シナリオ詳細
<ネメセイアの鐘>逃れられざるもの
オープニング
●
死は平等に訪れる。何人たりとも逃れぬ事の出来ぬものである。
故、死は神が万人に授けた最上の贈り物なのだ。
ファルマコンの言葉である。
罪を犯した者は渓底へと投げ落とせ。その先、死を超越し罪を濯ぐ事が出来よう――
雪がちらついている。白い吐息を吐出してアーリア・スピリッツ(p3p004400)はアスピーダ・タラサ近郊の痩せた土地を眺めた。
独立都市アドラステイア。そう名乗り上げる事となった港湾の都市は、元はと言えば『冠位強欲』ベアトリーチェ・ラ・レーテによる恐ろしき夜が齎した結末であった。教義に反する教会への反発意識が新たな神を創造したともされている。
アーリアの眼前にあるアスピーダ・タラサは隣国である鉄帝国の同行を確認するために作られた港湾の城塞都市だ。
元より堅牢であったその地に『新世界』と呼ばれたギルドと――アーリアには誰が黒であるかは分からないが、何者かが――力を貸して急成長した新興宗教都市である。
アスピーダ・タラサの鐘塔からは不凍港を見ることが出来るそうだ。だが、アーリアとて天義で生まれた娘だ。アスピーダ・タラサを乗っ取り出来上がったこの国がフォン・ルーベルグの教義に反した存在であることは分かる。
「ファルマコンは実在しているのね。本当の神様ではないでしょうけれど」
呟いたアーリアはスティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)と旧来の親交があったというアリソン・コレット・ブドナの捕縛にも携わっていた。
アリソンはファルマコンが実在していることや、イコルが現状では製造工場を失い下火となっていること、更にはその代りに直接イコルの原材料を子供達に飲ませる儀式が横行し始めたことを証言したのだ。
「ブトナ家はどうなるのかしら」
「『不正義』だからね」
スティアの眸に僅かに嫌悪の色が差した。不正義と断罪され、アリソンに虐められた娘にとってはある種の意趣返しになるのかもしれない。
「……それより、アドラステイアかな」
スティアへと頷いたのはイル・フロッタであった。今まで現状を傍観していた聖騎士団は遂に動き出すのだ。
それはスティアやアーリア、笹木 花丸(p3p008689)が潜入した結果、天義も『正義と神の名』の元に断罪の刃を振り下ろすと決定したのである。
「上層部まで一気に駆け上がってファルマコンを打倒する――だよね?」
「……ああ。その為に中層への手形はミハエル・スニーアに手引きさせた、が」
愉快犯(エンターテイナー)は敵ではあったが『現状では協力者』の状態だ。故、エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)は『愉快犯』ミハイル・スニーアに現況について報告した。
「奴はその情報を手にスニーア商会を一度、ギルド新世界から離脱させ身を隠す積もりだ。
その際に、少しの情報を得た。信じられるかは確証がないが……『調査はした方が良い』だろう」
エクスマリアがミハイルから耳にしたのは渓底の情報だった。
――渓底には、魔物が住んでいるのですよ。魔女を喰らいファルマコンの糧にする……実に愉快でしょう?
いや、信じなくても構いませんよ。ですが、『どうして魔女裁判で渓へと落とせ』とされたんでしょうねぇ?
その下に、本当に『魔女を喰う魔物』が居たのかもしれませんよ。其れを放置していて良いものか。
「渓底の調査に、上層部。遣ることが一杯だね……『蜜蜂』と『毒蠍』を使っているティーチャー・カンパニュラも気がかりだし」
花丸が気がかりとしているのはティーチャー・カンパニュラと呼ばれた女だ。
アドラステイアでは其れなりの地位を有した彼女が『殉教者の森』にアドラステイアの子供を送り出しているらしい。
その決断を下せる地位に居るのならば彼女はファルマコンと繋がりがあるはずだ。
「ティーチャー・カンパニュラのこれ以上の活動は、止めた方が良いだろうな。
殉教者の森を必要以上に乱されても困るし、何よりもあの女の兵士は統率されている。危険だ」
イルに花丸は頷いた。
「そうだね。……それに、ティーチャー・カンパニュラ本人に接触できればファルマコンにだって接触できる可能性がある」
――……お嬢さん、髪をふと房頂いても? 綺麗な髪ですからねぇ。
まあ、いいでしょう。お代は後でも良い。此れだけは忠告しましょう。
『上層で誰も殺してはなりませんよ』、聖獣は、仕方がないでしょうけれどね。ええ、殺せば……どうなるか。
ミハイルの言葉を思い出してからエクスマリアは「上層に飛び込み、調査。追い詰めるしかないな」と頷いた。
●鐘の娘
ああ、ああ。
愛しきファルマコン――わたくしを救って下さるあなた様。
あなたがいなければ、わたくしは生きては居られなかった。
わたくしが生きているのは、あなたがいるから。あなたから溢れ出すその滅びは、どれほどに甘美でしょうか。
――さあ、ヘブンズホールへ!
