我執の剣、折れ果てる迄

オープニング

●
　――その矜持に、どれほどの理由があったのかなど、疾うに忘れてしまった。
　戦場で培われたものか、あるいは他者の想いに沿うたからか。最早根幹を失した誓いはしかし、今も私の意識を永らえさせている。
　……例え、自らの身が朽ちようとも。

「――――――悲を」

　怨霊と成って、経った年月は如何程か。
　記憶は削げ落ち、感情は徐々に消え去り、最早唯本能の儘に生きる餓鬼にすら成り果てよう我が魂を、しかし、未だ繋ぎとめるものがある。

「強者に、敬意を」

　或いは。
　この楔すら捨てて、消えゆく己に恐怖する現在から解き放たれることこそが正しいのではないかと、そう思うこともある。
　そう、思うたとて――それが無為な仮定だと、自らを嘲笑う結果にしか、なり得ぬのだが。

「弱者に、慈悲を」

　望みがあった。それは既に忘れたけれど。
　救いを求めた。救うべき己も忘れながら。
　ただ、唯。今も覚えていることは、戦いの中で、この身を費やしたいという願いだけ。
　……抜き身の刀を、ぎりと握る。
　固い感触。まだ感覚は、思考は生き続けている。
　ならば、己は未だ待つことができる。

「強者に敬意を、弱者に慈悲を」

　月下の森にて、揺らぐ我が身は未だ果てを見ず、また見ようと思うことすらない。
　例え我執と呼ばれようと、それが此の魂に宿る、最後の一分なのだから。
　故にこそ、今も――――――己は、その時を待ち続けている。

●
「村の皆はなあ、其処を暗がりの森って呼んでるんだ」
　某日。
　カムイグラの小さな村から依頼を受けた『Black wolf = Acting Baron』ベネディクト＝レベンディス＝マナガルム(p3p008160)は、現地で暮らす村民の家に赴き、詳細な説明を受けていた。
「夜になると木々が邪魔して辺りが全く見えねえ。唯一、満月の日には多少の明かりが差し込むけどよ」
「其処に住む怨霊の討伐が俺たちの依頼……だったな？」
　問うたベネディクトに「おう」と頷いた村民は、次いでその『討伐対象』に関して説明する。
「暗がりの森の出口近く、丁度俺たちの村が見えるあたりの場所には、ずうっと前から刀を佩いた亡霊が居てなあ。そのお人を退治してほしいのよ」
「……？　因みに、村はその怨霊からどのような被害を？」
　語り口に含まれた、亡霊に対する敬意のような感情に、ベネディクトが続けざまに質問を行うが――それに対し、村人は頭を横に振った。
「何もねえ。と言うのも、そのお侍さんは俺たちを襲わねえんだ。
　あのお人が『戦いを申し込む』のは、明確に得物を持ってる奴だけよ。農具を持ってるだけの俺たちなんざ歯牙にもかけねえ」
「………………」
　ならば、何故。
　視線だけでも雄弁に語っていたのだろう。村人は苦笑しながら、言葉ならぬ問いを向けるベネディクトに三度答えを返す。
「あのお人の不気味さもあってか、うちの村は一度も野盗やなんかの襲撃を受けたことはねえ。
　本人にそのつもりが無かろうが、あの人は俺たちにとっての守り神みたいなもんだった。……数日前まではな」
「数日前？」
「……『崩れて』来てるんだ。あのお人は」
　差し出された緑茶で唇を湿らせたベネディクトの動作が、其処でぴたりと止まった。
「ここ数日、調子が悪いみたいでな。尤も、それが完全に消えることを指すとは限らないんだろうが……」
「そうであるのなら、せめて最期に本懐を叶えてやろうと？」
　頷く村人。その瞳をじっと見つめるベネディクトが、胸中で何を思うかは村人の側には分からないが、しかし。
「一方的に利用するだけの関係でも、俺たちがあのお人に世話になったのは確かよ。
　その末期に恩も返せねえようじゃ、先祖代々村を守ってくれた相手に対して余りにも失礼ってもんだ」
　アンタたちを巻き込むようで悪いが、と続けた村人に、頭を振ったベネディクトは、依頼を承諾する意を伝えて村人の家を出ていった。

