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咲々宮邸のとある一日
登場人物一覧
●『咲々宮邸のとある一日、其の一』
まだ東の空が白み始めた時刻。星々が一つ、また一つと帳に消えていく朝早く。
「ふ、ふふふふ、ふはははは!!!」
血走った眼をぎらつかせ、不気味に笑う女怪がここに一人。
「ついに、ついに。これでまたわたしの研究は一歩前へと進んだのです! ああなんと喜ばしい!!!」
如何なる夜叉か真蛇かと思いきや、どうやら正体は澄恋(p3p009412)だったらしい。血走った眼はただ夜の間も研究していたことによる充血のようだ。
これまでにも彼女の言う『旦那様』を創る過程でいろいろと生み出してきた彼女。して、彼女の成果。此度の副産物はというと……
「これぞまさしく心というものを理解するための最初の一歩。そう、欲望を露にしてしまう薬」
なるほど、どうやらつまり理性のタガを外して心の欲望を表に出させるモノということらしい。
「ああ、じっとしてはいられません早く次の段階を……か弱い乙女エエエエェェェェ(中略)ェェェェ!!!」
徹夜明けの謎テンションのまま、あふれ出るパッションを文字に換えて開け放たれた窓から叫ぶ澄恋。
そしてそのまま大の字になって床に倒れこむと眠ってしまう。流石に徹夜を続けて研究していた疲労が祟ったようだ。
――――薬の入った瓶に、蓋をするのを忘れたまま。
●『咲々宮邸のとある一日、其の二』
咲々宮家の朝は早い。特にここ最近では朝霧が朱に染まる頃から静かに始ま……
「か弱い乙女エエエエェェェェ(中略)ェェェェ!!!」
らなかった。
「……今朝はまた、一段と五月蝿いで御座るな」
普段通りの雄叫びに普段とは異なる何かを鋭敏に感じ取った咲々宮 幻介(p3p001387)。言うなればそう、まるで今日これから酷い目に遭うことが確約されているかのようなそんな予感。
いやいやそんなまさかと頭を振って悪い予感を追い出そうとしているところ、寝床の扉が控えめにノックされる。
「センパーイ。朝っすよー」
これもまた普段通り。いつの間にやら咲々宮邸に居候として住み着いたウルズ・ウィムフォクシー(p3p009291)が起こしに来ただけだ。それだけだというのになにか背筋を冷たいものが走る。
「セーンパーイ……起きてないんすか? 開けるっすよ?」
なぜだろうか。いつもと変わらない、普段通りなのに嫌な予感がする。これが虫の知らせというものであろうか。
「起きてるで御座るよ。今着替えているから開けないでほしい」
「そうっすか。じゃああたしは澄恋先輩の様子を見てくるっす。なぜかキッチンにいなかったので」
扉越しに去っていく気配。だが少しばかり気になることを言っていた。先ほど絶叫をあげていた澄恋が厨房にいないだなんて……なにかあったのだろうか?
不審に思いつつも確証が持てない。ここは一つ、顔でも洗ってすっきりしてから様子を見に行くとしよう。
「ん?」
――――そう考えて立ち上がった幻介の顔色はどこか優れないままだった。
●『咲々宮邸のとある一日、其の三』
異常だ。やはりなにかがおかしい。どうにも拭いきれない違和感を抱えたまま幻介は廊下を歩いていく。
時折ふと甘い匂いがしてくる他にも誰かに見られているような気がする。自らの屋敷の中にいるというのにどうにも心が休まらない。
「この異常はいったいなんで御座ろうか?」
「その問いにはボクが答えてしんぜよー」
間延びした声が足元から聞こえてくる。
「おやロロン殿。来てたので御座るか」
下を見るとそこにいたのは碧く丸い球のような物体。こんななりでもれっきとしたイレギュラーズの一員。ロロン・ラプス(p3p007992)である。
時折、澄恋の研究から生まれた副産物を引き取るために屋敷を訪れるのだが、今日もまたその商談のために来ていたらしい。
普段ならば客人としてもてなすところではあるが、今はそれよりも優先すべきことがある。
「それでロロン殿はこのおかしな雰囲気の原因を知っているので御座るか?」
