シナリオ詳細
Trick Moon
オープニング
●キツネとカラス
満月から少し弱まった月が、ヴォルペ(p3p007135)の横顔を照らしていた。
打ち捨てられた屋敷の屋根に腰掛け、ゆるりと空を見上げている。
上空を、カラスがぐるぐると旋回していた。
「おっと」
ふいに、柔らかい感触がヴォルペに抱き着いた。
「何考えてはるの?」
「どうだろう。同じことだったりしてね」
「……! や、やだわあ」
八咫姫は頬を染めた。
「……私、今までで一番幸せやなあって、考えてたの……。辛いことがたくさんあったけれど、生きてきてよかったなあ、って」
「君が幸せなら、おにーさんも嬉しいよ」
「ふふ」
もうすぐ、来るだろうか。この世界の主人公たちが。
「俺の望むことはね、たったひとつ」
ヴォルペは愛している。この混沌とした世界を。
この世界に愛される、イレギュラーズというものを。
きっともうすぐ彼らがやってくる。一度、敵の側に囚われたはずの……自分の登場に、彼らはどんな顔をするだろうか?
●シエル・シーニュ・ルインズ
「グリムさんのご兄弟は、治部省におつとめだったのですね」
あの一件以来、八咫姫とそのカラスの足取りを追っていた、小金井・正純(p3p008000)は、グリム・クロウ・ルインズ(p3p008578)の弟、シエル・シーニュ・ルインズを頼ることとなった。
どこからともなく兄と正純が探しているものの噂を聞きつけて現れたシエルは、なるほど、優秀に違いない。
「国の中枢、深いところに敵が。察知はできなかったものかと……いえ、これからのために、調査する機会と手段があれば……と思っておりました」
このような者がいてくれれば、あるいはあの襲撃は防げただろうか。悔しそうに言う正純に、シエルはゆるゆると首を横に振った。
「……敵は政治の中枢に深く潜り込んでいたからね。下手に動けば消されるかもしれなかった。無事で良かったし、敵をあぶり出せたんだ、そう思おう」
「色々話したくはあるが……本題から入ろう」
シエルは首をすくめる。……兄は、かなり本気で怒っている。
(うん、それももっともだ……)
死者を冒涜して行ってきた”呪詛”というもの。
死を汚すということは、墓守グリムにとってはなによりもあってはならないものだ。
「……さっき、目撃情報があったよ。でも、多分これは……どうにもわざとらしい。半分くらいは罠じゃないかと思ってる。それでも、行く?」
当然、兄が頷くのは分かっていた。
「じゃあ、これが地図なんだけど」
「この短時間で調べたのか」
「せっかく会えた身内を死なせるわけにはいかないでしょ? しっかり覚えてね」
地図を広げて、簡単な地形の説明をする。
まだ話していないことがたくさんあるのだ。
- Trick MoonLv:20以上完了
- GM名布川
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2020年10月27日 00時25分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
リプレイ
●それは、身の凍るような寒い秋の夜のこと
「……へー、あれヴォルペ(p3p007135)おじさんじゃん。随分と早いことで」
『砲使い』三國・誠司(p3p008563)は目をすがめ、待ち受ける彼らの影をみてとった。
イレギュラーズであったヴォルペは、敵であるはずの八咫姫の手を取った。
「おや……本当に、ヴォルペ様ですか」
(……僕から見れば武器商人様の使い魔程度の認識で御座いますが)
『『幻狼』夢幻の奇術師』夜乃 幻(p3p000824)は、目線だけで『闇之雲』武器商人(p3p001107)を振り返った。
黒真珠の瞳は、見透かすようにすうと細められ、冷たい燐光をこぼす。
イレギュラーズの裏切りというのは、いつもやるせない気持ちになる。
「ああ、来たね。来ると思ってたよ」
へらり、武器商人は笑う。
影からは、黒くて不定形なナニかが揺れる。
「ううむ……これまた厄介な事態になっちまったなぁ。神使様が敵になって、まとめて絞めないといけねぇとはねぇ」
『『元』獄卒』喜久蔵・刑部(p3p008800)は顎に巨大な片腕を当て、うなった。
その様子におびえはない。
ただ、困ったような顔をしているだけだ。
怒りも、悲しみもなく、ともすれば、その欠落はヴォルペと似た貌(かたち)をしているかも知れない。
片はそれでも片目を縫われ、両手両足に呪具を付けられ、縛られながらも神使であり。
片は、宵闇に去っていった。
「まぁ、邪魔するってんなら手加減は必要ねぇよなぁ?」
喜久蔵の力は、必要とあらば全てを無にかえすだろう。
(正直な話、彼の事を良く知っているとはまだ言えない)
『流麗花月』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)は、太刀を構える。
自身では判断がつかぬからこそ故に、彼の事は、付き合いの長い武器商人に託すことに決めていた。
(ならば私は、その為の場を斬り開こう)
「仙狸厄狩 汰磨羈、参る」
「下がっとって、ヴォルペ。こないな奴らに、ヴォルペは渡さへんよ?」
●それは、誰にも理解されない自己犠牲
「……」
塀の向こう側。
彼らのやり取りに、夕霞太夫は耳をそばだてている。神経を集中させ、一言一句、聞きのがすまいと。
世に咲き誇る大輪の花、遊郭の花魁は仮の姿。
(わちきの役目は、見届け役。どちらが勝ったとしても、建葉・晴明様に……)
「やれやれ、カムイグラは問題山積だな。裏切り者ね。組織のトップにいれば裏切り者は山ほどいるもんだが、それをきっちり始末するのもトップの仕事さ」
