PandoraPartyProject

シナリオ詳細

<尺には尺を>空っぽシャングリラ

完了

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 神の門は聳え立つ。潜り抜ける事が容易であると考えた者が居たか。
 積み上げた石はいとも容易く崩れ落ちるが、それでも神域――或いは、理想に手が届くと信じ込む者達が居た。
 何方が無様であるかと問われれば『アドラステイア』否、アドレは答えることが出来なかった。
「不細工な顔」
 嘲るように言った女へと振り返る。何方が、と言い掛けたがアドレの脳裏に浮かんだ『知り合いの恋ボケ聖女』が言って居た言葉が過る。

 ――女の子にとって、恋することは命を奪われるようなものよ。
   愛しい人からの拒絶なんて、それこそ死んだようなものだから。優しくなさいよ。

 ああ、そうだったか。彼女は、楊枝 茄子子(p3p008356)は『一度振られてきたのだったか』。
「暇してるの?」
「ん? 違うよ。ツロが少し待っていろって。何させるつもりなのかしらないけどさ」
 爪を噛んだ。急がなくては。至急、『あの人』の予定を確認して、二人きりで話せるタイミングを見極めねばならないのだ。
 茄子子は恋をしている。その恋心は憧憬というよりも執着にも近く、盲目的なほどに自らが受け居られると信じ込んでいる。
 アドレと共にテュリム大神殿での防衛を行なった際には彼女は預言者ツロから指示を受けて『自由に動く』ようにと遙々と『偽の預言者』の元へと果せた。
 その地に居た教皇シェアキムに共に逃げて欲しいと誘ったその言葉は虚しくも振られてしまったのだけれど。
「茄子子はさあ」
「え、今名前呼んだ?」
「呼んだ。お前の識別固有名詞」
「……遂行者に気楽に呼ばれるって、違和感しかない。何?」
「偽の――いいや、これはダメだな。えーと、シェアキムって男は誘えば着いてくると思う?」
「当たり前じゃん」
 茄子子は眉を吊り上げた。当たり前ではないか。唯一無二の願いだ、彼を手にすることだけを目的に遂行者にまで『寝返った』のだから。
 それでも茄子子の肉体には聖痕は刻まれていない。聖痕は則ちは死を意味している。
 例えば、グドルフ・ボイデル(p3p000694)や夢見 ルル家(p3p000016)が自らの目的が為に遂行者の信頼を目的に肉体に得た『証』のように。
 聖痕は滅びによって肉体が蝕まれる。狂気ともとれる成人状態にまで移行するが、強大な力を得る事には違いない。
 茄子子はその選択をしていない。『何故か同情したような顔をした』聖女は「フリでもしときな」と言ったのだ。
(信頼されてない……ってより、目的を理解された気がして『大嫌い』だ)
 茄子子は聖女ルルが嫌いだ。大嫌いだ。そう面と向かって言えば何を思ったのか「私は好きよ」などと宣うのだ。
「なんか恋すると皆馬鹿になるんだね」
「はあ?」
「ルルも、茄子子もさ。好きな人が絶対に振り返ると思い込んでるじゃん」
「……」
「いいね。僕もそうなれたらよかったんだろうな。僕がツロ様をそういう意味で好きだったら何かを疑わずに済んだかな」
「……どう言う意味?」
 茄子子は一番に信用ならない男『ツロ』を盲目的に敬愛している少年の言葉の全容を把握できずに居た。
 アドレは肩を竦める。それから困ったような顔をして「何となく」と呟く。
「茄子子に教えといてあげるよ。ルル家はルルが連れ回してるけど、グドルフや茄子子はそろそろお呼びが掛かるんじゃない?」
「ツロから?」
「そう。茄子子何て特に。目的があるだろうから」
「……まあ」
 その為に動いている。茄子子は己のエゴであると豪語できるほどに目的を胸にしている。
 イレギュラーズのために『穴』を見付けるグドルフは疑われないようにと再三の注意を行なって遂行者らしく動いているがツロはどう思うのか。
「やっぱりさ、信じるって難しいんだよね」
 アドレはぽつりと言った。
「だから何の話」
 茄子子は眉を吊り上げてからアドレにつかつかと近付いていく。この面倒くさい『クソガキ』は何が言いたいのか。
「……ちょっとイレギュラーズと遊んでこようかなって話」
 さらりと躱した後に少年は言った。罪は消えず、罪は濯がず、受け入れる事も罪ならば、有り余るほどの罰を受けたこの身は何処に行けばいいのだろうか、と。


 神の国の内部に広がっていた深層。その内部には様々な空間が広がっている。
 理想郷だ。アドレはその様に教えられた。この地では失われる命も無く、主の掬い上げた全てが平等であると。
 選ばれし人と神の意志を遂行する遂行者はこの理想郷では幸せになれるのだと。
「アドレ様」
 呼び掛けたのは顔がクレヨンで塗り潰された子供だった。アドレは「こんにちは」と返す。
 彼は『アドラステイア』で見かけた子供を創造したのだったか。ベースの子供は泣いていたがアドラステイアにやってきてからは幸せそうだった。

 ――薄汚い溝鼠と罵られて蹴り飛ばされる毎日だったんです。パンの一欠けを口にするのも恐ろしくって。
   でも、ここなら大丈夫。お腹もいっぱいだし、皆も優しいです。だから、アドレ様。ありがとう。

