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シナリオ詳細

Lex Talionis.

完了

参加者 : 7 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 だからお前にも、同じ痛みを味合わさせてやる。


 眼前に居るのは、一人の天使だった。
 ふくよかな四肢を懸命に動かしながら、その肉塊は“お座り”をしていた。
 一切の邪を知らない瞳には、女の姿が映っている。
「……」
 言葉に成らぬ声をあげながらそれでも何かを伝えようとする彼を無言で見つめるのは、沁入 礼拝 (p3p005251)。
 此処は、ヴォルピア――通称マダム・フォクシーの営む娼館の一つだ。
 その一室を今は無垢なる天使に捧げ、その守護を司っているのが礼拝であった。
 陽気に呻いていた眼前の赤子は、しかし、急にその顔を歪める。
 すると、間もなく大きな声で泣き始めた。
 その様子を見ていた礼拝はすぐに赤子を横に寝かせると、赤子の下腹部を覆っていた衣類を取り外し、柔らかい臀部を清潔な布で拭き上げると、手際よく新しいそれに履き替えさせた。
 六か月間の育児の中で、礼拝が学んだことがいくつかある。
 赤子の泣き声には、色んな意味がある、というのはその中の一つだ。
 それは要求であり、訴えであり、意思表示であったりする。
 最初は触れるだけでも恐ろしかったその肌の感触は、何時しか感じ方が変わっていた。
 今ではミルクを飲ませることも、寝かしつけることも、そして頻繁におしめを変えてあげることも礼拝にとってはただの日常となっていた。
 そして、目の前の赤子にとって、人生で最も加速的に成長するこの半年間を共に駆け抜けた。
 ――この天使の“父”は。
 彼自身の父とその取り巻きを皆殺しにしたあと、未だに行方が分かっていない。
 礼拝はキドー (p3p000244)とグドルフ・ボイデル (p3p000694)を頼って数多のルートを探ったが、彼の足取りは分からなかった。
 この二人の有するコネクションは凡そ裏舞台に精通したものであって、そこにおいて掴め得ぬその行方に、最早、“彼”の存在さえもが幻の様に感じられた。
 だが、“彼”は居たのだ。“グランヴィル”は、確かに其処に居た。
 シラス (p3p004421)は散々に彼を嬲った拳の感触を覚えている。
 霧裂 魁真 (p3p008124)は刃を沿わせ切り開いた妊婦の柔い腹の感触を覚えているし、
 夜式・十七号 (p3p008363)は胎内から現出したその天使を、抱きかかえ取り上げた感触を忘れようもない。
 ヴォルピアは礼拝に赤子を預ける際、「預け先が消えた」と言っていた。
 恐らく嘘や方便の類ではないであろう。
 その上、赤子を自身の娼館に囲い込み、“稼ぎ頭”の礼拝に客を取らせず赤子の相手に専念させるという念の押し様は、聊か異常だった。
「……」
 天使は用を足して満足したのか、急に瞼を閉じ始める。
 これから短い眠りにつくのだ。
 礼拝は覚悟を決める。
 最近になってこの天使の寝つきは、むしろ、悪化した。
 三十分に一度は目を覚ますこの子を、これから一晩、見てやらねばならない。
 赤子を布団にまで慎重に運び、その横に一緒になって寝た礼拝だが、ふと扉の方へ視線をやる。
 次いで、三回響くノックの音。「どうぞ」と礼拝が小さな声で呟くと、同僚の娼婦が一人顔を覗かせた。
「礼拝さん、今日はわたし、もうお仕事はあがったから、少しだけ代わるわよ」
「貴女も疲れているでしょう、悪いわ」
 気遣う様に言った礼拝に、同僚の娼婦は活発そうな笑みを浮かべて「いいって、いいって」と手を振った。
「正直言うとね、わたし、赤ちゃんのお世話するのって、夢だったのよ。
 ――ま、もう自分では産めない体になっちゃったしね。
 だからむしろ、役得……っての?」
 そういってニシシと笑ったこの同僚の事を、礼拝は嫌いではなかった。
 実を言えば、今夜みたいに赤子の世話を買って出てくれたことは初めてではない。
 礼拝にはただの世話だけではなく、万が一の場合を懸念した守護を任されていることから、長時間その場を離れることは無かったのだが、礼拝が赤子に触れさせることを許したイレギュラーズ以外で唯一の人間が、彼女だった。
「それにしても礼拝さん、酷い顔よ。前にこの部屋を出たの、いつだっけ?」
「もう一か月程前ね」
「いくら部屋で体を拭けると云っても、限度があるわよ。ささっと洗ってさっさと帰ってきなさいな」
 同僚が部屋に入り礼拝の頬を優しくつまむ。礼拝は「……ひょうね」ときちんと発声できない肯定を述べると、おぼつかない足取りで扉を目指した。そのまま背後で同僚の鼻歌を聞きながら廊下に出て、扉を閉める。

