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シナリオ詳細

再現性東京202X:さよならキャンバス

完了

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 アイボリーホワイトのキャンバスに、筆をぺたりと貼り付けた。ひりつくような感覚が指先から皮膚を通じて肩へと登る。
 深と静まり返った室内で筆の行く先を決めることが出来ない儘、震える指に力を込めて乱雑に描いた線は震えが反映されるように揺らいでいた。
 湖面へと石を投じたような、微弱な震え。その腕を支えてくれる温かな感触は今はもうなかった。
 せんせいは腕に手を添え支えてから、こう言うのだ。

 ――こころ、君の一番描きたい線を描いてご覧。

 本当は描きたいものなんてなかったのかもしれない。言い出せない儘に私はそのぬくもりに寄り添っていたかった。

 幼い頃にお守り代わりに持たされた携帯電話はGPS機能でどこに居るかを直ぐに教えてしまうような、厄介な代物だった。
 友人と肝試しをしに隣町まで出掛ければ街と街の境に存在した端に母が鎮座していたし、塾に行ったと嘘を吐いて公園でブランコを漕いでいた日には父は酷く私を誹ったものだ。
 泣きながら家を飛び出した日、携帯電話と言う私を捕まえておく為の縄を振りほどいたその日。
 私は、せんせいに出会った。
 寂れた洋館の窓際でキャンバスに向かう彼は背筋をピンと伸ばして筆をキャンバスに淀みなく押し付けた。
 うつくしいその色の名前が梔子の花のいろだと知った。
 寂しげに見えたその色は深海のいろなのだと教わった。
 情熱的にも見えたその色に『おもひのいろ』と揶揄い名付けた人は素敵な人だったのだろう。
 せんせいが教えて呉れた全てが、うつくしくて。全てが、いとおしくて。

 わたしは、恋を描いた。
 それも、もうお終いだけれど。


 絵画展の案内と描かれたチラシを手にしていた『探偵助手』退紅・万葉 (p3n000171)はカフェ・ローレットに客達が持ち込み広告代わりに置いていく案内状なのだとそう言った。
「このイラスト、綺麗でしょ。中学生の女の子が描いたんですって」
 少女が一人、画用紙の中で祈っている。燃えるような紅い髪。その毛先は灰のように消えゆき寂しげに。
 イラストのタイトルは決別。幸福そうには決して見えないイラストの作者はまだ15歳になったばかりの少女なのだという。
「この絵画展は希望ヶ浜で活動していた画家の先生の作品を展示しているの。
 時々、希望ヶ浜学園でも美術講師として顔を出したことがあったそうよ。大きな学校だものね、そういうご縁はありそう」
 画家は『杜若』を名乗っていた幸の薄そうな若い男であったらしい。若々しく見えた彼の人生はある一時で終わってしまった。
 10代の頃より絵を描き続け、名も其れなりに売れ始めて絵画教室を開いた男は学校の講師として活動も続けていた。
 だが、ある日。絵画教室で少女にレクチャーをしている最中に心臓の発作で亡くなって仕舞ったのだという。
「その時レクチャーを受けていたのがこのイラストの作者で、藍苑 こころさん。
 8歳の頃に杜若先生の絵を見て、10歳からこの絵画教室に通っていたそうなの」
 7年の月日を彼の絵と共に過ごした少女のイラストから感じられたのは愛しい師との決別。
 それでも、其れだけで『済まなかった』からこそ万葉はイレギュラーズへとことのはを紡ぐ。
「……とある夜妖がいるんですって。面白山高原先輩と散歩をしていて、耳に挟んだの。
 絵の中に描かれたものを食べてしまう。それは描いた人の思いが強ければ強いほどに現実に影響を齎して……。
 そんな夜妖がこころさんに憑いた。それでね、こころさんが描いたものは全て消えてしまう」
 絵だけが彼女の世界だった。救いだった。
 だからこそ、彼女は世界と決別するように全てを描いてしまう。
 師として慕っていただけではなかった。藍苑 こころにとって、杜若は初恋だった。
 少女らしい感傷は夜妖の影響で人に仇為す力となって終ったのだ。
「こころさんに取り憑いた夜妖を祓わなくっちゃ。
 初恋のきもちを、消し去るのが正解かどうかはわからないわ。叶わぬ恋心は抱いているだけでも辛いでしょうから。
 けどね、それ以外の沢山のしあわせも全て消してしまうのは屹度辛いことだもの。
 こころさんがもしも人を描いたら……その人が消えちゃう可能性だって――」
 自分の描いた絵が誰かを傷付けたと知れば彼女の未来もそこで閉ざされてしまう。
 アイボリーホワイトに筆で描く前に、作品に一つの名を付けて彼女に憑いたものを払除けよう。
 作品の名前は――『  』

