PandoraPartyProject

シナリオ詳細

ふじゅぶしゅ

完了

参加者 : 8 人

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オープニング

●悦楽パンデミック
 もう日も暮れて、明日も早くから仕事があるというのに、村の中はまだ明かりが灯っている。
 騒ぎ声に笑い声、それに混じって、下手くそなリュートと調子っ外れな歌声が聞こえてくる。だがそれに、誰も文句を言わない。普段なら、遅くまで酒を飲んでいれば女房連中が黙っては居ないというのに、今夜に至ってはその『カカア』達もどんちゃん騒ぎに混じっている。
 今日は特別だ。普段は質素に暮らしている小さな村でも、こんな日ばかりはハメを外して良い。
 今日は結婚式。村の若い者が、一人前と呼ばれるその第一歩を祝う日だった。
 こんな日の為に肉を焼き、村長が溜め込んでいる酒瓶を何本も開けさせて。げたげたと笑いながら、未来が明るいことを願うのだ。
 だというのに。
「こんな日に見張り番ってのは、ついてねえよなあ」
 村の入口、何もないと言えば本当に何もないそこで、しゃがみこんではため息を付いた。
「仕方ないだろう。あんなことがあったんだ」
 わかっている。それはわかっている。
 今日の日の為にと、村の漁師が森に狩りへ行ったときだ。その中で熊の死体を見つけたそうだが、そいつには目と耳がなかったらしい。
 単に事故か何かであればいいが、おかしな魔物でも現れればことだ。かと言って結婚式を延期しようと言うほどの危機感もなく、こうして交代で見張りを立てておこうということになったのだ。
 その役目に選ばれた男手からすれば迷惑な話である。
「せっかく、夜通し飲めると思ってたんだがなぁ。残り物の冷や飯で我慢かよ」
「言うなよ。せめて酒が残ることを期待しようげほっ、げほっ」
「おいおい、風邪……大丈夫か?」
 見れば隣で同じ様に貧乏くじを掴まされた相方が、身体をくの字に降り、激しく咳き込んでいた。
 慌て、その背をさする。急にどうしたというのか。
「えほっ、えほっ……いや、大丈夫だ。ふじゅぶしゅただけさ」
「……え、なんだって?」
 咳き込んでいて喉が変になっていたのだろうか。彼が何を言ったのかよくわからなかった。
「ふじゅ……大丈夫だ。それよりも、なあ。どこかに落ちていると思うんだよ。探してくれないか?」
「……何を落とし、ひっ」
 顔を上げた男に思わず悲鳴をあげてあとずさる。彼の両目には眼球がなく、代わりに何かが混じった黒い液体が流れていた。
「なあ、落としたんだよ。ふじゅぶしゅ。探してくれじゅぶしゅ。なあ」
 混じっているものは口だった。唇と舌と歯。それらが合わさったものあ黒い液体に混じっている。いくつもいくつも混じっている。それらが笑って、歌うように、賛美するように、讃えるように。
「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」。
 思わずこみ上げた吐き気を懸命に抑え込む。いつの間にか、相方だった男も、流れ出る口と同じことしか言っていない。
 逃げなければ。そして伝えなければ。今もこの異常を知らずに、祝福で盛り上がる彼らにこれを伝えなければ。
 後ろを向いて走り出す。いつもならもっと早いはずの脚が、この時ばかりは何とも鈍重に感じられた。
 村酒場の扉を開く。肩で息をしながらも、使命だけは果たさねばと言う気持ちでいっぱいだった。
「逃げろ……逃げろ!! わからないが、おかしいのが、来るんだ!」
「おや、ジョージじゃないか。お前見張りはどうしたんだよ。ああ、そうだ。せっかく来たならちょうど良かった。お前も探してくれないか?」
「そんなことしてる場合じゃないんだ! 逃げないと、逃げ、ひっ」
 焦りと混乱のせいか、ジョージは気づけていなかった。酒場の中であれだけ奏でられていた祝福の歌が、まるで聞こえなくなっていることに。代わりに、別のものがずっとずっと繰り返されていることに。呑気な声を出した彼の眼窩から、黒い液体が流れていることに。
「そう言わずにさあ、ふじゅぶしゅを探してくれよ。どこかにあるはずなんだが。おっと」
 男の耳がぼとりと落ちて、そこからも黒い液体が溢れ始めた。酒場の中も、誰も彼もが同じような状態だった。何かを探しているようで、その内、「ふじゅぶしゅ」としか言わなくなる。耳と目をなくし、口からも液体を垂れ流しながら。笑っている。ずっとずっと、結婚式みたいに笑っている。
「い、い、嫌だ。なんでこんな。おえっ、げほっ……ッ」
 思考が纏まらない中、ついに胃に溜まったものを吐き出してしまった。それが恐怖の最大であり、最終なのだと知る。吐瀉物は黒く、そこには無数の口が混ざっていた。
 自分が自分でなくなっていくのを感じる。これと同じものになっていくのを感じる。耳が落ちた。液体が溢れてくる。それを抑えようと懸命に手のひらで抑え込んだ。気分が高揚していく。楽しくてたまらなくなっていく。それがなんともなんとも恐ろしい。自分はどこだ。自分はどこにあるんだ。こいつらになりたくない。自分をどこに落としてしまったんだ。
「探してくれ。探してくれ。きっとどこかに落ちているんだ。さgfじゅぶしゅ。どこkふじゅぶしゅ。ふじゅぶしゅ。ふじゅぶしゅ――」

