付ける。
「……巫女姫様」
 夜気に溶かしたあえかな音は、ため息となって消えていく。
 誰にも――金時自身にさえ掬われることのないまま。

GMコメント

 月満ちる刻に零す溜め息は、果たして何色でしょうか。棟方ろかです。

●成功条件
・「金時」と繋がっているヤオヨロズが誰かを確定させる
・指示していた内容など「兵部省を標的にした」ことに関する情報を得る
・現場を押さえる(同行者・百合香の立ち会いが必要)

●情報精度
 このシナリオの情報精度はCです。
 情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。

●現場
 舞台は寝殿造りのお屋敷。多くのヤオヨロズらが慌ただしく行き来しています。
 屋敷正面に、母屋となる『寝殿』が。寝殿のある棟から北、東、西に設けた『対屋』と呼ばれる棟を、屋根付き廊で繋いでいる建物群。
 寝殿前で、車や輿を寄せた賓客の対応をするイメージですね。池や庭園があったり。
 壁のある『塗籠』という部屋は寝殿にありますが、基本屋内は柱のみで壁が殆どありません。幾つもの和室がふすま無しで繋がっているようなイメージ。(簾、屏風、衝立などはそこかしこにあります)
 屋根裏はありません。他、倉が母屋の裏手に建っています。

●敵対側
・桃江 金時(ももえ きんじ)
 鬼人種の男性。所属は兵部省。何らかの理由で『巫女姫一派』と繋がっていた模様。
 鬼気を纏いし剣士。兵部省内で多くの手柄を上げた程の手練れ。
 おやつに食べるお団子が、日々の楽しみ。この日はまだ食べていません。

・首謀者(ヤオヨロズ)×3体
 屋敷に大勢いる八百万の中で、3人だけが「兵部省の八百万の不安を煽り、兵部省を掻き乱すことを企てた巫女姫一派」の者。(人数はPL情報です。実際は判明していません)
 誰が該当者か、どんな能力を持っているかは不明。
 新たに何か仕出かす前に全員捕まえたい、というのが百合香の意向。

・屋敷の人々×20人以上
 八百万の住民や、仕えている鬼人種。様々な考えの人がいます。
 全員が巫女姫一派とは限りませんし、穏健派や中立の人もいるでしょう。
 全員が全員戦うわけではありませんが、状況によっては行動の妨げとなる可能性も。

●味方NPC
・花ノ宮 百合香
 八百万の女性。所属は兵部省。杖術を得意とし、素早く堅実な戦いを好む。
 皆様のお願いには従いますが、なくても本人なりの思考で動きます。
 頭に咲く百合は、嗅いだ者の精神を落ち着かせるほど、とても良い香りです。

●Danger! 捕虜判定について
 このシナリオでは、結果によって敵味方が捕虜になることがあります。
 PCが捕虜になる場合は『巫女姫一派に拉致』される形で【不明】状態となり、味方NPCが捕虜になる場合は同様の状態となります。
 敵側を捕虜にとった場合は『中務省預かり』として処理されます。

※備考
 オープニングに名前が出た「呪詛をかけられた兵部省の人物」は、こちらに登場しております。
『<巫蠱の劫>俤』
『<巫蠱の劫>晩方の赭き道』
 特に読んでおく必要はございません。こうしたことがあった、という参考程度に。
 実際は、シナリオ外でも呪いの対象となった兵部省の方々がいました。

 ――それでは、どうか良夜となりますよう。

  • <傾月の京>思慕の消息完了
  • GM名棟方ろか
  • 種別EX
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2020年10月04日 22時40分
  • 参加人数10/10人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(10人)

クロバ・フユツキ(p3p000145)
深緑の守護者
セララ(p3p000273)
魔法騎士
ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)
華蓮の大好きな人
ハイデマリー・フォン・ヴァイセンブルク(p3p000497)
キミと、手を繋ぐ
ヒィロ=エヒト(p3p002503)
瑠璃の刃
美咲・マクスウェル(p3p005192)
玻璃の瞳
ウィリアム・ハーヴェイ・ウォルターズ(p3p006562)
奈落の虹
マリア・レイシス(p3p006685)
雷光殲姫
ヴォルペ(p3p007135)
満月の緋狐
不動 狂歌(p3p008820)
斬竜刀

リプレイ

●月に想う
 何故だ。何故、お前ほどの者が。
 言の葉の切っ先を突きつけるも、待つ影に答は返らず心を解しかねた。
 いっそ心失せた人の顔であったなら、問い掛けた音も幾許か軽くなろう。そう、思っていたのに――。

