PandoraPartyProject

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Zuchtigen

 ――月の砂漠に夜が降る。

 吸血鬼ファティマ・アル=リューラはそう述べた。
「厳密には大分違うけれど……そうね、答えを偉いわ、こっちへいらっしゃい」
「ん……」
 天義に伝承される魔種であり、吸血鬼(ノスフェラトゥ)にして月の王国の『剣客』であるレディ・スカーレットは、ファティマを抱き寄せて、優しく頭を撫でてやった。
 一方のファティマは元幻想種の奴隷であり、烙印を経て吸血鬼(ヴァンピーア)となった存在だ。本来の主は王国の女王であり、出自の異なるレディ・スカーレットに懐く言われはないのだが――

 そんな月の王国は、ラサの鏡映しのような存在だ。
 カーマルーマなる遺跡からの転移陣の向こうに存在し、永遠の夜の中に満月を抱き続ける歪んだ場所。
 そんな空間――偽の王国は、今や滅びの過渡にある。
 頼みの頭脳であるアレイスターは赤犬に斬られ、イレギュラーズによって多くの吸血鬼が傷を負い、侵入を阻む大結界すら破られてしまっていた。
 剣の寵姫、女王の侍女にして側近であるエルナトとて半死半生に近い。
 では肝心の女王リリスティーネはどうしているのか。

 リリスティーネは暴君である。
 幼く些細な我儘や嫌がらせに始まり、暴力や粛正を無軌道に繰り返してきた。
 おおよその人々が悪と断じる行為を、何の躊躇いもなく行う。
 かつての世界『宵闇』でも、この世界『混沌』でも。それは何一つ変わらないはずだった。

 ――悪事の定義とは何だろう。
 規範への違反か。
 それともモラルの逸脱か。
 あるいはその両方か、複合か。
 夕食前にパンケーキをねだるなんて、単に諭せば済むことだ。
 重い洗濯物を担いだ侍女の膝を面白半分に蹴ったなら、二度とやらぬよう叱ればいい。
 だが奴隷となった哀れな幻想種の少女が、粗相を働いた瞬間に首をはねるならどうか。
 忠実な僕となった吸血鬼の胸を、気まぐれに抉り抜くならどうか。
 リリスティーネはひどいきかん坊だった。
 抑えというものがなかった。
 見た者は軽蔑し、やがて恐れる。
 ある種のカリスマ性さえ帯びていたともされている。
 リリスティーネは紛れもない悪だった。
 そんなはずだった。