●澱みランプ
「ふじゅぶしゅが発生したので、対処に行って欲しいッス」
 その日、集まったイレギュラーズに対し、『可愛い狂信者』青雀(p3n000014)が言ったそれはいまいち聞き覚えのない単語だった。
「あ、えっと『ふじゅぶしゅ』っていうのは、こう、んー……現象ッスね。聞いたことないッスか? 憎しみとか、悲しみとか、負の感情が起きると、それが塊になって良くないものになってしまうことがあるって」
 それなら合点がいく。生物の精神の有り様は様々だ。そういうものが澱みになることで生物の形や、減少になってしまい、害を成すものに果てる。そういう話は稀に聞く。
「『ふじゅぶしゅ』は楽しいという感情が凝り固まって発生する現象ッス。発生すると周辺の生物を巻き込んでふじゅぶしゅと言う現象に取り込み、徐々に拡大していくッス」
 それは何とも、理不尽を感じる話だ。楽しい、嬉しい、そういう正の感情を餌に災害が起きるとなると、元を断ち切ることすらできない。
「対処法は簡単ッスけどね。このお香を、発生地点に設置するだけッス。発生地点は黒い靄みたいになってるから、すぐ分かるッスよ」
 そう言って、彼女は奇妙な形の香炉を置く。刻まれた模様は見ているだけで目を背けたくなるが、きっと本能によるものだろう。あまり長時間眺めたりしない方が良さそうだ。
「ふじゅぶしゅが収まれば、巻き込まれた人達も元に戻るッス。でも、広がりすぎると手がつけられないようになるので、即急にお願いしたいッス。じゃ、頼んだッスよ」