 時は一刻ほど、高天御所に月満ちる頃へと遡る。
 中央に座する城が禍々しさを羽織る一方、天守閣を仰ぎ見る形で建ち並ぶ屋敷のひとつに、来客があった。
(御所内だけあって、守りは堅いか)
 塀を一瞥し『巫女姫を辿る者』クロバ・フユツキ(p3p000145)が立ったのは、件の屋敷の門前。門を守る処というだけあって焚かれた火は強く、辺りは明るい。大音声が飛び交いはしないものの、門の外からでも屋敷の喧騒は感じとれた。
 他の仲間は既に散開し、動き始めている。時間を無駄にはできない。
「情報提供者はお通しするよう、言われておりますが……」
 門番の獄人が言い難そうに続ける。
「多忙ゆえ面談が叶うかはわかりませんよ」
「構わない。職務が繁劇なのは承知の上だ」
 真っ先に不動 狂歌(p3p008820)が答え、『雷光・紫電一閃』マリア・レイシス(p3p006685)も頷いた。
 それと、と狂歌はもうひとつ連ねる。
「屋敷の者に、呪詛騒動の聞き込みもしたいのだが」
「私は門を守る身ですので、承諾は致しかねます。ただ、その……」
 躊躇を飲み込んで獄人は言った。あまり目立つ行為はなさらぬ方がよろしいかと、と。
「どういうことかな?」
 マリアが率直に尋ねれば、門番は寒そうに腕を摩って。
「今夜は空気がどうにもおかしく、些事で咎められてしまう可能性もありますので」
 どうやら心配してくれているらしいと分かり、マリアたちは顔を見合せる。
「ご忠言、有り難く頂戴致しますわ」
 淑やかに花ノ宮 百合香が一礼し、四人は門を潜った。
 ひとたび敷地内へ入れば確かに、まともな燈りもない屋敷や廊を行き来する影が随分せわしい。平生よりも出入りが激しいと、周辺で噂する者があったのをクロバは思い起こす。当然、大太刀を持った洋装の鬼人種も目撃されていた。
 やはり何処かにいるのだ。かの男は。
 そこへ使用人の獄人が姿を現す。丁寧に頭を下げた青年は、ご案内します、とだけ告げる。
「……賑わっているようだが、珍しい来客でもあったのか?」
 狂歌がさりげなく訊くと、青年は薄く笑んだ。
 そして、珍しいと言えるのは異国の装いをした獄人の方のみだと端的に答えた。
「失礼。少しいいかな?」
 不意にマリアの声音が透る。
「君は昨今巷を賑わせている呪詛事件について、どの程度知っているのかな?」
 じっと直視して尋ねられたからか、青年は少々恥ずかしげに顔を逸らす。
「詳しくは何も。いつ我が身に降りかかるかと、恐れるばかりです」
「例えば、誰かが君を呪おうとしている、なんて耳にしたらどうする?」
 唆されたらしき術者の心境を推し量るべくマリアが尋ねると、彼の顔に青白さが差す。
「それが天命なら。私には他に何も……力もありませんので」
 彼の回答を聞き、探偵にでもなった気分だとマリアは息を吐く。
(こういう仕事、苦手なんだよね)
 気が進まないのではなく、身体を動かしたくて疼いてしまう。
 何気なく仰ぎ見た上空では、先刻飛ばした鳥が闇夜を旋回してばかりだ。
(でも皆に任せてたら大丈夫、だよね??)
 胸裏をよぎる不安を、マリアはおくびにも出さず歩いていく。
 一方、導かれる彼らの後ろでは、二人の仲間が番人との応酬を繰り広げていた。
 招かれたか否かと静かな問答を交わしたのち、ひらりと掲げられた折神密書『金』に、門番が両のまなこを見開く。しかしすかさず密書は懐へ戻され、門番の視線は行き場をなくした。
「もちろん仔細は申し上げられませんが」
 そっと人差し指を唇へ当てて、『静謐の勇医』ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)が微笑む。ならば、と番人は易々と道をあけた。ココロの後続は下働きの『魔風の主』ウィリアム・ハーヴェイ・ウォルターズ(p3p006562)だ。両名共に、その場限りの経歴をねつ造しためか、門番は余分な疑いを持ちもしない。
「そうそう、金時さまはどちらにいらっしゃいます?」
「はっ。私は門を守る立場ゆえ、存じ上げません」
 こうしてココロが門番の気を引いた隙に、やや無用心となった門から『号令者』ハイデマリー・フォン・ヴァイセンブルク(p3p000497)が潜入を果たし、誰かに咎められる前に植え込みへ紛れこむ。
 左様ですか、とココロがそこで話を切り上げた。彼女の後背を眺めて進みながら、ウィリアムは暗い景色を見渡す。
(潜入までは良好、だね。問題なのは……ここから)
 過ぎる懸念をウィリアムが咀嚼している間に、ココロはしずしずと対屋の方へ消えていく。

●東対屋
 落葉が朽ちゆく音を聞きながら、眉間にしわを刻んで『魔法騎士』セララ(p3p000273)は身を屈めた。見通しの良い寝殿造りだが人足も繁く、覗き見ては頭を引っ込めるのを繰り返し、思わずむむむと唇を尖らせる。
(今日ぐらいは、相手も油断してたり……しないかあ)
 この一夜を満たすのは、災いにしかならぬ呪詛の気。惨烈の兆しを思わせる空気に乱されるのもまた人心だ。だからこそセララは平静を損なわず、東対屋の物陰で『そのとき』を待った。
 あれっ、と驚きぱちりと瞬く。耳をそばだてていたセララへ、生活音と巻き葉が拡がる音に紛れて人声が届く。
「遅いお出ででしたな、助雄殿」
 虫の囁きさえ聞こえぬほど集中してみれば、声色に揶揄が含まれているとセララにも感じ取れた。
(誰かな、えらい人?)
 出くわさぬよう床下へ身を潜めたまま、セララは息をのむ。
「片付けに時間を取られる身にもなって欲しいものですね」
 助雄と呼ばれた若い男がそう言い、二人して寸陰を惜しむように歩いていく。
 セララはドーナツをはくりと咥え、床下から男たちを追いかけた。
(片付けってなんだろ。嫌な感じ)
 不穏な響きに少しばかり目許が引き攣る。すると。
「……して、純清殿はどちらに?」
「あの獄人と会われるそうで。まったく酔狂なものです」
「でしたら、その間に済ませておくとお伝えください」
 そのまま助雄と呼ばれた男だけが廊下を渡り、北の対屋へ向かう。
 監視を寸時も欠いてはならない予感がして、セララも続いた。

