シナリオ詳細
<第三次グレイス・ヌレ海戦>ナイル・ブルーは死の香り
オープニング
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ずっと前なんて向かなくていい。絶望を抱いて生きていくの。
死にたいわけじゃないわ。今より痛くて苦しそうだもの。
だからこのままがいいの。
だからこのままでいいの。
──だって、悲劇のヒロインってそういうものでしょう?
●
それは良く晴れた場所でのことだった。
「グレイス・ヌレ海域はもうじきか」
「はっ。友軍が待機していると連絡が来ています」
後ろをついてくる鉄帝は逃げる様子もない。こちらを鎮められると思えば当然か。今の状態を継続しろという命令に副官が敬礼で返す。
鉄帝とは良くも悪くも能筋が多い。グレイス・ヌレ海域はかの国が保持する戦艦にとって不利な場所だが、そのあたりを知らないのか──わかっていないのか。
(だが、これならば迎撃も十分可能だ)
グレイス・ヌレ海域には非常に多くの友軍が待ち構えている。武の力で負けるのならば、数で押せばよいのだ。
指揮官である男の口角が上がった、その時だった。
「報告します!」
副官が勢いよく部屋へ飛び込んでくる。何事かと返せば、副官は「人魚が現れた」と言うではないか。
「海種の一般人が紛れ込んだのか?」
「はい、いえ、どうもそれが……」
キレの悪い言葉が苛立たせる。思わず立ち上がった指揮官の耳に『歌が聞こえた』。咄嗟に副官が耳を抑えて指揮官へ注意を促すが──遅かった。
●
「ナイル・ブルーでスカーレットな話よ。魔種が出現したわ」
『色彩の魔女』プルー・ビビットカラー(p3n000004)は緊迫した声でイレギュラーズたちへ告げた。その内容は然るべきもので、イレギュラーズたちの表情もおのずと引き締まる。
「第三次グレイス・ヌレ海戦の話は聞いたかしら。海洋と鉄帝、そして海賊たちが戦うの。タイミングは実にバーミリオン……いえ、このタイミングだからこそ出てきたのかしら」
小さく頭を振るプルー。今、グレイス・ヌレの海域は非常に混沌としている。そのすぐ近くに魔種は現れたのだそうだ。
海洋軍の船が鉄帝の戦艦をグレイス・ヌレへ引き込む作戦中、突如として歌が聞こえたらしい。それは海洋軍を狂気へ引きずり込み、船では仲間内で殺し合いになっているのだそうだ。
「これ以上の被害は防がなくてはならないわ。幸い、鉄帝の戦艦は他の船で引き付けているみたい。あなたたちにお願いするのは海洋軍の無力化、そして魔種の撃退よ」
最も、海洋軍に関しては生死を問わないと聞いているそうだ。救えるのなら救うべきだが、魔種を撃退できなければ更なる被害は免れない。そして魔種を倒すのならば、それ相応の戦力と環境が必要だ。慣れぬ海の上、そして海洋軍のことを考えれば『退かせる』までができる限りのラインだろう。
「ある程度の情報は集めたわ。現地に向かう間に確認して」
プルーが差し出した羊皮紙には魔種と海洋軍に関しての事柄が羅列されている。迂闊に近づけないものの、それでもこれだけ集まっていれば現地と情報屋たちで相当の努力があったと伺い知れた。
「無理も無茶も、いくらかは必要だと思わざるを得ない。けれど」
帰ってきて頂戴ね、とプルーは真剣な瞳でイレギュラーズたちに告げた。
●
「気に入らないわ」
人魚は歌う。その瞳に淀んだ絶望を讃えて。
ずるいずるいずるい。気に入らない。どうしてどうして。
絶望を重く閉じ込めた歌はヒトを惑わせ、狂気に落とし、いずれその命を奪わせる。
「希望に満ち溢れた人は前を向いているの。ずるいわ。私は前なんて向けない」
だから前なんて向かなくていいのよと、その声がヒトへ囁きかける。
甲板で味方だった者同士が戦い、殺し合い、海へ落とす。その場に正気を保った者はもういなかった。それでも人魚がそこに在り続けるのは──狂った嫉妬心。
最後まで希望なんて抱かせない。全部全部終わったら、あなたたちのお友達も絶望へ突き落してあげましょう。
「アルバニア様も、そうしたらきっと喜んでくださるわ」
