PandoraPartyProject

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月下の誓い

 細い金鎖と薄絹ばかりを纏う美しい少女――幻想種の乙女が指でデキャンタの口を示している。
 手首から指先へ一滴一滴と、赤い雫がガラスの中へ落ちていく。

 蝋燭も灯もなく。
 月明かりと、宝珠が放つ燐光めいた輝きだけが包む室内は暗い。
 幻想種の少女はテーブルの銀盆へ、しどけなく寝かされている。
 少女の瞳は力なく、輝きを失っており、何かへ完全に屈服しているようにも見える。
 異常な光景ではあるが、これが月の女王――リリスティーネの食卓だった。
 侍女にして寵姫であるエルナトが、デキャンタから杯へと赤を注ぐ。
「……こちらを」
「ふうん」
 白金に飾られた硝子のゴブレットへ口づけしたリリスティーネは、陶酔の表情を隠そうともしない。
 以前ならばもっと凛としていたはずなのに。
「姉妹共々、悪くない味ねえ。いいこと、最低でもこの程度の質は確保なさい」
「承知いたしました。ラーガ・カンパニーへはそのように」
 アルティオ=エルムを始め、ラサなどの各地でさらわれた幻想種は、こうして月の王国の『食事』や、あるいは『実験材料』にされていた。
 運が良い者は烙印と共に吸血鬼(ヴァンピーア)へ連なる。
 運が悪い者は晶獣へと堕ちる。
 より運の悪い者の中には、その場で首を落とされたことさえある。
 血が極めて上質ならば寝所へ誘われ、首を噛まれるが、その場合は烙印が生じる可能性が高い。
 こうして血だけを採取される場合であれば、おそらくはすぐに血が薄くなり、廃棄となるだろう。
 他の吸血鬼の食事となり、多くは晶獣へと変貌してしまう。そうなれば戦場で使い潰されるか、あるいは再び、かの『博士』による実験材料にでもなるのだろう。
 気まぐれな女王は、使い捨てられる命の一切合切へ頓着しない。
 古来より、富める者にとって家畜や奴隷は財産である。
 当然その毀損は望まれないが、彼女の場合は違う。
 無論、悪趣味ならば破滅の鑑賞を楽しむのだろうが、それとも違う。
 否、かつての彼女であればそうした愉悦を感じても居たはずではある。
 だが今のリリスティーネは、何もかも無関心だった。

「それからファティマの失態についてですが――」
 エルナトは部下の失敗――イレギュラーズとの戦闘に敗北したことを切り出した。
 主は苛烈な性格だ。失敗を決して許さず、なじり、暴力を振るう。
 夜通しなぶり続け、最後に『次のチャンス』をくれる。
 エルナトは虐待されつづけていたが、それでも報告は怠らない。
 それが役目であり、義務であり、また誇りでもあるからだ。
 なのに――
(……)
「――食事の邪魔よ、エルナト。さっさと下がりなさい」
「いえ、私めにはリリ様の処罰が必要です」
「しつこいのは嫌。聞こえなかったの?」
「……かしこまりました」

 なぜだろう。
 どうしてだろう。
(リリ様、なぜお変わりになられたのでしょう)
 主は――リリスティーネは『またも』自身を罰して下さらなかった。
 中庭を望む渡り廊下を歩きながら、エルナトは下唇を噛みしめる。
 これまでであれば失態を犯したエルナトは、屈辱的な懲罰を受けるはずだった。
 賞は吸血、罰は虐待。
 エルナトはそのどちらにも依存している。
 賞――血を吸われる脱力感と喜悦は、何ものにも代えがたい。自身が必要とされ、主の一部となり、乾きを癒すともなれば至上の栄誉であろう。思い出すたびに法悦めいた陶酔を覚える。
 罰――身体中に爪を立てられ、噛み痕だけをつけられる屈辱は、まさに肉体的な悦びそのものであった。吸血してもらえない、あの焦れた胸中を思い返すたび、身体が震える。
 なのにここ最近の主は、何もしようとしない。
(……あの男が来たから? いえ、それともあの実験が?)