 礼拝はすぐに後ろを振り返った。

 次の瞬間、扉が爆発し、突如、視界が消失した。


 咄嗟に伏せた礼拝は袖で口元を抑えながらすぐさま部屋の中を見遣った。
 視界の先には人の腕と足がそれぞれ一本ずつ独立して転がっている。
 形と色からして、恐らく同僚のものであろう。
 礼拝は、それが赤子のサイズでないことにまず安堵した。
 そしてすぐさま駆け、赤子の寝ている方へと奔る。
 部屋の中は煙と火が充満しており、漸く見つけた布団には――。


 ヴォルピアの娼館が焼けた。
 その知らせは瞬く間に《幻想》内に激震として走り、貴族たちを驚かせた。
 《協定》(マダム・フォクシーに纏わる貴族不文律)を破棄したのは、誰か?
 貴族たちの関心はそこにあった。焼けたのは只の娼館ではない。“マダム・フォクシー”の娼館なのだ。この行為は、ヴォルピアを敵に回すのではない。ヴォルピアの広範なコネクションに繋がる数多の有力貴族たちを敵に回すのだ。
 全焼は免れたものの、いくらかの娼婦の命と、館を失ったヴォルピアは、灰に成り下がった“その一角”をじいと眺めていた。
「旅はとても楽しいものだ。時に襲い来たる困難全てをも含めてね。
 しからばこれも、その一興かい」
 じろりとヴォルピアが瞳だけ動かす。彼女の横に立つ伏見 行人 (p3p000858)は何時もの泰然とした顔で、ヴォルピアが眺めていた一角を見遣った。続けて「よく燃えたなあ……」とぽつり呟く。
「居場所は掴めたんだろうね」
「俺はあんたの男娼じゃあないが――まあいい。
 数少ない、気の置けない同僚が関わっているもんでね。一肌くらい脱いだところで、罰も当たらないだろう」
 ヴォルピアは煙管を加え、紫煙を燻らせる。
「この世界で生きていくために、幾らでも汚いことをしてきたさ。人様に言えないことを、数え切れぬほどにね。だから娼館一つ焼かれたってなんにも言えないのさ。百棟焼かれたって文句もいえないね。
 ――けれど、一つだけ違えなかったことがある」
 眼鏡の奥のヴォルピアの瞳が、何時になく険しい色を見せていた。
「それは、一度交わした約束は決して破らないという事。
 これが存外、重要なのさ。ここで生きていくにはね」
 ヴォルピアは煙管の火を消し、踵を返す。その背中に、行人が頬を掻きながら問いかける。
「おそらく、碌な結論にはならないと思うが――それでもOK?」
 背中越しの行人の声に、ヴォルピアは右手を上げて振った。
「もちろん。どこぞの坊ちゃんに精々教えてさしあげようじゃないか。
 本物の戦争とやらがどんなものなのかをね」


 長髪の男が、目の前に横たわる赤子と女をじいと眺めていた。
 男の瞳からは止めどなく赫い涙が流れ出ていた。ぽたり、ぽたりと滴ったその血滴がやがて地面に溜まり、赤子と女の二人を赤く染めていた。
 小さく呻いた女が、目を開ける。おぼろげな瞳はすぐに焦点を取り戻すと、赤子、そして自分たちを見降ろす男へと視線を移した。
「本当はあんたを吹き飛ばしてやろうと思っていたんだが、アテが外れたようだ。
 運の悪い女もいるもんだ。ま、娼婦なんてのは皆、運の悪い女なのかもな。
 今となっては、どっちでもいいが」
 勝手に話し始めた男の声は、女にはどこか聞き覚えのあるものだった。
「しかしあんたも、あんたの親分も執念深いこった。
 あんな娼館の一室吹き飛ばすのにこんなに時間がかかるとはね。
 正直、思ってもみなかったよ。あれはまるで、要塞だ。
 親父の家でさえさっさと落ちたのにさ。流石、マダム・フォクシーの名は伊達じゃないな。
 けれど、そんなことはどうだっていい」
 女は上半身を起き上がらせると、その男の全身を捉える。その風貌は、記憶のものとは少し違うところもあったが、よく覚えている顔だった。
「娼館が焼け、娼婦が死んだところで、誰も何も文句は言うまい。
 むしろ良い“掃除”になっただろう。
 俺の目的はその“餓鬼”さ。まあ、あんたが五体満足で残ってくれたのは、それはそれで都合がいいが」
 男が其処まで言うと、両者の認識が漸く整合した。
「――グランヴィルさまですか。見違えましたね」
「そっちは相変わらずってとこか。ソーニャの同僚さん」
 女は――礼拝は、嘗ての穏やかな口調と顔をしたグランヴィルとは到底似つかない、眼前の男を見詰めた。
「目的は、この子ですか」
「その通り。ま、目的の“一部”ってのが正解だが」
「随分と含みを持たせるのですね」
「いや、要するにだ。俺が望むのは、天秤の傾きを水平に戻したいだけなんだ」
「天秤は可逆的ですが、時は可逆的ではありません」
「それで結構。だが俺の気が済まなくてね」
 グランヴィルは、血の色に変色した短刀を取り出すと、それを礼拝の形の良い腹にあてた。
「だから――あの日をやり直そう。
 今度はあんたの腹に、命を詰め込もう」

