シナリオ詳細
<フィクトゥスの聖餐>しあわせでかんぺきなせかい
オープニング
●ヘブンズホール
聖なるかな――。
聖なるかな――。
聖なるかな――。
きらめく虹と無限の花園。やわらかな七色に包まれたその空間では、白い服を着た子供達が輪をつくって踊っている。
どこまでも楽しそうに、どこまでも幸せそうに、どこまでもどこまでも――この世の業からも解放されたかのように。
「『ご覧なさい、もう彼らは飢えることも、悲しむこともないのです』」
清らかな僧服を纏ったその男の名は、ファーザー・バイラム。
丸眼鏡の奥で笑みを浮かべると手を広げて示して見せた。
「あ、ああ……」
緑髪少年カイウスはそんな空間の中で立ち尽くしていた。
足元には七色の花園。空には虹。幸せな歌がいつまでも聞こえるその場所は、ファーザー・バイラムや大人達が教典に示したヘブンズホールそのものであった。
「その者にとって最も幸福な場所……死した者や断罪された魔女たちが祝福を受け清らかな魂となり、永遠の命と聖なる身体を得ていつまでも幸せに暮らす場所……本当に、あったのですね……」
見ると、紫髪の少女クーリエが感涙に震え、祈りの姿勢をとっている。
それだけではない。
これまでの戦いで命を落とした彼も、彼も、彼も!
カイウスがアドラステイアへやってきてすぐの頃、魔女と断罪した少女の姿すらそこにはあったのだ。
嗚呼、見よ。皆が笑いこちらに手招きをしているではないか!
「僕は、やっと……たどり着いたんだ、この――」
――鐘が鳴っている。
アドラステイア上層部、カンパーニレ(鐘塔)の外に立ち、メビウスはその本性を露わにしていた。
禍々しい白骨の怪物が如きその有様は、とても聖人のそれではない。
だが周囲の風景を見たならば、彼の異様はむしろ相応しいとすら言えるだろう。
地獄のようにどろどろと、黒く淀んだなにかが溢れるその景色。降り積もる雪によって黒と白のよどみが交互に生まれる様子は、この世に顕現した地獄のようであった。
「ヘブンズホールなどという<b>嘘</b>を信じ、よくここまで役に立ってくれた……」
異様な怪物となったメビウスはぼそりと呟くと鐘塔を見上げる。
ヘブンズホールの正体とはファルマコンの能力によって作り出された異空間であった。
その中にはファルマコンや『魔女喰い』によって喰らわれた『死』が取り込まれ、一部となって蠢いている。
「…………」
メビウスは黙してその風景を見つめた。
アドラステイアという『嘘』は、彼の率いる闇ギルド『新世界』にとって絶好の隠れ家であり、兵隊であり、資金源であり、実験場だった。
仕組みは単純だ。
天義からあぶれた子供達を引き取り下層にスラム街を作り上げ、度重なる魔女裁判によって疑心暗鬼と『死』を定期的に生産する。
キシェフやイコル。よき行いへの報酬と称したコントロールによって子供達は実によい素材となってくれたのだ。
その中で才能を見せた子供を聖銃士に引き立て使い捨ての戦力とし、得に功績を挙げたものを中層へと招くことで格差を作り出す。既にコントロール下にある子供達が、もはやアドラステイアを疑うことはないだろう。
子供達は血眼になって手柄を求め上を目指し、中層の更に先にあるであろう上層――ヘブンズホールという楽園を夢に見るのだ。
救われると信じて。幸せになれると信じ切って。
「『イコルの生産が止まってしまったのは計算外でしたが……神の血で代用できたのは行幸でしたね』」
メビウスの中に寄生していた肉腫、バイラムが囁く。メビウスの身体からぐにゃりと頭だけをはやして口を開くが、その行いをメビウスは咎めたりはしなかった。
このメビウスにとってバイラムという『怪物』は実によく働いてくれた。繁殖や生存といった本能に基づいて人間を転々と寄生していたバイラムの最後の宿主となってもよいと思える程度には。
「『しかし、私を宿しておきながらも自我を保ち続けるとは……あなたも只者ではなかったようですね。お見それしましたよ』」
「フン……」
そこでやっと言葉を発したメビウスは、バイラムの顔を横目で見た。
「貴様の存在はまだ役に立つ。『知識』という人質としてな」
「『イコル中毒症状の治療法……ですか。確かに、彼らはそれを欲するでしょうねえ』」
バイラムはおかしそうに笑う。
それに同調するように、メビウスもまたくつくつと笑った。
「さあ、行くとしようか。偽りの楽園へ」
がしがしと白い骨のような足を動かし、メビウスは鐘塔へと入っていく。
ファルマコンの作り出した、ヘブンズホールへと……。
●君は夜に落ちる
「聞こえる。こっちだね……」
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)はまるで導かれるように鐘塔へとたどり着いていた。
アドラステイア上層攻略作戦は佳境へと至り、ついに神ファルマコンへと迫っていた。
『わたしが、命を喰らうとき。それは肉なるあらたな生き物として息をすることだろう。
わたしが、命を作るとき。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚はわたしのものとなる。
地を滅ぼす濁流は、わたしが零した血潮の一筋よりつくられる。
しかして、わたしを愛する者は救われるであろう。
わたしはわたしを愛する者にわたしの血肉を分け与え、導くことが赦された。
それこそが、終焉へと向かう方舟の主であるわたしのすべてだ』
それはファルマコンの言葉であり、意味するところはこの人知を超えた『怪物』が死を喰らうものであるという事実であった。
スティアは集まった仲間達と顔を見合わせると、覚悟を決めたように頷いて鐘塔へと踏み入った。
無数にある異空間のうちの、ひとつ。
それはワールドエンドチャペルを拡大したような空間だった。
七色の花畑と空にかかる虹。
子供達は歌って踊り、楽しそうにしている。