グロー・バーリン。世界企業『自由の翼』の社長というのは表の顔、秘密結社『混沌平和機構』を背負う男だ。
「おにーさんは人気者だね」
「ヴォルペ様があちらについたのは自らの意思、と思えましたが……ヴォルペ様が敵陣に赴いたことにより、損害は最小限で済んだのも事実。……捕虜のために脅迫されている、という可能性はないでしょうか? あるいは……」
『星詠みの巫女』小金井・正純(p3p008000)は可能性を挙げる。どちらかといえば、正しく的に弓を向けるために。
「ないだろうねェ。同情心、駆け引き、損得勘定……そんなありふれたモノサシで済むなら、コトはもっと簡単だったろうに。あれを動かすために、脅迫なんてする必要はないのさ」
「ならば、狂気という線は如何で御座るか?」
『咲々宮一刀流』咲々宮 幻介(p3p001387)もまた、敵を見定めるためにその問いを口にした。既に命響志陲を抜いており、戦いは避けられぬと知っている。
「八咫姫とやらは魔種で御座ろう。その狂気にあてられ、変質した、というのは?」
「我の知ってるそんな”単純な”モノで塗りつぶされるモノじゃァない。そうだろう、愛しい赤狐の君?」
「我が麗しの銀の君。俺は、ずっとこうなることを望んでいたんだ」
さあと、八咫姫の顔色が引いた。
「そのヒト、誰?」
「キミが思う関係じゃぁないさ」
「ん……ヴォルペ……紫月のトモダチ……」
『戦場のヴァイオリニスト』ヨタカ・アストラルノヴァ(p3p000155)はゆるゆると首を横に振った。
武器商人の番はヨタカ。たったひとつの半身である。
「ちゃんと。愛しているよ、俺の瑠璃」
嘘をつく人間はいままでに幾多も見てきた。
だからこそ分かるのだ。『ヴォルペのそれは、嘘ではない、真実の愛だ』と。
どうしてそれを疑うことがあろうか。
ヴォルペはこちらの味方をして、かつての仲間に刃を向けるのだから。
(本当に……悪い男。
優しくて……美しくて……ひどい人。
冷たくて……寂しくて……悲しい人)
『嫉妬の後遺症』華蓮・ナーサリー・瑞稀(p3p004864)は、胸の前で祈るようにぎゅうと指を組んだ。
求める女性にそうやって優しく接してくれる……悪い男を一人知っている。
皆に求められて、皆に応えて、でも満たされない……愛しい人を一人知っている。
バーリンは「来いよ」とヴォルペを手招きした。
「アンタに後悔なんてなさそうだな。そういう奴の方がやりやすい」
「ああ、ホンキできてくれると俺は嬉しいよ。後悔? とんでもない。本当に、俺は最初から期待していたんだ! こうなることを、ずっと。ずっと!」
「よし、それなら、だ。
ちょっとオジサンと殴り合いなんてどうだい。女の前でカッコつけるのも男の役目って奴だろ。」
「もちろん。さあ、おにーさんと遊ぼうか」
「ヴォルペッ! あんまり無理せんといて。ヴォルペがいなくなったら、私、わたし……」
「この期に及んで、自分のことばかりか」
『誰かの為の墓守』グリム・クロウ・ルインズ(p3p008578)は、八咫姫を睨む。
「? あら、奇遇やなあ。前は私、愛しい人のために必死になってもうたけど、今はとっても幸せなんよ」
八咫姫は歪んだ笑みを浮かべる。
「ふふ、聞こえる? みんな、喜んでくれとるの。だから、」
言い終わる前に、体が勝手に動き、武器を振るっていた。
「……何が喜んでいるだ、何が力を貸してくれるだ。ただ利用しているだけだろう。ただ傷付けているだけだろう」
「……何を、怒っとるの? 別に……死んだのは大事な人ってわけでもあらへんのやろ?」
心底不思議そうに首を傾げる八咫姫のあどけない所作は、見た目だけならば洗練されていて、麗しいものかも知れない。
だが、中身はおぞましい怪物だ。
「もういい。喋るな。死者達の怨嗟の声も憤怒の声も、これ以上紡がせてなるものか。自分が、俺が、墓守として、お前に死を与えよう」
●それは、底なしに与えられる愛
誠司は目を凝らし、シエルの指す庭を睨む。
「どのあたりかわかる?」
「……あのあたり、事前の地図と照らし合わせると庭の様子が変わってるね。といっても広すぎるかな。うーん、掘り返したような跡が見えたらいいんだけど」
「よし、わかった」
誠司の大筒が狙いを定めた。
爆裂音が響き、誰の犠牲も伴わずに術式が起動する。
八咫姫が視線を移せば、すぐそこに幻がいた。
幻はシルクハット『夢幻』をかぶり直し、悠々と微笑む。
「貴方方が見る夢は何でしょうね? 両思いなら、いいですね」
「あっ……」
奇術『星降る夜に』。幻の繰り出した幻に、八咫姫は大きく狼狽した。
思い出したくない記憶は数多ある。
幸せに浸っていても、心のどこかで思っている。
「いや、いやや……いや……っ! 死んでっ、死んで死んで死んでっ!」
悲鳴のように、幾多もの呪詛を紡ぐ。
「可哀想な瑠璃、大丈夫、俺はここにいるよ」
「見切った!」
暗闇に潜む冥を、幻介の一刀が斬り払った。さすがに特殊部隊というだけあって、悲鳴の一つもあげない。
「っと、ナイスっ!」
誠司は再び罠を吹き飛ばした。
爆風がヴォルペの結界とぶつかり合い、ガキンと鋭い音を奏でた。
「しかし、大一番の相手がヴォルペ殿とは……世の中は中々に因果なもので御座るな」
「俺はね、このときを待っていたんだ。ずーっとこうなれば良いと思っていたよ」
「笑止」
幻介が狙うは、ヴォルペではない。
死角から現れた冥へと、暗闇を突っ切るがごとくのまばゆいブルーコメット・TSが尾を引いていった。
(あちらですね。見えました)
正純は、闇に向かって一射を放つ。