- <第三次グレイス・ヌレ海戦>ナイル・ブルーは死の香りLv:15以上完了
- GM名愁
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2020年01月03日 22時45分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
リプレイ
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黒の鳥が舞う。それを見届け『幻灯グレイ』クローネ・グラウヴォルケ(p3p002573)はファミリアー越しに遠くを見渡す視力で以て海を観察した。併せて『名乗りの』カンベエ(p3p007540)が温度を目で見てかの魔種を捜す。薄らと出始めている霧は他者の姿も曖昧にさせていくようだ。
「……いるな。この先だ」
『『幻狼』灰色狼』ジェイク・太刀川(p3p001103)は険しい表情で船の進む先を見る。強き生存本能による世界からの贈り物──獣の嗅覚は彼へ『危険な存在がいる』と告げていた。この場において死を感じるほどの危険と言えば、魔種に他ならない。
「……いました。海洋軍は……まだ、争っていますね……魔種は岩礁に……」
ファミリアー越しに目標を発見するクローネ。俯瞰するその視界には未だ争いを続ける海洋の兵士たちと、岩礁へ腰かけている人魚の姿を捉えていた。人魚は歌い続けているのか、口が動き続けている。
「それじゃー私たちはこっちでごぜーますね」
『マリンエクスプローラー』マリナ(p3p003552)が一部のイレギュラーズたちをこちらへ、と促す。それは現在乗っている船の後方──けん引しているマリナの小型船だ。幾人かは借りた船に乗ったまま、正面を睨み据えていれば船影が見えてくる。
「歌なんてハイカラなモンで呼ばないでほしいねぇ。うちの輩ども大漁じゃんか」
手を目元にかざして『猫鮫姫』燕黒 姫喬(p3p000406)が船の様子を見る。動き回る影がいくつかあるから、あれらが狂気に侵された海洋民だろう。魔種である人魚の影も比較的近くにあるようだ。
イレギュラーズの乗った海洋船はだんだんと近づき、やがて霧による視界の悪さも気にならないほどに接近する。クローネの従えていた鳥がばさりと小型船へ舞い降り、マリナは舵を握ると前を行く船とは別方向へ──魔種の方へと向かい始めた。
「やれやれ、おっさんには骨の折れる仕事だ」
とん、と甲板へ降り立った『うそもまこともみなそこに』十夜 縁(p3p000099)の様子に戦っていた者たちの幾人かが気づく。そこへカンベエの名乗り口上も加わった。
「……カンベエが参上いたしました!!」
鼻を掠める潮の香り。そしてそこに混じる血の臭い。カンベエの険しい表情は道理であった。これほどに海洋の仲間が犠牲となっている。なろうとしている。全てを救うことは叶わなくとも、1つでも多くを救わねば。
姫喬もそこへ加わって、ファミリアーをマリナへ預けたクローネもまた甲板へ移る。マルク・シリング(p3p001309)は戦場となる甲板を真っすぐ見据えた。
「生死は問わない、なんて条件は飲めないよ。全員、必ず命は助ける」
強化魔術を仕込んだアミュレットが出番だとばかりに淡く光る。マルクは手に持った魔導書をしかと握った。
海洋船から仲間たちが狂気の舞台へ降り立ったことを見届け、マリナが「さて」と舵を握りなおす。
「私たちも行きましょう……悲劇のヒロインなんてもの、誰も求めちゃいねーですからね」
気が付けばずっと聞こえていたはずの歌はやんでいた。聞こえる間は何人か耳を塞ぎ、或いは精神を脅かされぬ誇りをもって対峙していたが、今のところその必要はなさそうである。
(気づいている……ということでごぜーますかね)
マリナはそう独り言ちながら海洋船を迂回する。薄闇のような霧の中を進めば、やがて海上に女の姿があった。
──いや、女の姿と言うには語弊があるか。
