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Keep your face to the sunshine
登場人物一覧
――ただいま。
見えてきた一面の
そして不揃いの影ふたつ。「おかえり」の風を受けるより早く、なつかしいあの風景へ飛び込んでいく。洗い立てのシーツを思わせる、真っ白なワンピースを揺らめかせて、麦わら帽子を落とさぬよう押さえながら。
また会えたね、とアレクシアが懐かしい向日葵へ腕を伸ばせば。
お久しぶりです、と未散もあの日に出逢った大輪へ手をかざす。
辺りで向日葵たちも挙って揺れ、歓迎してくれた。一緒に喜んでくれているみたいだと、二人の頬も自然とふっくり持ち上がる。
「一年という月日がすぎても、お元気そうで何よりです」
今日この時に至るまで、
冴えた空の青も、二人を抱きしめてくれる太陽を好む花たちも。去年と変わらないようで、やはり違う。
変わったのは自分たちの方だ。
アレクシアと未散は顔を見合わせたのち、四囲する向日葵へと向き直る。すっくと並び立つかれらを眺めていると、ぽつりぽつりとこれまでの出来事が浮かんでくる。
「この一年、いろいろなことがありました」
向日葵たちへ報告する未散に、傍らでアレクシアもこくりと頷く。
いろいろ、と一言で纏めるにはとても――とても纏めきれないぐらい、たくさんの出来事があった。どれも振り返りながら話すには多すぎて、だからこそ二人は実感する。向日葵畑へ、またこうして足を踏み入れることができた現実を。
「今年も、此処を訪れることが叶いました」
それを幸いと呼んで良いのかは、話した未散にもわからない。幸運という短い単語で括るには、あまりにも目まぐるしい日々だった。
「うん、夏が終わらないうちに遊びに来れて良かったよ」
アレクシアも似た温度で囁く。
朝から照り付けていた陽射しも、ようやく陰りを見せる頃合いだ。だからだろうか、眼前の花たちに深いオレンジ色が混ざって見えてきた。混じりけのない白で守られた二人の悲しみも喜びも、目も眩まんばかりの金色で塗りつぶしてくれる気さえして。
そこでアレクシアは気付く。あれっ、とあげた声がどことなくあどけない。
向日葵の背が、どれも在りし日より小さい気がしたのだ。自分たちの身長がぐんと伸びたわけでもないのに。
「私たち、大きくなっちゃったのかな」
いたずらめいた調子でアレクシアが笑えば、未散も眦をほんのり和らげた。
「はい、もしかしたら。経験を積むと、ひときわ大きくなるとも言いますから」
経験によっても形成されるのが成長であるなら。あんなに高く感じた花たちが去年に比べて小さく見えるのも、それが理由だろうと二人して思う。
そうして、今日も今日とて水と緑の香を振りまき伸びる大輪の冠へ、上品めいたカーテシーを傾けた。恭しい挨拶を終えたら終えたで、なんだか可笑しくて、アレクシアが肩を震わすものだから、未散も少しだけ肩を竦めてみせた。
すると不意に、湿る気配をどこかに置いてきた空気が、爽やかな熱を帯びて彼女たちを
「においも、前と違うかな。……たぶん」
アレクシアがぽそりと付け足したのは、少々曖昧な響き。さすがににおいが一年前と完全に一致するかまでは、判断がむずかしい。けれど「こんなだった気がする」という気持ちは、彼女の血色をほのかに惑わせた。花畑へ駆け寄ったときには上気していたアレクシアの頬が、いつしか体温を忘れていて。
傍らにいる未散にまで、アレクシアの温度は伝った。呼吸を止めても届く、夏のにおいのように。両目を暗闇で覆っても感じ取れる、夏に吹く風のように。
だから未散は鼻先をすんと鳴らすだけ鳴らして、こう告げる。
「本日はカラッとした暑さですから、香りにも影響が出ているのでしょう」
「そう、かな?」
「そうです。空の青みも、くっきりと浮かぶオレンジがかった花の黄色も、以前とは違います」
未散の話につられてアレクシアが目線を天と地へやれば、青と花畑の境目は確かにくっきりしていた。
「これも、すべて……大きくなったのが理由、でしょうか」
未散は折々、芽吹きかけの笑みを灯す。
だからアレクシアも、未散が咲かせた光輝の形から目を逸らせない。たとえば、風前の灯火になろうと燃え続ける命の色を、アレクシアは直視せずにいられないだろう。喪われる未来が先で待っていても、走り出さずにいられない。それと一緒で。
「あ……っ」
意識せず零れた音は、アレクシアのもの。
向日葵たちが流す雫と異なり、雨の名残でもなければ、熱を逃がすための水分でもなかった。彼女だけが持つ、彼女だけの声が雫の如く零れ落ちたのだ。