カンパニュラ・ルードベキアは天義の寒村に生まれた少女だった。寒々しい地方の土地、枯れた土地を潤すために人柱を立て贄として捧げる凄惨な光景。
その人柱として育てられた選別された娘は、首を刎ねられる刹那に『ファルマコンの声を聞いた』という。
それは美しい鐘の音色であった。
ファルマコンはカンパニュラを救ったのだ。『贄となるべき少女』を、有り得ざる存在へと昇華して。
然うして女は村を滅ぼし、アドラステイアのティーチャーとなった。
魔女裁判を積極的に開き、間諜を炙り出す。
女は良き教育者だ。故に毒蠍も、蜜蜂も素晴らしい『よい子』に育ってくれた。
「……ファルマコン」
カンパニュラは花の茎をぱきり、と折った。
鐘塔、その内部に立っていたのは長い黒髪の女とカンパニュラだけである。
「なんだい。カンパニュラ」
「……わたくしは間違ってしまったかしら」
甘えるように長い黒髪の女の背に手を回したカンパニュラを、女は子供にするようによしよしとあやした。
「いいや、何も誤ってないよ」
「ほんとうかしら。殉教者の森に子供達を送り出してしまったの。
ええ、憎たらしい天義を鉄帝国に喰らわせたかったの。その火種となるようにと言いつけてね?」
「そうだね。君はあの国が嫌いだから」
「そう。そうなの。天義がとても嫌いよ。わたくしの首を刎ねようとしたあんな国……」
「大丈夫だよ、カンパニュラ。
此処に訪れた全てを食べてしまえば良い。渓底の『わたし』もそう言っているさ」
「……本当?」
「本当だよ、カンパニュラ。
上層に『わたし』が広がっていくのを感じるだろう。沢山の人を殺しなさい。そうすれば『わたし』は覚醒できるのだからね――!」
- <ネメセイアの鐘>逃れられざるものLv:40以上完了
- GM名夏あかね
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2022年12月17日 22時20分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
(サポートPC7人)参加者一覧(10人)
リプレイ
●
――ゴォン。
荘厳なる鐘の音が響く。汝、祈りを捧げ給え。我らが神は消して偽りではないのだ。
高き塀を隔てた先、望むことの出来る鐘塔は祈りの鐘を響かせる。ネメシス聖教国とは別個の神を称えたこの独立都市アドラステイアの象徴として。
嘗てはアスピーダ・タラサと呼ばれたこの場所は鉄帝国の侵攻警戒の為に建設された港湾警備都市である。だが、ベアトリーチェ・ラ・レーテによる混乱でこの地は独立都市アドラステイアの拠点と変化した。
建設された高き塀。アスピーダ・タラサを二分化し、更にその外周部にも高く作られた塀向こうには幼い子供達が暮らしている。
その現状を目の当たりにしながらも、手を拱いてばかりであった現状に変化が訪れたのは冬の日の事であった。
此の儘では状況は好転しない。鉄帝国の動乱を傍らに、調査の手を伸ばした聖教国は上層への侵攻作戦を考案した。
勿論、今までの功労者であるイレギュラーズも彼等と共に上層へと攻め入ることとなる。
中層から上層に通じていた門扉を開いた『蒼輝聖光』スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)はきゅ、と唇を噛んだ。
多くの悲しみを、苦しみを生み続けたアドラステイア。それは天義貴族としても、スティアとしても、許すまじ非道である。
子等が生きていきたいと願ったその心へと付け込む悪魔の囁きが子供達を渓へと落とす。そうしてこの都市が成り立ってきたことを知るが故に許せまい。
(何処までだって、追掛けて滅してみせる……!)
その決意の傍らには友が居る。仲間が居る。
『見習い騎士』イル・フロッタ (p3n000094)が。
『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)が。
『聖奠聖騎士』サクラ(p3p005004)が。
それだけではない、仲間達が共に在れば恐れることなど何もないとスティアは知っていた。
「あら、雪」
降り注いだ雪はフォン・ルーベルグで見ればどれ程に美しいか。象徴的な真白の都に降る雪は清廉なる気配を宿していたからだ。
それでもアーリアはこの国が真っ白で、綺麗で、穢れ無き場所だなんて思って居ない。何処でだって毒を孕み、穢れを有する。
「天義の冬は、真っ白で美しいけど、その先にある花が芽吹く春は、もっと美しいわ。春が来る前に、終わりにしましょ!」
雪解けの後に訪れる春の芽吹き。その美しさは生きていなくては得られないものだ。故、ファルマコンを否定する。
アーリアはサクラを振り返った。春色の名を持った、ロウライトの騎士たる娘へと微笑んで。
肯くサクラはこの時を待っていたと腰に下げた『ロウライト』の伝来の刀の鞘を指先で撫でた。抜くには未だ早い。だが、気が急いた。
「アドラステイアからの子供達の解放――その時を待っていた。そう簡単にはいかないのも承知の上だよ。
どんな苦難も困難も、この場所で苦しんできた子供たちを思えば、全て乗り越えて見せるよ!」
誰かが泣いていた。生きていたかったからこそ、渓へと落とした。毎日、毎日、繰り返して繰り返して、次第に摩耗する精神は良心を麻痺させた。
生きる為だから仕方が無い。そうするしかなかったばかりを積み上げて、行き着く理想の果てにあるものはなんと目覚めが悪いのか。
「……どんな思想でも、理想でも、それは抱く人の勝手だもの。けれど、その為に命を奪うのも捧げるのもわたしは認めない」
そう感じたのは彼等の生い立ちや実情を知らないからだろうか。ファルマコンに縋らねばならなかったのだろうか。
苦しげに呟いた『この手を貴女に』タイム(p3p007854)は首を振る。それでも、やっとここまで辿り着いた。上層部、ファルマコンの喉元に刃を突き立てるまで、あともう一寸の距離。
「遂に……遂にここまで来たんだね。アドラステイアが生まれてから色んな事があったけど、それもいよいよ終わらせられるかもしれない」
