シナリオ詳細
<ヴィーグリーズ会戦>双翼の碧
オープニング
●
サイドテーブルに置かれた明かりに影が伸びる。
ベッドの上に寝かされた『双翼の碧』アンジェロ・ラフィリアの褐色の肌を舐めるように這う指先。
レヴォン・フィンケルスタインは腕を拘束され寝台に横たわる少年の脚を持ち上げる。
「自分が持ち得ないものに憧れるということは、絶対に手に入らないと自分で決定づけてしまうものだ」
意識の無いアンジェロの脚はランプに照らされ瑞々しい輝きを放った。
張りがある褐色の肌。年若き少年。可能性という未来への道筋を開いたばかりの希望の光。
「だからこそ、焦がれるのも。手に入れたいと思うのも分かるのだが」
レヴォンはミーミルンド男爵派クローディス・ド・バランツの部下だ。
彼の命令で『レアンカルナシオン』の儀式の場にアンジェロをつれてきた。
儀式はとりあえずの成功を見せ、アンジェロは勇者王の器となったのだ。
「これでまた、『自分』とは違うと思い知ることができるのかな。我が愛しき人は……くははっ」
レヴォン・フィンケルスタインはクローディス・ド・バランツに傾倒していた。
自分には何も無いと嘆くクローディス。
己の白い肌が嫌いで、貧弱な身体が嫌いで、誰かから取った名前が嫌いで。
そんな彼が自分には無い何かに固執する姿に愛しさを覚えた。
褐色の肌の少年達を攫い蹂躙した後の何も得られなかったクローディスの泣きそうな顔に欲情したのだ。
クローディスの悔しそうで悲しそうな顔をもっと見たいと思ったのだ。
レヴォンは持ち上げたアンジェロの脚と自分の肌を見比べる。
自分がこの褐色の肌だったならばクローディスの可愛い表情をもっと見る事が出来ただろうか。
傍で見ているだけでなく、存在を植え付け、乱れさせることが出来ただろうか。
「羨ましいな……」
憎らしげにアンジェロの脚に歯を立てたレヴォンはサイドテーブルのランプを消した。
――――
――
夢の狭間に仄かに揺れる。
アイオンの記憶。僕の意識。
揺れるランプの灯りと小さく聞こえてくる声に耳を澄ます。
「彼が勇者と呼ばれるアイオン様だ」
「実に精悍な顔立ち佇まい。これで奴らとの交渉も上手く行くに違いない」
誰かが噂をしている。勇者アイオンの齎した功績を讃えるものだ。
それがまるで自分の事のようで嬉しくなる。
いや、これは記憶だ。アイオンの記憶。
僕の中に存在する勇者王の記憶。
「それにしても、よく協力してくれた」
身なりの良い壮年の男が此方へ向けて杯を掲げる。
「本当に。我々の為に感謝する! さあ、今は宴を楽しもうではないか」
「アイオン様に乾杯!」
「乾杯!」
皆が一斉に勇者アイオンへ乾杯のエールを送る。
グラスが前を通り過ぎ、アイオンの杯へと重ねられた。
様々な人に乾杯を要求されてそれに応えるアイオンの姿。
照れくさそうな笑顔で祝杯を交わす。
その笑顔は建国王と謳われるルミネル広場の銅像によく似ていた。
――――
――
長い夢を見ていた。
明滅する意識は自身が吐き出した吐息で浮上する。
酷い頭痛を抱えアンジェロは馬車のソファの上で目を開けた。
頭を押さえようとして、手首に嵌められた枷に気付く。
はだけた服はボロボロで身体中が軋んだ。
「……これじゃスラムに居た頃と同じだ」
双子の片割れと共に家畜の肥溜めみたいなスラムの片隅で息を潜めて生きて居た。
理不尽な暴力なんて当たり前で、毎日のように鬱憤晴らしに大人達や力の強い輩に殴られていた。そういう世界で生きて居た。
貴族なんて此方を見向きもしない。
視線を向けたとしても鼠を見るような嫌そうな顔で居なかった事にする。
ましてや、王様なんてものは自分達の存在を認識してさえいないだろう。
惨めで滑稽。生きている価値なんて何処にも見当たらない。
けれど。それでも生きていたのは、両親から聞かされた『尊き血族』に僅かな救いがあるのではないかと思っていたからだ。
心の底から信じていたわけじゃないけれど。王家の一族しか解除出来ない古廟スラン・ロウの封印を解いてしまえたことはアンジェロにとって『唯一無二の自信』となった。
『レアンカルナシオン』の儀式の後、混濁した意識の中で見たアイオンもその自信に繋がっている。
「目が覚めたか……」
アンジェロが視線を上げれば、荷馬車の向かいでレヴォンが鋭い眼差しを向けていた。
「夢を見てた。僕がアイオンで皆で宴をひらいてて……広場の銅像に似てたアイオン」
今見ていた夢をレヴォンに語るアンジェロ。
「ほう……それは記憶か? アイオンの」
「多分。アイオンは乾杯って皆に杯を沢山貰ってた。それを笑顔で返してて……」
「笑顔。鏡でも近くにあったのか?」
アンジェロは不思議な事を聞いてくるレヴォンに首を傾げる。
「何で鏡があるの? 無かったよそんなもの」
「鏡が無いのに、アイオンが笑顔であることが分かったのか? お前は自分自信の笑顔を鏡なしで見る事が出来るのか?」
「え……? どういうこと?」
碧瞳を大きく見開くアンジェロにレヴォンが口の端を上げた。
「……っは、はは! これは面白い事になった。なあ『お前は誰の記憶』を植え付けられたんだ? それはアイオンじゃないぞ。鏡でも無い限り自分自身を見る事なんて出来ないからなぁ」
「嘘だ! 僕はアイオンだ! この記憶にはアイオンが出て来て……っ」
アンジェロは自分自身の言葉に驚愕する。レヴォンの言うとおり、アイオンが夢に出て来た。笑顔を見せていた。だがそれは、『自分』ではないという確たる証拠でもあった。
アンジェロが植え付けられた記憶は『勇者王アイオン』のものではないという事実に繋がる。
「僕は勇者だ……! あんな王様が勇者王の末裔なものかっ! あんな、贅沢して、僕達がご飯を食べられなくても平気で笑ってられるなんて、くそ……ッ! 勇者王は僕だ! 正当な尊き血なんだ! スラン・ロウの封印を解いたのは僕なんだから、やっぱり僕が……」
「滑稽だな。自分を勇者王だと思い込んでいるだけのガキじゃないか。何者にもなれないガキだ」
「違う! 違う! 僕は勇者王の末裔で、尊き血で、リルを守って……」
何者でもなった奴隷の少年アンジェロが得た『唯一無二の自信』が崩れて行く。
以前は希望に満ちていた碧瞳が色を失っていく。
「ああ、そうだ。良いことを教えてやろう。リルはイレギュラーズの所に居るぞ」
「……え」
「お前より、イレギュラーズの傍に居ることを選んだんだ。お前が勇者王の末裔じゃないのを分かってたのかもしれないな」
「は、え……、なんで」
唯一無二の自信。自分を信じたいと強く願ったのは、誰かを守る強さが欲しかったからだ。
この力があればリルを守れると信じたからだ。
「僕が、守っるって……」
――嘘だ
――嘘だ。嘘だ。嘘。嘘
――嘘だ! 信じない! 信じない!!!!