 自身の寝所へ戻り、エルナトは燭台を掴んでドレッサーへ投げつけた。
 けたたましい音と共に鏡が砕け、木がへし折れる。
 ジュエリーをなぎ払い、ヒールを蹴飛ばし、扇情的な下着も可愛らしいリボンも踏みつけた。
 それからクローゼットのドレスを引きずり出し、力任せに引きちぎる。
 足元に転がるリップからは、はらわたのように赤色が飛び出していたが――
 こんなもの、リリスティーネに見てもらえないのであれば、すべて無駄ではないか。
(……だれがリリ様を、あのように)
 ひとしきり暴れたエルナトはベッドへ横たわり、額へ手首を乗せた。
 自身は最早、リリスティーネにとって不要な存在なのであろう。
 焦燥に胸の奥が掻き毟られるような気がする。
 どうすればいいのだろうか。
 何をすればいいのだろうか。
 失態を取り戻せるならば、どのようなことでも――
(…………)
 ――そこではたと、エルナトは気付いた。
 方法ならば、あるではないか。
 たった一つだけ。
(……最悪)
 躊躇はあった。
 けれど数分迷った挙げ句に、ようやく決断する。
「ファティマ、いらっしゃい」
 エルナトが部下の吸血鬼を呼びつける。
 ほどなく美しいドレスの少女がスカートをつまみ、腰を折った。
「ごようはなに、あるじさま。へややばくない?」
「どうでもよろしい。それよりもはやく、私を噛みなさい」
「なんで?」
 エルナトは『宵闇』なる世界を出自とする旅人――吸血鬼(ヴァンピーヤ)である。
 故に今の混沌で吸血鬼となった者は、あの『博士』なる錬金術師が為した偽物であると考えている。
 そんなものになるなど、本来ならばエルナトのプライドは許さない。
 だがもはや、四の五の言ってはいられなかった。
 それにリリスティーネ自身も受けた施し、その残滓であるならばと思えば気分も違ってくる。
 第一にそもそも宵闇のヴァンピーヤたるものが、こんな世界の『旅人』などという括りに押し込められていることそのものが、不快であり理不尽であり異常なのだ。
 不快といえば、ファティマの態度もそうだ。
 元幻想種奴隷の分際で、たまたま運が良かっただけではないのか。
「はやくなさい」
「……わかった、いただきます」
「――っ」
 走る痛みは、リリスティーネから与えられる悦楽とはとまるで違っていたが――
 だが、これでいい。
 こうして自身に烙印を刻めば良いのだ。
 そうすれば少なくとも、もっと強くなることが出来る。

 ファティマが去った後、ひび割れた姿見を前に、エルナトは衣類をするりと落とした。
 虚ろな表情のまま、鏡越しの身体を見渡し――口角をつりあげる。
「ああ、リリ様……」
 首の左側に刻まれたコルチカムへ手をあて、陶然と呟いた。
「これであの御方――リリ様のすべてを、取り返してみせましょう」
 イレギュラーズはすぐにでも、この月の都へ攻め入ってくるだろう。
 城門を固めねばならない。
 結界を展開するのは、自身の役割だ。
 より強固な結界を、より強固な防衛網を、そうすれば主は再び振り向いて下さるだろうから。

 ラサ、月の王国にて何が動きがありそうです……。


 ※天義騎士団が『黒衣』を纏い、神の代理人として活動を開始するようです――!
 (特設ページ内で騎士団制服が公開されました。イレギュラーズも『黒衣』を着用してみましょう!)


 ※覇竜では『ラドンの罪域』攻略作戦が行なわれています――!

これまでの覇竜編ラサ(紅血晶)編シビュラの託宣(天義編)

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