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シナリオ詳細

<終焉のクロニクル>死者は決して

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●絶望故に人は縋る
 灯りの点いた一室。
 そこは診察をする為の部屋で、清潔なシーツで包まれた診察台の上には一人の女性が横たわっていた。
 黒白の一対の羽を持つ白髪の女性の目蓋は閉じられ、口も閉じている。胸の辺りも上下に動いておらず、それどころか顔には生気が無い。
 死んでいる。
 一目でそうと分かる。
 そして診察台にて永遠の眠りについている彼女に近付いてきたのは、彼女の夫である松元 聖明だ。
 マスクで口元を覆い、大きな片眼鏡をかけた白髪の大柄な男は、手に小瓶を持っていた。
 何の変哲も無い手の中にすっぽり収まる程の小さな瓶。コルク栓で閉められているだけの小瓶。その中に閉じ込めているのは紫水晶のような鮮やかな色をした液体だ。男のアメジストのような瞳の色よりも鮮やかだった。
「エピアさん……本番で使用する事になってすまない」
 白衣の男の唇から零れたのは申し訳なさそうな声による言葉。
(魔種ないしはイレギュラーズの実験体さえあれば……)
 だが、今はそれを言っても詮無き事であると、聖明は息を吐き出す。
 今はただ、目の前の妻を蘇らせる事が成功するように祈るのみだ。
 横たわった身体のまま流せば誤嚥を招きかねず、また、薬が正常に機能しない可能性もある。死後硬直の始まった身体を起こし、無理矢理口を開けて流し込んでいく。
 無事に食道を通るよう祈り、暫く経ってから再び横たえる。あとは経過を待つのみだ。
 その間にも成功した場合と失敗した場合に備えた準備をする。
 成功すれば、息子に堂々と言えるだろう。心配なのは、成功した身体が魔種から幻想種に戻るかどうか。死からの生還で種族が変化出来れば、それで彼の願いは成就する。そうすれば、今度こそ家族三人で暮らせるだろう。
 例え、生還の代償に何かを犠牲にしなければならないとしても、暮らそう。最愛の家族達と笑い合って暮らせるのなら、犠牲など安いものだ。
「ん……」
 背後から聞こえてきた声に振り向く。身体を起こす女の姿がそこにあった。
 歓喜の声が男の口から零れ、名を呼ぶ。
 思わず抱きしめた男を、女は同じように返す事は出来なかった。だが、聖明はそれを死後硬直の影響だろうと推測した。これから少しずつ硬直を解いていけば、前と同じように動けるだろう。
 顔を覗き込み、耳を見る。残念ながら耳は戻ってはおらず、落胆するが、それでも生きているならそれでいい。また研究を再開するだけだ。
 もう一度息子を誘おう。三人で暮らそうと。
 その為なら、イレギュラーズだって排除しよう。それが彼の親友だとしても。

 出撃と勧誘の為の準備をする聖明の後ろで、女は天を見上げていた。
 それから己の右手を上に伸ばして、指先の感触を確かめるように何度も握り、女は笑った。
 とても、そう、とても邪悪な笑みで。

●そして罪は再び目の前に
 深緑の領内にある木々のざわめきがうるさい。
 先頭を歩く松元 聖霊(p3p008208)の隣には、耀 英司(p3p009524)が寄り添っていた。彼から見た聖霊の姿は、気丈に振る舞おうとしている空元気に見えた。
 無理もない。彼は母親――松元 エピアをその手にかけたのだ。医者としての自分、子としての自分。それらに反した行動が彼を苛むのは必然と言えた。
 だがそれを選んだのは他ならぬ聖霊である。遍く生命に害を為すならば己が手で、と。
 そして、彼にはまだ待ち受ける人物が居る。
 松元 聖明。聖霊の父だ。
 魔種であった母エピアの傍らにあって魔種に近い存在に変貌していない男。それはつまり、彼はこの世界の本来の住人ではない事を指す。
 妻を純種に戻そうと試み、その過程で多くの者達の生命を奪った、医神と呼ばれた医者。
 前回、妻を聖霊が殺した事で、聖明が息子である彼をどう認識したのかは分からない。憎悪を向けられていない事を願う。
 彼等の後ろを歩く嘉六(p3p010174)とヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)。口数の少ないヴァイオレットは前回の件以降、更に口数を減らしたようで、自分から口を開く様子は無い。
 重い空気を払拭しようと、嘉六はわざと明るい声のトーンで聖霊の背中に話しかける。
「それで、聖霊。どこに向かってるのかそろそろ説明してくれてもいいだろう?」
 先程から歩いている道を、聖霊は迷わずに進んでいる。それは目的地があるという事に他ならない。
 前回同じような問いをヴァイオレットがしたが、その時は答えてくれなかった。
 だが、これから向かう先に、もし聖霊の父が居るのなら。
 その目的地ぐらいは教えてくれてもいいのではないか。
 嘉六の質問に、聖霊は小さな声で「……そうだな」と呟くと、漸く目的地を口にした。
「昔住んでた家だ」
 まだ家族三人で……いや、母が死んだと聞かされてからは父と二人暮らしだった、あの頃の家。
 そこに向かって歩く内に見えてきた、塔の姿。
 実家ではない。だが、直感が教えてくれた。
 おそらくあそこに、父が居ると。

