SS詳細
よいの時間を、あなたと
登場人物一覧
「今日の仕事はなかなかに大変だったね……」
うーんと両腕を伸ばせば、背中の張った筋肉がぐんと引っ張られる。あとで公衆浴場でも行ってみようか?
そんなことを頭の片隅にヴェルグリーズ(p3p008566)が呟けば、帰路を同じくする星穹(p3p008330)が小さな苦笑いをひとつ。
「ええ……中々に骨に折れる依頼でしたわね。ヴェルグリーズ様がいて助かりました」
「それを言うのは俺の方だよ」
本当は傷ついてほしくないのだけれど――彼女はヴェルグリーズを護る盾の如く、その体を張ろうとするから気が気でない。
「ヴェルグリーズ様」
「ん?」
声をかけられてなんだい、と返してみれば。星穹の視線と指先はついと、少し先に見えてきた建物へと向けられた。あそこは酒場だったような。
「あの店で出される羊肉のステーキ、とても評判が良いそうです。折角ですから、帰る前に如何でしょう?」
「これから、かい?」
「疲れた時には美味しいもの、と言うではありませんか」
確かに英気を養うにはもってこいだろう。ヴェルグリーズもステーキの評判は聞き及んでいたし、他の料理も美味しいのだとローレットの情報屋が話していたのを耳にした。彼らが言うのだから間違いはないだろう。
「それなら行ってみようか。星穹殿は食べたことがあるのかな」
「情報屋の受け売りですので、初めてです。……もしや、ヴェルグリーズ様、」
「いや、俺も初めてだよ」
まさか既に食べたことがあったのだろうか、というようにハッとする星穹。笑いながら首を振ったヴェルグリーズは、入り口で店員に2名と告げて星穹をエスコートする。
さて、ステーキが評判の店であるが、その内装は他で見られる酒場とそう変わらない。酒やツマミはもちろんのこと、異世界より渡ってきた旅人たちの食文化も取り入れているため最近は『大体頼めばある』といった様相である。
壁にかかっているメニューを見ながら、ヴェルグリーズと星穹は何を頼もうかと思案を巡らせた。
「星穹殿、お酒は大丈夫かな?」
「はい、好きですよ」
苦手ならどうしようかと思っていたが、問題ないと知ったヴェルグリーズ。この認識があと1刻もしないうちに覆されることになるのだが、この時はまだ知らない。
星穹がヴェルグリーズの好きなものを、と言うので例のステーキと、他にいくつかの料理。そして2人分の酒を注文すれば、2人掛けのテーブルはそこそこの面積を埋めてしまった。
「それじゃあ、今日はお疲れ様」
「お疲れ様でした」
グラスを軽く掲げて、口をつける。甘ったるい味とともに、微かな酒の香りが口腔いっぱいに広がって――僅かに喉を暖める、くらいのはずだった。
……はずだった、のだが。
「うーーーーん……」
ヴェルグリーズは苦笑いを浮かべていた。幸い、事が起きた頃には料理もあらかた消費しきっていたため、1人で2人分食べなければいけない事態にはならない。
なんて料理を残す心配よりも、今心配すべきは目の前でふわふわぽやぽやしている――明らかに酔っぱらっている星穹のことである。
(おかしいな。まだ1杯目のはずなんだけれど。しかもそんなに度数高くないはずなんだけれどな……)
星穹とヴェルグリーズは同じ酒を注文していたから、彼女の方が度数が高いなんてことはないはずだ。ジュースと間違ってしまいそうなくらいに軽めの度数だから、間違っても外で泥酔するなんてことはないと思ってのチョイスである。
一口飲んだ時にふわっと空気が和らいだような気がしたのは気のせいではなかったか。あの時ちょっと待とうか星穹殿と止めていればここまでにはならなかったか。
「ぐりーずさま、このおさけ、おいしいですね」
「う、うん、そうだね……?」
ふわふわと笑う星穹にどきりとして、いやそうじゃないと首を振る。その間にも星穹は店員を呼びつけ、同じ酒をお代わりしようと注文していた。すかさず自分も注文する――フリをして、お冷を頼む。これ以上彼女に酒を飲ませてはいけないと頭の中で警鐘が鳴り響いていた。酒の自己申告、信じることなかれ。
「ねえ星穹殿、酒もいいけれど料理も残ってるよ。このサラダ美味しかったな」
「ぐりーずさまが、そうおっしゃるなら」
こくりと頷く星穹。うんそれはいい。でもどうして口を開けて待っているんだい?