この身をさいなむ星々が、正純に居場所を教えてくれる。
空に眩き美神の星が彗星を追い抜き、その奥にいるカラスへと、まるで吸い込まれるように飛んでいく。
カラスの羽が舞い散った。
「凍てつく霊魂の嘆き歌……呪い歌……嗚呼、苦しみながら永遠に聴け……♪」
ヨタカの鬼哭が、忌まわしい鳴き声をかき消してその場に響き渡る。
それは、豊穣の地に蔓延る霊魂の嘆き謳。彼らが踏みじってきた、幾多の魂。息を吸い込むたびにヒュウヒュウと喉はかすれる。
紡がれる音は、ひとつひとつが陰湿な呪いとなり、カラスにまとわりついていた。
耳をふさぐことなどはできない。
観客は唯、只、管。その謳を聞き続けねばならない。
「ヴォルペさん……あなたは、」
華蓮が一歩暗闇に踏み込むと、巫女を前に、影は恐れる様に逃げる。
恭しく礼をするヴォルペは手を伸ばし……。
「離れてっ」
強く込められた殺意の、感情の名前。
ずきり、胸が痛むときの心の動き。
華蓮は知っているだろう。
「……」
相手を射殺さんばかりの瞳。
ただ一人にしがみつく少女の貌。
「っ、死んでっ!」
八咫姫の呪詛は、華蓮を深く惑わせることはできない。
気の遠くなるような永き時間。
年齢を数えるのを止めたのはいつのころだろうか。
人の子というのは面白い。そして、愚かで、時には愛おしい。
きっと、互いにそう思いながらも、汰磨羈とヴォルペの道はどうやら二つに別れてゆく。
否、まだ交わることがあるかもしれぬ。
汰磨羈はカラスを追いかけて素早く太刀を振るった。
厄狩闘流新派『花劉圏』が一つ。殺意を込めた赫い霊気が毬のようにぐるぐると糸を絡めてゆく。太刀を振るえば、それは高速で進んでゆく。
霊球はそのまま炸裂し、彼岸花を咲かせた。まき散らし切り刻む、そのすべての花弁が鋭い斬撃である。
その道を進む。
前髪で……否、ともすれば不自然な闇に隠れて見えないが、それでも、武器商人の双眸がヴォルペを見据えている。
すう、と指さすように蠢き、指先は確かな殺意を描く。
「ちゃんとキミだけを見ているには余りに邪魔が多いから、少しいいコにしてて待ってておくれね」
武器商人は八咫姫に一瞥すらくれない。
「大人しく待っているよ、我が麗しの銀の君。心待ちにしている」
(ああ……そうなのだわ)
それは、恋情ではないかも知れない。
けれど、武器商人とヴォルペ、二人の間には、間違いなく誰にも邪魔のすることのできない絆がある。
互いが、互いのたったひとり。
八咫姫は、大切にされている。安全にかばわれ、守られるようでいるが、きっと。彼は、誰にでもそう。たとえ、彼女がヴォルペを同じように庇ったとして……あるいは、怒りに任せて刃を向けたとして……ヴォルペのトクベツになんかなれない。
(ほんとうに、本当にひどい人なのだわ)
「……っ! 殺して、あいつをっ!」
「もっと他に目を向けるべきものがあるだろうにねぇ」
喜久蔵の怪腕が、冥を薙ぎ払った。
「なんて言ったっけ、『死んでいった人間が、利用されて喜んでる』……なーんて言ってたっけねぇ? 笑かしてくれるねぇ」
喜久蔵は笑った。
引きつった唇、顔立ちがあらわになる。
醜悪破顔。それは、見るものに不愉快を呼び覚ます、アンバランスな笑み。何かが決定的に欠落したものの笑みである。
八咫姫は思わず悲鳴を上げた。
「死んだ奴が嬉しがったり、まして何かを思ったりするわけねぇだろうになぁ。死んだら残るのは物言わない骸だけだぁね。力を貸してくれる? 笑かすねぇ」
喜久蔵はずん、と一歩を踏み出す。
全てをなぎ倒す、圧倒的な力。
ずしりと、無理矢理にまた一歩を踏み込み、にたりと笑みを浮かべた。
グリムは、宵闇に向かって名乗り口上をあげた。それは暗闇に潜む冥を惹きつけるためのものであったが、同時に、死者への敬意を込めた名乗りであった。
グリム・クロウ・ルインズ。
小さな霊園の墓守。
引きちぎられるようにして終わり、なおも呼び覚まされ、利用される魂に眠りと安息を与えるものの名であった。
穢された魂が、その名を守りのようにつぶやいている。
(……見ただけでわかる、聞こえただけでわかってしまう。
俺を守る死が震えている、俺に寄り添う死が怒っている。
否応なしに共感させられる)
●それは、心よりの祝福
幻が奇術を紡ぐ限り、この闇は閉ざされた暗闇ではないだろう。
カード『白昼夢』は、幻の手の平に隠れて、自在に姿を変えるのであるから。
幾多もの幻想を、自在に漆黒のキャンバスに描き出す。八咫姫が振り払う炎は現のものではなく、それ故に消すことはできない。
幻介の音速の刃が、冥を斬り伏せた。
「……しかし、八咫姫とやら。
そんな禍々しい呪いを放ちながら愛だの何だのと宣う様は、見ていて流石に笑えるで御座るぞ」
幻介は死地においてなお不敵に笑ってみせる。
その技は、むしろ研ぎ澄まされて行く。
「いっそ、お笑い芸人にでもなってヴォルペ殿と夫婦漫才でもしていた方がいいのでは御座らぬか?」
「……つまらん冗談やけど、夫婦の響きはええね。覚えといたげる。名前は?」
「『咲々宮一刀流』咲々宮 幻介。冥土の土産に持っていくが良かろう」
僅かな体温。……分かるのは大まかな位置で良い。それを手がかりにして、誠司はプラチナムインベルタを構える。
「ヴォルペおじさんがいなくなったって聞いて、過去のデータも洗ってみたけれど」
「……あの人は」
シエルはそっと目を伏せる。
「満たされない。それが解っててなんでそうもまぁ、上辺の甘いことばかり言えるかねぇ。相手も相手ですげぇな。ただただ自分の中の理想像を投影するだけ」
誠司の繰り出す鋼の雨に、正純のそれが重なった。
豪雨となって降り注ぐ。