手の届く距離なら、我武者羅に手を伸ばしてきた。救いたいと願ったならば、走ることは止めなかった。
それが『竜交』笹木 花丸(p3p008689)という少女だった。その在り方は『浮遊島の大使』マルク・シリング(p3p001309)とて同じ。
「いよいよ、アドラステイア上層に手が掛かるんだね」
生唾を飲み込んだ。直ぐにでもファルマコンを滅したい。そう願うのは多くの子供達が犠牲になったからだった。助けられない苦しさが、青年の心を締め付ける。
助けてと叫んだ子供の声が今も鼓膜に張り付いている。聖獣と喚ばれようとも救いがなかったことだって――誰かを渓底に叩き落とす恐怖も、落とされる悲しみも。
無数の悲しみの連鎖があることをマルクは分かって居た。震える声で「気をつけて」と告げるラヴィネイル・アルビーアルビーに『矜持の星』エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)は頷いた。
「任せておけ。マリアたちが、必ず」
「……皆に、神の加護がありますように」
魔女は、裏切者だから死んでも良かった。そういって渓に落とされた娘の行き着く先に何があったのか。
『うそつき』リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)は興味があった。子供達は投げ込まれ、転生すると信じられた渓谷の深き闇。
「……底に、なにがあるのか……。アドラステイアを、おわらせるためにも、知らなくちゃならないことはたくさんある。だから――」
「待ってるわ。わたし、ラヴィネイルと。だから、無事に帰ってきて」
ルゥ・ガ・ルーはその感情を僅かに吐露した。無表情と無感情であった彼女はリュコスに救われてから少しの変化が齎された。
彼女達のように、救われた者達は新たな路を進む。そうして明るい未来が存在していると知れるから。
花丸は傷等だけの手を隠すグローブをぎゅ、ともう一度確かめるように引き下げた。
「これ以上子供達が殺し殺されることのない様に――行こう、皆っ!」
●
「……かの枢機卿の時も、そんな話なかったか? ホント、なんでそんなところに話が似てくるのやら」
ぼやいた『抗う者』サンディ・カルタ(p3p000438)は周辺に存在する心地の悪い気配に眉を顰めた。
枢機卿アストリアも内部に存在した悪だ。だが、そもそもの信ずる神が悪で有った場合はどうなのだろうか。
鐘塔を眺め『目を覚まして!』ココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)は「あれが象徴なんですね」と呟いた。
「あの鐘の音で集めた信仰。その信仰心の結果、積み上がった夥しい数の死者達。
ここまで来るためにどれほどの時と子供たちの犠牲が重ねられたのか。どうせファーザー、マザー達は必要な犠牲だとしか思ってないのでしょう」
僅かな苛立ちが滲んだ。それでも急いて走り出してはいけないのは分かりきっていた。索敵能力は相手の方が上だ。
地の利は地図を手にしているが故にフラットな状態であるかも知れないが活動の経歴から言えば相手に利があるのは確かである。
耳を欹て、鎧の音や獣の声を探す。音は貴重な判断材料だ。サンディは足元を掬われないようにと味方が偵察出来るように息を潜めた。
「嫌な気配だな」
吹いた風そのものにサンディが表情を歪めたのは致し方がないのだろう。上層部にはファルマコンと名を呼ばれるアドラステイアの神の『加護』――加護と言うべきかは分からない。だが、何らかの影響だ――が満ち溢れているのだろう。
「殺してはならない、か。あの男のネクタイのセンスは最悪だが、扱う情報は確かなもの、のはず」
此処で誰も死んではならない。そんな言葉を紡いだミハエル・スニーアはエクスマリアの髪が短くなったことを酷く悔やむように告げて居た。
今度髪を切るならば自身の元に来いと告げる彼は自身の利益を優先し、アドラステイアには反旗を翻したか。否、巻込まれる事を懸念し早々に離脱しただけとも言えるのだろう。
「相手はティーチャーとか言うのに加えて、蜜蜂に毒蠍。それに聖獣。
オマケにファルマコン? ……兎に角よくわかんない相手までいるんでしょ?」
『煉獄の剣』朱華(p3p010458)は同行を申し入れ出来る限りの『殺さず』を心掛けた。
少しでも上層を進む隊を崩さず、子供達の数を減らすことこそが作戦の胆だ。
連携を意識する『群鱗』只野・黒子(p3p008597)の傍では騎士団と共に『先導者たらん』シューヴェルト・シェヴァリエ(p3p008387)が子供達の命を奪わぬように善戦していた。
「聖獣は避けて行く、か」
「隊の方針に従い早期にカンパニュラに接敵しましょう」
黒子へと頷いた『奏でる言の葉』柊木 涼花(p3p010038)は周囲を見回した。
索敵を行なう蜜蜂に、攻撃を担った毒蠍。それらは連携も良く『倒される』と見越した時点で一度撤退する。
(……報告しに行ったのでしょうか)
ピュウ――と鳴き声を響かせて上空を駆ける鳥を一瞥してからマルクは「前方に誰か居る」と囁いた。ファミリアーの鳥は貴重な『目』である。それらと仲間達の索敵能力を組み合わせることでより慎重に進むことが出来るのだ。
マルクに頷いてからアーリアは広域を確認するように広い視野で周辺を確認する。聖獣の姿は未だ無いか。巡回中の蜜蜂の姿がそこにはあった。
「数が多いならカンパニュラがあちらにいるのでしょうね」
「うん、そうだと思う。……行ってきてね?」
タイムが背を撫でれば小さな鼠は地上から走り始める。確定的なルートを得ておく方がより早期に接敵できるからだ。
「わたし達の侵入に気付かない……なんてことはないよね。なら堂々と素早く動いた方が騒ぎで人を集めなくて済むかも」
酷い苛立ちが近くにあると振り返ってからタイムは「あ、びっくりした。殺意を探したら隣にあったから」とサクラに笑う。
「あはは、……まあ、『殺さなくちゃ』いけないんだよ。終わらすために」