その中心にはファーザー・バイラムとマスター・メビウスがそれぞれ存在していた。
「二人が……分離している? いえ、違いますね」
小金井・正純(p3p008000)は直感していた。『バイラムの肉腫』は未だメビウスの中にある。
だが『死』としてファルマコンが喰らった無数のバイラム因子がこの空間内に取り込まれているのだと。
その証拠に。
「っ――!」
空間内に無数の『ファーザー・バイラム』が現れ、全く同じ丸眼鏡を指で押して笑みを作る。
佐藤 美咲(p3p009818)がびくりと腕を振るわせ、その手首をイーリン・ジョーンズ(p3p000854)が強く掴んだ。
「気を強く持たないと、精神をもっていかれるわよ」
イーリンの忠告した通り、空間内にはささやくような声が満ちていた。
その多くは正しさの囁きであり、思わず納得してしまうような囁きだ。
「そうだね、お師様……ここは、凄く危険」
追って空間へと入ってきたココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)とフラーゴラ・トラモント(p3p000854)が周囲の光景を見渡し、顔をしかめた。
「けど大丈夫。お師匠先生とワタシたちは、いくつもこんな状況を後越えてきたんだから」
ココロとフラーゴラは顔を見合わせ、そして強く頷き合った。
アドラステイアへ挑み、力を合わせ戦ってきたいくつもの記憶がよぎる。それは信頼を越え、確信とも呼べるものだった。
「この空間なら、僕らを迎え撃てると踏んだ……って所ですか。確かにここは『悪の巣窟』って感じだもんな。胡散臭い匂いがプンプンするぜ」
あえて口調を崩し、ヨハン=レーム(p3p001117)は剣を抜いた。刀身に溢れんばかりの魔力を生じさせ、光を放った。
「まあ……そういうこと、だ」
メビウスはため息をひとつつくと、その本性を露わにした。
白骨に包まれたかのような異形の怪物へと。隠しもしないその気配は魔種のそれだ。
同時に、周囲の子供達が次々に笑いながら聖獣の姿へと変化していく。
アドラステイアの骨格とも言うべき闇ギルド『新世界』。
そのギルドマスターであるメビウスを倒さぬ限り、このような悲劇がくり返されるだろう。
だがそのメビウスは今、アドラステイアの果ても果て、ヘブンズホールの先にある異空間へと逃げ込んでいた。
今がその時であり、こここそが正念場である。
「様式美として言っておこうか。『お前の野望もここまでだ』、とね。抵抗してくれていいぜ、ここでキッチリ倒すからよ!」
- <フィクトゥスの聖餐>しあわせでかんぺきなせかい完了
- GM名黒筆墨汁
- 種別EX
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2023年01月20日 22時45分
- 参加人数10/10人
- 相談8日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
リプレイ
●しあわせでかんぺきなせかい
花が咲いている。鐘が鳴っている。子供達の歌が聞こえる。
白く清らかな衣を纏った子供達が、笑顔でこちらへ振り返る。
彼らは歪みに歪み、狂笑をあげながら聖獣へと変化した。それも、アドラステイア郊外ではお目にかからないほど強力な怪物へと。
「ごめんなさい」
『魔女断罪』ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)はうつむき、呟いた。
翼在る大蛇が猛毒の牙を剥き襲いかかるその一瞬のなかで。
(わたし達はアドラステイアの真実を知っている。
新世界? こんなの何一つ新しくないじゃない)
牙が、ココロの肩と首へと食らいつく。大蛇の目が獲物を狩り殺したと確信したように歪んだ……が。
牙が届くその一瞬前には、ココロを真珠色の癒やしのオーラが包み込んでいた。
(嘘とまやかしはもう終わりにしましょう。メビウス、滅する時が来たのよ)
垂れた髪の間から、青い瞳が煌めいている。
大蛇はそのことで、自らの毒も傷も即座に中和され治癒されていることに気がついた。
ならばこれは空振りと同じだ。慌てたように飛び退く大蛇の喉を、ココロの鋭い剣が貫いた。
「助けられなかった」
血を吐き、崩れる大蛇。
「お師匠様!」
手を伸ばしたココロから、蒼く広大な海を思わせる、あるいは寄せて返す波を思わせる術が飛び『天才になれなかった女』イーリン・ジョーンズ(p3p000854)へと染みこんだ。
治癒の力を強化され、イーリンはゆっくりと自らの手のひらを見つめる。
そして、周囲をもう一度見回した。
天義から駆けつけた騎士達が聖獣の群れやバイラムたちと戦い、中には傷付き撤退する者の姿もある。
「まさかいないわよねグランディス」
「はい、いませんとも司書殿」
背後で物凄く聞き覚えのある声がした。鋭き爪の氷熊による打撃をカイトシールドで受け止めた黒鎧の騎士の姿がちらりと見えたが、イーリンはあえて無視をした。今は、時ではない。
「弟子二人と、美咲の手前。格好つけさせてもらうわよ」
目の前には楽しく手をつなぎ輪になって踊る少女達。
こちらを振り向く笑顔はまぶしく、その面影はマリリンやアガフォンを思わせた。
彼らは、『ここ』を目指したのだ。
『こうなる』ことが夢だったのだ。
そう信じて、がむしゃらに生きた。汚いこともした。非道なこともした。嘘もついて、騙して、壊して。善悪の基準だって、自分のなかでねじ曲げただろう。
少女達が笑いながらねじくれ、巨大な暴風を纏うムカデへと変化していく。
「報われないじゃない。そんな人生」
イーリンは握った剣に波濤の力を宿すと、イーリンの腕をもぎ取っていこうとするムカデの鱗を流れるように切り払う。
「此処に立つ騎士なら誰もが知るでしょう。大敵、ベアトリーチェを! 死の軍勢を! 隣に立っていた仲間が、死して突然刃を向ける恐怖を!