「もちろんだよー。でも説明するよりついてきた方がはやいから案内するね」
ロロンに先導されて廊下を進む幻介。確かこの先には……
「いやしばし待つでござる。こちらの方には澄恋殿の研究室とやらがあったはずでは?」
「だいせーかーい。ぱちぱちー」
なるほど。元凶があっさりと判明した。いやもともと疑っていなかったと言えば嘘になるのだが。
「あやつ、此度は一体何をしでかした」
もとより様子を見に行くつもりではあった。だが彼女が異変の元凶というのならゆっくりしてはいられない。部屋まで急ぎ、ノックも無しに扉を開け放つ。後からロロンがぴょんぴょん飛び跳ねながら追ってくるが今は客人のことなど気にしてなどいられない。
「まことに申し訳ありませんでしたアアアアアァァァァ!!!」
扉を開けるなり響き渡る絶叫(本日二回目)。そこには芸術的とまで思えるほど見事な土下座を披露しながら謝罪の言葉をシャウトする澄恋の姿があった。
しかし一方で至近距離からデスボイスによる音波攻撃を無防備に受けた幻介はというと……
「し、しんでるー?」
「いやロロン殿勝手に殺すなで御座るゥ?!」
――――ほんの数秒とはいえ、意識が飛んでしまっていた。
●『咲々宮邸のとある一日、其の四』
「で」
発したのは一文字。たった一文字に万感の想いと戦場でもまず見ないほどの威圧が込められている。
「えっとですね……」
「誰が正座を崩して良いと言ったで御座るか?」
「ひっ……」
笑顔。圧倒的な笑顔。ただし青筋の走ったという前置きが付くが。誰が言ったか、笑顔とは本来攻撃的な表情であるらしい。ちょうど今、幻介はそのことがよくわかる顔をしていた。それこそただの笑顔だけで周囲を威圧している程に。
部屋の隅では怯え切ったロロンが物言わぬ置物と化してプルプル震えている。そして澄恋はというと、そろそろ正座が辛いのか別の意味でもプルプルと震えていた。
「朝のあの雄叫びの後、澄恋殿が起きてこないから不審に思ったウルズが部屋までやってきて、部屋中に気化して充満していた薬品を吸ってしまったと」
屋敷の中の甘い香りはどうやらその薬品の名残らしい。幸いにも少量だけなら良い香りがするだけで無害らしいがそれでも一大事だ。あの彼女の欲望が解放されてしまったらいったいどんなことになるのだろうか……
そらそこ、普段とあまり変わらないのでは? とか言わない。
「解毒薬はないので御座るか?」
「それがその……別に毒とかではありませんから……」
無いらしい。
「でもそんな大量にあったわけではありませんから! 効果はもって今日の夕方までくらいですから! 特に副作用とかもありませんから! 二人ともほっといても元に戻りますから!」
必死になって弁解する澄恋だが、それよりも気がかりなことがある。
「いや今なんと? 二人と言ったで御座るか? 蓋を閉め忘れて気化した薬を吸ってしまったのはウルズだけではないと?」
「いえ、それが実はもう一人……」
運悪くウルズと同じタイミングで部屋に入ってきた人物がいたらしい。
「……いったい誰で御座るか?」
「それは「見つけたのだわ!」彼女です」
幻介の背後へと視線を向ける澄恋。この声、この口調。間違えようもないが幾ばくかの希望をもって、首を錆びついた機械のように動かしながらゆっくりと振り返る。
刹那、全身の毛が逆立った。
「……華蓮殿」
――――そこには瞳に怪しい光を宿した華蓮・ナーサリー・瑞稀(p3p004864)がおしゃぶりとガラガラを持って立っていた。
●『咲々宮邸のとある一日、其の五』
「とりあえず沙汰は追って下す。わかったで御座るな!!!」
闘争か逃走か。この時幻介が選んだのは後者であった。
言葉を放ちながらついでにロロンも掴むと躊躇いもなく窓から身を躍らせ、張り出した木の枝を踏みしなりと共に大きく跳躍する。
たった一瞬、ほんの一瞬視界に収めただけだったがそれだけでもわかる。あれはヤバいと。捕まったが最期、戻れなくなると。主に幻介の尊厳とかが。
「これぞまさしく危機一髪ー」
片手に抱えたロロンが何やら言っているがそれよりも華蓮の方は……
「あなた~逃げたらメッ、なのだわ」