翡翠色の髪をゆるく背へ流し、光の差さぬ深海のような淀んだ瞳を持つ者。その上半身は女のそれであるが、下半身に柔らかな太腿も滑らかなふくらはぎもなく。代わりにあるのは魚の鱗とヒレである。それが魔種『サイレン』の姿だった。
その姿がはっきりと見えるより先にジェイクの不意打ちによる銃弾が人魚を的確に撃ち抜かんと放たれる。不可思議なバリアを発生させてその力を削いだ人魚は、しかし次いで放たれた弾が体を掠めてはっと傷口を押さえた。
大した傷ではなく、魔種からしてみればさしたる痛みでもない。けれど──当てようと思えば当てられた攻撃だとわかる。わざと外して掠らせたのだ。
向かってくる視線をジェイクは真っ向から受け止める。マリナが戦いやすいようにと船を操る中、サイレンがジェイクへ向けて攻撃を放った。そこへ滑り込むは香ばしき海の幸──ではなかった、『砂竜すら魅了するモノ』ベーク・シー・ドリーム(p3p000209)である。クローズドサンクチュアリによって自らを強化した彼は1撃程度でそうそう沈まない。
彼の与えられた痛みをサイレンへいくらか返せば、魔種の顔が歪んだ。何かを言いたげにして、けれど苦々しい表情をそのままに口を閉じる。そんな魔種に対してベークはそっと口を開いた。
「魔種サイレン……何を嘆き悲しんでいるのかは知りませんが。この海を荒らすのは、看過できません」
「知らない、知らない。そんな目で、見ないで!!」
サイレンはナイルブルーの髪を乱すように頭を振り、続けて攻撃を放つ。凝縮した水の弾は全てジェイクへ向かっていき、けれど立ちはだかるベークが1つとして通しはしない。不意に彼の周りを雫が舞った。『水天』水瀬 冬佳(p3p006383) による神水を触媒とした癒しの術法。ベークの傷口にぴたりとまとわりついた雫は水の華となる。
──ほろり。ほろり。
水の花弁が散っていく様はまるで蓮の華。水の華は目的を果たすと全て散っていった。そのすぐ脇を赤い鎖が飛んでいく。
「魔種まで出てくるとは……本当に呆れるな」
その媒介は『リーヌシュカの憧れ』ラルフ・ザン・ネセサリー(p3p004095)が自ら傷つけた右手から流れる血。サイレンへ向けられたそれに電流が流れる。
「……っ!」
息を呑むサイレン。そこへすかさずジェイクが挑発するように銃弾を撃ち込んだ。
「てめえが見るのはこっちだぜ」
鋭い眼光がジェイクを射抜く。船が止まり、マリナは戦いやすいよう移動すると魔導銃を取り出した。
(我々も不思議な歌で狂気に落としてくるかもですね)
引きずられれば厄介だ。もちろん『原罪の呼び声』も。
海の男ならば強くあれ。マリナはサイレンの一挙一動を見逃さないよう、しかとその瞳で彼女を見据えた。
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「いっひひいいねぇいいねぇ。あたしゃどーにもモテちゃうんだなぁー! さぁさ美面(いけめん)衆よ、こっちこっちぃ!」
嬉々とした表情で船員たちを引き連れる姫喬。執拗なるアプローチの結果である。十分に引き付けたと姫喬は半身翻して船員たちへ向かいあった。迫る攻撃をものともせず、姫喬は1人の懐へ風のように踏み込む。
「せめて目ぇ覚めますように!」
そのまま相手の態勢をさらい上げて投げる。受け身を取ったものの思ったより痛かったようで、船員はうめき声をあげた。
カンベエは自らに向かってくる相手と対峙し、それ以上後方へ進ませまいと立ちはだかる。不屈の城の如く隙のない彼の背後からクローネは狂心象を撒いた。カンベエを巻き込まぬよう放たれたそれは疫病にも似た呪いの類。幻覚からの思い込み。
(あの船員はもうやめておいた方がいいですね……あとはお任せしましょう……)
ぼちぼち倒れてくれそうな1人に視線をやり、そして逸らす。自らに殺さぬ術がない分、仲間を頼らせてもらうとしよう。
「洒落た言い回しをするなら、この海はあの嬢ちゃんの舞台で、狂ったやつらの悲鳴はコーラス代わりって所かね」
やれやれ、と肩でも竦めそうな男は果たしてやる気があるのか。十夜のそんな言動が目につくのか、狂気に呑まれた船員たちが寄ってくる。近づいて近づいて──その半数ほどが溺れるような感覚に苦しみ始めた。
