SS詳細
ゴリョウ亭の臨時休業日——あるイレギュラーズとの交流を添えて
登場人物一覧
●前日譚
最初に店を訪れたのは、まだ幻想が騒ぎに沸く前のこと。
評判の飯屋があると聞いて折角だからと寄ってみた、その程度の理由。
ただ、運悪く臨時休業ということで別の店に立ち寄り、腹が膨れたら都合よく忘れてしまう程度の立ち位置だった。
それから紆余曲折を経て、思い立って再び足を運んだ。
その時にはもう、長年連れ添った相棒(ひだりうで)を喪っていた。
●商売繫盛
「ゴリョウ亭」は往来の激しい街中に店を構えている。元より賑やかな所ではあったが、味よし接客よし価格よしの三拍子そろった店舗の存在がさらに喧騒を上乗せする。尤も、人の波を縫うように進む人物はそのことを知らない。外套をはためかせて進む彼が知っているのは、この先に味で評判の店があるということだけ。
今は正午、腹の虫も騒ぎ出す。店の前には数人の列。
「……混んでるな」
その光景を見て『航空猟兵』アルヴァ=ラドスラフ(p3p007360)は一瞬踵を返そうとして、思い直して列の最後尾へと並んだ。足を止めて、ゆっくり考えるのも悪くないと思った。
だが彼の予想外に人の出入りも激しく、数分後には列の先頭に立っていた。軒先からは魚の焼ける香ばしい香りが漂ってくる。
「お待たせしました」
接客をする鬼人種の女性が顔を出し、アルヴァを呼ぶ。彼女に促されるがまま敷居を跨ぐと、巷で噂になる店の内部が明らかになる。
(……思ったより狭いな)
それが、店内を見渡したアルヴァの率直な感想だった。決して狭い訳ではない。敢えて形容するなら「こじんまりとしている」といった風だろうか。15人程度が入れる店内は満席で、活気もある。
水槽――なにやら透明な魚だけ飼われている――の向こうに立派な体格の店主がいるが、生憎背中を向けており表情は見えない。
(どっかで見たことあるな……)
「こちらへどうぞ」
既視感を覚えるアルヴァだが、女性に案内されるまま席に着く。手渡された品書きに目を通すと、本日のおすすめが載っていた。近くの海で採れた魚を使った海鮮丼らしい。
「海鮮丼で」
「海鮮丼一つですね」
復唱すると、そのまま大声で「海鮮丼一つです!」と店主に伝える。「おう!」と威勢のいい返事が返ってくる。その声にも、聞き覚えがあった。
「今日は少し混んでおりますので、お時間がかかるかもしれませんがご了承ください」
そう言うと、女性は別の席へと向かって行った。
一人になったアルヴァは、待つ間に少し思考の海に沈む。
ごく短い間に、随分と色んなことが起きた。人生の濃密な期間を、更に圧縮してもここまでにはならないだろうと思えるくらいには。
悪い事の方が多い。久しぶりの姉との邂逅は実に苦い結果に終わり、仕事を支えてきた左腕を喪った。その一方で、ある盗賊の身柄を引き受ける事にもなった。
全てが全て悪いこともない。だが今後のことを考える必要があるのもまた事実。大まかな方向は決まっているが、どうすればいいか悩みながら日々を生きている状態だった。
「お待ちどうさん!」
しばらくああでもない、こうでもないと考えていると不意にそんな声が響いた。見上げると、先程の店主の顔がそこにあった。
「あ」
「おう」
見知った顔だった。
● 邂逅と提案と
「この店がゴリョウ亭だったんだな」
「知らなかったのか?」
店主――ゴリョウ・クートン (p3p002081)はそう言って首を傾げる。「てっきり知ってて来たのだと思ってたぞ」と繋げると、アルヴァが小さく「すまない」と返した。
