PandoraPartyProject

SS詳細

アナトラの剱

登場人物一覧

ブルーベル(p3n000260)
リュティス・ベルンシュタイン(p3p007926)
黒狼の従者

 勿忘草の開花は4月頃なのだそうだ。その色彩は花に因み、勿忘草色として呼ばれることがある。
 リュティス・ベルンシュタインがその花を思い出したのは手にしていたダガーの手入れをして居るときのことだった。
 勿忘草の色の宝石が嵌められたダガーはよく手入れされている。リュティスが手にするより前の段階でも、使い古して居るであろうダガーは色褪せることなく少しの汚れもきちんと手入れして長く使うことを考えて居たことが分かった。
 二本セットの片割れを、リュティスは見たことがある。それはこのダガーの持ち主であったブルーベルの幼馴染みが手にしていたものと同じだったからだ。
(……リュシアンとブルーベルで、ジナイーダの色に因んだ剣を手にしていたのですね)
 真偽は定かではないが、あの二人ならばそうした品を分け合っていても違和感はない。
 リュシアン、ブルーベル、そしてジナイーダはラサの出身であったという。最も、ジナイーダはラサの商家に生まれ、ブルーベルとリュシアンはそれぞれジナイーダの生家に居候や半ば養子の状態で共に過ごしてきたと言うが。
 ブルーベルから詳しく彼女の事を聞いたわけではないが、察することは出来た。ブルーベルにとって、ジナイーダは理想だった。
 当たり前の様に恵まれて、当たり前の様にそれを享受して、汚いものも苦しいことも何も知らない誰からも愛されるよう少女の理想像。それでいて、偏見もなく誰に対してでも手を差し伸べることの出来る心根の優しな娘。
 偏屈で、常に厭世的であったブルーベルとは天と地のような、と底まで考えてから首を振った。
 リュティスとブルーベルが関わったのは、ブルーベルが生きてきた時間にすれば僅かなことだっただろう。彼女の全てを知っているわけでは無い。
 それでも、彼女の事を思えばこそ心に重く伸し掛るものがあった。自らの手が、彼女の命を奪ったことをよく覚えて居るからだ。

 ――あんたも、止めろよ! 止めろ、奇跡なんて乞わないで……こんなあたしの為に、命を削らないで。

 あの悲痛な泣き顔が、頭に張り付いている。
 あの様な経験、二度とはしたくないと思えるほどにリュティスにとって己の心を揺らがす事でもあった。
 リュティス・ベルンシュタインと言う娘は殺す事に何も迷うことがなかった。
 主のためならばどの様な者の命をも奪うと決めた、それが恩義であり、忠義であると理解していた。
 主は、何も言わなかった。心の行くままに進めと彼は優しく笑うのだ。極端なほどに心の揺るがぬ娘の変化を察して居たかのように。
 屹度、それだけではないのだ。他者に理由を求めてはいけないと分かりつつも伽藍堂の心を埋めるものがないことを察して居た。感情が動かなければ、
 リュティスは自らが良く戦闘に使用する仕込みナイフを見た。魔力で矢を番える宵闇の弓を見た。
(……Bちゃん様……)
 彼女は、奇跡と代償なくしては起らないと知っていた。自らの命を賭してでも、彼女をこの場所に繋ぎ止めようとしたイレギュラーズに取り乱し叫んだのだ。
 魔種を殺せと叫ぶ唇から言葉を無くして仕舞う程に青褪めて、目を見開いて、叫ぶ。なんて、言われてしまえば自分が何の感慨もなく人を殺す事など出来るものか。