それはまるで冬の海。冷たく、肌を刺すような痛み。息のできない苦しみ。意識を失うまではそれらから逃げられない。
苦しむ彼らを黙って見ていた十夜は、ふと何かに気づいたように前を向いた。同時に光が激しく瞬く。十夜を巻き込まず、狂気に呑まれた者を裁かんとするそれはマルクのものだった。
加勢するというマルクの言葉に頷く十夜。1人では──しかもこんなおっさんだけで──手に余るという言葉が嘘か真か、マルクには判断できない。
「だがあまり近づかんでくれよ。お前さんみたいに味方には当てない、なんて器用なマネはできないんでね」
マルクはその言葉に視線で彼との距離を測る。今の立ち位置ならば問題ないだろう。
(少しでも早く無力化すれば、傷つく人を減らせるんだ。失敗を、自分の傷を恐れるわけにはいかない)
注意の逸れた船員が剣を振り下ろす。マルクは歯を食いしばり、反撃のため魔導書を広げた。
狂気に侵されていれど軍の人間、粘り強さこそ不足しがちだが小回りの利く身のこなしでイレギュラーズたちを翻弄する。けれどイレギュラーズもまた執拗に注意を引き、少しでもダメージを与えようと多くの船員を巻き込む戦法で人数を削っていった。
マルクの神聖なる光が船員たちの中心で瞬く。その光が消えた頃、ガシャンと武器を取り落とす音と──その体が倒れる鈍い音が響いた。
「これで……全員ですね……」
静かになった甲板でクローネが辺りを見舞わす。いるのはイレギュラーズたちと倒れた船員のみ。マリナの船へ止まらせたファミリアーの視界を借りると、当然と言うべきかあちらはまだ交戦中だ。
クローネが仲間たちの様子を確認している間にマルクは船員へ駆け寄る。時間もないので手短であるが、イレギュラーズが相対した船員は全員生きていることを確認した。
(元々船に乗っていた全員を助けられたわけではないけれど……)
イレギュラーズが到着する前から倒れている船員も数人いる。パッと見た限り聞いていた乗船人数と合わないので、恐らく数名はこの海の底だろう。それでも──魔種が出たのだ。この程度で済んだと言って良いだろう。
──偶然なのだろうか。
そのような思いが湧き上がる。鉄帝国、そして海洋で活動していた海賊がこのタイミングで動くことはまだ理解も納得もいくだろう。けれどそこへ魔種騒ぎが重なるのは果たして。
(偶然ではない気がするけれど……ひとまず、魔種との戦闘に合流しないと)
顔を上げたマルク。その視界にふと濃い色の着物が入った。なあ、と声をかけられて更に視線を上げると十夜がこちらを見ている。
「武器は取り上げておいた方が良いだろ?」
ひょいと持ち上げたのは倒れた船員が手にしていた刀。狂気の深度は浅いと伝えられていたが、実際に正気へ戻っているかどうかは目覚めてからでないとわからない。もしも戻っていなければ面倒なことになるだろう。
「わしも手伝いましょう」
「ああ、助かるぜ」
カンベエが初めに名乗り上げ、イレギュラーズたちは集めた武器をここまで乗ってきた船へ移動させる。甲板に武器がないことを確認した一同はクローネの言葉に従って船を渡った。
「多分……ちょうどこの反対側かと……」
「いっひひ、ならあたしは先行くよ」
すぐ会えるけどね、と姫喬は船を渡る前に海へ飛び込む。ネコザメの尻尾がぱしゃん、と水を打った。
●
放たれる赤の鎖。それがサイレンのバリアを壊すと同時に視線を術者へ──ラルフへと注がせる。しかしすぐにジェイクの銃弾が視線を取り返した。
「てめえは俺がぶちのめしてやるよ」
煽るように笑みを浮かべるジェイクへサイレンが攻撃を仕掛ければ、その攻撃は全てベークがガードする。冬佳は倒れさせまいと水を用いた術で只々彼を癒しつつ、魔種へ向けて刃とも言えるような荒波を起こした。不意にサイレンの頭上へ影が落ち、マリナのアンカースロウが彼女へ襲い掛かる。
「……気に入らねーですね」
ぽつりと呟くマリナ。その瞳はいつものように淡々としながらも、その奥には強い光を湛えていた。
そう、気に入らない。魔種である彼女の在り方が。その理由が。言い訳が。