 接見の間、その豪奢な玉座でリリスティーネは足を組んでいた。
 前にはイレギュラーズとの戦いで重傷を負ったエルナトが、ひれ伏している。
 満身創痍で拳を絨毯へ打ち、頭を垂れ、臣下の礼のまま震えている。
 エルナトはひどく寒かった。
 自身の報告と、主の反応に怯えている訳ではない。
 身体から零れすぎた花びら――血がほとんど残って居なかったからだ。
「申し訳ございません。このエルナトへ罰をお与え下さいますよう、どうか」
 絞り出すようなか細い声は、今まさにエルナトの命が燃え尽きようとしていることを示している。
 単に『なかなか死ねない』だけだ、吸血鬼というものは。
 エルナトはリリスティーネを愛している。
 リリスティーネはエルナトを弄んでいる。エルスという名と似ているというだけの理由で。
 それが本来における両者の関係であり、けれど両者はそれを互いに良しとしていた。
 リリスティーネは苛烈な性格であり、賞罰を厳密に適用する。
 しかしこのところ、どちらも与えようとしなかった。
 まるで感情が抜け落ちでもしているかのように。
「そんなことより、乾いたわ」
「ご用意も、難しく……」
 王国にはラーガ・カンパニーが用意した多数の幻想種奴隷が居たはずで、吸血鬼の食料だった。
 だが今や、多くがイレギュラーズによって救助された状態である。
 そもそもここへイレギュラーズが踏み込んでくるのは、時間の問題だった。
 賞罰だの食事だのと悠長を抜かしている場合ではないはずなのだが――
「貴女が居るじゃない」
「……!?」
 血を吸われるのは甘美な賞だ。
 失態を繰り返すエルナトが賜るべきものではない。
「しかし」
「ほら、はやく」
 惨めな罰こそが相応しいというのに――エルナトが身を寄せる。
 指が首を這い、髪が払われ、唇と舌が撫で――鋭く痛んだ。
 やがて痛みはじんと鈍り、甘い熱と脱力と、それから恍惚がやってくる。
「……リリ様」
 焦らされてすらいないのに、吐息交じりの声がはしたなく熔けている。
 いやずっとずっと『焦れてはいた』のだ。
 エルナトは長いこと、賞も罰も賜ってはいなかったのだから。
 もう何もかも、どうでも良かった。
 このまま吸い尽くされ、滅びることこそ本懐とも思えた。
 心が晴れていく。
 主へ身と心の全てを捧げることが出来るのだと。
「あっは、変な味ね。そうだ、貴女も乾いているでしょう」
 花びらまみれの口元をほころばせ、主が首を傾ける。
 主の言葉、その意味を咀嚼する。
 吟味し、逡巡する。
 理解した瞬間、心臓が早鐘を打った。
 まさかの事態だ。
 偉大なる純血種(オルドヌング)の姫君の血を、混血種(ハルプ)風情の下僕が賜るなど。
「いけませんリリ様。そのようなご無礼など、とても――」
「どうして?」
 言葉を被せたリリスティーネが、しゃなりと身を寄せてくる。
 道理も根拠も原則も、全てが抜け落ちてしまったのか。
 けれどエルナトは血を流しすぎていた。乾ききっていた。誘惑に逆らうことが出来ない。
 この後に及んで生にすがりつく自身を浅ましく感じた。
 けれど抗うことなんて出来はしなかった。
 主の首に牙を突き立て、背徳の赤い蜜を味わう。
 全身が震える。甘やかな悦びが溢れる。
 抱きしめれば、体温を感じる。
 甘い香りは濃く、僭越にも、あまりに愛おしく。
 徐々に柔らかく伝わる湿度に、胸奥の疼きがとまらない。
 ひとしきり夢中になっていると、リリスティーネが耳元へ唇を寄せる。
 腕の中で呟いた。

 ――呪われろ。

 エルナトは、総毛立った。
 主の声ではなかったと感じた。
 まるで呪縛のような、それは。
 けれどエルナトにはもう、この甘い破滅だけで充分だった。

「私(リリ)は私(呪縛)よ、エルナト。そんなことよりも、大切なのは……」
 やっと来てくれる。
 これで、やっと。貴女(寵姫)なんかじゃなく。
 真に偉大なる王に、私のことを。

 与えられた権力を振りかざしてみた。
 誰かの大切なものを奪ってみた。
 気に入らぬことへ身を焦した。
 怒り狂い何かを傷つけた。
 許されぬ情に耽った。
 衝動に身を任せた。
 全て投げ出した。

 七つ罪の全てを犯してさえ、それ以上を続けてさえも、軽蔑だけを感じる。
 どうにもならない呪縛に、絡まり蝕まれていく。
 それがきっと、終わってくれると。

 ――
 ――――

「戦には勝ち筋というものがあるわ、ファティマ」
 貴賓室のソファでファティマを撫でるレディ・スカーレットの声音は諭すようだった。
 王国は最早、死に体だというのに。
「この空間を接続し、砂の都へ落としましょう」
「……ん」
 ファティマが甘えるように、スカーレットの膝へ頬をすりつける。
「接合と転写、歪曲、あとは時間へのアプローチ。『司祭』も喜ぶわ、なによりもあの――」
 スカーレットは賓客である。
 剣客(用心棒)とされているが、それだけではあるまい。
 おそらく『博士』に何らかの技術なりを供与し、見返りを得ているはずだ。
 目的は不明だが、危険な第三勢力の一角であることだけは間違いないだろう。


 ※ラサ決戦の時が刻一刻と迫っています――!
 『月の王宮』攻略作戦の提示がなされました


 ※天義騎士団が『黒衣』を纏い、神の代理人として活動を開始するようです――!
 (特設ページ内で騎士団制服が公開されました。イレギュラーズも『黒衣』を着用してみましょう!)

これまでの覇竜編ラサ(紅血晶)編シビュラの託宣(天義編)

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