シナリオ詳細
<プルートの黄金劇場>Odi et amo.
オープニング
●
光あれ。
女にとっての神は唯一無二の彼女だけであった。
その桜色の頬に、色付く唇が奏でた音色はトランポリンで弾むボールのように軽やかだ。
光あれ。
女はそう言った彼女を見詰めているだけで幸せであった。
彼女がそれを昼と名付けたならば、昼である。夜と名付けたのであれば夜である。闇も光も、彼女の言葉一つで意義を持つ。
詰まる所、アタナシアという女にとって正しさなど、どうでも良い判断材料であった。
彼女の言葉こそが天上の囁きであり、至高の頂きである。彼女の望みこそが真に人が叶えるべき目標である。
……等と、言いながら失敗して見せたのはその金色の眸に映りたかったからだ。
「アタナシア」
目くじらを立てたその人の唇が不服そうに突き立てられた。ああ、その仕草さえも愛らしい。
うるさい。鬱陶しい。前回の失態を『忘れてあげた訳ではなくてよ』?
――ああ、貴女の記憶にぼくがいる!
アタナシアという女は幸福に身を包まれ、うっとりと微笑んだ。
「オーダーは『冥王公演』発動まで黄金劇場を守る事――とは言っても。
あくまで心配性の巨匠(マエストロ)の為の保険です。
この場に現れる敵なんて誰一人居ないでしょうけれどね!」
●
その様子を思い出す。それからアタナシアは「そういう事もあるさ」と手を打ち合わせた。
「うん、君達の様子を見れば良く分かるよ。ぼくの愛しき姫君はイレギュラー対応に弱いんだ。
例えばね、ぼくが失敗をした時に彼女はぼくを折檻もしないし手を挙げることもなく『覚えている』と拗ねたように言う。
分かるかい? ぼくが失敗をして帰ってくるなんて粗相を行なうなんて思ってないから、叱り方も下手くそなんだ。
なんて愛おしいんだろう。ああ、ぼくのルクレツィア様。跪いてその手の甲に口付けたらどんな酷い言葉を下さるのだろう!」
うっとりと笑った女の頬に朱の色が昇った。『不滅』を意味するその名を有したアタナシアはネクロマンサーである。
無数の死霊を手繰りながらも、前線に飛び出すのはあくまでも己が主人の騎士であると信じるが故だ。
「後ろで大人しくなさっていれば?」
「ふふ、君が舞台に上がりたいのかい? 麗しのレディ」
エメラルドの瞳が淡く輝いた。月に焦がれる様に鈍く光を帯びた銀の髪が揺らぐ。
女をまじまじと見詰めていたレディ・ノワールは紺碧を揺らがす射干玉の髪を押さえてから目を伏せた。
「いいえ。けれど、そうしろとのお達しです。
だって、わたくしの手札はバラけさせてしまったのですもの。もっと創意工夫が必要ですわ」
「……ああ、ぼくが敗北したのは君が不甲斐ないからと、ルクレツィア様に言われたのかい?
ぼくを差し置いて、君が糾弾されて、ぼくを差し置いて、君が何らかの『ご褒美』を賜ったと!?」
レディ・ノワールは非常に不服そうな顔をした。マーメイドラインのドレスはこの場に良く似合っている。
この黄金劇場は――いいや、冠位色欲の用意した『公演会場』は荘厳なる光に包まれている。
芝居がかった騎士の娘と、マーメイドドレスに身を包んだ紺碧の女はドレスコードもよく合っていたことだろう。
「何てことだ」
大仰にがっかりとしたアタナシアは首を振った。
「ぼくも、叱られたかった」
マゾヒズムも大概にして欲しいとはレディ・ノワールは口にしなかった。
思い出す度に悍ましい。彼女の崇拝する女は冠位魔種である。それも『最悪』の部類の女だ。
彼女のオーダーはリア・クォーツ(p3p004937)に精神的な打撃を加えることだった。詰まる所、精神干渉の類いを得意とするレディ・ノワールがその家族を殺害するという舞台の演者にセッティングされたのはそういう意図がある。
――素晴らしい公演のための前準備ですわ、お分かりですわね?
(ええ、分かって居ますわ。わたくしがお目付役などと言いながら、貴女様はアタナシアには大して期待してなどいない。
貴女様はアタナシアの手綱が握れるわけがないと放逐しているからこそ、わたくしを檻に放ったのですもの。
結局失敗をしたのはわたくし。リュシアンでも、アタナシアでもなくわたくしを選んだのは――)
レディ・ノワールは深い息を吐いた。
イレギュラーズと接しすぎた『リュシアン』も、己を崇拝するが故に強大な力を手にする『アタナシア』も。
散る舞台には似合わないとでも言うのか。特に前者などはイレギュラーズの心を揺さ振る手札になるとも彼女は考えて居るはずだ。
(……ああ、腹立たしい)
己は信に値する存在ではないと彼女はその態度で示しているのだ。
『冠位色欲』ルクレツィアは狡猾で最悪な女ではあるが、その懐にさえ入ってしまえば非常に分かり易く、詰めの甘い部分が見える
だからこそ、良く分かるのだ。リュシアンやアタナシアはお気に入りの玩具であるが、己など使い捨て同然であると。
(ああ、本当に――腹立たしい)
認めさせてやりたいという反骨精神などはないが、ただ、其処にあったのは。
幻想貴族らしい燻った感情だった。成り上がって遣るというその意識だけが肥大化し、正常な判断など薄れて消える。
「やあ、レディ。怖い顔だ。もしかしてぼくが美しすぎたのかい!?」
正気を保っていられる理由があるとしたら、目の前の女が煩すぎるから。
「……いいえ」
「そうかい。ああ、聞いてくれるかな。どうやらイレギュラーズがルクレツィアさまの想像に反して遣ってきた!
魔術師というのは困ったものだね。まあ、ぼくの顔が見たいという気持ちは否定できない。彼は、名前は何だったかな?