 塔の麓に辿り着いた時、待ち受けていた松元夫妻の姿に、誰もが息を呑んだ。
 にこやかな笑みをたたえた松元 聖明。その隣では無表情のエピア。
 耳の形が幻想種ではなく魔種だった時のままな事に、どこか落胆を覚えつつ、聖霊は一瞬だけ目を閉じる。
 開いた目が捉えるのは己が父。
「…………『死者蘇生薬』を、使ったんだな、父さん」
「そうだよ。どうだい、成功したんだ、もっと喜んでくれてもいいんじゃなかな?」
「……死んでも、魔種から戻らなかったんだな、母さんは」
 脳裏に二人の魔種を思い出す。『彼女』達が例え生き返ったとしても魔種のままだったとしたら、此方がいくら手を尽くそうが戻れるはずも無かったのだろう。
 諦めに近い感情を覚える息子を前に、聖明は笑みから表情を変えないまま言葉を続ける。
「そうだね。だけど、それはこれからまた研究すればいい。どうすれば彼女が原種に戻れるのか。それを研究するには君の助けも必要なんだよ、聖霊」
「…………悪いが、それは出来ない」
 杖に込める力が増す。
「父さんもこれ以上生命を脅かそうっていうんなら、俺は……」
 続く言葉が、詰まる。見える片目のアメジストのような瞳が揺れる。
 その背中を軽く叩く英司と、肩に手を置く嘉六の温もり、ヴァイオレットの「私も……手伝います……」という呟きが、彼の心をほんの少し軽くしてくれた。
 おかげで、漸く口に出せた。
「俺は、父さんを殺すよ」
 その決意の言葉にも、聖明に動揺は見られない。愛おしく見つめていた瞳は剣呑なものへと変わり、聖霊の周りに居る友人達を射貫く。
「そうか。……では、僕達は君の友達を殺そう。今度はやられないよ」
 杖を一振りする。聖霊達ではなく近くの木に向けて振られた杖が、木々を数本倒す。切り口からして風の刃だろうか。
「エピアさん、いこうか」
 彼の言葉に、彼女は数歩前に踏み出すと無表情から笑みへ表情を変えた。
 それは酷く獰猛で。邪悪にさえ見える笑みに、聖霊を含むイレギュラーズは唾を飲む。その顔を、聖明は知らないだろう。知っていれば笑顔で居られないはずだ。それほどまでに、彼は愛しているのだから。
(何でしょうか……あれは……いえ、アレは……きっと)
 ヴァイオレットはそれにひどくシンパシーを覚えていた。邪悪なそれは、何かしらの悪のエネルギーを持っているのだろう。
 それが何を持っていようが構わない。倒せば良いだけなのだから。
 二人の周囲に動物の形が現われた。
 聖明の上半身までありそうな大きさの猫が数体、空中に浮いている。その尾が二本な事から、普通の猫ではない事が窺える。
 また、追加で亀らしき姿も二、三体見受けられた。大きさは聖明の膝までといったところだろうか。
「終わりは遁れざる者である」
 そう告げたのは亀の方。その言い方に記憶がある者なら知っている。
 アポロトスと呼ばれる者である、と。
 嫌な予感がする。アポロトスの出現と、邪悪な笑みを浮かべるエピア。それは、聖明の作った『死者蘇生薬』は『失敗作』であるという予感。
 エピアの中に居るのは、果たして本当に彼女だろうか。
 考えられる可能性として挙げられるのは、死者蘇生薬で反応した彼女の器に『寄生型終焉獣』が入り込んでいる事。
 それでも、彼女の身体は死を迎えさせなければならないだろう。聖明と同様に生かすわけにはいかないのだ。
 各々が構えを取る。
 木々のざわめきはいつの間にか落ち着いていた。

GMコメント

 泣こうが喚こうが、これが聖霊さんのご両親とのラストバトルとなります。
 覚悟を決めて臨んで下さい。

●成功条件
・松元 聖明の討伐
・アポロトスならびに、寄生型終焉獣(エピアであったものの器)の討伐

●フィールドデータ
 塔以外は障害物の無い広場。足元に危険性は無し。
 広く行動出来るが、あまり互いに離れすぎるとイレギュラーズが不利になる可能性は高い。

●敵情報
・松元 聖明
 松元 聖霊の父。かつて医神であり、今は妻への愛故に狂気に堕ちた者。
 自身が作った『死者蘇生薬』が本物であり、妻を蘇らせる事が出来たと信じている。彼女の邪悪な笑みに全く気付く事は無い。
 聖霊以外のイレギュラーズをひどく憎んでいる。
 BS回復や通常の回復をメインとしていますが、攻撃面も併せ持つ。
 現在の所判明している攻撃手段は以下の通り。
 光の筋(神遠単):一直線に放つ光線。
 風刃(神近扇):複数に向けて放たれる見えぬ風の刃。【必殺】を有している為、注意する必要がある。

・松元 エピア(『寄生型終焉獣』の器)
 生前は松元 聖霊の母であり、前回、聖霊によって幸福の中、討たれた女性。
 夫である聖明の『死者蘇生薬』によって甦ったかに思われたが、生前と異なる様子から同一の魂を有しているかは疑わしい。
 アポロトスの出現により、『寄生型終焉獣』の器とされた可能性が高い。戦う際には下記にある「●寄生の解除」を参照のこと。
 寄生を解除しても、解除できずとも、どちらにしてもエピア自身は死亡している為、元の死亡状態の肉体に戻るだけである。
 器が魔種であっただけに、全体的な能力は高め。
 黒の羽根(神近範):【不調系列】を伴う攻撃。それ以上は不明。
 白の羽根(神近範):【麻痺系列】を伴う攻撃。それ以上は不明。

・アポロトス
 「終わりは遁れざる者である」と告げ、滅びのアークを周囲にばら撒く特徴が有る。
 生み出した『寄生型終焉獣』をエピアの器に寄生させた。
 出現した個体については以下の通りである。
 二つの尾を持つ猫:機動力、反応が非常に高い。敵に噛みつく事で【治癒】能力を有する。攻撃手段として、尾を伸ばして攻撃(物近範)や、巨大肉球スタンプ(神遠単)がある。
 巨大亀:機動力や反応力に劣るものの、物理攻撃や防御力に長けている。地割れ(物近範)や【混乱系列】を伴う咆哮(神近範)といった攻撃手段を有している。

 ●【寄生】の解除
 寄生型終焉獣の寄生を解除するには対象者を不殺で倒した上で、『死せる星のエイドス』を使用することで『確実・安全』に解き放つことが出来ます。
 また、該当アイテムがない場合であっても『願う星のアレーティア』を所持していれば確率に応じて寄生をキャンセル可能です。(確実ではない為、より強く願うことが必要となります)
 解き放つことが出来なかった場合は『滅びのアークが体内に残った状態』で対象者は深い眠りにつきます。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はCです。
 情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。

  • <終焉のクロニクル>死者は決して完了
  • その生命はたった一つなのだ
  • GM名古里兎 握
  • 種別EX
  • 難易度HARD
  • 冒険終了日時2024年04月09日 22時30分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
同一奇譚
ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)
【星空の友達】/不完全な願望器
岩倉・鈴音(p3p006119)
バアルぺオルの魔人
松元 聖霊(p3p008208)
それでも前へ
ヴェルグリーズ(p3p008566)
約束の瓊剣
耀 英司(p3p009524)
諢帙@縺ヲ繧九h縲∵セ?°
嘉六(p3p010174)
のんべんだらり
メイ・カヴァッツァ(p3p010703)
ひだまりのまもりびと