流石に窓から追いかけてくることはないようだが、それでもこの場に留まっていれば捕まってしまうだろう。
彼女のおっとりとした落ち着く声音も今はただ、恐怖を増すスパイスでしかない。
「今迎えに行くからそこから動かないでほしいのだわ」
そう言われて呑気に待っていてあげるほどお人好しではない。まして自身の身が危ないと来ればなおさらのこと。
これはもうどこか安全な場所を探して日暮れまで隠れている他ないと確信したその時。
「わあ先輩が空から降ってきた……これはもう、運命ってことでいいっすよね?」
一難去ってまた一難。今度は聞きたくなかった声が後ろかする。思わず振り返ると……
――――明るく元気で陽気が売りのはずの後輩が、ドロリとした闇のオーラを抱え、俯きながら立っていた。
●『咲々宮邸のとある一日、其の六』
「まあ待て、待つで御座るよウルズ」
今目の前にいるのはいつもの可愛い後輩なんかではない。れっきとした肉食獣。少しでも隙を晒せばあっという間に喰い散らかされてしまうことは想像に難くない。
「ねえ先輩。あたし考えたっす」
じりじりと迫るウルズ。それに合わせて少しずつ後退る幻介。本音を言えば即座に踵を返して走り去りたいものの、己の第六感がそれは悪手だと告げている。
「いつもいつも。いつもいつもいつも。こんなにアピールしてるのに先輩があたしを見てくれないのはどうしたらいいかって……」
「落ち着くで御座る。話し合えばわかる」
「いいえもう決めたっす。先輩をあたしだけのものにするって……」
それまで俯いていたウルズが顔をあげる。帽子のつばに隠れて見えなかった目が……
「先輩があたしだけを見て、あたしの声だけ聴いて、あたしの手からしかご飯を食べられないようにすればいいっすよね?」
一切の光が消え、濁りきった翠と紫のオッドアイ。
「さあ、覚悟は良いっすよね?」
その手に握るは鋭利な包丁。
「ボク知ってるよこういうのを絶体絶命って言うんだよねー」
なぜかイラっと来たので喋るボールをウルズに向かって投げつけた。幻介悪くない。まあ情状酌量の余地は大いにあるだろう。
「え?! うわっ?!」
「なにするだー?!」
突然投げつけられたロロンを顔面でキャッチして驚愕の声を漏らすウルズと、投げつけられたことに抗議するロロン。そして二人の声を無視して今がチャンスと逃げる幻介。
だが悲しいかな。その判断は大いに間違いであった。
「あなた。今度こそ逃げないでほしいのだわ」
逃げるのに必死でもう一人のことを考えていなかったツケが来た。逃走経路にと選んだ道の角を曲がった辺りで華蓮とばったり鉢合わせてしまう。
抱きしめようとする彼女からとっさに飛びのくも、勢い余って体勢を崩し尻餅をつく形になる。
「さあ、おとなしく私にお世話されるといいのだわ!」
ガラガラとおしゃぶりを持ってゆっくりと近付いてくる華蓮。
弱り目に祟り目とはいうが、さすがにあんまりではなかろうか。しかし災難はまだまだ続く。
「先輩……まずは逃げられないようにした方がいいっすか?」
「むきゅー」
片手に包丁を握り、もう片手に気絶したロロンを鷲掴みにしたウルズまで現れると、彼の前に目を回したスライムを放り投げる。
一人でも手に余るというのにとうとう二人同時に相手にしなければいけないとは。前門の虎に後門の狼。頼れる味方(?)は無力化され、逃げ場はもうない。
「拙者、事が終わり次第神社にでも行ってお祓いをしてもらわねば……」
――――彼がもう嫌だと天を仰ぐのも、まあ仕方のないことである。
●『咲々宮邸のとある一日、其の七』
「あなた」
「先輩」
「ふ、ふたりとも。話を……」
「今からたっぷりお世話して差し上げるのだわ」
「あたしだけを愛してほしいっす」
二人の欲望は分かりやすいもの。しかし対象はたった一人しかいない。ならばどうなるか。
「譲らないっす」「譲らないのだわ」
ウルズと華蓮、二人の間に火花が散る。互いに譲れぬものがある者同士。仁義なき戦いが幕を開けた。今ここに第一回、勝った方が幻介を好きにできる杯が開催される。
「あの、拙者の意見というか自由は……」
そこになければないですね。諦めましょう。