かの大魔導であろうとも、ぼくの美しさの前では霞んでしまうから『しゅ』なんとかだった事しか覚えていない」
頭をふるふると振ったアタナシアにレディ・ノワールは肩を叩かれた。
「詰まりはね、彼等はぼくと握手をしに来た訳なのだけれど……。
幸福にもぼくが手を握り締めてずっと離さずに居たら、彼等が此処に閉じ込められるという事なんだ」
「……どう言う意味ですか?」
「いや、逢いに来てくれたならもう帰らなくて良いじゃないか。ふふ、此処でずっとぼくを見ていれば彼等も幸せだろう!」
アタナシアはにんまりと微笑んだ。『巨匠』はどうでもいい、『あの方』が微笑んでくれたならばそれでいい。
――ルクレツィアさま。ぼくの愛しき月。
貴女はどうすればぼくを見てくれるだろう? せいぜい一人くらい殺して見せればいいのかな!
ああ、そうだ。口付けを乞うならばそろそろ成果が必要だろうか。
「レディ、君の素晴らしい音楽も楽しみにしている」
レディ・ノワールは暗くせせら笑った。
己を包み込んだ気配は、あの執念深い女の口づけよりも尚も深い、闇の気配である。
行く先も、戻る先もない。ならば覚悟だけがそこにある。
イレギュラーズを通すべからずではない。通り抜けてしまったのであれば、此処で押し止め、全てを壊してしまえば良い。
そうすれば『通してしまったという失態』も消えるはずだ。
「ええ、屹度」
死ぬまで歌い続けましょう――そうしなくては、未来なんてないのだから。
- <プルートの黄金劇場>Odi et amo.Lv:50以上完了
- GM名夏あかね
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年12月23日 22時06分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
リプレイ
●
眩き黄金を鎖すが如く、天より降り注ぐシャンデリアの光は煌びやかな雨を思わせる。
その下に、鈍く夜を照らす月のような銀髪の女が立っていた。鋭い八重歯に、切れ長で美しいエメラルドの瞳。
ドレスを身に纏い淑やかにして居たならば、一輪咲いた花として嘸や声を掛けられた事であろう。しかし、女はその様な瀟洒な姿は見せなかった。
光を受ける度に色味を変えた銀の髪はリボンで結わえられ、騎士を思わす衣服に身を包む。勿体ない在り様だと黒衣の女は考えた。
波打つ射干玉の髪には紺碧の空が浮かぶ。天女の羽衣は揺蕩う水が如く。人魚を思わすドレスは動きやすくすらりと真白の脚を覗かせた。
劇場でオペラを歌っていようとも何ら違和感のない姿をしたレディ・ノワールは傍らでうっとりと笑うアタナシアを眺める。
「ああ!」
手を打ち合わせた彼女は相も変わらず楽しげなのだ。黄金劇場の『冥王公演』に招かれざる客人が紛れ込んだというのに――レディ・ノワールはじらりと一度相対した男の顔を見た。
『騎士の矜持』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)その人はレディ・ノワールの姿を認めてからゆっくりと剣に手を掛ける。
「君も来たのだね! 黒衣の騎士よ。ぼくに会いたくてやってきたのかい?」
楽しげに彼女は言葉を弾ませるのだ。レディ・ノワールからすれば失敗は許されない。頭痛がする。吐き気もする。体調不良でさっさとこの場を辞したいほどに強い忌避感を感じている。
――分かっていらして?
その声は常に背筋を伝う。流れる空気の一つをとってしても彼女に生かされているとさえ感じてならないのだから。
「アタナシア」
その声はホールに響く。静寂に打つ水のようだった。女の瞳が弧を描く、うっとりと喜び滲ませたアタナシアは「幸運だなあ」と笑った。
「此方として悪運ここに極まれり、と言った調子ではございますけれど。
何にせよ、冥王劇場からの退路を任されるとは、光栄なことですね。アタナシアにレディ・ノワール。貴方達がいる事こそが誤算ですけれど」
銀の盾の君。奥ゆかしくも名を明かさぬ関係性は微塵も未練を残さぬ離別の意そのものであったが、長い付き合いにはなってしまった。
『約束の瓊盾』星穹(p3p008330)は片眉を釣り上げて、嘆息した。相変わらず友人のようにフランクに声を掛けるこの女は星穹やベネディクトと相対したとて何ら感慨を浮かべない。敵を見るとは思えぬ態度で、あろう事か死霊を侍らせ笑うのだ。
(これが魔種……それも、冠位の側近ちゅうやつか……。
お味方が無事に離脱できるかは、わしらの働きに掛かっとります。必ずや――)
そう、このエントランスホールにアタナシアが立っているのは『半分の油断』と『半分の悪戯』なのだ。
彼女の飄々とした態度を見ればその通りだと『黒蛇』物部 支佐手(p3p009422)は感じずに入られまい。戦装束に身を包んだ青年は唇を引き結ぶ。
アタナシアが『冥王公演』に向かうイレギュラーズを見逃したのは慢心そのものだ。『巨匠(マエストロ)』ならばそう易々と倒れやしないだろうと考えてのことだろう。そして、もう半分の理由というのが多少は危機的状況にならねば『巨匠(マエストロ)』にも『愛しき月』もアタナシアに対して興味を持たない――だから、ロマンチストは「こっちを見て」と囁いて見せたつもりなのだ。
「レディ・ノワールと、アタナシアさん……。
あのふたり、この間クォーツ院を襲いに来たひとたちですね……。前回退けることができたのですから、今回も退けてみせるですよ」
意気込む『ひだまりのまもりびと』メイ(p3p010703)はぐっと拳を固めた。
『ねーさま』とメイにとって大切な存在の家族と居場所を守る為に尽力した前回。そして、今回は本人を迎えに行った仲間達の退路を確保する事だ。
アタナシアはメイを見てから「やあ」と手を振った。彼女とメイは相容れない。水と油のように、決して混ざることのない存在だ。珈琲にミルクを流し入れて混ざり合うこともない。朱が交われば赤くなるなんて言葉はどこにもない。