GMコメント

皆様如何お過ごしでしょう、yakigoteです。

結婚式を行っていた小さな村で、『ふじゅぶしゅ』という現象が発生しました。
村内にある発生源を解消させることでこれは収まります。
この事件を解決してください。

【用語集】
■ふじゅぶしゅ
・『楽しい』という感情が澱みになることで発生する現象。生物の中で拡大し、無数の口が混じった黒い液体として増長、外部へと漏れ出してくる。この液体に体内を埋め尽くされると自分はふじゅぶしゅであると錯覚するようになる。また、感情が『楽しい』以外のものに切り替わらなくなる。ふじゅぶしゅになったことで死亡することはないが、ふじゅぶしゅになっている間、自我は消滅する。
・村内ではふじゅぶしゅになった村民が今も日常生活を続けている。これまでとの違いは、「ふじゅぶしゅ」としか喋らない。常に笑っている。ふじゅぶしゅでない生物を認識すると積極的に自分と同じものにしようとする。等があげられる。
・村内に居るだけでふじゅぶしゅに取り込まれる危険性が上がっていく。ゲーム内処理としては行動順が回ってくる毎に【防御技術】か【特殊抵抗】の高い方で判定を行う。これに失敗すると【自身の最大HPの(N+5)割】のダメージを受ける。Nはこのシナリオ中、この判定に失敗した数である。この判定難易度はターン経過で徐々に上がっていく。
・村民はイレギュラーズを発見すると積極的に接触を試みる。最初は有効的に。いずれは走り、這いずり、しがみつくように。ふじゅぶしゅにより発生した黒い液体に触れていると上述の判定難易度が上昇する。
・村酒場にある黒い靄の中に『悲哀香炉』を設置することでこの減少は霧散する。この『悲哀香炉』は出発前に1つ、手渡されてる。
・この現象が解決すれば、ふじゅぶしゅになっていた人物は全員が元に戻る。ただし、ふじゅぶしゅ以外で発生した損害についてはこの限りではない。

■悲哀香炉
・ふじゅぶしゅを解消するためのアイテム。
・側面の模様を長時間見ていると気分が悪くなる。

【シチュエーションデータ】
・中規模程度の村。
・昼間だが、妙に薄暗い。
・村民は普通に生活している、ように見える。


・お気をつけください。

  • ふじゅぶしゅ完了
  • GM名yakigote
  • 種別通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2020年02月05日 22時40分
  • 参加人数8/8人
  • 相談7日
  • 参加費100RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)
社長!
鶫 四音(p3p000375)
カーマインの抱擁
シフト・シフター・シフティング(p3p000418)
白亜の抑圧
ウェール=ナイトボート(p3p000561)
永炎勇狼
ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
不遜の魔王
ジル・チタニイット(p3p000943)
薬の魔女の後継者
メリンダ・ビーチャム(p3p001496)
瞑目する修道女
ウルリカ(p3p007777)
高速機動の戦乙女

リプレイ

●蔑みアウトライン
 現象には成否を判定する心がない。物理現象は物理的要素でしか覆せないのと同じ様に、神秘現象は神秘的要素でしか翻らない。そうなればそうなるという経過と結果が一貫したものでしかないのだ。よって、現象には感情の分類も正負も優劣も存在しない。それは誰かあるいは誰それか言葉を取捨選択するという知恵を身に着けたものが取り決めた事柄に過ぎない。