●北対屋
「なんだか胸がばくばくしてるっ」
 おどろおどろしい気配が充満する御所だというのに、『咲く笑顔』ヒィロ=エヒト(p3p002503)はそう笑った。笑みは満開でも、迸る緊張が心臓の鼓動を強めていく。誰もが秘める緊張感だ。
 何しろ彼女もまた、城を仰ぐ御所での任を請け負った面々。
(兵部省の事件、詳しく聞いたら大変そうだったし。思ってたより責任重大、かも!)
 ヒィロは屋敷までの道中、事件の経緯や現況を百合香へ熱心に尋ねていた。
 ――京を中心に多発した呪詛騒動により、脅かされていた民の日常。
 警邏のため兵部省も人員を割き、対処に当たっていたそうだが、そこへ『兵部省の者を狙った事件』が続いて。
 呪詛の対象となった兵部省の人々。そして呪いをかけた術者もまた、同じ兵部省の八百万たち。
(でもでも、術者を唆したってひとたち……巫女姫派ってひとが、ここにいるんだよね)
 大胆な行動に出たなあ、とヒィロは百合香のことを思う。むしろ今だからこその選択だろうか。
 今回で証拠を押さえられなければ、捜査に踏みきった百合香だけでなく――ただでさえ、巫女姫や天香に肩を持つ者らの存在もあって――身動きままならぬ兵部省も、敵対一派への対策が難しくなってしまう。それだけで済めばまだ良い方か。
 物悲しげに月光を浴びるエノコログサを手折り、ヒィロは唇を突き出して。
「植物たちもなんだか元気なさそう」
 大丈夫、とゴーグル越しに闇の世界を捉えていた『紫緋の一撃』美咲・マクスウェル(p3p005192)の一言が、ヒィロの背を押す。
「頼もしい仲間が揃ってるからね。そう簡単には詰まないよ」
 そう紡ぎつつ美咲はふと、ここへ来る前に百合香へ尋ねたことを思い出す。
 ――いつも任務にひたむきで、心優しいお方ですの。
(……金時の為人を、百合香はそう話していたから)
 ならば金時の動機は何か。美咲の中で疑問は渦巻いてばかりいた。
 そうしてふたり月影の下、植え込みを伝い北の対屋を訪れる。美咲が衝立の向こうを覗き、ヒィロが平包やつづらを開けていく。識る限りを尽くし、美咲が床板を持ち上げていると、美咲さん、美咲さん、と控えめに呼ぶヒィロの声がした。
 彼女が蓋を開けたのは、月明かりを避けるように置かれていた古びた葛籠。得も言われぬ表情を浮かべたヒィロに、何事かと美咲も中身を確かめ眉根を寄せる。ずだ袋と呼んで差し支えない袋が詰め込まれていた。しかも黒ずんでいる。
「これ見ちゃうと、百合香さんが言ってた術者、気になるね」
 ヒィロが指摘したのは、ここへ連行されたはずの術者たちの存在で。
「居て欲しくない気もするけど、霊魂と意思の疎通をはかってみるね」
「わかった。警戒は任せてっ」
 どんとヒィロが己の胸を叩いたのを見届けてから、美咲は瞼を落とす。
 六種の力宿りし防具へ指先を這わせ、意識を研ぎ澄ませた美咲が、残存する霊魂へ語りかける。
 その間ヒィロは首飾りをきゅっと握り締め、屏風と屏風の幻影で二人の姿をより視認され難くした。直後、ぴこんとヒィロの狐耳が立つ。足早ながらドタドタと音を立てずに、若き男が二人のそばを通りすぎていく。
 しかも彼は、今し方ヒィロたちの覗き見た葛籠を抱え上げて。
 追いかけなきゃ、と考えヒィロが振り向く。霊魂との意思疎通はまだ続いているらしく、美咲は手が離せない。するとそこへ。
「やっほ、お疲れ様、セララだよー。あの人はボクが追うね」
 男――助雄を尾行していたセララがヒィロへ声をかけ、先を急ぐ。
 そしてセララを見送った後、美咲が確認するように霊魂へ尋ねた言葉に、ヒィロは一驚する。
「……君を手に掛けたのが、今の男なんだね?」

●西対屋
 清夜の月光は、西の対屋にも心ばかりの情けをかける。
 哀れみにも似た仄かな明るさが差し込む屋内へと、ひとりの青年が近づく。茂みへ潜った『満月の緋狐』ヴォルペ(p3p007135)だ。彼はひたすら感情を辿っていた。狂気も恐怖も、焼け付くほど強い情だと知るからこそ、ヴォルペは行き来する一群からそれを抜き取ろうとして。
(そういえば、あのとき助けた子……)
 先日の出来事が蘇り、ヴォルペの眦がふっと和らぐ。
(あの子に呪詛を掛けていた術者も捕縛されたと言っていたな、よかった)
 けれど、ままならぬ現実はまだ暫く続きそうだと、ゆるり肩を竦めて――感づく。
 蔓延る雑音に混ざった、男の喋り声。屋内が望める位置へ到ったところで、彼は足を止めた。縁から月夜を見上げる武人を認め、彼が『協力者』だろうと目星をつける。息を殺した彼はしかと聞く。
 金時、と呼ぶ男の声を。
「まだお二方、見えんようだが」
 金時が返せば、男はくつくつと喉で笑った。
「どちらも多忙らしくてな。……にしても上手く働いたな、お前は」
 褒められた金時の様子は、遠目に見ても落ち着かない。じっと堪えるような素振りだと、ヴォルペは思う。
「巫女姫様も喜ばれる。恐らくな。ゆえに再びお目にかかれる機会も巡ろう」
 男が口角を吊り上げ、そう言い放つ。
 ああこれは、皆が来たら伝えてやらねばとヴォルペは耳を傾けたまま過ごす。
 続きが退屈しのぎの四方山話でないことを願いながら。

