PandoraPartyProject

SS詳細

アムネシア・ネーベ

登場人物一覧

シラス(p3p004421)
超える者
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
蒼穹の魔女

 籠一杯に食材を詰め込んでアレクシアはシラスの家を訊ねた。慣れ親しんだその場所は迷うこと亡く辿り着くことが出来る。
 それでも待ち合わせにやや遅刻しかけたのは立ち寄った市場で目にした秋の実りが余りに魅力的だったからだ。食欲の秋とはよく言ったもので食いしん坊ではないけれど、秋の豊潤な実りはアレクシアの心を躍らせた。
 あれもこれもと手に取って商店の店主に勧められるがままに味見をしていれば待ち合わせ時刻を10分過ぎた所だった。足早にシラスの家へと向かいドアノッカーを握り締めた時、不意に扉が開いた。
「わ」
「そろそろかと思った。入って」
 顔を覗かせたシラスの視線は籠へと落とされている。アレクシアはついつい食いしん坊を発揮してしまった籠をまじまじと見詰めてから肩を竦めた。
「美味しそうでしょう?」
「ああ、びっくりした。あっちのマルシェでも見てきた?」
「うん。シラス君の家に来る途中だったから、見ていたら色々とオススメされちゃって……。
 このポティロンでポタージュスープを作っても美味しいかも! あ、イチジクもあるんだ。サラダにしてもいいかなあって」
 ウキウキとした様子のアレクシアを見てからシラスは可笑しくなって吹き出した。玄関から一歩も進まず籠の中身を見せてくれる様子はまるで押し売りだ。
 此れが美味しそうだった、あれも、これも。そうやって手に取るセールスガールさながらのアレクシアは扉の前で立ったままのシラスを見て、手許の林檎を一瞥してから――「あっ」と気付いた様子で頬が赤くした。
 ついつい可笑しくなってからシラスは改めて「入って?」と声を掛けたのだった。
「お邪魔します。あ、シラス君も色々と用意してくれてた?」
「勿論。料理をするなら準備しておかないとね」
「あ、ふふ……やっぱりシラス君はきちんとメインディッシュの材料も用意してくれるね。
 私の好みだけで作っちゃうと、野菜や果物だらけになってしまうから心配してたんだ。今日のメインは決めた?」
 籠をテーブルに置いて、食材を一つ一つ紹介するように取り出すアレクシアをシラスは「んー」と呟きながら見ていた。
 籠の中から堂々とした様子で姿を見せる食材達はまるでステージ上で主演舞台に向けて挨拶をする役者のようである。
 秋の魅力をふんだんに身に纏ったそれらを見詰めているだけでアレクシアはうきうきとして居るようだった。そんな彼女を見ているだけでもシラスは笑みを浮かべてしまうのだ。
「じゃあアレクシアがマルシェで獲得したトロフィーを使おうか。茸たっぷりのミートパイ」
「うん、いいね。茸達も屹度喜ぶよ」
「それは光栄だよ」
 早速調理をしようと微笑んだアレクシアにシラスは「色々と任せてくれよ」と肩を叩いた。
 アレクシアの料理レパートリーがシラス好みに対応したように、シラスも慣れない料理にも随分と馴染んだ気がするのだ。
 この家で暮らすようになってから4年。偏食だった頃と比べれば口に出来る食材が増え、料理の引き出しは随分と増えた。煮ておけば良い、焼いておけば良い、なんて言って居た頃が懐かしい位だ。
「それにしたって俺達は色々と食べる様になったよね。アレクシアも管元の野菜のフルコースじゃなくなった」
「それはシラス君にこそ似合いの言葉かも? おかげでテーブルも鮮やかです」
 胸を張ったアレクシアにシラスは「違いない」と頷いた。食材をキッチンへとエスコートしてエプロンを着けて二人並んで料理をする。
 食事の準備を鼻歌交じりに行なうアレクシアが完成品を差し出せばシラスはダイニングテーブルへと料理を運んで行く。先程まで殺風景な舞台だったテーブルは華やかな舞踏会そのもの。色とりどり、数々の品がお目見えだ。