リプレイ

●決意を、願いを、想いを、拍手を
 亀や猫の姿を取った、明らかに敵と分かる者達。
 邪悪な笑みを浮かべたままのエピア。
 そして、彼等の後ろには聖明が控えている。
 「とうとう来ちまったなぁ」と、ほんの少し諦めを滲ませた『重ねた罪』松元 聖霊(p3p008208)の言葉を、親友である『諢帙@縺ヲ繧九h縲∵セ?°』耀 英司(p3p009524)と『のんべんだらり』嘉六(p3p010174)は聞き逃さなかった。
「聖霊」
「傍に居てくれ、英司。俺が躊躇わないように」
「………殺せるのかい?」
「やらなくちゃなんねえだろ。父親だからってここで父さんを見逃したら俺はとうとう医神になれねぇ。そう思うんだよ、嘉六」
 だからやるよ、と。
 そう言った彼の身体が震えている様子は見えない。観察した上で、英司は「そうか」と呟いたし、嘉六は息を吐いた。
「最後まで付き合うぜ、聖霊」
 乗りかかった船だ。親友の覚悟を見届ける為にも、協力しようではないか。
 気合いを入れる意味で、嘉六の手が聖霊の背中を力強く叩く。
「痛ぇ!」
「おまじないだよ」
「もう少しやりようがあんだろが!」
 抗議など何処吹く風とばかりに口笛を吹いてみせる嘉六。
 小さく舌打ちした聖霊は、視線を嘉六から前方の敵へと滑らせる。
 二人の様子を口出しせずに見ていた英司は、普段と変わらぬ様子の聖霊に対し、複雑な心境を抱いていた。
 口ではああ言いつつも、聖霊は内心では平静ではいられない筈だ。白無垢の女が傷一つ負う事にさえ心を痛めるような男が、親殺しという罪を重ねようとする事に心を痛めない筈が無い。
 前回は母を、今回は父を。
 父をその手に掛けた時、彼は正気でいられるのか。
 ただの人間だからこそ、人の痛みが分かり、己も痛みを覚える。
 それが医者である彼の強みであるはずだ。痛みに鈍感になる、そんな風にさせたくない。そんなのは自分だけで十分だ。
 無痛症の医神になどさせやしない。これが例え裏切りだとしても。
 強く拳を握った英司の後ろで、軽快な音が響く。
 ゆっくりとした調子で、されど大きくハッキリと響く拍手の音。
 この状況で以前にも似たような事をした者など、一人しか居ない。
 『同一奇譚』ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)は、顔色の見えぬ顔で、それでいて口元は笑みを浮かべて語りかけた。
「申し訳ない――訂正するべきか」
 以前、ロジャーズは言った。松元夫妻を、失楽園を追う切欠となりし蛇であると。
 だが今はどうだ。エピアは死に、それを聖明が生き返らせたという。
 死者を蘇らせるという冒涜に、ロジャーズはえもいわれぬ愚かさを感じていた。
「貴様等は蛇ですら無かった。
 成程、貴様等こそ最初の人間に相応しい、騙される側だったのだ」
 唆す蛇ではなく、蛇に騙され、その結果楽園を追われた者が彼等なのだと、ここに至って理解する。
 Nyahahahahahahahaha!!!!
 響き渡る笑い声は場の空気を吹き飛ばす。
「以前の貴様等の振る舞いも、今回の振る舞いも気に入った。我が介入し、その一頁に加えるのもまた一興!
 貴様等の矜持を見せてみろ。医者だというのなら、その誇りをな!」
 聖明の事を指しているのだと、理解はするのだが、この場に医者はもう一人居る。ロジャーズの事だ。二人の事を指している可能性もなくはなさそうなのだが、今それを追求する時間は無い。
 動き始めた敵に対し、『バアルぺオルの魔人』岩倉・鈴音(p3p006119)が引き連れている女性――岩倉真礼が反応する。機動力の高い数匹の猫達がばらけて襲ってくる中で、その一体の攻撃をいなす。
「魔劍の餌にするには活きが良さそうだわ」
「好きにすればいいと思うよ。でも、あの男の人は狙わないであげて」
「わかったわ」
 鈴音と魔劍を携えて獲物とする敵を見定める。
 イレギュラーではない彼女であるが、今は少しでも人手が欲しい。もっとも、本人は「鈴音が危なくなるなら鈴音を守るから」らしいが。
 飛び回る猫達。だが、イレギュラーズが注目しているのは猫やエピアよりも亀の方であった。
 亀と言うからには、防御力に長けている事は想像に難くない。機動力が高い猫達やエピアの羽を掻い潜って向かうのは骨が折れるかもしれないが、亀の方を後回しにするのは避けた方がいいと、これまでの戦いから判断した。
 歴戦の者の一人たる『約束の瓊剣』ヴェルグリーズ(p3p008566)も鞘から抜いた劍で応戦する。黒い色をしていたそれは、鞘から抜かれると星空が煌めくように変化し、彼が愛する者を思い浮かばせた。
 視線を一度、聖霊達に向ける。
(俺は救う者としての道や矜持は分からない、けれど聖霊殿がそれを大事に守ろうとしているのは分かる)
 彼の父が犯した罪は見逃せない。故に、この場で決着を付ける必要は確かにあって。
 きっと、此処が彼にとって最後の別れの場だ。ならば、自分がすべき事は一つ。
 聖霊と父が満足のいく別れ(おわり)を迎えられるようにする事。
(最後まで見届けるよ)
 劍を構え直し、敵を見据えた。
 足を踏み出したヴェルグリーズを補助するように、『【星空の友達】/不完全な願望器』ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)は楽園の名を冠した術を放つ。周囲を巻き込むような形をとるその術式であるが、味方と敵はヨゾラの意思で区別される。
 周囲については把握してある。上空から俯瞰して見るこの場で、敵の位置を把握しておくのは大事だ。
 二本の尾を持つ猫を含めて、亀やエピアをも巻き込んだそれは、少なからずダメージを与えた。
 彼が次の攻撃の為の準備をする間に、『ひだまりのまもりびと』メイ・カヴァッツァ(p3p010703)も皆の様子を見ておく。癒し手として立つ彼女は、胸の前で指を組むと、決意を込めた目で前方を見つめた。
「癒し手ならば。医業に関わるものならば。終わりを迎えようとする命を『此方側』に引き戻したいと思うのは当然の欲求なのです。……ですが、旅立った命は、もう、戻らない」
 姉と慕った者が居た。彼女の末路は知っている。そして、その生命が決して戻らない事も理解している。
 だからこそ、彼の所業は許してはならない。
 生きる者は死せる者の魂の旅路と安寧を祈り、願うのが務めと思う故に。
 高らかに、声を張り上げる。
「メイは、皆さまの望みをかなえるお手伝いをいたします。どうか、どうか。
 そのお気持ちのままに動いてください、なのです」
 鐘が鳴る。彼女が持つ鐘は、ねーさまと慕う彼女の遺品。
『がんばってね』
 聞こえるはずのない声が聞こえたのは、幻聴であろうか。それとも真(まこと)の声か。
 涼やかな鐘の音が、戦いのゴング代わりに鳴り響いた。