●寝殿前
 寝殿へと続く庭に入ったところで、案内人が神使たちへ手を差し出した。
「恐れ入りますが、ここより先、得物はこちらで預からせて頂きます」
 ここより先、と聞いて狂歌たちが見やった前方に大きな建物があった。寝殿だ。
 既に幾人もの客があったのか、はたまた報せが届いたのか、控える八百万たちの準備は万全のようで。
(まぁ、そうだよね。見逃してくれるかと思ったけど)
 マリアは月を仰ぎ見る。けれど皆一様に逡巡は示さず、武器を獄人の青年へ手渡した。彼は得物を決して雑には扱わず、一礼したのち大事そうに抱え、木々の天蓋によって月明かりさえ届かぬ後方へ下がってしまう。
 妙に明るい庭を過ぎ、開けた寝殿の前へ通されたクロバたち四人は、まず眼前にいる顔触れを確かめる。
 八百万ばかりだな、と狂歌は感じた。有事の際に働くのであろう刀や刺股を持った獄人もいるが、殆どは高貴な衣装に身を包んだ八百万。居心地の悪さを感じ、狂歌は唇を引き結ぶ。
「そなたらか。情報提供者というのは」
 いやなしき八百万の男が、寝殿から顔を出した。
 狂歌が百合香へ目配せすると、こくりと頷きを返して彼女は恭しく一礼する。
「こちらの御仁が、有益な情報をどうしてもお伝えしたいと仰いましたので」
 百合香の言に誘われ、クロバが前へ出た。ちら、と男は百合香を瞥見し、すぐにクロバへ意識を傾ける。傾けた途端、神人か、と男は苦々しく吐き捨てた。なんとも明瞭な様相を呈した男に、神人たるクロバとマリアはしかし顔色ひとつ変えない。
 そのとき、従者らしき八百万が男の傍らへ寄る。
「季能殿、既に場は整いつつあるとのことで……」
「私は冷えた茶が好みだ。純清殿にそう伝えよ」
 季能(すえよし)と呼ばれた八百万の男は、言伝に来た人を居丈高に追い返し、訪問者たちへ向き直った。
「情報とやらを申せ」
 彼は唇に笑みを湛える。目許だけは全く笑わずに。
(フリとはいえ、友人を売るようであまり気が進まないが……)
 クロバは巫女姫の正体を予想していた。だからこそ、時間稼ぎとしての『情報』にも価値が生まれる。
「巫女姫の私事……『想い人』についてだ」
 一瞬、風が止んだ。
「……あの獄人の他に使いは居らぬ筈だが」
 ぽつりと漏らした季能は、訪問者の顔を一人ずつ視界に納め、徐に檜扇で口元を隠す。
「なぜ、私たちがそれを必要としていると考えた? 何処かで聞いたのか?」
 問い返す音は刺々しくも、季能の興味はすぐさまクロバたちから逸れる。
「まあ良い。確かめねばならんな。そなたらは其処で待っておれ」
 言うが早いか季能は立ち去った。まるで逃げるかのように、西方へと。
(寝殿の西……対屋か!)
 狂歌が爪先を向け、四人は目線を重ね、頷く。
 確かめるために彼が向かうならば、目指すべきは『そこ』だと。
 ――マリアの鳥が高らかに歌う。天翔ける一羽が、戦いの幕開けを報せた。

●火急
 何気なく周りを見やったウィリアムは、不釣り合いな得物を幾つも抱えた鬼人種の青年と出会う。
「そちらの得物、私がお持ちしましょう」
 えっ、と一驚する青年をよそに、下働きを装ったウィリアムは話を連ねる。
「虫除けの香を焚いて回るついでです。この辺りも、来客用に焚き直さなければならないので」
 暫くここにいるのだと理由を話すも、しかし、と鬼人種は渋る。当然、躊躇されるのはウィリアムの想定内だ。だから彼は現在の状況を利用する。
「今夜はあなたもお忙しいでしょう? 私はお香を焚き終えるまで、屋敷に戻れないので」
 押すのではなく引きながらウィリアムが提案する。薄灰の双眸を和らげ、にこりと笑みながら。
 いつしか押しに負けた青年は、大事な預かり物だと念を押し、武器をウィリアムへ手渡す。そして足早に屋敷へ入っていった。
(自分のを隠す手間が省けたな)
 ちょうど良いと吐いた呼気も、だいぶ冷たく感じる。夜が深まった証だ。
「……さて、何が出てくるのやら」
 前途洋々とはいかないだろう。だからこそウィリアムは木に寄り掛かり、草木との会話に勤しむ。これだけ広い屋敷ともなれば、庭や生け垣、松といった植物に事欠かない。しかも彼には心得がある。
「桃江なる武人、どの辺りで見かけるかな」
 特徴を野の美に伝え、よく行く部屋を考え尋ねると、風の噂、草葉の噂で断片的な言葉が集まって来る。西の対屋へ足を運ぶことが多いそう。歩き回っているのでなければ今夜も、とさわさわ草たちが囁く。
 暫し沈黙し、ウィリアムは再び言の葉を編む。
「西の対屋は、誰かがよくいるのかな?」
 穏やかなウィリアムの質問に、少しばかり間があいて。
「すみ、きよ? そうか、この屋敷の……」
 いびつな音の形を整える。明らかに名前だ。
 突如、そこへ喧騒が届く。張り詰めた空気にウィリアムは迷わず駆け出した。

 同じ頃、ハイデマリーは『塗籠』と呼ばれる部屋の床下に潜入していた。ヤモリの五感を通してわかっている。まずは壁際を一周し、塗籠の広さを掴む。続けてするすると桐箱や葛籠の合間を抜け、全体像を脳裏で描きあげた。
 やがて布にくるまれた桐箱に惹かれる。衣装や装飾品を仕舞うにしては小振りの桐箱は、まるで。
(短冊か文でも入れておけそうであります)
 ヤモリの頭で小突くと、カサリと中で音が擦れ――鳥の鳴き声が夜気を引き裂き、俄かに騒がしさが増した。
 頭上で響く、沢山の音と声。飛び交っていて聞き分け難くとも、仲間のものはハイデマリーにも感じ取れる。
(これは急ぎ赴くべきであります、が、その前に)
 ヤモリの眼で目撃したものを己の手で掴むべく、彼女は混乱に乗じて直接塗籠へ向かった。