「リルは僕が守るんだ……」
ギリギリと心が引き裂かれる音が聞こえる。
その様子にレヴォンは愉悦を感じた。滑稽な人形が壊れて行くのが大層愉快なのだ。
愛しきクローディスの望んだ通り。何もかも、塗りつぶされれば綺麗になる。
「勇者王の末裔なんだろ? じゃあ今の王様が居なくなればスラン・ロウの封印を解けるお前が次の王様に選ばれる可能性だってあるんじゃないか? そうなればリルだってお前の所に戻ってくるかもしれないぞ」
「王様……イレギュラーズ…………」
壊れて壊れて壊れて。
塗りつぶされてしまえばいい。
それが、愛しきクローディスの望みなのだから。
●
なだらかな丘を橙光が照らしている。
アラゴン・オレンジに染まる夕焼けは、空に舞い上がった『天使』に影を落とした。
背に光を浴びて濃い影になった『双翼の碧』アンジェロ・ラフィリアの表情は見えない。
地上には幾十もの騎士がパイクを持って陣を組んでいる。
ミーミルンド派クローディス・ド・バランツの部下レヴォン・フィンケルスタイン率いる兵だ。
「アンジェロ君……!」
眉を寄せたアーリア・スピリッツ(p3p004400)は空に浮かんだアンジェロを見上げる。
何度もその名を呼んだ。初めてスラン・ロウの外周で出会った時も、森の中で助けたときも。
儚げな少年は視線を上げて、アーリアを見つめた。
「……イレ、ギュラーズ」
掠れた声と共にアンジェロの背後に白光の魔法陣が多重に展開しアーリア目がけて解き放たれる。
「アーリアさん!」
その光輝からアーリアを押し出すのはシャルティエ・F・クラリウス(p3p006902)だ。
アンジェロからの不意打ちを回避した二人は歯を噛みしめる。
このヴィーグリーズの丘には自陣の数を大きく上回る敵兵が犇めいていた。
現在の王家に嫌気が差しミーミルンド家を次の王へと担ぎ上げる為、このヴィーグリーズの丘に集結しているのだ。これまでの幻想王国に大量に発生していた魔物の襲撃事件やレガリアの盗難、奴隷市はミーミルンド派が起こしていた策謀だった。王権簒奪を目論む彼等の野望を打ち砕かねばならない。
しかし、いくら歴戦の勇者たるイレギュラーズとて幾十もの騎士と狂気に侵されたアンジェロやレヴォンを相手取るには無理があるというものだ。だがそれでも戦わなければならないのだ。
自分達の背負うものはこの幻想という国そのものに他ならない。
「厳しいけど、やるしかないのよね……」
アーリアの腕を握ったタイム(p3p007854)は空に浮かぶアンジェロを見つめ胸が押しつぶされるような感覚に襲われる。
「あの時……引き留めていれば」
後悔は後から止め処なく湧いてきた。
「それは私も同じよ、タイムちゃん。無理矢理引き留める機会なんて幾らでもあった。でも、アンジェロ君の意志を尊重した。それは多分間違ってない」
「でも……」
アーリアの言葉に涙を浮かべ首を振るタイム。そんなのあんまりじゃないかと青い瞳は訴えかける。
「そう、でもね。もう、限界。良い大人ぶってたって後悔してしまうのよ! だったら、あの子ひっつかまえて連れて帰るわ! その後の事はその時考える。だから、行きましょうタイムちゃん!」
アーリアのエメラルドの瞳がタイムを見つめる。
「ええ。そうね。そうよね。……本当に、男の子ってやんちゃなんだから」
分の悪い戦いだ。けれど、不思議と恐怖は無い。やるべき事があるのだから、前へ進むだけ。
イレギュラーズの背後から進軍してくる兵が見える。
旗印から味方勢力であるには間違いない。
パイクを掲げ、鎧を鳴らし、足音が近づいて来た。今のイレギュラーズにとっては頼もしい味方だろう。
されど、見慣れた紋章にリースリット・エウリア・ファーレル(p3p001984)は息を飲んだ。
「まさか、そんな」
白き甲冑に身を包み、馬に跨がるその姿を見間違えよう筈もない。
駆け寄るリースリットの前に馬上から地に降り立つは父リシャール・エウリオン・ファーレルだった。
「状況はどうだ。リースリット」
甲冑兜の視界を上げて愛娘であるリースリットに視線を合わせるリシャール。
「お父様、何故ここに……」
天義との国境を守備するファーレル伯爵家の当主自ら『中央』の最前線に出てくる等、リースリットには予想も出来なかった。国境を守る事は重要な役割である。それを押してまで伯爵家当主が出てくる理由。
「陛下が挙兵なされた」
「な……!?」
リースリットがファイアー・ブライトの瞳を瞠る。
現国王たる『放蕩王』フォルデルマン三世(p3n000089)が安全な王都を離れ最前線までやってきているというのだ。
「幻想軍を指揮する仮の拠点をビルレストに設営するという名目でバルツァーレク卿と花の騎士がその街に押しとどめている」
ビルレストに陣取るフォルデルマン三世の元へアンジェロを行かせない為。
『王党派』たるファーレル伯爵家の名において、ここから先に『敵』を通すわけには行かないのだ。
目の前の迫り来る敵兵へと視線を向けるリシャール。
「周りの兵は私達に任せ、お前達は『天使』の元へ」
一歩前進したリシャールの背をリースリットが見つめる。夕焼けのオレンジが白い甲冑に反射した。
普段は優しい笑顔を向けてくれる父が、凜とした表情で戦場を往く姿に胸が締め付けられる。
それはリースリットが目指すべき父の背だ。
死ぬかもしれない戦場。今生の別れかもしれない時。行かないでと喉の奥に木霊する言葉。
されど、リースリットは緩く伸ばした手を握り絞める。