 ううん、違うよ。
 アドレはそう言いたかったが唇を引き結んだ。お前を作ったのは自分だと言いたくはなった。
 そもそもアドラステイアとは『ファルマコン』に全体管理をさせていたが、この神の国の理想郷を作る実験都市の意味合いも強かった。
 人間に渡してみれば見る見るうちに欲に塗れ、余りにも救いのない空間に放ってしまったのだが。
(まあ、だから人間なんてモノは理解出来ないし、薄汚いんだよ)
 アドレはぼんやりとそんなことを思っていた。人間なんて者は汚い。けれど、『あの眩い星芒』だけは――
「……」
「アドレ様?」
「綺麗なものって世の中にはあるんだなっておもっただけ」
 今日も幸せにおなり。こんな場所にまで引き摺ってきて、まだ『生きる事を強制している』事は罪では無いのだろうか。
 アドレは足を縺れさせながらも理想郷の中を歩いていた。
 言い訳の様に作り上げた農村ではない。その奥には白塗りの部屋が存在した。
 そこに真っ白なテーブルクロスの引かれたテーブルが一つだけ置かれている。
「……はあ」
 アドレは腰掛けてからイレギュラーズ達が内部に攻め入ってきているという現状を耳に為た。
 不思議なことに怒りは湧かなかった。ツロやルストを愚弄しているとも思わなかったのだ。
「まあ、来るなら来て貰おうかな。出方が知りたい」
 アドレはそう呟いてから顔を上げた。
 イレギュラーズの靴音がする。アドレは「こんにちは」と挨拶してから着席するように促した。
 まるであの『薔薇庭園』で過ごしたときのようだ。
「一つ、話しておくよ。
 僕は、人間じゃない。聖遺物と結びついたっていうのも少しだけ『嘘』が混じって居る。
 僕はね、聖遺物は聖遺物でもとある偉人の骨がベースになって居る。ただ、その本人を模しているわけじゃない。
 僕は、死んでいった子ども達の集合体だ。アドラステイアに居た子ども達は僕の同胞でもある」
 アドレはテーブルを撫でてから立ち上がった。
「だから、僕は世界なんて降らないと思っているし、僕達を利用するだけ利用すると分かって居る。
 アドラステイアを救いたいと言ったイレギュラーズだって全員を救えないだろ。綺麗事ばっかりだと思ってた。
 けどさ……『カロルの事』利いたよ。アイツの『わがまま』が終って、命賭けてでも世界をどうにかしたいって事が分かった」
 アドレは唇を震わせた。まるで迷子になった子供の様である。母親を探すような視線でイレギュラーズ達を見た。
「教え欲しいことがある」
 アドレの背後に無数の騒霊達が現れた。
「お前達は、敵だと言われた『この子』達を殺す事が出来る? お前達は、どんな世界を理想だと思って生きている?」

GMコメント

●成功条件
 イレギュラーズの帰還

●アドレの理想郷
 遂行者アドレが創造した理想郷です。ここに至るまでは長閑な農村や田園風景、幸せそうな人々の姿が見えました。
 可笑しな事にその人々は皆『顔』がクレヨンで塗り潰されていたのです。
 アドレの前に入れば真っ白な部屋に真っ白な円卓が置かれていました。椅子に腰掛けていた彼の問い掛けは幾つかの『テーマ』があるようです。
 それを熟して下さい。課題を全員でクリアしなくても構いません。手分けしても良いでしょう。

●アドレの課題
【1】騒霊及び『選ばれし子供』の撃破
 10名。騒霊はアドラステイアの子ども達です。誰も罪は無く、冠位強欲ベアトリーチェによる襲撃で親を失い無念に亡くなった子ども達です。
 が、死にたくは無かったという恨み辛みでアドレに付き従っているようです。
 また選ばれし子ども達も人間の姿をしていますがその成り立ちは同様です。
 そんな彼等が命乞いをして助けて欲しい、もっと生きていたいと泣き叫びますが皆さんは倒さねばなりません。
 さっくりと倒せる方も居るかもしれませんがアドレは「どうして殺すのか?」と教えて欲しいようです。

【2】理想郷の建設
 アドレは『理想とする世界』がありません。イレギュラーズに「お前達の理想は何か」と問います。
 彼に創造する理想郷を教えてあげて下さい。ただ、単純に教えるだけではいけません。
 その理想郷のメリットやデメリットを教えてやる必要があります。
 その理想郷は神の国、つまり『歴史を塗り替えて都合の良いことだけにする』事よりも素晴らしいのかを問うています。

 また、上記の二つの課題は「アドレが納得しなくても」構いません。ちゃんと返答をしているかどうかで判定がなされます。

●NPC
 ・アドラステイア
 遂行者『アドレ』と名乗る少年です。アドレと呼んであげてください。 
 預言者ツロの側近であり、彼を信奉しています。アドラステイアという都市の創設を行なった遂行者(ツロと共に行なった)です。
 天義によくある名前として偽名はアーノルド、自らの本名はアドレ・ヴィオレッタであると宣言しています。
 悪魔と呼ばれる奇妙な騒霊達を使役する能力を有しています。
 どうやらその成り立ちは「子ども達の無念」などをその身に受けた偉人の骨と滅びのアークの結びつきだと言って居ますが……?
 今回はそれ程積極的に戦いません。戦うことで対話が必要だという場合は応戦します。
 少しばかりの迷いが生じているようです。その理由がカロル・ルゥーロルゥーの関連であるのは確かなようですが……。

 ・『遂行者』オウカ・ロウライト
 サクラさんに良く似た姿をした『本来のサクラ』を名乗って居る遂行者です。聖職者であり、正義に対してより強い思い入れがあります。
 アドレの様子を確認しています。監視していると言うべきでしょうか……?
 アドレに基本的には従います。『偽・不朽たる恩寵』と呼ばれる恩寵が聖骸布に付与されています。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はDです。
 多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
 様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。

  • <尺には尺を>空っぽシャングリラ完了
  • GM名夏あかね
  • 種別EX
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2023年11月30日 23時00分
  • 参加人数10/10人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(10人)

ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)
祝呪反魂
アリシス・シーアルジア(p3p000397)
黒のミスティリオン
エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)
愛娘
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯
サクラ(p3p005004)
聖奠聖騎士
新田 寛治(p3p005073)
ファンドマネージャ
小金井・正純(p3p008000)
ただの女
星影 向日葵(p3p008750)
遠い約束
ニル(p3p009185)
願い紡ぎ

サポートNPC一覧(1人)