「金時さまは甘味がお好きだと伺っておりますゆえ、主人からの配慮です」
「……ああ、あの獄人ですか。案内しましょうか?」
 八百万の女性は、苦々しい口振りで答えた。
「いえ、案内は不要です。存じ上げておりますので」
 ココロだは何食わぬ顔で屋敷内を進んでいた。少々歩みを早めれば、屋敷の住民と大して変わりない。ましてやこの慌ただしさで、しかも夜。月明かりに当てられようとも、通行人をわざわざ注意深く確かめる者は、多くない。
 ココロの辺りへ鏤められていくのは、足音に食器の音など、無数の生活音。それとと食事の片付けをしている、鬼人種たちの掛け合い。
「純清様が急げと仰せだ」
「今夜いったい何があるって言うんだ?」
「判らぬ。しかしご指示は絶対だ、抜かるでない」
 事情に明るくない彼らの会話に、ココロの睫毛が震える。
(大きな呪詛が成されようとしているのも、知らないまま、なんだ)
 ただ日常を送るだけの彼らも、異様な今宵の邪気には感づいているはず。それでも、ここから離れられない。
 どうして、とココロの胸がちくりと痛んだ――気がした。
(金時さんはなぜ、こんな企みを?)
 不和を招こうとする者たちと共謀したのだとしたら。いったいどうして。
 そのとき、バタバタと幾重もの駆け足が連なって届いた。曲者だなどと吹聴する彼らの後ろを、ココロもついていく。
 わからない。わからないから少女は歩を運ぶ。答えを知るために、一歩ずつ。

 四人は八百万の男、季能を追おうとした。けれど季能の足は早く、廊を一目散に抜けてしまう。しかも異変を察知した使用人たちが立ちはだかった。そこへ。
「武器ならあるよ、受け取って!」
 ウィリアムが駆けつけ、クロバたちへ武器を投げる。
 受けとった直後、明らかな敵意で射抜いてきた者をクロバが逸早く斬り払う。
 ぱっと見ただけでは、穏健派か中立派かも判断がつかない。ゆえにクロバは鬼人種たちへこう告げる。
「巻き込まれたくなければ、去れ!」
 怯んだ者に刃は向けず、立ち向かう者にのみ慈悲深き一撃で応戦して駆けた。
「いっそ襲い掛かってきてくれれば手っ取り早かったのに……!」
 なんとも楽しげな顔のマリアが、悔しさを噛む。ふ、と先ゆくクロバが口端を歪めて。
「逃げ腰の奴を追うのも悪くない」
「そうだね、時間も十分作れただろうし!」
 言いながらマリアが地を蹴る。季能を守ろうとした鬼人種たちへ、蒼き雷光と化して彼女は存分に暴れた。これぞまさしく、ダッときてズバーン! と称する動き方。おかげで伝播した震動や緊迫感が、屋敷の人々を恐怖と戸惑いに陥れる一方、マリアは満足げだ。
 道を切り開いた狂歌が、百合香に先へ行くよう背を押す。
 周囲へ集うやじ馬に紛れてきたココロは、格納していたドローンを出し、闇夜へ飛ばす。
「東と北で、調べてる人たちへ連絡を」
 ――本陣は西にあり、と。

●倉
 葛籠を抱えた助雄は、母屋の裏手に建つ倉を訪れる。葛籠を入口へ置いた彼は、暫し左右を確かめたのち戸を開く。差し込んだ月明かりにさえ怯えたのか、倉の中からあえかな悲鳴が漏れる。
「す、助雄殿……っ私は何も、何も知らないのに、何故!」
「そう、貴方は何も知りません。知らぬままで良い」
 助雄と呼ばれた男がにじり寄る。そこへ飛び込んだのは――助雄を追跡していたセララだ。瞬時に招いた天雷が刃の彩り、一太刀にて助雄を叩く。ふらついた男は咄嗟に近くの棚へ寄り掛かった。その拍子にガラガラと物が降ってくる。
 続けて到着した美咲が成した綾は、断絶の蒼。届かぬ蒼穹を思わせる色が弾け、助雄を吹き飛ばす。
 背を強かに壁に打ち転がった助雄へ、矢継ぎ早にヒィロが詰め寄って。
「っ、何処の手の者です!? まさか兵部卿の……ッ」
「ほらほら、お喋りしてる場合? ボクが相手だよ!」
 ヒィロが抑え切れない闘志を放ち、男の気を惹いた。そしてすかさず突き出された短刀を躱し、助雄の腕を掴んで捻りあげる。痛みに呻いた助雄の腹へ、今度は美咲が蹴りを入れた。
「うッ、ぐ……」
 鈍い悲鳴をあげ、ずるずると助雄が崩れ落ちると同時、ヒィロが倉にあった縄を掴んだ。
「ガッチリ縛ってガッツリ絞ってバッチリ色々吐いてもらうからね!」
 ある種の死の宣告を彼女が助雄へくだす一方、セララは倉の中を頻りに見回して。
「物証もあれば完璧だけど……ここは術者を捕らえてただけかも?」
 セララがドーナツを完食する頃には、すっかり助雄も簀巻きにされていた。
 助雄に轡を噛ませ、セララがほっと安堵の息を零したのに気付き、ヒィロが首を傾ぐ。
「首謀者が肉腫をばらまくんじゃないかなって、ボク気になってて」
「そっか! いろいろ企んでた側だしやりかねないよね」
 セララの心配事にヒィロが相槌を打つ。
「もう今は、何か仕出かす前に荷造りされちゃったけどね」
 ぽつりと呟いたセララをねめつける助雄の眼光は、弱らぬままだ。
 彼女たちの後ろでは、美咲が怯える八百万へ声をかけていた。
「もしかして、誰かから手紙を受けとって呪詛をかけたという、術者のひとり?」
 美咲の質問に、男は首が取れそうな勢いで頷く。
「他のひとは?」
「ほ、他? いや、ここには私しか……」
 ヒィロと美咲が顔を見合わせた。やはり先ほどの霊魂は――となると、彼だけは間に合ったのだろう。
 そう過ぎったところで息を吐き、美咲は男を立ち上がらせる。
「私をどうするつもりだ? やはり助雄殿と同じく……私をこ、殺……」
「いないよりは居る方がいいと思うけど、どう思う?」
 美咲が尋ねると、簀巻きにした助雄の鼻先でエノコログサを遊ばせていたヒィロが、ぱちりと瞬く。
「大人しくしてくれれば大丈夫だよ! たぶん!」
「た、たぶん!?」
「一先ずは兵部省の対応によるよね」
 その言葉聞いたが最後、術者の男は押し黙ってしまった。