父は自分達にアンジェロを託した。役目を課した。それを果たさぬ事はリースリット自身が許さない。
紅い瞳は父の背を見送り。
「全軍、突撃――!」
父の声と共に前身していく幾十もの足音を聞いた。
- <ヴィーグリーズ会戦>双翼の碧Lv:25以上完了
- GM名もみじ
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2021年07月07日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談6日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
リプレイ
●
――弱くてちっぽけで何者にもなれない。
勇者の末裔と舞い上がり、滑稽に踊っていたのだろう。
「消えてしまえ! 消えろ! 全部――!」
でも、一番居なくなってしまえばいいのは、きっと僕なんだ。
●
馬の嘶きと蹄鉄の音が地響きとなって戦場を駆けていく。
見える範囲で繰り広げられる戦闘以外にも、黄昏が被うヴィーグリーズの丘では多くの血が流れていた。
ブラウベルク軍に戦場を託し、この場へ駆けつけた『紅炎の勇者』リースリット・エウリア・ファーレル(p3p001984)は重なる剣檄を目の当たりにしただろう。
夕焼けに染まる決戦の地が紅く照らされているのは、太陽の明かりだけではないのだ。
橙色の空に浮かぶ天使――『双翼の碧』アンジェロ・ラフィリアへと視線を向けるリースリット。
「アンジェロ君……」
「どうしちゃったの? 早くこっちに降りてきて」
リースリットの傍らでは、唇を震わせる『優光紡ぐ』タイム(p3p007854)が空に浮かぶアンジェロに手を伸ばす。
アンジェロの内情は分からない。けれど、唇に乗せられるのは憎しみと怨嗟の言葉。
「怒って、憎んで。……泣いてる」
以前の少年とは想像も付かない程の豹変と暴走。それを誘発したのは他でもない。レヴォン・フィンケルスタインなのだろう。この場にアンジェロを連れてきておいて無関係だとは到底思えなかった。
「レヴォン・フィンケルスタインには人を誑かす能力はあるようですね」
「アンジェロさんに何をしたの」
無垢な少年を導く所か、貶め闘争に目を向けさせたのだ。
リースリットは馬を走らせて往く父、リシャール・エウリオン・ファーレルの背へ言葉を贈る。
「お父様、ファーレル領の皆、御武運を!
――この一戦。我らの遥か父祖、勇者王アイオンよ。どうか――御照覧あれ!」
娘の激励にリシャールは剣を天高く掲げた。
「そちらはお願いします」
レヴォンの元へ向かうリシャール立ちに頭を下げたタイムは焦燥感と共に小さく息を吐く。
眉寄せ憂う瞳。されど握り絞めた指先と共にタイムは視線を上げた。
「……アンジェロ君」
良い大人はおしまいだと髪を掻き上げたのは『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)だ。
真摯な眼差しは天上の御使いを見据え言の葉を告げる。
「誰が何と言ったって、レヴォンを倒すしアンジェロくんを連れて帰るの!」
伝うべくは誰為のものではない。内側から震える程の激情。己が意志。
アンジェロからの攻撃を庇ってくれた『不退転』シャルティエ・F・クラリウス(p3p006902)に、アーリアは頷いた。
「行きましょう。シャルティエ君、リルちゃん」
「必ず、アンジェロも助けて連れて帰る。それを願ってる皆と一緒に帰るんだ」
――絶対に、諦めたりするもんか……!
シャルティエは不安に揺れるリルを気遣うように彼女の肩を優しく叩く。
「大丈夫。必ず守るよ。だから、アンジェロを助けに行こう」
「……はい!」
シャルティエが剣を抜き去り、リルが召喚した黒狼の上に飛び乗った。
「勇者、勇者かぁ。勇者の末裔なんて、ただの一般人の俺からすれば羨ましい限りだな」
それが本当であるのならば――『日向の狩人』ミヅハ・ソレイユ(p3p008648)はアンジェロの輪郭に目を凝らす。見窄らしい格好をした子供。痩せ細った身体は健康とはほど遠い代物だ。
「『勇者の末裔かもしれない』なんて希望を知ったあとにそれが偽りだと絶望を突きつけられる。残酷な話だぜ……」
愚直に信じて居る事が出来ていたならば。幸せだっただろうか。
いっそ、スラムでひっそりと暮らして居た方が幸せだったのではないか。
そんな思いがミヅハの脳裏に過るけれど。首を振って思考を掻き消す。
「気分よくねえもんだな」
苦そうな顔で舌打ちをした『竜撃』ルカ・ガンビーノ(p3p007268)は地上の軍勢を見遣る。
「大人がガキの気持ちを利用して思い通りにしようなんざ」
反吐が出ると鋭い視線で敵影の夕焼けを反射する甲冑へと視線を流した。
「ええ。人を惑わし、利用しようとするなど言語道断」
ルカの言葉に頷くのは『月下美人』雪村 沙月(p3p007273)だ。白い頬を流れる髪が橙色に染まる。
何もかもがアラゴン・オレンジに染まる黄昏時。
陽光が強ければ強いほど、暗闇もまた深く濃くなっていく。
天に浮かぶ白い天使の羽根が黒に飲まれていくようで。
「それが子供であるなら尚更のこと……汚い輩の好きにはさせません」
長い睫毛の奥で光る瞳が敵の陣形を正確に捉える。
「ま、俺に出来ることなんてこの弓を引くことだけだし難しー話は他のみんなに任せるぜ!」