 今年は思いの外暖かく、過ごしやすい冬であるのだと、そんな会話をしたことが記憶に新しい。
 特にその日は雲のひとつも見当たらず、風も吹いていなかったので、見上げれば自己主張の激しい太陽が初夏のごとく輝いていた。
 少し汗ばむほど。しかし季節柄か、虫の姿はなく、目的地までの道のりで何のトラブルもなかった。一見、本当にのどかだ。何か異常が起きているなど感じられないほどに。しかしそれが、生き残る術に長けた彼らの警戒心を引き上げていた。
 何もなさすぎる。何かが平穏を装っているかのようだと。絵に書いたような静けさなのだと経験がアラートを奏でていた。
「楽しいのは大好きだぜえ。ゴブリンってのは遊び好きで刹那的な生き物なんだ」
 そういう捉え方をすれば、何も楽しいことが正しいものではないのだと『緑色の隙間風』キドー(p3p000244) 。
「そう、正の感情ってのは刹那的なモンなんだ。しょっちゅう競ロバでスってるからわかる。超わかる」
 ちゃらけているようで、中々に的を射ているのかもしれない。楽しくて笑うという感情はきっとより細分化できるもので、手放しに喜べるものではないのだろう。
「んー、これはホラー。つまり怖い話ということですね?」
『カーマインの抱擁』鶫 四音(p3p000375)は平穏過ぎる道のりの中で報告された異常を反芻していた。
「それとも自我の喪失した人間の行動を何かの皮肉に捉えるものでしょうか」
 まるでこれからフィクションを手開くような気楽さで四音は言う。あらすじだけを見て購入した書籍を抱えた帰り道であるように。
「なにはともあれ解決できるなら良いですね」
「楽しいとは、満ち足りる事である」と『白亜の抑圧』シフト・シフター・シフティング(p3p000418)は頭上の同居人を撫でながら言う。なぁごと、平穏を深めるような声が聞こえた。
「しかしながら本機は『それ』を理解しない。いや、そうでは無い……本機は機械、何れ程ヒトに近しくとも本機がアクセサリである事に変わりない、である」
 意思が、心が、情緒が、魂と呼べるものから来ると仮定すれば、ではあるだろうが。
 毛先がざわついていると、『守護の獣』ウェール=ナイトボート(p3p000561)は一見静かに見えるこの瞬間に、不穏なものを色濃く感じ取っていた。
 何かがこちらの様子を伺っているような、日常に溶け込もうとしているかのような、言葉で何がどうと説明できるものではないが、そういう不自然さが漂っているのだ。
「……混沌には面倒な現象が多い気がするな。綺麗なもんやいい現象もあるが」
 それが人に牙を剥くのだから、尚更だろう。
「やはり恐怖は好い。喜びとは違い悦びを齎す。されど『悦楽』は解いた側の連中だ。我々は震えながら『負の感情』に苛まれるべきで、未知とは本来主人公に降り注ぐべき混沌なのだ。Nyahaha――――掻き拡げ、どこに奥底を見つけたか」
『果ての絶壁』オラボナ=ヒールド=テゴス(p3p000569)は心持ちの異変を感じ取り、しばらく見つめていた悲哀香炉から目を離した。
 これ以上視界に入れるべきではないだろう。
 鼻とか、耳とか、口とか、そういうところからどろって出てくるらしい。眼の玉とか押し出してどろどろ出てきちゃうらしい。
 過去に起きた『ふじゅぶしゅ現象』の資料を黙読し、『シルクインクルージョン』ジル・チタニイット(p3p000943)は眉根を寄せた。
「うぇぇ……現象としては興味はあるけど液体採取は遠慮するっす」
 人を取り込み、広がっていく現象。生物的なものではないという意味不明さが一層の気味悪さを掻き立てていた。
「なんだか面白いことになっているみたいね」
 目を閉じたまま、『瞑目する修道女』メリンダ・ビーチャム(p3p001496)はひとりごちる。
 悲しみや憎しみが不穏なものを呼び出すのなら納得もできようが、楽しみ喜びすら害悪になるのであれば、混沌の不条理は相当に根深いものだ。
「『楽しい』以外の感情が無くなってしまったら、私やオラボナさんみたいな『恐怖』の専門家は商売あがったりだわ。これ以上広がってしまう前に手を打たないといけないわね」
「ふじゅぶしゅ。この世界には奇妙な現象があるのですね……」
 ウルリカ(p3p007777)自身、あまり理解は出来ていないが、感情の機微というものについての知識くらいは持っている。
 楽しみというのは本来、それそのものを糧に、あるいは目標として生きるエネルギーになるものであったはずだ。平常、それでさえも溢れかえれば悪質な腫瘍のようになるのだなどと、皮肉も良いところだ。
「彼らの言う、失くした物はなんなのでしょうか、少し、気になります」
 もう少し。目的地まで、あと数えるほど。遠目にはもう村が良いあたりで、彼らはじわりと滲んだ汗が急激に冷え込むを自覚した。
 喉から異物を流し込まれたような嫌悪感。脚にも腕にも胴にも見知らぬ誰かがしがみついている錯覚。それらを共通の認識として受け取り、否応なく心臓が早鐘を打つ。
 思わず口元に手を当てた。鈍い吐き気が強まっていく。
 頭を抑えてうずくまりたくなるが、精神力だけでそれを堪えた。
 気を抜けば歯の根が鳴りそうだ。目尻が歪んでいく。口の端が釣り上がるのを抑えられない。横隔膜が震えたいと訴えている。
 これは危険だ。漏れ出そうになるそれを諌めながら誰かがつぶやいた。
 同感だ。このままでは脳が汚染されていく。今現在ですら侵され続けている。嗚呼、嗚呼。きっと今、私は笑っているのだろう。