あれに比べ、なんとこの戦場の容易い事か!」
旗を掲げる。それに応じて『応』と声を上げた騎士達が、巨大なムカデへと襲いかかっていく。
その中には『【星空の友達】/不完全な願望器』ヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)の姿もまたあった。
「旅人を好くか嫌うかは自由だけど、子供達を犠牲にした時点で駄目。
こんな空間にも敵にも絶対打ち勝つ……覚悟しろ、魔種も湧き眼鏡も。
そして……イコル中毒の解消方法も聞き出さないとね」
ヨゾラが『ケイオスタイド』を発動させると混戦状態にあったなかに渦が起きる。的のみに作用する広域範囲魔法はこういった時に大助かりだ。
ヘブンズホールの先にある聖獣たちだけあってその魔法すら耐えるが、ヨゾラとてそれを想定しない筈はない。
「旅人嫌いは別にいいけど、犠牲になった子供は純種も多い。貴様の大っ嫌いな旅人にぶん殴られて報いを受けろ!」
ヨゾラは『星の破撃』を発動させた。至近距離まで迫り、まるで夜の空を駆ける一筋の流星のごとく輝く拳を叩きつけたのである。
衝撃。破壊。そして破裂。巨大なムカデ型聖獣は弾けて飛び、ヨゾラは返す刀ならぬ返す『星天の願歌』で周囲の騎士達に治癒の力を降り注がせた。
「ココロ、フラーゴラ。任せるわよ」
イーリンの呼びかけにココロと、そして『オリーブのしずく』フラーゴラ・トラモント(p3p008825)が勇ましく答えた。
「はい、お師匠先生!」
仲間達に率先するように素早く動き出したフラーゴラは、既に聖獣たちの間を駆け抜け強力な聖獣の一体へと迫っていた。
(掬える(救える)人なら掬いたい。普通の日常を、幸せを、手にして欲しい……!)
これまで出会った人々のことを思い出す。
アドラステイアに救われたと思い込み、怪物へと成り果ててしまった少年の物語。
自分は世界を救うために戦うのだと信じ、旅人たちを次々に手にかけてしまった少女の物語。
救える魂もあれば、救えなかった魂もある。けれど、まだ遅くない。
ここで諦めて、投げ出してしまったら何人の悲劇が悲劇のまま終わってしまうだろう。
翼を広げた竜のまがいものとも言うべき聖獣が吠え、その爪をふるう。
フラーゴラはそれを軽やかに回避し、竜もどきの吐き出す聖なるブレスをも跳躍によって回避した。盾の煌めきが強くなり、駆け抜ける白い流星となったフラーゴラは、竜もどきの後ろで小さく息を吐く。
「あなたの物語は、ここでおしまい。幸せな夢のなかで、せめて」
突如として燃え上がった白い炎に包まれ、聖獣は叫びをあげる。
周囲の景色が、まるで霧が晴れるかのように変わっていく。
それは『聖女頌歌』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)にとって因縁深い、ノフノの街の魔女裁判の風景であった。
異なるのは、吊された誰もが笑顔であるということだ。
「この世界の浄化に立ち会えて光栄です」
「ぼくが生きていくのは間違っていたのです」
「これ以上世界を穢す前に、どうかこの命をお断ち下さい」
「嗚呼、ありがとう、ありがとう……」
涙を流し笑う騎士たち。
スティアは一度だけ目を閉じると、祈りを込めて目を開いた。
吊された騎士達の姿がぐにゃりと変化し、首なし巨人の聖獣が現れる。
「これまでに犠牲になった人達の為にも……」
スティアは『セラフィム』のページを開くと、まるで風が舞い上がるかのように白い天使の羽根に似た魔力残滓が螺旋を描き吹き上がっていく。
巨人がスティアへ殴りかかるが、同時に天使の羽根が舞う『聖域』もまた殴りかかった。
そこに巨大な誰かがいるかのように、聖域と巨人の拳が真正面からぶつかり合う。
拳をとめられた巨人はもう一撃と腕を引き絞り、自らの手首から先が無くなっていることにはたと気付く。
相殺したのではない。破壊され、食いちぎられたのだ。
スティアはページの一文を読み上げるかのようにスッと指をはわせ、なにかをささやく。
頭の中に流れる祈りの声に、問いかけるように。
途端、銀の流星が巨人の胸を貫いて飛ぶ。
『Le Chasseur.』アッシュ・ウィンター・チャイルド(p3p007834)が放った矢である。
それは空中で弾けるように散り、巨人の身体を引き裂いてしまった。
「結局、多くの子供達が獣へと身を堕としてしまったのですね。
もっと……もっとわたし達が、上手く戦えていたなら」
ヘブンズホールへ至った子供達の犠牲は、アドラステイアがこれまで長くあり続けたための犠牲だといっていいだろう。このまま残しておけば、偽りの救いに縋り怪物へ成り果てる子供達が増え続けることになる。
「アッシュさん……」
心配するように問いかけるスティアに、アッシュはこくりと頷いて返す。
「折れてはいませんよ。唯、沸々と。胸の内から、何かが湧き上がっているのです」
周囲の景色が再び切り替わり、広大な花園が見える。
取り囲む成獣たち。アッシュは取り出した銀のスローイングダガーをどこからともなく大量に抜くと、華麗な一回転によって全方位へ投擲した。
「ゆっくりと、おやすみなさい」
「天義の騎士たちよ!これより我々は偽りの神を討つ!
