シナリオ詳細
<クレール・ドゥ・リュヌ>汚泥の蝶
オープニング
●──対峙
聖教国ネメシス首都、フォン・ルーベルグ郊外。
夜明け前の最も暗い夜。小規模の森林地帯に面する以外殺風景な土地に似合わぬ、複数の馬車が並び物々しい雰囲気を醸し出していた。
安物のそれとは違う魔術的加護に護られた箱馬車の主達は、微かな光源のみを頼りに顔を突き合わせている。
いずれも、人目を忍ぶ様に。
「一体何があったヘンリー。お前が消えてから次々に周囲の騎士達が審問を受けている、情報屋の俺まで危うく異端審問会に追及を受ける所だった」
「私も聞きたい事は多かった。
だが既に秘密は死者が──否、死者を模した傀儡と共に葬られた後なのだ」
「……なるほど、どうやら俺には荷が重い話らしい。それで? 頼まれた物は用意できたがどうするんだ、ロクに管理もされていなかった程度の記録だぞ」
天義を象徴する純白の外套にフードで素顔を隠す男が、懐から取り出した筒を手渡す。受け取ったのは簡素ながらも整った革鎧を纏う壮年の男。ヘンリー・ブイディン男爵である。
かつての鎧を脱いだ親しき友人のその姿に、情報屋を名乗る男は訝し気に眉を潜めていた。
「……やはり。まさかとは思ったが……」
「何を見つけた?」
筒から取り出した文書へ目を通して間もなく、ヘンリーはある一節に指を立てて示した。
「カテジナ・クルシャール。少し前に聖都で起きた火災で瀕死の重傷を負っている」
「……この名は聞いた事がある、お前の門閥の中に居たはずだ。この女がどうしたんだ? 騎士と言っても人間だ、煙に巻かれて死にかける事もあるだろう」
「珍しく無いだろう。しかし貴公が知る通り、私が先日巻き込まれた事件を境に『禁書』に関わる貴族の殆どが異端審問会が灰から復元した情報を基に罰せられる事となったのだぞ」
御者台に吊るしているランタンを取ったヘンリーは文書へ火を着けて棄てた。
「友よ、貴公も知っての通り審問会は本気だ。禁忌たる『黄泉帰り』が今や公然の事実として広まる中、
形ある敵を探し出す事にかけては恐ろしい執念を見せるだろう、実に頼もしい事にな。だが……クルシャールだけ見落とす筈はない」
「何が言いたい」
「私の記憶が正しければこの記録にある日付の翌日、彼女は騎士団の定例議会に出席していた。
瀕死の重傷を負ったばかりには見えない程に平然とな。そんな事が有り得ると思うか?」
「キナ臭い話だ、それに近頃は例の騒動の事もある……聖都に漂いつつある不穏さはこれまでの比じゃない。手を貸そうか?」
「いや……貴公はここまでだ。お前にも家族は居るんだろう、そちらを優先するがいい」
そう言って、燃え散る残滓を払い除けてヘンリーは馬車へと向かう。
密会の終わりを察した古い友はその姿を淡々と見送った。これ以上関わるには危険であると、警告されるまでもなく気付いていたのだ。
それは、正しい。
(『黄泉帰り』はこれまで突発的無差別に起きていた現象だとばかり思っていた、それを意図的に……予見していた様に利用する者がいる。
クルシャール卿に関する禁書のみ念入りに焼かれていた。追及を免れたのは偶然ではないだろう。
あの日、ローレットを呼んで早々に事態を片付けようとしたのもクルシャールの従騎士ブロイラーという男だった)
揺れ動く馬車の中、同乗する者達を見回すヘンリーの目に黒い炎が灯る。
貧民街で不当にも異端の烙印を押され、一部の貴族達に虐げられていた者達。いつかの洋館で対峙した青年達の家族。彼等をヘンリーは救わねばならなかった。
(天義を立て続けに襲う騒動は異端審問会の動きを過激にするには充分。いまここで彼等が証拠文書を持って罪無き事を訴え出ても、神官達が見逃す事は無いだろう)
ただでさえ『常夜の呪い』事件が解決したという話は記憶に新しい。ゆえに、否応にも思い出されるのだ。
(……疑うまでもない、この『黄泉帰り』は魔種が元凶なのだ。真の悪を討たねば何も解決はしない。
最悪……クルシャールですら何者かの傀儡となっている可能性がある。私にはもう手に負えない)
揺れる車内で疲れ切った様に座り込んだ彼は自嘲気味に笑った。何が潔白の騎士か。
長年、恐らくは先代当主でさえ周囲に持ち上げられただけの道化に過ぎないと言うのに。
向かうべき敵は明確だと言うのに、何もできない。これで彼の『最高の聖騎士』に近付いたなど、どうして言えよう。
「──今こそ彼等の力が必要だ」
だからこそ今の彼は驚く程冷静に、即座に最善を選び抜く。
例え潔白には程遠くとも白亜へ近付ける様に。
●──潔癖ノ使徒
秩序と正義によって白亜に塗り固められし都、フォン・ルーベルグ。
理性か狂気か、或いはそれらも含む一種の偶像崇拝か。神への信仰を絶対とさえする聖教国ネメシスの象徴とも言える聖都である。
文字通りの白亜に染められし町並み、それを見下ろしていた一人の女は恐ろしいほどの嫌悪を露わにしていた。
「相変わらずこの聖都は……なんて汚らわしいのでしょう」
「目立ちますか?」
「『目立つ』のではありません。『足りない』のです、それよりも今日は何故こちらに招集を?」
振り返る純白の修道女らしき女は「ブロイラー神父」と呼んだ。
「先日、私や他の者達に何者かが密偵を放った様でしてね。
規模や手並みからして、恐らくローレットの者でしょう。流石あちらの情報屋というのは優秀ですね。
とはいえ時期が悪い……我々が目を付けられたばかりに『御方々』へ影響が及ぶ事は避けたいのですよ」
ブロイラーと呼ばれた長身の男は妙に袖の長い神父服を揺らし、首を鳴らした。
白い修道女は暫し目を閉じ、乱れそうになる呼気を整えていた。
「ハァ、ァ、ローレット。つまりイレギュラーズが来るのですか?」
「来るでしょうね、だからこそ貴女も集めたんですよシスター・ランバー。
既に密偵の気配が失せた今、近々送り込まれるでしょう。そうなる前に我々で手を打つのです」
