PandoraPartyProject

SS詳細

疵痕から芽吹くもの

登場人物一覧

シキ・ナイトアッシュ(p3p000229)
私のイノリ
ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)
咲き誇る菫、友に抱かれ



「……一体どうなされたのですか?」
 やがて訪れる宵の口と黄昏時の境、それより一歩早く黒の溢れ出る路地裏の一角。唐突な呼びかけに応じる人の姿は一つ。
 シキ・ナイトアッシュがその声に振り返る。西日の残滓が表情の判別を許さなかったが、それでも隠しきれない|紅玉≪ルビー≫のような瞳と、声で彼女は相手が誰かを既に見抜いていた。
 ヴァイオレット・ホロウウォーカー。|特異運命座標≪どうりょう≫として依頼に同行する程度の関係時々茶飲み友達。敢えて関係を挙げるならその程度。
 そんな、云わば「顔見知り」程度である筈の二人の邂逅――その切欠を語るために、砂時計の落ちた砂を一度戻す必要がある。


 他愛のない依頼だった。弟の無実を信じる姉が処刑寸前の彼を助けて欲しいという、そこここに転がる理不尽で当事者にとっては切実なもの。
 依頼の遂行の為に何人かの特異運命座標が招集され、その中にシキとヴァイオレットの二人がいた。常の通り作戦会議を終え、処刑場へと向かう。
 処刑人へと肉薄し斬り結ぶ役割をシキが、その隙に要保護者を安全な場所まで連行する役をヴァイオレットが担う手筈になっていた。彼女ら二人が動き出すタイミングは官吏が死刑に関する口上を終え、処刑人が斧を振り下ろすまでの決して長くない期間。
 事前の計画は何一つ綻びも欠陥もなかった。しかし何事も予想外は発生しうる。
 処刑人と相対する筈のシキが動きを止めてしまったのだ。僅か数瞬、だが処刑人が異変に気付き斧を振り下ろす手に力を込めたとあればその影響は計り知れず。
「……っ!」
 咄嗟の機転でヴァイオレットが処刑人に影を伸ばし、総ゆる苦痛で動きを封じる。その間に硬直が解けたシキが滑るように割って入り、哀れな死刑囚を救出することに成功した。

 成功した。とはいえ、万事解決とは言い難い。
 姉弟を無事再会させ任務を全うした後、シキは仲間たちの質問にあった。
「ごめんね、ちょっと足がもつれちゃって」
 疲れてるのかな、と苦笑いを浮かべる彼女に仲間達は思い思いの声をかける。心配するもの、笑うもの、手持ちの薬を分け与えるもの。不測の事態はあれ任務成功が幸いし、彼女の責を問う声は上がらない。
 ヴァイオレットはそのどの行動もとらなかった。隈のできた、お世辞にも健康そうには見えない眼窩で彼女の一挙手一投足を観察するだけ。
「今日は疲れたし、先に戻らしてもらうね。じゃ、また」
 そんな調子で家路へと踵を返すシキを皮切りに、仲間達も帰路につき始める。ヴァイオレットだけがシキの背中を見失わない程度の距離を保ちつつ後を追う。


 時の針を元に戻して、今。
 二人の間に漂う空気は剣呑と言うには程遠く、かと言って長閑と言えば嘘になる。不健康そうな双眸と薄ら笑いの双眼。警戒感を漂わせているのは薄ら笑いを受かべるシキの側。
「さっき言ったじゃん。ちょっと足がもつれちゃっただけ。なんでもないよ」
「……果たして本当にそれだけでしょうか。ワタクシの目と記憶が確かなら、貴女があんな表情をするのを見るのは初めてだと思うのですが?」
 シキの肩が僅かに震える。そう、そういう仕草もまたヴァイオレットの眼は見逃さない。
「……打ち合わせの時かな?随分と余裕なんだね」
「はて、打ち合わせと言及した覚えはありませんが」
 自覚はあるのですね、と畳み掛けるヴァイオレット。対するシキの表情は……相変わらずの笑み。この笑みは浮かべているのではない。貼り付いている。
 身に纏わりつく呪詛のような不愉快なものがその内に眠っている。ヴァイオレットの心内に好奇心と愉悦の情が沸く。
「……まあ、何にしても気のせいだよ。私が何かを気にするように見えるかい?」
 はぐらかすシキだが、追撃の手は緩まない。
「下手な嘘で御座いますね。職業柄大勢の人の『嘘』と『秘密』と『欲望』に触れてきたワタクシを騙せるとでも?」
 あの時――打合せの場で見せたどこか思いつめたような貴女の顔は、間違いなく『本物』で御座いました。他の誰も気付かなかったようですけど。
『本物』。その単語に反応するようにシキは一度だけ首を振った。それから長く深いため息を吐く。
「……昔を思い出したんだ」