GMコメント

 日下部あやめと申します。宜しくお願いします。

●成功条件
 ・夜妖『ましろのきおく』を撃破すること
 ・藍苑 こころの保護

●『かきつばた絵画展』
 画家『杜若』の死後に開かれた追悼展示。後援希望ヶ浜学園です。
 希望ヶ浜学園にも美術講師として訪れていた若い画家であり、色鮮やかな作品群で目を惹く青年でした。
(杜若に関しては希望ヶ浜学園で既知であっても大丈夫です)
 彼の作品展には彼の絵画教室の生徒達の作品も飾られており、その中でも一際目を惹くのが『初恋』と名付けられたイラストです。
 イラストの作者の名前は藍苑 こころ。夜妖が取り憑いた少女であり、彼女は現在は『初恋』を忘れているようです。
 絵画展がクローズした後にも一人でそのイラストをぼんやりと眺めて過ごしているようです。
 他の作品に傷を付けないように気をつけて戦ってください。

●藍苑 こころ
 15歳。多忙で厳しい両親の元で育った少女。「趣味であればOK」だと両親に許可をもらい10歳で杜若絵画教室へと通い始めました。
 家出をした8歳の頃に杜若のイラストに出会い、その時に彼へと一目惚れ。初恋でした。
「せんせい」と呼び、憧れと恋の混ざったちぐはぐな感情を抱きながら絵を描き続けてきたようです。
 夜妖『ましろのきおく』が取り憑いた状態であり、彼女が作品展のために描いた杜若への『初恋』は『ましろのきおく』が食べてしまっているようです。
 今は杜若への初恋も、何か忘れてしまったような感覚だけが残っているようです。それはとても、空虚でさみしいことでしょう。
 防衛反応を示したときに体から『ましろのきおく』が飛び出します。
『ましろのきおく』が飛び出している間に保護をしてあげてください。
 また、初恋の人で心の支えを喪った彼女はとても不安定です。これから、についてもフォローしてあげるとよいかもしれませんね。

●夜妖『ましろのきおく』
 ふわふわとした白い靄のような夜妖。人間に取り憑き感情の込められた(魂の籠もった)絵を食べてしまう性質を持ちます。
 こころに取り憑き、こころの初恋を食べてしまっています。こころが怯えたとき、防衛反応を示したときにこころから飛び出しこころを護るように立ち回ります。
 遠距離攻撃が主体ではありますが耐久力にもとっても優れているようです。
 どうやら、こころが魂を込めて絵を描くことで沢山の食料にありつけることを覚えており、彼女を護るように立ち振る舞っているようです。

 ・倒す前に絵を燃やせば『ましろのきおく』が食べたままその感情は消滅します。
 ・絵を何もせずに倒せば感情はこころへと戻っていくようです。
 ・飛び出した状態で撃破すればこころから切り離した状態で撃破することができます。

