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忘却こそが罪ならば
登場人物一覧
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「……星穹殿」
「もう、心配性ですのね……大丈夫です。私は『忍』ですから。それに、」
「うん?」
「『お二人』が居れば、何ら心配無いでしょうに」
「はは、買いかぶり過ぎだよ。クロバ殿が居れば心配が減るのは確かだけどね」
くすくすと、仲睦まじく笑う男女の姿があった。眉目秀麗であれば良かったのだが、形容するならば人間的な美しさではなく人形のような美しさである。
整った美貌の三人は否が応でも人目を惹くというのに、会話巧みに人々の視線の的にされたクロバは、はぁとため息を吐いた。名声、腕前共に人々の周知の実力であるから、最早日常であるとは言え、
「――ったく、プレッシャーをかけるのが上手だな? まぁ、折角の『お茶会』なんだ。今日くらいは何も気にせずに楽しみたいところだな」
と、クロバは笑みを浮かべ。目線が
「同感ですわ――だからといって、私が車椅子に乗せられているのは解せませんけれど」
と、星穹は頬を膨らませて見せる。本日の移動手段は、星穹のみこれである。というのも、事情があって。
「だってこうしないと、星穹は無茶をするからな」
「そうだよ。この間だって倒れたんだから、心配させたくないのなら協力して?」
「……はぁ」
華奢な青の車椅子に座った星穹は、大人しくヴェルグリーズに移動を任せる。あの雷鳴の日に倒れた理由は未だ解らず。数日後に控えた『お茶会』の為に体調を半ば無理矢理整えた星穹に対して二人が出した条件は、『無理をしないこと』、只一つ。馬鹿なのか愚直なのか、己の
定例会にも似たお茶会は、決まってぶらぶらと四人で街を見て回ることにしている。気になった店があれば入って、食事をしたり買い物をしたり。
故に、お茶会である。
楽しく朗らかに、世間話でも。それから、目新しい世界に、目を向けるのだ。
初めて見た国、その土の色、匂い。風の温度、空の色、人々の営み。それをひとつ、またひとつ知る度に、
生まれた世界も国も違えば、生い立ちだって其々だけれど。学びの場とも呼べる『お茶会』を、各々が大切に思っていた。
●
「……此処は」
「教会……?」
「今回の担当は俺だったからな。どうせなら珍しいものにしようと思って」
星穹とヴェルグリーズは顔を見合わせて首を傾けた。二人が不思議がるのも無理はない。何せそこは、教会でカフェを営んでいたのだから。
「天義にもこういったところがあるのですね」
「そうだね。俺も驚いたよ」
「驚くにはまだ早いぞ、二人とも」
クロバが扉を押し開く。重々しい扉を抜けた其処には――煌めくステンドグラスの絵画。
「おお……!」
色彩やかな光が教会に降り注ぎ、十字架を照らす。しかし、歓声を、感嘆の声を漏らしたのはヴェルグリーズだけであった。
「……星穹?」
「…………いえ、何も。美しいところですね」
「あぁ、それはそうなんだが……顔色が悪いぞ?」
「そうでしょうか……」
「幸い此処はカフェみたいだし、休憩しようか。日差しが強かったから、疲れてしまったのかもしれないしね」
「申し訳ありません……」
「気にすることはないさ。ヴェルグリーズ、ス向こうの席が空いているから星穹と共に待っていてくれ。星穹、寒くはないか?」
「ええ、問題ありません」
「クロバ殿は?」
「少し買い物をしてくる。コーヒーを頼んでおいてくれ。ミルクと砂糖も!」
「解った」
車椅子を机に寄せて、ヴェルグリーズは椅子に腰掛けた。
「星穹殿は何が良いかな」
「そうですね……ミルクティーを」
「アイスでいいかな?」