闇に潜んだ冥が一体、ヨタカに刃を向けた。
ヨタカは、向けられる刃をまっすぐに見つめた。
(今までは紫月が俺を庇ってくれていた……けれどあの人は、彼の所へ行かねばならない。彼に頼ってばかりではいられない)
傷ついても詠は紡がれたまま。
「ヴォルペ、行かないで、あなたがいないと生きられへんの!」
「行って、紫月……ヴォルぺを……宜しく頼むよ……」
「「あぁ、いいよ」」
全くもって正反対の意味を持つ声が重なる。
(そう、そうなのだわ。
あなたは、きっと信じられないのだわ。
「辛い」と言えば、「大丈夫か」、と言ってくれると分かっていても。
「痛い」と言えば、ありとあらゆる手を尽くして慰めてくれるとしても。
”あなたじゃなくてもいい”。誰にだって優しい。
きっと、その言葉は、誰にでも向けられるものなのだわ……)
たった1人の、『トクベツ』ではないということ。
華蓮の号令があたりに響き渡る。物語をなお紡ぐ力を描き出す。
いかにカラスがすばしっこくとも、連撃をたたき込めば逃れる術はない。
(ここはちと陰の気が強すぎる)
陰陽はもともと1つのものである。表裏一体にしてこの世界に満つるもの。
すなわち、肝要なのはそのバランスである。
汰磨羈が繰り出すは、厄狩闘流『太極律道』が一つ。太極律道・斬交連鎖『刋楼剣』。境目を縫うようにして進む斬撃はカラスの羽をかすめ、そして連続して花開くように進んでいく。
善悪、正負、光闇、生死。そこに、明らかな答えはない。
ぐるぐると、問い続けるしかない。
永久に迷い、永久に問え。それこそが――。
汰磨羈は太刀を構えなおす。二度、三度。
自在に猫は夜を駆けてゆく。迷い、考えながら、体は動き、獲物を追い立てていった。
グリムの暗闇を纏った暗黒剣が、冥を斬り伏せる。
奮い立たせるは、祝福のブローディア。
(我らの救い、我らの星、我らの願い。 忘れられし我らの名を見つけし貴方様を、死した我らが守りましょう)
干からび、死してなお利用され続けた魂が、聖域を求めてグリムへと力を貸している。
冥が体勢を立て直そうと身を引いた其処は、地雷原。
だが、グリムは、弟が指し示した安全地帯に踏み込むことに欠片も迷いはなかった。
もしも懸念があるとするならば、それは死者たちを慮る心。
彼らに、無理はさせたくはない。けれど、安息のため、今ばかりは力を。
グリム様、■■と申しました。
グリム様、私は■■と申しました。
魂たちが次々と、自身の名を告白していく。どろどろと溶け合ってもう自分自身すらわからなくなった者たちも、グリムを前にしては正しく自身を思い出せる。
ああ、私には妻がおりました。
ああ、私には幼い弟が。
連綿と連なる一族の名を。
祖父から継いだ一字を。
養い親が思いを込めて名付けたという名前を。
言葉は、激しく渦巻いている。
「っと、カラスには届きそうにねぇなぁ、これは」
喜久蔵はうーんと、空を見上げる。
その両腕は、そこにあるだけで全てをすりつぶす恐るべき威力だった。
「ひっ……」
「んー、冥の方に当たったか」
ああ、やはり笑った。
「なぁ、それは童の飯事と何ら変わりねぇ。
まぁ、何が言いたいかって言うとなぁ……誰もお前を愛さない。
そこの坊も何時かあんたを捨てるんだで」
「そんなことあらへん。ヴォルペはすべてを捨てて、私の手を取った。あんたは、知らないだけや。愛なんて!」
「そうだなぁ、呪詛なんか使うオメェに愛だ何だ語る資格はねぇだもんなぁ」
「ヴォルペは私を愛しとる! だって、私の味方やもん」
勝ち誇ったように宣言する八咫姫は、まるで幼子のようであった。
「朝寝がしてみたいだって。
笑うよねぇ、キミが褥であの娘を抱いても一緒に眠りやしないのに」
武器商人の魔光閃熱波がカラスを貫き、厄災を振りまく。
「だから我(アタシ)は三千世界の烏を殺しに来たんだ」
その身に宿るは、確かな殺意。
●それは、真実、愛を告げる
「ヴォルペ!」
愛しているよ、八咫姫。この世で、一番愛している。
――それは夢。
それは、幻の描いた都合の良い奇術であった。
八咫姫が恋焦がれた虚像は、目の前で打ち砕かれてゆく。
「良き夢でありましたでしょうか?」
想い人の夢。幸せは一瞬のこと。
欲しかった言葉。永遠の約束。手に入れたはずのもの。
戦いの中、生きる意志を示す事は――即ち、対峙した者を必ず殺すという事。
幻介は、一体の冥と相対し、五月雨の斬を浴びせかけた。
まだこんなところで終わるつもりはない。
「ねえ、黒い翼のあなた」
スカイウェザー。降り立つ華蓮は、僅かに、懐かしい故郷を思い起こさせる。
「っ」
手を振り払う八咫姫を、華蓮は包み込むように手を伸ばす。
仲間を癒し、呪を浴びて。
もちろん、味方になることはないけれど、向き合うように、ただ、寄り添う。
彼と彼女を邪魔しないように、華蓮はステップを踏む。
八咫姫は縋るようにその視線を受けて、愛を確信し、勝ち誇ったように笑って、そのときばかりはまるで恋をする少女のように頬を染める。
(でも、きっとそれは)
ここで、――終わるのだわ。
「ねぇ、沢山沢山お話がしたいのだわ。今この瞬間確かに、「悪い男」の隣を手にしている貴女と」
「……?」
「そう……恋バナだわよ、恋バナ」
「こ、い……?」
「沢山聞かせて欲しいのだわ。二人でどんな時間を過ごしたのだわ……?」
自分のために、イレギュラーズたちに敵対する決意をしたヴォルペの愛がどれほどのものであったか。
自らの手をとり、鳥かごに至ったヴォルペの献身がどれほどのものであったか。
その声がどれほど優しいものであったのか。
「隣に立つまでの時間を、どうやって耐えたのだわ……?