「アレクシア、今日は何を飲む?」
 グラスを二つ手にしたシラスにアレクシアは「おまかせで」と微笑んだ。「了解」と一言返してからシラスは軽やかな足取りでドリンクとグラスを二つテーブルへと誘った。席に着いたアレクシアと共に「頂きます」と口にする。
「ん。これ美味い。店に出せるぜ」
「お墨付を貰っちゃったね。あ、これも美味しいよ。ポタージュスープも秋って感じだ」
 そういえばあの時食べたのは、なんてアレクシアは思い出したように言った。
 よく冷えたコーンスープを飲んだのも随分前のこと、あの時のサラダのドレッシングは何だったかな、なんて――アレクシアは喪った記憶をひとつひとつ丁寧になぞるように口にする。
 食事をしながらふと思い出したのは瓶詰めした草原と、小鳥だった。思い出したのはシラスの背後にあったチェストに飾られていたからだ。
 気分が晴れるようにとプレゼントした事。それから――星空の下で約束したことや海底遺跡でのこと。
(……あの時、シラス君はなんて言ったんだっけ。寂しいって言ってたような、気がする)
 もぬけの空になってしまった海底遺跡。御伽噺のようにアレクシアの中で思い出になって沈んでなくなることは寂しいとシラスは告げた。
 まさか「そんな異ならないよ」と笑ったアレクシア自身の事情でそうした記憶が泡となって溶けて消えるとは思ってもよらなかったのだ。
 大事な何かを忘れて、傷付けてしまう可能性がある。そう思ってから昔話をするのは苦手になった。それでも口から滑り出したのはこれまでの軌跡なのだから、確かに胸の中にそれは残っていたのだろう。
 それに、アレクシアの事情をシラスは知っている。受け入れると口にしてくれた彼ならば少しは心が落ち着くのだ。記憶の本を捲りながら話したって彼は嫌な顔一つしない。
(……ごめんね)
 本当に苦しいのは君だろう、とでもシラスは言うだろうか。覚えて居ないことは辛く、共に過ごした思い出の欠落は申し訳なくもなる。だが、こうなった選択は自身が選んだ事であり、それ自体に後悔はしていないのだ。だからこそ、気遣われたり悲しまれたりと言った空気がないのは心地良くもある。
 シラスはアレクシアの語る昔話に相槌を打ちながらサラダを口にした。彼女の記憶が溢れていくことにも不思議なことに随分と慣れてしまったのだ。
(……例え何を忘れてもキミはキミだよ。そう信じられる。君が変わることがないから)
 前を見据え、何時だってアレクシアはアレクシアだと思わせてくれるだけの信念がある。嬉しそうに笑う彼女の声を聞くだけでも「大丈夫だ」と思えるのだ。
 だからこそ、シラスはアレクシアの振り返りに欠落した部分があっても否定はしない、指摘もしない。ただ嬉しそうに聞いていることが出来るのだ。
「……こうして振り返ると、色んなところへ行ったよね。シラス君はどこか記憶に残っている場所とか、もう一度行ってみたいところとか、あるかな?」
「そうだな……。俺にとってはどれも特別だけどね、一つ選ぶならクロック・フラワーの洞窟かな。
 暗いから分からなかったかも知れないけど、人前で泣いたのはあれっきりだよ」
「ええと……」
 ぱちくりと瞬いてからアレクシアは記憶を辿るように瞬いた。
 何となく、その景色だけは覚えて射るような気がした。シラスは「ほら、あの冷たい空気が流れてくる鍾乳洞で」とその様子を言葉を選びながらもアレクシアに伝える。
 凍える空気は雪の貴婦人のため息とも囁かれる。その鍾乳洞がそう呼ばれたのは美しい貴婦人が着飾る氷色のドレスの裾を思わせたからなのだろう。
 内部は入り口付近のため息とは違い温かな空気が感じられ、鉱石の花が咲く。それらは時計を模し陽の光に穏やかに照らされるのだ。
「……覚えてないならこれだけはそのまま忘れていて欲しいぜ」
 冗談ぽく揶揄って笑う。アレクシアはその言葉でふと、思い出した気がした。そうだ、灯を消しても美しい鉱石の花が時を刻むあの場所だ。