「前が向けないなんてただの怖がりじゃねーですか」
「……なんですって?」
ぴくり、とサイレンがマリナの方を向く。けれどマリナの口は止まらない。止める必要なんて欠片も感じない。
「独りぼっちは嫌だから、強引に周りの人を巻き込んで後ろを……絶望を見せようとする。とんだ我儘娘ですね」
そこへ全くだな、と同調したのはジェイクだ。最終的な標的は自分へ向けられなければいけない。そうすればベークが庇い、耐えてくれるのだから。
「てめえ自身は何の努力もしないで被害者ヅラか? お前みたいなのが一番腹立つんだよ。
周りから可愛そうと言ってもらえるのが、気持ちよくて仕様がなかったんだろ?」
彼の言葉にサイレンの目の色が変わる。どんよりと重たく濁った光はそのままに、そこへ含められたのは──怒り。
「ええそうよダメかしら! だって気にしてくれるもの、見てくれるもの!! あなた、何も知らないくせに──適当な!! 気持ちで!!!!!」
ぴっとジェイクを差した指先に水が溜まっていく。それは大きく、大きく彼女の顔ほどにもなって。ぐ、と一瞬膨らんだそれは勢いよく水を噴射した。
「うわ……っ」
直線攻撃にベークと、庇われたジェイク諸共弾き飛ばされる。甲板へ転がった2人の前へラルフが咄嗟に立ち、血を媒介とした鎖でサイレンを引き付けた。
すぐさま起き上がったベークとジェイクはラルフと交代し、攻撃を引き受ける。マリナのアンカースロウが降りかかり、ラルフが毒を含んだ銃弾で攻撃を仕掛ける中。
(……この海戦に、海賊は兎も角として魔種が横槍を入れてくるとは……)
ベークの回復に力を注ぎながら、冬佳は考えるように目を細めた。此度の海戦の状況、攻め入る者たちを。
鉄帝と海賊は向かってくる者たちだから良い。けれど彼らが向かってくる日時と場所を知っていたかのように出現したことは気がかりだ。彼女の様子からすると、鉄帝国軍や海賊と直接的な関係があるわけではなさそうだが──。
(それなら、この状況を見続けている第三者と、その手先が居るという事)
内応者とは思いたくないが、魔種には『原罪の呼び声』がある。知らず狂気に堕とされているのか、それとも呼び声に応えてしまった者がいるのか。いずれにしても有り得ないと切って捨てることはできない。
「あなたたちも、絶望に堕ちてしまえば良いのよ」
サイレンが息を吸い込む。マリナの注意喚起と共にイレギュラーズたちは耳を塞いだ。
(私は更に深き【絶望の海】の先を望む者)
この程度が何だというのだ、とマリナはサイレンを睨み据える。こんなところで沈むなんてとんでもない。意地でも前を向いて、進んでやるのだ。
ジェイクはここにいない恋人を想う。こんな魔種に手こずっている場合ではない。帰れば彼女との時間が待っているのだ。
ラルフは耳を塞いでも漏れ聴こえるサイレンの歌声に眉根を寄せた。
(私の知って居る歌と比べれば品がなく不快だ)
大変気に障る。それは『適当にやり過ごす』という彼の方針を変えるほどに。
「前向きな者をくじくか、良かろう……やってみろ」
呟くラルフの隣でベークはサイレンを睨みつける。貫きたい思いがある、だからこのような声に惑わされない。
とりつく間もないイレギュラーズたちをサイレンは驚いたように見つめた。まるで、これまで引き込まれなかった者はいなかったのに、とでも言うように。
「呼び声に惹かれ惑っている暇などないのですよ。どうか、お引き取りください」
──ベークが魔種へ告げた、その時だった。
不意に水柱が上がった。同時にサイレンの歌がやむ。
「なんだ……!?」
まさか増援か、と全員に緊張が走る中、それを起こした影が水柱から飛び出てくる。艶やかな黒髪が空を舞った。
「──覚悟は、出来てんだろうね」
海種としての姿から人間姿へ変化し、岩礁へ着地した姫喬。投げ飛ばさんとする腕がサイレンへ迫った。彼女の姿にマリナがちらりと船に止まるクローネのファミリアを見上げる。
「あちらは終わったようでごぜーますね」
暫しすれば他の面子もやってくるだろう。姫喬はひと足早く赴いた、というわけだ。