それまでの嫉妬を……どうやって耐えたのだわ……?」
「ふふ」
その時ばかりは少女の囀り、しかし次の瞬間は妖艶な笑みを浮かべる魔種である。
底抜けの愛はきっと満ちることはなくて。
受け取れば受け取るほどこぼれていくことばかり。
(もう戻ることも、後悔することもないのだろうけれども)
玩具みたいな思慕だと言われるのかもしれない。
「耐えるなんて、無理や。でも、私が一番だって言うなら。私が一番だって言うなら、私が一番だから。全て投げ捨ててくれたから、それでいいの。だから……だからっ」
それでも確かに八咫姫は、歪な形であったけれど、彼を愛していたのだと。
「宮内卿の立場はお飾りや。私だって駒の一つに過ぎん。
上っ面ばかり言うことを聞く人間はいくらでもおったけど……。誰も……ううん、わかっとった。私ね、たった一つあればよかったんよ。私、何も持ってへんの、ヴォルペ以外は、なにも。
だから、とらんといて」
華蓮はひとり、悪い男を想い浮かべる。
きっとそれは、最初からあなたのものではなくて。
「ねぇ、あんたもおるのね」
(たった一人ではないのなら。約束しないのは、きっと、誠実なことなのだわ。つらくて、苦しくて、愛しいけれど)
紡いだ欠片。大切に、きっとこのことは忘れないだろう。
「よし、いくぞっ!」
誠司の大砲が道を切り開き、爆炎をあげて道を開いた。火薬の匂い。かすかにこぼれる火の粉がはらはらと舞い落ちてゆく。
「いやあっ、ヴォルペっ!」
「どこを向いている、お前の死はこちらにいるぞ」
グリムの一撃が、八咫姫に痛打を与える。
「■■様■■様それに連なる恩方々。
貴方様方全ての仇たるこれをここにて討ち果たしましょう」
「……?」
「何言ってるか分からないよな。
全部お前に纏わりついた死せる彼らの名前だ。
だから、その名を抱いて死んでいけ」
それは顧みられることのない、下働きたちの名。
八咫姫が知るはずのない、積み上げられた幾多もの屍のひとつひとつの名。
グリムが告げるその名の十に一つも、八咫姫に覚えはなかった。
(グリムが陰をなすならば、私は陽となろう)
汰磨羈はグリムに背中を預ける。
彼岸赫葬が、逃げるカラスを貫いた。
汰磨羈のファミリア―は、遥か上空を旋回し、墜ちるカラスを見下ろしている。
グロー・バーリンは冥の攻撃を受け止める。刃を向けられなければ相対することはなかっただろう。その戦闘能力は、『極めて、高い』。そうでなくては世界平和など望み、ホンキで目指すことなどできやしないのだから。
夕霞太夫は、また一人、誰かが戦場で倒れたことを知る。続けて落とした獲物の音から、それが冥であることを知った。
正純の右腕が刃を受け、硬質な音を奏でた。その腕は義手であった。
(この、”痛み”は)
正純の身をさいなむのは、敵から受けた傷ではない。星々の声だ。迷いなく導くその痛みに従って、弓を引く。
塗りつぶしたような暗闇。
……。
「があ」と悲鳴が上がった。
不思議なことに、矢を離したそのとき、天津甕星が、カラスの、おそらくは胴体を貫いたのであろうという確信があった。
漆黒が広がる。噴き出さんばかりの呪術があたりに広がって行く。
ボロボロになった影がゆらゆらと揺らめく。
「でぇ、どうするよ?」
喜久蔵の腕はすべてをえぐり取っていく威力だ。地形を変え、戦いを変え、刃すらそれごとへし折って。
「まぁ、楽に死ぬか、苦しく死ぬか、くらいの違いかもしれねぇけどな」
"遠き幻野の物語"。
ただ、それはそこにあるだけだ。
術具無く、動作無く、詠唱無く、法則無く。理不尽に行使される魔法が帳を落とす。それと比べれば、この暗がりは暗がりと呼ぶにはあまりに。
――嗚呼、夜が降りてくる。
「いや、いやや。行かないで、ヴォルペ」
「俺はここにいるよ、俺の瑠璃」
幾度となく夜を超えても。
幾度となく身体を重ねようとも。
朝は、かの人を奪い去って行く。
夜明けなんて来なければいい。八咫姫は心からそう思った。
「俺の瑠璃。最期まで一緒にいるよ」
欲しい言葉をいつだって紡いでくれながらも、その手は優しく、慈しむようでありながらも。
(それでも、どこか遠くにいるような気がするのは、どうして)
魔力を込めた音色と怪しいテノールの歌声が、あたりに響き渡る。
小鳥は歌い、クリスティーヌを呼び起こす。
その声は、蒼炎のドレスを身に纏いし骸骨の影を描き出していた。
愛した男の幻(ファントム)に抱かれながらクリスティーヌは戦場(舞台)で詠う。スコアをなぞる。決まりきった終局へと導くかのように。
その音をなぞり、紫月は。
ついに、ヴォルペの前へと至った。
●それは、定められていた終局
昼想夜夢が幾重にも、幾重にも八咫姫を苛む。
あれほどまでに慈しんでもらったというのに、幾多も名前を呼んでもらい、夜を過ごし、髪を丁寧に梳られ。満たされないのはなぜだろう。
それは確かにあったことだったのに。
今、目の前にあるものは幻想だと見せつけられるようで、八咫姫は絶望的な気持ちになった。夢だとあざ笑われているかのよう。
「おじさん、さ」
「確かに長生きはしてるけどね、”おにーさん”は」
誠司の軽口にヴォルペは苦笑する。
垣間見える自然体は、そこだけを切り取ったならば人そのもの。悪態をつきたくなるほど、その少し人間らしい面は、知っていたヴォルペの影と重なった。
でも、どうしてだろうか。次の瞬間には、無表情で。
(昔じいちゃんが言ってた言葉を思い出した)
水に映る月、水月。
本物だと思って飛び込んで……幻だとまだ気づかない。
八咫姫を哀れだと思うような同情の余地はないが、それでもまだ月に囚われ、手に入れたと歓喜する彼女は痛々しくも思える。
ヴォルペの与える無限の愛。
際限なく深い渇望。それをすべて埋めるほどの器は、八咫姫には、いや。どんな生き物にだって、不可能というものではないだろうか?