「前回とは大きく違うことがあるのだけれど、分るかい?」
「……何ですか」
それは、前回はメイ達が防衛戦の立場であり、アタナシア達が攻めこむ側であったという意味か。
確かにそれならば、今回のアタナシアやレディ・ノワールは準備万端だ。籠城に最も適した二人が選ばれているとも言える。そうした意味合いでの指摘であるかと構えたメイにアタナシアはにんまりと笑った。
「ぼくのルージュの色が変わったのさ!」
「……」
何とも言えぬ顔をしたメイの傍で「わっはっは」と高らかな笑みを弾かせたのは『藍玉の希望』金熊 両儀(p3p009992)。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必哀の理をあらはす
――つまりのぅ、おまんの不滅より儂の滅相のが上! おまんは格下じゃ! 超絶美少女のルル家ちゃんに負けたアタナシアとやらぁ!」
「おや、どうやらきみはぼくの事が愛おしいのだね。はは、困ってしまうなあ」
前髪をさらりと指先で梳いてから微笑んだアタナシアは何ら気にする事も無い。両儀が構って欲しいと強請ったように彼女は受け取ったのだろう。
「厄介な敵だね……」
「美しいからかい?」
む、と唇を引き結んだ『【星空の友達】/不完全な願望器』ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)にアタナシアは「ぼくの美しさは国宝とも謳われているからね、致し方ない事ではある。君の眸に映る僕は、やはり美しいだろうから」と朗々と語り続ける。
シャンデリアに照らされたアタナシアの銀の髪は柔らかに揺らいでいる。ヨゾラはは周囲をじらりと見た。無数に身を揺らがせるのはアタナシアの死霊達だ。待ちに待ったか大盤振る舞い、それらは常よりも多く悍ましい気配を漂わせている。
(これが冠位魔種の側近……)
本当に厄介だとヨゾラは唇を引き結んだ。鼻歌混じらせるレディ・ノワールとて放置は出来まい。彼女の周辺にはだらりと腕を降ろした貴族達の姿が見えるのだ。
汚れきったドレスは所々が解れているように思える。レースは擦り切れているか。袖口は破れて痣だらけの白い肌が露出している。生者であるのは確かだが、余り管理状態が良くないのは確かなのだ。それが魔種の所業――ヨゾラは歯を噛み締め、二人を睨め付ける。
「うーん、随分と趣味の悪いダンスパーティって感じだね。聖職者としては放っておくことはできないかな?」
どこか朗らかに笑みを零して、困り切った様な顔をした『聖女頌歌』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)に対して「それはぼく? それとも、レディ・ノワールかな?」とアタナシアは問うた。
「そうだね、どちらかと言えば――」
アタナシアの月色の髪とは違う、深い色を湛えた銀の髪が揺らぐ。手にした聖杖は蒼の光が眩く光った。蒼き光は旋律と代り、福音へと変化する。その魔力の残滓がはらはらと花が散り落ちた。
スティアが真っ向に見据えたのは薄汚れた姿をした貴族と、そして死霊達であった。関節の方向性さえ大凡理解していないような無理な動きをした貴族令嬢がぐん、とスティアに迫り来る。
「まあ」とレディ・ノワールは驚いたように目を瞠ってから首を傾いだ。幾人もの貴族達はスティアの元へと誘われるようにと手を伸ばした。
彼等の身に着ける品の良さ。元は仕立ての良かったであろう衣服を見れば『幻想貴族』そのものなのだろうと『暗殺流儀』チェレンチィ(p3p008318)は感じ取る。
(幻想の貴族をこの様に悪戯に――)
冠位魔種が大きく動き出した、という事が良く分かる光景だ。『アーベントロート家の騒動』に『双竜宝冠事件』では裏で糸引く冠位色欲がその関与を大きく露呈するのが本件だ。特に、アタナシアという魔種が楽しげに声を弾ませて「自分こそ冠位色欲の手の物だ」と明かすのだ。
(……ええ、だからこそ。この勝負は大きなものになる。『巨匠(マエストロ)』が無事に倒され、『撤退』が可能にならねばならない)
特に『巨匠(マエストロ)』を倒しきれなかったならば――?
チェレンチィは嫌な気配が背筋を伝い落ちていった。そう、その場合は挟撃の状態となる。この盤上を支配しておかねばならないという責任は重く、身をも挽き潰すほどのものではあるが、それを臆していれば戦いなど出来るまい。
アタナシアの細剣が美しく光った。シャンデリアの光は月光の如く注ぐ。魔種の唇が吊り上がり、スティアに誘われた死霊達を一瞥してから喜びを滲ませた様子で手を叩いた。
「さあ、さあ、楽しもう。ぼくらの夜を祝福する月が傾いてしまうまで!」
●
Spiritoso――なんて皮肉な呼び名であろうか。それらは生気もなく、元気もない。
『死霊術師』マリカ・ハウ(p3p009233)から見れば『ハー』のみがあり『バー』と『カー』が失われたようなものではないか。
『イブ』は疾うに奪われ『レン』が失われてしまったそれらは死の裁判を受けることもなく『イブ(心臓)』の機微になんら関係なく在り方を変えられんとするのだ。
(――不愉快なこと)
マリカの鮮やかな蒼い瞳に光が灯された。『お友達』に獲物を預けるだけだ。マリカ・ハウという娘はネクロマンサーだ。故に――アタナシアとはまた違った戦い方を行なう。
前線に飛び出す不躾なネクロマンサーと違い、玉座に腰掛け堂々とその様子を眺めるネクロマンサーだ。死霊達が蠢いてその気配に僅かに反応でもしたか。アタナシアは「ははは、きみたちも好きだね」と子犬がはしゃぎ回るような声音を弾ませた。
「ああ、これは……。前回よりも死者が多いのは残念でなりません。やはり貴女を生かしておくのは危険なようですね、アタナシア。
できればここで仕留めたい所ですが……」
眉を顰めた『月下美人』雪村 沙月(p3p007273)にアタナシアは「やあ、君と会えると心が躍るね。ローレットと言えばぼくにとっては君さ」と声を弾ませてから、はた、と何かに思い当たったように慌てた顔をする。