ファルマコンに対する苛立ちが其処にはあった。それを鎮めるように息を吐いてからサクラは身を屈める。聖獣を避ける事は確認で容易だろうが、避けきれぬ索敵を行なう子供達は手早く意識を奪う必要がある。
「Uh……中々前に進めないね……」
少し身を捩ったリュコスは上からの視点と目鼻の聞く範囲で人物を把握する。奇妙な匂いが濃い場所には聖獣が居る事までは判断が付いたが相当の回り道を求められそうだ。
「私達の侵入が分かって居るからだろうね。出来るだけ周辺を固めてあるのかも。ほら、こういう所にも」
侵入者を見付けた場合に発動する捕縛用の罠に気付き花丸は直ぐに解除を行なった。その五感を活かし罠の存在に気付けたのは僥倖だ。
罠に掛かっていたならば直ぐにでも聖獣たちが急行して周囲を囲まれてしまうと言うことだろう。
「用意周到、だね。流石に外周から上がって来ると思う」
サクラは閉塞感をも与える塀の存在を眺めていった。外周は広く、中層もそれなりの規模だと感じられたがその中央部にあたる上層と鐘塔はお世辞にも広いとは言いにくい。港湾警備都市である以上は規模はそれなりを誇っていたがここまで来れば手狭とも言える。だが、それが警備を万全にしているのだろうか。
「この壁の閉塞感もいやよね。漂ってる気配もそうだけれど正気では居られない感じがするわ」
「これが、神の気配だとでも、嘯くのだろう」
アーリアにエクスマリアは頷いてからぴくりと指先を動かした。頷いたのココロはウルバニの剣を構える。すらりと引き抜いたそれは数多の絶望をも斬り伏せるためにある。
「此方に近付いてきます」
ココロは心中でのみ――『ミハイルさん、あなたを信じる』と呟いた。
瞬く間に広がった神聖なる気配。重ねたのはマルクの光。その光は正義を讃え、命を奪う事は無い。マルクがコレまで得た知識を収録した自著。
その中にも記載した命を奪わぬ手法は、『死を遠ざける者』として己を非才なる存在と定義した青年の努力の証だ。
「全く……! 蜜蜂は働き者ね!」
アーリアは呟いてからくるりと振り返る。「メディカ!」と名を呼べば穏やかに微笑んでいるシスターは「ええ、いいですよ。お姉様」と唇を吊り上げる。
「言った通りよ。隠れ家に騎士さんたちと気を失ったこの子達を保護して欲しいの。
強いコネクションは上層では効かないかもしれない、けれど貴女なら『信仰深いティーチャー』のように振舞って堂々と動くこともできるはず。
暴漢に襲われた子供達を保護するのです、なんて言ってみたり――それでも疑われたら、思いっきりぶっ飛ばしちゃいなさい!」
「お姉様も、案外」
「……何?」
「いいえ。分かりました。それでは」
鉄槌を抱え上げようとしたメディカにアーリアは鋭く「殺しちゃだめよ!」と叫んだ。残念と呟くメディカへとイルが「し、信じて良いのか!?」とわたわたと体を動かしている。
「た、多分大丈夫だよ! 此の儘進むよ、イルちゃん!」
「りょ、了解した」
黒の騎士団服を着用しているイルは大きく頷いた。天義騎士団には儀礼服として『純粋なる黒衣』が存在しているそうだ。それは被る事になる穢れを目立たせる事無きようにと意味されたものであるらしい。
黒い騎士服で走る少女を一瞥してからスティアは真っ直ぐに走り出す。此の儘先に居行けば、存在しているのだ。
ああ、体が重い。頭も痛む。酷く呼吸がし辛い。それが――『ファルマコン』のせいなのか。
「……ファルマコン、一体何だろうね」
それが人造の神だというならば。再現性東京での真性怪異は神威神楽の神霊などと同種の似通った存在だ。信仰心は精霊達の存在をより強固に結びつかせるともされるからだ。
だが、それがそうだとは限らない。魔種でも亡く、肉腫でもない。この空間を包む気配は其れ等に似ていて、何がが違う。
「もしかして、滅びのアークの影響で生まれた何か……なの?」
未だ答えは出ない。出ないが――だからこそ、その姿を目撃せねばならないのだ。
石畳を駆け上がる。坂道を走る脚が縺れる。それでもタイムは淀むことなく脚を動かした。
無数に襲い来る子供達。増援を呼ばれる前に意識を奪わねばならない。リュコスは小さな謝罪を送りながらも、彼等の意識を刈り取った。
(きもちわるい、なんだろう、Uhhh……なにか、へんなけはいがする。こわい……)
身震いをした。その視線の先に――
「ああ、遂に来たのですね」
紫苑の髪を揺らがせた女がうっとりとした笑みを浮かべて立っていた。
●
ティーチャー・カンパニュラはアドラステイアと呼ばれた都市では欠かせぬ人員である。本来の名をカンパニュラ・ルードベキア。
鉄帝国にも隣接し、冬になれば大地も痩せる寒々しい土地が国境沿いには幾つも点在している。殉教者の森近くの寒村に生まれたのがこの女である。
信仰心も行き過ぎれば毒になる。痩せ細った土地を富ませるべく、天義の神が『望もうが望まないが』関係もなく人心が頼りの綱として贄を立てた。それこそがこの女であった。
人々の心の餓えにより贄となった女は美しい鐘の音色と共に悪意をその身に宿した。反転と呼ばれた滅びに身を寄せようが、朽ちるはずだった身の上では関係なかったのだ。
「ティーチャー・カンパニュラ……!」
彼女に説得など出来るわけもない。元よりこの女は『誰かの命を奪う事』に対して寛容だ。それが唯一信じられるファルマコンと呼ばれたアドラステイアの神の為になると知っているからだ。
花丸の呼びかけにカンパニュラは淑やかに笑った。美しい紫苑の髪、金色を宿した瞳。まるで神の花嫁にでも選ばれたかのような豪奢なドレスを身に纏った女は「ご機嫌よう」と微笑む。
「ティーチャー。申し訳ありませ――」
ばちん、と頬を叩かれた蜜蜂の少年が跪いた。辛うじて命を繋ぐことは出来て居るがカンパニュラは頃好きだったのだろう。
(……死のうが関係ない、寧ろ『殺したい』とでも言った様子ですね)
ココロはカンパニュラを睨め付けた。カンパニュラから降った使命は『ファルマコンを護りなさい』だったのだろう。ここまでイレギュラーズの追撃を赦してしまったのならばティーチャーの教えに背いたことになるか。