(溺死するのかな、あれ)
うごめくカラスの残骸を、D・ペネトレイションがなぎ払った。
幻介は、超新星のスピードをその身の威力に載せて冥を葬った。
「ぐっ、……」
「手練れと見受ける。しかし、満足そうな顔をしてるで御座るな」
「八咫姫様のために死ぬこと、いっぺんの悔いもなし。そなたにもまた同じ匂いを感じておる。命のやりとりにおいて、なおもひるまぬその器。自身を死地において、なおも研ぎ澄まされる技量。お主も、とうに死ぬ覚悟ができていると見えるわ」
「否」
幻介は振り抜き、剣を手元へと戻す。
「拙者にあるのは、生きる覚悟で御座る」
(ここで終わることを考える我。前へとすすむ其方。然らば、負けるのも道理か)
冥は終わりゆく視界の中で、仕込み刃を突きつける。しかし、幻介は敬意を示しながらも、油断して死ぬつもりなどまるでなかった。
「御免」
迷いのない一撃が、冥を斬り払った。続けての一刀が、油断なくヴォルペへと斬りかかって行く。
「良い一撃だっね。術式を展開してなかったら、腕の一本、持って行かれていたかも」
「ヴォルペ殿、どの様な意図があるかは知らぬで御座るが」
激しい攻防の合間、幻介は耳元でささやく。
「特異点の実力はよく存じている筈……なれば、どうされるのが良いかは分かっているので御座ろう?」
「……」
「それでもまだ、弓引くというのであれば――分かるな?」
ヴォルペは、その問いに対して、それはそれは美しい笑みを浮かべる。
嗚呼、それこそが!
絶大なまでに高められた守護の術が、そのままの威力でぶつけられる。
「っ」
正純は攻撃を殺し、剣魔双撃を描いた。
誠司は、八咫姫を見つめる。
哀れむような瞳に、八咫姫は憎悪を燃やしている。
「ねぇ」
華蓮が、辛抱強く言葉を続けようとしていた。八咫姫が息を吸い、それに何か応えるようにしたとき……。
いくつかのやりとりが交わされて、戦場の飛沫となって言の葉が消えていく。
(悪いが、手加減はできない。幻を抱いて溺死しろよ)
そこを狙った。
深手を負った八咫姫は、意味不明な言葉をわめき続けている。
(そうね、そうだわね)
ずっとお話ししてはいられない。いつか終わりは、来るものだから。
太極律道・斬交連鎖『刋楼剣』が八咫姫を襲う。
壱。
姿勢を崩すように足首を狙った一撃。
弐。
そして、役に立たない、飛ぶことのない翼を。
参。……。
その呼吸をかりとる様に。
「が、あっ……」
(ねえ、教えて欲しいのだわ……その身を焦がす激情を)
一瞬だけ浮かべた少女らしい顔立ちを。
(ねえ、私はきっと、覚えているのだわ、あなたのことを……)
良いことも悪いことも。決して美化することはなく。かといって、目をそむけることもなく。
哀れな娘ではなくて。
どんなに形が歪んでいても、”恋”をしていたことを覚えているだろう。
だが、その罪は清算されるべきものではない。
燃え盛る理性が、グリムと共鳴する。
これは殺さなくてはいけないモノだ。
これは死に関わる全ての敵だ。
武器に力を込めて、この禍々しい永劫を止めることができるのはきっとこの場には墓守、ただ、一人だけ。
嗚呼、殺しましょう■■様。
嗚呼、呪いましょう■■様。
(貴方様方全ての死は墓守たる俺が背負いましょう。
なればどうか、不倶戴天なる敵討ち滅ぼす為、どうかお力お貸しください)
行使する呪術が限界を超えた。呪術が反駁し、八咫姫をむしばむ。
改心など望むべくもないが、罪を知らずに死ぬことなどは許しはしない。
八咫姫はようやく自身にまとわりつく呪術の重さを知り、目を見開いた。自身の下半身は吹き飛んでいる。
「ヴォル……ペ」
ヴォルペは、ゆっくりと瞼を閉じてやる。
「お休み、俺の瑠璃」
●今、この瞬間を待っていた
「少しはその熱が冷めたでしょうか。
いや、逆に燃え上がりましたか?」
正純はまだ距離をとり、油断なく矢をつがえてはいるが、様子を見ているといった風である。
「そうだね、俺は困難な方が燃えてくるよ」
「どちらにせよ最低限、あなたは捕縛させていただきますが」
「愛おしいね。俺は女性の怒った顔も好きだよ」
ああ、愛おしい可能性たち。
(やっぱり、危険、なのだわね)
華蓮のゼピュロスの息吹が、回復を紡いだ。
ミリアドハーモニクスは、途絶えることなく響き渡っている。
ヴォルペは進み出で、誘うように笑う。
『きみたちはこんなものじゃあないと教えてくれるだろう?』
「なんであろうが、魔種と裏切り者はしっかりと止めなければなりませんね。……それで、よろしいのですね」
(……)
汰磨羈は迷う。
ヴォルペが結果的に味方であったならば。
また共に、仲間として戦って欲しいとは思っていた。