アドラステイア(p3n000337)
デモンサマナー

リプレイ


「ようこそ」と少年は言う。
 鮮やかな藤色の眸は何時ものような覇気は無く。何処か、昏い色を宿している。白く塗り潰された部屋は『何もない』と言うよりも、白いペンキを乱雑に覆い被せたような荒さが目立っていた。
 この場に至るまで、『薔薇冠のしるし』エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)は幾人もの子供達の姿を見た。
 遂行者が鎮座する神の国には理想郷と呼ばれる空間が存在して居る。それは思い思いに描いた正しく『救いの地』そのものであった。
 誰も傷付かず、誰も餓えることもなく、争いはない平等さ。時に卑劣な場所が存在しようともそれが誰かにとって乗りそうだというならば仕方が無い。行く千もの理想を縒り集め、それらを『分け』ることで共存させるこの世界は歪な構造である。
 その空間をエクスマリアは仲間達と歩いてきたのだ。その中に遊んでいる子供達の顔はクレヨンなどでぐりぐりと塗り潰したかのように全ての貌が無い。
「顔を塗りつぶされた住人ばかり……顔を、思い出せないのか、思い出したくないのか。どちらにしても、気味が悪い、な」
 ぽつりと呟くエクスマリアは薔薇園の茶会で相対した『アドラステイア』と名乗る少年にかの都市を重ねた。
 アドラステイア。その地は『おいしいで満たされて』ニル(p3p009185)にとって看過できるものではなかった。
 そして、ここまで見てきた光景も――ニルはぎゅうと拳を固めてから「アドレさま」と呼ぶ。
「ニルを呼んだのは失敗だった気がする」
「どうして、ですか……?」
「僕って結構優しいんだ。ニル、悲しそうな顔をしてるから。僕は別にニルを苦しませたくて呼んだわけじゃない」
「それは――、……だいじょうぶ、です。ニルもアドレ様と、お話がしたい」
 その眸は後方に控えるオウカ・ロウライトを捉えた。武装を解除しているようにも思えるアドレの傍に佇むオウカは今回のお目付役だろうか。
 何かあればアドレに手出しが行なわれる可能性も否めないか。じろりと見遣った『聖奠聖騎士』サクラ(p3p005004)にも何ら反応を示さず、巡礼を行なう清き書の民であるかのように指を組み合わせ目を伏せっている。
「……ありがとう、アドレ。最後には戦う事になるかも知れないけど、こうやって話をする場を設けてくれたのは嬉しく思うよ」
「感謝される謂れはないよ、サクラ・ロウライト。僕のただの思いつきと感傷だ」
 さらりと言い返したアドレの様子に『お茶会の席』を思い出してから『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)はくすくすと笑った。
「あら、お茶菓子でも持ってくればよかったかしら、それともポメちゃんでも――冗談よ」
「ん。じゃあ、次にこの理想郷はポメだらけかもしれないな」
 案外気に入っていたのねえとアーリアは柔和に返した。彼を見ているだけで分かる。今回は『敵意』はない。彼にとって齎すオーダーにさえ答えてくれれば良いというのは本当のことなのだろう。
「僕のオーダーは憶えてる?」
「ああ。アドレ。お前が対話を望むなら、真摯に答えるのが筋だろ」
『祝呪反魂』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)が頷けばエクスマリアもこくんと頷く。
「僕の出自を言わないのはアンフェアだと思ったから伝えた。理解もして貰えた?」
「ふむ……成程。そういったものを引き連れるのは……アドレ、貴方自身の由来が『そう』だからでしたか」
 何かを思い浮かべた様子で『黒のミスティリオン』アリシス・シーアルジア(p3p000397)はしげしげとアドレを見詰めてから呟いた。
 そして、彼女もオウカを見る。オウカ、そしてリスティア・ヴァークライトとアリアはツロが作り出したイレギュラーズの影のような存在だ。イレギュラーズと言うにしては大きすぎる枠組みか、預言者ツロは天義に縁深き貴族の娘二人と、己に縁のある娘を作りだし遂行者として扱っているのだ。
(……アドレは個として動いていると判断しても良いが、桜花は違うと言うべきでしょうか。
 ツロの意図は容易く察せれる。信用していない……そして何時でも切り捨てる心算がある。考えそうな事ですね)
 アリシスはそれでもツロがアドレを切り捨てない理由は彼もまた『傲慢』であるからだとも考えた。
「こんにちは、アドレ。話し合いだね。勿論だけれど応えるよ。お互いを理解し合うには必要だと思うから」
「スティアのことを理解する? 僕が」
「うん。サクラちゃんと私がしっかりと応えるからね」
 にんまりといつもの通りの晴れ晴れとした笑みを浮かべた『聖女頌歌』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)にアドレは「調子狂うなあ」と呟いた。
「大丈夫よ。私、こう見えてちょっと先生もしてるから、教えることも、一緒に考えることも慣れているの。
 ……って、今日は私が考えて、回答する側なのね。それじゃあ、一つずつ回答しましょ!」
 何だって向き合うわと胸を張ったアーリアにアドレは「じゃあ頼もうかなあ」とぼやいた。
「――なぁ。ルルと話した、選択した奴らは眩かったか? 俺はさ、強い光だったと感じたよ」
 レイチェルが『第一問』に向き合う前に何気なく問うた。
 その背中に、アドレは「さあ」とそれだけ返してから俯いた。