「違うんだ。言い訳をさせて貰っても?」
「……何をですか」
その慌て方は悪戯がばれた子供の様でもあった。アタナシアは「ぼくは誰も殺しちゃいないんだ」と何処か恥ずかしそうに告げる。
マリカが顔を上げ、沙月は「どう言う意味ですか」と問うた。アタナシアという異色のネクロマンサーは「だって、美しきルクレツィアさまが大して思い入れもない存在を殺したって意味ないだろう?」と続け遣る。
「ぼくは、ただ、ただ、幻想という地に染み付いている怨嗟や魂を利用しているだけなのだ。
どちらかといえばぼくの美しさに彼等が感銘を受けて手を貸してくれていると言うべきだ。無用な殺しはしないよ。なんたって、ぼくは、在り方さえも美しいからだ!」
にんまりと笑ったアタナシアに「相変わらずですね」と星穹は呟いた。彼女の行動理由は全てがルクレツィアが関連している。
寧ろ、彼女のそうした性格さえ把握していれば安心できるとも言えようか。そう、もしも『巨匠(マエストロ)』が倒された後に、イレギュラーズ達が敗北しても彼女は早々に引き上げるだろう。仇討ちはルクレツィアには頼まれてないとでも言いたげに。
(だからこそ、今の『ルクレツィアからお願いされている』この状況は厄介なのでしょうけれど――)
星穹はスティアの元に集まっていく貴族達の精神状態を確かめ、大した反応を示さない事に気付いていた。ただ、レディ・ノワールの歌声は大きな起伏があり、時折スティア以外に目を向けようとする素振りがある。
「……貴族に手をあげるなんて本当は宜しくないのでしょうが。今は緊急事態と呼ぶに相応しいですから、致し方ないでしょう」
呟く星穹にベネディクトは肩を竦める。冠位とされる魔種が動いている現状だ。だからこそ、貴族に手を挙げて不敬罪――などと言われるような現状が作り出されてしまうのだ。
「本当に、碌な事にはなるまいよ。気になる事はあるが全ての事象に関われる筈も無いんだ。
であれば、先ずは目の前の事に集中せねばなるまいな。千客万来……いや、この場合は客は俺達か? 随分と手厚い歓迎の様だな」
「ぼくを愛する人達が来ると聞けば準備はしてしまうさ」
お前を嫌いだと声高に言えば「照れないでくれ」と笑う。死ねと叫べば「熱烈だ」と微笑む。本当に厄介な相手だとベネディクトはするりと直剣を引き抜き飛び込んだ。
貴族達の命をも奪わぬようにと気を配らねばならないのは厄介だ。アタナシアが居る以上、簡単に操縦権を渡すことにもなろう。ベネディクトが叩き付けた槍は狼の如く唸り叫ぶ。
その響きの下をヨゾラは走り抜け、星空の如き泥作り替えた。星の魔術が作り上げる星海は美しく、その命を奪いきることはない。
(反転は厄介……不殺で抑えられないならその時は……!)
魔種の呼び声はヨゾラにとっては忌避するものだ。レディ・ノワールの旋律に混ざる毒の気配は、それらを是としたものなのだろう。なんて、醜い音だと眉を顰めずには居られない。
スティアはスピリトーゾ達を引き寄せながらもレディ・ノワールを真っ向から見据えていた。彼女の気を引き続けるのもスティアの役割だ。
歌声が人々の心を擽り、操縦するというのならば対話をする事で『区切り』を付けられるのではないかともスティアは考えた。
見た限りでは明るく楽しげなアタナシアとは対照的なレディ・ノワール。彼女は何かに怯えているようにも見えた。
「んー、貴女は貴族だったりする? 綺麗な所作だし、社交界では有名な人じゃないのかなって思って……当たってるかな?」
「ええ、わたくし、幻想では良く知られますのよ」
その影のある笑みをまじまじと見詰めていた支佐手は「ややこしい状況で……」と思わず呻いた。手にした深淵の鏡に映り込んだスピリトーゾ達が呪詛の魔術に賽名も割れる。半ば骨となった顎は食らいつきその足を留めんとする。
「なんとも、いえんのぉ!」
声を弾ませて叫んだ両儀にレディ・ノワールが眉を顰めたのは言うまでもない。嫌がらせとして両儀は離すときには声を響かせることを意識していたのだ。そして、音の反響は周囲の把握にも繋がっている――何があろうとも、周囲には気を配るべきだ。
「キエエエエエエ―――――!」
両儀は全身全霊を込めた一撃を叩き付けた。ただし、両儀の放った攻撃は全力を込めているが故に『殺さず』を徹底できているわけではない。
ごろんと倒れたスピリトーゾに「ふふ」とアタナシアが笑ったのは言うまでもなく――両儀ははたと顔を上げ「やらせんぜよ」と叫んだ。
霊魂を自らの糧とする。それが鬼人種の成せる業だ。その手を伸ばすが早いか、それともアタナシアが使役するのが早いか。
ぐっと手を伸ばした両儀の前へと楽しげに笑ったアタナシアが肉薄した。
「ふふ、きみは霊魂を食べられるのか。素晴らしいな。ぼくが死んだら食べてくれるかい?」
「だぁれがおまんなんか」
両儀がじらりと睨め付ける。最優先した劇は対象である『貴族達』。アタナシアは彼が殺してくれたことを喜ぶようにレイピアを手に、肉薄し続ける。
「ぼくと踊るかい?」
「……両儀さん……!」
息を呑み、自らを守り抜く恩恵と、魔力障壁を身に纏っていたメイは直ぐ様に癒やしを響かせた。ごおごおと鳴らした鐘の音――メイはアタナシアを睨め付ける。
「ここから退く気なんて一切ないのです。鐘の音が響く限り。続く限り。癒しきってみせるです」
●
スピリトーゾは歌声に合わせてくるり、くるりと踊る。楽しげに、自由に走り回るアタナシアの奔放さにはメイは手を焼いていた。
それらを打ち漏さぬように、マリカは死の宣告を送る。骸の刃と死者の肉で作られた鎌は怨嗟に塗れていたが、契約者の身を守るが為に力を発揮し続ける。
「ああ、死んでしまったのね」
マリカは囁いた。アタナシアは他者が殺した霊魂さえも我が物とする強欲さを見せたか。スピリトーゾは一般的な人間である筈だが、それでも痛みも死にも余りに頓着しない。それがレディ・ノワールの精神への直接的干渉だという事か。
「ねえ、アタナシア。これだけ『お友達』を増やすのはさぞ愉しかったでしょう?