「……まさか例の物を使うのですか、ッ!?」
驚いたように目を見開くランバーを前にしたブロイラーはクスリと笑う。
いつの間に取り出したのか、不意に放り投げられた掌程度の小瓶を慌ててランバーは抱き止めた。
静かな抗議の視線に笑みで応えた神父はそれを指差した。
「既に『天昇の繭』は完成しています。
このクルシャール城で特異運命座標を迎え撃ち、偉大なる先駆者となって自らの信仰を示しなさい。シスター・ランバー」
●
「依頼者はヘンリー・ブイディン男爵。皆様へのオーダーは『黄泉帰り』に関わる重要人物と見られる『カテジナ・クルシャール』、
その身柄を拘束ないし討伐を行っていただきます」
ボードを背負ったロバの傍ら、『完璧なオペレーター』ミリタリア・シュトラーセ(p3n000037)はペンを一閃する。
「先日の『常夜の呪い』事件におきましてはお疲れ様でした。
しかし、既に耳に届いている方もいるでしょう。未だかの天義には不穏な影が残されたままだという事を、
『黄泉帰り』は今や公然の事実として知られ、更には天義首都フォン・ルーベルグを中心に狂気に侵された人による事件が多発し始めています」
彼女が思うに、それは規律正しい聖都ならば起きる筈が無い異変だと言う。
今回の依頼を受理するにあたり、フォン・ルーベルグで調査していた情報屋に言わせればこれらの事態はかつて『シルク・ド・マントゥール』が居た頃の幻想での事件を思わせるものだったとも。
「原罪の呼び声に近い干渉を『黄泉帰り』事件の中で確認したという声も少なくありません。
フォン・ルーベルグの異変の背景に魔種がいるのは明らか。
恐らく、事件当初よりローレットが対応していなければ水面下に潜んでいた罠は今よりずっと多くの被害と悲劇を生んでいたでしょう、
皆様がいたからこそ、まだ『後手』があるのです」
ミリタリアはそこで一度区切ると、ロバの背負うボードにペンを走らせる。
「今回、ローレットが目を付けているのは現状この『黄泉帰り』の法則が何を意図しているか。
親しき者の蘇生を叶えある時には抗えない程の衝動を与えるこれらは、サーカスの時とは違う方向から狂気を振り撒く機能を持っていると推測されます。
つまり──これまでに起きた『黄泉帰り』の近くにキャリアーに近い役目を持った、或いはそのままの存在がいるのでしょう」
「それが今回の依頼の?」
「はい。件のクルシャールは依頼者の言う通りつい最近、死亡していた可能性がある人物でした。
それに加えて彼女の妹君もここ数カ月姿を暗ましており、その周辺には要注意人物の姿も在った事から確実に黒だとローレットは見ています」
ミリタリアはボード上へ二つの名を書き記した。
「アシッド・ブロイラー、ランバー・ジャーク、彼等は数カ月前から姿を暗ましていた筈の聖職者です。
アシッドに至っては依頼人が事件に巻き込まれた際にローレットを利用する事を促したりと、先に述べたクルシャールに関係している可能性があり、
『黄泉帰り』の目的がサーカス同様に天義を狙った物だとすれば、これらの関係性は聖都へ多大な混沌をもたらす事を目的としている事に集約されます」
ミリタリアは言った。
ローレットが、イレギュラーズが対応していたから、次の手が生まれたのだと。
「放って置くわけには行きません。死者と生者を冒涜するこの邪悪な狂気は、何としても止めるべきです」
- <クレール・ドゥ・リュヌ>汚泥の蝶完了
- GM名ちくわブレード(休止中)
- 種別EX
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2019年05月27日 21時20分
- 参加人数10/10人
- 相談7日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
リプレイ
●
──ひらり、ひらり、それは舞う様に近付いて来る。
遠目に見ればただの羽虫、蒼の鱗粉を纏った蝶。
だが術者は蝙蝠の視界越しに驚く事になる。蝙蝠となった己を寸分の狂いなく追走……飛翔して来る俊敏さを見れば。
蝶が迫る。
振り切れない。一回り大きな頭部が裂ける様に、獰猛な牙を剥いて飛び掛かって来た時には。もう、遅かった。
──────
────
──
「……! ッチィ、気づかれたのか……!?」
五感を共有してファミリアーの蝙蝠を先行させていた『死を呼ぶドクター』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)は、古城二階にて薄暗い礼拝堂を見たのが最後だった。
感覚共有は解除されたものの、一瞬だけとはいえフィードバックに怯んだ事に彼女は牙を剥き出しにして頭を抑えた。
侵入を悟られた、或いは対策されていたのだ。
「……お前さん、何を見た」
苛立ちを露わにするレイチェルの背中で魔剣の姿になっていた『『知識』の魔剣』シグ・ローデッド(p3p000483)が問う。
「チッ──見たのは獰猛な蒼い蝶だ。小せぇが、あれが例の妖蝶だな?」
「拙者が直に見たのは金色だったと記憶しているでござるが、別個体の可能性を考慮すると無関係とは言えぬな」
肯定の意を示す『暗鬼夜行』如月=紅牙=咲耶(p3p006128)は古城を苦い表情で見上げる。
背中を押す追い風が城への誘いに思えて、かつての依頼で出会った神父の顔が脳裏に過ぎってしまった。
「まあ索敵は任せな、罠に引っかかるような事にはならねえよ。それより、そっちは大丈夫なのか?」
古城の様子を伺っていた『レディの味方』サンディ・カルタ(p3p000438)が振り返る。
レイチェルと同じくファミリアーを召喚して偵察していた『夜明けの蝶』カレン・クルーツォ(p3p002272)は静かに首を振った。
「エントランスの探索中に “視えた” から共有を断ったわ。多分、もう繋ぐ事は出来ないでしょうね」