●杜若先生
 享年30歳。こころの初恋の人。希望ヶ浜学園では美術の授業の臨時講師としても訪れていたようです。

●同行NPC 退紅 万葉(+面白山高原先輩&蛸地蔵くん)
 本の世界からやって来た旅人。探偵助手の設定があり、トリッキーな設定を作者に付随された女の子。
 面白山高原先輩(チャウチャウ)と蛸地蔵くん(エキゾチックショートヘア)を連れています。
 個展での人払いの他、何かご指示があれば対応させて頂きます。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はBです。
 依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。

  • 再現性東京202X:さよならキャンバス完了
  • GM名日下部あやめ
  • 種別通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2022年10月05日 22時05分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費100RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

アイラ・ディアグレイス(p3p006523)
生命の蝶
リウィルディア=エスカ=ノルン(p3p006761)
叡智の娘
ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)
薄明を見る者
眞田(p3p008414)
輝く赤き星
ルーキス・ファウン(p3p008870)
蒼光双閃
ニル(p3p009185)
願い紡ぎ
カフカ(p3p010280)
蟲憑き
玄野 壱和(p3p010806)
ねこ

サポートNPC一覧(1人)

退紅・万葉(p3n000171)
探偵助手

リプレイ


 恋することは苦しいこと。呼吸さえも忘れてしまうような深き水中を彷徨うこと。
 愛することは美しいこと。からだが砕けようとも、記憶を無くそうとも。あなただけをみているということ。

『かきつばた絵画展』のチケットは前払い制。『探偵助手』退紅・万葉 (p3n000171)から入場チケットを受け取ってから『生命の蝶』アイラ・ディアグレイス(p3p006523)は経験の無い景色に包まれた。ひとの心が作り出す情景は綺麗で、素敵で。それ以上にどのような言の葉を当て嵌めようかと悩ましくも思うほどの情動の波。
 万葉がイレギュラーズに願い出た夜妖の討伐は、鬱蒼とした茂みを行くような心地の悪さを感じさせた。尊いとひとが諳んじた情動は押し寄せて失せて行く。それは感情(こころ)を喰らうまものだという。アイラは嘸、美味しかったのでしょうと眼前に飾られた未熟な少女の情動を眺める。
 アイボリーホワイトに描かれたのは燃えるような紅い髪。その毛先は灰のように消えゆき寂しげに――決別と名付けられた一枚の傍らで指先一つ、誰かの服をついと掴むだけの刹那の切り取り。
 それは『初恋(はつこゐ)』と言うらしい。初恋は叶わぬものだと誰ぞが言った。その切なささえも閉ざすように描かれたそれを「綺麗」と『スカーレットの闇纏い』眞田(p3p008414)は褒め称えた。美術の専門知識は非ずとも、アーティストとしてはこの絵を描いた彼女の事が酷く気になった。
 ――藍苑 こころ。
 作者の名を眺めてから、展示室の端に茫と立っていた制服姿の少女に『ねこのうつわ』玄野 壱和(p3p010806)は気付く。伸ばした髪は淀みなき川のようにするりと澄んだ色彩としていた。足先までぴんと姿勢を正した彼女の眸は地を眺め、行き交う人の群れにも興味を示すことはなかった。そうして、絵画展のクローズが近付いても彼女はそうしていた。
「なんつーかさ、抜け殻みてーな奴だナ。あーいう状態はさ、割とマズいんだワ。
 中身が空っぽな分何でもかんでも入れちまう"器"になってるってゆーカ……まぁ、現に夜妖が憑いてるんだガ」
 感情を食われた。そんな実情に夜妖には様々な種類が居るのだと『散華閃刀』ルーキス・ファウン(p3p008870)は呟いた。
「感情(こころ)がない――空っぽ……そうですね。このまま彼女の感情が消えたままになるのは見過ごせない」
「恋心とか知らんけど自分と同じくらいのガキがあんな風になってんのは気に入らねーナ」
 もしも、少女の足元に行き交う蟻が居たとしても。彼女は呆然と其れを眺めているだけなのだろう。それだけの空虚が彼女の傍には漂っていた。
 初恋は、叶わない。初恋は、実らない。だからこそ、愛おしい。
 そんな言葉を何処かで見た様な気さえする。愛だ恋だ、惚れた腫れたは経験無く『ケータリングガード』カフカ(p3p010280)にとっては未だ知らぬ感情の形。それでも、その感情がどれ程のものであったかは絵を見るだけでも余りある。
「万葉ちゃんたちは人が近付かんようにお願いできる?
 戦うのは苦手なんやけど、感情(こころ)が人を傷付けるんは辛いやんな。精一杯気張ってくるから」
「うん、分かった。……本当ね。誰かを傷付けるなんて、とても恐ろしいわ」
 愛も、恋も、人を殺してしまうほどの激情となる。万葉もカフカも――『眠らぬ者』ニル(p3p009185)もその感情を知りはしない。
 つらいことなのだと、聞いた。恋することは苦しいこと。
 息をする事さえひとの形であるが故の必要たる行為であると識っている。人間は酸素を供給し続けなければ生きていけない。
 生きることさえ苦しくとも、その感情が失われるのは『かなしい』筈だから。忘れてしまうのは、こわいこと。
(ニルも、思い出せないことが――忘れてしまったことがあるのです)
 誰かの笑顔も、辛く悲しい思いでも、遠く霞んで消えてしまうことは酷く恐ろしい。
 だから、彼女は描いたのだろう。おいしいごはんも、きれいな景色も、たのしいできごとも、形に残せる『鮮明なる命』にして。