昼の営業が終わった店内。ゴリョウ亭に客も店員もおらず、いるのは二人だけ。食事後、思うことがあったアルヴァはゴリョウに「少し時間あるか?」と尋ねた。一瞬面食らった表情を見せるゴリョウだが、そこは体も心も大きなオーク。
「店が終わったらな」
といい、カウンターの端席——ゴリョウ曰く客を座らせるには少し狭いのだとか――をあてがい彼を待たせてくれたのだった。
「それで、一体どうしたんだ改まって」
珍しく、アルヴァが言い淀むのが見えた。
「俺に料理を教えてくれないか?」
「おう、いいぞ」
即答である。気持ちいいまでの快諾である。むしろアルヴァが戸惑う程である。
「ただし、今日は夜の営業の仕込みがある。明後日なら時間が取れるな」
「わかった。頼むよゴリョウさん」
軽く頭を下げ、席を立とうとするアルヴァを、ゴリョウが呼び止める。
「一つ聞かせて欲しい。何で急に料理の教えを乞うようになった?」
アルヴァは一瞬逡巡する。同じ戦場にはいなかった気がするが、ゴリョウも「彼」と戦ったあの場にいたのだ。彼の度量なら咎めはしないと思いつつ。
「……面倒を見てるやつがいてな。そいつに酒場の経営をさせてやりたいんだ」
ほんの少しだけ、正面から答えるのを避けた。
「そうか! じゃあ、明後日の同じ時間に店に来てくれ」
複雑な心中をゴリョウが悟ったかはいざ知らず、こうしてそれまで縁らしい縁もなかった二人の少し変わった料理教室の約束が交わされる。
●準備から料理は始まっているのだ
「さて、とは言ったが……」
翌日。ゴリョウ亭厨房内。お馴染みの調理器具一式をゴリョウにしては珍しく乱雑に並べたまま、彼は顎に手を置きながら唸る。因みにオークなので唸っても「ぶひー」とは言わない。
ゴリョウ亭の調理道具はどれも豊穣、一部機械類は練達で用意したものである。当然——片手だけで扱えるものは少ない。よしんば片手だけで扱えるものも、複数の道具を組み合わせて使う場合が殆どなので片手で料理を行うのは至難の業だ。
ゴリョウも片手だけで試しに調理してみたが、これが存外難しい。まず、ものを「押さえる」という動作が不可能に近く、これだけで包丁の扱いが至難になる。他にも、ボウルを抱えながら箸でかき混ぜる行為、鍋を煽りながらしゃもじでかき混ぜる行為——両手での作業を前提とするものが多すぎる。
乱雑に散らかっているのはそうした努力の跡でもある。
「隻腕のあいつには難しいかもな……」
アルヴァが片腕を喪ったことは以前報告書で読んで知っていた。ならば義手をつければ事足りる。実際、練達製の義手を使えば生身のそれと遜色ない動きをすることも可能だろう。
だが、昨日の食事風景がゴリョウの脳裏をよぎる。アルヴァは義手をつけず、それでいて傍目には隻腕であることを悟られない様にしていた。恐らくはギフトの作用で視覚的な錯覚を起こさせているのだろうが、食事中全ての行為を右腕だけでこなしていたのをゴリョウは知っている。
(そこまでしてんなら、義手は出来れば使いたくねえってことだろうなあ)
その思慮深さこそゴリョウがゴリョウたる由縁であり、また頭を悩ませる原因でもある。
彷徨させていた視線を上げると、店の入口に飾ったレプトケファレスの稚魚が眼に写る。半透明の小さな体で水槽中を動き回るその姿は、たなびく旗を想起させる。
なんだか応援された気がしたゴリョウは、「っし、もう少しやってみるか!」と言いながら頬を両手で叩いた。
●一品目
翌日。天気は少々雲行きが悪い。一昨日が快晴だったのもあってか、或いはゴリョウ亭が臨時休業なのもあってか、心なしか人の出が少ない。
「よかったのか? 店を閉めちまって」