「カンパニュラ。赦してやりなさい」
「けれど、ファルマコン……!」
まるで幼い子供の様に声を跳ねさせたカンパニュラにサンディは「ファルマコン?」と眉を寄せた。
「お前が?」
長く伸ばした黒髪。聖職者を思わせるカソックに身を包んだ女が立っている。足元や髪先に纏わり付いた靄はそれが人に非ず事を伝える。
「お姉様、あれは危険です」
「……私はあいつが怖い」
メディカとイルの言葉にアーリアは息を呑んだ。確かに奥底から揺さぶるような恐怖を感じさせる。それを神の威光であると呼んでいたのだろうか。
「君は……何者?」
リュコスは黒髪の女を真っ直ぐに見据えて告げた。恐れるばかりではいられない。ルゥも、皆も、苦しんだ理由が奴なのだ。
「ファルマコンと呼ばれているよ、こんにちは。パンドラの娘」
黒髪の女の首がもげるかの勢いで『横』を向いた。首を傾げたつもりだったのだろうか。「いけない」と笑ってぎりぎりと音を立ててその位置を正す。
「人間は脆いのだった」
「……どういうこと……?」
「ファルマコンだからね」
意味が分からない。だが、その発言から『その体がファルマコン本体ではない』ことをサクラは察した。
彼女が興味を向けていた先は鐘塔だ。渓底にミハイルの言葉を信じれば何らかの化け物が居るとして。ファルマコンが出て来ているならば、鐘塔は何を護っているのかと調査をしてみたかったのだ。
「ファルマコン、『その体』は誰の?」
問い掛けたサクラにタイムが引き攣った声を漏した。依代に意識だけを引っ付けたのか――魔種でも、肉腫でもない、奇異なる何か。
「さあ、忘れたなあ」
笑ったその言葉にリュコスは叫ばずには居られなかった。
「たくさんの人をくるしめて、かなしめて、死なせて……なにがカミサマだ! そこまでして何が目的なの! 言え!」
「ファルマコンに何て言葉を!」
叫ぶカンパニュラが指先を動かした。毒蠍の子供達が前線へと飛び出してくる。Uhと唸ったリュコスは子供を受け止め、スティアも同様に飛び出してきた子供の行く手を阻む。
「朱華にも任せて!」
叫んだ朱華に続き、シューヴェルトも鋭く剣を振り下ろした。肉薄する子供達の眸は笑ってなど居ない。
「流石に、乱戦になりそうですか」
飛び出してきた聖獣は牙を剥きだし涎を滴らす。理性など何処か遠くに置き去って獣とかしたかのような有様だ。
「流石に、信心深さは人を狂わすんだね……! 質問に答えて貰うよ、ファルマコン!」
子供達へと叩きつけた痛打に続き、暗雲を貫き蒼天へと届くような『奪わない』為の技術。花丸にとっての意地の結晶。
無数に子供達が聖獣を引連れて姿を見せた。囂々と鳴った鐘。カンパニュラの合図を受けて一気に襲撃する子供達は命を惜しむことはない。
死が恐怖でなければ、怯むことも竦むこともない。
「さあ、子供達よ。戦うのです――我らが都市(せかい)を壊す者を此処に滅しなさい!
安心なさい。死すれども、ファルマコンの膝元へと送り届けてあげましょう。死を超越し、遁れ得ぬ災いが罪を濯ぎ幸いたる魂に巡るのですから」
両手を天に翳し。悦に入ったようにティーチャー・カンパニュラは叫んだ。
あの女を『殺さず』退かせなくてはならない。油断すれば子供らを殺される。ココロは唇を噛んだ。
殺してはならない、ミハイルの言葉を信じるが故に戦いにはより工夫が必要だ。
「マルクさん」
「……ああ!」
周辺を囲い追い詰めんとする子供達。それらの逆境の中でも諦めてなるものか。
逆転への道筋は指揮官たりえるカンパニュラの撃退だ。仲間達が子供や聖獣を惹き付けてくれるならばその内に一気に肉薄できる。
「天義の聖騎士、サクラ・ロウライト。推して参る!」
「偽りの神に仕えたことをその様に誇らしげに語るなど」
唇を吊り上げるティーチャー・カンパニュラの元へとサクラは飛び込んだ。地を蹴って跳ねる。それでも届かぬならば柄を壁へと叩きつけた。勢いの儘方向を変え急転し一気にその頭を狙う。
カンパニュラの手が子供を掴んだ。目を見開いたまだ年若い少女。サクラの聖剣が迫ることに気付き叫ぶことも動く事も出来ない肉の盾。
「ッ――!」
刀を握る腕を反転させた。殺さぬようにと気遣わねば、カンパニュラは殺してくれと言わんばかりに子供達を盾にしているのだから。
「もう……っ! こっちよ! もう何もわからないだろうけど、いらっしゃい」
聖獣たちを一気に引き寄せるようにタイムは声を張り上げた。ここでは人を殺してはならないと聞いている。自分たちも、カンパニュラさえも殺してはならない。
だからこそ死者が出るようにと多勢を盾にし、武器にした。わざわざ聖獣も取り揃え、選り取り見取りとでも言う様に。
「……本当にイヤなやり方。そんな思惑には乗ってあげない。だからこれぐらいへいちゃら!」
聖獣は元は人だというのだ。元々は友人であっただろう者達。それでも、今は『神様の元に導かれた存在』として敬い尊ばれるただの化け物となる。
彼等の中にも、これからそうなるものがいるのだと感じれば感じるほどにリュコスは苦しかった。
(絶対に誰も死なせたりなんてしない……)
毒蠍も、蜜蜂も。誰も殺させないために警戒を露わにする。そうして行く手を遮って来る子供達をリュコスは、花丸は相手取った。
「こっちか!」
サンディは呪符を構える。紫の稲妻が走り、指先に纏わり付く。振り下ろせばそれは毒蠍の子供達を包み込む。
殺してはならないからこそ、意識をだけ奪う。それにのみ注力していた少年の背に勢い良く接近する者に気付きスティアの福音がセラフィムの羽根と共に周囲を包み込んだ。
「ダメ!」
びくりと肩を跳ねさせたサンディは横面から薙ぎ倒された。ユミスか。
「ぐっ――」
ぐり、と肩口を剔られ、サンディは見上げる。涙を流した翼を生やした少年の唇が戦慄く。
「どうして……どうしてどうしてどうして……」
聖獣へと転じる最中か。サンディの至近距離でユミスの肉体を包み込んだのは黒き靄。その内側から真白の獣が生まれた姿を見て、子供達は涙した。
ああ、ああ――何て神々しいのか!