●傷は近く、死は遠く
 アポロトス以外にもエピアの存在が居る為、無視は出来ない。彼女をどうにかいなしながら、アポロトスである二種の敵を倒す事が目下の課題だ。
 その為にも、まずやる事は――――
「Nyahahahahahahahaha!!!!」
 ロジャーズの嗤い声が響くと同時に、後ろより光が現われる。混沌とは真逆の神々しい光がとても目立った。
 その身体からは覇気が滲み出ている。事前に食していたボリュームたっぷりのスタミナ豚丼が腹を満たしたおかげなのか、今のロジャーズからは混沌の神のような威厳と、他者を圧倒する覇気が滲み出ていた。
 後光で注目を浴びた事に加えて、ロジャーズから滲み出る覇気が、只者でない事を知らしめる。実際、只者ではなかったりするのだが。
 注目が自分に集まった事で、「Ha――」と嗤う。
「我こそが這い寄る混沌、ロジャーズ=L=ナイア!
 ――人間よ、私を易々と仕留められると思うなかれ!」
 嘲り、嗤う。それは敵の怒りに触れて。
 ほぼ全ての怒りがロジャーズに向かう。
 受けるつもりでいたし、その覚悟もあった。けれど、それを仲間が許しはしなかった。
「ロジャーズだけに良い格好はさせないよ」
 鈴音の声がしたと同時に、猫達の動きが緩慢になる。周囲に張り巡らせた呪術が猫達をその場に縫いつけて、足止めの役割を果たす。
 嘉六が放った弾丸が猫の一体に届く。衝撃で吹っ飛ぶ身体は空中で体勢を立て直す。
 間を縫って、ヴェルグリーズが走る。
 亀とて、ただ黙って見ているだけではない。息を吸い、口を開ける。発された咆哮が周囲に響く。食らった仲間達の内、脳の命令系統へと影響が及ぶ者が居たのを、聖霊の流星が癒す。蛇遣座の加護を受けた流星によって、脳のバグがかき消されてゆくのを感じた。
 亀の攻撃で蹈鞴を踏んでいたヴェルグリーズだが、動きを取り戻せればこちらのもので、愛する妻を思わせる星空の劍で一体の亀へ十字に斬りつける。審判を下した十字は強固な甲羅にヒビを入れた。重ねて攻撃すれば、更にダメージを与えられるだろうが、それは聖明が許さない。
 杖から放たれた一筋の光がヴェルグリーズの身体を目指す。その身を半歩横にずらす事で、ギリギリではあるが衝突を避けられた。
「厄介だね……!」
「任せな!」
 聖明がこの亀に対して癒やしの術を施してしまってはかなわない。
 彼の妨害をする為に、嘉六のリボルバーが火を噴く。聖明が避けた事で少しの隙が生じたが、それで良い。
 ヨゾラの放った神聖秘奥の術式が、亀や猫を狙い撃つ。エピアだけが反応が速く、上空に飛ぶ事で避けられてしまったけれど。
 数の利もあり、此方が優位ではある。それでも、此方が一方的に押していくだけで戦場が進むわけではない。
 上空のエピアが放った複数の羽による射撃。その対象に聖霊も含まれており、怪人化した英司が彼を庇う。背中で受けた羽は黒く、複数の羽が刺さった場所から身体の中へ何かが浸食する。地面に膝をつく。
「っ……! この、馬鹿!」
 聖霊の罵倒に、仮面の下で苦笑する。
 そう、馬鹿野郎だ。自分の身体なんてどうなったっていいと思っている。
 それでも、聖霊の身体は駄目だ。自分とは違い、誰かを救う為の手を持った身体なのだから、守るのは当然だろう?
 彼がそんな事を思っているなど、口にしようものなら更なる罵倒と叱責が来るだろう事は想像に難くない。だから、口にはしなかった。尤も、そんな事を口に出来るような余裕が今は無く。
 焦る聖霊の声を聞きながら癒やしの術を受ける。背中で受けた複数の羽を毟り取ってから施されたそれは、みるみるうちに彼の身体を回復させた。
「……頼むから、無茶すんな」
「…………ああ」
 返事までの間が空いた事の意味を知って、聖霊の顔が歪むのが見えた。聞けない話だ、という彼の意思が含まれている事に気付いたようだ。
 小さく呟かれた「馬鹿野郎」の言葉にまた苦笑して、もう一度立ち上がる。
 何度だって立ち上がり、仲間を庇おう。それが怪人にあるまじき行動ではあれど、彼は確かにかつて目指した正義の味方そのものだった。
 嘶きながら巨大な肉球スタンプが振り下ろされて、その攻撃を受けたヨゾラをメイが癒す。
 慈しむ愛の癒しが、傷を塞いでいく。
「ありがとう」
「どういたしまして、なのです」
 礼を急ぎ述べて、ヨゾラは猫に再び相対する。
「可愛い猫の姿をしてても、手を緩める気はないからね!」
 戦場において油断は禁物。気を引き締めてかからねばなるまい。それがたとえ可愛らしい肉球だとしても。
 上空からのエピアの攻撃も注視しつつ、戦局の中を動く。
 鈴音の持つ盾が猫の攻撃を防ぐ。視線の端で聖明の動きを確認する事も忘れない。
 杖を一振りするのが見えた。先程のような光は見えない事から見えぬ斬撃が放たれたとわかる。
 範囲内には英司が居た。ギリギリで避けたようだが、頬を刃が掠り、彼の口から小さな声が零れた。
 亀は既に一体の息の根を止めている。もう一体の亀が地面を揺らし、足元を不安定にさせる。ヴェルグリーズや真礼が一撃を放とうとするのを妨害されて、一度地面に膝を着いた。
 だが、すぐに体勢を持ち直せたのは僥倖で、それは補助を施してくれたロジャーズのおかげでもあった。
 集中する攻撃。二人の攻撃の隙を狙われないように、嘉六が猫の身体へ弾丸を撃ち込む。
 聖明の回復を邪魔する為、鈴音が魔力の光を放つ。
 エピアの羽を掻い潜りながら、ロジャーズが動く。一体の猫にぶつけた一撃は、生命に死を与えるに至る。
 戦況は此方が優勢。そろそろ聖明の方にも疲れが見え始めた。
 そして、戦場に再び、乾いた音が響いた。