自分がとやかく考えた所で答えなんて出ない。
ならば、自分に出来る事をしようとミヅハは口の端を上げる。
戦って仲間に『考える時間』を与えてやるのがミヅハに出来る最良なのだ。
ミヅハの隣。『赤い頭巾の悪食狼』Я・E・D(p3p009532)は空の天使へと視線を上げた。
「アンジェロはは狂気状態であり、おそらく現状では話が通じないのでしょう」
「十中八九そうだろうな」
レッドの言葉にミヅハが頷く。
「まずは地に落とすしかないでしょうか」
仲間が安全に近づける状態にするまで弱らせる必要があるだろうとレッドは冷静に分析した。
「もし、彼の攻撃が味方や兵士に降り注ぐと甚大な被害が出て作戦が破綻する可能性がある」
「じゃあ。まあ。注意を引きつつだな」
ミヅハはレッドに拳を差し出し、コツンと骨を合わせる。
「天使の攻撃は皆さんの方に行かないように防ぐよ。だから、ごめんなさい。敵の兵士達の事は皆さんにお任せします」
「ああ。コイツを見過ごしちまったらラサの男の名折れだ。だけど今日のヒーローは俺じゃあねえ」
先陣を切って突撃するリシャールに追走する為、ルカは靴底で硬い土を踏みしめ、加速した。
「ここは俺に任せて先に行け……ってやつだ」
「皆様の進む道を切り開きましょう」
ルカと沙月はリシャールを援護するように、空に向かう仲間が進む道を開くために。
地上で戦う事を決意する。
「拙者はアンジェロ殿に直接の面識がある訳ではございません。ですが……!」
『離れぬ意思』夢見 ルル家(p3p000016)のエメラルドの瞳は今飛び立たんとするタイムやアーリアに向けられる。彼女達は少女の友人だった。豊穣大戦の折、決別の意志を泣いて叩いて追い縋った。離してくれなかった。ルル家を無くすことを惜しんだ大切な友人たち。
「そんな彼女達が助けようと言うのです」
己を助けたいと願ってくれた友人が、救いたいと望むのならば。
力を尽くすには十分であろう。
「さぁ、帰宅の時間ですよ! 家に帰るまでがお出かけですからね!」
飛び立つ仲間へ目を細めるは『カーマインの抱擁』鶫 四音(p3p000375)だ。
「自分を特別な存在と思う時は誰にでもあります。実際、それは正しいのでしょう」
ゆるりと手を伸ばす先。空に浮かぶアンジェロの羽根を自身の指で覆い隠す四音。
「誰もが人生という唯一無二の物語の主人公となり、その命を輝かせることができます」
夕暮れの羽ばたき。表情の見えないアンジェロの顔。
アーリア達が必死にアンジェロの名を呼ぶのをカーマインレッドの瞳が映し出す。
まさに激情が美しく色彩を帯び瞬いているようで。四音はこの場に立ち会える事に酔いしれた。
「勿論、それはここに居る皆さんも同様です」
今此処から物語の頁が動き出す。
「今こそ決戦の時、輝かしい未来を手にするために頑張ろうじゃありませんか」
唇に三日月を浮かべ。四音は頬を紅く染めた。
激動と情動の狭間で人の心は何を写すのか。それが知りたいのだ。
「……ふふふふ」
●
「リシャールの旦那。アンジェロへの道を切り開いて仲間を送り出す。頼めるな?」
ルカはリシャールの馬へ寄り、顔を上げる。
「元よりそのつもりだ。父として娘の前で膝を着くことなど許されぬだろう?」
「ああ。そうだな。しっかりと見せつけてやってくれ。父の勇姿をな」
口の端を上げたルカはリシャールに手を上げ、前線の兵士達へ視線を向けた。
大きく息を吸い込み――
「テメエら! ダチはいるか! 好きなやつはいるか!」
戦場に響き渡るルカの声量。剣檄が重なる隙間を縫うように耳に届く想い。
「守りてぇもんの為に気ィ入れて戦え! テメェら全員が勇者だ!」
この場に集まった一人一人が勇者なのだ。階級や身分など戦場に置いて無用。
皆が怖じ気づく場面でも一歩前に踏み出す勇気。守りたい者の為に戦う。それが勇者。
「――頼りにしてるぜ?」
「「ォォォオオオ!」」
ルカの言葉でファーレル軍の士気が熱を帯びる。
「リシャールさん、兵士の皆様はよろしくお願い致します」
沙月は青紫の瞳で戦場を見渡した。多角的に敵陣の動きを読み取る眼は、その時々に最適かつ有益な戦略を導き出す。
「現在、右翼側は守りが薄いようです。正面をリシャールさん達が抑え込んでくれれば、ルカさんと共に右翼へ向かい其処を強襲。敵を一歩後退させる事も出来るでしょう」
右翼が後ろへ後退すれば敵陣の広がりも抑制する事が出来る。
「だが、それは危険ではないのか? たとえ君達だとしても無理をすれば……」
リシャールの懸念は最もだろう。ファーレル軍を指揮する『大将』としてのリシャールではその判断を是とする事は出来ない。
「分かってるさ。でも、俺達以外に自由に動けるヤツも居ないだろ? 多少の無茶は承知の上。それに、リシャールの旦那だって『最前線の騎士』ならそうしただろ?」
「……はは、確かにな。この身一つで戦場が優位に運ぶなら迷い無くそれを選ぶだろう。だが、決して無茶はするなよ。この地で死んではならない」
「ええ。死ぬつもりは毛頭ありません。ですが、こちらの戦いを有利に進める為には必要なことです」
流れを読み、引き寄せ勝利の勝ち鬨を上げる為には、最適な配置を選ぶべきだと沙月は頷く。
「好機が訪れれば自然と仲間の士気もあがることでしょう」
「では、其方は任せた」
リシャールの言葉を皮切りにルカと沙月は右翼へ走り出した。
――――
――
戦場は乱戦に突入する。
四音は口の端を上げて戦場を見渡していた。