 そう言って、グランヴィルは我が子を見詰めた。

GMコメント

この度は、シナリオをリクエストいただき、誠にありがとうございます。

■ 成功条件
・ 『赤子』を無事に奪還し、ギルド・ローレットに連れて帰る。

■ 情報確度
・ C です。
・ OP、GMコメントに記載されている内容は全て事実でありますが、情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。

■ 実質難易度
・ Hard相当 の難易度になります。

■ 現場状況
・ 《幻想》内のとある教会。
 独特な構造の教会であり、巨大な三角錐の内部であると認識してください。
 広大な空間があり、高さは三十メートルほど。
 内部は無機質な石で構築されており、装飾などはほとんどありません。
 入口から向かって中央には祭壇へ向かう朱い絨毯の道があり、その左右には十人掛けの木造長椅子が二十列。
 最奥部には地面から三角錐の頂点にまで伸びる一本の無色のガラス。 そのガラスの真ん中に、折れた十字架が取り付けられています。
 祭壇にはグランヴィル、礼拝さん、赤子の三名が居ます。
・ シナリオは、礼拝さん以外の六名のイレギュラーズが、教会に到着する時点から始まります。
・ 礼拝さんがグランヴィルの強襲を受け攫われたところを、娼館の付近に身を隠していた行人さんは確認をしています。
 ヴォルピアからの依頼を受けて、行人さんは皆さんに声を掛けました。
 礼拝さんはグランヴィルに捕らわれていますが、こっそりと行人さんと連絡する手段を見つけています(シナリオ外ですので、その方法はロールプレイの範囲でお任せします)。したがって、全員で相談を行うことに時系列上の齟齬は発生いたしません。
・ 赤子はグランヴィルの実の子供です。
 今、赤子はグランヴィルの傍にある子供用の棺桶に入れられています。放っておくと酸欠で死亡します。
・ 赤子が入れられている子供用の棺桶は、施錠されており、その鍵は礼拝さんの腹部(体内)に入れられています。
 取り出すには一度、礼拝さんの腹を切開する必要があります。
 開錠せずに救出する方法もあるかもしれませんが、手荒な取り扱いをすると赤子の健康状態に重篤な影響を与えます。

■ 敵状況
● 『グランヴィル』
【状態】
・ グランヴィル伯爵の息子。整った顔立ちの青年で、貴族でありながら腐敗した現在の貴族体制に疑問を抱いており、《幻想》の中では珍しい、善良な貴族でした。
 かつて娼婦ソーニャに恋をし、妻としたいと考えていましたが、イレギュラーズによってソーニャを殺害され、子を奪われました。
 その際のショックにより、魔種(憤怒)へと反転してしまいました。
・ かつてのグランヴィルの性格は消え去り、粗暴で残忍な性格の青年に変わってしまっているように見受けられますが……。
 理性的な会話はできるようです。
・ 魔種化により、以前の彼とは比較にならないほどの戦闘力を有しています。間違いなく強敵であり、無策で突っ込めば潰走は免れません。くれぐれも油断なきよう。

【能力】
・ 高EXA、高CTです。常に複数回行動を取ります。
・ 極めて高い攻撃力と機動力、高いHPが特徴です。

【攻撃】
1.恨撃(A物至単、炎獄、失血、ブレイク、連、大威力)
2.終撃(A物近域、炎獄、失血、態勢不利、連、大威力)
3.回想(A神中域、泥沼、停滞、不運、魔凶)
4.連鎖(A神遠域、停滞、魔凶、HA回復)
5.EX Lex Talionis(A???、???、???、封印、超威力)
6.EX ソーニャの祈り(P)
 血の結晶で構成された身代わりを生成し、グランヴィルへのマーク/ブロックを解除する。
 ただし、連続使用には2Tのインターバルが必要。