　家を出た時は既に夕刻。
　村人が『暗がりの森』と呼ぶ其処は、未だ陽の沈み切らぬ今現在に於いて、成程確かに一足早い夜を訪れさせている。
「………………」
　その一点と、視線が合った。
　黒く、色がついた霞をかき集めたようなおぼろげな輪郭。ともすれば幻覚とも間違えそうなその存在から、ベネディクトは確かに問いを向けられた。

　――強者に敬意を、弱者に慈悲を。汝は何れか。

「……望むところだ」
　それに対し、今は明確な答えを避けたベネディクトは、亡霊に背を向けて仲間の元へ向かう。
　全ては、この強敵と相対するため。
　そして、差し向けられた問いへの答えを、己が実力を以て証明するがために。

参加者 : 8 人

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参加者一覧（8人）

リプレイ

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　夜風に音は無い。
　夏夜に緩く流れるそれは森林を近くにする為か奇妙に冷たく、それ故にそこに居る特異運命座標達は微か、身を震わせた。
　否、或いは。
「一人の侍の成れの果て、か」
　これより相対する敵への、思いの丈が故か。
『倶利伽羅剣』夜式・十七号（p3p008363）が眇めた瞳の先には、件の依頼にあった森林が在る。
　その先には、討伐対象――通称『朧武者』が位置しているはずで。
「如何してそうなったか推察する余地はないが、それでも慈悲などなく相対する事こそが敬意と言うモノだろう」
「ええ。何より、その気高き信念が今、腐り果てようというのならば尚の事」
　応えた彼岸会 無量（p3p007169）が、微か、祈るように手を組んで言った。
　手にする『鬼渡ノ太刀』の硬質さを確かめた彼女が、先んじて森に向かう歩を重ねれば、それまで吹いていた風がぴたりと止む感覚を得た。
「――――――貴方が」
　じりと、進む足が揺らいだ。『虚刃流直弟』ハンス・キングスレー（p3p008418）が、森の入口に佇むような姿で現れた不定形の闇は、徐々に太刀を佩いた武者の姿を形作っていく。
「ふむ。やる気十分と言ったところか。
　戦意は個人的にはない。戦いに臨むという意志はない。自分はただ、彼らに炬燵に入って寛いでもらいたいだけなんだが……」
『人を駄目にする炬燵』万能炬燵（p3p007480）が困った様子で声を発する。
　この戦場に於いて、ミカンを置いた炬燵が動き、喋る様は中々にシュールである。万能炬燵自身それを自覚していながらも、この場に集まった以上はとそれ相応の姿勢を見せ始めた。
『……きょう』
　呟き始めた姿が、ぐらりと揺らいで僅かに崩れた。
　それはすぐさま元の形を取り戻したが、その在り様が最早先の長くないことを示しているのは疑いようも無く。
『しゃに、敬意を。
　弱者に、慈悲を。強者に――』
「……フン、僕君は捻くれているからね。鼻につく台詞にしか聞こえないよ」
　鼻を鳴らした『群青紳士』リドツキ・J・ウィルソン（p3p000766）が、不機嫌そうに言葉を返した。
　無理からぬことだろう。科学に因らぬ相手。無聊を慰める『対象』も仲間内に居ない彼にとって、今回の依頼はどうにもモチベーションと言うものからははるかに遠い。
　……それでも、彼はせめて、朧武者から目を離すことだけは無く。
「成り果てた末路、僕君達しか見届けられないようだから見てあげる」
「……うん。彼らが本懐を果たせるように、気持ちだけでなく、戦術も全力で」
　それが、依頼を出した村人たちの願いだからと、マルク・シリング（p3p001309）が言葉を継ぐ。
「――村を守ってくれて、ありがとう」
　そうして、その一言を。
　この朧武者の意図するところではないにしろ、その存在によって災厄から守られてきた村人たちの想いを、彼は代弁しながら杖を構える。
　その刹那、影が、散らばった。
　相対する八つの特異運命座標。それに応えようと、同じ数に分散した彼らはそれぞれが全く同じカタチを取って、特異運命座標達に向けて太刀を構えた。
「……グルルル……」
『煌雷竜』アルペストゥス（p3p000029）が唸る。唸って、満身に雷光を蓄えた。
　片端から、空へ還そう。意図は咆哮よりも雄弁に、その戦いに臨む姿勢こそが示していて。
「神使、ベネディクト＝レベンディス＝マナガルム──いざ、尋常に」
　そうして、彼が。
『Black wolf = Acting Baron』ベネディクト＝レベンディス＝マナガルム（p3p008160）が、誰よりも静かに、けれど風音すら消えた静寂にこそ、寧ろ朗々とすら響くような声音で、言った。
『………………参る』
「――――――参る！！」