●送るのはいつだって
 乾いた音が響き、嘉六の放った銃弾が聖明の肩へ埋め込まれる。
 衝撃と痛みでよろめき、地面に倒れる聖明。そのまま転がり、それでも立ち上がろうとする彼だが、立つのがやっとのようだ。膝を着く形で立つ彼の息が荒い。
 視線が、聖霊の後ろに立つ嘉六を射貫いた。嘉六に対して卑怯者、と目が訴えている気がしたが、そんな事は百も承知だと自嘲気味に笑ってみせる。
 これだけ彼にダメージを与えているのならば、トドメに至るまでの攻撃はせずとも良い。その役目は、一人が背負う。
「行ってこい、聖霊」
「……ありがとう」
 背中を押してくれた嘉六に振り向かないまま礼を述べて、聖霊の足が前に進む。聖明に向けて歩き始める。残るはもう彼と、エピアの二人だけだった。聖霊が母へと向かないのは、既に自分が奪った生命だからだ。今その中にあるのはエピアでは無い別の魂であり、その処遇は仲間達に委ねていた。
 仲間なら悪いようにはしないだろうという信頼。その信頼に応えるべく、仲間達もエピアへと武器と、その器から魂を開放する為の物品を用意する。
 仲間達の動きに目をくれる事なく、聖霊の足は進んでいく。
 父である聖明が、子である聖霊を傷つけはしないと知っている。
 だって、エピアもそうだったのだ。彼を傷つけたいと望む事など一度としてなく、ただ抱きしめたいだけの母親だった。
 聖明もエピアと変わらない、一人の子を持つ父親だ。故にこそ、彼に抱く感情や思いに、聖霊を害したいといったものは毛の先ほども無い。
 母が居ない間、父と共に過ごしていた事のある聖霊だからこそわかる。自分がどれだけ父に近付こうと、父は自分に危害を加えないだろう事を。ただ一途に想う我が子への愛情。その愛情を受けて育っていた聖霊(こども)。
 聖霊の足が一歩ずつ聖明に近付く。もしも、父が聖霊に向けて攻撃をしようとするならば、彼はそれを受けるつもりでいた。受けても意志を曲げない。そのつもりでこうして歩いている。
 だが、彼が父の前に立つまで、ついぞ攻撃は一つとして来なかった。先日のエピアと聖霊を見ていたならば、今の彼が何をしようとしているのかわかっているはずなのに。
「……攻撃しなくていいのか?」
「我が子を傷つける親がどこに居る」
 父としての誇りを忘れずにいる彼の言葉に、口元を僅かに歪ませる。眉根を下げて、少しだけ哀しそうに笑った。子を害さないという強い意志があるのならば、人を傷つける事をしないという意志も強く持って欲しかったのに、もうそれは届かない。
 だからこの道を――――罪を重ねるこの道を選んだ。
 己の手で引導を渡す、その前に。
「少し、話をしよう、父さん」
 手を差し伸べて、立ち上がらせる。目線が近くなった事で、今の自分がどれだけ彼の身長に近付く程に成長したかという事に気付く。
 さぁ、医神と呼ばれた男(おや)と、医神を目指す青年(こ)の、最後の会話をしよう。

 二人が何を話しているのかは、戦場で飛び交ういくつもの音と混ざって聞き取れない。それだけ激戦であるという事の証左だ。
 亀、猫の討伐を終え、残るはエピアのみとなった。
 邪悪な笑みを貼り付けたまま飛行し、離れた距離から放たれる黒と白の羽。それは彼女に手出しをしないと決めたロジャーズにも降り注がんとする。
(死者は死者。エンバーミングを皆が望むのならば手出しはしないと決めたが、その相手が節操なしではな)
 遺体の保存状態を良い状態にする処置――――エンバーミング。
 エピアの表情から察するに、その器たる身体の中に居るのはエピアではない何かである事は確実だし、恐らくは寄生型終焉獣であろうという見解が仲間達の共通認識であった。普通の敵相手であれば攻撃手段を駆使して討伐に尽力する所であるが、器がエピアであり聖霊の母であるという点から、彼女の身体を攻撃する事は躊躇われた。可能ならば、その身体を傷つける事無く寄生型終焉獣のみを引き剥がせたらと、思う。
 一瞬だけ、聖明に視線をやって、戻す。彼はまだエピアが別物である事に気付かない様子。
(度し難い男だ。息絶えているものを、人形を、何故自ら冒涜している)
 死は死である。それ以上のものなど無い。
 かつて情念を抱いた相手の心臓を食らう事で、その魂も何もかも自分と一つにした自分とは全く違う考えの男に、嘆息する。己が性質を鑑みれば、死を冒涜する真似は到底許す事が出来るはずも無い。
 避け続けるしかないロジャーズであるが、エピアに集中する仲間達の動きをチェックする事は忘れない。彼等を癒す為の手段を持つメイが傷を負わぬように注視する。
 メイはメイで、彼女もエピアの羽による攻撃を避けていた。どうにか回避は出来るものの、一つ傷を負えば動きに精彩を欠くだろう事は想像に難くない。
 複数の羽が纏めて飛んできた。手数を増やしてくる手段に出た事で、メイの逃げ道も絞られる。
 避け損ねた羽の一枚が足に刺さり、短い悲鳴を上げて地面に倒れるメイ。
 足元を見れば、刺さった羽の色は白。刺さった所からじわりと広がる痺れに、動きが緩慢になっていく。
 追撃が来る。それを庇ったのはロジャーズで、その後ろでヴェルグリーズがメイを抱え上げた。
「大丈夫?」
「はい、なのです」
 まるで王子様が助けに来たかのようなシチュエーション。
 けれど、今はそんな状況に酔うような余裕は無い。メイは少し弛みかけた顔に筋肉を取り戻すと、降ろされた先で自身の身体に起きた痺れを解く。
 ヴェルグリーズが彼女の様子を見たのは一瞬で、彼はすぐに振り向いてエピアに向かう。
 先程猫に対して行なっていた事を、彼女にも行なおうと試みる。
 彼女の翼が一度はためく。規則正しく動いて、今まさに再び発射せんという時に、横から鈴音の攻撃がエピアの翼を揺らした。
「やった!」
 ガッツポーズを決めて、小さく叫ぶ彼女。
 ラッキースケベを求めて狙った一撃だったが、意図とは別に、彼女の翼を一部凍らせる事に成功しており、その重みで少しずつ地面へと降りていく。
「ナイスアシスト」
 口の中で小さく呟いた彼の後ろで、ヨゾラが続く。
「飲み込め、泥よ。混沌揺蕩う星空の海よ」
 短く呟かれた言の葉は呪か、それとも。
 星空のような泥が広範囲で撒き散らされるが、それはエピアにのみかかるようにコントロールされている。まともに浴びたそれに、エピアが呻く。
 そこへヴェルグリーズの劍が閃いた。十字に刻んだ劍筋なれど、その技は彼女の命を奪う事はせず。
 凍れる羽の重み、続けざまに受けるいくつもの技、それらによって膝を着く事になった彼女へ、聖霊を覗いたイレギュラーズが集う。
 彼等の手にはステラより齎された救いの欠片があった。
「寄生する偽物なんて除去するよ。……体の持ち主はもう、死んでいるから」
 ヨゾラの言葉に、誰もが頷く。
 魔種であった器に浮かんでいた表情に、もう邪悪な笑みは無い。苦痛、憎悪、そういった視線を込めた目と歪んだ表情に変わっていた。
 望んだ願いに世界が応える。小さく聞こえた悲鳴はエピアのものではなさそうで、おそらくそれが寄生型終焉獣のものだったのだろうと思う。
 寄生型終焉獣の姿も見えぬままに消え、それが抜けたエピアの身体は地面に倒れゆく。
 鈴音がエピアの身体を仰向けに寝かせると、胸の前で腕を組ませた。ちょっと指先が彼女のお胸に触れたりもしたが、少しばかりの事故というやつなので見逃してほしい。
 そばに傅いたメイが胸の前で手を組む。
「どうか、安らかに眠ってください」
 鐘はまだ鳴らさない。
 だって、まだ、あと一人残っている。