ならばとジェイクが畳みかけていく。彼だからこそ扱える射撃術はサイレンの力で以ても決して軽くないダメージを叩きこんだ。
「本当の悲劇は今からだ!」
「いやよ。こんな悲劇は望んでない、この悲劇のヒロインは私じゃない!」
眦を吊り上げて水の弾を飛ばすサイレン。銃弾のような速度で飛んできたそれを体で受けたベークは自己再生に身を任せながら口を開いた。
「何を悲観してるかは知りません。何を嘆いているかは知りません。仲間外れは寂しいし、普通の人には嫉妬する……そりゃそうでしょうよ」
仲間外れ。外れモノ。ベークだってそうだった。親も兄妹も知らないけれど、これまでどうにかこうにか生きてきた限りたい焼きの見た目をした鯛なんて見たことがない。こんなギフトを持っている者だって見たことがない。これさえなければ、普通の鯛だったらここまで人々に『美味しそう』と思われ命の危機に瀕することだって少なかっただろう。
全てがこの魔種と一緒ではないだろう。だから完全にわかるとは言えない。けれどある程度なら、わかるんのだ。
「それなら」
「──でも。貴女の『悲劇のヒロインごっこ』に付き合ってる暇はないんですよ。お引き取りを、麗しき海の同胞」
ベークの明らかな拒絶にくしゃりと顔を歪めたサイレン。歯を食いしばり、魔種は「いやよ!」と頭を振った。
(……そうですか、まだ付き合わないといけませんか)
ため息をつきたくなる気持ちをぐっとこらえ、ベークは彼女を見据える。何にせよ、彼女に撤退してもらわなければこの先──絶望の海を見ることなどできようもない。
「観客を殺し合わせるなんて悪趣味な演目は終わったぜ、魔種の嬢ちゃんよ」
背を向けていた海洋軍の船から声が降ってくる。次いで伝わるのはロープを伝いつつ複数の影が飛び降りてくる振動。十夜が力強く甲板を蹴り、その左手を握りしめた。その背後からクローネが「悲劇のヒロイン気取りですか」と小さく呟く。
(前を向けないと……向いた所で満たされない癖に……)
知っている。その思いを。その感情を。満たされない末にどうするかも知っている。だって──私もそうだったから。
「……だから、ずっと言い訳するんですよ」
とん、と甲板を蹴って低く浮いたクローネ。彼女が腕を振り上げるとマリナの時と同様、サイレンの頭上に影が差した。けれどそれの形状は大きく異なる。
真っすぐな、化生殺しの伝承に基づく呪いがこもった杭。それはクローネが腕を下ろすと同時にサイレンへ襲い掛かった。
増えたイレギュラーズたちを見回したサイレンは、ふと身震いする。視線を向ければ黒髪の、和装の男──カンベエの視線がどうにも気になった。しかし、彼女の怒りはまだジェイクへと向けられている。岩礁へ渡り、その背後を取ったラルフは必殺の貫手を魔種の喉へ向けた。
ラルフの手が赤く染まる。それをじっと見つめた彼は小さく舌打ちをした。サイレンが視線を移し、眉根を寄せて痛いわと”告げる”。彼の手が貫いたのは彼女の喉ではなく、守るように間へ滑り込んだ彼女の腕だった。手を引いたラルフはその腕を掴み、動きを封じようとするが──魔種からぬ力で振りほどかれてしまう。
「君には悪いが少し気に入らんのだ。その性根で歌を歌うのがな」
彼の回答に眉間へ深い皺を刻むサイレン。しかし彼女と対照的にラルフは小さく笑みを漏らす。
(歌と言えば、馬鹿娘は今頃どうしているかな)
元気にどこかで歌っているのだろうか、なんて思うも束の間。彼の意識は魔種を殺さんとすぐ現実へ引き戻された。
どうにもジェイクの言葉が気に障ったようで、サイレンはジェイクへ向けて──ひいてはベークが多くを引き受ける形で──攻撃を繰り出した。
度重なる攻撃にぐらりとベークの体が前のめりに傾ぐ。しかしその体が海へ投げ出される前に、その身は自らの力で以て支えられた。
「……皆を守る。気を引く。やることは最後まで変わりません」
それくらいしかできないから。逆に言えばそれならできるから──できなければいけないから。
(そうでないと、この海の先は見れない。そのくらいできないと。そうでしょう?)