直前に見えた【蝶のはばたき】、カレンは自身が頭を抑えている光景を思い出して答えた。
「偵察を真っ先に潰すとは。この城に籠る獣は迷い込んだ美女に優しくないようだね」
「さて、藪蛇、とはいう物の……蛇を出してしまわない限りはそれに対処できんからな。……時には、動く事も必要か」
『カオスシーカー』ラルフ・ザン・ネセサリー(p3p004095)は古城の前庭で枯れた薔薇を摘み上げて。
外から内部を偵察する手段が失われている以上、危険を承知で乗り込むしかない。
シグを背負うレイチェルは頭を振ると忌々しそうに古城を睨み付けた。
「行こうぜ……やられっ放しは、趣味じゃねェ」
灰色の空の下。
光はおろか闇も、影さえも希薄となった世界で。幾つもの黒いモノが蠢いていた。
●──『当主様をお願いします!』
消去法である。
二階回廊までは敵と遭遇しなかったレイチェルの偵察ルートが内部へ侵入するのに適していた。
外観から見る分には小さく見えた城が、中に入れば予想以上に死角が多く、詰まっているように思えた。
否が応にも罠を意識する程に。
「何ていうか、いやーな感じだね。こんな風に城の中で何かしてる場合って大体ろくでもないと思う」
『ガンスリンガー』七鳥・天十里(p3p001668)がこんな事もあろうかと取り出したのは、事前に情報屋ミリタリアに問合わせ入手した城内の見取り図。
クルシャール城そのものではないが、同型の古い図面でも内部の造りは似通うだろう。
道中、使用人部屋を回って調べていた『終焉語り』リースリット・エウリア・ファーレル(p3p001984)は窓枠に指を這わせる。
「カテジナ・クルシャールが重傷を負ったという話は2か月も前。黄泉帰りの仕込みは、少なくともその頃にはもう行われていたという事ね……」
埃は、無い。
曲がり角、鍵の掛かった部屋、或いは何も無い様に思える壁面。
透視や温度視覚を有する者達は各々技能を用いて警戒し進む。ニル=エルサリス(p3p002400)がじれったそうに首を回して呟いた。
「黄泉帰りの事件増えてるけど、こうもぽんぽんと黄泉帰りが発生するとめんどっちいんだお。
こないだの依頼だと占い師がどーとかこーとか……この事件にも関わってたりするのかぬ?」
「この城の周囲の惨状を見るにその可能性は高いだろう。黒幕に位置する者達の目的が天義を脅かす事ならばね」
キシリ、と後方でワイヤーを張るラルフ。
クリアリングの要領だと言う彼の作業を傍目にして、再度視線を移すニルの眼前に丁度『虚言の境界』リュグナー(p3p000614)が壁から出て来た瞬間、回廊に「にゃっ!?」と悲鳴が微かに響いた。
しーと指を優しく立てるリースリットは、それはそうとと付け加えて。ニルの言った言葉に反応する。
「占い師……報告書にあった黒いヴェールの女ですよね。一連の仕業の黒幕は……やはり、ネメシスに穏やかならぬ個人的な感情を持つ魔種か」
「黄泉帰りの疑惑、行方不明の目撃証言、魔種の影。クハハハハ! この一連の事件の真実――実に興味深い」
彼が出て来たのは鍵の掛かった部屋だ。
内側からノブを破壊されていたその部屋の主はいない。血痕すら残っていないと報告するリュグナーはいよいよ何が起きているのか、その興味は良くも悪くも真実の一点に向いていた。
彼等、特に偵察として先行していたレイチェルは気付いていた。この城には虫はおろか鼠一匹さえいない。
その原因は恐らく。
「おおう、そっちには近付かない方がいいお。中で蝶々が飛んでたぬ」
城内の要所で見かける蒼い蝶。それらが全てを喰らったのではと考えてしまう。
ある種のファミリアーの可能性を考慮して、彼等は蝶を避けて通って行った。
「そろそろ螺旋階段に突き当たるかなあ、ここの図面見辛いから嫌い……あれ? どうしたの」
「手が空いたらこっちに来てくれ」
何かを見つけたのだろうか。後方から天十里達が追い付くと、螺旋階段裏の陰に隠れていた小さな戸口を仲間が囲んでいた。
「この臭い……」
天十里は近付いて分かった。そこに漂っていたのは、死臭だ。
妙に抑えられていたが、彼とて知らぬ臭いではない。戸口を調べようとする仲間に警戒を促す。
応じたリュグナーが屈み、戸口の向こう側へ沈んで行った。
埃が溜まった狭い物置。ガタゴトと音が何度か戸口の向こうから鳴った後、パチンと鍵が開いて彼は出て来る。
そこには雑多に放り込まれた掃除用具以外何も無い。
リュグナーの後ろからゆっくりと浮遊して来た鱗粉以外は。
「……!」
「おっと、少し下がった方が良いぜ」
近くに立っていたカレンを庇う様にサンディが外套で彼女を覆い、後退させる。
「妖蝶の鱗粉?」
訝しむ天十里は狭い物置の奥を見やるが、何もいない。
これまで血痕すら残っていない中で天十里が嗅ぎ取った死の残滓は何なのか。
「そこに、ずっとあなたは隠れていたのね」
「……まさか」
花霞の瞳が揺れるその先、シグがレイチェルの背中で「床下か……」と呟いた。
リースリットが近付いて屈む。埃を払い除けたそこに、床板の一部が微かに擦れた痕が解った。
床板の隙間に手掛け、ギシリと。床下の収納を開いた彼女は、狭い穴から小柄なシルエットを抱き上げた。
人知れず身を隠していたのは侍女服を纏った少女の亡骸だった。
天十里のように嗅覚に優れた能力を用いていない者達からすれば、その少女が死後数日以上経っているとは思わなかっただろう。白く冷たくなっていても、死の色が薄かったのだ。
「……ッ」
尋常ではないその様に人知れず。誰かの影に潜み忍んでいた『誰か』がその拳を握り締める。
「この城にいた方でしょうか……」
「服装を見るに、そうだろう。本来なら死人に口なしといった所だが」
シグの声に続いて。
花霞の瞳は未だ、物置の奥を映していた。つまり、そこにいるのだろう。
誰に促されるわけでもなくカレンはサンディの背中から出ると、開いた戸口の傍に近付いて行った。