●
　戦闘開始と同時、特異運命座標達が暗視用装備を起動し、或いはスキル等の効果によって光源や視界を確保する。
　闇夜に於ける視界の不利を補った彼らの内、真っ先に動いたのは――ハンス。
「『思考とは体幹なり。 自信とは刃なり。 空想は真実となり。』 ……虚刃流の真髄、僕は未だ至らない」
　スキルの効果によって燐光を伴う蒼翼は、さながら天使にも似ている。
　けれど、それを。偶像の似姿であることを、他ならぬ彼自身が否定する。
「けれど貴方がその本懐を果たすと言うのなら、思いっきりをぶつけてあげる」
　降り注ぐのは祝福に在らず、振りかぶる脚甲から叩きつける鋼の驟雨。
　陣形を整えるであろう前に打ち込んだ初撃はそのダメージ量からして悪くはない。尤も、当たればの話だが。
『未だ、浅い』
　霧影剣、霞取り。
　脚甲から成る術技を受け止めた剣がずるりと霧散し、その一撃を丹念に吸い込んでいく。
「……えー、聞く耳持たんのか。戦いを忘れて寛いでも良いじゃないか」
　ぱたぱたと自身の炬燵布団を翻しながら、名乗り口上での攻撃誘導を行う万能炬燵も、その効果が思ったほどではないことに気落ちしながら言葉を放つ。
　もとより命中が高く、尚且つその精度を回避に転用できる朧武者の防御は特異運命座標達の予想を上回っていた。同様に名乗り口上を挟んだベネディクトも、それに釣られた唯一の敵に対して僅かに臍を噛みながらも短槍を構える。
「その魂の剣──引き受けよう、来い！」
『意気や、良し』
　応えた刃が、構える槍を抜けて身を劈く。二次行動を介して撃ち込まれた刺突は易しくない傷だが――しかし。
「逸るなよ。これは一対一の仕合などではない」
　それを補う者は、確かに居るのだ。
　幾らかの遅れを挟みながら、黒狼の騎士に並び立つのは二人。マルクと、十七号。
「援護は任せて。守りは預ける――――――！」
　最低限の言葉を後に、言祝いだ詠唱が閃光となって朧武者たちを灼いた。
　後衛型であるマルクが十七号によるカバーリングを受けるにしろ、前衛に出て範囲攻撃を行う意義は大きい。名乗り口上による誘導が奏功しない現状、一か所に固まらない敵をそれでも一定数巻き込める遠距離範囲攻撃はこの場における確かなダメージソースだ。
　無論、相手方とてそれを甘んじて受けるばかりではない。
『――取った』
　短音。其れのみを呟いた朧武者の一人が呟けば、薙がれる軌道が無量に描かれる。
「……っ！！」
　声音は、ひゅうという呼気に取って代わった。
　戦装束を経てなお並々ならぬ衝撃。確かな手応えを捉えた朧武者に、しかし。
「……強者に敬意を、誇りに慈悲を」
　外三光。不完全な残心の隙を縫って影の身体に刃を差し込み、無量がその姿を真っすぐに見つめる。
　欠損する身体。それを補うこともせず、揺蕩う身体が再度、刃を構え――
「ガァアアウッ！！」
「！！」
　其処に重なる、咆哮。
　意図を察した無量が跳ねれば、先刻まで立っていた位置を含めて、朧武者が直線状の雷に身を叩かれる。
　長射程と一定の効果範囲を持つアルペストゥスのライトニングは、名乗り口上によるドローイングがさして成功しなかったこの状況では辛いものがある。
　精々一、二体。或いは単体対象に絞ってのナイトメアバレットに移行せざるを得ない遊色銀の竜は、忸怩たる心境を少なからず抱いている。それでも――
「生憎、僕君にはこれしかできないものでね……！」
　リドツキが、笑いながら言った。
　拳銃が幾度も弾を発射する。微々たる、しかし実体ならざる影に確実な穴を幾つも連ねる彼は、動きの鈍った朧武者に対して尚も声をかける。
「その魂に未だ刻まれた何か……矜持が残っている内に、
　村人達に守り神（いいひと）と思われたまま逝きなよ『朧武者』」
　それは、同情ではなく、慰撫でもない。
　けれど、何処までも確かな、彼自身の本心ではあった。
『……未、だ』
　しかし、朧武者はそう呟く。
『未だ、未だ、未だ、未だ、未だ。
　その刃は我が身を拉がせるか、我が太刀は汝らを打倒せしむるか』
　力の伴わぬ意志には、『彼』にとって、何の価値も無いのだと。
『未だ、半ばよ』
　居並ぶ朧武者たちが、そう言って太刀を構え直した。
　戦いは、なおも続こうとしている。