「正純さんをアドレさんの『母』とキャラ付けしたのは、振り返れば私でしたか」
 ふと、そんな言葉を呟いた『ファンドマネージャ』新田 寛治(p3p005073)にアドレのみならず『ただの女』小金井・正純(p3p008000)が渋い顔をしたのは言うまでもない。
「その節は勝手に母親ポジションに設定し、そのバブみを世界はおろか神の国にまで知らしめたこと、申し訳ございませんでした。
 ……ですが、意外と正鵠を射ていたのではないですか?
 アドレさんはアドラステイア――『死んでいった子どもたちの集合体』であるなら、心のどこかで母親を求めていたのではないか、などと思いまして、ね」
「分からない」
「分からないですか?」
 おとがいに手を遣って寛治は「何が分からないのか、最初にお聞きしても?」と問うた。
 アドレは妙な顔をしてから「僕、母親なんて知らないから、それを求める気持ちもわからないんだよね」と寛治を見た。
「だから、寛治が正純を母親だと行った時に『そっか』って適当に頷いた」
「……それは頷いて良い物ですか、アドレ」
「良いんじゃない? 嫌いじゃない。正純のことは一番好きだよ」
 次に妙な顔をしたのは正純の方だった。簡単に好きなどと言う彼は、それでも何処か憂いている。
 その顔を見てから「それでも、イレギュラーズとは敵対しているのですよね?」と『新たな一歩』隠岐奈 朝顔(p3p008750)は問うた。
「勿論」
「……アドレさんが何かに悩んでいるの、痛いほど良く分かります」
 仲間に否定されることなのだろうか。朝顔は記憶の欠落がある状態を悩ましく思って居るが――それでも、彼に向かい合いたいと考えて居た。
 真っ白に塗り潰された世界で、アドレが問いを出そうとするその姿に「一つだけ」と正純は声を掛けた。
「何?」
「ここが貴方の理想郷ですか、アドレ。そして、それが貴方の正体なんですね」
「うん。そうだよ」
 正純を見たアドレは「今更何」と言いたげな顔をして居た。そんな不遜な表情にも随分と見慣れてしまったものだと正純は小さく笑う。
「あのお茶会では少しばかり無茶をさせていただきました。でもあなたとの、友達との、死なないという約束も守りましたよ?」
「よく生きていたね」
 正純はざっくりとした言い方をした彼に肩を竦めた。決して死んで欲しいとも言わない。おいそれとその選択をしないのは彼もまた一人の人間を振る舞っているからなのだろうか。
「こほん。……だから今度は、迷っている貴方の手を引きに来たよ。堅苦しい敬語はなしでいくから。ちゃんと聞いてね」
 驚いた様子のアドレは正純を見てから「僕、正純は敬語じゃない方が好きだよ」と何の気なしにそう言った。
 アドレも、カロルも素直な性質だ。だからこそ、思い悩み立ち止まるのだろうか。
 騒霊に選ばれし子供達。それらを『殺す事が出来るのか』というのが彼からの問いかけだった。
「詳しく説明すれば僕の元になったのは聖アーノルド。天義ではよく使われる名前だから色々と諸説はある。
 アーノルド・ヴィオレッタは天義に生きた聖人で子供を救うために尽力したらしい。その骨は何時までも朽ちず消えず、子供を救う為に存在して居るらしい」
 そこまで説明してからアドレは「それで、だ」と空間を指差した。
「死にたくないと叫ぶこの子達を、どうする?」
 アドレの問いにレイチェルは「俺は」と唇を擦れ合わせるように言った。
「……俺は、罪の無い子供達を殺すのは胸が痛む……悪人は平気で殺せるのにな。馬鹿みたいだろ?」
「そうだね。僕に言わせれば、この子達は産まれたことが罪なのかも知れない。お前に罪を負わせる存在だから」
 アドレはまるで聖人を気取った様子で言った。レイチェルは「さて」と首を振る。
「苦しまないように殺す。それが俺の選択だ」
「どうして殺す?」
「彼らの魂を開放する為。輪廻の輪に還す為。
 死者の魂が地上に縛られ、取り残されてるのは……きっと苦しい事だ。歪な生は何も生まない」
「『歪な生』ね」
 何か、その言葉に引っ掛かりでも感じた様子でアドレは呟いた。
「次の生こそ幸せな事を祈って、この焔で葬送する――これは身勝手なエゴだ。故に、彼らの恨みは全部受け止めるさ」
 レイチェルはアドレには酷く身勝手なこととして聞こえたのだろうと感じていた。
「殺す。何故も何も、ない。『敵』であり、殺さねばならないなら、殺すとも。
 もしも死なせずに、より良く収める道があるなら、無論その方がいいとは、思う。
 だが、そのもの達は既に、命が無い。新たな生命を与える手段も、ない。
 できぬことを、できぬままで、ただ悩むくらいなら、マリアは迷わない」
「エクスマリアは、はっきりしてるね」
「迷っていれば、喪うものがある」
 エクスマリアは淡々と告げた。その美しい藍色の瞳を見詰めてからアドレは「分かり易い方が良い。判断しやすいから」とそう言った。
「そう。じゃあ、私も判断しやすいのかしら」
 アーリアは先ずは騒霊に向かって一撃を放った。アドレは「殺したね」とぽつりと呟く。
 ツロの入れ込む『アリア』がその選択をするのは些か予想外で合ったとでも言うように。
「ええ。本当は、ベアトリーチェの時も、アドラステイアの時も、全員救いたかったわよ。……傲慢でしょ?」
「傲慢だ、けど結果は」
「ええ。救えなかった。だから、これは弱かった私の罪滅ぼし。恨みも辛みも、生きていたい、も全部受け止めるのよ」
 アーリアは「そうでしょう」とスティアを見た。アドレは「スティアはまだ殺してないよ」とアーリアへと告げ口をする。
「いいのよ、聞いてみて?」
 アーリアに促されてからスティアは頷いた。
「必要であれば殺す事はできるよ。……でも最初から殺すつもりはないし、できるなら救いを与えたいと思ってるよ」
 スティアは「私は聖職者だし」と先ずはそう言ってから手を差し伸べた。
「安らかに眠りたい人には手を貸すことも出来る。どうかな、私を信じて任せてみない?」
「信用できない」
「ががーん、そっか」
 敵同士だしねえ、とスティアは納得したように頷いた。
「でもね、レイチェルさも言ってたけど。恨み辛みで現世で留まっているのは苦しいと思わない?
 この世には輪廻転生というものがあって、死んだ後は生まれ変わる事ができるって考え方もあるんだ。
 だから辛い状態のまま生き続けるよりは浄化されて、生まれ変わった方が良くないかな? って」
 記憶は引き継げないだろう。遂行者の――カロルのように『辛い記憶』を胸に、突き動かされることはどれ程辛いかも分かる。
 それでも、憶えていたい記憶だってあるだろう。愛しい人の腕に抱かれる時間も、何もかもを。
「苦しいままでも生き続けていたいとか、それとも安らかな眠りを与えて欲しいとか、それはその人それぞれなのかも」
「スティアちゃんみたいに信仰深くはないけれど、輪廻転生は信じているから。
 次に貴方達が生まれた天義は、もっとずっと幸せで平和な国にするって約束する。そういうのでどうかしら?」