そしてこの聖獣となった子供たちを邪悪なる器から解放する!正義の剣と慈悲によって弔うのだ!
騎士! それは信仰を失ってしまった者すらも照らす光であれ!」
『帝国軽騎兵隊客員軍医将校』ヨハン=レーム(p3p001117)は蒼く美しい剣を天に掲げると、騎士達と共に走り出す。
「突撃!!」
正面から迎え撃つは聖獣の群れ。
馬と人が混ざり合ったものや、巨大な球体から大量の腕がはえたもの。宙に浮かぶ上半身や巨大な口だけがついた生首。
まさに怪物達と表現して相違ない集団相手に、ヨハンは吠えた。
その祈りとも呼べる声は天義の神を信仰する騎士達により強力な加護をもたらし、ヨハンを中心としたその一団は見事に聖獣の群れを食い破っていく。
「さぁ、神殺しと行こうか! 散々ガキどもをけしかけてきた黒幕の本拠地、どう見繕っても陥落するね!」
この一団のキモはヨハンだ。彼の能力はあらゆる形で天義の騎士達を強化し、巨大な神の怪物が如き力を発揮させてしまう。
ゆえに聖獣たちの狙いはヨハンへ集中するのだが……。
キン――という硬質な音が聖獣たちの攻撃を阻んだ。
「悪趣味な場所だと思いますよ。ここは」
ひとりの少女、『未来への葬送』マリエッタ・エーレイン(p3p010534)が立ちはだかっている。
聖獣によって斬り付けられたのだろう。両腕からは血がながれ、手のひらはべっとりと赤く染まっている。
地はまるで無重力の中にあるかのように丸い滴となって浮かび上がり、彼女の周囲を覆い始める。
「今すぐに壊してしまいたいと…心の内からも、そう思うぐらいに」
全ての血が固まり、大量の十字のダガーナイフとなって聖獣たちへ向いた。
「けれど…都合のいい空間も、貴方達の企みも。
ここで終わりにしましょう。全て、奪って在るべき場所へと送りましょう。
それが今の私の、死血の魔女の役目。私が成すべき事なのですから」
すう、と翳した手。さした指が示すのは死の宣告である。
聖獣たちがなにかするよりも早く、血のナイフたちは聖獣へと次々に突き刺さっていった。
その先に、半裸の男が立っている。ダメージジーンズと丸眼鏡型のサングラス。
ニッと笑ったその歯には鋭い犬歯。
「ファーザー・バイラム」
「ええ。ようこそ、幸せで完璧な世界へ」
パッと右手を開いてみせるバイラム。『合理的じゃない』佐藤 美咲(p3p009818)はそんな彼に向けて拳銃を構えると、トリガーを何度も引きまくった。
片翼の胎児めいた聖獣たちが何匹もあらわれ、バイラムを守るように銃弾を阻む。キャハハキャハハと無邪気に笑いながら、胎児たちが血を吹いてその場にぼとぼとと落ちていった。
足元に落ちて絶命した聖獣を拾いあげ、バイラムは優しく血のついた表面を撫でた。
「この子の名前はティララ。弟想いのお姉さんです。弟と一緒にカフェを開くのが夢なのですよ。とても素敵な、いい子ですねえ」
チッ、と美咲は舌打ちした。
自らの『左腕』に力を込めて。
「この子たちはもう苦しむことはありません。天義の国では救われず、スラムに零落れ飢えて死ぬ運命だったこの子たちは、いま飢えも乾きも悲しみもない、ファルマコンの中に溶けたのです。そう、この子たちは『救済』されたのですよ」
「うるせえんスよ」
美咲は珍しく口汚く呟いた。
「貴方はまあまあ上等っスよ。何も出来なかった奴らと違って、少なくとも子供たちに手を差し伸べた。私が貴方の立場だったら、どうすればいいかわからなかったでしょうね」
イーリンがそんな美咲を、その左腕をちらりと見たのが分かった。いつかのホテルでのやりとりを思い出し、苦笑する。
「けれど今は、関係ないんスよ」
ヨハンを中心とした騎士たちが、メビウスへと迫りつつある。
その一方で、『燻る微熱』小金井・正純(p3p008000)は弓に矢をつがえていた。
「耳心地のいい教義と、悪意ある優しい嘘で子供たちを利用して、作り上げたのがこの見た目だけ取り繕った……不快な空間」
どこまでも救えない。正純は奥歯をかみしめ、これまで『救えなかった』魂たちを想った。
「救いを求める心すら利用した貴方たちに、救いなど必要ないのでしょう。ここで、その偽りの祈りを打ち砕きます」
正純の放った矢は六本腕の聖獣に掴まれ止められた。
聖獣は猛烈な速度で正純に迫り、腕を突き出してくる。
首へと伸びたその腕が――スパン、と剣で切り落とされた。
鳥の翼を象った鎧と片手剣。
その姿は正純の目に強く焼き付いている。
「――セルゲイ!?」
「『正しさ』で戦うのは、もうやめました。流星の弓使い……いいえ、正純」
鋭い視線で正純を見ると、聖獣へと向き直り剣を構える。
「私がなぜ助かったのか、まだ分かりません。けれどそれが分かっていれば……『彼ら』がこうなる前に救えたのでしょう」
だから、とセルゲイは聖獣へと挑みかかる。
「私は『後悔』で戦う。いつか罪が、償われたと信じられるまで」