●最後の対話、最後の願い、重なる罪の先にて
 父と子が向き合う姿を、英司と嘉六は彼等の少し後ろから見つめる事しか出来なかった。
 もどかしい。
 行けと送り出したのは自分なのに。
 歯がゆさを覚える嘉六の肩を、英司が軽く叩く。振り返ると、男は嘉六に向けて一度頷いた後、聖霊の方へ視線を向けた。
 肩を叩いた手はそのまま掴むようにして置かれる。ほんの少し込められた力に、「ああ、なんだ」と苦笑する。
 もどかしさを感じているのは、自分だけではないのだと。
 後ろを見れば、エピアの器の解放に仲間達が尽力している。
 自分達はそこに居ない。
 親友である聖霊のそばに居る事を望んだ。彼が一番辛い時に傍に居なくてどうするというのか。
 だから、此処に居る。
 聖霊の罪を見つめる為に。
 目を逸らさないと決めたから。

「父さん。俺のこれまでの話、聞いてくれないか?」
 まず、切り出したのは聖霊からだった。
「俺さ、父さんを目指してたんだ。父さんのような医神になりたくて」
 静かに耳を傾けてくれている事を確認しつつ、話を続ける。
「今までに色々あったんだ。
 自分の身体を治療薬と信じた奴らを説得したら混乱の挙げ句目の前で殺し合いを始めたりするのを見た。
 死にたいと願う人を生かす事を人殺し以上の人殺しだと罵られたりもした。
 一生を閉じた場所で過ごすのだと諦めていた奴と色々関わった事で、晴れた空の下を歩くのを見送ったりもしたんだ」
 医者としての自分が関わってきたアレコレを語る。
「力が及ばなかった俺に、最後まで手を伸ばしたから最期に救われたんだと言ってくれた奴もいる。助けるつもりが逆に助けられたんだ」
「聖霊の事を、よく見てくれる人がいたんだね」
 柔らかく笑った父に頷き返し、言葉をさらに続ける。その表情が暗くなる。
「『生きたい』って言った女が居たんだ。でも結局生かせる事が出来なかった。
 友達との約束も守れなくて、見送るしか出来なかった」
 その時の事を思い出すと、今でも心が暗澹たる想いに囚われそうになる。
 沈みかけた心を無理矢理に浮かばせて、聖霊は一つの言葉を紡ぐ。
「だけど、それでも俺は、医神を目指すよ。もう資格は無いかもしれないけど、それでも目指していいだろう、父さん?
 俺は、父さんに憧れてたんだ。父さんのような医神になりたい。
 母さんを殺した罪も含めて、受け入れて、医神を目指すよ。……父さんは、こんな俺を笑うかな?」
「笑うものか。子の夢を笑う親がどこに居る」
 即答された言葉に目を見開く。
 両親譲りのアメジストのような瞳が一瞬だけ潤むが、堪える。
「ありがとう。
 な、父さん。確かにこの世界は残酷だよ。
 魔種は原種に戻らねぇし、奪われた生命も戻らない。
 でもこの世界には多くの生命が今も生きてんだ」
 それには、自分の後ろで見守ってくれている親友達も含まれている。
 とある事件を切欠に知り合った、己を怪人と呼ぶ男。
 色んな女に刺されたりしているくせに全くもって生き様を曲げない男。
 どちらも愛おしい親友達で、そして、生きて欲しいと願う者達だ。
「生きたいと願う生命があるなら、一つでも救いあげる。それが医者だろ。
 ……本当はそんなことわかってたんだよな。父さんはすげぇ医者だから」
 聖明からの動きは何も無い。頷きも、相槌さえ。
「……なあ、父さん。もう誰かを傷つけるような実験はやめられないか? 母さんを魔種から純種に戻したい気持ちはわかる。でも、その為に人を傷つけるのは、俺は嫌だ。
 もう、他の生命を奪い続けるのは、辛いだろ。
 だから、父さん。終わりにしよう」
 思いを吐露する。
 きっと、この説得は無駄だろうとわかってはいる。それでも、心変わりを願わずにはいられなかった。
 目の前の医神(ちち)は、首を横に振った。
「聖霊。実験には犠牲がつきものなんだ」
 どうしてわかってくれないんだ。
 そんな顔を、していた。
 答えを受けて、聖霊もまた同じ顔をしていたのだが、それでもどちらも意見を曲げる事は無かった。
 どうしようもなく相容れない壁が二人の間に立っているのを感じる。
「父さん。俺は父さんがいなかったら医者になってないんだぜ」
 意見を曲げた振りをして聖明に近付く事も出来ただろう。だが、聖霊は例え嘘でもそれが出来ない男であった。
 杖を持つ男は、見た所、自分を回復する様子は無い。それを確認した上で、聖霊は素早く懐に潜り込む。
「ごめん」
 魔力で生み出した短剣で、腹部を貫いた。