大事なのは愉しいことかそうじゃないことか、他人の人生になんて毛ほども興味が湧かない。
好きに殺して、好きに奪って、好きに跪かせる、愉し過ぎて官能的にすら思えるわよね」
「ふふ、レディ。きみとぼくは少しだけ似ていて少しだけ違うようだ。
ぼくはね、誰のことも殺しちゃ居ない、奪っちゃ居ない。ただ、彼等の愛を享受するが儘に跪かせ、頭を垂らし、最期の花を咲かせるだけだ」
魔種らしい、あまりにもエゴイズムを滲ませた言葉だ。マリカの瞳に怪しい色が宿る。死霊を手繰る女の瞳の霊力が仄かな光と名って由来だ。
「見たくないものは見ないフリ、都合のいいものだけ選んで取り立てる。
何から何まで私の嫌いな“マリカ”とそっくり――あなたって、私と同じで醜い生き物なのね」
「そうかい。マリカという彼女は嘸可哀想だね」
アタナシアは肩を竦めた。『マリカ』は『マリカ』を厭っている。享楽的なハッピーハロウィンを終えればその果てに待ち受けたのは強い嫌悪だった。
マリカは「どう言う意味かしら」と問うた。女が抱いていたのは同族意識での共感、そしてその上での同情と憐れみであったが――
「ぼくは、醜くはないからね。醜悪な生き方だと思ってやいない。
ぼくはぼくを誇っている。それこそ、ルクレツィアさまに見て貰う為に『悪戯』をするお茶目な所も愛おしいだろう!」
本当ニ、彼女の在り方は狂って居る。楽しげに駆けずり回るアタナシア。
10人の内、数名の数を減らしたが無力化を果たしているヨゾラはレディ・ノワールの能力に打ち克つために「アタナシア」と声を掛けたが、ノワールにとってはアタナシアが煩いことは日常であるためか効果は無さそうだ。どちらかと言えば――ほら、アタナシアは喜んでいる。
スピリトーゾ達が腕を伸ばす。残るは堅牢な防御力を有する二体。ヨゾラは深く息を吐いた。
「厄介な音楽とか、腹立たしい相手を思い出しそうで本当に嫌……とっとと潰えろ!」
「八つ当たりと申しますのよ。はしたないこと。憎悪は牙として、隠すべきですもの」
ころころと笑ったレディ・ノワールと肉薄していたスティアは彼女の余裕が気に掛かった。
(……スピリトーゾが居なくなれば、身一つ。謳うだけで私達を操れるわけじゃない。なのに、どうして余裕そうなのかな)
その違和感はベネディクトととて同じだ。だが、レディ・ノワールは多くは語らない。どちらかと言えばアタナシアから情報を引き出すべきだろうか。
「俺は人と喋り続けるのは苦手でね。出来ればどうやったらそのノリを継続出来るのか聞かせて頂きたい物だ」
敢て、アタナシアへと声を投げ掛けるベネディクトは死霊の数を減らし続ける。チェレンチィは殺さずの慈悲の刃を手にしていた。
暗殺の流儀は『人の命を何れだけ的確に奪うか』だ。その鮮やかな太刀筋を見ていたアタナシアは「彼女の方が気になるな」とベネディクトに声を掛けたのだ。
「きみはどうやら過激な婦人が好みらしい」
「男性に興味が無いわけじゃあないさ。ただ、きみはぼくを見ていないから。じっくりと見てくれて構わない。何なら、口付けでも?」
「遠慮しよう」
軽はずみな言葉と共に、踊る死霊の行列は何処までも楽しげだ。魔種と戦っているとは思えぬほどの軽薄なノリ、後方で起こって居るであろう『宴』の気配をも覆うような騒がしさ。
喧噪の中でチェレンチィは囁いた。
「……また会いましたねぇ、アタナシア。
目立ちたがり屋の貴女と違って、ボクの主戦場は影。
以前戦った時も大立ち回りとかはしてませんから、覚えていないかもしれませんが。今回も、貴女の思い通りにはさせたくありませんね」
アタナシアは「そうか。でも、スピリトーゾはまだ居て、ぼくは元気だ」とウィンクを一つ。
「どうやって死霊たちを操ってるの? ぱっと見た感じだと魔法剣士なのに操ってるように見えるし、気になっちゃって」
「ふふ、ぼくに興味を持つとは君もお目が高いね」
ウィンクするアタナシアにスティアは「そう……」とやや引き攣った笑みを返した。あまり、明るく朗らかに返答することにも困るような存在がアタナシアだ。
「うーん、少なくても意識は集中させていないとダメそうだよね。
直接戦ってたり、喋ってたりすると動きが散漫になってるように思えるし……魔力の糸を繋いでマリオネットみたいに操ってるのかな?
……自立する訳じゃないし、ネクロマンシーではないだろうし」
悩ましげに呟くスティアに「ぼくの事をそんなにも知りたいだなんて、照れてしまうじゃあないか」とアタナシアは微笑む。
「ちなみに顔の良さは私も負けないよ!! 勝負だ!」
「すまないね、長耳の君よ。――それは、ぼくの勝利さ」
にっこりと微笑んだアタナシアにスティアは「ががーん」と呟いた。性格的には無敵な存在だ。彼女はと言えば、何処までも貫く我がある。
「因みにね、ぼくは正確には死霊使いではないさ。ただ、死霊という存在をぼくが使役するに適しているだけ。……ぼくは『色欲の魔種』だからね」
含みのある言い方だ。レディ・ノワールは「アタナシア」と呼んだ。彼女がそれ以上の言葉を口にするのを拒絶したのだろう。
歌声が彼女そのものを支える様に広がっていく。その旋律が刃に化して天へと持ち上がり、降る。シャンデリアの光が注ぐかのように鮮烈に。
「死した肉体は土に還り、魂は天に還る。それを覆すことなど、たとえ神様であっても許されることではないのです」
死霊術に対して異を唱えながら、癒やし手であるメイはそう呟いた。レディ・ノワールが歌おうが響き合うことなく不協和音となるように。
何時もよりも鳴り響いた、神々の福音は永訣を湛えていて。追憶の祈り響かせるメイをレディ・ノワールはじらりと見た。
「ええ、何方が亡くなられたって神は平等ですわ。それって、よろしいこと?」
「どう言う意味なのです?」
「冠位怠惰の戦で亡くなった貴女のお姉様を取り戻せたならばどれ程喜ばしいことかしら」
メイが引き攣った息を呑んだ。レディ・ノワールの視線がアタナシアを見る。彼女ならばと言いたげな、そんな眼差しだ。
混沌世界に置いて死は絶対的だ。遁れざるものでもある。それを――『可能』と口にするのか?