彼女が視ている先。白く輪郭のぼやけた侍女の少女は、怯えた様に肩を抱いてカレンから逃れようと壁に背中を当てる。
「あなたはここで働いていたの?」
少女は、小さく頷いた。
「私達はね、カテジナ・クルシャールという人に会いに来たの。知ってるわよね」
カテジナという名に反応したのだろう。少女は笑顔で顔を上げて何度も頷いて見せた。
そして、這う様にカレンに近付いて来た彼女は小首を傾げた。
『どうして?』とでも訊ねるかのように。
「……探しているの。沢山の人が不幸になっていくのを止めるには、彼女が必要だから。
きっと、あなたに怖い思いをさせた相手を捕まえるためにも必要」
何処に居るのか教えて欲しい、と。
話を聞いた少女はとても嬉しそうに微笑んで立ち上がると、上を指差してカレンに何かを伝えようとした。
それから、少女は侍女服の裾ポケットから小さな白い鍵を取り出すと、それを渡そうと差し出して来る。
何かを言おうと唇を動かす少女。カレンは受け取ろうと手を伸ばした──
「…………」
少女も、鍵も、刹那に消える。霊魂の欠片さえも感じられない。
振り返るカレンは今までのやり取りを見守っていた仲間達の内、亡骸を抱いていたリースリットに駆け寄った。
「……ありがとう。あとで迎えに来るわね」
侍女服のポケットに手を入れたカレンは、光沢のある白い鍵を取り出して言った。
その鍵の摘み部分には、二輪の花の紋章が刻まれていた。
螺旋階段は半ばまでしか続いておらず、更に上へ進んでも石造りの壁があるのみであった。
だがここでシグを始めとした透視を有する者達が否定した。
壁は分厚く、見通す事は出来なくとも。壁の内に隠された鉄板の存在を看破したのである。
「鍵穴が見えるな」
「仕掛けは無さそうね……どの辺りに鍵穴があるのですか?」
「この辺だぬ」
シグに代わりニルが指し示す。
そこはちょうど石と石の境目だろう。指一本入る隙間は無いが、辛うじて細い物なら通る様に見えた。
リースリットはカレンを手招きして鍵を受け取って壁に向き直る。
「もしかして……あ、入った」
微かな手応えと共に、白い鍵が回された瞬間。小気味の良い音と共に何かが作動した。
轟音。瞬く間に螺旋階段の一部となっていく様に石が滑り、遂には更なる上階へと続く階段が現れるのだった。
見上げたそこには、白い扉が見えた。
●──死の結晶
一度姿を消せば、再度見つける事は同じ組織内でも困難だった。
「……どうかされましたか」
神出鬼没の秘訣は歩みを止めない事だと語る神父姿を装う男は、その通り動き出せば基本的に止まらない。
「──これは驚いた。見つかる事はあっても、そちらに足が向く事は無いと思っていましたが……些か見誤っていた様だ。
気が変わりましたよシスター・ランバー」
侵入者が【透視】【温度視覚】【霊魂操作】【物質透過】【ファミリアー】といった能力を使用して暫く、ブロイラー神父が満足そうに城を後にしようとして踵を返す様は珍しい光景だった。
ランバーは訝し気に首を傾げる。
「一体どうしたというのですか」
「望まぬ展開になったという事です、場合によっては戦闘後に私が回収するつもりだったのですが。
私が彼等に接触する事は本来避けねばなりませんが……仕方ない」
袖の長い神父服を揺らして、ブロイラーは首を鳴らす。
好青年にも見える金髪の男はしかし狂気に満ちた濁った褐色の瞳を覗かせる。
軽やかに、彼は礼拝堂に並ぶ懺悔室の一室に歩み寄ると静かにノックして囁いた。
「……どうか助力を願います。『カテジナ卿』」
「────」
振り返る赤髪の女騎士は無言で微笑んだ。
──
───
─────
「魂魄を感じるわ、彼女は生者よ」
「うちが視ても……あー、でもちょっと体温低めな気もするお」
白亜に彩られた部屋の中央。
イレギュラーズが乗り込んだ際、隠し部屋に鎮座していたベッド上には赤毛の女が眠っていた。
そこでカレンやニルに彼女が『黄泉帰り』か判断して貰う事となったが、どうにも生者らしかった。
「遷延性の奴にしては設備も無しで健康状態が良すぎる……注射痕すら見当たらねえのを見るに、眠りについたのは最近か?」
医術に心得のある者レイチェルが容態を診て見解を出す。
だがどうにも様子が異なると結論を出した彼女は、背にするシグの方へ視線を巡らせた。
「そうだな、試してみよう」
応じる様にシグは言った。
瞬間、それまで魔剣の姿を成していたシグが長身の男性形態へと戻った。
「失礼なのは百も承知だが……非常時であるのでな」
一言添えて。白い手を取った彼は女の思考を読み取る。
結果は早い。
「……やはり何も読み取れない、か」
「だめかー、城の事とか色々聞いて見たかったんだけどなあ」
首を振るシグの様子に落胆する天十里は「彼女は誰なんだろうね」と呟いた。
「……彼女が生者だとして、事前に聞いていたクルシャール卿の妹かもしれませんが。
だとしたら、彼女の身に何が……っ!?」
リースリットが城内を揺るがす轟音に振り向いた。
「どうやら誰か我々に会いたい者がいるようだね」
部屋を一瞥し、ラルフが部屋を出る事を促す。
「ラルフさんのワイヤー、多分回廊の方からどんどん破られてる音がする! あとヤバそうな音も!」
「エントランスホールから来たか。ここでは最悪その女が巻き込まれる、礼拝堂に続く回廊へ出た方が都合がいい。急げ」
リュグナーの言う通りである。頷いた天十里は赤髪の女を抱き上げ、エアリアルリフトを駆使して階段を飛び降りて行った。
城内を揺るがす振動は次第に大きく近付くに連れ、殿を務めていたサンディが警告を発した。
「真下まで来てるのが一つ。この先は礼拝堂だったか? 四つ反応出てるぜ……勿論、敵意のな」
(タイミングが良い……意図的な追い込みか)
回廊を駆ける一同の足が止まる。このまま追われる様に進んでも挟撃となるのなら、取るべき選択は逃走ではない。