 水宝玉の瞳、その奥の奥。光さえも届かぬ闇の底。澱みの中に沈めた絶望|≪ゆえつ≫が今日の目を見ようとしていた。


 宵の口、闇の入口。振ってもないのにざあざあと雨の音がシキの耳の奥で鳴り響く。
 注がれる紅玉の視線に隠しきれない期待の炎がともっているのを見ても、不思議と気にならなかった。
 さて、どこから語ろうか。その切り口を探るための間を置いてから、水宝玉の眼を持つ少女は語りだす。
「元の世界のこと、話したことあったかな?」
 ヴァイオレットは首を振る。「じゃあそこからだね」と苦笑いを浮かべるシキ。
「元の世界では、私の一族は代々処刑人を務めてたんだ。処刑人ってわかるかい?」
「意味するところが理解しているつもりです。罪人の罪を死で償わせる役割を負う方々、ということでよろしいですか?」
「正解だよ」
 つまるところ、人殺しの一族さ。そう言ってシキは笑う。相対する彼女の表情は、夜のようなヴェールで覆われ窺えない。
「随分と殺したよ。善人、悪人、どっちか判断が難しい人。命じられるがまま撥ねてきた」
 撥ねた数なんてもう覚えていない。そうシキは言った。十を超えた辺りで数えるのを止めたとも。
「処刑の命令はどなたがされていたのですか?」
「長、だねぇ。長の命令は絶対だったから」
 命ぜられるがまま撥ねてきた。その言葉に偽りはなさそうだった。紅玉の瞳は相変わらず、語り部の貌を真っ直ぐに見据えている。
「そんな生活が長く続いてきた、ある日のことさ」

 ――弟の処刑が決まったのは。


 雨がよく降る日だった。曇天は厚く重く空にのしかかり、晴れる様子はない。
 ざあざあとざわめきみたいな雑音ばかりが耳に残っている。混沌に来て大分時が流れたはずなのに、今でも明瞭に思い出せる雑音。
 罪人として連れられてきたのは、シキが生きてきた時間の大半を共に過ごした弟だった。手足を拘束され、ぼろ布と大差ない粗末な衣服を身に纏い、漂流物のように打ち捨てられたその姿はかつての彼の面影を残していない。抵抗する素振りはおろか、身動ぎ一つしない。声すら上げなかった。
 放っておけばそのまま死に至る。処刑を行う必要もない。そんな考えが、脳裏のどこかを掠めた。
「これより、処刑を開始する!」
 だがそんな一陣の希望、凡そ希望とさえ呼ぶに相応しくない願いさえ、長の宣告が無慈悲に吹飛ばした。
 処刑人はこれまで何度もそうしてきたように、そしてこれから何度もそうするように、ユ・ヴァーレンを振り上げた。
 鈍色の輝き。それは総てを一刀の下に斬り捨てた。
 処刑対象――ザクロ・ナイトアッシュの命ばかりではなく、処刑人シキ・ナイトアッシュの心までも。


 一連の話を、ヴァイオレットは微動だにすることなく聞いていた。シキはと言うと、普段の微笑みは鳴りを潜め、無表情に近い。
 夜の帳は既に降りきり、路地裏は相も変わらず誰もいない。横たわる静寂は無関心な第三者として過去の疵を浮かび上がらせる。
 重い沈黙が流れた。それを破ったのはシキ。その声色は、どこまでも「普通」だった。
「以上、さ。今回の依頼はその時と状況が似ていたからちょっと色々あったけどねぇ」

 ――もう終わったことさ。……終わったことなんだよ。

 これでいいだろ、もう言うことはないよと言わんばかりに踵を返すシキ。ヴァイオレットの眼に映るシキの顔は、薄ら笑いだった。
「最後にもう一つだけよろしいですか?」
「まだ何か用かい?」
 振り返らないシキだが、足は止めてくれた。話を聞くつもりはあるようだが、返事からは「さっさと終わらせてくれ」感が滲んでいる。
「確か、貴女の一族は皆宝石の眼をしていると、以前聞いた気がしますが」
「おや、物覚えがいいね。その通りだよ……。 で、それが何か?」
「その眼は察するにアクアマリンでしょうか。では弟さんの眼は……?」
 ヴァイオレットの質問に、彼女は答えなかった。代わりに首飾りを外した。ヴァイオレットに見えるよう翳したそれには、大粒のガーネットが埋め込まれていた。
「『これ』さ」
 この柘榴石が、文字通り弟——ザクロの「もの」であることを彼女は察したのだろうか。その疑問を口に出さないまま、シキの姿は路地裏の奥に溶けて消えた。


 二人が一人になった後の路地裏。闇の舞台星が躍る。
 残されたヴァイオレットは一人天を仰いでいた。
「はあ……。 全く、不幸だというのに何の面白みもない話でした」
 不幸を嗤う占い師。それは確かにヴァイオレットの一面だ。特に悪人の不幸なら彼女はなおの事愉悦に浸るだろう。
 だが善なるものの不幸をヴァイオレットは嗤えない。故の嘆息、故の苦悶。
 それが彼女のなりきれない「悪」であることに果たして気付いているのやら。その答えは知る由もない。
「……あんな笑顔で取り繕えていると、本当にお思いなのでしょうかねえ」
 去り際に見せたシキの顔は確かに薄ら笑いだったが、「いつもの」薄ら笑いではなかった。
 彼女は――あの子は自分の心の変化に気付いているのだろうか。気付いていて、気付かないふりをしているだけなのか。それはヴァイオレットにもわからない。優れた占い師でも見通せないものはある。
 その反面、断言できることもある。「終わった」筈のものはまだ生きている。そしてそれはいつか芽吹く時が来て、結実したものと向き合わなければならないときが来るはずだ。
 その時自分はどうするべきか。これもまた見通せない未来の話。
「……はあ」
 もう一度ヴァイオレットは溜息を吐いて、彷徨うように視線を空に向ける。

 中空で輝く星々が、ヴァイオレットには芽吹く前の種のように見えた。

  • 疵痕から芽吹くもの完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2020年08月29日
  • ・シキ・ナイトアッシュ(p3p000229
    ・ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470

PAGETOPPAGEBOTTOM