メイは唇を震わせる「いいえ、いいえ」と首を振った。ブレてはならない。感情を揺さ振る声さえもその音色のように響く。精神に強い耐性を持たねば、彼女のペースに引き込まれるような伽藍堂の足元。見下ろせば、崖の先にでも立たされたかのような宙ぶらりんな感覚がある。
「メイ」
ベネディクトの声にメイがは、と息を呑んだ。ああ、大丈夫。飲まれていない。飲まれてなんか――
「死霊は元をただせば個々の人間。それを好き勝手に操るとか、死者に対する冒涜なのです!」
アタナシアと真っ向対立する主張だ。相容れないだろうけれど、メイは伝えたかった。アタナシアはと言えば「構わないよ」と笑う。
「構わないけれど、ぼくはヒーラーって余り好みじゃないのさ。ぼくの付けた痛みが、きみから消えてしまう」
ぞう、とメイの背筋に奔った気配と共に少女の視界が眩む。大地に叩き付けられた少女の肉体。アタナシアのレイピアがその頸筋に迫り来る。
地を蹴った。「アタナシア」と星穹は叫んだ。スピリトーゾは10人、その内の3人が死に、残るは二人。
支佐手が直ぐさまにメイの身を庇い、ぎらりとアタナシアを睨め付けた。
気絶し、拘束した者達も居るが、堅牢な肉体は強化されてのものだったのだろう。アタナシアへの対応に僅かな遅れが出たか。
「アタナシア。私、案外貴女のことが嫌いではないのかもしれませんね。ほら、なんていうんでしょう……懲りないところが、阿呆で、犬みたいで」
星穹が滑り込み、その眼差しで女を捉える。『何度見たって』、彼女は何時だって自由だ。
両儀と切り結び、マリカを否定するように軍勢を送り、メイの命を狩り取ろうとする女。浅ましく、そして、何処までも恋に生きる騎士。
「嫌いではない、ではないだろう? 好きだと言うんだ、素直になりたまえ」
「……いいえ。いいえ。アタナシア。私は星穹。
盾の君だとかいうまどろっこしい名前で呼ぶのは、今日限りにしてくださいね」
まるで名も知らぬ姫君を愛する顔様な言葉だった。ヒーラーの片翼が落ちたその状況に堅牢なる星穹でも僅かな焦りが滲む。
この戦いは時間稼ぎの側面が大きい。スピリトーゾの全てを見捨てて、アタナシアとレディ・ノワールを引き寄せながらタイムリミットまで耐え忍ぶ事が求められた。だからこそ、レディ・ノワールは『中途半端な一般人』を用意したのだ。
ルクレツィア曰く――『イレギュラーズと言う者達は、甘いのですもの。アタナシアに扱わせる有象無象の一つにでもすれば容易に敵を減らせますでしょうに』だ。
(……本当に嫌な相手。だけれど)
星穹はアタナシアの気を惹くように美しく笑って見せた。銀の盾、その見目麗しき言葉は奥ゆかしくも言の葉を送り合うような関係性に思えて鳴らない。チェレンチィや沙月に対してもアタナシアが向ける視線の意味は強い興味と言うべきだ。だからこそ。
「……ほら、そういう間柄ではありませんし。これだけ殺し合いをしたのだから、そろそろ教えてやってもいいでしょう?
死霊なんかを引き連れてやってくると随分と面倒ですから、次があるなら貴方一人でデートしに来てくださいね。
貴方のご主人様がイライラするくらいに、死にたくなるほど楽しませて殺してあげますから」
「ぼくが死霊を使わなければ、きみは死んでしまうかも知れないよ」
揶揄うようなアタナシアの声音に星穹は「さあ」と囁いた。無数の死霊を前にして、仲間の支援を行なうマリカは眉を顰めた。
首なし騎士がアタナシアそのものの肉体をがらんどうにしてみせる。無策ともなれば、それは彼女を食い止める一助ともなろう。
「ええい、次々に湧いて出ますの……!」
それ以上に厄介だと支佐手は考えた。はた、と顔を上げる。レディ・ノワールは居なくなって仕舞ったスピリトーゾ達に気付いて嘆息する。
「悲しいことですわ。ジョセフィン・ラスペードも、マリア・ド=ローズも、素敵な方でしたのに。
そうやって皆様が命を奪ったこと、社交界でお話ししなくては。嗚呼、何て悲しい、悲しいのだもの――」
謳いましょうとレディ・ノワールの唇が戦慄いた。その気配を察して支佐手は直ぐさまに閃光弾を投擲する。
「ッ――」
たった一手、されどの一手。支佐手がそうして投げ入れたならば両儀は直ぐにカバーに奔る。
「わしらはここを護る義務があります」
助かるのであればスピリトーゾとて助かれば良い。それが甘ったるい対応と言われようとも支佐手はそのように認識していた。
レディ・ノワールを包み込んだ災厄はその声を食い止めた。女の瞳が苛立ちを湛え続ける。相変わらず減っては増えてを繰返す死霊達はスティアの元に集い来る。
チェレンチィはレディ・ノワールから感じられる嫌な気配がルクレツィアの手によるものだろうとも考えて居た。