 全てを薙ぎ払ってから朝顔は「生きていたいと思う何かを殺すなんて、イヤだ」と呟いた。
「でも殺さないといけないなら。無理矢理捻り出すとしたら……『死んでて生きたいと願ってるから』……でしょうか。
 既に死んでいるのなら、それは進まない停滞で……生きてると言えなくて、生きたいと願うなら次の生を望むべきなんだ」
「だから?」
「だから、転生を促したいです。それが私の結論でもあります」
 朝顔は胸を張った。
「『殺せるか』?」
 アリシスはまじまじと『彼』を見ていた。この言葉を彼に投げ掛けるのは、その存在そのものに問題を定義することである。
 それでもアリシスはアドレに敢て向き合い、その言葉を告げる決断をした。それこそがあくまでも己の答えであるのだから。
「死の瞬間、死の絶望が焼き付いた残魂……
 その子達は既に生きてはいない。かつて生きた人であったものの欠片でしかありません。
 そうした、祓われなければ永劫に続いてしまう苦悶の残響を消し去る事を『殺す』と称するのなら、殺せます」
「……それは何で? こんなにも苦しんでるのに?」
「死者は戻らないのです、アドレ」
 ぴしゃりとアリシスは言い放った。アドレがぐ、と息を呑む。目を見開き、驚いた様子でアリシスを見る。
「肉体という器が喪われれば、その人をその人たらしめる核たる『魂』は霧散する。
 死後に残るものがあっても、それは焼き付いた残留思念であり、魂の残骸に過ぎない……その子達のように。
 どれ程の力を持った人間であっても、決して黄泉返る事は無いのです。
 その子達は、既に死という終わりを迎えながらも終わらない苦痛の中に在る存在です」
「それでも、理想郷ならば、幸せになれるだろう。僕が『やり直せば』――」
「いいえ。『人として』そこから解き放たれる方法、救いは唯一つ。
 ……死という終わりですら解放とならない状況は、哀れに過ぎると思います」
 アリシスは思えば、アドラステイアのファルマコンは人の死を糧にしていた事を思い出す。
 アドレがアドラステイアそのものであるならばファルマコンが得ていた人の死はアドレを強化していたのだろう。
(ファルマコンとて、彼の一部だったのでしょう――)
 アリシスはじいとアドレを見た。アドレは納得できないと言った様子でアリシスを見ている。
「哀れだなんて」
「ええ、哀れでしょう? 人の世界には痛みがある。死がある。悲しみが、苦しみがある。
 その子達の様な死が生まれ、アドラステイアの如き人の悪徳を煮詰めたモノも生まれるでしょう。
 ……人の追い求める理想とは、そうした悲しみを、苦しみを、悪徳を減らしていく事です――他ならぬ、人自身の手で」
「僕は人間なんてそんなに高尚だと思わない」
「そこは、人それぞれの考え方です。少なくとも私は人の世界には可能性がある。理想があり、希望もある。
 何より、己の意思で未来を切り開くため運命に立ち向かう事が出来る。今、世界中で人々が滅びに立ち向かうべく手を携えているよう、と。そう考えているのですが」
 アリシスはふと天井を見た。真っ白に塗りたくられていたアドレの理想郷に僅かな罅が入った。
 この地は変化する。主要なる核たる存在の考えるものそのものに。
(……ああ、此処は作り物だ。神の国とやらは、成程確かに美しい。争いも、飢えも、苦しみも、なにもかもがない。
 それでも、美しすぎて、余りに悍ましい。人形の世界にしか見えない。『人』が居ない。『人』の居ないそこに『人』の理想は無いでしょう)
 アリシスは悩ましげに俯いたアドレを見詰めていた。ひょっとすれば、彼もただの人形であるのかもしれないのだ。
「貴方は、彼らのような子達の想いを抱えてきたんだね」
 正純は穏やかに微笑んでから弓を構えた。矢をつがえてぎり、と引き絞って撃つ。
 そのモーションは澱みもなく、命を奪う事にも慣れきっているようにも思えた。
「辛いよね。突然、なんの前触れもなく死んでしまったのだから。いきていたかったよね。
 ……でも、ごめん。恨みも、辛みも、痛いほどわかるけど。
 それは、今を生きる人達に押し付けていいものじゃない。彼らに、同じ苦しみを与えてはいけない。
 厳しい意見かもだけれど、死者は死者でいるべきなんだよ」
 正純は胸に手を当ててはっきりと言った。
「だから私が背負う。その怒りも、悲しみも、何もかも。
 アドレとそうすることを望んだように言葉を交わして、想いを聞けるだけ聞いて、私が全部背負っていく」
「……僕とも?」
 アドレの問い掛けに正純はにこりと笑う。
「勿論。アドレとも」
「僕は、イレギュラーズなら、正純が一番好きだよ」
「私もそう自惚れようかなとも思いました」
「けど……僕は正純と分かり合うことは出来ないと思ってる」
 そう言ってから彼は正純の手を取ろうとし――