「…………ホットで」
ヴェルグリーズがベルを鳴らすと、店員であろうシスターが駆けてきた。注文を済ませたヴェルグリーズは、改めて星穹を見る。クロバの言うように、星穹の顔色は思わしくない。あの日倒れてしまったときのように蒼白で、身体は小さく震えている。
「……何か、あったのかい?」
ヴェルグリーズは小さく問いかけた。この真夏日にホット。寒かったとは言い辛い気温だ。
「……わたし、」
「うん」
「此処に居たく、ないのです」
「え……?」
星穹は俯いて話そうとはしなかった。恐らくは、自分自身でも理解できていないのだろう。ラピスラズリの瞳は伏せられることなく、怯えと動揺の色を滲ませていた。
「ただいま……っと」
「おかえり、クロバ殿。何を買いに行っていたんだい?」
「新聞と、それからブランケットだな。ブランケットは星穹に……ほらよ」
「す、すみません……寒くはないのですけれど」
「あんまり嘘は言うなよ? 震えてるし……伝票にもホットを頼んだって書いてある。無理はしなくていいんだ」
「……はい」
「まあまあ、クロバ殿も落ち着いて。新聞は、何のために?」
「この後の天気を知りたくてな」
会話をしている内に、商品が届いた。ミルクティーとコーヒー、それからジャスミンティー。
「どうして?」
「雨の気配がしてな。だが、雨だけじゃない気がしてさ――ああ、ほら、やっぱりだ」
「え?」
「嵐が、来る」
クロバの台詞に被せるように、店内に子供たちの賛美歌が響き渡った。教会であるのだから、きっと彼らは聖歌隊であろう。美しい歌声と子供たちの照れたような表情。微笑ましい光景に、クロバとヴェルグリーズが目を細めたその時。
「はぁ、っ、はぁ、はあ、」
「星穹!?」
「……っ、星穹殿!」
何日ぶりかの痙攣。小さく呻いて、身体を跳ねさせて。軈て。
「ここから、はなれて、くださいっ……!!」
「星穹殿?」
「おねがい……っ」
クロバとヴェルグリーズが顔を見合わせた。その瞬間、星穹は車椅子から身を滑らせ、張って扉の方へと進んだ。肉が地面に打ち付けられる不快な音。ずりずりずりと擦り傷を作ることすら厭わずに、星穹は進んだ。
「星穹殿!!」
「ここは、ここはだめ、はやく、いかなきゃ、ああ――!!!」
様子がおかしい。誰の目から見ても明らかだった。賛美歌が大きくなる度に、星穹の目は怯え、涙を流し、その音から逃れようと、手を扉へと伸ばす。やがて、星穹は意識を手放した。
「クロバ殿」「言われなくても……!!」
代金を机の上に乱雑に置き、クロバが車椅子を、ヴェルグリーズは星穹を担ぎ車椅子へ座らせる。
「解らないけど、此処は、」
「ああ。星穹の記憶と関係があるに違いない」
二人は駆け出した。目指すは、星穹が新しく構えたと言う住居。星穹の秘密が、眠るであろうその地へ。
が、しかし。
「お客さん。その
「いや、今は――」
「どうして? 医者をこちらに呼んだ方が早いでしょう」
恐らくは店長であろうか、若い銀髪の男がにこやかに笑みを浮かべた。ぐったりと、肩で息をする星穹を、店長は見つめた。
「俺は此処の
「……ああ、宜しく」
食えないやつだ、とクロバは思った。
ロイという名前に聞き馴染みを覚えたヴェルグリーズ。だが、この男はそれ以上に
クロバがなるべく平静を装って差し出した手を、気付かない振りをして、ロイブラックは受け流した。緊張した空気が走る。
「此処の常連に、ロイっていう子が居てね。その子が女の子を探してるっていうから、そのお嬢さんかな、とも思ってさ。ま、俺の身勝手で引き留めてるだけだから。
あ、そうそう、こっち。着いてきて、セラスチュームを寝かせてあげよう」
「ああ」
此処は、危険だ。
二人の本能が、叫んでいた。
●
セラスチューム? キミの名前?