●
「全く、重労働だ！」
　戦闘は半ば長期戦の様相を呈している。
　リドツキが叫びながら弾を込め直した拳銃を構える。幾度となく風穴を開けた朧武者達は、未だ倒れる気配を見せない。
「村人のおちびちゃん達とお茶でもさせてもらわなきゃ割りに合わないよ、本当に！」
　……正確には、彼らは敵が倒れないように調整しているのだが。
　それは、特異運命座標たちが此度の戦いに於いて定めた戦法が故だ。
　敵は自身の個体数が減るたびに、残った個体のステータスを総じて強化させる特殊スキルを有している。
　そのため、少なくとも目に見えて疲弊、あるいは負傷した敵に対しての攻撃を控え、敵個体を総じて弱らせた後、一気に叩くことで順当な強化を食い止めようという算段だ。
　敵の強化度合いに対する警戒を深めた特異運命座標たちが取ったこの作戦が明確に実を結ぶかという問いに対する結論は――少なくとも、彼らが考えていたほどの効果を見せてはいなかった。
「――――――っ」
　こぽ、という音とともに、ハンスの口腔から血がこぼれた。
　剣を振るう朧武者は、それに僅かな愉悦も見せない。未だ倒れぬ敵に対して警戒を緩めることもない相手に、傷んだハンスもまた怯むことは無く。
「っ、ハンスさん！」
　叫び、マルクが放つのは単体を対象とする大天使の祝福ではなく、複数を対象に取るサンクチュアリ。
　それがつまり、現状、彼らが相対する苦境の原因を示している。
　個体が削られる度に発動する強化スキルは、なるほど確かに個のスペックや攻撃の威力に於いて特異運命座標たちが警戒すべき存在となりうるであろう。
　ならば、その逆。今この状況のように、複数を一気に倒すという戦略に於いて警戒すべきは、『その時』が来るまで削られることのない相手の手数だ。
　ベネディクトや万能炬燵はこれに対処する手段として名乗り口上での誘導を考えていたが、想定よりもその効きが悪いことが仲間たちへの被害を拡散し続けている。
　見事というべきは、そうした事態を最初から考慮のうちに含んで多数へのリカバーを可能としていたマルクと、
「……ガゥ……！」
　自身への攻撃を最初から無視する算段で、それでも元の作戦に従事するアルペストゥスだ。
　作戦の陥穽や敵の埒外の行動等、「起こりうるあらゆる展開」を想像することは容易で、仮にそれらすべてに対する「念のため」を考慮しすぎることは、単なる行動指針の散逸になりかねない。
　だが、それと「現状の作戦に不備があった場合、こうなりうる」という確実な想定を一点に絞って対策を立てることは、まったくの別だ。
　幾重にも刻み付けられた刀傷をものともせず、撃ち放ったナイトメアバレット。膝をつけども消えるには至らぬ朧武者は、これでおそらく半数を超えた。
「『削る』ぞ！」
「早めに頼もうか。マッサージを介さん相手は本当にやり難い！」
『触手流超按摩術』による格闘を以てしても、朧武者が相好を崩すことはまるで無かった。
　致し方なしと撃ち込んだ魔砲が、敵の体力を精緻に削る。相性があまりにも悪い相手に悲鳴のような声を返した万能炬燵に、ベネディクトが一瞬、苦笑して――短槍を振りかぶる。
「砕け、ろッ！」
　外套の下、全身の筋肉が隆起した。
　強弓も、或いは銃弾、砲弾すら追い越す初速。ガルムと名付けられた戦技が、射線上に位置する三体の朧武者を塵芥に化した。
『――――――見事！』
　吼え、上段に構えた朧武者の姿が、臨む者たちの目には倍ほどにも膨れ上がって見えて。
　気圧される、それを覆い隠そうと構え直す無量の挙動が、刹那、遅れた。
　衝撃は、別の場所で二度。苦悶も同じ数だけ。
　地に屈しながらも片腕を裂いた無量と、唯屈さぬことだけを自らに課し、未だ立ち続ける十七号が。
「……貴方は確かに強者であったのでしょう」
　なればこそ。立ち上がった無量が、届くことを願って言う。
「強者に慈悲を。
　その為に、救いを」
　語る彼女の前に立つ朧武者は、それを聞いたか否か。
　二次行動。無量の挙動を待たずして、再度の刃が振り下ろされた。