■ 味方状況
● 『赤子』
・ グランヴィルとソーニャの間に出来た子供。生後六か月。男の子。
・ 魁真さん、十七号さん、行人さんにソーニャの腹から取り上げられました。

● 『ヴォルピア』
・ 娼館を営む女。通称マダム・フォクシー。元高級娼婦。社交界の重鎮に寵愛された華々しい経歴を持ちます。
・ 時に生粋の貴族すらも圧倒する教養と鋭いセンスの持ち主で、現役時代は元をたどれば没落貴族ではないかと噂されていましたが、詳細は不明です。
・ 悪名こそ多いが、彼女を慕う者にとっては永遠に憧れの人だそうです。
・ 『マダム・フォクシーに纏わる貴族不文律』という協定が貴族の中で結ばれており、有力貴族たちでも無暗に手を出すことができません。

■ 備考
・ 『グランヴィル』、『ヴォルピア』様は、沁入 礼拝 (p3p005251)様の関係者です。
・ 『正しさは罪の匂い。』(ID:3457)の続きのシナリオになります。
・ 礼拝さんはシナリオ開始時点では両手両足を拘束されており、自力で解除することが困難です。特殊な技能は必要ありませんが、礼拝さんを戦力にするためには、少なくとも一人のイレギュラーズがその解除作業をする必要があります。また敵が魔手であることを鑑みると礼拝さんの加勢は必須です。

●Danger!
 当シナリオでは魔種の『原罪の呼び声』により純種が影響を受ける可能性が有ります。
 予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。

皆様のプレイング心よりお待ちしております。

  • Lex Talionis.完了
  • GM名いかるが
  • 種別リクエスト
  • 難易度-
  • 冒険終了日時2021年01月17日 22時01分
  • 参加人数7/7人
  • 相談8日
  • 参加費---RC

参加者 : 7 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(7人)

キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)
社長!
グドルフ・ボイデル(p3p000694)
伏見 行人(p3p000858)
北辰の道標
シラス(p3p004421)
超える者
沁入 礼拝(p3p005251)
足女
霧裂 魁真(p3p008124)
陽炎なる暗殺者
夜式・十七号(p3p008363)
蒼き燕

リプレイ


 刃を滑らせたその柔らかい肌の感触を、魁真は思い返していた。
 朱色の一文字が曳かれて、「よくできた肉体だな」と嘆息する。
 溢れ出す原始の色に、灰色の床が塗り替えられる。
「――あ」
 僅かばかり漏れた吐息。それは礼拝の口から。
 臓器の海から取り上げられる生命の鍵。
 魁真の血まみれの右手で摘まみあげられたその鍵のはるか向こう。十七号の視線の先では、一人の男が居る。
 一人の男が、五名の特異運命座標と、対峙している。
 赤子の隣で、闘っている。