 ――リュシアン。

 あの時、彼女は幼馴染みを呼んだ。震えた声音が、涙を孕んでいたことは未だに忘れることはない。
 呼ばれた少年はブルーベルにとって、大切な相棒だったのだろう。共にお姫様ジナイーダを護る相棒ナイトだったのだろう。
 リュティスは何時までも思い出す。彼女の顔を見た時、彼女の声を聞いた時、自分がそうしなくてはならないと知っていた。
 此処で戸惑えば、彼女は苦しむことになる。泣き腫らした瞳は、イレギュラーズという交わる訳のなかった者達との友情を確かに感じ取ってしまったからだったのだろう。
 彼女は、リュティス達を殺したくはなかったのだろう。それを理解した。理解してしまった。

 ――友達を泣かさないように真っ当に生きたいんだ。
   あたしが此処で死ねば、主さまを倒して、友達が笑ってる未来があるんだって。
   だからさ、此処で死にたい。……先にジナイーダと待ってるから。あとから主さまも来てくれるんだろ?
   なら、此処で死にたい。あたしは、主さまと一緒が良いから。

 しっかりと、理解してしまったからこそ、リュティスはブルーベルの背にナイフを突き立てた。
 此の儘戦い続ければ、彼女はイレギュラーズの命を奪う事を願っただろう。
 命に代えても大切な者が彼女には居た。それが冠位怠惰だったのは何の因果なのだろう。
 主を定め、従者として付き従うリュティスは『自らの主が倒さなくてはならない敵だ』と言われた時に、どの様な行動を取るかは分かって居た。
 ブルーベルのように主のために戦うだろう。彼女は主が倒される可能性をよく理解していた。その死に際を目にしたならば友人だと認識した者を殺してしまう程の怨嗟に駆られる可能性だって――『魔種になったからには』痛いほどに、理解していた筈だ。
「リュティス」
 呼んだあの声を思い出す。気怠げに、何処か困ったような声だった。

 -――俺達は、世界を壊したいわけじゃない。ただ、救われたかったんだ。

 そのリュシアンの言葉だって頭に残っていた。だからこそ、彼女を殺す前に聞いたのだ。

 ――貴女は本当は救われたかったのですか? それとも今の境遇で良かったと思っているのでしょうか?

 あの時、在り来たりな未来が得たかったと彼女は泣いていた。ブルーベルを救えなかったのは嘗ての誰かで、自分ではない。
 それでも彼女のような魔種が生まれる可能性がある事を察したからこそ、殺したくはなかった。
 生きていて欲しかった。もっと、友人としていられる可能性が。そこまで考えて、主の姿が浮かんだ。主だけではない、共に生きる仲間達のことが浮かんだのだ。
 彼等の世界が滅びに向かう可能性をリュティスは許すことは出来ない。
 だからこそ、彼女の言う通りにした。自身達は別の存在だったから、月と太陽のような、決して交わってはならぬ存在であったから。
 その背に突き立てたナイフは、命を奪うには余りにも易いものだった。肉を断つ感触が掌に残っている。
 永劫の別れは、たった一言だけだった。莫迦だなあ、なんて。子供染みた一言であったから。

「……ばかは、どちらでしょうね」

 呟けば、握りしめていたアナトラの剱がきらりと光を返した。『莫迦』なのは何方も同じなのだろう。
 簡単に情を抱いて死へと向かった彼女も、未だに彼女の死の上に立っている自分も。魔種という存在への考えが揺らぎ、自らの戦い方にさえも疑問を呈するようになったのだから。
 こんな感情、知らなかった。
 知らずに居れば、楽だっただろうに――もう、戻れやしないのだ。
 嘆息してから額をテーブルへと引っ付けた。ひやりとして、冷たい感覚に頭が冷えて行く。
 ふと、物音に気付いてからリュティスは作業の手を止めた。テーブルの端へ武器を追いやってから扉へと向けて歩き出す。
 話し声と共に、小さな足音が幾つか。ポメ太郎のものだろうか。楽しげな足取りだ。
 リュティスはそっと自室の扉を開けてから玄関ホールを目指した。
「おかえりなさいませ」
 何時もの通り、変わらぬ表情を浮かべてからリュティスは主を迎え入れた。


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