「苦しむ子供を救い、それを利用する悪も倒す。とても素晴らしいことですね。私も多少ですがそのお手伝いをさせて頂きます」
リシャール率いるファーレル軍と右翼に回り込むルカと沙月。
レヴォンは中央正面に陣取っているのだろう。自陣を内側に引く形で右翼からの挟撃を成功させる作戦。
百戦錬磨のリシャールの度胸とルカと沙月の機動があればこそ成し得る陣形だ。
「お父様……」
リースリットは父の勇姿を目の当たりにして胸の奥が熱くなるのを感じる。
ぐっと唇を引き結びリースリットはアンジェロに視線を送った。
戦力の多くをアンジェロに向けるのだ。地上は苦戦を強いられるだろう。
だが、時間を掛けてはいられない。彼は今、『原罪の呼び声』を受けている。
以前のアンジェロからは想像も付かない程の魔力量。これは狂気に侵されている証左。
「フィンケルスタイン軍とレヴォンも妨害を試みるでしょうが、それはお父様達とルカさん沙月さんを信じて任せます」
「はい! 拙者達はアンジェロ殿の救出に向かいますよ!」
リースリットの言葉にルル家が手を上げる。
アンジェロに近づくには迫り来る兵士が邪魔ではある。
「この辺りからなら行けますかね!」
ルル家の右目が開かれる。緑柘榴がゆるりと赤く染まって行く。
瞼へ走る黒い亀裂は虚無の代償。烏天狗の瞳で蓋をされたとはいえ反動はその身を蝕む。
この眼の空洞は何処とも知れぬ道へ繋がっているのかもしれない。
故に解き放たれる赤光は敵陣の奥深くまで駆けた。
戦場に雷光の一閃が迸る。アンジェロへと一直線に穿たれるリースリットの剣雷。
皮膚を焼き痛みが走っているだろうアンジェロは、微動だにせず翼の背後に展開した魔法陣からカウンターの如く雷光をリースリットに弾けさせる。
四音は即座にリースリットへと手を翳した。ダークヴァイオレットの抱擁はリースリットの身体を包み、禍々しい見た目とは裏腹に傷口を優しく癒す。
「皆さんの心からの願いが果たせるように力を尽くしますよ。ふふふふ」
物語の途中で退場されては勿体ないと四音は三日月の唇で微笑んだ。
「ってわけで俺はアンジェロを止める側」
ミヅハは薄明の空を模した黒弓を手にアンジェロを黒曜石の瞳で見つめる。
「空を飛んでる相手は初めてだけど、あっちの攻撃が届くってことはこっちも射程内だよな?」
ミヅハは澄んだ瞳でアンジェロとの距離を測る。この距離からであれば問題無く届くだろう。
背に吊した矢筒から呼び出すは大樹の枝。
「んじゃデカいのを一発お見舞いしてやるよ。威力だけならお墨付きの大矢だぜ!」
身の丈を上回るほど大きな太陽の大弓を引き絞るミヅハ。
番えるは新芽の矢――ミスティルテイン。
ギリギリと弦が軋み、弓が反り返る。機が熟すその時。ミスティルテインは芽吹く。
「弓の扱いには自信あるから狙いは外さねーよ!」
アンジェロの翼を見事に貫いたミヅハの矢。真っ白な翼が赤く染まって行く。
片方の翼を押さえ、姿勢を保てなくなったアンジェロが緩く高度を落とした。
「天使の攻撃は神秘の魔力。ならばそれを弾く障壁を……」
レッドは己の周りに黒い靄を巻き付かせる。それは魔力を弾く障壁は翼の形へと姿を変え、レッドを空へと浮かび上がらせる。ミヅハの矢で負傷した傷を手で被いながら下降するアンジェロの元へ飛ぶのだ。
レッドの耳にはアンジェロの痛みと怒りの声が届いている。
「何で。邪魔するんだ」
悲痛な叫びだ。怒りと悲しみ。行き場の無い感情。
アンジェロからはそんな戸惑いと混乱が混ざったものが読み取れた。
「天使の心を治す事はわたしにはできないから。せめて天使の元に彼女達がたどり着けるように」
レッドを取り巻く靄がマスケット銃の形を描く。
何本もの照準がアンジェロを狙い、解き放たれる弾丸は肩を貫いた。
ドロリと見窄らしい簡素な服にブラッディレッドの血が染みこんでいく。
「どうか」
此方に意識を向けてほしいとレッドは願う。攻撃なら幾らでも受け止めてみせるから。
「アンジェロ君! 貴方を連れ去った後にレヴォンがリルさんを殺そうとした事、気付いて居ない訳ではないのでしょう?」
焦げた袖を破り捨てリースリットがアンジェロへと言葉を投げかければ、僅かに少年の指先が動いた。
声が届いていない訳では無い。リースリットはそう確信する。
それはタイムとて同じこと。青い瞳でじっとアンジェロを見つめた。
「きっと声は届いてる。一歩だって引かない」
何時からこんなに諦めが悪くなったのだろう。以前はもう少し外界との距離を置いていたはずなのに。
当たり障り無くやり過ごして優しいだけの関わりをと思っていたような気がするのだ。
「ほんと、やんなっちゃう」
タイムの心の中には手放したくないものが沢山出来てしまった。思い出が両手一杯に溢れている。
「でも目の前で大切なものを取り零して後悔するのはもう嫌」
ここまで来たのだ。何一つ譲れるものなんて無い。
「……そうよね、みんな」
タイムは隣に浮かぶアーリアに視線を上げる。
「ええ。後悔なんてしないわ。絶対にさせない。そんな未来は変えてみせる!」
大人の余裕は必要無い。この戦場にあるのは魂の叫びと願い。
言葉では足りない注意を引くために、アーリアはアンジェロへと魔術を解き放つ。
「痛くしてごめんね、でもこうするしかないの」
アンジェロの身体に傷が増えていく度、アーリアは眉を寄せた。
――気付いて。こっちを見て。お願い!
荒れ狂う怒りは、本当に君の気持ちなの?