「ユミスは再誕されました。皆、あの地に這い蹲った少年もファルマコンの使徒にしてさしあげましょう」
「はい、ティーチャー」
祈るように子供達が告げたことに気付き、マルクは「拙いな」と呟いた。
●
死者を出さないため。それでも、子供を壁に擦るのは予測していた。命を奪わず最低限のみを穿つことを意識するエクスマリアは会心の一撃を叩き込んでやると決めていた。
「大人は子供に、未来を与えるもの、だ。
未来を奪うお前達が、マザーだティーチャーだ、など、許せるものでは、ない」
淡々と告げるエクスマリアの連続魔は追撃を重ね続けた。カンパニュラの頬を掠め、それを幾度も繰り返す。
切り落とした髪で刺繍を行なった手袋はエクスマリアの魔力によく馴染む。
気に掛かるのは背後でずっと此方を眺めて嗜虐的に笑っていた女だった。それがファルマコンだというならば、神と呼ばれるものだ。
迂闊に戦闘を行なうわけにはいくまい。見ていろとココロはファルマコンを睨め付ける。どうせ最後は逃がさない。精々今だけ高みの見物でもしてるがいい。
「イルちゃん!」
「ああ、スティア。気をつけて……!」
リュコスとスティアで手分けをした子供達。その戦線が崩れぬようにと回復手として立ち回るタイムも尽力し続ける。
「こらっ! 落ち着きなさい!」
聖獣は錯乱しているようにも思えた。強く叱ったタイムは母のように声を張り上げる。人に従う聖獣もいる。
元々は子供だ。鋭い一声にびくりと体を跳ねさせた聖獣はそれでも尚もタイムに拳を振り上げる。
「人の信仰は生きる為に必要なんだと思う。
でも、それを利用して心も命も奪うのならそんなのはまやかし、道は他にいくらでもあるの! あなたたちはそれで良いの!?」
タイムは子供達にも聞こえるようにと声を張り上げた。互角の戦闘だ。後一押しが足りないと思えたのはそれが拮抗しているからだ。
拮抗が緩んだのは――一つの綻び。サンディの視界が眩んだ。「あ」と叫んだココロは子供達を払除けユミスに接敵する。
「ユミス……!」
名を呼んだココロの頬を正気を失った聖獣の牙が掠めた。それが臓腑に突き立てられれば直ぐにでも命を落とす。
「どうして、どうしてどうして」
「少なくてもユミスは後悔しているようにみえる。貴方達はこんな姿になっても後悔しないと言えるの?
こんな姿になってまで、生きてると言えるの? 化け物に成り果てて、戻ることはできないのに!」
だからこそ、殺す事こそが救いだと言わしめるようにこんな場所に放り出されたのか。
スティアは唇を噛み締める。倒れたサンディを救うようにユニスを誘う。周辺を巻込む聖獣の薙ぎ払う一撃を受け止めきるだけの覚悟を持ってきた。
「メディカ、お願い」
「お姉様、彼は安全地帯へとお運びします。イル様」
頷いたイルはメディカと共にサンディの体を遠くへと運ぶ。
綻びは僅か。手負いの聖なる獣たちの意識を奪い去っても尚も、殺さずと言う工夫が重くのし掛かるか。
エクスマリアはカンパニュラを見ている。子供達を受け止めるスティアやリュコスの体力も限界が近いか。支えるココロも雪のちらつく中で疲弊を隠せずに居た。
(……Uhhh……もうすこし、もうすこし……!)
あと少しで良い。数が少ない今こそ。そう願いながらも、一人の欠けが重い不和となった。
だが――削り取るだけの覚悟は持ってきたつもりだ。
誰もがカンパニュラの撤退を促し、次に続けたいと願っている。サポートも受け、善戦を続けるイレギュラーズは意識を失った子供達が被弾し新たに死者となることを防ぐ為にも工夫をも行って居た。
ファルマコンは淡々と此方を眺めているだけだ。不服そうなのはカンパニュラだけである。
「どうして」
ユミスと同じ言葉だ。聖獣と化したユミスは此処で気を失えど一生この姿の儘だというならば救いもない。
『持って帰って共に過ごせたら』と口にしたタイムはそれでも人ならざる存在となった彼がどの様な未来を辿るのか想像も付かなかった。
「どうして」
カンパニュラの唇が震える。攻撃手の数が減った。震える膝に力を込めてリュコスが吼える。
耐えろ、耐えろ、耐えろ――!
サクラは「カンパニュラ!」とその名を呼んだ。
「どうして死なないの!」
カンパニュラが動いた。その隙だ。そこを狙わねばならないとアーリアは滑り込む。
一瞥したマルクは頷いた。只、死に物狂いで剣を手にて青年は走る。
「貴女、私と似て随分イイ女だけど……血色も悪いし、私の方がずぅっと美人だわ!」
特大の一撃を届ける為に。アーリアはマルクを支援した。懐へと飛び込んだ女の頬を切り裂いた鋭い棘。
色香の如く咲かす甘い毒。アルコールの気配を宿した魔女の『おまじない』がカンパニュラに迫る。
アーリアも、マルクも分かって居た。押されている。これが劣勢だ。
それでも――
「此処で終わりになさいな!」
譲れなかった。
マルクは己はタダの一振りの剣だと知っていた。撃鉄を起こせ、青年にとって思考こそ最も長けた弾丸だ。
防御も、何もかもそ捨てた。脳裏に過った主の姿。ブラウベルグの蒼き光をその手に形作る。
「――諦めて、なるものか!」
暁の死線をも越えた主の如く、何時か晴れた朝日を望むが為に。切っ先がカンパニュラの肩をすぱりと切り裂いた。
鮮やかな紅が咲く。引き攣った女の叫声、続きスティアの声が響いてマルクは息を呑んだ。
「マルクさんッ!」
女の腕がマルクの腹へと突き刺さっている。華奢な女に存在し得ない膂力は反転によるものか。
「これはどのような腑でしょう。
捻り潰せば貴方はわたくしの苦しみを分かち合ってくれるのでしょうか。引きずり出せば貴方はファルマコンの贄に――」
「っ、させないわ!」
直ぐ傍のアーリアが顔を上げ銀の指輪から光を放った。続き、サクラがカンパニュラの腕を切り落とす。
「あ」
カンパニュラがふらりとマルクから離れる。間一髪か。青年の視界が眩むが此処で終わるまいと膝を震わせる。
「あ、あああああああ」
ぎりぎりと歯を噛み締めて女が頭をぶんぶんと振る。なくした腕を求めるように魔種の女は血走った目でサクラを睨め付けた。
エクスマリアの魔力はカンパニュラの腕が繋がっていた先――肩を穿つ。ぐん、と姿勢を傾けたカンパニュラから隙を付くようにマルクの体をアーリアは救出した。
「お前達――!」
「姉様!」
いけないと叫んだメディカにサクラが直ぐさまに反応した。もう一方、カンパニュラの振り上げた拳が聖剣に叩きつけられる。
ぎち、と音が鳴った。唇を噛み締め、ひゅうと息を吐く。
「……させない」
「お前も、あの男も、村の奴らも! どうして、わたくしから奪うのです!