そうだと答えるのは自らの心。自らの運命を開くのはいつだって自分だ。
すぐさま多方からベークへ治癒が行われる。ラルフの放つ鎖がサイレンの不可思議な障壁を破壊し、すかさず十夜が正面から真っ直ぐな一撃を食らわせた。魔種1人を術中に嵌めるには味方が多い。ならば彼女のみを狙うだけのこと。
カンベエはベークが治癒を受けている間、代わりにとジェイクの前へ立つ。彼の視線はひたすらに真っすぐだ。
(先ほど聞こえていた歌声は、彼女のもの)
霧に響く陰鬱な歌声というのは、著名な詩の情景にも劣らない。けれど彼女のような美しい歌声の海種が堕ちた姿は見たくなどなかった。そう、願わくば彼女が彼女であるまま聴きたかった。
だが、彼女に同情をかけてはいられない。
「ここは退いていただきます! わしは皆と共に絶望の海も越えていく!!」
その先にはもしかしたら──自分のルーツがあるのかもしれないから。そのためになら膝はつかない。背を向けることだってしない。生きているのだから下を──地獄を向くには早すぎる!
「負けられませんね……」
自らのできることだから、とベークは早々にカンベエと庇う役を交代する。自分は守り庇う事しかできない。なればこそ、仲間に他の役目を頼むしかない。
サイレンがたびたび放ってくる直線攻撃。その直後に冬佳は素早く術法を展開させた。
雪が降る。
いいや、白い花が降ってくる。
ひらりひらりと舞い落ちる真白の花が冬佳を中心として仲間たちの傷口を癒していく。更に危険だと思われた仲間をマルクは治癒にかかった。
(相手は魔種、何をしてくるかわからない)
ただ傷を癒すだけでは足りないかもしれない、とマルクは注意深く敵を観察する。
ジェイクはなお自らへ注意を向けさせながら、合間に雨の如き銃弾を送り込む。どれだけ戦えるかはベークを始めとした仲間たちにかかっていた。
激戦のさなか、再びよろめくベークの視界にさらりとした黒髪が映る。顔を上げると姫喬が肩越しに笑みを浮かべた。
「なかなか男前じゃないか」
魔種相手にここまで粘ることは容易でないだろう。だから──姫喬がその後を引き継ぐ。
「あたし1人じゃあ届かなくってもね、その目があたし1人を見てりゃ、誰かの道が開くだろう?」
躊躇いなんてとうにない。今はあの淀んだ目がこちらを見つめてさえいればそれでよいのだ。
その言葉に呼応するようにマリナの魔弾が飛来する。追随するようにクローネの死霊弓が飛来した。
「……後ろ向きなのはお互い様……少しだけ、お前を憐れに思うよ……」
憐憫のこもった言葉と共に、死霊の怨念がサイレンへ突き刺さる。ぐ、と彼女は呻いてイレギュラーズたちを睨みつけた。
「いや、いやよ。いやなの……」
サイレンがすぅ、と息を吸い込む。はっとマリナが声を上げた。
「耳を塞いでください!」
響き渡るサイレン──セイレーンの歌声。咄嗟に皆が耳を塞ぐが、ただ1人カンベエは腕を上げなかった。「カンベエさん!」とマリナが叫ぶ中で彼は両腕を組む。
「耳は塞ぎませんよ。説得が不可能なれば、彼女へ出来る事はこの歌を聞いてやる事だけです!」
歌に込められるのは嫉妬、羨望。そんなものが入り混じった悲痛な声。それを和らげる術がないというのなら受け止めてやるとカンベエは告げたのである。だが、絶望の海を越えるのだと決心している彼の心に原罪の呼び声が入る隙間は見当たらない。
ぴたりと止んだ歌声に視線を巡らせると、サイレンが引きつった表情でイレギュラーズを見つめていた。
(なるほどな、だから『サイレン(セイレーン)』かい)
歌で船人を惑わせ、破滅へ誘うモノ。世界のどこかに転がる御伽噺には載っているだろう存在だ。
「……なぁ、もう充分歌ったろ。いい加減満足して、大人しく帰ってくれや」
十夜の声にびくりと肩を竦めるサイレン。ああ、と吐息のような声が漏れる。
どうして惑わされない。どうして狂気に呑まれない。どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
「いや。いや、いや、いや。怖いわ」
ふらりと頭を振ったサイレンが身を捩り、ラルフのマークから逃れて海へと身を投げる。すぐさま動いたのは姫喬だ。サイレンを追いかけ、その体を海上へ持ち上げるように押し出す。
このまま逃亡なんて、許されない──許さない!