「ぶはは、気にするな! 金が欲しくて店やってるわけじゃねえからな!」
アルヴァの心苦しさをゴリョウが豪快に笑い飛ばす。その眼は自信と、料理をする楽しさが滲んでいる。
「さて、アルヴァ。料理を教えると言っても方法はいろいろある。作り方を見せるのもその一つだが、やっぱり実際作るのが一番覚えるもんだ」
「え?」
予想外の言葉にアルヴァが虚をつかれたような表情をする。彼も勿論調理経験はある。だが隻腕になる以前の話であり、以降は皆無——とまでは言わないがそれに近い程度の経験しかない。
「つーことでだ、酒場の看板になりそうな料理を2,3品作ってみろ」
「いやいやいや!」
無理だろ、という言葉が喉から飛び出る。だが指南役は自信ありげな相貌を崩さない。何か秘策があると悟ったアルヴァは、それを信じることにした。
「……わかった。よろしく頼む、ゴリョウさん」
「任せろ! ぶはははは!!」
厨房の上には包丁、まな板、鍋など一般的な調理器具に混ざって釘と金槌が混ざっている。一体何に使うのか逡巡するアルヴァの思考を読みとったかのようにゴリョウが釘と金槌を手に持つ。
「釘と金槌は食材を固定するために使う」
そう言って、取り出した鶏肉をまな板に載せ、その上から釘を打ち始める。あっという間に固定され、
「ほらな、これで押さえなしで切れるだろ?」
「なるほど……」
やってみろ、と促され包丁を握る。皮の部分は苦労したが、ゴリョウの手入れが良いこともあってか思いのほか抵抗なく切ることができた。
そうして一口大に切った鶏肉を、醤油と酒、大蒜に生姜とを混ぜた袋の中に入れていく。この間、ゴリョウは指示こそするが一切手は貸さず、アルヴァが一人で作業を行っていく。
「凄いな……料理してる」
「切る、下味を付けるというのは料理でも頻繁にやるからな。他にも鋏で切断したりボウルに合わせ調味料を入れておくなんてことをやっておきゃあ、案外片手でできることは多いもんだ!」
下味を付けた鶏肉に粉をまぶし、熱した油の中に入れていく。爽やかな音とともに粗切りにした鶏肉が躍る。
そのまま数分待って油から取り出し、余計な油を落とせば……。
「唐揚げだ」
きつね色が皿の上で仄かな輝きを放っている。
「旨そうだ。オメェさん、スジがいいな!」
「そうか……そうか」
社交辞令だったとしても、悪い気はしない。
「よし、じゃあ次の料理に行くぞ!」
●二品目
次にゴリョウが並べたのは卵と牛乳、調理器具とボウル。
指示された通りアルヴァが卵を割ってボウルに入れ、牛乳と混ぜていく。かき混ぜようとしたところで、ゴリョウの声が制した。
「普通に混ぜると倒れそうだ。ちょいとそこの布を敷いてからやってみろ」
凹凸のある樹脂製の布を置いてから、ボウルに入れたものを混ぜるアルヴァ。恐る恐る菜箸を動かす速度を速めるが、ボウルは動かない。
「こういうもんがあれば、混ぜるのも片手でできるだろ?」
「便利なもんだな」
熱したフライパンに卵液を入れると、卵液が泡を立てて踊る。時折濡れた布巾にフライパンを移動させ焦がさない様に配慮しつつ、楕円型に折り畳む。
「……できた……!」
皿に移動させたオムレツは、黄金色の輝きを放ち皿の上に鎮座している。
「さっきの肉料理もそうだが、こういう料理を覚えておきゃあ組み合わせで種類が一気に広がるぞ」
「そうだな……卵と肉を混ぜて炒めるとか、か」
アルヴァが考えるようにつぶやくと、ゴリョウが「そういうこった!」と笑う。
「何事も基礎が肝心ってことだな」
そう言いながら、ゴリョウは次の食材を並べ始める。