(ここで撃破したい。けれど、強い――これが『冠位色欲』による援助ですか……)
歌声が止まれども、肉体が傷付こうとも彼女は多種多様の歌で自らを支えている。前線で無鉄砲に飛び込むアタナシアとペアを組んだのはレディ・ノワールが本来的にはスティアと同じような堅牢さと回復技術を持ち合わせているからなのあろう。
厄介な相手だ。レディにまで手を裂いていられない、か。アタナシアに肉薄するチェレンチィの瞳を覗き込んだ女は「綺麗だね」と囁いた。
「そうでしょう。ならばこの毒も美しいですよ。監獄島にて毒のスペシャリストに教わった技術です。
いくら身体がタフでも内側から蝕む毒は侮れないダメージ源でしょうから。
――貴女は『享楽の』アタナシア、ですからネーミング的にもピッタリなのでは?」
「ああ、それは素晴らしいな!」
死霊を操る手が僅かに揺るいだのは本人が前線でそれだけ出て来ているという事だ。死霊達の群が大人しくなりつつある様子にレディ・ノワールは小さな舌打ちを漏した。
「レディ・ノワール、越えては行けぬ踏み越えた貴女は確かに強い、だが、それがどうした。
かつては勇者の称号を得、騎士として幻想から任じられた身だ。
……例え、それがなかったとしても、これから多くの人達に対し脅威を与えうるであろうお前達を黙って見過ごす訳には行かない、覚悟して貰う」
じらりと睨め付けるベネディクトにレディ・ノワールは微笑んだ。
「幻想など、蛻の殻となればその様な称号も空虚なものになりましょう」
「そうはさせないと言って居るが?」
「わたくし、あまり強くはありませんのだ。だから――アタナシアが此処に居る」
囁くレディ・ノワールにベネディクトは強い決意を宿し、その寄りの先を向けた。
此処で逃せば此処から先の未来において、相手は厄介な手駒を増やす手段を行使し続けられる事になる――でれば、何としてもこの場で一人は落とす!
「生憎だったな。俺達は決して弱くは無い、仲間達の道は何としてでも確保させて貰う!」
●
「前回は顔に傷なんてつけてくださいましたから、たんとお返しして差し上げようと思いまして。傷のお揃い、なんていかがかしら。
もちろんここで死んでくれるならそれが一番なのだけど、傷が痛む度に殺したくなって、忘れられなくなるでしょう?」
星穹の言葉に「熱烈だ」とアタナシアは笑った。強がりだ。傷付いた、肉体に『反転する事がないように』と気を配り、死霊化する事無いようにと念には念を重ねた作戦だった。強化された人々はそれこそ死に近しくなるまでは肉体を突き動かされるようにして動き回っていた。
尖兵となった彼等の相手と、自由自在に走り回っていたアタナシアが速攻戦術と言わんばかりに両儀とメイに仕掛けたのは相手も作戦を講じていたのだろう。メイというヒーラーをさっさと墜とせば良い、と。両儀はどちらかと言えば興味を惹かれたからだったのかも知れないが――
「宜しいのですか? レディ・ノワールを支援しなくても」
「ああ。それそこ、彼女こそ『最初から』仕込まれていたのだもの」
眉を顰めた星穹。後方でヨゾラが「どう言う意味?」と問うた。レディ・ノワールを速効で倒すと決めて居たが彼女は自らを回復し支援しながら何かが変化していたのだ。
「ぼくたちって案外愛されているのだよ。まあ、どちらかと言えば今回は彼女だけれど。
そう……ぼくは遊撃、彼女こそ愛しきルクレツィアさまの本日の寵愛を受けたものだから」
どこか拗ねた様子のアタナシアは「羨ましいよね、ぼくだって、そうありたいさ」と囁いた。
「んふ――ふふふふふ」
レディ・ノワールが頭を掻き毟る。ぞ、と背筋に嫌な気配が過った。自らを支え続けて居たスティアは傷を堪えて叫んだ。
「下がって!」
ヨゾラが手を伸ばす。ここで、負けてなるものか。だが、それさえも払い除けるように旋律が漂い、響く。
旋律の刃が光を帯びるシャンデリアのように、キラキラと降り注ぐ。
構えた沙月が駆ける。根競べで合ったことは確かだ。取捨選択し、一気呵成にレディ・ノワールを攻め立てたならば何か変わっただろうか?
それとも、最初からアタナシア自体の気を引いておくべきだったか。何れを選び取るか、選択が必要であったのは確かなのだろうが。
――生きて帰るつもりだ。だが、死兵である事は確か。
両儀は宣戦を確認する。アタナシアは未だ立っている。寧ろ、自由自在で楽しげであった彼女は『少しの遊びのように』イレギュラーズの出方を挫きに来たではないか。
いざともなればアタナシアを捕まえてメインステージの道へと飛び込めば良いか。この場の邪魔ならば先に進ませれば退いてくれるか。
失敗は許されない。目の前の魔種が強大な存在であることは確かだ。意図的に死霊と共に在ることでリミッターでもかけているのか?