「アドレ―――」

 オウカの声が聞こえてからスティアがはっと顔を上げた。
「何。オウカ」
「戯れが過ぎます」
 オウカが腕を動かした、刹那。
 レイチェルがオウカを睨め付ける。牽制する為に向き合うが早いか、一番に飛び出したのはスティアとサクラ、二人であった。
 元より『己そのもの』であるサクラと、その親友であるスティアは反応も早かったのだろう。地を蹴り飛び込んでいくサクラをオウカが受け止める。
 魔力の障壁はスティアが使用するものにも良く似ていた。サクラがぎり、と奥歯を噛み締めた。
「オウカ!」
「サクラ」
 同じ顔が二つ。ぶつかり合った視線に、顰められた眉と仕草までも同じ。
「本当に嫌になる! イレギュラーズにならなかったら、きっと貴女と同じような自分になってたって事が理解出来るのが何より嫌!」
「ッ――」
 オウカの目が見開かれた。その隙に、アーリアは「アドレ」と呼び掛ける。
「一つだけ先に言っておくわ。私は右手をルルちゃんに伸ばすつもり。なら、左では君にどう? お母さん、は先約が居るけれどお姉ちゃんなんてどう?」
 囁きながらもこっそりとした『おまじない』を施した。アドレはぱちくりと瞬いてからアーリアを見る。
 オウカが「アドラステイア!」と呼ぶ声だけが響いた。
「オウカ! 話し合いに割って入るなんて無粋だとは思わないかな?」
「いいえ。貴女は黙っていなさい、スティア・エイル・ヴァークライト!」
「黙らない! 貴女の思うことには私だって色々と考える。正義の所在だって、不安定だ。
 でもね、変わらない世界なんて存在しない。貴女だって1つずつ変わっているはずだよ。自分では気づいてないだけじゃないかな?」
「変わってなど――ッ」
 オウカの魔力が華のように開いた。サクラとスティアをそれぞれ『反対』にしたオウカとリスティア。
 その魔力を受け止めるように剣を閃かせたサクラが息を吐く。
「リスティアに対しても思う所はあるんじゃない? 親友の事はどう思ってるのかな?
 ちなみに私はサクラちゃんの事は大事だよ。唯一無二の存在だしね!」
「えぇ、勿論。私にとってもスティアちゃんはかけがえのない親友だよ!」
 親友という言葉にオウカは眉を顰めた。オウカとリスティアは『正義』の名の元に繋がっている。
 オウカ・ロウライトは正義の為に親友の心を慮ることを止めたのだ。父親を失った親友に「それは正義であるならば仕方が無い」と言い放ったのだから。
「ッ――……」
 オウカはすっと腕を降ろした。アドレは何事もなかった様子でオウカを背後に立たせたままイレギュラーズに向き直る。
「じゃあ、第二問だ」
 アドレはしずしずと後方へと下がったオウカを眺めてから問うた。
 理想郷。アドレは遂行者は誰しもが理想郷を心に秘めているのだという。カロルが作る理想郷は薔薇庭園だ。彼女の薔薇庭園は固有の結界領域ではあるが、あの場所で穏やかに過ごす日々こそが彼女の『幸福』を体現しているのだろう。
 アドレにとっては――それが問題だ。彼の理想郷は何とも遂行者らしくないのだから。
「これいついては、マリアには答えられない」
「どうして?」
 アドレは淡々と返事をするエクスマリアに些か興味を持った様子で身を乗り出した。
 エクスマリアは食い付いたアドレにぱちくりと瞬いてから少しばかり首を捻る。
「だって、理想の世界、などというものは、ない。何より先に世界があり、その中で自分の理想とするものを見出し、目指すのだから。
 初めから理想的な世界など、少しばかり豪勢な砂場遊びでしか、あるまい。
 ただ、あえて言うならば……綺麗事を、綺麗なままで実現できる世界のほうが、いい。なにせ、綺麗なんだから、な」
「そう。綺麗だからこそ、此処には意味がある。汚いものはいらないんだ」
 アドレはそう呟いてから足元の石ころを蹴り飛ばした。
「じゃあ、これはどうかな? 私が理想とする世界は皆が笑顔でいられる世界。
 理不尽な暴力で悲しんだり、誰かの都合で罪人に仕立て上げられたり、そういうのがない世界にできたらいいなって考えてるよ。
 子供から老人まで、皆で笑顔で幸せに暮らせる……そんな世界が」
「それは、他の遂行者の理想郷でも見ただろう?」
 スティアは「そうだね」と頬を掻いて笑った。確かに、そうした理想郷の世界は多かった。
 子供達は笑い合い、暴力もなく、正義の尺度を解くこともない。誰かの正義が誰かにとっては不正義などと云う事も無く誰もが笑い合って過ごしている。
(そう……遂行者の理想は痛いほどに分かる)
 スティアは目を伏せてから「けど、それじゃあ、難しいんだよ」と付け加えた。
「中には悪い考えを持つ人だっているし、貧富の差だって出てくるから皆が笑顔になれる事は難しいのかもしれない。
 でもそんな人達には改心する機会を与えたり、生活の支援をして少しずつでも良くできたら良いなと思う。
 自分達の努力で少しずつでも良くなっていく世界を眺めるのも良いとは思わない?」
「その間に、誰かが不幸になっても良いの?」
「うーん、都合の良いように改変すると一瞬で終わっちゃうでしょう?
 私は努力をしたい。過程は、そうだね、確かに……苦しい事が多いかも。それでもね、全てを一瞬で終らせれば新たな問題が出てくるかも、なんてね」
 アドレが難しい顔をしたその隣で寛治が眼鏡の位置を正してから手を挙げた。
「問題の前提を覆すようで恐縮なのですがね。私は『理想郷など無い』と考える人間なんですよ。
 簡単な事です。誰もにとって都合の良い世界など存在しない。誰かの理想は誰かの理想と衝突するからです。
 自分一人にとっての理想郷を考えたとしても、人の理想は不変ではない。流れ、移ろい、変質していく」
「その心は?」
 寛治は「おや、貴方はコレを受け入れますか」と呟いた。
「僕が質問した方だから、考え方は山ほどあると思ってる」
「ええ。説教臭い一般論ですがね。世界を変えるよりも自分を変える方が早いんですよ。
 費用対効果も遥かに効率が良い。理想の自分で在るには、快適な環境に居るには、己がそこに適応する方が早い。
 そういう意味では、より多くがこの選択を為し得る世界……具体的には、教育と社会保障の普及が答えなのかもしれません。
 ここまで語れば、逆のアプローチから見えてくる解もあるでしょう。
 人が全て、人で無くなれば良い。人がすべて居なくなれば、理想の衝突は発生しない。……けれど、ね」
 寛治は結論があった。
 それはアドレが言う『神様』を否定する事になる。
 この神様というのは難解な存在だ。それをルストと呼び敵だとして攻撃しても良いが、その攻撃が翻ればアドレやカロルの命を奪う。
 アドレもカロルも、ルストなくしては成り立たない。
 その様子を全て『理想郷』と呼んでいる様に思えてならないのだ。
 遂行者という手脚を求め――その手脚を利用しているようにしか。
「人はそれを、ユートピアではなく、ディストピアというのですよ」
 寛治がそう呟けばアドレは何も言うことはなかった。