眩暈に似た感覚で、アレクシアの足がぴたりと止まる。今までピンと伸ばしていた背筋も、襲い来る不安で丸くなる。一心に咲き続ける
連なる花々の影たちも、彼女へ覆いかぶさってざわつく。元気に駆け回るアレクシアたちを知っているかれらも、驚いたのかもしれない。
「……アレクシアさま」
思わず未散が名を口にした。
古い日記帳をめくるのに似た心地で、アレクシアは去年の夏を思い起こしていた。
まだ、思い出せていた。
願えばきっと、あの日を夢に見ることも可能だろう。誰と会い、何処へ出かけて、何を食べ、どんな話をしたか――事細かでなくても、当時の光景や色、においが蘇ってくるぐらいには、しかと記憶に刻まれていた。
だから、怖かった。
想い出の名称や枠だけが残り、大切なひとを忘れてしまうことが。
ふう、と短く切るように吐いた己の息すら、アレクシアには重たく感じる。どれだけ日記に書き留めても、単なる文字としての出来事でしかないと――そう思えてしまう日が、いつか来てしまったら。
ひとつ、ふたつと増えていく「思い出せないもの」が間違いなくあったがゆえに。アレクシアは暑さが盛る陽の下でも、指先の冷えを感じてしまう。
「アレクシアさま」
清き水流を連想させる未散の声をアレクシアが捉えたのは、もう既に何度か呼ばれた後。
はっとして顔を上げた彼女を、青い鳥はじいっと見つめるばかり。四辺で賑わう艶やかな色彩にも溶けない、澄んだ色で射抜く。
――果たしてぼくは、どうしたかった『ぼく』なのか。
いつか何かを想った自分へ、未散はもう一度尋ねてみた。
続けてアレクシアと交わした約束を己の胸に突きつけ、意志を問う。
やがて未散は、肩を内側へ巻き込み総身を震わせるアレクシアの横で、不思議な心地から腕を動かした。
すっかり熱気に煽られてしまったアレクシアの頬を、指の背でふにっと押す。アレクシアからすれば、まるで小動物の鼻先か小鳥につつかれた感覚だった。それぐらいささやかな触れ方で。
「のぼせてしまう前に、参りましょうか」
沈黙は、たったの一拍。そのあと未散が紡いだのは、夏を思い出させる一言。
未散自身でさえ掴み切れていない『願い』の兆しを、大切な友へ贈った。忘失への感情で上せて、沈思して倒れてしまう前に、動きたくなる。なぜなら未散もまた、忘れてしまうのではないかという畏れを識っている存在で。
気付けば未散という器にも、向日葵色の余韻がなみなみと注がれていた。
ちゃぷりと己の中で音を立てる、澄んだ夏の想い出たち。
寄り添ってくれるそれらへ未散が思いを馳せた途端、鮮明に描き出されるのはやはり――今もこうして立っている、向日葵たちの生き様だ。紛うことなく、去年見たのとよく似た佳景で。
一方アレクシアも、あたたかな
やがて二人で顔を揃え、アレクシアは忘却の
――大丈夫。私はまだ憶えている。忘れずにいるから。
また来年も来ようねと、微笑みに乗せて告げたアレクシアは。
「ねえねえ未散君。いいこと思いついた!」
いつもの様子で、くいくいと未散のワンピースをつまんだ。
「かくれんぼしましょ! これだけ広い場所なんだし」
つい先ほどまで停まっていたまんまるおひさまのまなこも、今は明日を見つめ、きらきらと光の粒を鏤めながら誘う。
彼女の織りなす色と光を浴びた未散は、ここで思いついたことを口にする。
「じゃあ、ぼくが鬼になりましょうか」
物を探す行為は、意外とのめりこめるものだ。対象が失せ者であれ、探し人であれ。
しかも探す相手が他でもないアレクシアなら、楽しさが未散の足を動かしてくれる。
「わかった、じゃあ十数えてね! いくよ!」
此処へやってきて以降、常に傍にいた温もりが、軽やかな靴音と共に離れていく。
けれど睫毛を伏せる未散に、さみしさはなかった。右へ左へ身体を揺らして惑わす向日葵のジェントルマンたちに、アレクシアが隠されてしまっても。どこまでも深く眩い夏の色で、親友の姿が遮られてしまっても。
もう――怖さを覚えた光や影が、冷たい肌の上を滑っていったりはしない。
忘れないよと、満面の笑みをアレクシアから贈られた気がするだけでなく。彼女から受け取った音のひとつひとつが、想い出の証となる楽しみを覚えた気もする。そのためか、伏せた瞼をも覆うように麦わら帽子を傾けただけで、焦らず数をカウントできて。
「いーち、にーい……」
夕陽の予感が風に運ばれ始める中、未散は幼さを宿した声音でゆっくりと数え始める。
時間が流れても朗々と歌い続ける、
たくさんの向日葵たちに見守られる中での、かくれんぼ。
それは、燦然と輝く夏の終わりにかけられた――とびきり鮮やかな