把握は出来ないが――
「さぁ、アタナシアァ……儂とデートと行くとするぜよぉ!」
両儀が飛び込んだ。奇跡が溢れるほどの想いが滾る――が、それは使用するとは言うまい。奇跡に頼ってしまうなど、己が信条に反するのだ。
「ふふ、ぼくは人気だな」
アタナシアは微笑んでレイピアを構えた。
「そんなにも一緒に居たいのならば、君を殺したって構わない」
アタナシアの放った気配に沙月が直ぐさまに気付く。撤退を選択したわけではない。ただ、死屍累々の中でタイムリミットまであと少しだと気付けど脳裏で警鐘が鳴り響くのだ。
「キェエエエエエエエイッ」
「ぼく、その声は余り好みではないかな? だって、ぼくの美しい声が聞こえないだろう」
細剣が深く、男の肉体に突き刺さった。致命傷を遁れたのはその手を沙月が引いたから。
「ああ」とアタナシアの瞳が笑う、笑う。
「私の名前を聞きたいと言いましたね、アタナシア。――雪村沙月と申します。
貴女を殺す者の名だと思って頂いてもよろしいですよ。
死者を弄ぶような輩は生かしておくつもりはありませんので覚悟を決めておいて貰えたらと」
そうさせて貰おうかな。微笑んだアタナシアの背後で、鮮やかな海色の髪が広がって行く。
レディ・ノワールその人は致命傷にはまだ至らず、『スピリトーゾ』を操っている間にもその変化があったのだろう。
「謳わせていただいても?」
女の気配が如実に変化したとベネディクトは気付いた。
「レディ・ノワール――」
呼び掛けた声音に女の瞳がただ、享楽的に応えた。
――殺し尽くしても構いません事よ。
「レディ、素晴らしい月に乾杯を。今日は君の誕生日だ。
……ふふ、イレギュラーズ、君達を拐かすことが出来たらどれ程に良いだろうかか」
微笑むアタナシアのレイピアが怪しく光る。燦々たる光の下で彼女は笑った。
「まだまだ、愛し合う時間はあるだろう――?」
成否
失敗
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
それではまた、美しい月の夜に。
GMコメント
夏あかねです。宜しくお願いします。
●成功条件
・『撤退路』確保の為の一定時間の経過。
●背景
『巨匠(マエストロ)』ダンテよりイレギュラーズに名指しで招待状が届きました。そこにはガブリエル・ロウ・バルツァーレク伯爵が拉致された旨が記されていました。
この招待の結果を受け、リア・クォーツ(p3p004937)さんが行方不明になりました。
一連の動きには冠位魔種ルクレツィアが関わっている可能性が高く、ダンテはリアさんを利用して何かとても酷い事を起こそうとしているようです。そして、遂にダンテ(と、ルクレツィア)が動き出しました。
詳しくはトップページ『LaValse』下、『プルートの黄金劇場』のストーリーをご確認下さい。
本シナリオでは黄金劇場で開演される『冥王劇場』へと乗り込む為の『通路』を攻略するシナリオとなります。
退路を確保するという意味合いで非常に重要なシナリオとなります。ご無事にご帰宅できるかは皆さんに掛かっています。
●重要な備考
成否や状況で『<プルートの黄金劇場>冥王公演』の判定結果に影響を及ぼす可能性があります。
●エネミー
・『享楽』のアタナシア
色欲の魔種。冠位魔種ルクレツィアに心酔している女性です。男性のような口調で語らい、ルクレツィアの騎士を自称しております。
基本的に何方に対してもポジティブに好意的に接します。非常にお喋りでナルシストです。
大体のことを自分にとって都合の良い事に解釈します。ごめんね、ぼくが美しすぎたばかりに……。
『<ヴィーグリーズ会戦>ne vivam si abis.』にて夢見 ルル家(p3p000016)さんの「生きて帰れたら『超絶美少女のルル家ちゃんに負けた』アタナシアと名乗ると良いですよ!」の言葉を面白がってその様に名乗ることもある程度に、途轍もなく『ノリが軽い』が実力は確かな存在だと考えて下さい。
ネクロマンサー。無数の死霊を手繰り戦います。
非常にEXFが高く、ネクロマンサーでありながら前線で戦う装備を有しています。魔法剣士と呼ぶのが相応しいでしょう。
自身が前に出る際、もしくは『お喋りに熱中』している段階には死霊の操縦が緩みます。
・『死霊たち』
2Tに1度5体ずつ増えます。初期に30体。待ち構えていたので大盤振る舞いです。
アタナシアが『やる気を失う』と供給が減る彼女の死霊達です。
逆に言えばテンションが上がると供給量が増えていきます。今日も今日とてテンションが高いです。
アタナシアは幻想王国で使い捨てられた者や地に根付いた怨念を無尽蔵に生み出す能力を有しています――が、それもやる気が続く範囲での話です。
兵士としては全体的に戦力は統率されてるとは言い難いです。弱い者も混ざり、幼い子供などが動員されることもあります。
ピンキリであります。が、今回は『何故か』運が良く言い手駒が多いようです。
また『この戦場で死亡』した場合はアタナシアの手駒になる可能性もあります。
・レディ・ノワール
自称人間種とする幻想貴族。社交界に現れては笑みを振り撒く淑女。
マーメイドドレスを身に纏う紺碧の髪を有する美女。冠位魔種ルクレツィアの内通者であり、幻想の貴族達の情報を収集していました。
歌を巧みに利用した精神阻害を得意とします。音を武器に攻撃を行なう魔術師です。
旋律が乱れると精神への干渉が乱れるため、静寂を好みます。ただし、『イレギュラーズの阻害』を受けて少々の小細工をしてきたようです。
『前回登場』の『<プルートの黄金劇場>Flos unus non facit hortum.』よりも能力が格段に向上しています。
……何かの影響を受けたようですが……危険な香りがします。早急な対処が必要となりそうです。
・『スピリトーゾ』
現時点で10人居ます。バルツァーレク派貴族の内、社交界でレディ・ノワールが拐かした貴族の令嬢や紳士達です。
強い精神干渉を受けており、レディ・ノワールを護る為に戦います。武器を持った一般人ですがちょっとやそっとのことでは倒れない強化を為れています。
『個体差があり』誰から影響を受けるかは分かりませんが、数ターン(最短で4T)で反転し魔種へと変化します。
●ロケーション
『黄金劇場』が開催される結界内部。そのメインステージへと繋がっている扉の前、エントランスとなります。
高さに制限があります。天井までは大凡4m程度。上下の制限はありますがその他は比較的広々と戦えます。
障害物はありません。非常に煌びやかなエントランスホールです。明るく、過ごしやすくもあります。
イレギュラーズは待ち構えるアタナシア達の気を惹き、メインステージへと居たるイレギュラーズを『向かわせた』後からスタートです。
冠位の領域への道がこじ開け続けて居る為、そのルートを確保し続けることがオーダーです。
●情報精度
このシナリオの情報精度はD-です。
基本的に多くの部分が不完全で信用出来ない情報と考えて下さい。
不測の事態は恐らく起きるでしょう。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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