「理想郷か。俺の理想郷は、『愛おしい妹が傍らにいる世界』だ」
 レイチェルにアドレは「妹?」と首を捻った。その眸は詳細を知りたいと言いたげである。ぱちりと瞬く彼にレイチェルは「そう、妹」と頷いた。
「……これも愛なのかもな。半身である妹が1度死んだ時、俺は喪失感や怒りに支配された。
 鮮やかだった世界から色が失せる様な感覚は分かるか?
 妹が実は生きてて、だけど俺を助ける為に死ぬって選択をしようとしていた。この悲しさは分かるか?」
「さあ、分からないな。僕には大切な人が居なかったから」
 アドレは胸に手を当てた。己は怨嗟と苦しみを寄せ集めた存在だ。故に、そうした悲嘆の種別が違って感じられるのだろう。
 レイチェルは「分からないなら、良いよ」と肩を竦めて微笑んで見せた。
 アドレに全てを理解して貰いたいわけではない。これは『レイチェル』という個人がアドレから向けられた問いに答えるための家庭でしかないのだ。
「俺はこの運命を定めた世界を呪っている。
 ……だけど、恨んでも何も生まないんよ。だから足掻く事にした、ギリギリまで。
 メリットは、只1つ。大切な人が側いる事。デメリットは苦難もある事。数多の苦難も、大切な人を喪う地獄より遥かにマシだ。
 家族愛、友愛。俺はそれを大事にしたい。
 ――妹も俺も何もしないと死ぬ運命、俺を生かす為に妹が命を差し出そうとしていた事を知った。故にこの理想郷を願ったンだ」
 レイチェルは左胸に手を置いた。心臓の鼓動は、何時だってそこで蠢き存在を主張している。どくり、どくりと音を立てて生を感じさせている。
 自身が生きる為に代償があるなどと、誰も望まない。誰もが幸せになる世界があれば良いと、感じてしまったのはエゴだ。
「……俺の解は以上」
 エゴであろうとも、そう感じてしまったのであれば仕方はあるまい。
 エゴという言葉に朝顔は「私も、そうかもしれません」と肩を竦めてから微笑んで見せた。
「嘗ての私なら『最愛が誰とも被る事なく、最愛の人から最愛を貰える世界』だろうけど……」
 それはエゴに溢れていたのだろうけれど、今の朝顔には存在しない記憶だ。だからこそ、フラットに考えることが出来た。
「今の私が望むのは『誰かの痛みに誰かが絶対に手を差し伸べてくれる世界』。
 メリットは『その痛みを誰かと共有する事で和らげれる』でしょうか。
 きっと手を伸ばしてくれる誰かが居るなら人は何とかなるはずだから。
 そうして乗り越えた痛みが誰かの痛みに共鳴して、また別の誰かに手を伸ばす……という廻りになればって。
 デメリットは『痛みそのものは消えないし、必ず救われる訳じゃない』事。
 手を伸ばされても拒絶する人が、誰にも理解されない痛みを持つ人だって居るから」
「全員が同じような痛みを持つとは限らない。僕とはきっと、分り合えないんだろうね」
 アドレはまじまじと彼女を見た。朝顔は「どうしてか聞いても?」と問う。
「僕の痛みを理解するなら……きっと、成仏って言葉はないんだよ、朝顔」
 朝顔はアドレを見詰めてから「分かり合うのも、難しいのでしょうね」と頷いた。
「では、ニルのものはどうですか? ニルの理想の世界、は……かなしくない世界。みんな笑っていられる『おいしい』世界」
「おいしい?」
 アドレはニルをまじまじと見詰めてからぱちくりと瞬いた。ニルはこくんと頷く。
 ニルは秘宝種だ。だからこそ、知らないことが、人とは違うことが多くなる。
「ニルは目覚めてから、かなしいこと、たくさんありました。
 伸ばした手は届かなくて、取り返したものが、もう一度目の前で奪われて……かなしいことをなかったことにするのも、たしかに理想なのかもしれません」
 ニルだって分かる。アドレの言う言葉も、アドレが体現したい者だって。
 それでも、ニルの世界では笑えないアドレの理想郷はくるしそうでつらくもなる。
「でも、ニルはいやです。ニルは理想郷に行きました。ニルのすきなひとは、子供の頃の姿で楽しそうに笑ってました。
 でも……その世界に、ニルはいなかった。ニルと一緒に遊んだ時間が、一緒に食べた『おいしい』が、なかったことになりました
 それがニルは……かなしかったです」
 出会わなければ幸せだなんて言葉があってもニルには『それはなかったこと』にしたくないのだ。
 確かにアドレとだって出会わなければ幸せになれたのかも知れない。そう思わないことはきっと無いだろう。
 それでも――
「ニルは、みなさまに会えて、いろんなこと教えてもらって、ごはんをたべて……戦って……今があるから。
 今のニルにつながるもの…アドレ様と会ったことも…ぜんぶニルのたいせつで、なくしたくないです。なかったことにしたくない。
 過去のかなしいはなくせないけど……『今』の先にある世界がニルの理想。なかったことにする神の国は、ニルはいやです」
「はは、それってこの場所の否定だよ」
 アドレが肩を竦め、オウカが睨め付ける。ニルはぴくりと肩を跳ねさせたヶ、其の儘言葉を続けた。
「アドレ様にも、アドレ様を形作る想いにも、ニルは笑っていてほしい。
 傷つけたくない。これ以上傷ついてほしくない」
「……言うよね」
 アドレはぽつりと呟いてから俯いた。そんなアドレに「アドレ」と呼び掛けてから正純は「まだ聞いてないでしょう?」とアーリアを見るように促した。
「理想の世界、ねぇ。考えてみたけど、思い浮かぶのって友達や好きな人、家族とお酒を飲んでる世界だわ」
「……」
 お前は何を言って居るんだと言いたげな視線を向けるアドレにアーリアは「えっ」と驚いた様子で声を上げて両手を振った。
「ちょっと、本気よ?」
「本当に?」
「ええ。あのね、その時の私はある時は友達と――そうね、ルルちゃんみたいな子ところころ笑ったり、好きな人に今日あった事を眉を吊り上げて愚痴を零していたり、いつも笑っているわけじゃなくて。
 ……きっと、楽しいことも、嫌なことも、こんな世界嫌! って思うこともある死んでしまいたい、って思うこともあったし、今もそう思ってる人が居る世界よ」
「それの何処が良いんだ」
「いいのよ。けどね、私は都合の良いことだけにしてみんな同じ、皆ぬるま湯な世界より、笑って、泣いて、怒ってる世界の方が、美しいと思うのよ」
 色々なことがあってこそが『人生』なのだ。
 カロルとはお互い悪い人を好きになったと笑い合いたい。アーリアはカロルとはそういう時間を過ごしていたかったのだ。
 それが恵まれていると言われたって仕方が無いとは理解していた。それでも、それがアーリア・スピリッツの在り方なのだから。
「私の理想郷は今のこの場所と大きく違わないよ。皆が皆を思い合って優しくする、そんな世界が私の理想郷」
「……オウカと大違いだ」
 アドレが呟けばサクラは肩を竦めた。後方でオウカが眉を吊り上げたからだ。
「でも一足飛びに理想郷を作ってはいけないと思ってる。悲しい事だけど、人間は当たり前にあるものは大切に思えない。
 だから皆が皆を思い合って、優しく出来る世界を少しずつでも皆で作っていく必要があると思うんだ。
 命があることを、平和があることを大切に思えない世界は、きっといつか悍ましいものになるから……」
「皆同じ事を言うんだね。過程で不幸になる奴が居ても良いの?」
 アドレの問い掛けにサクラは一度、間を開けてから向き合った。
「アドレ、貴方達の言う事もわかるよ。そんなものは綺麗事だ。辿り着ける訳がないって。
 ……辿り着けたとしても、いつになる事かわからない。100年や1000年ではきっと辿り着けない。
 実現される前に沢山の不幸や争いが起きて、犠牲になる人は沢山いるんだから。
 その犠牲になった人……アドレ、貴方のような人から見れば悠長にすぎる事はわかっている。
 私の理想はそうだけど、それを犠牲になった人に理解しろなんて事は、言えないよ」
 アドレもカロルも、そういう存在なのだろうとサクラは感じていた。
「でも、だからこそ思うんだ。
 貴方達を助けようと思う人が側にいたら、きっと結果は違っていたって。
 だから私は平和と命の大切さを理解して、手を差し伸べられる人になりたい……そして沢山の人が自らの意思でそうなって欲しい」
 サクラはゆっくりとアドレと視線を合わせて微笑んだ。
「そんな人達でいっぱいになれば、貴方も人の目を怖がらなくてすむと思うんだ」
 アドレは目を伏せる。サクラは正純を見てから「お姉ちゃんと、お母さんと、家族が居るってどうかなあ」と微笑んだ。
「家族……なのかは分からないけど」と正純は困った様子でアドレを見遣る。
「私の理想とする世界は、『人が何かに縋ったとしても、自分の足で立って生きていける世界』。何かに縋ることは悪いことじゃない。
 私が星に縋ったように、あの都市の子供たちがファルマコンに縋ったように、天義が正義に縋るように弱い人間は支える何かがないと立つことすらままならないからね。
 でも縋ったものを手放さなきゃ行けない時は来る。何もかもを自分で背負う時がくる。
 メリットは、一時でも楽に生きることが出来ること。
 ……デメリットは、いずれ厳しい生き方が待っていること」
 正純はもう、ただの女になった。
 星に祈りを、願いを込めて。眩いそれに手を伸ばし続けて――最後に失った。
 それでも、良いと思っている。
 此処に居るのは星巫女ではない、ただの女だ。
 何処にでも居る普通の女が、『何処にでも居る普通の少年』に声を掛けているのだ。
「だから私は他人の祈りも願いも否定しない。
 だけど、それだけを生きる全てにすることは絶対に認めない。
 だからさ、アドレ――貴方は何をしたい? 貴方はどう生きたい?
 貴方の生き方を、神様は決めてなんてくれないよ。聞かせて貴方が願うものを」
「僕には望みがないんだよ、正純」
 困るなら一緒に行こう。悩むなら手を引いて上げる。
 そうやって告げる正純も、アーリアも。アドレは首を振ってから「応えることはできない」とそう言った。