「オウオウ、散々手をかけさせてくれたじゃあねえかよ。一体どこに隠れてやがったんだ? ええ?
 ――なあ、頼むよ。後学の為に教えてくれよ。
 性根まで腐っちまったクソバカのボンボンさんよう!」
 嘲りを含む声でキドーがそう叫ぶと、ククリを大きく振るう。その切先から放たれる軌跡はそのまま衝撃波となり、声色とは真逆の熾烈な殺意を抱いて少し離れたところに立っている男へと目掛けて飛び、標的へと着弾する。
「――」
 標的を挟撃していた行人はその様子を眺めていた。眼前の男は、にやりと笑った。
「随分な言いようじゃないかゴブリン――いや、キドー。ああ、あんたの手癖の悪さは“よく知っているよ”。
 俺を腐ったなんて言えるご身分じゃあねえだろう」
 男は――グランヴィルはそう言うと、笑い声をあげた。
「あんだ? 魔手サマはなんでもお見通しッてかよ、おい!」
 キドーが不満げな声を上げる。その後ろでは、シラスの鋭い視線がグランヴィルに注がれていた。
(――うんざりだぜ。
 どいつもこいつもテメーらの都合でガキをこさえてよォ……!)
 その眼光に孕まれるのは唯々苛烈な殺意。
 どうせこうなることは分かっていた。
 身分不相応な恋の結末を、シラスは誰よりも知っている。
「……」
 その視線に気が付いたグランヴィルは、ちらとシラスを見遣る。そして、口元に微笑みを湛えた。
 お前らの事は、知っている。
 お前らの事は、調べ尽くしている。
「ああ、お前がシラスか。
 だからお前は――俺が殺したくて堪らないのだな」
「……」
 グランヴィルの言葉に、シラスの蟀谷に青い筋が浮かび上がる。その一触即発の間隙を縫って、グドルフが山賊刀を振り下ろした。グランヴィルはそれを短刀で受け止める。
「けっ……全く、逆恨みもいいところだな。
 久々だなあ、甘ちゃん野郎。そんなに悔しかったのかい? 魔種になんぞなりやがって──色男が台無しだぜ?」
 至近距離でグドルフがグランヴィルを謗る。グランヴィルはふ、と笑った。
「ああ、悔しかったよ。悔しすぎて、頭がおかしくなりそうだった。
 いや、おかしくなってしまった。でもそれでいい。
 今はもう、何も考える必要は無い。この怒りが俺に力を与えてくれる。
 ――なあ、グドルフ」
 ぽたりと血涙が落ちた。
「お前も大切な人を失ったことがあるだろう? なのに、お前はなぜ、平然としていられる?」
「――――あ?」
「お前はそれでいいのか?」
 がん、と二人が弾ける。グランヴィルはくるりと体躯を回転させると、代わりに行人の太刀筋を受けた。
「随分と物知りなようだなあ。探偵業でも始めるのかい?」
「それでも、お前の事はよくわからなかったけどな」
「なに、後ろ暗いことも複雑な過去もない。俺は只、一介の旅人に過ぎないからね」
「――だが、俺の子を取り上げた」
 行人がグランヴィルの瞳を見遣る。燃える深紅の虹彩を見遣る。
 軽薄な笑みの向こう側。
 燃えるような憤怒が顔を出し――行人はグランヴィルが本気なのだと理解した。
「退いてくれ、行人。俺は“あいつら”に用があるんだ」
 そう言ったグランヴィルが大きく右腕を振るうと、その軌跡に追随して吹き上がる業焔。行人は咄嗟に避けると、グランヴィルが突然に跳躍する。
 その先には――礼拝の腹を割いている魁真と、十七号が居た。


 十七号が迫るグランヴィルの体躯を見据え、海燕を構える。
「くるぞ。私が抑える」
「頼むよ、俺、死にたくないからさあ!」
「無論だ。誰も死なせはしない」
 魁真が礼拝の腹を閉じながら非難がましい声をあげると、十七号は静かに頷いた。
 ――しかし、速い。十七号が瞬きをした次の瞬間には、目前にまでグランヴィルは接近していた。
「ああ、あんたも俺の子を取り上げた奴だな」
「――確かに、お前から赤子を取り上げたのは私達だ」
 ちらとグランヴィルは視線をずらす。背後の礼拝と魁真の存在を感じながら、十七号は顔を歪めた。グランヴィルは十七号の構える得物の刀身をそのまま握りこみ、抑えている。――凄まじい膂力であった。
「だからその報いを私達に受けさせたい、ということか?
 ならばその思惑、私からすれば下らないと吐き捨てるしかなかろうよ。
 だから、これだけは言っておいてやる」
 ――はじまりはおまえだ。十七号のその言葉を受けて、グランヴィルは腕に力を籠めた。
「……っ!」
 十七号の得物が押し返され、顔が歪む。グランヴィルは加虐的な笑みでそれを眺めていた。
「なあ、あんたは一体何に怒っているんだ。十七号」
「……なに?」
「酷く怒っているように見える。自分が取り上げた赤子が殺されるのがそんなに嫌か?」
「……お前は、自身の子を殺すことを厭わないのか」
 十七号の返答に、グランヴィルはくつくつと堪らず笑った。
「何を言っている。お前は知っている筈だぞ」
「……」
「その両眼が、知っている筈だ。俺の感情を」
 がん、と激しい衝撃が十七号を襲う。視界が流転する。浮遊感。十七号は、己が吹き飛ばされたのだと自覚する。
「話が違うじゃんか! っつっても、結果オーライかな。
 ――なんとか間に合ったね」
 失われた十七号の守りに魁真が眉を顰めたが、
「……ありがとうございました。霧裂様」
「いい感じでオペできたでしょ。なんか最近、こんなのばっかりだね」
 礼拝はお腹と手首を擦ると「はい、少し違和感が残りますが」と頷いた。
「どうだい、腹を割かれた気分は」
 グランヴィルは立ち上がった礼拝を見遣り、軽薄に問うた。
「あまり、良いものではありませんね」
「そうか。――ソーニャの気持ちも分かったか?」
「……」
 じろり、と礼拝はグランヴィルを見詰める。
「そんなに怖い顔をするなよ、お前らがやったことじゃないか」
 そういったグランヴィルは、唐突に後ろを振り返る。飛散する火花。其処には接敵するグドルフと行人の姿があった。