(――しかし。私は、武器商人の覚悟を蔑ろにする事も出来ぬ)
強き思いと覚悟を以て臨む。それがどういう事かを、私はよく知っている。
よく聞き、よく見て、そして己が身で経験してきた。
だから。
汰磨羈はヴォルペと武器商人の……『彼等の覚悟と行く末を見届ける覚悟』を決めた。
例え、最後まで『殺し合ったとしても』。目を逸らさずに、最後まで。
ヴォルペは微笑む、ただただ。
「さあ、おにーさんと遊ぼうか」
●それは、狂気か純粋なゆえの愛か
「貴方が何を考えているかは知らないが。何かを選択したのは確かなのだろう。であればその選択に後悔の無いことを願おう」
「心遣い、感謝するよ。君たちの行く先々に幸あらんことを」
グリムの言葉は、ともすれば別れの言葉なのだろうか。
ヴォルペは心よりの祝福を述べる。
ヨタカは曲を奏で始める。
野ねずみを癒したその曲は、こんな場には場違いな…………いや、馬鹿げていて、泣きたくなるほどの小さな希望で。
思わずハミングしたくなるような、そんな曲調を伴っていた。
(今、このとき、『嘘だよ、なんてね』みたいに、告げてくれたのなら)
戦いをやめる理由には十分なのに。
小突き回されて、罵られて、それでも、「おかえり」と言う人たちが、たくさんいるだろうに。
その調べにヴォルペはしばし耳を傾け、術を編んだ。
そこだけをみれば正気であるように見えるのだ。
だが、その調べが終わった瞬間、ヴォルペは術を放った。
華蓮の放ったイクリプスが、ヴォルペの術をかろうじて相殺した。
●"キミがそれを望むなら"。
ヨタカは、演奏の手を休めることはない。
(この戦い、絶対に負けることが出来ない。
紫月とまだまだこれからも、もっと2人で生きてくって決めた。
彼を死なせないし、俺だって此処で死ぬつもりはない)
半身を誰よりも信じている。
だけど、それでも。
(不安だってある……正直言えば怖い。
紫月が死んでしまったら……俺が先に、彼を置いて死んでしまったら
寂しさで押し潰されそう)
心のどこかで、そんなことしないで、と縋りたくなるのはうそじゃない。けれど、紫月は決めたのだ。
(でも、そんな感情……今の俺にはいらない。
そんなモノは邪魔でしかない。
意識するな、蓋をしろ。
集中しろ、何も考えるな)
ヨタカは、演者であることを選んだ。
楽譜をなぞれば、震えはいつしかおさまってゆく。
役割を、果たそう。
「おまたせ。キミに朝寝を届けに来た」
強固に編まれ、編まれ幾重にも重なったヴォルペの術式は、八咫姫の闇を取り込み、より堅牢になっていた。正面から挑めばそれは全てを飲み尽くす。
"遠き幻野の物語"が、神威じみたヴェールを奪い去っていく。
(ああ。俺がまだ知らない術だ。俺のために? 来てくれると思っていた、たった1人の――)
ヴォルペの望みが分かるのは、きっと、世界でただ1人の『トモダチ』だけ。
魔光閃熱波。それは先ほどのものとは比にはならない威力の破壊であった。
このときのために、武器商人は力を温存していた。
「そうだね、この喜劇に名前を付けるならば」
「いらないよ」
いらない。
特別な意味も、崇高な使命も、劇的なドラマもいらない。
ヴォルペはわずかに、ほんのわずかに、目を見開いた。
「貴様は『ただ普通に』死ね」
ヒトは、こういうときは何という?
どういった感情を抱くものなのだろうか?
シンプルでわかりやすい理由すらも武器商人は名づけることを許さなかった。
トモダチ。
優しくて、ニンゲンの癖に長生きで。
そのせいで気の毒なぐらい壊れていて一生懸命ニンゲンの振りをする愛しいコ。
幾多もの術式がぶつかり合っていった。
そこには微かの手心はなく、どの技も確実に息の根を止めることを企図していた。
薄れ行く意識の中で、ヴォルペは思う。
ここから、何が起こるかは知ってる。
「めでたし、めでたし」。
それは定められた予定調和。
ヴォルペは、ヨタカに、イレギュラーズたちに手を伸ばす。
「俺は……紫月のモノであり、小鳥だから。ごめんなさい……安らかに殺されて」
(それは理解されない献身と無垢なる自己犠牲)
からっぽの底が共鳴する。
打てども打てども底はなく、たしかな形など、どこにもなく。
もともとないものを探すというのは滑稽だった。
自分自身が分からないなら、ただ互いを鏡のようにして知る他なかった。
信念があるとするならば、それは愛。無限の愛。
贈る愛。
ずるいと何かがわめいている。それは飢えている。満たしても満たしてもどこからかこぼれていく……。
ヴォルペは笑う。ただ、嗤う。微かに……かすかに痛みを感じる。
理解する、それは確かに愛(殺意)なのだと!