 朝顔は、アドレに直接声を掛けた。
(――セレスタン・オリオールって分かる?)
 アドレはゆっくりと顔を上げる。その眸とかち合ってからそれが肯定である事を受けて朝顔は言葉を続けた。
(……誰かが彼に手を伸ばしたなら、生きて救われたかな。私も救われるかなって)
(意味がわからない)
 アドレの眉が顰められた。その様子に不思議そうな顔をしたニルが首を傾げるがアドレは何事もなかった様子で目を伏せる。
(……意味、分からないか。うん。馬鹿だよね。記録を読んだだけ。会った事ないのに。記憶無いのに。
 余りに嘗ての私の痛みに似てたから、今も自分の様に痛くて、それに意味が欲しんだ……。
 聖痕を与えられて、人として死んでても、『迷わず殺してくれ』が本人の意思でも……生きて欲しいは間違いかな?)
 アドレは朝顔を真っ直ぐに見た。
「朝顔、僕は君に一言だけ言うよ」
 突然、彼女を名指しするアドレに正純が「アドレ?」と瞬く。
「聖痕を与えられたと言うことは、それを受けた者はそうなることを選んだんだ。
 誰かの選択を侮辱するというなら、僕はおまえが嫌いだ。僕はこの問いかけでおまえたちの選択が見たかった」
「うん」
 人として死んでしまったならば、それはアドレの連れる悪霊と同じではないか。
 アドレは酷く苦々しげに言った。その表情は何処か苦しげでニルは思わず胸が『きゅ』っとした。
「おまえが、言ったんだろ。すでに死んでいて、それが停滞で、少しでも転生する可能性があればいいって。
 おまえは、僕への答えを反故にしている。なら、僕はお前が『個人敵に聞いた問い掛け』にこう返すしかないだろ」
 少年のなりをしている。遂行者。己が誰かの骨をベースに作られ紐付いた不安定な存在であることをアドレは知っている。
 つまり――此処で子供達を、騒霊を殺せと選択させたのは彼等が遂行者相手にどの様に接するかを知りたかったからだ。
「僕らの聖痕はおまえ達の言う反転なんかより、更に強い盟約にある。
 これはルスト様の権能をこの体に受け止めると同じ事。……つまり、僕達に『命』があるなら、それをあの方に明け渡すのと同じ事だ。
 それは、おまえ達にとって生者と言えるのか? 盟約の下、彼の方が存在して居れば二度とは失われないこの命は本当に正しいと言えるのか?」
「そ、それは――」
 どう言うことだと言いたげに息を呑んだアーリアを見てからアドレは呟いた。
「僕はルスト様――いいや、ツロ様と生きていたい。あの人と一緒に居たい。
 だから、死にたくないって言っても、お前達は……僕を、ツロ様を、ルスト様を殺すだろう?」
 アドレは嘆息してから首を振った。言い過ぎた、と呟いてから項垂れて椅子へと腰掛ける。
 真白い空間は気付けばアスピーダ・タラサの――アドラステイアの中層を模していく。
「帰っていいよ」
「アドレ」
「正純」
「……アドレ、聞いたでしょう。貴方は何をしたい? どう生きたい? って。
 一緒に……行く? 私はね、迷っている貴方の手を引きに来たんだよ」
「正純」
 もう一度、告げる正純をアドレは睨め付けた。ああ、そんなにも力無く睨め付けたって、迷子になった子供の様で力も無い。
 正純はくすりと笑ってから「今は答えは無理かな」と問うた。
 背後のオウカが静かに佇み見詰めているだけだ。『何もしない』でいる彼女をサクラは睨め付けている。
「……今は無理なら、次で良い。アドレの言葉を聞かせて」
 正純はゆっくりと背後の扉に手を掛けた。その様子を見守って居たイレギュラーズ達は続く。
「良いんですか?」
「ええ。良いんです。あの子は……きっちりと自分で決めることが出来る子ですよ」
 そう呟いてからぱたり、と扉は閉まった。

「アドレ」
 呼ぶオウカにアドレは「呼び捨てするじゃん」と呟く。
「……選択肢なんて、ないでしょう」
「ないよ。聖竜の力を全部全部集めて使ったって、救えるわけもない。それに、遂行者を生かすためになんて使っちゃいけないよあんなの」
「それ以上は言ってはいけません」
「だって、それがなきゃ神の国の中ではルスト様には勝てな――」
 オウカはそっとアドレの口を覆ってから首を振った。もごもごと唇を動かしていたアドレがオウカを見上げる。
「意外だ。僕の事、告げ口してツロ様に処分して貰うかと思った」
「私も聖職者ですから。……ね、アドレ。サクラが言って居たでしょう。
『きっとイレギュラーズじゃなかったら、私と同じような自分自身になって居たって理解出来る』って」
「……うん」
「私がイレギュラーズだったら、あの子のように誰かを親友だと叫んで、揺るぐことなく綺麗な言葉を言えたのでしょうか」
 オウカはそう呟いてから「何となくですよ、次はありませんもの」と微笑んだ。
 そうだ、もう時間はない。
 ――あの人は怒っている。
 ――あの人は、もう『決断をしろ』と言っているのだから。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

お疲れ様でした。

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