●ファニー奈落
 負の感情が凝り固まると良くないことが起きると、どこかの術者が言っていた。正確ではない。特定の感情が凝り固まったことで決まった現象が発生したというのが正しい。悲しいという感情ではなく、怖いという感情ではなく、憎いという感情ではなく、数値的なパラメータに当てはめた際、ひとところの数値が膨れ上がればそれは現象として物理的な意味を持ち始めるのだ。

 川の水で洗った洗濯物を、物干し竿にかけていく。綺麗になった布にびちゃりと黒い液体が付着したが、何のことはない。
 液体を泳ぐ口が笑っていて少しやかましいくらいだが、なあに、楽しいのは良いことだ。それに、笑っているのはこちらも同じことだ。誰だって誰だって笑っている。こんなにも楽しいのだから、笑っていない方がおかしいじゃないか。
 洗濯物を干し終えると、家の中に戻る。弟がお腹を空かせはじめていることだろう。早くなにか作ってあげなければ。
 見れば彼はほら、あんなにも怯えた顔でこちらを。こちらを。嗚呼。なんとも、嗚呼。まだ笑っていないじゃないか。楽しいことだ。
 弟の名を呼ぶ。彼はビクリと震えて一歩後ずさる。ひどいな。そんな態度を取られると流石に姉さんだって『楽しい』。
 弟は返事をしてくれない。どうしてだろう。ほら、ねえ。ほら。
「ふじゅぶしゅ、ふじゅぶしゅ」

●直下オンスロート
 よって。よって、楽しいという感情も喜ばしいという感情も好きも嫌いも愛情も殺意も無関心でさえも特定条件下では某かが発生する。それは感情ごとに決まった結果を起こしているだけであり、有益と無益の区別はそれに晒された者の判断でしか無い。現象に心はない。経過と結果は常に同一の筋道に存在する。

 村を進むに当たり、キドーは裏路地で取引されるアレに似ていると感じていた。
 一定の感情が渦巻いて仕方がない。嗚呼、ここは、どうしようもなく楽しいのだ。それは何時もなら肯定して然るべきものだが、ここでは自制をもって律せねばならない。
 快楽を得るだけの薬物に手を出して戻ってこれなくなった奴らはごまんと見てきた。これはその類だ。ここには『楽しさしか』無い。身を委ねてしまえば、戻って来ることは出来ないものだと理解できていた。
 屋根越しに目を凝らし、村人の姿を見つけて身をかがめた。手早く仲間にも合図を出して、姿を潜めるように指示を飛ばす。
 眼球から黒い液体を垂れ流して、道行く人に挨拶をしている。なんでも無く振る舞っているのが、この上なく不気味だった。
 喉に違和感を感じて、聞こえない程度に抑えながら小さく咳き込んだ。
 手のひらに黒い液体が付着する。口の中から出来てきたそれは、キドーに見つかるとにいまりと笑みの形に自身を歪めた。

