PandoraPartyProject
誘い
使用人も、家財も、ほとんどを引き払って久しい。
セレスタン・オリオールは、唯一過去の栄光の残滓といってもいいしつらえの良い椅子に座り込んで、ゆっくりと息を吸い込んだ。
オリオール家の、一室である。
掃除は行き届いていたが、ほとんど手入れはされていないらしく、さみし気な印象を与える邸宅だった。
言葉を選ばずに率直に言えば、オリオールの家は落ちぶれた。
かつて、冠位魔種(ベアトリーチェ・ラ・レーテ)との戦いの際に奸臣どもの策にはまり、象徴ともいえる聖盾を奪われたばかりか、セレスタン自身は不正義の烙印を押され、結局決戦の時までにはせ参じること叶わなかった。
故に、その不正義が撤回されたのちも、彼の手元に聖盾は戻らず、そしてそれまで恣にしていた名誉も、信仰も、すべてが失われていた。
未だ聖騎士として騎士団に在籍していることが、手厚い温情であるともいえる状況である。
遺されていたのは、身寄りがないゆえに行き場のなかった幼い従騎士、ジル・フラヴィニーのみといえた。
空っぽでがらんどうの栄光(じしつ)にいれば、時折、リンツァトルテがうらやましくもなる。
かつてコンフィズリーの不正義に貶められ、地を這う存在だった彼は、今や聖剣の英雄だ。
彼と私の何が違うのだ、という、黒い思いがにじみ出なかったといえば、それは嘘になる。
セレスタンは真っ当な人間ではあったが、あくまで人間であるのだ。
心まで純白でい続けられる人間などは存在しない。必ずどこかで、心の隅に黒い膿が生まれる。
それは健全な精神状態であるといえる。人間である以上、必ず逃れられぬ、カルマとでも言うべきもの。自分の中の暴力性や嫉妬性。必ず、誰もがそういうものを抱いていて、どうにかこうにか、折り合いをつけて生きていくしかない。
だが――セレスタン・オリオールという人間は、真面目に過ぎた。敬虔にすぎた。潔癖に過ぎた。自己に厳しすぎた。
リンツァトルテという、自分と鏡合わせのようにすら思える人間に対する、嫉妬。その想いを、抑えることができず、それを、たまらなく『不正義なことである』と思い悩んでもいた。
リンツァトルテ自身は、セレスタンの事を詳しくは知るまい。お互いの家の交流があったのも、父の時代までだ。そうなれば、子である彼らにほとんど接点がないのも仕方があるまい。
それが、余計に、セレスタンを惨めな気持ちにさせた。対等か、友であれば、違ったかもしれない。彼はこちらのことなどを、『見てすらいないのだ』。気にしてもらえていたならば、いくばくか楽であっただろう。嫌悪してくれていたならば、どれほどに楽であっただろう。
これは、セレスタンという人間が、勝手に抱き、勝手に悩み、勝手に嫉妬した、それだけの、個人的で、醜く、あまりにも人間である、当たり前の感情であったが。
それは――あまりにも『真面目に過ぎる』セレスタンには、許容できない大罪のように思えていた。
「――――」
たまらず、息を吐いた。
セレスタンの心をざわつかせていたのは、何もみじめな現状だけではない。
聖盾を持った遂行者が、現れたのだ。
それは、サマエルと名乗る仮面の男であり、その仮面の下の素顔は、セレスタンと全く、同一のものであったのだ!
原理はわからない。理由も、真意も。
だが、根拠はなくとも、何か確信めいたものが、セレスタンの胸中に浮かんでいて、それは間違いなく、彼は、私である、という、それが確かな真実であるのだと、強く叫びたてていた。
たまらなく、苦しくなる。サマエルの背負う、純白という、かつてあこがれた正義の象徴。白亜の聖都を守る、聖騎士の色。正しき人間の色。絶対正義の色。
彼の言葉が、思想が、まるで染み入る様に、セレスタンには理解できるような気持だった。無論、『彼らは、敵である』という思いは、間違いなく合った。それでも、まるで侵食するかのように、サマエルの言葉が、視線が、自分の心をじわじわと濡らしていくような気持になっていた。
「正義。絶対的な、正義。本来あるべき――」
私、とつぶやけば、それは甘美な果実を口に含んだような気持になった。サマエルとは、間違いなく、セレスタンの理想に違いなかったのだ。
正しき人生を歩んできた、私。間違いのない人生を歩んできた、私。聖盾を失わなかった、私。英雄である、私。
思い浮かぶそれは、悔恨と怨嗟である。何故、自分はこうなっているのか。こうなるさだめであったのか。
間違っている、という、何か、不安めいたものが、心に浮かんでいた。
正さなければならないという、確信めいたものが、心に浮かんでいた。
だまされるな、と、理性がそれを拒んでいた。
でも、今が間違っていて、今が正しいという、『理想』が、彼の思考を蝕もうとしていた。
……『歴史修復への誘い』。
ある種、魔の呼び声じみたその声は、彼の心を、少しずつ、しかし確実に、蝕みつつあった。
汚れたあなたは幸福である。
神は綺麗なものより、涙を流したものを貴ぶから。
泥にまみれたその衣を、正しき心にて純白へと洗い流すからである。
――聖フィネガンによる洗礼の一説より。
※天義、海洋方面で遂行者の行動が続いています――天義は対応に動いている様です。
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