●対峙
 陽の名残は夏らしく、風の音は秋らしく廊を吹き抜けていく。
 しかし移ろう季節に喜ぶ足取りはそこに無く、月の葉末は今なお薄気味悪く地を照らす。
 季能はそんな廊を走り抜けていた。
 あの獄人め、何事かやらかしたのやもしれぬ。否、今はそれを糾す時ではない。いずれにせよ揮う武勇がかの者にはある。巫女姫様のためと理由をつければ、我が身も守ってくれよう。そう息せき切って西対屋へ駆け込んだ。
「桃江金時! 彼奴等を仕留めよ! 今すぐ……に……」
 語尾は弱々しくかき消えた。
 季能が目の当たりにしたのは、憎き神使の男に叩き飛ばされ転倒した純清の姿。今にも純清の首を折らんばかりに迫った男の手が、金時の行動を鈍らせる。まなこのみでこちらを見た両者に、季能の喉がひゅっと鳴って。
 そうして一瞬たりとも戸惑ったが運の尽き、季能は狂歌とマリアに背をはたかれ、脇を過ぎゆくクロバと百合香が揃って金時へ得物を突きつけた。
「やー、おにーさんこっち居てよかったよ。この人、逃げだそうとしてたからね」
 純清を抑えるヴォルペは平時の笑顔のまま、駆けつけた仲間たちへ告げる。
「逃げ……!? なんたること! 純清殿、お主!」
 戦慄する季能に返す言葉もないのか、純清はぐぐぐと呻くだけだ。
 そんな彼らの有様に目もくれず、金時の双眸がクロバを射抜く。貴様か、と呟きながら。
 睨み合う両名をよそに、転んだ男を目線で示してウィリアムが告げる。
「ああそれだよ。純清。この屋敷の主の名前だね」
「こっちが季能。そう名乗っていたな」
 連ねたのは狂歌だ。彼女とマリアが彼を牽制している。
 顔触れを認めて百合香が嗚呼と嘆いた。ここにいる二人の八百万は紛れもなく、巫女姫を仰ぐ者たちで。
「金時さん。どうして……」
 百合香の悲しげな問いは、終わりまで告げられず消え入る。
 このとき風一陣、部屋に近き梢を慰めるような音を立たせた。けれど金時は慰撫に従わず、クロバの眸に映るのみで。
「桃江金時」
 呼んだ声音はクロバの想像以上に、己が心中を物語る。
「お前ほどの使い手が、何故」
 言葉に粧いなど必要ない。だから真っ直ぐ問うたまでのこと。すると青年のまなこが輝き、ほんの僅か、頬に血ものぼる。だが彼は応じず、ただただ得物を握りしめる。純清がヴォルペの腕を邪雲を思わせる靄で弾くと同時、金時が唇を震わす。
「鬼気一刀流、桃江金時……」
 胸裡を掻き乱す心なぞ、今は奥へ奥へと押しやるだけ。
「いざ、参る!」
 以降を語るのは刀だ。金時の睨みは殺意とも敵意とも異なり、ただ成すべきを成すための頑強な意志でしかない。
 ならばクロバも同様。だから彼は喉を開き声を張る。
「クロバ・フユツキ。尋常に勝負!」
 あとは――己が刀と鬼気で応じるのみ。