「おう、物知り顔のいけ好かねぇ甘ちゃん野郎。テメェにはこっちが話があんだよ。
 そのツラ貸せや!」
 豪気にグランヴィルへ切り込むグドルフだったが、その視線が一瞬だけ魁真を見遣る。それだけで魁真は、グドルフの意図を察した。
「……フォロー頼むよ。棺桶を奪取するからさ」
「……承知した」
 小声で魁真と十七号が頷き合う。二人は仲間達がグランヴィルを抑えたことを確認し、目標の棺桶を確保するべく動く。行人も、その動きを視界の隅で確認した。今回の依頼では、敵を倒したとしても、赤子の命が失われてしまえば失敗だ。だからここで敵を抑えることが、最初の課題だった。
(――いつしか他人の弱さが許せなくなる。
 自分の強さが、嘗ては誰かに弱さを認めて貰ったことに根付くことを忘れてしまう。
 これは、ソーニャの今際の際の言葉だが……)
 行人がグランヴィルの腕に掴みかかる。
「それは機が巡れば、自分にも向くんだろう。
 しかし、これは。きっとお前にも向けての言葉だったろうに」
 グランヴィルは振り向きざまに短刀を一閃、それは行人の胸を凄絶に斬り捨てた。
「何のことだ?」
「いや、只の独り言だ。俺は確かに依頼を受けてああやった。だから他の仲間と違い、君の思想にとやかく言う心算はないよ。この復讐については当然の帰結だろう。
 だからこそ、俺はこうやってみた君と相対した。俺にはその義務があるからね」
「理解者が居てくれて助かるよ。ならいっそのこと……」
「――だが、君は、また間違えた」
「……」
 グランヴィルが口を噤む。行人の掴み泥の無い双眸に、グランヴィルは確かに怒りの感情を感じた。
「本来であれば君は、彼女が遺した子を、横紙破りせずに貴族的に権力で取り返さなければならなかった。それが筋の通し方だったと俺は思うよ。“君が生きること”を願ったソーニャに対しての、義理の立て方だ。
 しかし君が殺されるしかないこの現状は――君は、ソーニャの願いを、踏み躙ったんだ」
「――黙れ」
「傷つくことが怖いか? 失うことが怖いか? 信じることが怖いか?
 ――よければ君の話し相手になってやろうか」
「――黙れ!」
 グランヴィルの相貌が歪む。これまでずっと軽薄な笑みを浮かべていたその表情が、一転、憤怒に満ちた。
「お前がソーニャの代弁をするなどと、絶対に許されてはならない行為だ」
 次の瞬間、グランヴィルの周囲に業焔が巻き上がり、続けざまに行人の体躯を左腕で穿つ。その兇暴たる一撃で行人の口から、大量の血液が吐瀉される。
「おいおい、シャレになんねぇぜこいつは!
 後ろから援護するぜ、死んででもフリーにすんじゃねぇぞ!」
「うるせぇ! んなの言われなくたってわかってンだよ!」
 キドーの声にグドルフが張り上げて返す。
(わかってンだが、こいつ、確かにヤベェ……!)
 グドルフの額に汗が流れる。行人が剥がれた。今、グランヴィルの全てを受けるのは彼一人――。
 グランヴィルの腕が再度、上がる。周囲に焔柱が噴き上がる。グドルフが腕に力を籠めた。
「ふざけやがって……天秤だと?」
 刹那。グランヴィルが咄嗟にその攻撃を受けて、腕が弾かれる。
 真紅の軌跡。深紅の光芒。――劇しい一撃は、グランヴィルの攻撃を止めさせるほどの研ぎ澄まされた一撃。
「こっちは野郎のクソみてえな命取ったって到底足りねえんだよ。
 ――テメーは、地獄の底で詫び続けろ」
 シラスの整った顔に現れる憤怒。
 その理由をこの場で最も理解しているのは――皮肉にも、グランヴィルであると思われた。
「勘違いしているぞ、シラス」
「――あ?」
「地獄なら、既に行ってきた」
 言って、抜刀したグランヴィルの刃が見えぬ間に、グドルフの体躯を腰から左肩まで、深く逆袈裟に切り伏せる。噴出する血飛沫。グドルフの目が見開かれる。グランヴィルは、そのまま疾る。
 シラスとグランヴィルの間に在った距離が殺される。シラスの眼前に、グランヴィルが居た。
「……っ!」
 シラスが咄嗟に右腕を振るうのより早く、グランヴィルの右手がシラスの白い喉を締めあげた。
「かはっ……!」
「シラス」
 尋常ならざる力で締め上げられた咽喉に、シラスは悶える。息は出来ない。ごぽごぽと漏れ出した空気と血が混ざりあって、シラスの口から声の代わりに流れ出した。
「お前は、地獄を見てきたか?」
 どさり、とシラスの身体が地面に落ちる。シラスの視線の先では、グランヴィルに掴みかかるキドーの姿、そして、
「――せめて、ソーニャとの約束だけは守らねばならないのです」
 その身から放つ魔弾でグランヴィルを射抜いたのは、礼拝だった。