 ひとの記憶は儚いものだ。『叡智の娘』リウィルディア=エスカ=ノルン(p3p006761)はふと、書物の一節を思い出す。
 ひとが『だれか』に関することではじめに忘れてしまうのは声なのだそうだ。少しずつ風化する記憶、それに起因する感情。
 愛おしい声音が名を呼ぶ気配さえ遠離り、気付けばその表情さえも彼方へ消える恐ろしさ。其れを遺したいが為に描いた絵が全てを持ち去ってしまう。

 ――せんせい。

 呼んだその時に彼がどんな顔をしていたかさえ、彼女はもう『盗られて』しまったか。それとも。
「……持ち去って欲しかったのかも知れない」
「そうかも、しれないな。大切な人を喪う悲しみをわかるとは言わない。
 それさえ忘れたいからこそ持ち去られたかったのかも知れない。けれど、悲しみを背負ったとしても心を失くしたままでいいはずがない」
 いつか、忘れてしまうその日まで。『導きの戦乙女』ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)は藍苑 こころを眺め遣る。
 何かを忘れてしまった空虚なこころ。胸の内に溢れる悲しみの喪失は、ひとりの少女の人間性さえも奪い去ったようだった。
 苦しくとも、悲しくとも。リウィルディアは言う。未来から、過去から、金輪際失ってしまうものが「はじめて」の恋だったなんて許せるものか。
 張り巡らされた保護の術。前も後ろも、うつくしいものに囲まれながらアイラは唇を引き結びその時を待っていた。
 恋をする気持ちは、おんなのちいさな軀を満たして愛へと変わった。ラピスラズリの煌めきに蝶々が口付けるただその一時はどれ程に得がたいものだっただろうか。
 ぱちん、と音を立てて消えた電灯に少女は首を捻る。もうそんなに遅い時間だっただろうか。
 ブレンダの指先が電灯のOFFを押し込んだ刹那に、闇を纏いルーキスは鼠を放った。かたん、かたんと音を立て室内に響いたのは何者かの気配。
「……え?」
 謝って許して貰えるか定かではないほどの恐怖を演出する事へ心の中で詫びてからカフカは『なんか気持ち悪い虫』を作り出す。
 思い出すだけでもおぞましい、地を這い、糸を吐く巨大な蟲。それはずるりと少女の前へと忍び寄る。肌が粟立つのはカフカだけではない。
 言葉も発することも出来ずこころは其れを凝視していた。突如暗闇に現れた蟲。その音と共に、弾くようにニルの放った音と光が周囲を照らす。 
 足元をするすると進む蛇はリウィルディアに目配せを一つして、ぺろりと舌を見せた。佇む少女は突如として現れた全てに目を剥いて「ひゅ」と息を呑む。威嚇行動を行なう蛇は今すぐにでも少女の喉元に飛び掛からんとしただろう。
「――ところで、恐怖って何から来るか知ってるカ? 『未知』ダ。
 "それ"が何なのか分からない、だから何が起こるか分からない、何をされるのか分からない、ヒトは自分が理解出来ないものに恐怖を覚えるからこそこういうのが最適ってワケダ」
 秋の稲穂を思わせたその眸に紅が差す。壱和の猫の眸が爛々と闇に躍り、鋭き眸に少女は射貫かれた。
「ヒトの想像力って面白ェもんでナ?動けないってだけで色々考えちまうもんらしいゼ。自分がこれから何をされるかとかナ」
 その言葉の通り、こころの唇は恐怖に戦慄いた。咄嗟に腕を前に構えた彼女の前に白い靄がふんわりと現れ出る。
「ましろのきおく」
 呼ぶ、眞田は物陰から奏でていた楽器から指先を外し少女の軀を支えた。忍び足で近付いて、倒れ駆けた少女を受け止めたのは驚かす一環で触れようとした指先が其処にあったから。
「なッ、な――」
「怖がらせた?」
 余りに酷い恐怖を与えただろうかと笑みを湛えれど、それはドッキリ企画のようで楽しかった。眞田がぐい、とこころを後方に押し遣れば同時にブレンダは浮かび上がった夜妖へと一射を放つ。鋭きナイフの切っ先に乗せられたのは慈愛のラプソティ。
「だ、だれ」
 戦慄いた唇にアイラはそっと指先を押し当てた。大丈夫、だから今は聞かないで。目を覆うようにてのひらが少女のかんばせを包み込む。
