PandoraPartyProject

SS詳細

庶幾う瓦礫

登場人物一覧

ヴァレーリヤ=ダニーロヴナ=マヤコフスカヤ(p3p001837)
願いの星
アレクシア・アトリー・アバークロンビー(p3p004630)
蒼穹の魔女

 鉄帝を焦土と化すが為、天より振り落とされんとした旭日の気配が消えた。長かった冬を終え、春を越えて夏を目前とした鉄帝国には芽吹いた若草の気配がようやっとやって来た頃だった。
 ギアバジリカに集った難民達は革命派の旗の下で立ち上がり、鉄帝国を救う一助となった事だろう。そうした危機が過ぎ去れど、鉄帝国自体が貧困を抱える国家であることには変わりは無い。継続的な支援を求めていることに違いは無いことからアミナを中心に、現在もクラースナヤ・ズヴェズダーによる貧民救済は続いていた。
 勿論、クラースナヤ・ズヴェズダーの一員であるヴァレーリヤも暇があれば貧民救済のためにと尽力をし続けていた。弱気を助く事、そして、己の力の使い方を誤らぬ事こそがヴァレーリヤにとっての重要視すべき『貧民救済』である。それは革命派とて同じであった。故に内部に爆弾を抱え続けることとなったが――
「今になってみれば、全てが落ち着いて丸く収まったことが奇跡のようだと思いましたの。あの子……アミナもああやって微笑んで、慕われるようになった。
 何時だって司教様を思って俯いていたあの時のアミナはもう居ませんのよ。それが何よりも喜ばしい」
「そうだね。何だか、あの時の事って大変で、もうだめだーって思ったりもしたけど……今になってみれば全てがきちんとピースを嵌めることが出来たような気もしてる。
 勿論、失われた命は尊いし……それを含んだ上での美談になんか、したくないけれどね」
 ヴァレーリヤは頷いた。手伝いに訪れていたアレクシアが抱えていたのは配給する缶詰や衣服だ。突如として気候が変化した事であり、涼やかな鉄帝国でも『夏バテ』になる難民達が散見されていた。食糧は夏に至れば備蓄することも難しく工夫が必要だ。そうした細かなケアには人員が必要なのだ。
「アレクシアも手伝ってくださってどうも有り難う。……一人一人の声を聞きたいと思うと、どうしても時間が掛かってしまいますもの」
「ううん。ヴァレーリヤ君の力になれているなら良かったよ」
 にこりと微笑んだアレクシアにヴァレーリヤは朗らかに笑みを浮かべた。ふと、アレクシアが顔を上げた。長い耳を有して自然との調和を好む彼女は幻想種である。
 故に、草花の声に耳を傾けることが多いのだろう。ぱちくりと瞬くヴァレーリヤに「もうすぐ雨が降りそうだって」と路端の花へと感謝を告げるアレクシアが顔を上げる。
「まあ、雨宿りの準備をしなくてはなりませんわね。皆に伝えに参りましょう?」
「うん。余り雨に濡れるのは嬉しくないことだし、雨の間は少し休憩するように伝えよっか」
 荷物を運び終えてから、目につく人々へと声を掛ける二人はぽつり、と地を叩いた雨粒に気付いてから屋根を求めて退避した。
 鉄帝国の動乱の際にダメージを得て、今は使われることのなくなった礼拝堂は現在は物置にもなっている。埃を被った椅子を掌で叩いてから「どうぞ」とヴァレーリヤが促せば「ありがとう」とアレクシアは微笑む。友人同士の時間をヴァレーリヤは何よりも大切にしていた。それは、穏やかな時を過ごす事を好むアレクシアだから、というのもあるだろう。
「アレクシア、疲れましたわね」
「そうだねえ。でも、頑張り甲斐があるって事だしね」
「ふふ。貴女ならそういうと思っていましたわ。アレクシアは何時だって頑張り屋さんですものね」
 そうかなあ、と頬を掻いたアレクシアにヴァレーリヤは頷いた。例えば、メフ・メフィートで空を飛びたいと願った時のことだった。
 鉄騎種であるヴァレーリヤは『飛行』という事には疎かった。過酷な吹雪に見舞われることのある居住地であったことから空からの視点を余り重要視していなかったのもあるだろうか。彼女から空を飛ぶ事を教わるときにだって、アレクシアはヴァレーリヤに懸命に教えてくれたのだ。
「ふふ、あの時、私ったら勢い良く飛び飛び出してしまいましたものね。ずっと真っ直ぐ何処までも行ってしまう私を追掛けてきてくれて――」