いよいよ階下から螺旋階段が破壊され、塔そのものが崩落を始めた頃。戦闘態勢に入ったイレギュラーズの前に追跡者が姿を見せようと……
「先手──必勝だお!!」
姿を見せようとした瞬間。異形であろう大型の『ソレ』は砲弾の如く飛び掛かって来たニルの一撃によって、さながら強烈な兜割りとなって階下へと叩き落としたのである。
夥しい黒い粘液が返り血のようにニルを染め、雷の様な咆哮が瓦礫と粉塵の中から上がる。
「また登って来る前に追撃だ、ニルに続くぞ」
遠距離戦に心得のあるレイチェルを始めとした面々が集い、崩落した所から眼下に向けて集中砲火を見舞う。
粉塵晴れぬ間の十数秒。
時折黒い粘液を撒き散らす巨大な『ソレ』は、ともすれば悲鳴の様に咆哮を挙げ続けた。
激しい追撃は微塵も隙を与えず、かくして彼等は追跡者を間もなく仕留めるに至るのだった。
遂に咆哮が止まった頃、黒い異形の怪物は溢れ出た粘液が凝固した様に塊になっていた。
「よく視えなかったが、先程の敵は何だったと思う?」
魔導拳銃をホルスターへ納めながら問うラルフ。
「はっきりとは見えなかったっていうかぐちゃぐちゃしてて何か触手みたいなの生えてたぬ。ってかこれ気持ち悪いお……」
「有毒性かもしれないね」
「まじかお!?」
指先に取った粘液を見て呟くラルフの言葉にニルは飛び上がって、すぐに顔に付着した物を払い落した。
「……で、この先。このふざけた化け物を送り込んだ奴がいるのは間違いない、どうする」
「待ち構えてると想定するのが正しいだろう……策を考える必要がある。『秘策』とは別にな」
人間態となったシグがいずれかの影に視線を送る。
暫しの空白が流れ、一考する彼等は不意に仲間が礼拝堂の方へ向かった事に気付いた。
「カレン?」
「…………視えたの。これがどれだけの影響を与えるかはわからないけれど、ね」
花霞の瞳は瞬く。
「蝶というのはひらりひらりと踊るものよ。蜘蛛に掴まればその翅が捥がれるだけ」
●──『【奪取】』
外側から内へ、轟音を伴って爆ぜ飛ぶ銀の扉。
礼拝堂に並ぶベンチを薙ぎ倒し、破壊して尚転がるそれは砲弾と変わらぬ凶器と化す。
「ようこそ、神の使徒。
しかし神聖なる礼拝の場でこの様に乱暴な真似をするのはいただけませんね……尤も、あなた方に信仰の是非は期待していませんが」
だがそれを本でも受け取るかの様な気軽さで掴み取り、後方へ神父は投げ捨てた。
「嗚呼、ローレットの皆様っ! どうかお助け下さい……この城には悪しき魔物が居るのです。
カテジナ・クルシャール……ああ、あぁっ! 私、怖いですわ……おそろしい、
どうか皆様の御力で彼女を止めて下さい、そしてどうか……」
神父と並ぶ純白の修道服に身を包む女が涙を流して、救いを求めるように手を伸ばす。
刹那、リースリットの怒号が奔る。
「──上です! 避けて!!」
瞬間。礼拝堂へ足を踏み入れた”八人”が一斉に前へ跳んだ。
突如奏でられる轟雷、豪雨に等しい銃撃の嵐と混ざってイレギュラーズが立っていた位置を寸分の狂い無く破壊の渦が襲った。
撒き散らされる衝撃波と木片を掻き分けて、自然と二手に分かれたイレギュラーズは前後に現れた敵を前に構えた。
それまで映し出されていた修道女の幻影が消失すると共に、神父が拍手する。冷笑のそれを浮かべて。
「やはり貴方達は神に愛されている……温度視覚で見破るまではあっても、奇襲に勘付くとは。
直感的で、素敵だ。こうでなくてはいけません、紛い物ではこうは行かない」
長い袖からズルリと露わになる黒い刃。
金属ではない。『爪』にも見える極太の、よく見れば棘すら生えた一本の刃が袖から伸びていた。
「テメェには会いたかったぜブロイラー。聞かせろよ、その後ろにいる奴はなんだ」
油断なく純白の大弓を手に取るレイチェルは目を細めた。
ついさっき戦った黒い異形の怪物。それが一体、ブロイラー神父の背後で追従するかのように控えていたのだ。
ブロイラーは「ああ、これですか」と笑う。
「少々、この城の方々に神の祝福を与えたのです。といっても結局彼等は愛される事の無かった不出来な信徒でしたが」
「……この城の、人達だと言うのですか」
リースリットが憤りを見せる。
彼女に限らず、一方でランバーと睨み合っているサンディ達も同じく。あの巨躯の怪物が人の塊だという事実に少なくない怒りを覚えていた。
「あぁ……! アハァ、とっても素敵ですわイレギュラーズの皆様。やはりあなた方は神に祝福を授かりし者。
『半端者』である私などとは違い、ブロイラー神父と対になる存在……ですが御許し下さい、私は今宵あなた方をここで抹殺しなければいけません」
天井部から降り立ったシスター・ランバーは重機関銃を背中に回す。
そこへ、軽快な口調が響いた。
「おいおい、折角の美人がカリカリしてたら勿体ないぜ? さっきの幻影みたいに泣いてる顔の方が可愛いと思うんだが」
「まぁ、お上手。私、ぞくぞくしてしまいますわ……!」
歪んでいた表情が更にクシャリと歪む。
内心勘弁してくれよと思うサンディだったが、その場の空気が変わったのは確かだ。注意深くランバーを軽快していた一同は、その瞬間を見逃さなかったからだ。
袖から小瓶を手に取ったその瞬間を。
──「後ろから来ていますよ」
「なッ!?」
突如ブロイラーのハイテレパスがランバーを回避させる。
「避けられたか……ッ!」
回廊側から突如壁を抜けて現れたリュグナーが襲うも、寸前で躱された事で地を滑る。
間髪入れず飛来したカテジナの脚甲がリュグナーの側面を殴り飛ばしたのと、ラルフの魔導拳銃が火を噴いたのは同時。
ブロイラー神父達と対峙していたレイチェル達も動き出した気配を見せる。
(今の奇襲、まさかこの瓶を狙って!? 中身を知ってる? まさか……過去の依頼での事を覚えてッ)
肝を冷やすような思いで一歩飛び退くランバー。その手にある小瓶の栓を指先で弾いた彼女は、躊躇なくそれを煽った。
