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ぼくと私の花見事情
登場人物一覧
王都の喧騒から遠くもないというのに、この公園で日向を占めるのは人ではなく動物や虫、花たちだ。
様々な種類の花が咲き誇る公園で、森林の香へ身を浸しながらアレクシアは歩を運ぶ。
――懐かしくて、落ち着く。
野の美が生む空気を胸いっぱいに吸い込んでは草花を見つめ、木々の間を抜けていく。やがて彼女は広がる花園に辿り着いた。色彩豊かな花が風に踊る様は正に景勝。しかし今日のアレクシアは、風光恵まれたそこにもうひとつ、見覚えのある姿を見つける。
先日仕事で一緒になった少女だ。よく覚えている。
仕事の時は雑談もできなかったが、だからこそアレクシアの胸でとくとくと鼓動が高鳴っていく。
「未散君!」
少しだけ緊張を孕んで呼びかける。
すると芸術品と見紛うような小躯が振り向き――幾つもの彩りを宿す双眸がぱちりと瞬いた。
「……アレクシアさま。過日は、大変お世話になりました」
「こちらこそだよっ。わ、ここもお花がたくさん」
挨拶を交わした後、何気なくアレクシアが顔を寄せた先は、未散の前でたわわに動いていたダリアやマム。可憐なダリアと清らかなマムに、思わずアレクシアが鼻をすんと鳴らす。いい香り、と彼女が頬を緩めると、未散も倣って花へ近づいた。
「未散君もお花、好きなのかな?」
「はい。馥郁とした香気に、関心が有るのでしょう」
他人事のように応じた彼女へ、アレクシアが笑む。
「わかる! いい香りばかりだよね。あっ、見て見てリラが返り咲いてる!」
「本当ですね。寝過ごしたのでしょうか」
開花の時期を間違えたリラを未散がそう表現したものだから、アレクシアはふふと吐息で笑う。
「私もたまにやっちゃうかな。昔なんてしょっちゅう寝坊してたし」
未散が僅かに目を瞠る。寝過ごすだなんてうっかりな一面は依頼の時と印象が異なる。だからこそ。
「想像し難いです。アレクシアさまは、起臥を太陽と共にする印象がありましたから」
「そうなんだ??」
驚き通したとばかりに目を真ん丸にしたアレクシアの傍ら、未散はふと鮮烈な赤を目撃する。ケイトウだ。
伸ばした腕の、青透かす白とは住む世界が異なる赤。華発の季節は赤や黄の主張を強め、浅かった緑も染めあげてしまう――未散には、印象強く感じる色だ。しかし触るともこもこしていて、綿か布か、そうした物を思い起こす。
「おしゃれ、って花言葉があるんだよね」
ケイトウをふかふか指先で触っていると、アレクシアがひょいと顔を出した。
「おしゃれ……ですか?」
「雄鶏から来たのかも。ほら、コケコッコーって」
言いながらアレクシアが、手で鶏冠の真似をしてみせた。
明るさ溢れる彼女に未散は眦を微かに和らげ、確かにお洒落ですね、と応じる。
アレクシアはそこでポンと手を叩く。
「未散君、未散君、このあと時間大丈夫??」
きらきらした眼差しで尋ねられ、きょとんとした未散も漸う頷く。
「話し足りないし、喫茶店でお茶しようよ!」
向けられた厚意のひとひらを未散は両手で掬い上げ、零さぬようそっと指をたたむ。
やがて返事として未散が示したのは、ケイトウの向こうでお喋りに勤しむマネッチア。
アレクシアの表情が、ぱっと満開になったのも無理はない。
――沢山、話しましょう。
それがマネッチアの花言葉だから。
『
こういうとこ好きなんだ、と歌を口ずさむときの調子で、アレクシアが言った。
花を語らううちに辿り着いたのは、アレクシアお気に入りの喫茶店だ。
一見すると、白木と煉瓦でできた温かそうな民家でしかない。花咲き乱れるような豪勢な庭など無く、家屋が大きいだけで目立つ特徴もなかった。店とは思えぬ店構え――これが未散の第一印象だ。人込みを避けて静かに過ごすのなら、確かに良いのかもしれない。そう未散が考えを巡らせていると、得意げな顔のアレクシアが木戸を押す。
開いた先に広がっていたのは――。
「森……いえ、庭……でしょうか、此処は」
未散の発した声に驚きが混ざる。
真っ先に二人を出迎えたのは、恭しく
「こうした佳景を、絢爛、というのでしょうか」
未散が感心を表す度、だよね、すごいよね、とアレクシアの目許も綻ぶ。
緑の欄干が導く小路は、奥へ奥へと来客を誘う。芝生では白樺の枕木が、道端ではカタバミなどの野花が密かに店内を飾り立てていて、自然と未散の足取りも早まる。
彼女だけではない。右へ左へ移ろう彼女の視線は、共にゆくアレクシアをも楽しませた。そして。
「ここだよ、ここ。客席のひとつなんだ」
秘密めいた小路を抜けると、瑞々しい翠の珠玉と陽光が綾をなす、こじんまりとした空間に出る。