「ふしゅぶしゅ」
 小さく、ほんの小さくではあるが、それが聞こえての反応は四音のものが最も早かった。
 物陰から飛び出し、村人の前に姿を見せる。不自然かもしれないが、怯えた様子を見せ、たまたまここに入り込んだふうを装った。
 仲間とは既に打ち合わせてある。最悪の場合、それは最良なことに、この現象に生命の危険はない。解決さえすれば戻ってこれる。ならばひとりでも『そこ』にたどり着かせるため、誰かがトカゲのしっぽを演じる必要があった。
 仲間とは別の方向に走り出す。自分を見つけた村人達はこちらへと向かってくる。異常のそれと成っても、中身はただの村民だ。四音にとって物の数ではない、はずだった。
 逃げる先で水たまりを踏んだような感触。黒い液体。意識が一気に染まる。振り向けば追いかけてくる彼ら。湧き上がる感情に逆らわず、四音はうすく笑みを浮かべた。
「なんとなく彼等には親近感がわくんですよね。だって、私の『中身』もあんなものですから。ふふじゅぶしゅ、冗談でふじゅぶしゅ、ふじゅぶしゅ」

 この規模の村に、どうしてこれだけの人数がいるのだろう。
 しがみついてくる村人らを振り払いながら、シフトはどこか場違いな感想を抱いていた。
「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」「ふじゅぶしゅ」
 ひとりの頭を押さえつけ、背中にしがみつかれたまま無理やりバーニアを噴かせる。尚も脚にしがみつこうとする者もいたが、その程度の膂力ではシフトを抑え込めない。
 宙に浮いて距離を取り、着地と同時、背中にしがみついていた村人を投げ捨てた。彼の流していた液体を拭いたくて、肩のあたりを払ったが、払えども払えども黒い液体は収まらず、それが自分から出ているものだと気づいた。
 何かが思考回路を乱している。
「ふじゅぶしゅ。ふじゅぶしゅ」
 迫ってくる彼ら。まだ生きている。眼球を失い、目や口から液体を流し、人の言葉さえ失っても、彼らはまだ生きている。
 殺めてしまわぬよう、最新の注意を払わねばなるまい。回路を乱すこの状況をどう説明すべきかは不明だが、そう。
 本気は今、非常に高揚している。

 軽く咳き込んでから、ウェールは残り時間がもうそれほど残されてはいないことを感じ取っていた。
 咳に混じって吐き出したものは、痰ではなく黒い液体だ。液体には無数の口が浮かんでおり、それらが「ふじゅぶしゅふじゅぶしゅ」と笑っている。
 その口にどこか見覚えがあるような気がしたが、頭を振って忘れることにした。ありえない。きっと、ありえない。
 もう一度咳き込んだ。視界に異常を感じ、顔に手をやると、左目が逢ったはずの底から同じ液体が流れていた。
 鼻は、まだ効く。酒の匂いがする方を指差して、仲間に方向を示してやった。声には出さなかった。きっと聞き取ってはもらえない。
 後ろを振り向いて、追いかけてくる村人を見やる。喉からせり上がる異物を吐き出し、荒い息でそれでも彼らを睨みつけた。
「息子を忘れ、息子を泣かせ、親を殺させた馬鹿な俺を、死体が無いからと今でも待ってるかもしれないんだ」
 心に留めたそれにしがみつく。黒く黒く何もかもが侵される中、足掻いていられる時間が、人間の証左だと言うように。

 口、眼窩、耳、爪の間。それらから黒い液体を溢れさせながら、ウルリカの表情は変わらない。意識と呼べるものまでその大半が黒く悦楽に取り込まれていたが、未だ表情は無を形作っている。
「鬼さんこちら〜と異世界では言うそうですね? 楽しいですか」
 言うものの、楽しいということが良くわからない。体の隅々を作り変え、今もなお這い進むこれのことを言うのだろうか。
「何を失くしました? 形は? 名前は?」
 先程まで、ふじゅぶしゅとしか聞こえなかった彼らの言葉が、今ならよく分かる。それはきっと、自分もそのようなものになりつつあるからだ。探して欲しいと。そのあたりにあるはずだと彼らは言う。
「きっとそれは、楽しく機嫌のいい時くらいしか言い出せないような、失くしたら大変な物、だったのでしょうね」
 視界が暗転する。いいや、視界が全天する。何もかもが見えている。何もかもが見えている。これを楽しいと呼ぶのだろうか。これをどう形容すべきなのだろうか。視界は黒く明るくこの――