 夜妖から引き離すため。何も見せやしないようにとアイラは髪先で遊ぶブラックドッグに囁きかけた。
 ほらほら、あれを食べておしまい。悪い魔女のような言葉にブラックドッグはくすりと笑い牙を剥く。
「……こころさんの初恋を食べてしまったのですね。
 残念ながら貴方にはここでこころさんを解放していただかなくては――大切なこころを、取り戻すために」
 だからこそ、距離を離そう。飛び出した『ましろのきおく』から引き離すようにアイラはそろりそろりと出口へと進み行く。
 炎も、水も、美しい絵を傷付けないように。そこにはだれかのこころが刻まれているはずだから。
 もしも、絵が傷付いたならばきっと酷く後悔するだろう。リウィルディアは「こっちだ」とブレンダが引き寄せる方向を指差した。
 白き靄はまるで忘れ去られた記憶のようで。輪郭線を帯びない、薄くなりつつある忘却の気配。
 あれが、忘れるという事なのだとニルは見詰めていた。涙流れるように、記憶が毀れる秘宝種は憂うようにと術式に悲哀を乗せた。
「奪わせやしない――」
 あとでネタばらしをするから落ち着いていてと笑いかけたルーキスはそっと石神ゾンビと名付けられたそれを安置してから剣を引き抜いた。
 切っ先に乗せた清廉なる気配。人を救うために貫く刃は直向きな気配を乗せていた。
 後方からまじまじと見詰める壱和はワルプルギスの箒を手に地をとん、とんと叩いた。作り出された光明の白鴉が宙を踊り夜妖を穿つ。
 抜け殻のような少女の剥き出しになった感情に「そんな顔も出来るじゃねーカ」と唇を吊り上げて。
 悍ましい世界。本来ならば目にすることもなかっただろう光景を目の当たりにする少女を保護するアイラを支援するように。
 壱和は二人と夜妖の間に身を投ずる。それはカフカとて同じ。体力を考えるよりも全て丸めて倒す事こそ必要だと青年は言霊に決意を載せた。
 心が欠けるのはじぶんだって同じだった。熱を求めたのは、うしなった物があったから。命を賭けて、道を駆けて。
 かけるばかりの人生に、振り返らないで青年はただ直向きに重ね続ける。
(杜若様の絵に、杜若様が込められているように――こころ様の絵に、こころ様が込められている。
 ニルは、こころ様の思い出が、生きている命(きおく)が失われるのは、嫌です)
 夜妖にといっての『おいしい』はきっと、こころの絵だった。
 ニルも分かるような気がした。鮮明なる命。脈動さえ感じられそうな情景。そのひとの情動すべて。
「……でも、それはこころ様の大事なものだから。食べちゃだめ、なのですよ!」
 声を張るように、全身全力の一撃を放った。『おいしい』は『うれしい』から。それで、だれかがかなしむことは許せやしない。
 あいしていると、こいしている。
 似ていて、違って。近くにあって、遠離る。感情の気配がニルにとって不思議で心地良い。
 地を蹴って跳ね上がる。緋に紅に茜に。混在した赫は、おもひのいろをしていて。
「ひとの作品は食いもんじゃないよ。藍苑さんの感情、返してね?」
 どうぞ、お静かに。折角の絵画展が台無しだと眞田の叩き込んだ一撃は避けることも許さぬ武の奥義。
 鋭い切っ先は黒き闇から放たれた。宵に紛れるように、鋭く叩き込む一撃は着実に『ましろのきおく』を削り続けた。
 その靄がふわりと揺らぐ様は、まるで思い出を削り取るかのようで。
「――お前を斬って記憶を取り戻す。ただそれだけだ」
 無数の言葉を重ねるわけでもない。ブレンダは睨め付けたまま、視線を逸らさなかった。
 絵画も傷付けさせない。それはだれかのこころだから。二剣の錆として、全てを取り戻すための戦いに身を投じるだけだった。
「『ましろのこころ』だって、いい絵だと思ったんだろ。素晴らしい表現だってさ」
「……ああ、だからこそ『喰った』のだろうな」
 少女の情動。抱いていた初恋がどれ程に素晴らしいものに思えたのか。眞田の切っ先は白き靄を切り裂いて、鋭く気配を立った。
 ぴん、と張り詰めた空気にブレンダは「そこだ」と声を発する。決して逃さぬ様に、離れぬように。
 もう二度とは、奪わせないように。