●
　刹那、パンドラが砕ける音を聞く。
　倒れる運命が転変した。それを理解した十七号は、自らが限界を超えていることなど疾うに理解しながら――それでも、退くことはない。
戦闘はさらに時間を経過させる。残る朧武者は二人。万能炬燵とベネディクトを狙う一体ずつのみだ。
　それでも、その二体こそが艱難。
　リドツキの弾丸も、万能炬燵の触手も、振るう一刀に絡め取られては刎ね飛ばされる。最早並大抵の攻手をものともしない。加え、其処に暴威が組み合わされば。

　――弱者に慈悲を。

「巫山戯る、な……！」
　聞こえた幻聴を、十七号が否定した。
　見下されるのは嫌いだ。立ち続けられないことは、もっと嫌いだ。
　折れぬ剣であることを誓った。その果てに希う人が居ると信じるからこそ。
　けれど、それでも――鳴呼。
　刃は止まらない。打ち拉がれる身体。
　大天使の息吹が僅かに賦活を与え、今一度持ち直したうちに仲間が少しずつ残った敵の体力を削るが……足りない。
『……哀れな娘よ』
　彼女の意識が途絶える瞬間、確かに、朧武者はそう言った。
　力を矜持の奴隷とし、矜持を力の踏み台にして、その果てで見えるものを貴ぶ仲間は何処にいると。
『弱者に、慈悲を』
　気勢が微かに緩む。その隙を逃さじと、マルクが魔光閃熱波で影の身体を散らした。
「彼女は哀れじゃない。自らの役割を、理解していただけだ」
　そして、それは自分も。
　ベネディクトの怒りを抜けていた朧武者は、次いで庇い手を失ったマルクに刃を向ける。
　リソースを使い切った自身が倒れることにより、敵の弱体化を狙う。其処までを計算のうちに入れていたマルクが、眦を屹とする。
「……少なくとも僕君は、貴様がしたことは決して、全部が無駄ではないと思うがね」
　戦況は最早佳境だ。
　倒れる者が居た。運命を翻す者も当然。それに応じて朧武者も数を減らし、その身を大きく損なっている。
「貴様の本懐を叶えようと、誰かが後押しをしてくれる程度には――！！」
　言い切って突出するリドツキが、次いでフリーオフェンス。
　刃を向けた先は、ベネディクトとマルクを相手取る其れとは異なるもう一体。
　ギリギリまで万能炬燵による誘導を受けていたその個体は、住処である炬燵を幾度も切り付けている。その間隙を突いた一撃によって、受けた相手の態勢が傾ぎ、其処を畳みかけるように、ハンスが叫ぶ。
「その魂の終わりに、せめてもの餞を――喰らってみなよ我執の亡霊！」
【空踏】、そう言った彼の足から、幾多の飯綱が射ち出された。