修羅も裸足で逃げ出すほどの激しい闘いが始まる。すでに二人を止められるのは誰もいない。
かに思えたが……
「滑り込みセーフです! えいっ!」
横合いから水風船らしきものが二つ、二人に向かって投げつけられる。
にらみ合いに夢中な二人はそのことに気づかないまま。
パンッという小気味のいい音と共に弾けた風船がウルズと華蓮に中の液体を浴びせかけ、一瞬で二人が昏倒する。
「え? 今の何でござるか?」
「……」
すでに幻介はついていけない。
ロロンは未だ気絶したままだ。となると今のを投げたのは……
「流石、暴れ馬でも5秒で昏倒させる麻酔薬。なかなかに強烈ですね!」
風船が飛んできた方へと視線を向けると、そこにはいい笑顔でやり切ったとでも言いたげに親指を立てる鬼娘。澄恋がいた。
「助かったで御座る……でもそれはそうとして罰は下すからな」
――――笑顔が一転してふくれっ面になった。
●『咲々宮邸のとある一日、其の八』
「なんとかなったで御座るなぁ……」
夕暮れ、夕飯にはまだ早い時刻ながらもそろそろ日も沈む頃。幻介は縁側でお茶をすすりながら黄昏ていた。
あれからというと、まずは昏倒した二人と気絶したままのロロンを屋敷の中に運び介抱していた。
真っ先に目覚めたのはロロンで、幻介に投げられたことに不満を言っていたがお茶菓子を出すと一転して上機嫌に。澄恋の副産物の引き取りはまた後日ということで帰っていった。少しばかりウルズを見る目に怯えが混じっていた気がしなくもないが、トラウマになっていないことを祈るばかりである。
ウルズと華蓮の二人も、すでに目覚めている。特に後遺症のようなものは見られなかったが……
「あ、あたしは先輩になんてことを……」
「私ったらなんてはしたないことをしていたのだわ?!」
正気に戻った反動で自らの行いに悶えていた。ある意味これが後遺症なのかもしれない。
――――そしてすべての元凶はというと。
「あの~幻介様? そろそろ降ろしてほしいのですが……」
簀巻きにされて軒下に吊るされていた。
「今何か言った御座るかぁ? 何も聞こえなかったで御座るなぁ?」
「あの、そろそろ降ろし……いえあの、突かないでほしいのですが?!」
「反省の色が見えんで御座るなぁ? ウン?」
この自称か弱い乙女は二人を昏倒させた後、逃げようとしたのだ。だが幻介の脚に敵うはずもなく、あっけなく捕まって御用となり宙ぶらりんの刑に処されたのである。
とはいえそろそろ夜になる。
「仕方ないで御座るなぁ。だが降ろすかわりに……」
「しますします。何でもしますからぁ!」
「では今後一切徹夜での研究は禁止で御座る」
「えぇ……そんなァァァアアアご無体なァァァァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!!!グェ」
咲々宮邸に絶叫が響く(本日三回目)。その発生源を五月蠅いと吊り下げている縄を斬り地へと落とす幻介。
「乙女の! 扱いが! なってません!」
角を立てて怒るも簀巻きのままでは芋虫も良いところ。まるで迫力がない。
「いやぁまったく。賑やかで御座るなぁ……」
――――良くも悪くも賑やかになった咲々宮邸。これはそんな屋敷のとある一日。
おまけSS『?????の??、???』
●『?????』
「皆寝た、で御座るな」
深夜。月も星も雲に隠れ。全てが真っ暗に塗りつぶされて誰もが寝静まった頃。例外がここに一人。
闇よりもなお暗い着物に着替え、腰に差した大小の二振り。準備を整え、いざ征かんとする彼の顔は、獰猛で残忍な獣の表情を浮かべた昼とはまるっきり違う顔。
「さて」
今宵の相手はそう簡単に始末できる相手ではない。下手すれば返り討ちにされるかもしれない。
だがそれでも彼に迷いはない。剣技の冴えも凍てつくほどに澄み渡っている。己が敗北する未来など斬り伏せてみせると言わんばかりに。
「行ってくるで御座る」
姉上が、澄恋が、ウルズが、そして時折ロロンや華蓮にその他もやってくるこの賑やかで騒がしい屋敷が。
――――ただいまを言う場所があるのだから。迷う必要など欠片もないのだ。