 魁真の眼前には、黒い箱がある。棺桶だ。
 上側の端面だけが水平に切り揃えられている。
 ――子供用の棺桶と云うものはなく。
 大人の棺桶を切断して作るからだ。
「早く済ませないとまずそうだね」
 魁真は礼拝の血で汚れた鍵で、その棺桶を開ける。
 中には、一人の天使が居る。
 ……眠っているのか、意識を失っているのか。両目を閉じてはいるが、息はあった。
「魁真! 早くそのガキ連れて行け!」
「……っ!」
 キドーの声に魁真は顔を上げる。
 少し距離を空けたその場所で。
 グランヴィルは、魁真を視ていた。
「魁真」
 グランヴィルがその名を呼ぶ。
「そうだった、お前が」
 グランヴィルが一歩進む。
「ソーニャを殺したんだったな」
 グランヴィルの周囲の温度が急速に下がる。
 そして、
「――逃げて!」
 グランヴィルが疾りだすまさにその瞬間、誰かが叫んだ。
 魁真は振り返らず駆けだした。
(――正直あんたに殺されても仕方ない事をした自覚はあるよ)
 腕の中に、赤子の体温。
 ――暗殺者の腕に抱かれる気持ちは、一体どうだろう?
(俺は確かにあの女の首を斬って殺したからね。
 でもさぁ……自分の欲の為に赤子の寝てる部屋爆破して?
 攫って空気穴すらない棺桶に詰め込んで?)
 魁真は一心不乱に走る。
(しかもあんたが愛した人の、あんたの実の子だろ。
 ――ああ、もう頭が痛い。例え原因は俺だとしても気に入らない)
 走る理由は決まっている。
「俺、死にたくないからさぁ……だから、お前が死ね!!」


 去り行く魁真の姿を、グランヴィルは認めた。
 まだ特異運命座標たちが事前に決めていた撤退基準に、戦況が達していない。 しかし、これまでのグランヴィルの動きを考えれば、この戦線がそう長くはもたないだろうという事を、十七号は理解していた。
「この先には、行かせないぞ」
 十七号は深く踏み込む。そして、抜刀――放たれた軌跡が斬撃となる、鋭くグランヴィルを襲う。
「やるじゃないか」
 グランヴィルはそう言って短刀を大きく振るうと、巨大な血の塊が放たれる。猛烈な勢いで放たれたそれは十七号に直撃すると、燃えるように爆ぜた。
(最善は赤子共々私達が逃げ切ること。
 次善は私を切り捨てて他の者が赤子を連れて逃げ切ること。
 だが、本当に私が選ぶのは最善でありたい)
 ――だからこうして命を賭けるんだ。
 十七号が耐えるように柄を握る手に力を籠めると、グドルフも隣で気を吐く。
「言った筈だぜ。恨むなら俺らじゃねえ、てめえの軽率な行動だってなあ。
 貴族である事も、人間である事も捨てて、後悔し続けた先でやる事が、俺らへの八つ当たりとはよ。
 ガキがキッチリ育ったら教えてやらねえとな。
 ――おめえの親父は、どうしようもねェ馬鹿野郎だったとよッ!」
 グドルフはグランヴィルへと掴みかかり、血に塗れた相貌をにやりと笑って見せた。
「グドルフ。お前に俺を謗る資格は無い。
 俺はこうやって戦っている。全てやり直すためにな。お前はどうなんだ」
 グランヴィルは咆哮をあげる。まずい、と行人は直感で認識した。

「貴様ら、其処を――退け!