アンジェロが言葉に乗せる憎しみは、自分の生まれ落ちた境遇を、他人の責任にしているだけのもの。
何者にもなれなかった。成りたかった。勇者になりたかった。リルを守る事が出来なかった。
憧憬が裏返り憎悪となる。
そして、それを怒りとして発露するだけしか出来ない子供なのだ。
「アンジェロ君! リルちゃんも大丈夫、君を待ってるの!」」
アーリアの声にアンジェロの碧瞳が瞬き、地上に揺蕩う。
探すように。縋るように。
「リルさん、今度は彼を助けよう。やれるわ、だから声をあげて」
タイムはシャルティエに守られているリルへ視線を向けた。
「……アンジェロはリルを守りたいって言ってくれた。その想いが今の狂気の元になっているなら、助け出す為の鍵も、きっとリルになるはずなんだ」
黒獣に乗ったリルに力強く頷く。空を見上げればアンジェロが翼を広げ魔法を解き放っていた。怒りと悲しみ。それは何処か寂しさを孕んでいるように見える。
「アンジェロのあんな姿、見ているだけで苦しいだろうけど。でも、だからこそ行かないと」
「はい」
希望を、光を見失わないようにとシャルティエはリルの手を取る。
助けられる道があるのならば。
諦める訳にはいかない。
カモミーユの剣を掲げるシャルティエには不屈の魂が宿っているのだから。
「一緒に助け出そう。僕達とリルとで、アンジェロを……あんな場所から!」
「はい!!!!」
リルは大きく息を吸い込んで、天上の御使いの名を呼んだ。
●
「ほう……、リルが此処に」
レヴォンは己が紫屍呪の罠に貶めた少女が、この戦場に姿を現した事に多少の驚きを見せる。
「助かったのなら、震えて物陰に隠れていればいいものを。わざわざ嬲られに来たのか? ああ、いや。アンジェロにリルの死体を見せる良いチャンスかもな。発狂して全部壊してしまえばいい……」
その言葉を口に乗せた瞬間、黒い剣がレヴォンの頬を掠めた。
「よぉ。俺もテメェも今日は脇役だ。仲良くしようぜ」
右翼から敵陣内部へと攻め込んだルカがようやくレヴォンへと到達したのだ。
「ははっ、威勢の良い男だ」
続けざまにファーレル軍の兵士がパイクを構え突撃してくる。
沙月が先陣を切って指揮した兵士が追いついてきたのだ。
レヴォンは眉を顰め自軍に後ろへ引くように命令する。
この動きは沙月の読み通りだ。散けている敵軍はレヴォンの命令で一箇所に集中するだろう。
そこをリシャールと連携し追い込むのだ。
「アンジェロさんやリルさんの元へは行かせません」
この場に釘付けにすることにより、仲間が本懐を遂げる事ができる。
「いざ――」
沙月の艶やかな着物が風に靡いた。
――――
――
『勇者アイオン様!』
そう言って、自分の前を通り過ぎて行く人々を『僕』は嬉しそうに眺めていた。
ぼんやりとした記憶。誰かの思い出。
『アイオン様のお役に立てるなんて光栄です』
『そんな堅苦しい事言わないでくれよ。■■■■。君はもう仲間じゃないか』
『ふふ。そう言って頂けるなら、この守人の血も報われます。ただ、贖罪の為に生きている訳では無かった。勇者の役に立つことが出来る。其れだけで……』
この時の『僕』は心の底から嬉しかった。役に立つことが出来る。
守人として勇者の傍に存在を許された。報われたのだと。それは何にも替えがたい幸福だった。
尊き血なのだと思った。
――封印の義。
巨人フレイスネフィラを封じた儀式。
それを永遠に護るのが守人の使命。
古廟スラン・ロウの封印を解くことができたのは僕(アンジェロ)が守人の血族だったから。
記憶がゆっくりと定着し僕の中に取り込まれていく。
自分の記憶と古の守人の思い出が整理されていく。
それはまるで、古い記憶媒体を見るような感覚だった。
●
「リル! 大丈夫かい?」
「はい! 問題ありません!」
シャルティエは魔獣から転がり落ちたリルの手を引いて起こす。
背後から迫る剣尖をシャルティエは盾ではじき返した。
金属の摩擦音が戦場に響き、再び振り上げられた剣を封じようと盾を持ったままシャルティエは敵兵の懐へ潜り込む。
「はぁ……っ、僕の役割は、アンジェロと戦いながらリルを守る事なんだ」
アンジェロにとってリルがどういう存在なのかレヴォンは知っているだろう。
彼の名前を必死に呼ぶリルの声はレヴォンにも届いているはずだ。
「敵は明らかにリルを狙って来てる。僕から離れないでリル」
「はい!」
もし、アンジェロの目の前でリルが死んでしまったら取り返しの着かない事になる。
アンジェロを救う事さえ叶わなくなる。
「それだけは絶対にダメだから。リルを絶対に守るよ。だから、アンジェロ。安心して、降りておいで」
シャルティエの瞳は高度を落としたアンジェロに向けられた。
大きく息を吸い込んで言葉を紡ぐ。
「守りたいって、君はそう言ったでしょう!? ならそんな所に居ちゃダメだ!」
「アンジェロさん! 私はここに居ます! 戻って来てください!」
「そうだよ……帰ろうよ。リルと一緒に!!!!」
何度だって届けるから。声が枯れるまで叫び続けるから。
どうか――
「……リ、ル」
小さく呟かれた言葉をレッドは逃さなかった。
「そうですよ。貴方が守りたいと願う人が地上に居ます。だから、一緒に帰りましょう!」
「どうして! どうして! 何で、僕を置いて行くの!」
大粒の涙がアンジェロの瞳から零れ落ちる。
だが、確実にリルを認識し、アンジェロの感情が動き出しているとレッドは確信した。
「この物語が少しでも良い結末を迎えられるよう私も皆さんと頑張ります」
四音は自分の傷より仲間の回復を優先する。
心が躍っている。物語のページを捲る楽しさもあるのだろう。
けれど、きっとそれだけじゃない。四音自身、アンジェロに声を掛ける仲間に僅かな共感を覚えている。
「人の心を癒し守れるのは力ではなく、誰か思いやる優しさだと気づいてくれると良いのですが」
言葉が届くことを祈っているのだ。
乱戦の最中、一瞬の隙をついて四音へと飛来する矢。
毒を孕んだそれは四音が認識した時には避けようのない位置まで入り込んでいた。
――ああ、勿体ない。こんな所で終幕とは。
四音は逡巡し、これも運命かと受入れる。
されど。
「あ」
「……っ痛ぇ! 例え勇者じゃなくても、安っぽい血でもなぁ!」
ミヅハは四音の代わりに毒矢を受け倒れ込んだ。
息も絶え絶えに、空のアンジェロへ叫ぶ。パンドラを燃やし伝う言葉。
「はっ、ぁ。……誰かを守ることは出来るんだぜアンジェロ! お前だってやれる! だから、前を見ろ。誰かの声に負けてんじゃねえ――!!!!」