　構えた朧武者。一つを折る。一つをいなし、一つを弾く。けれど、そこまで。
　降り注ぐ雨を躱せるものが居ないように。次々と落ちる真空の刃を、朧武者は最早唯受けるのみ。
　崩れて、砕けかけた身体。けれど、あと一歩を動ける程度の余力を残す『彼』は。
「……我が身は刃、我が身は剣」
　さあ、どちらかが倒れるまで。そう言って笑う無量に、最後の刃を向ける。
　上段から振り下ろされた刃が、胸骨を砕いて心臓を潰した。
　その後に、「そうならなかった」。消費されるパンドラ。がら空きとなった態勢を狙う無量に、対する朧武者は、唯瞑目を以てのみ返す。
「……次は真っ当な人生を送るよう祈る。マッサージの名誉挽回もしたいしな」
　霧散する個体に、パンドラも併せて疲弊しきった様子の万能炬燵が呟いた。
『……強者に敬意を、弱者に慈悲を』
　そして、残された一体が、そう呟く。
　連なった言葉は二つ。それはつまり倒した相手が居たことと、倒された仲間が居たことを意味する。
　地に倒れたマルクを挟んで、一歩分の向こう側。双槍を携える黒狼は、訥と。
「……村人は感謝していたぞ。
　そちらが意図的に行っていなかったとしても、な」
『……僥倖』
　最期の言葉は、それだけ。
　最初に動いたのは朧武者だった。力任せの袈裟斬りは、一刀と思える軌道に二次行動、三次行動の追撃を孕んでいる。
　もとより高命中の相手、躱すのは至難だった。威力、精度、その何れも突出した相手に、十七号が倒れて以降負傷の重なっていた身体から遂にパンドラを費やさせる。
「……俺が求められている強者であるかは解らん」
　だから、ここからが本番。
「だが、この戦いに望むにあたって俺自身に誓った事は──最後まで、その剣を、その宿った想いをこの身体に、心に刻む事だ！」
　返す刀に技量は要らない。自身が傷むのも気に留めず、『グロリアスペイン』を振りかぶった後、ギガクラッシュが朧武者の身体を強く叩く。
　揺らぐ身体、霧散する身体、だが、だが。
『……取った』
　一度は聞いた言葉。それが再び聞こえた時、彼の身体もまた、地に叩きつけられる。
「……グルルル……！」
　其処に、仲間が居なければ。
　相互の斬り合いの後、介入したアルペストゥスがベネディクトに代わってその剛剣を身体で受け止めた。沈む友の身にベネディクトが強く歯を食いしばり、残る力をその腕に籠めて。

　――見事よ、と。安堵を交えた声の後。
　夜の森に揺蕩う闇は、最早、何者の意志も湛えてはいなかった。

成否

成功

ＭＶＰ

なし

状態異常

あとがき

ご参加、有難うございました。