瓶の中を転がり、そして注ぎ口から落ち行く白い塊。
それは微かにうねりながら修道女の口腔へと───
「──獲ったでござる!!」
「~~ッ!!?」
恐るべき反射速度で死毒の銃弾を蹴り飛ばしたカテジナ卿の背後、比較的前衛に出ていたサンディの影が動き出したように。
それまで気配を完全に断っていた咲耶が影から影へ縫うように駆け抜け、小瓶から落ちようとした白い塊を紙一重の差で奪い取って見せたのである。
驚愕に目を見開くランバー。
「リュグナー殿が加勢してくれたおかげでござるな、ラルフ殿これを!」
「よっしゃ! 後は好き勝手言ってくれた連中をブッ飛ばすだけだな」
軽々と投げられた白い塊はラルフの手の中へ、微かに蠢く塊を数瞬観察した彼はそれを試験管へしまい込んだ。
「これは繭かね……中々面白そうだ。
一体これを経口摂取する事でどんな結果を齎すのか、リュグナー君の言葉を借りるなら興味が尽きない」
「かっ、返せ!! それは私が天上へと至るのに必要な……っ」
ぐるりと巡る眼球が礼拝堂奥を映す。黒刃を奮う神父を、ランバーは見てから。
「かえ、かえしてよぉぉ……! その繭は、私が、わたしがぁ! 返せ……返せよ、この背信者どもがぁ!! ゥアアアアアァァァ!!!!」
重機関銃が火を噴いた瞬間、赤髪の女騎士が舞踏の如くイレギュラーズへ襲い掛かる。
血と硝煙の風が吹き始めた。
●──汚泥の双子花
「生きるというのは難しい。死ぬのは簡単だわ、一瞬だもの……カミサマって公平よね、万人に死は訪れるのだから───」
身の毛よだつ警笛の声。
超高速で駆ける女騎士を捕らえんと、影より迸る無数の赤黒い蛇が絡み付き鋼よりも忌々しい呪縛と化す。
「……!」
輝く脚甲を振り乱して地を滑り転倒する。
肩口に突き立つナイフが、名状し難い液体を撒き散らして炎を吹き上げる。垣間見えた黒い粘液、それを調達したであろうサンディが肩を竦めてカテジナを煽っていた。
たん、と。軽い足音。
「……御機嫌よう、カテジナ様。今ね、この都は不幸な夢を見てるようだわ」
懐へ飛び込む金髪の少女が、その花霞の瞳に似合わぬ闇の爪を振り上げていた。
「──夢か」
踏み込み。放たれる衝撃。
全方位へ拡散した木片がカレンの体躯を引き裂き、一撃を緩和したカテジナが虚ろな瞳で少女を見下ろす。
「……私はその夢から醒める為に魂を売ったのだよ。妹を救う為に、祖国に仇なす者共に与したのだ」
掠れた声音が怒涛の銃撃音に掻き消される。
カテジナを巻き込む事も厭わず、大口径の弾丸が一帯を薙ぎ払ったのだ。
「あいつ、無茶やりやがって……!」
散らされる弾幕の中姿勢を低くするサンディ。
純白の修道服に所々赤い染みを作るシスター・ランバーは眼前の『影』に憎悪をぶつけていた。
はためく忍装束の帯。重機関銃が近距離で火を噴いてるにも関わらず、鋭い眼差しでランバーを射抜く咲耶は素早く前転と後転を繰り返して翻弄する。
不意の一閃、手甲で弾丸を弾いた瞬きの間。這う様に駆け抜けた咲耶が一直線にランバーの鳩尾を掌底で打ち抜いた。
「がッ……ァは!?」
「一つ聞きたい」
ガギギ、と銃口を掴み取って逸らした咲耶が紅い瞳を覗かせる修道女に頭突きを見舞う。
「~~! か、カテジナぁ……!!」
怯み、視線を巡らせて。ラルフとリュグナーを相手に苦戦しているカテジナを見たランバーが歯を噛み砕く。
「テッド村からのギルドースの件、初めから貴殿等の企てか──返答次第では貴殿等を許さぬ」
紫紺の眼が紅い瞳を覆う。いつの間に出していたのか、首筋に当てられた幻影手裏剣が僅かに肌を切り裂いた。
流れ落ちる鮮血が胸元を濡らした瞬間。ランバーが絶叫した。
「ひ、ギィィィィ……!! 離せぇええッア!!
離してよぉ……! ひっぐ、うぁぁぁ……汚い、汚らわしい、穢れたぁ!! わたしが、けがされたぁああ!!
テッド村なんて知るか……何度飼育場を作って使い潰したと思ってやがる汚物がぁ! こここここ、こん、この私が!
白亜に混ざるクソ共の手先め! ひ、ぁ……よく見たら、ここにも朱いのが……ぁぁぁあ!!」
半ば力技で咲耶を引き剥がし、機関銃を足元に撃った事で床板を吹き飛ばす。
即座に後退して距離を取った咲耶は舌打ちを一つ。
「ならば……最早貴殿等に掛ける情けは、無い!」
「ッ……!!」
横から不意を衝いたカテジナのスタンプを身を捻って受け流し、背後に回っていたリュグナーが蛇影を放って絡め取る。
手甲裏の仕掛けをスライドさせ指先へ滑らせる。一瞬身を低くした咲耶から放たれた呪術式の手裏剣がカテジナの背中へ突き立った。
駆ける咲耶を止める者はいない。
「あっ、く。グゥゥゥッ!!」
後ろへ飛び退く暴発女を完全にマークした動きで、正面の弾幕を突破した咲耶が両手を交差して幾つかの衝撃を受け止める。
眼下で鈍色の光が瞬いたのと同時、ランバーの周囲を毒の霧が包んだ。
「可笑しなことを言うのね、汚らわしいのは貴方達よ。死とは万人に与えられる慈悲……冒涜しては良いものではないの。
ごめんなさいね、私って優しくないの――私の手が汚れれば世界が救われるならそうする」
サンディに庇われながらカレンが設置したロべリアの術式。それが修道女に無視出来ないダメージを与えたのだ。
闇雲に乱射される凶弾が幾人かに血を流させるも、毒霧に紛れて何かに銃口を蹴り上げられ、ランバーは薙ぎ倒される。
息が止まる様な思いで見上げたランバーが最後に見たのは。
「言った筈でござる」
そこからの記憶は、無いだろう。
一気に飛びついて来た咲耶の足が側頭部を打ち、そのまま絡め落としたのだから。
「……殺したのか」
「さて、我々にも課せられた任務があるのでね。彼女とて激情に流されて目標を失う事はないだろう」
多分ね、と。呪殺の凶弾が脚甲に弾かれる。
しかし続く二撃、四撃と撃ち込まれる魔弾を捉え切れずに肩口を射抜かれたカテジナは汚泥の様な雫を零した。