わたくしはただ、生きていただけなのに! わたくしは生きていたかっただけなのに!!!」
叫ぶ女は錯乱している。これ以上暴れられては命の危険がある。こちらを、殺して道連れにするつもりか。それとも。
拮抗していた戦況が崩れ始める。あと一押しだというのに。その一押しがどうしようもなく遠い。
イルは「退けるか!」と問うた。剣がぎりぎりと音を立て、その腕から滑り落ちる。
「イルちゃん!」
「スティア、タイム! サクラ達を連れて脱出しよう!」
額を掠めた子供の剣。体術でいなしはしたがイルの顔にも赤が滴った。
サクラは小さく頷いて「アーリアさん、マルクさん!」と名を呼ぶ。気付けば切り落としたはずのカンパニュラの腕は『黒い何か』に引き寄せられる。
「な、なに……」
眩む意識の中、まだ数人のみ残っていた子供達と僅かな聖獣が剣や銃を携えイレギュラーズを見詰めていることにリュコスは気付く。
「ファルマコン……?」
花丸の問い掛けに、ココロが「貴女、腕をどうするの」と問うた。
「腕を? ああ、カンパニュラのものじゃないか。君達には関係ないだろうに。
さあ、カンパニュラ。私の血を飲んで、もう少し遊ぶかい? それとも――あれらを、どうする?」
手をぱちぱちと叩いた『ファルマコン』をスティアは睨め付けた。ココロは直ぐにでもマルクの治療を始める。
腕を降ろしたカンパニュラは「怪我をしてしまいましたわ、ファルマコン」とはらりと涙を一粒落とした。
「ああ、そうだね、カンパニュラ」
「血が流れていますの。……拭って下さる?」
「食べるの間違いじゃあないかな」
くつくつと喉を鳴らして笑ったファルマコンが一歩、二歩と近付いてくる。
カンパニュラとは痛み分けか。だが、退くには至らない。
下がれと掠れた声でエクスマリアが言った。それでも尚もその美しい藍玉の視線はファルマコンから離れることはない。
「ファルマコン。お前の目的は、なんだ。お前の望みは、なんだ。お前は、如何なる神話で語られるつもり、だ」
「目的なんてないさ。そう在るように求められた」
「どう言う、意味……?」
タイムは女のどろどろとした感情ばかりを眺めていた。吐き気をも催すような濃い死の匂い。それがマルクやサンディの傍を這いずり回るように動いている。
奪わせるわけには行かないとタイムは構え、ファルマコンを注視する。
「神とは、そういうものだよ。『わたし』はファルマコンだ。ファルマコンとして作られたからには、そうあらねばならない。
神様というものは人心がそうあって欲しいと願った形さ。
ああ、けれど。『わたし』は――」
ファルマコンの首がごきんと音を立てて曲がった。三日月の形に吊り上がった唇。覗いた瞳は虚空を見詰め焦点を合わせやしない。
長く伸びた黒髪も足先から全てが溶けるように消え失せていく。
「『わたし』は終焉獣(ラグナヴァイス)だから、存在(ある)だけで世界を破滅させなくてはならないと、魂から思って居るのさ」
●
「おかえりなさい……その……」
手負いの者の救護をするようにと騎士団が指示を飛ばす。イレギュラーズ達を出迎えたのはラヴィネイルであった。
「治療をして、直ぐに捜索に向かいましょう」
ココロは今しかないと仲間達を振り返る。向かう先は――
「渓底か」
さて、何があるのだろうかと『紅矢の守護者』天之空・ミーナ(p3p005003)は呟いた。
「疑雲の渓の調査にむかいますの 暗くて 先が見えませんの」
『半透明の人魚』ノリア・ソーリア(p3p000062)はふわふわと浮かび上がりながら渓底へと向かう事に決めた。
「魔物が いるのなら 調査隊のことも おちてきた 餌だと おもうことでしょう。
ですから 調査が うまくゆくには 食欲が 調査隊にむかないことが 必要ですの」
自身は『不本意』ながらも捕食者の興味を惹くことには慣れている。ミネラル分もたっぷり。のれそれの方が美味しいと届きそうで届かない距離に気を配る。
上空を羽ばたきながらミーナは渓底を探った。そうして降りて行く仲間達を見詰めてラヴィネイルが引き攣った表情になる。
「ごめんね、ラヴィネイルさん。今、上層は攻め入られたことで体勢を立て直しているはず。……此処を探るしか今しかないの」
「……わか、ってる」
ラヴィネイルは、落とされた。魔女だと言われて渓深くまで。
その刹那に召喚された彼女は「何も分からない」と首を振っている。確かに覗き込んだだけでは渓底からは何の情報も拾えないだろうか。
「怪物は魔女が定期的に落ちてくることを分かって居る……なら足跡とか残るだろうか?」
『タコ助の母』岩倉・鈴音(p3p006119)は音を立てぬように静かに渓底に降りる選択をして居た。
鈴音と同じく、飛空探査艇を駆使して渓底に降りて行くエクスマリアは「必ず、何かいるはずだ」と言った。
「わざわざそんな呼び方をするということは、聖獣の類かもしれない。
神の血を混ぜたイコルだけでも聖獣となるなら、その身に流して生きる『本体』は、どれほど悍ましい化け物、か。
或いは、美しい神獣、かも知れない、が……たとえ何が相手であろうとも、叩き潰すか、もしくは逃げ果せてみせようとも」
ラヴィネイルが下へと行くならば先に逃がすとエクスマリアは気を配った。
皆より先に先行するファミリアー。スティアは「うーん」と呟いた。どうにも渓底は暗く光源もない。
「何らかの光源が必要かな……」
傷の応急手当を受けたマルクの問い掛けにアーリアは「そうね」と頷いた。翼を付与されることで、全員で渓底へと降ることが出来る。
「行ってみるか」
エクスマリアに「そうしましょう」とココロは緊張を滲ませながらも頷いた。
下りながもアーリアは優しく霊魂へと問い掛ける。
「此処には何が居るの?」
――かみさま。
神様、と唇が震えた。それはファルマコンを指している呼び名では無かったのか。
幼い子供達は「神様が導いてくれる」と信じ込んでいるかのようである。なんと、悍ましい『洗脳』か。
「黒髪の女と――ファルマコンと、一緒だね」
花丸は渓底で蠢く白き存在に息を呑んだ。無造作に投げ落とされた死骸を漁る化け物は無数の腕を有している。