「整理しよう――」
 オラボナは彼らのような姿になりすまし、欺いていた。
 もとより黒い体。唇が浮かんではいないが、張り付いたような自前の笑みは、一見だけでは同じものだと勘違いしてくれるかもしれない。
 垂れ流す液体は存在しないが、時間が立てばそうもなっていく、信を得られやすくもなるだろう。彼らに近づいていく我が身の中で、まだ自分を保っている限り、彼らのようであると騙し続ける。
 かくして、ほら、成功しただろう。今や彼らが何を言っているのかも理解でき始めている。
 なんてたのしい。嗚呼、とてもたのしい。
「整理しよう――」
 この言葉は仲間にとうに届かない。ふじゅぶしゅとふじゅぶしゅと泡が破裂するような音を吐き続けるだけだ。
「整理しよう――」
 だが誤ってはいけないたのしい。これはあくまで擬態であってたのしい。この場における沈殿しきった歓喜をたのしくたのしい霧散させたのしいそれをほらたのしいたのしいたのしい。
 だから。
 今、どっちだ?

「大丈夫っすか?! 取り込まれちゃ駄目っすよ!」
 黒い液体を流し、緊急の状況であるというのに笑みを浮かべ始めた仲間に、ジルは懸命に声をかけていた。
「うっぷ……ッ」
 こみ上げた吐き気を抑え込む。この頻度も増えてきた。昼食を食べてからそこそこの時間が経っているが、吐き出すのは胃液だけではあるまい。見てしまえば心が折れてしまうかもしれないと思うと、口を開くのも徐々に億劫には成り始めていた。
 首だけで後ろを振り返れば、歓喜の表情で両目のない村人たちが追いかけてきているのが見える。速度は緩められない。立ち止まるわけには行かなかった。
「ちょっと離れて下さいっす!」
 村人が近づけぬよう、術式を繰り出せば、また距離が開く。
 一息つくと、隣を走る味方が怪訝な表情でこちらを見ていた。
 ――――今、ちゃんと言葉を話していただろうか。
 嫌な想像が浮かぶ。吐き気が強くなった気がした。喉から知らないヒトの声で、同じ言葉が聞こえた気がした。
 酒場が、見えてくる。

 酒場の扉を開くと、村に近づいた頃から感じていたそれがより色濃く溢れ出した。
 それは熱狂だった。人々が人生を謳歌し、幸せを噛み締め、世界を祝う。その思いが空気ですら密度を感じるほどに圧縮され、泥のようなものとしてこの酒場で充満している。
 この場所が悪いのではない。この場所はきっときっかけに過ぎない。結婚式だとか、子が生まれただとか、そういう祝い事をしていたのだろう。
 メリンダの深層から歓喜が溢れてくる。喜ばしい。楽しい。その感情は抗いがたい。苦痛に進んで踏み出せるひとは限られているものだ。
 口の端が笑みに歪む。必死で抑えても、ふじゅぶしゅふじゅぶしゅと声が漏れている。
 仲間の背を押し、後ろを向いた。残った村人が押し寄せてくる。そこには倒れた仲間も含まれているかも知れない。
 憂いはない。後顧もない。あるのは楽しみだけ。悦楽の感情だけが支配する中、使命感だけが体を動かしている。
「あとは任せたわよ。必ず『トライ』を決めてきてね……」

●ラフ愛情
 笑うこともきっと恐ろしい。

 心が落ち込み、涙が溢れてくるほどの状況を、ありがたいと思ったのは始めてだ。
『そこ』に配置された悲哀香炉は凝り固まった喜びを打ち消し、あたりを悲しみで染め直した。
 嗚咽がこぼれ、気分がひどく落ち込んでいる。
 しかしそれが自分であるのだと確信ができる。
 悲しみの中、取り戻した自身を強く噛み締めていた。

 了。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

楽しむことが良いこと。

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