四音に倒れ込んだミヅハは浅い呼吸を繰り返す。
「皆さんの命を癒し守るのが私の使命。必ず守ってみせます。
勿論、リルさんやアンジェロ君も含めて。そして、貴方もですよミヅハさん」
ダークヴァイオレットの抱擁がミヅハを包み込んだ。
「アンジェロ殿、貴方はよく頑張りました。リル殿を守る為、一人でもよく戦ったと思います」
ルル家はアンジェロに近づいて追い縋る。
「でももう大丈夫です! 貴方は独りではありません! 勇者になんてならなくて良いのです!」
そして、ルル家は哀しそうに悔しそうに顔を歪めるアンジェロを見た。
タイムやアーリアにも見えただろう。
必死に怒りと悲しみと。折り合いを付けようと藻掻く。
――成長の証。
「皆が愛しているのは !帰ってきて欲しいのは! 勇者ではなく、アンジェロ殿なのですから!」
「でも……っ! 僕の中に変な声が響いてる。これは」
「それに応えてはいけませんよ」
リースリットはアンジェロの中に『原罪の呼び声』を感じ取っていた。
「前に何て言ったか覚えていますか。貴方の力を貸して欲しい――と、そう言いました。でも、その呼び声による能力は貴方自身の力じゃ無い」
それは、紛い物。
呼び込んではならないもの。強大過ぎる力は身を滅ぼす。
「貴方には力がある。由来等関係無い」
リルを傷つけるクローディスやレヴォン如き輩から護る為の本来の力。それはこの先も必要なもの。
「他の誰でもないアンジェロ・ラフィリアの力、貴方自身の想いを成す事のできる力です」
「僕の力……? でも、僕は、何にもなれなくて」
「いいえ。もう一度言います。由来等関係ない。他の誰でもないアンジェロ君の、『貴方の力』を貸して欲しいのです」
引き留めようとするルル家と、力強いリースリットの言葉にアンジェロの瞳が息吹く。
それでも耳を押さえ、首を振るのは強い呼び声に侵されているからなのだろう。
「ねぇ、タイムちゃん。ついてきてくれる?」
「勿論よ、アーリアさん。迎えに行こう」
手を握り二人は飛んで行く。
アーリアとタイムがアンジェロへ手を伸ばす。
頭の中の声を振り払うように、アンジェロは魔力を放出した。
それはアーリアとタイムにアガットの赤を散らしたが、二人の歩みは止まらない。
「ごめんね、もう駄々をこねても聞いてあげられない」
「ねえ、アンジェロ君。怖がらないで、今君を自由にするから」
願い祈り。溢れる光の奇跡。
「アーリアさんはきっと決めた。だからわたしも」
だって。アンジェロもアーリアもあんな顔して。放っておける訳ないのだ。
シャルティエが。リルが。見守り祈る。
想いが、奇跡が、届きますよう。
アーリアはアンジェロと初めてであった時に約束をしたのだ。
いつか『貴方が自由に飛べるようにするから』と言ったアーリアに。
精一杯の答えを込め、裾を引いてくれた。
指先はきっと震えていたのだろう。
スラムで育った彼が大人を信じる事は、きっと難しい。
だけど、それでもアーリアに縋った指先は其処に在ったから。
可能性の奇跡さえ願えども、微かな光は儚く散る。
けれどイレギュラーズは奇跡に寄らず、取り戻したものがある。
アーリアが救いたかったもの。
儀式で上書きされた誰かも、血筋も関係ない。
アンジェロ・ラフィリア――
原罪の呼び声をはね除け、強大な力を失った。
何者でも無い。
ただ一人の男の子。
●
リースリットは父、リシャールの元へ駆け寄り、無事を確かめたあと眩い光を敵陣へと解き放つ。
紅い瞳はレヴォンを見据え憤るようだ。
「この男は、此処で仕留めます」
ルカが抑えているレヴォンの背面から緋色の炎揺らぐ剣を突き入れるリースリット。
風神の加護纏いし剣を繰り、レヴォンの背を強襲する。
「か、はっ……」
背を押さえリースリットに視線を向けるレヴォン。なぎ払われる剣圧にリースリットの身体が浮く。
それを支えるのはレッドだ。
「大丈夫?」
「ええ。私の事は構わず行ってください」
リースリットをファーレル軍の兵士に託し、レッドは手を前に向ける。
レッドの身体から空へ舞い上がる黒霧は、その形状をマスケット銃に替えた。
「終わりだよ。貴方が何を望んでいたとしても、その想いはもう叶う事は無いんだ」
「は……そんなこと」
不死たる黒き狼を討ち滅ぼしたという銃身がレヴォンに向けられる。
弾丸は装填され、音速を超えた起動でレヴォンへと到達した。
「撤退などさせないし。後顧の憂いを断つためここで討つ」
弾かれる血飛沫にレヴォンの身体が蹌踉ける。
レヴォンの剣尖がルカの頭上に高く上がった。振り下ろされる剣は頭部に到達する頃合いに音速を超え肉を断ち切る凶刃となる。血飛沫が黄昏色の空に舞い散り、ルカの視界を被った。
「な……」
だが、小さく声を漏らしたのはレヴォンの方だ。
肩で息をするルカの目の前に現れたファーレル軍兵士――リチャード・ベネットがレヴォンの剣をその背で受けたのだ。リチャードはこの一太刀を受け止める為だけに、命を賭してルカを庇った。
虫の息である兵士はそれでもルカに次の手を望む。
「行けッ」
「ああ」
このまま放置すれば、リチャードは死んでしまうかもしれない。
けれど、彼は自分を手当する事を望んでいない。
先へ。進むべき道を掴めとルカに託した。
それを踏み躙る事なんて出来ないから。
「――舐めんじゃねえぞ下衆野郎!」
ルカの怒号が戦場に響き渡る。鋭い眼光がレヴォンを捉え離さない。
黒き獣、黄昏に染まる戦場を縫い。剣の刃先が交差し火花が散った。
倒せなくても自分から目を逸らせなくなれば良いなんて考えるのは辞めた。
冴え渡る思考は鋭利な顎だ。
如何に命を貪るか刈り取れるか。一か零か。
金貨の表と裏の如く無慈悲に。鮮烈に。
「ぶっ殺す――ッ!!!!」
レヴォンの胴をルカの剣が薙ぐ。下段から上段へ切り上げる太刀筋。
赤い鮮血が空中を舞い、地面へ落ち染みを作った。
同時にルカの脚に突き刺さるレヴォンの剣。
「はっ、この程度の傷、で……俺が死ぬかよ」
「上等だ……!」
荒々しくレヴォンの胸を穿つ黒獣の剣。
されど、まだ浅い。
僅か上体を反らせたレヴォンがルカに怨嗟の太刀を振るう。
「これで終わりだ、下賤な屑が! 死ね!」
「……だがなあ。俺には、仲間が居んだよなァ!」
レヴォンが振り下ろした剣がルカを逸れて空を切った。
敵の太刀筋を横からの拳で反らせたのは沙月だ。
「無茶をしますね」
「良いタイミングだったぜ」