「アンタのそのちっさな感情が奪った命に! タマ落として詫びなァ!!」
ざば、とその体が浮かぶと同時、回り込むように移動した小型船からマルクが聖なる光を放つ。それは敵である魔種のみを標的に襲いかかった。
「離して! 触らないで!! やだ、あなたたちなんて嫌い!!!」
「ぐっ……!」
ぱしん、と姫喬の体が弾かれ、先ほどまでサイレンが腰掛けていた岩礁へ打ち付けられる。その隙に魔種は小型船など物ともしない深海へと潜って行ってしまった。
「あ……っ!」
マルクが思わず手を伸ばすが、その手は水中まで届くはずもない。全力で逃げる相手──それも魔種だ──を追いかけ捕まえるのはかなり骨の折れる仕事だろう。
姫喬を助けに行っていたベークが船へ戻る。狂気に侵されていた海洋軍人たちも少しずつ目を覚まし始めており、一同はグレイス・ヌレ海域から脱したのだった。
●
いやよいや、こわいこわいこわい。
どうしてそんな顔するの?
どうして前を向いているの?
いやいやいや。いたいいたい。きらいきらいきらいきらい。
わたしにはできないのに。
嫌よ。やだ。やだやだやだやだ!! とても──悔しいの!!!!
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
想いがストレートに伝わるプレイングばかりでした。お疲れ様です、イレギュラーズ。
サイレンは撤退しましたが、いつか再戦の機会もやってくることでしょう。その時はまたご縁を頂けましたら幸いです。
GMコメント
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
また、原罪の呼び声の影響を受ける可能性が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●重要な備考
<第三次グレイス・ヌレ海戦>ではイレギュラーズ個人毎に特別な『海洋王国事業貢献値』を追加カウントします。
この貢献値は参加関連シナリオの結果、キャラクターの活躍等により変動し、高い数字を持つキャラクターは外洋進出時に役割を受ける場合がある、優先シナリオが設定される可能性がある等、特別な結果を受ける可能性があります。『海洋王国事業貢献値』の状況は特設ページで公開されます。
尚、『海洋王国事業貢献値』のシナリオ追加は今回が最後となります。(別途クエスト・海洋名声ボーナスの最終加算があります)
●成功条件
魔種『サイレン』の撃退
狂気に呑まれた海洋軍の無力化
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●エネミー
・狂気に呑まれた海洋軍×10名
もとは倍ほどいた海洋軍の船員です。小回りが利き、回避や命中に長けています。
いずれも狂気に呑まれており、無差別に切りかかります。狂気の深度は浅めと考えられており、気絶させれば正気に戻るでしょう。
・魔種『サイレン』
人魚の姿をした魔種。綺麗な翡翠色の髪と対照的に、淀んだ瞳をしています。どうやら『悲劇のヒロイン』でいたいようで、前向きな者や希望を持っている者が大嫌いです。
歌によって狂気を伝播させていることは確かですが、その他は多くが不明となっています。
正気を保っていた海兵が武器を向けた際に神秘攻撃で反撃したところが目撃されたようです。また、不思議な力で攻撃から身を守っていたようなので、防御にも長けていると見て良いでしょう。
自らの身が危うくなれば海へと撤退していきます。
●フィールド
海の上、あるいは船の上です。
海は穏やかですが、薄っすらと霧が出始めています。遠距離攻撃の際は命中にマイナス補正がかかります。
●ご挨拶
愁と申します。
魔種の撃退を主として、できるのなら海洋軍を助けてあげましょう。全力で当たっても勝てるかわからない相手です。死力を尽くしてください。
接近するための船は借りることもできますが、皆様で用意されたアイテムがあればそちらでも可能です。
もう1度書いておきます。死力を尽くしてください。
それではご縁がございましたら、どうぞよろしくお願い致します。
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