そちらは任せました。そう呟くセルゲイに、正純は頷いた。
「決して皆さん、ご無理はなさらぬよう」
他の騎士たちにも向けてそう声をかけると、正純は走り出す。
救いの手段を、見つけるために。
●正しさよりも正しいもの
風景が複雑に切り替わる戦場で、ヨハンは瓦礫の山を踏んでいた。
その周囲を固めるのは天義から駆けつけたの騎士たち。
「お前らのようなクズが思いつく解消方法など僕が研究して薬でも何でも完成させてやる。そもそも薬なんかなくてもな、人々の生きる意志はイコルなんかにゃ負けやしねえんだ! 僕は信じている!」
ヨハンは目を見開き、苛烈な瞳で相手を……その主眼であるメビウスをにらみ付ける。
対するメビウスはその異様たる肉体をゆっくりと立ち上がらせ、巨大な剣のごとく変化した両腕を広げる。
「強がりを言えば勝てる、とでも?」
「負け惜しみを言えば、負けないとでも?」
ヨハンが軽快に言い返すことで、メビウスはチッと舌打ちをした。
「この生命に代えてでもメビウス、お前を討つ――と言いたい所だが。僕は命の灯火を守る者だ。犠牲を伴う勝利なんざくそくらえだ!」
征くぞ! ヨハンが叫ぶと同時に騎士たちは行動を開始した。
剣を持つ者は斬りかかり、僧服を纏う者は術を唱える。宙に舞い上がり弓を構える者たちの援護を受けながらヨハンはその先陣を切る。
周囲の聖獣たちと騎士たちが真正面からぶつかり合う中で、ヨハンの剣とメビウスの剣がぶつかり合った。
といっても、ヨハンのそれは攻撃ではない。彼を中心に広がった広範な治癒のフィールドが騎士たちを癒やし、同時にヨハンを狙うメビウスの攻撃を吸収する。
あまりにも厄介すぎる。
ヨハンは彼らアドラステイアの屋台骨である『新世界』にとっての、紛れもない強敵となり得ていた。
ヨゾラは星空に立っていた。
そう。満点の星が敷き詰められたような夜の空へ、重力が上下反転したかのように立っている。大地らしきものははるか遠く暗い頭上にあり、まるで大地が消えてしまったかのようだ。
そんなヨゾラを取り囲むように、数人のファーザー・バイラムが全く同時にそのサングラスに指をかける。
(バイラムの因子を誰にも引き継げない時、知識を誰にも残せず死ぬ時。
奴はどう思うんだろうね。
知識ごと死ぬから嘲笑うのか。
無駄になる位なら、打ち明けるのか。
肉腫の考えは僕にはわからないけど)
ヨゾラはぐるりとバイラムたちを見回し、そしてどれにともなく問いかける。
「バイラム。知識はさ、君と一緒に殺されるなら……無意味になるよ」
「「無意味、とは?」」
襲いかかってくる様子はない。どころか、こちらに答えた。
ヨゾラはそのまま話を続けることにする。
「君は抱えた知識を、君だけが知る解除方法を……無駄にしても、どこにも残らなくてもいいのかな」
「「ほう……」」
ヨゾラの読みは、確かに正鵠を射るものであった。
これまで何人もの身体を渡り歩いてきたバイラムという肉腫の怪物は、その宿主が死ぬ度に新たな寄生先を求めていた。
(他の体に依存する存在である僕は、無駄にしたくない、何か残したい、って思うけど。知識でも、思い出でも)
白銀の草がどこまでも敷き詰められた大地と、血のように紅い空。
その二つに挟まれて、アッシュとマリエッタは背を合わせ立っていた。
彼女たちを取り囲むように無数のファーザー・バイラムが立っている。
その姿は一定のようであり、しかし少しずつ違った。
小太りな男であったり、髪の長い女性であったり、立派なキャソックを纏っていることもあれば、黒い鎧を纏っていることもある。
最初に口を開いたのは、ダメージジーンズだけを纏った上半身半裸の男だ。
その肉体は引き締まり、背の高さも相まってまるで塔のような印象を与える。
「ようこそ、ヘブンズホールへ。歓迎しましょう」
優しい問いかけに、しかしアッシュは答えない。
素早く弓を引き、バイラムの額にその矢は正確に突き刺さった。
血を吹き倒れるバイラム。すると今度はキャソック姿のバイラムが手を翳した。
「ここは苦しみのない、真に救済された世界なのです。この場所に導かれた子供たちは皆、不幸という楔から解き放たれたのです」
「詭弁ですね」
やっと答えたマリエッタはしかし、血でできたナイフを放ちバイラムの首を深く切りつける。血を吹き上げ喉を押さえながら崩れ落ちるバイラム。
すると髪の長い女性が口を開いた。
「知りたいと思いませんか。不幸のない世界の作り方を。いや……あなたが知りたいのは、イコルに依存した子供たちの解放手段、でしょうか?」
「確かに魅力的な話です。私も皆さんもそれは知りたい。知ればどれだけが救えるか……けれど」
マリエッタは手を翳し、その手のひらに紅い球体を作り出した。ばしゃんと弾けたそれは突如として大きな鎌へと変化し、マリエッタに握られる。