レヴォンとルカの間に割って入った沙月はしなやかな流れで敵へ向け拳を払う。
敵の兵士を相手取るよりもルカの援護に回った方が戦略的に正しいと判断した矢先の事。
一瞬の戸惑いさえも許されぬ瀬戸際だった。
戦場を広く正確に見渡していた沙月だからこそルカの窮地(チャンス)に気づけたのだ。
「ここは私が――」
至近距離からの沙月の拳は夜に浮かぶ朧気な月の如く揺蕩う明かりを曇らせ、敵の急所を的確に打撃し、ねじ伏せる武の技。
沙月が生み出した隙のお陰で四音はルカの回復を優先出来た。
タイムもまたルカを庇ったリチャードに癒やしを施し、寸前の所で命を救い上げる。
「痛い。神経が焼き切れそうだ。ははっ……、終わりか? なあ」
引き抜かれたルカの剣はガランと地面に落ち、傷口から流れる血を抑えようともしないレヴォンの顔には笑みが浮かんでいた。レッドはレヴォンの思考を読み取る。万が一でも取り逃がさぬよう。
死を恐れない者など居ない。
けれど、レヴォンにとってこの先の未来は『地獄』でしかなかった。
現行王政に楯突いたのだ。ミーミルンド派の贖罪は免れない。
事件の中核で策謀したクローディスは戦場を生き残ったとしても、見せしめとして断罪されるだろう。
クローディスの居ない世界ならば、生きている意味なんて無いのだから。
アンジェロの事も只の暇つぶしで八つ当たりに過ぎない。
何もかも過ぎてしまった事。
「……」
レヴォンを見据える沙月の瞳は冷氷の如く静謐を讃え。
黄昏の地で終焉を穿った。
沙月が叩きつけた衝撃はレヴォンの心臓を破砕する。
血を吐きながら後ろに倒れていくレヴォン。
「っは、……ィスさま」
呼気は弱り瞳孔が色を失っていく。
――心残りがあるとすれば、最後に一度だけでいいから。
何の柵も無く笑う貴方が見てみたかった。
それがとても悔しい。
「クロー、ディス……」
愛しき人の名を呼びながら、レヴォンは心底悔しそうな顔で息絶えた。
――――
――
誰かが呼ぶ声がぼんやりとした意識の中で木霊した。
微睡むような優しい光が網膜を焼く。
数度瞬かせ薄らと目を開ければ、夜空に輝く星と灯火が浮かんだ。
誰かが自分を覗き込むのを不思議な気持ちで見つめる。
涙をぼろぼろと流し、手を握ってくれているこの女性は。
「ねぇ、アンジェロくん……私の名前、覚えてる?」
忘れるものか。
何度も自分を助けてくれた。必死に名前を呼んでくれた。
弱くてちっぽけで何者にもなれない自分を。
必死に掴まえてくれた人。
勇者にもなれなかった、リルを守る事も出来なかった自分。
スラムに居た時と何ら変わり無い。
けれど、今の勇者たちが笑いかけてくれる。大切にしてくれる。
それは、何物にも替えがたい宝物。
だからこそ勇者ではない、守人として。
太古の勇者と、今の勇者が紡ぎ上げた伝説を大切にしていきたい。
転写した守人の気持ちじゃない。自分の気持ち。
忘れたくないんだ。
過去を受け止めていける。
未来を紡いでいける。
だって。それを教えてくれたのは勇者達だから。
僕の勇者は貴女なんだ――
「……アーリアお姉ちゃん」
成否
大成功
MVP
なし
状態異常
あとがき
お疲れ様でした。如何だったでしょうか。
無事に、アンジェロを救う事が出来ました。
しっかりとした作戦と対策だったと思います。お見事でした。
GMコメント
もみじです。最終決戦。
今度こそアンジェロを救い出しましょう。
●目的
・アンジェロの撃破及び救出。
・レヴォン率いる敵軍の掃討。
●ロケーション
アラゴン・オレンジの夕陽に照らされたなだらかな丘。
幻想中部に位置するヴィーグリーズの丘です。
少し行った所にビルレストの街があります。そこにはフォルデルマン三世が居ます。
アンジェロ及び敵軍を一人も通してはなりません。
●敵
○『双翼の碧』アンジェロ・ラフィリア
リルを守る為、片割れを探す為、力を欲し、勇者になることに固執しています。
両親から聞かされた『尊き血族』だということ、自身が実際に古廟スラン・ロウの封印を解いたことによりアイオンの血を引く『勇者の末裔』だと信じています。
『レアンカルナシオン』の儀式のあと自信を勇者アイオンの末裔だと確信しましたが、実は儀式が失敗に終わっていたのです。
彼が記憶を転写されたのは勇者アイオンではありませんでした。
超遠距離からの光輝を撃ってきます。
基本的に空に浮かんでいます。
狂気に侵されているため非常に強力です。
何らかの呼び声を受けています。
かなり危うい状態です。いつ魔種となってもおかしくありません。
○レヴォン・フィンケルスタイン
ミーミルンド男爵派クローディス・ド・バランツの部下です。
クローディスに付き従い、彼の行動を観察しています。
愛憎籠もった感情をクローディスに抱いています。
憎らしい程に踏み躙りたい自分だけを見つめて欲しいなんて言葉はおくびにも出さず、いつも近くでクローディスを観察しているのです。
クローディスの望む世界を作るためアンジェロと共にヴィーグリーズの丘へやってきました。
強敵です。
剣や魔法を使えるようです。
○フィンケルスタイン兵×20
パイクや剣、弓で武装しています。
陣形を組み効率的に攻めて来ます。
そこそこの強さです。
●味方
○リシャール・エウリオン・ファーレル
ファーレル伯爵家の当主。普段は国境付近の守備を任されているものの、フォルデルマン三世の挙兵によりはせ参じました。父王の近衛騎士を勤め上げたとても頼れる味方です。
○ファーレル兵×20
パイクや剣、弓で武装しています。
リシャールの指揮の下、的確に敵軍を抑えこみます。
そこそこの強さです。
○リル・ランパート
カルセイン家に最近雇われたメイドでしたが、実はクローディス・ド・バランツの命令で潜入と襲撃の任務を行うスパイでした。
イレギュラーズの活躍によりカルセイン領は無事に守る事ができましたが、リルは任務を失敗しクローディスに暴行されています。
とても心優しく、裏切ってしまう事になったシャルティエに自責の念を抱えています。
現在はシャルティエの元に居ます。戦場に居る事にしても構いません。
●士気ボーナス
今回のシナリオでは、味方の士気を上げるプレイングをかけると判定にボーナスがかかります。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
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