(愛する友よ、幸せな結末を望め)
色を得るように世界が見える。影に飲まれるように消えていく。
狂気に身を任せてしまえれば、どれほど楽だっただろうか。それができたなら。できたならば……。
「変わらないよ」
正気だろうが、狂気だろうが、どちらにせよ。
ああ、ならよかった、我が麗しの銀の君。
(戦う時は楽しく。殺す前は穏やかに笑って「おやすみ」と。殺した後は、)
「おやすみ」
強烈な魔力に焼かれて、自身がばらばらになってゆく。
構成単位の一つ一つまで、ヴォルペであったものが解体されていく。
小さく分けても、小さく分けても、からっぽで。内には虚ろがあるばかり。けれど、それが分かっただけで満足だった。
包み込むような殺意が、自身を抱擁している。
このまま、眠りにつけるのなら。
いや、やはり、この世界のすべてを連れて行こう。愛しきものすべてを、と手を伸ばす。
武器商人は、ゆるゆると首を横に振った。
『我(アタシ)は小鳥と生きるんだ』
「そうか」
『この命をかけて生き延びてやろうじゃないか』
そうか、置いていってしまうんだね。
「――うそつき」
小さな声。
ああ、ごめん。
ヴォルペは暗闇の中で微笑む。永遠に、彼らの中で礎となろう。もはや眠りを邪魔する者はなく、ただただ、眠ろう。
「おやすみ」
虚空に向かって呟いた。
願わくは、世界が、幸せなものでありますように……。
そう、心から思ったのに。
「はは……」
今度こそは、答えよと、声は囁く。
いつか世界が救われる為に、望んで、世界の敵になろうと祈ったじゃないか。
今こそそれを叶えようと声は囁く。
これでもなお、死には届かないというのか。
この事態を理解しないための、狂気が欲しい。
●世界は、巡り
音が止み。夕霞太夫は息を吐いた。
「生きてるか」
バーリンがゆっくりと立ち上がり、面々を見渡した。
(倒した、のか? いや……あれは……)
汰磨羈は、静かにあの気配を推量する。消えたかに思えた。しかし、最後に、何やら変質したような気がする。
「紫月……っ!」
「……」
ヨタカは武器商人に駆け寄った。
武器商人は、激しく虚空を睨んでいる。
ナニカが、アレに干渉した。
これだけ死力を尽くしてなお、まだ、世界は逃してくれないのか。
思わず唇を噛む。
「……どうして、なのだわ」
「因果なものでござるな……」
「打ち滅ぼすこと、叶いませんでしたか。ええ、ならば、またお会いしましょうね、紅き血が咲く戦場で」
幻はシルクハットを被り直した。
純正肉腫を討ち滅ぼし、八扇の1人を討伐した。それだけをみれば、戦果は「できすぎている」と言ってもいいだろう。
残された懸念は、たった一つ。
嵐が過ぎ去ったかのように、晴れやかな空ではあった。
「兄さん」
シエルがグリムを見つめている。
生き残ったのだ、この熾烈な戦場を。
「兄さん!」
グリムは、墓守として、小さな墓標を立てるだろう。多くの闇に紛れて補足されない犠牲者の名を、彼らに等しく返してやるのだ。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
PBWマスターとしては5年くらい、TRPGのGMとしては10年ほどになりますでしょうか。
PL/PCの皆様が、想定しえない第三のルートに踏み出すのは、いつでもGMとしてこの上なく幸せな瞬間でありますね。
キャラクターをこの手にかけたのは……CoCで1回、あったかなあ、なかったかな……。
この一週間、ずっとおにーさんのことで頭がいっぱいでした。
不肖の案内人ではございますが、どうか地平の彼方まで、お付き合いください。
GMコメント
布川です。
初めての共同作業……とは言っていられませんね。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●目標
・八咫姫の撤退、あるいは撃破。
・ヴォルペの撤退、あるいは……撃破。
(オプション)
・純正肉腫、カラスの討伐
●登場
八咫姫
七扇、八咫姫。
その本懐は呪術による神秘攻撃。
「私にはわかるわ。
呪詛で死んでいった人間が、利用されて喜んどるのが。
だからこうやって力を貸してくれてはるのよ?」
踏みつけてきた屍はどれほどのものか。禍々しい呪いが幾重にも取り巻いている。
最愛の人、ヴォルペを攻撃対象にするものを執拗に狙う。
ヴォルペに刃を向けるものには執拗に立ち向かうだろう。全力で。
「私、世界で一番の幸せ者やな」
ヴォルペ
『<傾月の京>三千世界の鴉を殺し』で行方不明となり、どういうわけか、今はイレギュラーズに対峙する。
その思惑は不明。しかし、戦っているときのヴォルペはとても楽しそうだ。
基本的には高耐久。あまり突出せず後ろの方にいる。
「さあ、おにーさんと遊ぼうか!」
カラス(純正肉腫)
純正肉腫。
闇に溶けるような黒々とした体を持つ。
『<傾月の京>三千世界の鴉を殺し』において、一本の足を失い、それにより、能力は大きく低下している。
このカラスが鳴けば昼でも暗くなる(回避、命中低下)。
上空を旋回し、強烈なデバフを撒く。
さらに、ターン経過で呪いを結び、強烈な神秘攻撃をまき散らしらす。
七扇直轄部隊『冥』×3(※肉腫)
前衛。カムイグラの暗部として暗躍している者達が肉腫に感染したもの。
肉腫に感染し、狂暴化している。
●場所
カムイグラの京、八咫姫の息のかかったとある屋敷。今はうち捨てられている屋敷ではありますが、敵の懐には違いなく。
屋外の広い庭で対峙する。屋根なども足場に使える。
いくつかの陣が仕込まれている。不用意に範囲内に入ると術が発動し、ダメージを受けるが、シエルの助言でマシなものになっている。
●味方NPC
シエル・シーニュ・ルインズはこの誘いが明らかに仕向けられたものであること、屋敷には術が仕込まれている可能性があることを突き止めた。
敵の動向、目的など、不明点が多くある依頼だが、情報屋だけあって、シエルの情報は正確である。
●情報精度
このシナリオの情報精度はEです。
無いよりはマシな情報です。グッドラック。
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