浮き立つアレクシアが席へ向かうのを見届け、未散は暫し眺め渡す。作り上げられた美はもちろんだが、未散の双眸を一層惹きつけたのは、中央で静かに時を待つ花たちで。
「花……」
ぽそ、と未散が呟く。
二人を待ち望む花弁を模した椅子の座面は、ややふっくらしていた。そしてティーテーブルもまた花を模っていて。
席に着いて間もなく、よくアレクシアが頂くという紅茶が運ばれてきた。
二人それぞれのペースで花のティーカップを手の平で愛で、紅茶の色を眸に映す。昇る香気を鼻孔で味わってから、ゆっくり咥内へ紅茶を運ぶと、こくりと喉が意識せず鳴った。熱が喉を通るときの感覚により生み出された音だ。
「おいしいっ」
吐息代わりに零したアレクシアの感想は、未散の耳朶にもしかと届く。
「はい。味は勿論ですけれど、お花を阻まない、澄んだ香りがします」
四辺で健やかに育つ草花の馨りもまた、紅茶の邪魔をしない柔らかさだ。
そこへ届いた料理に、わ、と大小二つの歓声が重なる。花の器で眠っているのは、やさしい色味のミニパンケーキ。「お好みで」と添えられた蕾を模ったシロップポットと、葉で丁寧に包まれたバターまでもが、店を彩る要素となっている。
未散が蕾を覗き込んでみると、黄金色のシロップが煌めいて見えて。
「……夢か物語の中にいるかの様、とは、こうした状況を云うのでしょうね」
心気が澄むのを覚え、まどろみそうな温かさの中で一言落とす。
「他にもね、いろいろあるんだ。ナスターシャムの葉っぱとお花が飾られたドライカレーとか」
アレクシアが以前食べたメニューを思い出しながら話していく。
彩りと見目が容易に想像できて、未散は両目をそっと細めた。
「お花も葉っぱも、ちょっとぴりっとしたり」
「食用の花、なのですね」
席までのアプローチで眺めてきた花を想起して、未散が唸る。
「観賞に留まらず、味も堪能できるだなんて、思いもしませんでした」
伏せた未散の目線は、己の腹部へ落ちていく。花の蜜を啜る鳥はいても。一片を巣へ持ち帰る鳥はいても。からだの中へ花を流し、溶かしていく鳥は多くないだろうと。そう馳せたのち、それにしても、と彼女は続けた。
「アレクシアさまが、此程まで花に明るいお方だとは、存じ上げませんでした」
もっと早く知っていたら。ずっと前に知っていたら。
――なんて考えてしまうのは、交流が浅かったが為かと、未散は自ら告げた言の葉に、不思議な気持ちを抱く。
「前はね」
ぽつりと囁いたアレクシアが、周りで咲く花からひとつ、梔子を捉えた。
「好きなあのお花も、見てきたお花も、名前すら知らなかったんだよ」
それを耳にし、未散の大きなまなこが瞬く。
「少々、驚きました。道中、アレクシアさまは深緑の出でいらしたと、そう伺いましたので」
「うん、そう思うよね。私もちょっとびっくりしたんだよ、そのときは」
思いがけず呼気で笑ったアレクシアの眼差しが、懐かしむようにティーカップへと落ちていく。
「当たり前にあると、結構わからなかったりするんだなあ、って」
揺らめくのは彼女の瞳ばかりではない。指先で遊ぶカップの内で、紅茶が波打つ。
もう随分と遠くへ来たように感じる。ほんの二、三年前まで自分を占めていた世界だったというのに。
「……アレクシアさまの知識は、イレギュラーズとなって以降、学び得たのですね」
花弁を一枚ずつ数えていくかのようなじっくりさで、未散が声の紙葉を繋げる。
「素晴らしく、そしてぼくにとって有り難いことです」
唇で言の花を咲かす未散の音は、平時と変わらぬ調子で紡がれた。
「ぼくだけでは、此処まで楽しめなかったでしょうから」
誰かと共有できることの大事さは、未散も知っている。名を紡ぎ、語らい、いつしか覚えた情の欠片と呼んで良いものか解らぬそれを、パンケーキと一緒に噛み締める。面差しは常のままに。
そうしてふたり、花言葉や逸話についての時間を過ごした。紅茶とパンケーキをお供に。
言葉を交わしていけば、鳥の遠音が合いの手のように聞こえて来たところでふたり、はたと気付く。
客席を照らし続けていたランプが、いつの間にか琥珀色の物へ切り替わっていた。すっかり
「また、遊びましょう」
そう言い出したのは未散から。
「うん、また遊ぼうね」
微笑み咲かせたのはアレクシアから。
続けて手を振り、それぞれの帰路へ着く。ふたりで育て始めたばかりの蕾を大事に、大事そうに指で摘んで一日の終わりへ向かう。心なし、何処からか梔子の馨りがする。喜びを運ぶ花の馨りが。
すでに待ち遠しいのかもしれない。期待しているのだろうか。
今しがた結んだ約束が、いつか花開くそのときを。