●いくさば
 そうかそうか、とヴォルペが頷く。
 駆けつけた使用人も、近くに居合わせただけの住民も、惑うか主人を助けるべく神使へ牙を剥いた。寝殿造りという構造上、開けた場なのもあって加勢もしやすいのだろう。
「大丈夫だよ、おにーさんは危害を加えない」
 刀を振りかざす鬼人種を避けて、ヴォルペは固まって動けずにいる八百万の女性たちへ声をかけた。
「慌てて転んだりしないよーに避難してね。ほら、あの人みたいにならないように」
 ヴォルペが両目で示した先、マリアへ飛び掛かろうとした鬼人種が、綺麗に蹴り返され、対屋から転がり出ていく。
 戦意なき八百万や鬼人種へ話しかけるヴォルペの声はひどく穏やかで、周りに広がる戦の音など耳に入っていないかのようだ。いくさばに似合わぬ彼の様相に驚いたらしい住民たちの目線が、一点に定まる。
「おにーさんが護るから、安心してね。平気、怖くないよ」
 物腰の柔らかさは、たとえ攻撃の波に晒されようとも揺るがない。
 こうして彼が退避を促す中、瞬時に狂歌を飾るは、混戦でも倒れぬ意思を宿した強靭な鎧。そして両の手に生み出されるのは、勇猛なる士の剣と大盾だ。
「かっこいいですわ、お姉様!」
 彼女の変姿に百合香が手を叩いて喜ぶ。
「百合香は俺の後ろで。……無茶だけはするなよ」
「! はいっ!」
 喜々として応じた百合香が杖を構える間、狂歌は己の戦意を高め、喉を開く。
「アンタたちは守るべきものを違えた。掛かってこい、俺が相手をする」
 狂歌の口上に数人の鬼人種がつられる様を、季能は肩を揺らして笑う。
「守るべきものか。ふふ、おかしな話だ」
 広げた檜扇から目に映らぬ波動を飛ばし、狂歌へ追撃した。
「真に守るべき世に、不要なものばかりが此処にあるというのに」
「っ、何を勝手な!」
 狂歌が睨み返す。八百万の男が言う『不要』なものが何かを考え出せば、きっと呑まれそうになってしまう。
 不意に、純清の放った赤黒い邪気が四方八方へ散る。眼前を走っていたマリアをくるんだ忌まわしき闇に、にやりと男が口端を上げる。だがしかし、人生の禍福は転々として予測できないもの。
 純清が気付いた時には、悶え苦しむマリアの姿など無く。
「残念。それは幻影だよ」
 マリアの声が蹴りに乗る。走った蒼雷の踵が、純清の脇腹を抉った。
 咳込みふらついたところへ、軽やかに舞った百合香が杖で突き、純清はまたしても転ぶ。同じ頃。
「なぜ?」
 澄み切った声で金時へ聞いたのはココロだ。
「なぜ、皆仲良く生きていこうとしないの?」
 魔法で編んだ医術の力を、ココロは祝福として仲間へ降らせていく。 シャンと鳴る麗しき鈴のように、ココロの足取りが癒しを生んだ。清らかさが満ちる場で投げられた無垢なる質問に、金時は苦しげな面差しのまま、こう告げる。
「……容易く変われる程、素直に生きられる世ではない」
 今まで努めてきたと言わんばかりの、金時の物言い。ココロはこてんと首を傾ける。
「だから、自分から不和を生み出すの? その先に何を求めているの?」
 わからない。わからないからココロは尋ねる。
 真っ直ぐ、純一なる言で射抜かれた金時は答えるというより――ひとりごつ。
「俺の求めるものもまた、変わりはしない。その為に必要ならば、俺は」
 素知らぬ顔で言い開くかと思いきや、紡ぐ言葉がほろほろと彼の元から流れ落ちる。
 そこへクロバが物打ちで鬼気を裂き、大きく一歩、踏み込む。
「お前が巫女姫一派に手を貸すのは、『巫女姫個人の為』か?」
 問い質すには正直が過ぎたためだろうか。金時の面差しに陰りが生じる。ああそうだ、お前なぞ悪辣な策には向かないと、よりによってクロバにそう突きつけられたかのようで――金時の眉間に山谷が起こる。
「俺は……あの御方の為ならば、水火も辞さぬ」
 彼の言に、知らいでかと言わんばかりにクロバが目を細めて云う。
「傾く月の意も懸想の念も、俺にはわからない」
 斬り合えば凄みが鬼気となって、互いを傷つけていく。
 不粋にも、そんなクロバと金時の対峙を阻もうとした鬼人種を、ウィリアムの放った雷蛇がうねり、のたうち、払っていく。
 到着したハイデマリーは、脳内で瞬時に、算法に則った数値を駆け巡らせた。
「いけるであります」
 まもなく彼女が呼び起こしたのは、鋼の驟雨だ。
「愚他者を巻き込む術技とは、愚かにも程があろう!」 
 季能があくどい顔で叫べば、対屋とその周りにいた人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。
「まあまあ慌てなさんな。大丈夫だって、冷たくないだろう?」
 ヴォルペが常と変わらぬ調子で人々を宥めていく後ろ、ハイデマリーは季能をじっと見つめたまま、自身のこめかみをトントンと叩いて見せる。
「確と状況把握を成してから発言すると良いのであります」
 高い天井があろうと、傘を開こうと、逃れるすべなき鈍色の雨は、逃げ惑う人々に一切興味を持たない。止まぬ雨が打つのは首謀者の八百万と金時、そして彼らに追従する鬼人種だけ。
「ぐぐ、ぐ、おのれ……っ」
「混戦の中では出来ないと思ったでありますか? 出来るんでありますよ」
 不敵な笑みを唇に刷き、ハイデマリーはすうと息を吸って。
「今であります!」
 凍てついた雨の下を、狂歌が舞う。
「巻き込まれていただけなら、まだ救いもあっただろうが……」
 狂歌の声が鋭く刃の上を滑り、鈍重な一撃が季能に押しかかる。
「アンタも、あいつも、自ら進んでやってきたなら容赦しない」
 本来は人々の平穏を、生活を守る立場でありながら。その務めも果たさぬだけでなく、混乱を招くとは。それは狂歌にとって許しがたい事実で。だからか剣を握る手にも自然と熱がこもる。