●星よ、世界よ、奇跡をどうか
 会話している間に回復する事だって出来ただろう。むしろ、何故そうしなかったのかと、問いたい気持ちもあった。
 彼はどこかで望んでいたのだろうか。反転せず、狂気に陥った己の生命を、他者によってでしか止められない事を理解していたのか、今となっては知りようもない。
 狙うなら心臓が確実なのに、そうしなかったのは、まだ話がしたかったのだろうか。
 父の身体を抱えながら膝を着く聖霊を、嘉六と英司が支える。
「お疲れ、聖霊」
 ただ短く声を掛けた嘉六に、声ではなく首の動きだけで返事をする。
 聖明の身体を横たえる。自分を回復する様子が無い男に、英司が疑問をぶつけた。
「何故回復しない?」
「……さぁ、わからないね」
 苦笑する聖明の答えに、英司は眉を顰める。
 傷の深さから、話をする時間は少ないだろう。何度も女性に刺された事がある嘉六にも、これまでの戦いから知っている英司にも、それはわかる。
 聖明の顔がよく見えるように嘉六がしゃがむ。
「こいつは、腕の良い医者だ。それは俺が保証する。今までだって、人を治す為に色んな技術を使ってきた。
 そんなこいつが、あんたや奥さんに対して攻撃する術を初めて得たんだ。その意味を、あんたは分かるかい?」
 聖明は、嘉六を見たまま何も答えない。
 無言は、肯定。
 そう受け取って、一歩下がる。
 後方ではエピアの戦いを終えた仲間達が居る。
 振り向いた嘉六とヴェルグリーズの目が合った。ヴェルグリーズは此方の様子を見ると、一度だけ頷いて、背を向けた。
「一応周辺を探索してくるよ。念の為、ね」
「そうだね。僕も周囲を警戒したいし、別方向で探してくるかな」
 彼とヨゾラの気遣いを見て、此方を見ていたメイや鈴音も近付こうとはしなかった。見守るように此方を見つめるだけだ。
 ただ、ロジャーズだけは向けてくる視線が異なるように思えた。顔に浮かべた三日月状の口元は変わらずだが、視線に浮かべる感情は憐憫でも侮蔑でもない。かの者の一頁に刻まんとする為の観測、というような……。
(ま、どっちにしろ、こっちを見守ってくれてるのは感謝だわな)
 視線を戻して、親友の様子を見守る。
 後ろからでは彼の表情がよく見えないが、今はその方が彼にとってもありがたいのかもしれない。
「父さん」
 短く呼んだ声に、意識が向く。隣に立つ英司も静かに彼を見つめていた。
 杖を置いた彼の、指が胸の前で組まれる。何をしようとしているのかを理解して、嘉六も英司も、考えていた事の準備に入る。
「少しだけでいい。……元の、優しくて、どんな生命も平等に掬い続けてきた誇り高い医者に戻してやってくれ」
 祈る医者の悲痛な声。
 白無垢の友との約束を果たせなかった。
 母の為に願った奇跡も起こせなかった。
 ならば、父だけでも、どうか、せめて――――
(奇跡の力を……!)
 救いの欠片よ力を貸して欲しい。
 願った奇跡は、一人では成し得ない。欠片を持っていたとしても。
 だが、寄り添おうとする者達が傍に居るならば。
 欠片を持った者達が、他にも居るならば。
 英司が目を閉じる。
(俺のパンドラも使ってくれ。聖霊の願いを叶えて欲しい)
 命と引き換えにしたとしても構わない。
 それだけ、彼の願いに協力したかった。間近で彼の絶望を見てきたから。
 彼は医者であり、患者にとっての希望である。彼が正気の医者で在る為に、患者は必要だ。それこそ、イカれた自分のような。
 こんな風に使えば、地獄に行くのも早くなるだろうか。愛しい女が待つ地獄へ向かう時期を早めたら、彼女はどんな反応を見せてくれるのだろう。
 仕方ない人と笑うのか。それとも、彼を置いていくなんてと怒るのか。
 愛しい女の事だけでなく、残す者達の事も少しは考えたならば。
 世界は、怪人と自称する男の命がこの世を去る事を許さないのだ。
 英司の隣で嘉六は目を僅かに伏せる。閉じることをしないのは、聖霊の奇跡の行方を見届ける為。
(貰いもんの奇跡でも応えてくれんのか、死せる星のエイドスよ)
 自身が持つ奇跡の欠片は譲り受けたものだ。所有者が己に変わったとしても、応えてほしいと思う。
 親友は戦場に立つ時、いつだって皆を癒し、怪我を治す為に尽力していた。それは自分が怪我をして運び込まれる度に叱責してきた経験からよく知っている。
 医者である事に誇りを持ち、医神を目指していると豪語する親友。
 そんな彼が、母と父を手に掛ける為に初めて人を攻撃する手段を得た。
 どんな思いでそれを選択したのか、嘉六には分からない。知らずとも、胸中を推し量る事は出来る。
 どうしようもないぐらいに善人で、ぶっきらぼうながらもお人好しで、いつだって治療に全力で。
(そういう善人が報われなきゃなんてお為ごかし言うつもりねえけどよ。そうであって欲しいよな)
 自分の柄でもないけれど、なんて。
 星の石を握りしめる。
 どうか、彼の願いに応えてほしい。
 星に願う。三人分の願いがパンドラを引き連れて、届けと願う。
 ――――そして、奇跡が煌めく。

●医神よ、どうが我が罪を赦さずに
 出血が止まらぬ腹部に手を当てながら、聖明は浅く息を吐く。
 彼は己の精神が一時的にかつての平穏を取り戻した事に気付かない。心とはそういうものだ。居眠りするほどの眠気が急に取れたように、劇的に変化するものではない。
 自分が狂気に陥っている事を自覚する者は少ない。尤も、それを自覚していれば、殊更ロジャーズに興味を持たれていた可能性はあるだろうが。
 人が狂気に陥るのさえ、劇的に変わるものではない。少しずつ、少しずつ……そうやって精神が蝕まれるのが人の心というもの。
 聖明は旅人(ウォーカー)である。妻エピアが魔種に堕ち、治そうと試みながらも我が子を育てていた男がついぞ反転しなかったのは、つまりはそういう訳だ。
 元の世界において、医神(アスクレピオス)と呼ばれた一柱。死者蘇生薬を完成させた直後に、この世界に落ちてきた。
 死者蘇生薬の研究は続けていた。この世界でも同じように作るまでに様々な過程を必要としたが、その過程こそ狂気に陥っているという自覚は彼に無かった。
 ずっと、正常だと思っていた。今も、思っている。
 聖霊と嘉六と英司が願った奇跡を起こした今も、彼は自分の精神が正常だと信じて疑わない。
 ただ、一つだけ変化があるとしたら。
「…………彼女だけでなく、他の人への治療も……続けていたら…………何か……変わっただろうか」
 治療すべき対象が、魔種である妻だけでなく、多くの普通の人々も含まれるという事を思い出した事ぐらい。
 たったそれだけだったけれど、それだけでも大きな意味はある。
 一人に固執していたから視野は狭まり、医者としての矜持も歪んだ。
 その認識が正された事が、願った奇跡の結果だった。
 彼の呟きに聖霊の視界が歪んだ事を、意識が薄れゆく男は知らない。
 震える声が、言の葉を紡ぐ。
「さようなら、俺の愛おしい医神(アスクレピオス)。大好きな父さん。
 俺を愛してくれて、ありがとう」
 息子の言葉に、聖明は最後に口元を変えた。
 ゆるい弧を描いた、優しい笑み。
(エピアさん、私達の子はこんなにも優しい医者になったよ)
 彼の思いは、エピアにも聖霊にも伝わる事は無い。胸中だけに呟かれた言葉は口に上る事なく、聖明の目がゆっくりと閉じた。
 唇を噛む。喉の奥から嗚咽が零れる。堪えたくとも勝手に溢れる幾つもの雫が頬を規則的に滑り落ちていく。
 自分の手が血で汚れるのも構わずに、父の手を取って胸の前で組ませる。それが聖霊にとって、死者に出来る最大の礼だった。
 祈る彼の隣で嘉六もしゃがみ、祈りの形を取る。英司も反対側の隣に座り、嘉六と同じように祈る。
 三人で祈る後ろで、メイや鈴音、彼女が連れてきた真礼、それからいつの間にか戻ってきていたヨゾラやヴェルグリーズも、祈るように黙祷していた。ロジャーズもまた、胸に片手を当てる事でそれをした。
 目を開け、聖霊の方を見つめるヴェルグリーズは、彼が今回の事で心折れる事無く前を向く事を願った。
(聖霊殿の助けを必要とする人達はこれからもたくさんいるだろうからね)
 医者というのは存外にも重い専門職だ。多くの患者を治療しなければならず、また、その治療叶わず亡くなる事だってある。それでもそういった事を背負っていかねばならぬのが医者である。
 傷を癒すだけなら回復の手段を持つ者達が多く居る。そうではなく根本的に、それこそ病気だとか重い怪我だとか、心の病だとか、そういった者を相手に治療せねばならない。だから、人命に関して殊更に重い専門職なのだ。そして、それを出来る一人が聖霊なのである。
 今も治療中の患者や、彼を今後頼る新しい患者が出る事だろう。彼等に対して、聖霊が今後も変わらず向き合って治療する事を、ヴェルグリーズは望んでいた。
 親殺しという罪をその魂に背負ったとしても。