「あーん、してください」
「えっ」
ヴェルグリーズが驚くも、引く気のない星穹はじぃと上目遣いに見上げてくる。だめですか、と訴えかけるような視線にヴェルグリーズは思わず天井を仰いだ。
「ぐりーずさま?」
「……いや、なんでもないよ」
請われるままにサラダを食べさせてあげると、ふにゃりと嬉しそうに笑いながら咀嚼するものだから。なんかもう、仕方ないかって気持ちに一瞬なりかけたヴェルグリーズは店員の持ってきたお冷――と酒で我に返る。
「星穹殿。とりあえずその新しいグラスから手を離そう」
「やぁ……せらの! せらのおさけです!」
なんとかしてお冷と交換しようとしたが、思いのほか力が強い。むぅと膨れっ面になった星穹に手を取られる。
「せらのおさけ、とろうとするのはこのてですね」
にぎにぎと手を握られながら減っていくグラスの酒。星穹の喉が小さく鳴る。そしてグラスをテーブルに置くと、今度は両手でヴェルグリーズの手を触り始めた。
「せ、星穹殿?」
「ぐりーずさまのて、おおきいです」
そりゃあ男女の差があるから当然だ。そこでなぜそんな嬉しそうに笑うのか。
手を引っ込めようにもしっかり握られていて、さてどうしたものかと思っているうちに掌へ柔らかいものが触れる。
「あったかい……」
自身の頬を掌へ擦り寄せる星穹。ぴしりと固まるヴェルグリーズ。先ほどから生暖かい視線が周囲から刺さっていたが、他の客も酔いが回りだしたのか冷やかしが入りだす。
「お熱いねぇ!」
「いや、誤解で――星穹殿、そのグラスは置いて」
「や! とらないでください!」
「にいちゃん、飲ませてやれよ。可愛い彼女のお願いだぜ?」
「にいちゃんももっと飲めよ!」
やいのやいのと言われ、店員が空の皿を下げた場所に酒のグラスを他の客が持ってくる。奢りだと言われても今ばかりは嬉しくない。せめてこんな状態の彼女がいなければ!
「おさけ……」
「星穹殿はこっちだよ」
「やぁ!!」
お酒を飲みたい星穹と阻止したいヴェルグリーズの攻防は、どちらに勝敗があがったのか――は、さておき。何にしたって星穹の泥酔っぷりはどうしようもないのだ。
「星穹殿?」
「ぐりーずさまぁ……すぴ……」
散々ヴェルグリーズに絡んで酒を飲んだ星穹は、その頬を彼の掌に寄せたままうつらうつらし出している。ずっとそちらへ伸ばし続けているヴェルグリーズの腕が若干痺れて来たのは言わずもがな。
空いている片手で店員を呼び、どうにか彼女を背負って店を出たヴェルグリーズは、背中の彼女を起こさないようにしながらも小さくため息をついた。
彼女は自身が泊まっている宿屋の別室に泊めさせてもらおう。ぐっすり寝入っているようだし、ベッドが違っても起きることはあるまい。それから――俺も今日は、寝よう。
おまけSS『キミの為』
あ、と2人の声がかぶる。宿屋の食堂は宿泊者なら誰でも使える場所だから、会うのも当然と言えば当然か。
「……ヴェルグリーズ様、おはようございます」
「ああ、星穹殿。調子はどうだい?」
問題ない、と返す彼女はいつも通りだ。しかし、その表情が幾ばくか曇る。
「昨日は飲み過ぎてしまったようで、申し訳ありません。ヴェルグリーズ様のお手を煩わせてしまったと」
「いや、大丈夫だよ。……時に星穹殿、これまで外で飲んだことは?」
お茶を2人分注いで、片方のカップを渡す。それを一口含みながら、彼女は横に首を振った。
「1人で飲むことはありませんので」
「なるほど」
強いと思っているわけでは無さそう……だが。だがしかし、ヴェルグリーズは言っておかなければならないと思った。彼女を悲しませようとも、今後の彼女の為である。
キミは、お酒を呑んでは行けないと思う、と。