「それを盾に殺せないなんて、思わないでください」
マリエッタが飛び出すと同時に、アッシュもまた飛び出していた。
二人の描く銀と紅の軌跡は幾重にも交差し、交差し、周囲を囲むバイラムたちを残らず殺していく。
「わたしは、殺す為に造られた物。
だから…もう何も戻らない、戻せないのだとしても、此の惨劇を生み出した、貴方がたを。今日、此処で殺します」
アッシュの冷酷なまでの呟きが、形なき殺意となってバイラムたちを呑み込むかのようだった。
そんな中で、また新たなバイラムが地面から生えるように出現する。
「わからなければ調べ、研究しましょう。あまり私達を甘く見ないで。貴方の心の中に、もう何も残っていないのならば…文字通り消えてしまいなさい、バイラム」
マリエッタは鎌を握りしめ、そして力ある視線をバイラムに突きつけた。
「けれど、それでもまだ少しでも心があるなら――私達に力を貸してください」
次々に仲間達が引き離されている。そう確信した正純は護身用の短剣に手を伸ばした。
途端、背後からがしりと手首を掴まれる。
「――!」
振り払おうとする正純の身体に腕が回り、長く屈強な両腕によって正純はたちまち拘束されてしまった。
「セルゲイを助けてくれたのですね、あなたは優しい。とても素晴らしい人物です、正純」
耳元で囁きかける声は、まるで深い父性をもっているかのようだった。
心の裏に滑り込むような、まるで自分の本当の父親に出会ってしまったかのような。
「しかし……なんと哀れなのでしょう。セルゲイ。彼は弟を失った悲しみと、自らが犯した罪の苦しみを生涯追い続けることになる。
考えたことはありませんか? 『消えてしまえば楽になる』――と」
ハッと目を見開く正純。気付けば小高い丘の上。満点の星空が広がるも、その『声』は聞こえない。
激しい痛みが全身に走り、身体に鎖状の痣が浮きあがる。
それが首まで上がったところで、正純は奥歯を強くかみしめた。
「もう苦しむ必要はありません。赦されてよいのです。痛みにもだえることももうありません。そうでしょう、マザー・正純」
フッ――と正純の目から星の輝きが消え。
イエスと喉の奥から呟こうとした。
その時。
『日和ってんじゃねえぞ!』
脳裏から声がした。なじみ深い、あの、神父ともいえないほど屈強な男の声が。
『テメェはなんのために家を出た? 何のために――誰のためだ!?』
胸の奥から湧き上がる、それは熱である。
熱であり、輝きであり、光であり、誤解を恐れずに述べるならそれは――『星』であった。
「バイラム!」
力尽くで拘束を逃れると、痛みの走る身体を無理矢理動かしてバイラムの顔面を鷲掴みにした。
「方は危険だ。貴方の言葉は、人の心の柔い部分に触れ、腐らせる。その意志も、願いも無視して、過ちを、さも正しいことのように言い聞かせる」
「ぐ――!?」
「お前の言うように『正しく』使ってやるから、お前の持ってるものを渡しなさい!」
正純の力は、常軌を逸したものになっていた。
バイラムの顔面に指が食い込み血が流れ、がくりと膝を突いた相手を大きく見開いた目が睨む。その奥には、確かに星が光っていた。
「お前の言う正しさなんて、とっくに飲み込んでやってるんですよ!」
「お師匠様!? 妹弟子(フラーゴラ)!? みんな、どこ!?」
ココロは広い広い海のまんなかにいた。
水面に、まるでガラスの床でもあるかのように立って……それきり。ひとりきりだった。
そんなココロの足元。海中にバイラムが反転して立っている。
互いに視線を交わしもしないのに、ココロの脳裏にはバイラムの声が聞こえた。
「あなたの腕は短い。世界の反対側にまで届かない。もし手の届く誰かを救ったその瞬間にも、遠くで誰かが悲劇の中で命を落とすのです。ああ、なんとこの世界は無情なのでしょう。あなたはこんなに、頑張っているのに」
ずず……とココロが水面へと沈んでいく。もがこうとするも、それは無意味だった。とぷんと顔まで水面に浸かったところで、呼吸が出来ないことに気付く。体験したことのない感覚に混乱し、もがく。
「認めてくれた人がいました。けれど、認めないひともいます。あなたを嫌うひと。あなたを憎むひと。何故でしょう、おかしいことです。あなたはこんなにも真摯なのに」
喉を押さえ、ごぼっと泡を吐き出す。目を瞑ると、まるで絶望がまぶたの裏にあるようだった。
薄めを開けば、周囲には奇怪な怪物たちが取り囲んでいる。巨大なタコや鮫の怪物がココロに迫り、口を開き――。
「ココロ!!」
そして銃声が、世界をかき消した。
まるでガラスが砕けるように消えた世界の中心で、ココロは花咲く園に横たわる。
取り囲む無数の聖獣たちに向け、マスケット銃を構える誰かの姿が逆行のシルエットになって網膜に映った。
一気に息を吸い起き上がると、そんなココロに『彼女』は手を伸ばした。
「……ジェニ、ファー?」