 ――みんな死んだ後はどうしてるのかな。

 ぽつりと零されたその言葉は彼のものだった筈だ。薄くぼやけていた記憶が鮮明に蘇る。アレクシアは「あ」と呟いた後に気まずそうな顔をしたシラスを見た。
「思い出した?」
「うん。思い出しちゃったかも」
「あーあ」とシラスは笑った。『格好悪い』と呟いて少し拗ねた様子を見せたのもジョークだ。アレクシアが忘れてしまっていたって構わないとその言葉一つで示して見せたのだ。
 彼の優しさに感謝しながらも「思い出しちゃった」とアレクシアはもう一度呟いた。そうだ、あの時の彼は悲しげだった。
 あの時、彼は考えることを怖れていた。それでも脳裏にこびり付いた死という概念が離れないのだと。
 まるで幼い子供を見ているような心地であったのは、彼が所在なさげだったからだ。その時と比べればうんと背は伸びて少年は青年になった。
 長い時をゆっくりと辿るアレクシアは少女の儘であれど彼は大人になって行く――その差異が漠然と目の前に立ち塞がった気がしたのは『あの時』を思い出せたからだろうか。
「確か……そう……あの……死後の世界、だっけ」
「そう。死んだら何もなくなるなんて寂しいって言ってただろう?」
「そうだね。そう、そうだ。死後の世界がないなんて寂しいでしょう?
 だって、私はうんと長生きだから。もしかしたら、すれ違ってしまった人ともう一度手を取り合えるかも知れないもの」
 アレクシアは何時も通りに笑みを浮かべた。シラスはその笑顔を見て「そう、アレクシアは『前』と変わらないよ」と頷いた。
 あの時だってそうだった。彼女は今とそっくりの言葉を口にしたのだ。
「あの日、俺はさ、くそったれな別れ方をした家族のことを考えてたよ。アレクシアも知ってると思うけれど」
「うん。『それ』は知ってる」
「そう。だからさ、クソガキだった俺はそれはそれは捻くれてた。
 家族に何て二度とは会いたくないなって思ったけど……その時から変わったんだ。
 あの日から俺なりに胸を張れるように生きていくと決めた。やれることは全部やってきたつもり。
 もしまた家族に会えたら、その時は褒めてもらえるようにってね」
『もしも』があるのならば、変わることが出来たのならば、家族は褒めてくれるのだろうか。
 そんなことを考えたのは、あの時からだった。
 薄汚い力無いガキではない。幻想王国の勇者とまで呼ばれるようになった己が『蒼穹の魔女』と名乗り希望を夢見る彼女の隣に立てるほどの男になった。
 兄が抱き締めてくれた夕暮時は遠くなってしまったけれど一人で立っていることを認めてくれるようになったならば御の字だ。
 それから、今の『シラス』をあの時、唄を歌っていた母が見たならばなんと――そこまで考えてから首を振った。
 腹の底に沈んでいく冷たい感覚を振り払った。親の愛情など、一身に受けたこともなく夢に見るだけのものではあったが仄暗い感情が付き纏ってはいけない。
「シラス君?」
「ああ、いや……懐かしいなって」
「そうだね。あの時から色々とあったけど……」
 アレクシアのフォークがイチジクをつんと突いた。考え倦ねてからアレクシアは「色々と、あったけれど」ともう一度口にする。
 シラスはポタージュスープをスプーンで掻き混ぜてから「うん」とアレクシアへと頷いた。彼女が少し言い淀んだのは迷いがあったからだろうか。
「私達、随分遠いところに来て仕舞った気がしてたけど、案外まだまだ旅の途中だったのかな」
「その心は?」
 アレクシアはふとシラスを見た。背も伸びて、随分と立派になってしまった『男の子』。