●達人ゴリョウの早業メニュー
「酒場経営ってなら、すぐに出せる『肴』やシメの食事もあった方がいいな」
ちょっとここからは見ていてくれと、ゴリョウが近くの桶から取り出したのは白い直方体の何か。見慣れない食材にアルヴァがしげしげと眺めていると、
「豆腐って言ってな。手を加えても、加えなくても美味い」
賽の目に切って、小葱を上に振りかける。その横に小皿——その上に赤褐色の液体を添えて、アルヴァに差しだした。
「冷奴だ。豊穣の調味料である醤油につけて食うと美味い」
次に鮮やかな緑色をした鞘に塩をまぶして皿に乗せる。
「枝豆だ。茹でれば食べられるから最初に出すのにちょうどいいぞ」
「どれも珍しい食品だな」
いずれも豊穣の特産とも言える食べ物で、他国で並べれば物珍しさで人気を博しそうだ。
「次はシメだな。まあ、俺が作るシメは全部飯ものなんだがな! ぶはははは!」
「飯物って白飯か?」
アルヴァの問いに首を振るゴリョウ。厨房の奥から釜を持ってきて、重そうな木蓋を開ける。そこは純白に輝く炊きたての白飯で埋まっていた。
「白飯も美味いが、酒場ならそれ以外の方がいいだろう。例えば……」
ゴリョウは手を濡らし、白飯を手に取って握る。数十秒もしないうちに握り飯が二つ並ぶ。
「こうして握り飯にするもよし。他にも」
茶碗に白飯を入れ、刻み海苔と山葵を入れ、冷たい緑茶を入れる。思わぬ行動に目を丸くするアルヴァだが、料理人は涼しい顔。
「茶漬けって言ってな、さらっと食べられるぞ。熱い茶で作っても美味い」
他にも鍋や出し汁と混ぜて水分を飛ばして作る雑炊や、魚や肉を上に乗せて食す丼ものの紹介もされた。流石に作ることはしなかったが、そのレパートリーの多さにアルヴァは聞き入るばかり。
●本日閉店のその裏で
「まあ、こんな所だな。十分か?」
「十分なんてもんじゃない。流石ゴリョウさんだ」
厨房にはアルヴァが作った料理とゴリョウがあっという間に設えた料理が並び、ちょっと贅沢な食卓を演出している。酒の一杯もあれば、酒場のテーブルに並んでいそうな料理がそこにはあった。
「徐々にメニューを増やしていけば、店の体裁になりそうだ」
「そうだな、調理法と食材を変えて試すのがいいぞ! 例えば唐揚げに付ける粉を変え、切らずに一枚肉で焼く、これだけで違う料理になったりするからな!」
「……それに、片手でもこんなに料理できるとは思わなかった」
「それについては俺もいい経験になった。俺からも礼を言わねえとな!」
豪快に笑うオークに、改めて礼を言うアルヴァ。
「店が出来たら、ゴリョウさん達を招待するよ?」
「お、そりゃ楽しみだ!……って、『達』?」
「ああ。『二人』な」
そう言って、玄関先にある水槽を指さすアルヴァ。言いたいことを察したゴリョウがにやりと笑う。
「なるほど。そんじゃあ楽しみにしてるな。オメェさん達も、また店に来てくれや!」
「ああ、近いうちに必ず」
アルヴァはそう言って少し微笑んだ。脳裏に誰かの姿が過ったが、それをゴリョウには伝えなかった。間違いなく知っていると思った。
「さてアルヴァ。最後の仕事だ」
「ん? 何か作るのか?」
アルヴァの言葉に、ゴリョウは違うと首を振る。
「作ったもの、きっちり食べねえと食材の無駄遣いになっちまう」
「ああ……それもそうだな。箸と皿借りてもいいか?」
勿論、とゴリョウがいう。
本日休業と貼られた引き戸の奥。
その厨房で、二人の男が和気藹々と互いの作った料理に舌鼓を打っていた。
その香りは店の外まで広がり、ゴリョウ亭の名声を増々広めるきっかけになったとか、ならなかったとか……。