「……」
「アレクシア?」
「あ、ううん。そうだね、ヴァレーリヤ君は頑張り屋さんだから、確り飛べるようになったし、ほら、あの時見た幻想の街とか……」
 アレクシアの表情にヴァレーリヤは首を傾げた。何処か歯切れが悪そうに彼女は話すのだ。ああ、確かに、あの時共に見た幻想の街は美しかった。此処で高く飛べたのだと喜んだことだって覚えて居る。
「ねえ、あの時サンドウィッチを食べたのも感動的でしたわね」
「あ、うん、そうだね。たくさん練習したらお腹空くもんね」
 ヴァレーリヤは『また』と思った。しかし、それも随分と前のことだ。アレクシアの中で忘れてしまっていても仕方が無い。それでも、彼女が忘れるだなんて、思えなかったのだ。
「ヴァレーリヤ君とは色んな所に行ったよね。今日も、教会に忍び込んでいるみたいだし」
「ええ、そうですわね。忍び込んだといえば……ほら、あの時アレクシアは不安がっていましたけれど、一緒に見た空は綺麗でしたわね。
 アレクシアに是非見て欲しかったんですもの。去年は国があんな感じでしたからのんびり見ることは出来ませんでしたけれど、今年は――」
 あの夜に見たオーロラを。そう唇を動かそうとしたヴァレーリヤにアレクシアはぎこちない微笑みを浮かべるだけだった。
 初めて見たオーロラ。当然、アレクシアにとっても素晴らしい思い出である筈なのにそれが霞掛かってぼやけて見えるのだ。壮大なその光景を見上げながら、誰にも見つからないように忍び足で教会を後にしようとしたあの時のこと。
「……アレクシア? ひょっとして忘れてしまったかしら」
「えっあ、ううん。あの時の空は忘れられないね。……そう、オーロラ、だったよね」
「え、ええ……? あ、じゃあ、アレクシアのお誕生日をお祝いしたことは覚えて居るかしら。ケーキを用意して、皆で――」
 アレクシアの眸が見開かれた。美しい空の色だ、とヴァレーリヤは考える前に彼女の表情から悟ってしまった。それは記憶を『忘れてしまった』というよりも。
「アレクシア……あなた……」
 ヴァレーリヤの唇が戦慄いたとき、アレクシアの表情が悲痛なものに変化した。
 彼女は友人達との思い出を大切にしてきていた。それ故に、彼女が簡単に忘れてしまうと言うことなどないのだ。自身が手を下さなくてはならなかった相手の事も覚えて居るのだと宣言するような娘だ。日々の出来事も日記帳に記し、大切に、大切に――
「……いやあ、騙したかった訳じゃあないんだけど……」
 アレクシアは困り切った様子で肩を竦めた。心配を掛けたくはないという一心で限られた人間にしか伝えてこなかった。
 それは悪気があったわけではない。代償を支払うことになった己の身は『己の起こした事象でのこと』なのだから仕方が無いと割り切ってもいた。
 だからこそ『それ』を伝えるには勇気が要った。自分自身が祓う事になった代償は決して形がないものであり、どこまで支払い続けるものかも分からないからだ。
「……心配を掛けたくなかったんだ。
 でも、そうだね、バレちゃった、っていうと可笑しいけどきちんと説明したいと思うんだ……あのね、聞いてくれる?」
「ええ。アレクシアが教えてくれるのであれば」
 雨音だけが響く教会でヴァレーリヤはアレクシアの手を握り締めた。アレクシアは「何処から伝えようかなあ」とぼやく。
 躊躇いがちな唇は、深緑での出来事を辿り始める。アレクシアは深緑を冠位怠惰が襲った際に『兄さん』と呼んでいた自身の憧れの人と相対することになった。
 彼は理想に殉じ、そして誰かを護る為に反転を選んだのである。そんな彼を諦めることはアレクシアには出来なかった。それ以上に、誰かを救うために努力を惜しみたくはなかったのだ。
 命を惜しむわけでもない。命を蔑ろにしたわけでもない。どの様な代償を払ってでも魔種となった彼を連れ戻したいとアレクシアは願った――その願いは『半端』にだが叶えられたのだ。
 しかし、歪な奇跡には代償が付き物だった。その代償こそが、記憶の喪失である。ぽろぽろと毀れ落ちていく記憶がアレクシアが支払い続けることになる奇跡の代償の一つだった。