「いや、この国の欺瞞に満ちた正義は素晴らしいよ」
頭蓋を割ろうと振り下ろされた重撃。
「ヒトというものは安心したいがために『正しい』場所に身を置こうとする、そして自分が『正しい』側である事を証明する為にそうでないものを排除する。
それが汚らわしいならばその通り。他者から見て正しくあろうとする事は何より臆病で醜く、卑小」
投擲されたサンディのナイフが爆ぜた隙、魔弾と蛇影が一斉に女騎士を打ちのめす一方でラルフが凶弾を錬成する。
砕かれた脚甲を棄て。一息で距離を詰めようとする騎士がその脚で風を薙いだ。
「人は人によって滅ぶべき、それに罰を下そうなど、ああ、成程──君達は実に人間らしい、斯様に正しさを証明したいのだろう」
「────!!」
マズルフラッシュの度に高速のステップで回避する女騎士は、次の瞬間。眼前に飛び込んで来たラルフの冷笑に目を見開いた。
床板すら踏み抜く脚力の癖を見抜いた彼は、カテジナの意識的隙に滑り込ませるように強烈な一打を顎先へ打ち込んだのだ。
刹那の加速に空気が爆ぜる。目にも止まらぬ急所への連打を終えたラルフの剛腕が更に膨張し、人体を打つには強か過ぎる衝撃を以て終幕を告げたのであった。
「……っ、すまない……ター……ニャ」
女騎士は泥へと還る。
そして───
●──顕現
全身を切り刻まれ、傷口から溢れ出した蒼い鱗粉を気味悪そうに天十里は見た。
「あははは……っ、素敵ですよイレギュラーズ。不思議な力だ……ぐ、く、身体の内側が引き裂かれるようだ」
瞬く間に駆け上がる業炎。手近なベンチを蹴り上げ、リースリットの炎剣の軌道を遮った所を黒刃が続く連撃を捌き切る。
二度目で見切りをつけたと笑む神父は返す刃で彼女を弾き飛ばして躍り出る。
咆哮、飛び散る粘液。
刺し込まれた鞭の様に、しなやかに振り抜くニルの一蹴を受け止めた触手が宙を舞う。
「……! 盾にしたのかお」
黒の怪物が触手を辺りに伸ばした中を一気に駆ける神父を、ニルは睨む。
防御重視にした怪物に自らを庇うようにしている。その怪物が元はこの城の住人だと知っていて。
床板を踏み砕いて一直線に天十里へ突撃する黒刃、二丁のリボルバーが火を噴き刃の軌道を上方へ逸らした。
赤い魔法陣が宙に浮かぶ。
見開かれた眼の法陣が神父を囲む。触手がその身を覆うも、直後に刻まれた封印紋によって爆ぜ、粘液が飛び散る。
眼の法陣の内から弾けた黒き剣が今度は更に神父を覆った。
「二重、だと……!?」
自身の周囲の景色が明らかに歪んでいるのを見て驚愕する、封印の影響か、或いは別の要因か。黒の怪物はこの時だけは沈黙していた。
無数の黒剣は鎖の如く神父に絡み付き。蝕む。
間髪入れず神父の背後から紅蓮の焔が雪崩れ込む。全身を焼く業火の炎に、遂に神父が叫んだ。
「ッ……!! 最高です、これこそ神に愛された者達の力! これが、神の……」
「口を閉じてろ。全て灰に帰すまで、テメェが呼吸する事も赦さねぇ」
血の魔法陣を再度展開し紅蓮を纏う。視線を巡らせ、レイチェルは目を細めた。
(ヘンリーの危機を救うにはこいつらを生け捕りにするのが最善だが……何だこの違和感は)
業火に巻かれて踊る神父がニルと打ち合う。
獣じみた咆哮と共に触手を縦横無尽に振り回し、突撃して来た黒の怪物の頭上を飛び越え、突き込んだ彼女の鉄拳が黒刃を折り飛ばす。
折られた刃を弾丸が打つ。鋭角から弾き飛ばされた刃が神父の胸元へ向かったその瞬間、触手を中空での前転で躱した天十里が閃光を纏った銃撃を見舞う。
撃鉄は空鳴りさせない。
(畳みかけろ)
一呼吸の間。交わされる視線。
紅蓮が渦巻いた裏で解放されたシリンダーから薬莢が弾かれ、レイチェルの憎悪に呼応した陣が熱波を放射する。
ブーツが床板を蹴り、熱波を飛び越える。神父の姿が見えずとも天十里は寸分違わずに銃口を巡らせて引き金を引いた。
シリンダーが奏でる音よりも速く、業炎の向こうで黒刃に穿たれていた神父の胸部を射貫いた弾丸が礼拝堂の壁すら破壊する。
勝負は決したかに思えた。
「ヘンリーさんのためにもどっちか一人は捕まえないとって思ってたけど……何それ」
揺れる神父を、信じられないといった目で見ていた。
触手を斬り払いながら駆けるリースリットが炎剣を構え、その切先を揺らした所で状況に気付き足を止めた。
「……まさか」
「あァ……ブロイラー神父、あの野郎は───魔種だ」
沈黙は破られる。
彼等の眼前に噴き出す様に姿を現したのは漆黒。巨大な蜘蛛の体躯が礼拝堂の一画を崩し、顕現したのである。
●『遺された双子花』
礼拝堂を揺るがした衝撃によって城内のあちこちでガラスが割れる。
カテジナ達を撃破したサンディ達が振り返った先で、ステンドグラスはおろか壁まで破壊された惨状の下、巨大な黒い怪物がリースリットとニルに圧倒されていた。
駆け付けたリュグナーがレイチェルに並ぶ。
「死者は土に還った。此方は何が起きたのだ」
「あァ……こっちはブロイラーが逃げた。奴をけしかけてな」
舌打ちする彼女は大弓を一閃する。
丁度その時、それまで触手を振り回すだけだった黒い怪物が跳躍して挑んで来るニル達に圧し掛かろうとしていた。
頭上から迫る巨躯へと突き立てるニルの鉄拳。
一瞬だけ宙に縫い止められる巨体。そこへ滑り込んだ炎剣携えるリースリットが魔力の励起と共に紅蓮の軌跡を描いて、上空へ幾重にも斬撃を刻み付ける。
リュグナーとレイチェルが己が得物を握る。
刹那に一閃が交差し、月光の一矢と暗い大鎌の一刈りが遂に黒い怪物が両断されたのだった。
濛々と礼拝堂に流れ立ち昇る粉塵、戦いは静寂を以て終わりを告げた。
すっかり粘液を浴びてしまったリースリット達は疲れた様子で顔を拭う。
「……どうなったのでしょう」
両断され完全に沈黙した怪物を傍目に、彼等は合流する。