はい。
そうだな……
せ、ら?
今日からキミは星羅だ。改めて、宜しくね。
……。
俺のこと、忘れちゃった?
え?
……ロイブラックだよ。覚えてる?
……ロイ!
うん。ふふ、やっと会えたね、俺の
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「えーと、この子の名前は……」
「……星羅だ」
「え?」
「そうだろう、『グリース』」
クロバは名前を偽った。恐らくは、ロイブラックに名前を告げない方がいいと判断したのだろう。頷き示したヴェルグリーズは、星穹をベットへと横たわらせた。
「で、俺は――」
「クロバでしょ。キミはヴェルグリーズだ。お友達の名前も知らないんだ?」
あくまで、にこやかに。ロイブラックは悪意こそないのだと偽るように、笑みを絶やさない。
「……そうだ。俺はクロバ。仲間の名前くらい知っているさ。これは愛称ってやつだよ」
「ああ、そうさ。クロバ殿は少々『お茶目』でね」
ヴェルグリーズもまた、笑った。こちらが優勢であると示すように。だがしかし、其処はロイブラックに連れられてやって来ただけの、帰れるかも解らない部屋。劣性であると認めては、生きて帰れるかも解らないような気がした。
「医者はもう呼んであるよ。『セラスチューム』は、どうして倒れたんだろう……」
「――さっきから、キミが言っていることが良く解らない。セラスチュームは、誰だ?」
「誰って……この子の名前だよ。俺のお姫様のね」
「は……?」
白いベットで眠る星穹に、ロイブラックは薄ら微笑んだ。
「嫌、彼女の名前は星穹だ」
「うん? ……まぁ、名前なんて些細なことだよ、俺達の前ではね」
「……」
「家族の契りを交わしたんだ。遠い昔にね。だから、この子は俺の家族だ」
「……はぁ」
「俺はね、物知りなんだよ。キミ達よりも、遥かに。うんとね」
関係のないことをつらつらと語り出すロイブラック。雨音が遠くで響く。今すぐに此処を去らなければ。そう思うのに、帰ることを許されない。
「クロバには妹が居たね?」
「は……?」
「それから、ヴェルグリーズは……フィアンマ。魔剣かな。大変そうだねえ」
「……どうしてそれを」
くすくす、とロイブラックは笑う。その笑みはきっと、心からの笑顔ではないのだろう。蛇がくるりと、身体で餌を追い込むような心地――囲まれた。
「俺は、
「お前……」
「なんたって、家族だからね、俺達は」
「――いいえ……違います」
否定したのは、女の声――星穹だった。
「セラスチューム!」
笑顔を浮かべたロイブラックは、星穹に駆け寄った。
「セラスチューム……?」
「俺だよ。久し振り、覚えてる?」
毒蛇のように振る舞っていたロイブラックを懐柔した星穹。だがしかし、『星穹』には記憶がない。故に、彼を知らない。
「……親切にして頂いたことには心から感謝致します――が、友人を馬鹿にしたこと、決して許しません」
ふらつきながらも立ち上がった星穹は、クロバとヴェルグリーズを庇うように前へ立ち。じぃと、澄んだ瞳はロイブラックを射抜く。
「……そう。なら、もういいや。医者も要らないみたいだしね。『気をつけて』」
くるり、背を向けて立ち去ったロイブラック。あまりにも簡単な終幕に、クロバとヴェルグリーズは顔を見合わせた。
●
「君はヴェルグリーズが欲しいんだっけ、フィアンマ」
「うん。オレにアイツ、くれるのか?」
「いいよ。欲しいならあげる。要らないから――キミは、あの黒いのが?」
――嗚呼。
おまけSS『ヴィラン』
「……」
「クロバ様?」
「なんだか、忘れてるような気がしてな」
「何をだい?」
「……何処かで、俺の名前を呼んでる子が居たような……」