●消えゆくもの
 ココロが細腕を掲げ、聖域を戦場に構築する。浄められた場に立つ者から、次々と苦痛を拭っていく。その術は仲間たちの足を支え続けた。だから聖域を飛び出して、ヴォルペは破邪の結界を己へ宿す。
「さあ、おにーさんと遊ぼうか!」
 屋敷の夜を織り成すものすべてを、名乗りで奮わせた。
 彼が好むのは美しいもの。好まないのは、よくわからないもの。だから呪詛だ儀式だといった事象は、興味の矛が向く的になり得ない。ただ今のヴォルペを動かしているものはひとつ。
「がんばるよ。可愛い女の子のお願いだからね」
 にっこりと微笑むヴォルペの声もまた、いつも通りの調子を紡ぐ。
 直後、揺らぎかけたクロバめがけて、金時の一太刀が振り下ろされるも、捕捉困難なマリアの一蹴が金時の臀部を叩く。たたらを踏んだ金時が次に得物を構えるまでの間に、遅れて到着した鬼人種たちが対屋を取り囲む。
「ええい、遅い! 不届き者共を疾く捕らえよ!!」
 純清の命令に鬼人種らが呼応し、踏み入る。
(囲まれたか……)
 クロバの目線が周囲の状況を察した。太刀を握る掌に力を篭め、鬼気纏った太刀による秘技を揮おうとした瞬間。
 突然転がり込んできたのは、爆ぜた音と星の瞬き。
 何が起きたのかを覚る前に、星夜ボンバーを投げ込んだ主――美咲が顔を出す。
「どう? 一瞬くらい怯んだ?」
「みんなー、こっちの首尾は上々だよー」
 美咲に続いたのは、片手をひらひら振るヒィロの笑顔。彼女たちの後ろでは、両腕を縛られ青褪めた男と簀巻きにされた男という、強烈な光景が描かれていて。万が一にでも彼らが逃げ出さぬよう、セララがしっかり見張っているのもあり、男二名、情けなくも微動だにできずにいる。
「ちなみに、簀巻きの方が首謀者の一人だよ」
 セララが言うが早いか、ヴォルペがぽんと手を打つ。
「そうか、これで三人。さっき聞いた通りだ」
「三人?」
「ああ、金時と彼がね、『もう二人いる』って話してたんだ。計画に携わってる八百万は、三人で間違いないよ」
 肝心要の純清は、星降る対屋内で空を見ることもなく、マリアの手で床へ押さえ付けられていた。
「不殺は任せたよー」
「任されたよ」
 使用人たちを引き付けていたヴォルペが片手を泳がせて托せば、ウィリアムの威嚇術が、弱り切っていた季能を伏せさせる。
 二名が力尽きた一方、折々微かな溜め息をつき、クロバが夜気に埋もれた男へ切っ先を突きつけていて。
「……残念だ」
 一言を降りかけて本懐の在り処を探るも、かの者は申し開きひとつしない。
 そこでハイデマリーが懐より一巻、紐状の紙を取り出す。
 八百万たちは僅かに目を瞠ったが、しかし余裕綽々といった様子で縛られている。
「どこで見つけたんだ、それ」
 びろんと伸びる紙に、マリアが不思議そうな声をあげた。
「塗籠にあった小箱であります。千代紙などと一緒に収められていたであります」
 紙を泳がせるハイデマリーをよそに、純清はふんと鼻を鳴らす。
「紙屑が何になると言うのだ。言い掛かりも大概にするんだな」
「紙屑に見えますが、巧妙な密書であります」
「密書?」
 きょとんと瞬くマリアが、紙を指間で滑らせながら読もうとするも。
「一寸……兵……万……ああ、普通には読まないんだね」
 マリアの言葉にハイデマリーがこくんと肯い、塗籠から拝借した一寸角の棒に紙を巻付けていく。
 なるほど、と手を打つヴォルペとは裏腹に、純清たち首謀者の顔が段々と青褪めていった。
「ま、待て……!」
「ついでではありますが、読み上げるのであります」
 隣へきた百合香が、ハイデマリーの手元を覗き込んで確かめる。百合香の許可を得て、迷いもためらいもなく、音読はしめやかに為された。純清が紙屑と称したそこに、記録されていた内容はこうだ。
 唆すのに適した精神状態と立場だとして挙げられた、数人の名。
 そして今し方捕らえた八百万の三人の役目と、金時へ消息――文を托す機について。
「間違いありませんわ」
 百合香が確信の色を顔に浮かべる。
「記されているのは連行した……省内の者を標的とし、呪詛をかけた術者たちの名です」
「つまり桃江金時なる人物は情報提供者として、それと文使いとして動いていた、と」
 クロバが溜息混じりに呟き、膝を着いて以降ずっと噤んでいる金時を見やる。
 残念ながらそのようですの、と百合香も肩を落とした。
 巫女姫一派からすれば、兵部省に暗影を投じるため、内部の協力者が必要だった。
 上昇志向、任務を積極的にこなし手柄を挙げている点、そして兵部省の内部事情にも明るい金時であれば、策も成しやすい。
 不意に指先を動かし、何事か術をかけようとした純清をセララが引き絞って阻止する。
「くっ、神使共め……よくも……よくも、我らを」
「もー、諦めが悪いよ!」
 肉腫をばらまく可能性があると用心していたセララを出し抜き、術を放つなど、叶うはずもなかった。

●結末
 兵部省の八百万を煽り、呪詛騒動に乗じて兵部省を掻き乱すことを企てた、巫女姫一派の一員。
 それを三人も捕らえることが叶ったのは、間違いなくイレギュラーズの尽力の賜物だ。
「お姉様っ」
 笑み綻ばす百合香が、狂歌の元へ駆け寄る。
「やはりお姉様のいらっしゃるローレットというのは、素晴らしいところですのね!」
 弾む声も笑顔も、長い作戦の後とは思えぬ満開っぷりで。
 そんな百合香へ、ヴォルペもいつも通りに告げる。
「また守るお仕事があったら、いつでもおにーさんに声かけてね」
 守る。端的なその言葉に、百合香はほっと胸を撫で下ろした。守れたのだと、彼女も徐々に実感しつつある。
「ええ、そのときは頼らせて頂きますの」
「お任せを。鉄帝軍人にやれない事など、タブンないであります」
 コンパクトな敬礼を示して、ハイデマリーは百合香へ後を托した。
 気は抜かないままだが、それでも今だけ味わえる夜気に銘々身を浸す。
(まだ夜は長いけど、とりあえず一見落着、なのかな)
 ウィリアムがそう思いを馳せつつ天を仰げば、満ちた月は静かに若者たちを眺めるばかり。
 けれどクロバは、捕らえた金時から目を離さずにいた。恨み言を吐く首謀者の八百万らと違い、金時は過ぎ行く時間の中で歯痒い情を噛み締め、月虹を見つめていた。クロバの名を呼ぶ、そのときまで。いや、クロバの名を口にしてからもずっと。
「我が忠を捧ぐはたった一つだ」
 殆ど独言のようなあえかさで、金時は紡ぐ。
「実に酔狂な話だが、月に恋する人と何が変わろうな」
 その眼差しはどことなく――かなしげだった。

成否

成功

MVP

ヒィロ=エヒト(p3p002503)
瑠璃の刃

状態異常

なし

あとがき

 お疲れ様でした。
 おかげさまで、巫女姫一派が企てた証拠品の入手、首謀者である純清、季能、助雄の三名、そして協力者を抑えることと相成りました。
 これにより、兵部省としてもだいぶ動きやすくなるでしょう。

 ご参加頂き、誠にありがとうございました!
 またご縁が繋がりましたら、そのときはよろしくお願いいたします。

===
捕虜:桃江 金時

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