それに見られてはならないと、そう感じては仕方が無い。上空で待っているルゥを此処に連れてこなかった事に安堵してリュコスは唇を震わせた。
「たべて、る……?」
「食べて居るわ。それに……あれがファルマコンの分体だとするなら、効率よく人を喰らっているのね」
アーリアは悍ましいもを見てしまったと一歩後ずさった。誰も生きてなんか居ない。
あの高さから落とされて、生き残れる事の方が稀なのだとタイムは感じていた。
「マルクさん、退きましょう」
タイムはマルクを庇うように促した。血潮の匂いが、それを呼び寄せる前に。
理不尽な魔物は魔種ではない、肉腫ではない。ファルマコンの言う通り終焉獣なのだろう。
人を喰らうのは養分にして居るわけではない。滅びという死を糧にして居るかのようでもある。
渓底に落とされたミーナのカメラを拾い上げたマルクはその中に録画された白き獣をまじまじとながめる。
聖獣と同じ、変容した姿。その血潮を飲めば聖獣に転じられるというが――「ノリアさん」
「わかりましたの」
こくりと頷いてからノリアは直ぐに宙へと浮き上がった。緊急離脱を始めるイレギュラーズ達は見られている感覚がする。
あの黒髪の女がそこに立っているかのような奇妙な気配だ。
それは屍肉を喰らう。それは死者の魂をも喰らう。それは聖獣と呼ばれた終焉(アーク)の塊だ。
聖獣に転じれば、救いなど何処にもないのだろうか。屹度、そうだ。そうなる前に助けられたならば――まだ命は助かる筈だ。
「……これに食われたら、お終いなのね」
声を震わせて、タイムは目を背けた。
底に存在した『魔女を喰らう獣』は、ファルマコンと命を分け合った存在なのだろう。それが喰らえばファルマコンは強化される。
体勢を立て直し、渓底の魔物を殺す事でファルマコンの力を削ぐことも出来る筈だ。
その時まで、暫し傷を癒やし――今度こそ。
成否
失敗
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。
ついに、ファルマコン。後一押しでしたが、その続きはファルマコンの膝元で。
アドラステイアも残り僅かですが、どうぞお付き合い下さいませ。
GMコメント
夏あかねです。今日は雪です。
●成功条件
・ティーチャー・カンパニュラの撃退
・蜜蜂&毒蠍の撃退
+『渓底の情報を得ること』(努力目標)
●重要な情報
アドラステイア上層には『ファルマコンの影響』が広がっています。
上層で味方敵問わず何かが死ぬ度に、その力が増すようです。当シナリオだけではなく<ネメセイアの鐘>全シナリオからの影響を受けます。留意して下さい。
●場所情報
アドラステイア上層。中層には聖騎士団が駐在し、子供達の保護に回っています。
上層へと攻めこむ騎士達と共に皆さんはアドラステイア上層制圧に向けて活動しましょう。
上層は普通の都市のようです。変哲のない欧羅巴の小さな街。壁が近いせいかとても閉塞感を感じます。
鐘塔が見えますが周辺には少しの塀+上空に見えざる壁があるのか入ることができません。
追加情報)
アドラステイアの傍にある『疑雲の渓』。魔女裁判で子供達が人を投げ落とす場所です。
その下に向かうことも出来ます。此方に向かう際にはミハイルのいう『化け物がいる』可能性に留意して下さい。
あくまで努力目標ですが情報を得ておくと良いかも知れませんね……?
また、ミハイルの言葉を信じたならば此方での死亡もファルマコンに影響があるようですが。
※渓底についてはサポートの方も活動可能です。ですが、とても危険なので死なないように留意しましょう。
※隊を別けて活動も可能です。作戦終了後に向かう事も可能です。ラヴィネイルが此方に同行します。
●敵情報
・ティーチャー・カンパニュラ
本名はカンパニュラ・ルードベキア。天義出身の女性。魔種。
贄となりかけたときに『ファルマコンに救われた』事で心酔しています。蜜蜂や毒蠍を駆使しています。
アドラステイア側の最高幹部級の存在です。新世界に対しては「ファルマコンがよければいいのよ」と告げています。
ファルマコンに多大な影響を受けていますが、ファルマコンの血を飲んでいるかは不明です。
非常に長けた偵察能力を有しており、戦闘よりも裏方向きです。ですが、強力な魔種であることには違いありません。
子供達を肉壁として利用します。子供は所詮、神への供物ですから。
・『蜜蜂』『毒蠍』
20名程。ティーチャー・カンパニュラの子飼いの部隊です。諜報隊の蜜蜂と、実働の毒蠍。
其れ其れが子供の得意分野の通りに割り与えられ、非常に統率が取れています。
彼等は中層に住居が与えられています。しかし、その数は少しばかり限定的です。『殉教者の森』への出張や『大人の儀』を受けた者も多いのでしょう。
・『ユミスだったもの』
毒蠍に所属していた少年です。聖獣です。翼の生えたユミス。かっこいいね。
永遠に涙を流しながら「どうして」を繰り返します。発語していますが、意思疎通はとっても不明です。
・聖獣
10体。カンパニュラが呼んできた聖獣たち。殺して下さいね!と言いたげに連れてこられました。
牙を剥き出しにして走り回っています。殺されれば得だとでもいうようですね……。
・『ファルマコン?』
カンパニュラを背後で見ている黒髪の女です。聖職者のような格好をして居ますが……?
●同行NPC
・ラヴィネイル
・イル・フロッタ
ご一緒します。イルは前線での活動を。ラヴィネイルは連絡or渓底への調査同行を行ないます。
●情報精度
このシナリオの情報精度はDです。
多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。
●Danger!
当シナリオには『無茶をしすぎた場合』は行方不明判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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