そう、それはかつて『雷桜の聖銃士』と呼ばれ、いくつもの罪を重ねてきた少女。ジェニファー・トールキンであった。
長い金髪を流すようにしたジェニファーは、つい伸ばしたココロの手をつかみ引っ張り上げる。
服装は、白いワンピース。背に開いたあなから翼がのび、革の眼帯だけがかつてのままだ。
「なんで、ここに」
「さあね。きっと私は、自分の信じた神を裏切ったんだわ。どうしようもなく惨めで、苦しくて、みっともないわね」
自嘲気味に笑うジェニファーは、ココロのほうを見る。
「あなたに捕まった時から……いいえ、あなたと出会った時から散々だったわ。私の人生下り坂で、抵抗も出来ずに転がり落ちたのよ。この気持ち分かる?」
沈黙するココロをよそに、ジェニファーは周囲の聖獣たちを睨む。
「けどなぜかしら。今、人生で一番……『生きてる』って気がするわ」
マスケット銃を撃ちまくるジェニファー。聖獣たちが血を吹き崩れ落ち、そしてまた新たな聖獣が襲いかかる。
「あなたが『寄越した』人生よ。責任もって、あなたも生きなさい」
神々しいほどの魔法を込めて、ジェニファーが銃撃を放った。穿たれた群れのその先に、メビウスが立っている。
「うん」
ココロは、もう迷うことなどなかった。
「治療法を教えてバイラム。そしたら身寄りや頼るべき居場所を無くした子供達が、自分たちが生きる道を探せる程にまっとうな生活を送れるよう、生涯をかけて尽力します。これは、契約です」
ジェニファーをちらりと見てから、ココロは叫ぶように続けた。
「あなたにはわかるでしょう。私の、心の声が!」
「バイラム!」
フラーゴラは屍だらけの戦場を走っていた。
足の踏み場も分からぬほどに屍が散乱する大地。あちこちから炎と黒煙があがり、空はその煙に覆われていた。
バイラムはまるでオーケストラの指揮者のごとく小高い屍の山の上に立ち、悠然と手を広げていた。
相手に強く干渉するようににらみ付けるフラーゴラ。
バイラムの目が、そんなフラーゴラを見返した。
心を締め付ける無数の罪。後悔。そして失敗。
まるでそれを責めるかのように、周囲の屍たちが立ち上がり聖獣へと変化していった。
聖獣の顔は、マリリンやアガフォンたちのものに見えたきがした。
「なんでお前は生きている?」
そんな風に問いかけられたような気がした。
きっと、『ずっとずっとむかし』の自分なら膝を突いてしまっただろう。泣きじゃくってもう歩けなくなってしまったかもしれない。
けれど、今は違う。
「アトさん――」
大好きなものがある。
空を埋める黒煙が、僅かに晴れた。
「お師匠先生、姉弟子――」
大好きな場所がある。
晴れ渡る空はどこまでも広がり、白く美しい光を降り注がせた。
そんな天空を貫くように、紫炎の柱が立ち上る。その中心から、ゆっくりとイーリンが歩み出た。
「あの時、私達は死ねなかったのではない。今この時、そしてこの先も天義を守護し育むために生きている! その伽藍堂の揺り籠から、子供達を返して貰う!」
イーリンの呼び声は、フラーゴラの迷いを払うに充分であった。
『バリスティックシールド』をつけた腕。拳をぎゅっと握り、周囲の聖獣を文字通りに薙ぎ払う。
バイラムが巨大な血色の腕を作り出しイーリンに掴みかかるが、それをフラーゴラが蹴り飛ばすことで防御した。
イーリンは突き進み、抜いた剣をバイラムへと突き立てる。
「そうよ、私達は生きている。『あの子』の願いを受け継いで、『誰か』の悲願を受け継いで――無駄じゃなかったと、この世界に思い知らせるのよ!」
そしてイーリンは、新たな名を呼んだ。
「来なさい、美咲! 『対価』を支払う時よ!」
世界が砕け、燃えるように消えていく。
花咲く園を踏み散らし、美咲がバイラムめがけ突進していた。
「メビウス! お前のバイラムをよこせッ!」
「なん、ですって……?」
バイラム(メビウス)は困惑したように首を振る。
そして拒絶するように繰り出した巨大な血色の剣を、美咲はその左腕で受け止めた。
ガキンと硬質な音が鳴り、覆っていた手袋と袖が魔力的衝撃によって破れて散った。
(そういえばイーリン以外に左腕見せたの、初めてだな)
美咲はそんなふうに心の中で呟いて、相手の剣を握りつぶす。
優れたオートマチックピストルも、効率的戦闘を補佐する眼鏡も、まるで使わない非効率的な、愚かとすら言える戦い方だった。
しかし今は、こうしなくちゃ収まらない。
胸の奥から、吐きそうなくらい滾っているのは、ずっとずっと昔に捨てた■■なのだから。
「私はきっと明日も間違える!
だって! 仲間と呼んでしまう存在も! 既に果てた憧憬も! 戦いに挑む意思も!
佐藤美咲は間違いの積み重ねで出来ているのだから!」
『あの子』はきっと救われやしない。
『あの子』はきっと自分を恨むだろう。
けれど。
けれど。
嗚呼、どうしようもない。
いや、『どうでもいい』!