 ヴェルグリーズとは別で、ヨゾラは彼なりの思いを抱いていた。
(死者は蘇らない……僕には蘇らせられない。この先何があっても)
 聖明がエピアに対して使用したという『死者蘇生薬』。それを作りたい気持ちが分からないでもない。自分とて、大切な人達が死んだとしたら、目の前に『死者蘇生薬』を渡されたら使わない自信は……どうだろうか。
 きっと、聖明は長い時間をかけてその結論に至ったのかもしれない。今となっては、彼の軌跡を知る術は無いのだけれど。
 ヨゾラは考える。自分は彼のように狂わずにいられるかと。
 考えて、それから――――静かに被りを振った。
 死は、死。それを受け止めるのは己の心次第であり、その時にならないとわからないもの。
 だからこそ、大切な今を生きる。それが、生きている者の役目なのだから。

 鈴音にとって、聖明とエピアに出会うのは初めての事である。
 聖霊を含めた数名と彼等とのこれまでの事も、彼がどんな人生を歩んできたかだって知らない。
 彼等と戦う必要があると知っていたから戦った。ただそれだけ。
(この物語の結末を支援し、見届ける為に来たけども)
 混沌の全ての因縁に決着を付けるための手助けを、と思ってやってきたものの、結末はやっぱり後味が悪くて。
(死んだら戻ってこない方が幸せかな)
 彼が作ったという『死者蘇生薬』とやらの結末がこれだ。それならば、死は死で終わらせるのが一番というものではないか。
 小さく嘆息し、彼女は真礼に聞いてみた。
「わたしが死んだらどうする?」
「愚問ね」
 その後に続いた言葉は、鈴音の意に沿う言葉だったか否かは、彼女のみぞ知る話。

 メイは鐘を鳴らす。
 送り人としての役目の一つ。
 譲り受けた遺品を、ゆっくりと、規則的に鳴らす。
 空気が震え、厳かな音を響き渡らせる。
(メイはあの人達の想いを知りません)
 それでも、死者を蘇らせたいと思う程に愛しい存在であったのだろうという事は分かる。
 理解はすれど、自分には出来ない話だと思う。
 死というものはただの事実であると同時に、歪めてはならぬものなのだ。
(いのちは尊く愛しいもの。何人たりともゆがめてはならないもの……。
 ねーさまも、そう思っていたのでしょうか)
 彼女の想いは彼女が持っていったままで、遺されたメイにそれを知る術は無い。
 鐘を鳴らしながら、願う。
 生命が送られた先での、魂の安寧を。
 今こそ、どうか安らかにと。

 嗤って叫ぼうにも空気が許さない。
 ロジャーズにはそれがつまらぬ。彼等と戦う前に嗤い、己が信念を持って相対し、戦った。
 聖霊達と彼等の因縁に、以前触れた事で興味を抱いた。それ故に今回、その結末を見届ける為、此処に来たのだ。
 先にも告げたが、ロジャーズから見れば、彼等は騙した側の蛇ではなく、騙された側の人間である。
 そう認識したからこそ、その上で彼等の因縁の結末という記録を己が一頁に加えようとした。
 結果として一頁に刻む事は出来たが、その代わりこの空気を払うように嗤う事が出来ずに居る。それほどに陰気くさく、ロジャーズにとって唾棄すべきものであった。
 さりとて、今この場に鳴り響く鐘の音を邪魔するほど無粋でも無いつもりだ。
 ロジャーズの脳裏に一人の男が浮かぶ。その男の死を、心臓というキャンディを食らう事で、ロジャーズは受け入れた。
(聖明とかいう男も、そうすれば良かったのだ。狂気に陥ったくせに、否、狂気に陥ったからこそ『死者蘇生薬』なんぞに手を出し、使用したのか)
 Ha――――と嗤う。
 男が狂気に陥った過程など知らぬ。だが、その結末はしっかりと彼女の一頁に刻みつけようではないか。

 嘉六は祈りの形を解くと、聖霊に一つ問うた。
「で、遺体どうするんだ?」
「埋葬する」
「はいよ」
 即答に対し、了解の意を返す。
「英司殿、聖明殿を頼めるかい? 俺はエピア殿を運ぶんでね」
 ちゃっかりと女性を優先する辺りが彼らしいというか何というか。
 短く嘆息して、英司は「分かった」とだけ返す。いそいそとエピアの遺体に向かう嘉六の後ろ姿に、おそらく聖霊に気を遣わせないようにしているのだろうと推測する。
「聖霊、立てるか?」
「……ああ」
 目元を一度袖で拭ってから立ち上がった彼は、聖明を抱え上げた英司を見上げる。「ありがとう」と言った彼の顔を見れば、目の辺りが赤い。放っておくと腫れそうだな、なんて思うものの、後で冷やしておけという助言は不要だろうかと少しだけ悩む。何せ、彼は自分の事を顧みない時がある。
 抱きかかえながら埋葬する場所について聖霊と話をしながら、英司は目を細めた。
 結局、自分は生き存えた。これはちゃんと生命を全うしろという事なのだろうか。
 聖霊という友人が正気の医者でいられるように傍に居ろと。
 胸の奥で何かが締め付けられるような痛みを覚えたが、それを聖霊に言う事はしなかった。
 これは病気とかそういうものではない。彼に対する羨望とか、意地悪な世界への怒りとか、そういうものだ。
 顔にはおくびにも出さず、歩き続ける。
 後ろで仲間達が着いてくる足音がした。人手は多い方が助かるので、ありがたい。
 自分達の後ろで鐘を鳴らしながら歩いているメイに振り向いて、聖霊は「ありがとな」と礼を言う。彼女は小さく微笑んで一つ頷いた。
 改めて前方を見据える。
 二人を埋葬する場所は決めている。かつての自宅の側だ。慣れた場所の方が、彼等の魂も安心して旅立てるのではないかと思った。
 杖を握る手とは別の手を、強く握りしめる。
 己の両手は罪という血に塗れた。こんな自分が医神になる資格など無いのかもしれない。
 けれど、それでも目指すと決めたし、医神であった父も肯定してくれた。
 それでいい。
 罪を背負いながら歩く事を決めた。その分だけ人を救おう。身体や心を治療し、少しでも多くの生命を救うのだ。
 これは贖罪などではない。今の自分に出来る事をするという、それだけの事。
 鐘の音が鳴り響く、重い空気の中で、木々の間から差し込む光だけが不釣り合いな爽やかさを醸し出していた。

成否

成功

MVP

ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
同一奇譚

状態異常

なし

あとがき

かなりお待たせしてしまい、申し訳ありません。
イレギュラーズの皆様、お疲れ様でした。
エピアさんの身体は欠けることなく取り戻すことが出来ました。
聖明さんの魂に、安寧を。

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