 ――せんせい。

 切り裂けば、そのこころが溢れ出すようだった。酷く苦しげな響きで。

 救いなんてどこにもなかった。辛く、苦しかったわたしを救ってくれたのはあなたの描いた世界だった。
 せんせい、せんせい。せんせいのような絵(せかい)をわたしも描きたかった。
 あなたと同じように色鮮やかな世界を見ていたかった。
 あなたが好きでした。憧れでした――せんせい。

 本当は、持ち去って欲しかったのだろうか。
 リウィルディアは背を向けアイラに手を引かれて行くこころを一瞥する。
 ――ああ、けれど。失うことは悪い事ではない。どんなものだって何れ消えて、糧になる。それが望まぬ喪失ならば、取り戻せば良い。
 彼女が自分自身の中でゆっくりと向き合って『過去』にする。初恋は、実らない。それでも、生きる力には変わるはずだから。
 絡みつく悪性。蒼を食み、銀を呑み。蝕む其れが『ましろ』をすべて呑み喰らうその時に。
 リウィルディアは走るこころの背を眺め、『こころ』が戻り苦しむ少女の涙がひとつ落ちる事を感じていた。
「初恋を置き去りにしたまま次に進むことはできませんから。
 ……ですから。貴方が大切にしていた思い出も、心も。未来に連れていってあげてくださいね」
 だから、出口に連れて行くようにアイラは彼女を誘った。あなたの『こころ』を奪ったもののおわりは、見なくったって良い。
「こころを?」
「はい。……ほら、ボクってばここの先輩ですもの。なにか困ったことがあったら、いつでもボクを呼んでね?」
 少女はアイラの手をぎゅうと握りしめてからか細い声で感謝を告げた。