「自分がそうしようと思った! それで私は命を懸けられる! 渡せ、『未来』を!」
世界が砕けて散っていく。
メビウスが、無数に分裂したバイラムを経由して蓄積したダメージによってその肉体を崩壊させつつあるのだ。
最後の最後に向き合ったのは……そう、やはりというべきか、スティアであった。
ノフノの街の風景が風のように過ぎ去り、フォルトゥーナの風景が霧のように晴れ、やがてたどり着いた花園とチャペルの中に、スティアとメビウスは向き合っていた。
「聞こえた?」
スティアの問いかけに、メビウスは沈黙した。
あまりにも大量に分裂させすぎたのだろうか。その意識は徐々にバイラムに侵食されつつあるようだ。事実、メビウスの脇腹にはヨハンの剣が突き刺さり、他にも仲間達によって致命傷といっていいほどの傷を受けているのがわかる。メビウスの頭はぐったりとうつむき、そこから生えたバイラムの頭だけがやれやれといった様子で笑みを浮かべている。
「イコル中毒者の治療方法を知りたい。そうですね?」
バイラムの問いかけに、スティアは素直に頷いた。
『取引』はもう皆が済ませた。
『決意』ももう、皆が見せた。
だから今は、スティアの番だ。
あの街の魔女裁判からずっと向き合ってきた、スティアの番なのだ。
「たとえこのアドラステイアが陥落したとしても、ファルマコンを信仰する人々は残るでしょう。なぜならそれは、歴史への疑惑であり、現実への拒絶から生まれたのですから」
天義という国が抱えた腐敗。そして魔種によって少なからず支配を受けていたのだという事実。人によっては世界が揺らぐほどのそれは、新たな信仰を生むに充分であった。
「そして彼らは、現実から逃れるためにイコルを求め続ける。アドラステイアから根絶させたとしても、外部に流れたイコルや、その存在の噂を求め彷徨うでしょう。なぜならそれこそが、あの子たちにとっての『人生』であり『執着』なのですから」
優しく囁くバイラムに、スティアは頷いた。
「分かってるよ。だから、教えて。あの子たちを救う方法を。その『対価』を」
「私を逃がすことだと言ったら?」
「ごめんね。それは飲めない」
「でしょうねえ」
はやした腕でそっと眼鏡をおさえるバイラム。
スティアは半歩だけ、彼へと踏み込んだ。
「わかるよ。バイラム。
あなたも『執着』したんだよね」
その言葉に、バイラムはハッと動きを止めた。まるで凍り付いたように。
スティアは更に歩を進める。
「この世界に生まれたとき、あなたは何物でもなかった。
背景とする物語も、自分を生んだ親すらも。生きる目的だってなかった。
あなたはただの肉腫で、誰もあなたを『誰か』だと思わなかった。そんなの、産まれてないのと一緒だから」
更に歩を進める。
腕が届くほどの距離にあって、バイラムは動かない。
「だから物語を求めた。だから信仰を求めた。魔女裁判をして、自分が中心の居場所を作った。それが脆く崩れ去ったら、フォルトゥーナを作った。綺麗な幻でみんなを支配して……そうやってあなたは『誰か』になった。最後はそう、メビウス」
硬直するバイラムに、スティアは手を伸ばした。
その手が、バイラムの眼鏡をそっと取り外す。
黒い宝石のような目が、スティアを見ていた。
「あなたはこれ以上無い『誰か』になれた。けれどもう、それもおしまい。どうだった? それは、『人生』だったかな」
スティアの問いかけに、バイラムはただ黙ったままだ。
「けれど……もう分かってるよね。ここにいる皆が証明した。人生は……人は、物語になれるって」
ココロが、イーリンが、ヨゾラが、ヨハンが、アッシュが、正純が、フラーゴラが、美咲が、マリエッタが……皆が証明してきたことだ。
人生という物語を、彼と彼女たちは紡いできたのだと。
「あなたも『物語』にしてあげる。それを、『対価』にするよ」
スティアが手がバイラムに触れたその途端、バイラムの肉体はぼろぼろと崩れていった。
そうして力すらも失ったのだろう。メビウスの肉体もまた崩れ、風に浚われるように消えていく。
スティアの脳裏に……そしてまた仲間達の脳裏にも、新しい歌が聞こえた。
それは確かに、彼女たちが求めた『治療法』であった。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
新世界のメビウス、そしてファーザー・バイラムを倒し、イコル中毒の治療法を手に入れました。
GMコメント
●成功条件:メビウスの撃破
ヘブンズホールの先にある異空間『真なる虹の聖堂』にて、ついに新世界のギルドマスター・メビウスを追い詰めました。
メビウスは完全形態へと変化し、空間内に集めていた聖獣やバイラム因子を解き放ち襲いかかってきます。
この猛攻をはねのけ、メビウスを討つのです。
●エネミー
・メビウス
魔種としての本性と正体を現した怪物です。
異常な強さを持ち、その力によってバイラムの因子を宿したままでも完璧に自我を保っています。どころか、バイラムを操るまでに至っています。
闇ギルド『新世界』のギルドマスターであり、ウォーカーとそれを擁するローレットへ明確に敵対する存在でもあります。
・バイラム
この空間内にて無尽蔵かと思えるほどに湧き続ける大量の『ファーザー・バイラム』です。
血肉を自在に操るその戦闘力は脅威となるでしょう。一体ずつの戦闘力は通常個体に比べて低いようですが、数の力は非常に厄介となるでしょう。
また、『ファーザー・バイラム』はイコル中毒の解消方法を知っています。この戦いの中で方法を聞き出すことができるかもしれません。
・聖獣
ファルマコンに食われた『死』の一部としてこの空間内に住んでいる子供達です。
彼らは聖獣へと変化し、イレギュラーズたちへ襲いかかります。
こちらは数が限られますが、その分強力な個体が揃っています。
メビウスが用意した最後の護衛戦力といった所でしょう。
●味方戦力
天義の騎士たちが応援に駆けつけており、味方戦力として機能しています。
ですが彼らも死んでしまえばファルマコンの力の一部となってしまうため、戦闘不能やそれに近い状態になれば安全マージンをとって撤退することになっています。
※今回は特別なキャラクターが応援に駆けつけることがあります
●バイラムの囁き
この空間内では次々に沸くバイラムたちがこちらの精神を乱そうと心へ直接ささやきかけてきます。
強い決意を表明する言葉や想いを抱くことで、この囁きをレジストすることができるでしょう。
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