 グランヴィルが両目を見開き、両腕を振るう。

 現出した無数の鎖。

「……っ!」

 それらが重なり合って特異運命座標を飲み込んでいく。

 やがて――視界は消え去り、音も、

 ――あの子は本当に犠牲になっただけなのです。
 生まれの、世間の、男の……私達の。
 ……今更です。
 今更だからこそ、

「――約束は守らねばなりません」

 全員がその絶望に打ち拉がれようとしたとき、礼拝が叫んだ。
「貴方が妻にと望まなければソーニャは死なずに済んだのに!
 正しくなくてもソーニャの為の選択をしてくれれば誰も犠牲にならずに済んだのに!
 貴方がいつも――独りよがりな正しさしか見ないから!」
 永遠の様に続いた鎖の嵐がやむと、礼拝はふらつく足でグランヴィルへと向かう。
「――ふ。お前も怒りと云う感情を有するのだな」
「私なら、辛くないとでも思ったんですか。
 私は只の消耗品の娼婦だけれど」
 そのまま礼拝は右腕を高く振り上げると鋭く突き出す。
「――“ふざけるな”と、貴方の顔面に拳を叩きつける事くらいは許されているのです」
 その拳はグランヴィルの顔面へと向かうが、寸での所で彼の手で止められる。が、
「テメーはぜってぇに殺す……っ!」
 その隙を狙い、襤褸の様に被弾したシラスが接敵する。
 命を捨ててでもテメェは殺す。そう誓ったシラスの拳は弾丸の様にグランヴィルの眼窩を狙い。
 ――ぐしゃり。
 肉の捥がれる音がして、シラスの腹が半分グランヴィルに持っていかれ。
 そして、グランヴィルの右目はシラスの拳に貫かれていた。
「――痛いな」
「時間は十分に稼いだ! おい、ずらかるぞ!」
 グランヴィルがぽつりと呟いた言葉に間髪入れず、キドーが叫ぶ。
 ずるり、とシラスは倒れこんだ。
「……二人を頼む」
「任せろ」
 十七号が痛みに顔を顰めながら、グドルフと行人に言った。それぞれが一人ずつ担いで、すぐさま離脱の態勢を取る。
「……いいか、甘ちゃん野郎。もう魔種になった以上、好き勝手出来ると思うなよ」
 グドルフはそう捨て置くと、己がギフトでその場を離れる。
「戦わぬ者に女神が微笑む事など決して無いのだから。
 ――君と次に会う時は、話し相手にはなってやれないな」
 行人もそう告げると礼拝を肩に抱えてその場を去った。
「……シラス。
 俺とあんたは、もっと早く、違う形で、出会っておくべきだったな」
 一人ずつ特異運命座標が離脱していく。
 殿を務めるのは十七号。
「あんたも失せな。俺はガキにしか興味はない」
 グランヴィルは途端に興味を失ったように吐き棄てた。
 十七号は刃を収めない。
「――お前は」
「ん?」
「お前は、どんな気持ちで、我が子を棺桶に入れた?」
 グランヴィルはそれに答えず、すたすたと歩き出す。
「お前は――」
 その背中に続ける十七号の言葉を、グランヴィルが遮る。

「怒れ、怒れ」

「この素晴らしい夜に、身を委ねずに」

「怒れ、怒れ」

「この消えゆく光に」

「怒れ、怒れ」

「この終わりゆく日に」

「――怒れ、怒れ」

 グランヴィルは高らかに笑う。

 彼は憤怒の魔種。

 今宵――この世界に、また大きな怒りが産まれた。

成否

成功

MVP

キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)
社長!

状態異常

グドルフ・ボイデル(p3p000694)[重傷]
伏見 行人(p3p000858)[重傷]
北辰の道標
シラス(p3p004421)[重傷]
超える者
沁入 礼拝(p3p005251)[重傷]
足女
夜式・十七号(p3p008363)[重傷]
蒼き燕

あとがき

赤子が目を覚ますと、周囲の環境はいつもと少し違っていた。
そのことに不安を感じて、すぐに泣きだしそうになるが、上を向くと母の顔があり、そして自分がその腕に抱かれていることを認識すると、先ほどまでの不安は何処かに消えてしまっていた。
辺りを見渡すとたまに同じように自分を抱いてくれる人たちもいたから、余計に彼は嬉しくなった。
とても大きな男の人。
小さなゴブリン。
ほとんど遊びには来てくれないけど不思議な妖精さんを連れている人。
すこしぶっきらぼうだが人が居ない時には構ってくれるお兄さん。
自分の前でだけ動きがぎこちない白いお兄さんと、さらにもっとぎこちないお姉さん。
彼らみんなに会えたこときゃっきゃと全身でその喜びを表現すると、少し淋しそうに母は笑って、手を握ってくれた。

だから、彼にとって、今日は素敵な一日。

この上なく、幸せな一日だった。

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