「怖がらせて悪かったわ。あの悪いもん誘い出すためやったんやけど。自分にとっての大切をなくすんはしんどいよなぁ」
「――、」
 カフカを眺めたこころは唇を震わせる。ブランケットを手に戻ってきた万葉はカフカが握るケイオススイーツのチケットに「あ、いいなあ」と呟いた。
「……んー、気の利いた事言えへんわ! でもまあ生きてたら腹は減る!
 腹減ったら、俺をいつでも呼んでや。これ、クーポンね。こころちゃん可愛いからサービスしたるで!」
「私は?」
「万葉ちゃんも?」
「俺は?」
「眞田君も?」
 揶揄うように言葉を重ね合わせる三人にこころは虚を突かれたように目を丸くして笑った。
「笑った」と眞田は落ちていたスケッチブックを彼女へと手渡した。
「藍苑さんはこれからも絵を描くのかな? 君のその気持ちは苦くて辛いことだと思う。
 けど、これからの君には超大切で必要なものになるって俺は思うんだよね。『初恋』って作品見たけど、君の想いが乗ってて超イイ! って思ったよ」
「あの絵が……?」
「そう。君の心にはちゃんと杜若先生が居るんだね。
 まあ何が言いたいかって、そんな感じでいろんな経験をして、これからも絵を描き続けて欲しいなって思ったんだよ」
 私の、心に。こころは唇を震わせる。
 先生が描きたかった世界は、きっと確りと受け継がれた。スケッチブックを受け取ったこころは怯えたように白紙のせかいを眺めていた。
「……大切な人を失うのは、とても辛いこと。今は心と体をゆっくり休めて欲しい。もし絵を描くのが辛ければ、暫く休んだって良いと思う」
 今すぐ出なくて良いよとルーキスは優しく声を掛けた。白紙のせかいには、まだこころも何もなかったから。
「……ねぇ、君はさ。先生を好きになった事を後悔してる?
 人を好きになるっていうのは、それだけでとても尊い事だと俺は思うよ。だから、どうか。自分の抱いたその感情に誇りを持ってほしい」
「ああ。今は忘れたいほど辛いかもしれない。でもそれだけじゃないだろう? もっと大切な想いもあったはずだ」
 ブレンダはこころにそっとペンを手渡した。「私は忘れて欲しくない」と声を掛ける。頬を擽るように涙を掬う彼女にこころは「あなたが?」と問うた。
「ああ。偉そうかもしれないが、未来で想い出になってしまったとしても心の中にあるということが大事なんだと思う」
 だから、忘れないで。
 描いてみて欲しい。

 ペンが描く。あなたたちが見せてくれた嘘みたいなせかいを。
 それでも、見てしまった事は絵の中だけの秘密にしよう。せんせいも、沢山の嘘みたいなせかいを描いていた。

 ――せんせい。

 ぼろぼろと涙を流してスケッチブックを抱き締めたこころは嗚咽を漏した。

 ――せんせい、すきでした。

「恋心ねェ……初恋は甘酸っぱいってのが通説ってやつだがあの夜妖が食ってた感情もそんな味だったのかねェ」
 レモンキャンディーのような味わいだったのか、それは夜妖にしか分からない。
 一頻りその様子を眺めてから出口に設置してあったキャンディーを口腔に放り込んで壱和は「甘い」と呟いた。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 この度はご参加有り難う御座いました。
 万葉もご一緒させて頂き、ひとつひとつの思い出に触れるように進ませて頂いております。
 とってもこわかった演出。それでも、未来の可能性を頂けた事が嬉しかったと思います。

 またご縁がありますように。日下部あやめでした。

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