 彼は沢山のことを乗り越えて、もしかするとアレクシアを置いて行って仕舞うのかもしれない――なんていうのはちょっとした感傷だ。
「なんだかまだまだ旅の途中で、振り返れば沢山のことがあるけど手が届いちゃう気がするし、目標は遠いかも知れないし。
 ねえ、シラス君は前に、やりたいことを為し終えたら何か言いたいことがあるって言ってた……よね?」
 朧気だったのは記憶が曖昧だったからだ。確か、そう言っていた『ような気がする』。大切な話なのに、欠落する記憶にアレクシアは申し訳ないと眉を下げた。
「言いたいことならあるさ、あるとも」
「本当? その話ってまだ生きてるんだね」
「勿論。あ、アレクシアが忘れたから、無かったことになったと思った?」
「まあ。そりゃあ、『私』も色々と忘れてしまっているから」
 肩を竦めたアレクシアにシラスはからからと笑う。そんな気遣いが出来るような言葉を用意しているつもりではなかった。
 シラスは「大丈夫だよ」と付け加える。不安そうな顔をしたアレクシアが「よかった」と胸を撫で下ろす様子を見てからもう一度、面と向かって「ちゃんと言葉は用意してる」と付け加えた。
「有り難う。でも、その時はまだ……かな? じゃあね、いつか言ってくれたら嬉しいな。『私』はきっと嬉しいとおもうから」
 シラスはふと、彼女を見た。その言葉はきっと本心だ。それでも、知っているアレクシアではない別人が俯瞰しながら告げたかのような妙な心地にもなる。
 彼女をじいと見詰めた視線に気付いたのだろうか、アレクシアははっとしたように両手をにぶんぶんと振った。
「……あっ、なんだかめちゃくちゃ他人事みたいな言い方になっちゃったけど、楽しみだってのはホントだから!」
「分かってる。大丈夫だよ。『どんな』アレクシアでも。
 でもさ、事件事件で、頭がいっぱいで考える余裕をなくしてたのも事実だと思う。君に伝えようとした言葉を用意してたのにね」
「うん。大忙しだったからね」
「ありがとう、アレクシア。ずっと頭の何処かが熱くなってた。今、冷静にもなれた気分だよ。約束するよ、いつかじゃなくてきっと伝える」
 ずっとずっと、熱した鉄板の上で踊り続けて居るような心地だったのだ。
 最初の目的は身を立てるため、忠誠心は二の次ではあったが、それ程冷たくもなりきれず――そうして渦に飲み込まれて無数の事件を熟している内に冷静さを欠いていた。
 体の中央辺りに燻っていた熱が、冴えていなくてはならない脳の常に熱し続けて居たような不快感が其処にはあったのだ。
 シラスがそう告げればアレクシアはにこりと微笑んでからついと小指を立てて差し出す。
「じゃあ、約束でもする?」
「はは、いいよ。約束しよう」
 幼い子供の様な小さな契り。小指を絡めて唄を歌う。そんな光景だって彼女は屹度忘れてしまうのだろうけれど――
 それでも良い。シラスだけがしっかりと覚えて居る事が出来たら良いのだ。あとでアレクシアには少しばかり脚色して伝えて揶揄ってもいいだろう。
 君はポティロンを切ろうとして包丁が抜けないって怒っていたよ、なんてちょっとしたジョークでも添えて。
 少しばかり驚いた顔をしてからアレクシアが「シラス君酷いよ」と笑った。
 そうやってずっと笑って居る事が出来れば幸せだ。君の笑顔は平穏の象徴だなんて言えやしないけれど。
「ほら、スープ冷めちゃうよ」
 今は穏やかな時を楽しもう。


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