 大切に大切に抱えてきた思い出を『支払わなければ』ならないというのはアレクシアにとって、どれ程の苦しみであっただろうか。
 しかも、その代償に気付くまでにアレクシア自身でも『誰かに説明されなくては』分からなかったのだ。忘れてしまった、というよりも無かったことのように記憶に穴が開いている。ヴァレーリヤとの思い出だってそうだったでは無いか。アレクシアには『なかったこと』になってしまった思い出の数々が、アレクシア本人には分からない。
(……当人が忘れてしまったことさえ分からなければ、それはなかったことになってしまいますもの。
 さっきの話だって、私が気付かなければアレクシアにとっては曖昧な記憶であったり、無かったことになって居たかもしれない。それは、アレクシアにとって……)
 ヴァレーリヤはアレクシアの顔をまじまじと見た。説明をするその眸は不安ばかりが揺らいでいる。その不安を取り除くように何の言葉も挟む事無くヴァレーリヤは聞いていた。
「……ヴァレーリヤ君との思い出も、分からないことがあるんだ。どうやって私は一緒に過ごしたんだろう、とか。
 本当にまるっきり無かったことになって居るものもあったんだと思う。でも、ごめんね。私にはどうしようもないことで……」
 ゆっくりと、噛み砕いて自らの変化についてを説明するアレクシアの言葉に耳を傾けながらヴァレーリヤは唇を噛んだ。
「いいんですのよ。アレクシア……」
「ごめんね。心配かけちゃったよね。でもね、私はそれでも誰かのために戦い続けることは止めたくない。
 こんなことに、って言われればそうかも知れないけれど自分で選んだ事だし、自分が選んだ道だからこそ誰かのために戦う事を止めるつもりはないんだよ」
 アレクシアははっきりとそう告げた。ヴァレーリヤは目を瞠る。
 ああ、そうだ――あの奇跡は、あの『誰もが願ったが為し得なかった事象』は確かにアレクシアが選んだ道だった。ヴァレーリヤには決して介入出来ない『命を賭けた奇跡』だ。
 だからこそ、アレクシア本人がそうと決めた以上はその決心にヴァレーリヤは水を差したくはない。
 アレクシアは言う――『誰かのために戦う』というアレクシアの行動理念を、自身の決意を、アレクシアが戦う理由を喪ってしまえば、本当に自分ではなくなってしまう、と。
 記憶がその個人を認めるために必要な要素だとしても、アレクシアは新たな思い出を作っていくことを選ぶのであろう。
「……分かりましたわ。貴女、こうなったら意外と頑固ですものね」
 ヴァレーリヤが肩を竦めて苦い笑いを浮かべればアレクシアはほっとしたように胸を撫で下ろした。
 黙っていたことを糾弾される可能性だってあった。ヴァレーリヤが今、そうしなくとも、内心でどう考ええどの様に感じるだろうかという事ばかりをアレクシアは考えていた。
 彼女はそんな人ではない、とそう思いながらも決定打に欠けたのは記憶がぽろぽろと毀れ落ちていくからだ。
 だからこそ、自身が知っているヴァレーリヤと、今のヴァレーリヤの反応に相違がなかったことがアレクシアにとっての何よりの救いでもあった。
「でも、一つだけ約束して下さいまし。危なくなったら、ちゃんと言うこと。私達、友達でしょう? 心配くらいさせて頂戴」
「……うん、有り難う」
 アレクシアは小さく頷いた。そんな彼女の手をぎゅっと握ってからヴァレーリヤは笑う。
「忘れてしまったのならばこれからがありますもの。ほら、秘密のお話をしたという思い出が増えましたわね?」
「あはは、そうかも」
「ええ。それに、これから何をするかも、屹度大盛り上がりですわー! さあ、行きましょう? 雨が止みましたもの」
 ヴァレーリヤは立ち上がってからアレクシアの手を引いた。教会から外へと出たとき、ヴァレーリヤが「アレクシア!」と呼ぶ。
 眩い光に思わず眼を細めていたアレクシアは空を指差す彼女に釣られて顔を上げてから「わあ」と小さく息を漏した。
 雨上がりの空へと掛かった虹を見上げてヴァレーリヤは「思い出がひとつ、増えましたわね」と朗らかに微笑んで見せた。


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