ブロイラー神父は変身後速やかに逃走した事。あのランバーとカテジナ卿と目される月光人形を倒し、片方は捕縛に成功した事。
互いに報告し合うと、礼拝堂を出る事となった。
「肝心の黒幕に近い男を取り逃したものの、これで真実に近付いたのだろう。得られた物は多い」
「でも……失った物も多かったね」
「しかしこれでヘンリー殿の一助になるはずでござる。
魔種、ブロイラー神父についても彼奴めを絞り上げれば多分に天義への助けになる」
犠牲は多かったが、その報いを受けさせる機会は必ず訪れる。
その言葉に頷いた一同は、回廊へ出た時小さく声を漏らして固まった。
縛り上げたランバーを担いで回廊へ出た咲耶がその様子に気付くと、彼等の視線を追った先で彼女も目を見開いた。
それまでイレギュラーズは、予め礼拝堂へ入る前に塔の最上階で保護した赤髪の女を回廊脇にレイチェルやカレンのファミリアーと共に隠していた。
戦闘中余裕が無かった為に五感共有を切っていた彼女達だ。いつの間に、と問われれば首を傾げるしかない。
「私を連れて帰ってくれ」
凛とした佇まいでイレギュラーズと向き合う赤髪の女。
彼女は眠っていた時と変わらぬ姿で、けれどどこか芯の通った気配を揺らし口を開く。
「ブロイラー神父の目的が黒幕に通じているかは分からない、だが奴は天義を陥れる事を最大の使命としていた。
そんな男に唆され……私は肉体だけ蘇った妹の中に意識だけ移し、多くの同胞を謀り狂気に落として来た。
私が『妹』を本当の意味で蘇らせる為にどれだけの人間を巻き込んだか……全て告白しよう」
彼女は、自らをカテジナ・クルシャールと名乗った。
●
──『貴女を救う為に命を賭した妹君を、取り戻したくはありませんか?』
それは悪魔の囁き。
それは悲劇の始まり。
逃げ去る神父は嗤っているだろう、親しき者の影響を多分に受けた存在たる人形がもしも自我を持たず、眠りについたまま顕現したとしたら?
血を分けた姉妹の深い絆の一方で、どうしようもなく薄い繋がりを見た悪魔は、愉しい余興を思いついた。
──『この妹君の体に仮初の意識を植え付けましょう……貴女が妹君であり、姉となるのです。
そしてこの天義で人知れず狂気を振り撒けば、直ぐに【黄泉帰り】は成されるでしょう。
救えるのです、貴女の身代わりとなった妹君を』
悪魔の囁き。その手招きを、哀れな女は掴んでしまった。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
後に、あなたの元へ一通の手紙が届くでしょう。
そこに記されているのは、天義で異端審問にかけられた男の話。
彼はあなたが捕まえた悪の一端を示して、明確に存在する敵の証拠を用いて取引した。
そうしてつい先日。男は赦された。
彼が自身の息子の代わりに守らんとしていた民達も含めて──
お疲れ様でした。
霊魂、透視、各種索敵。敵側の想定外を攻めに行く皆様のプレイングを見ていて判定中ドキドキしました。
思ったよりも過去作の敵への対策も多く、見事強奪されてしまいました。
今回のMVPは厄介な敵の第二形態を阻止した忍びの者に!
改めてお疲れ様でしたイレギュラーズの皆様。
休息に身を沈め、次に備えてください。
GMコメント
ちくわブレードです、よろしくお願いします。
以下情報。
●情報精度C
不測の事態が起きる可能性があります。
●目標
カテジナ・クルシャールの身柄を抑える
『黄泉帰り』の死者の討伐
●神足のカテジナ卿
彼女は信仰を重んじるクルシャール家の女当主であり、騎士団においても一目置かれていた武闘派騎士でもあります。
約二ヵ月前、彼女は聖都の一画にて発生した宿における火災に際し民間人の救助に飛び込み瀕死の重傷を負いました。
しかし後日騎士団の会合に出席した事から『見間違いでは』とされ、医療所での記録は破棄。
当時は誰も意に介していない状況でしたが、現在のヘンリー氏の情報提供により『黄泉帰り』に関係している可能性が出てきました。
一連の事件発生以降の彼女は聖都の一画に構える城から出て来ていないとの事です。
真偽を確かめる為。彼女の身柄を捉えると同時に、場合によっては討伐を決行する必要があります。
◯ターニャ・クルシャール
カテジナの妹。19歳。
騎士然とした姉とは反対に重度の潔癖に加えて非社交的な気が強く、元々城に籠る事は多い。
現在の行方は分かっておりません。
●クルシャール城
白亜の大理石で造り上げられた小さな古城。
城の様相を呈してはいますが教会に塔が生えた物だと思えば貴族の中でも小さい印象。
内外共に現在は人の気配が無く、不気味に静まり返っています。
内部はエントランス・回廊・礼拝堂と、横幅の狭い回廊を除けば最低40m以上は戦闘領域が確保できる空間になっているようです。
かつての使用人、食客達が何処へ消えたのかは不明です。
●レッドカラー
クルシャール城の周辺には『ブロイラー神父』『シスターランバー』といった過去に行方を暗ましていた怪しい人物達が確認されています。
『黄泉帰り』に深く関わっている以上、魔種ないしはそれに匹敵する要注意人物に該当します。
クルシャール城を中心に天義の民達に狂気の伝播のような影響が伺えることから、注意が必要です。
(ヘンリー・ブイディン)
本件の依頼者。今回の事件に巻き込まれて以降、現在は教会から身を隠しながらクルシャール達によって再度異端審問会に追われる事となってしまった無実の人間達を連れている。
しかし彼や彼の連れている者達が捕らえられるのは時間の問題です。
彼等への疑いを晴らすためには『黄泉帰り』を引き起こしている何者かを一人でも挙げる事です。
※本件においてヘンリー氏と接触する事はできなさそうです。
以上。
少し不穏な空気になってまいりました。
皆様のご参加をお待ちしております。
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