シナリオ詳細
春の瞳はなにを映す
オープニング
●元伯爵令嬢と伯爵と『春の瞳』
生まれたときからずっと暮らしてきた屋敷を、隅々まで見て回る。
父に母、ときには親戚や他の貴族たちも招いて食事をとった食堂は、大きなテーブルも椅子も、燭台さえも撤去されていた。
美術品の蒐集を趣味にしていた父が、世界中から集めた絵画も、一枚として残っていない。母が大切にしていた装飾品や、きらびやかなドレスも残らず持っていかれた。
使用人たちが季節の花を活けていた花瓶も、見あたらない。銀食器も美しいティーカップも、全部。
常に人の気配がしていて。すれ違えば誰かが声をかけてくれて。退屈していれば遊び相手になってくれて。
そういう屋敷であったことが嘘のように、今はしんと、冷え切っている。
「……っ」
崩れそうになる足に少女は力をこめた。
ベッドさえないこの屋敷に、少女はあと二日だけ住むと決めている。床で寝ることになったっていい。
これは爵位と領地まで売り、生きると決めた十五歳の女の子の、最後のわがままだ。
「おとうさま、おかあさま……っ」
一階と二階を繋ぐ階段の手すりに寄りかかり、涙をこらえて奥歯を噛む。
二週間前、父であるイゼル伯爵と母である伯爵夫人が、事故で死んだ。
その朝、出かけるという二人を屋敷で見送った少女、シアルは、夕方にその報せを受けた。
動揺し涙する使用人たち。シアルのこれからを案じる執事。
幻想の貴族でありながら心優しく清かった両親の訃報に、その夜は親戚たちも駆けつけてくれた。
翌朝。
イゼル伯爵家には莫大な借金がある、と証書を手に訪れた男がいた。
フーゼリニ・ディーオ伯爵。シアルも何度か屋敷内で見かけたことがあった。父が度々、彼から美術品を購入していたのだ。
証書の署名は間違いなく、父の少し癖のある字だった。判も確かにイゼル伯爵家のものだ。
あっという間に財産はとり上げられ、それでは足りないからと屋敷中の家具や宝石が売却されることになった。
もう給金を払えないのだから、使用人たちは全員、解雇された。
「この屋敷も、明後日には誰かの手に渡るのよ」
残ったのは二つだけ。
市民と変わらない服を着たシアルと、緑色の大きな宝石がついたブローチ。『春の瞳』と呼ばれるそれは、イゼル伯爵家の家宝だ。
これだけは、手放せなかった。
「わたし、これだけは誰にも渡さないわ。イゼル伯爵家があったという証だもの」
シアルは明後日の夜、伯母のマーゼル子爵に引きとられることになっている。
その条件として、やんわりと持ち出されたのが爵位と領地の譲渡だった。
ひとり娘のシアルが事実上、爵位を継ぎ行った最初で最後の仕事は、その旨に合意する、という書類へのサインだった。
「わたしひとりじゃ生きられない。使用人たちに迷惑をかけられないわ」
ただでさえ、職場を失わせてしまったのだから。
お金は払えないけどこれからも面倒を見てね、とは言えない。
彼らだってこれから大変だということは、シアルにも分かった。次の職場の紹介をしてあげる伝手も器量も余裕もない我が身が、口惜しい。
「伯母さまはお優しいから、大丈夫よ。だから心配しないで」
立ち上がり、両親の肖像画が飾られていた壁を見て、微笑む。
不意に扉が叩かれた。
壁中に張られた「売約済み」の紙を悲しい思いで一瞥してから、シアルは一階に下りる。
返答の前に扉は開かれた。
「まだいらしたのですね、シアル嬢」
「こんにちは、ディーオ伯爵。なにか御用ですか?」
腹の底を熱く焦がす思いをすべて沈めて、シアルは微笑んだ。
本当は、言ってやりたい。
あなたがおとうさまたちを殺したんじゃないの。
事故に見せかけて殺したんじゃないの。
最初から全部、奪うつもりだったんじゃないの。
だって、だって、この男。
「『春の瞳』をそろそろ頂こうかと思いまして」
ほら、笑いながら。
この宝石を狙ってる。
「これだけはお譲りできません」
「タダでとは申しません。それを私に売ってくだされば、屋敷も使用人たちも美術品の数々も、すぐに買い戻せますよ?」
「いいえ」
毅然とした態度でシアルは首を左右に振る。
これまでもそうしたように。
「これは、伯爵家があったという証です。どれほど富を積まれても、お渡しできません」
「……そうですか」
落胆したように肩を竦めた中年の男の目は、猛禽のように恐ろしい光を帯びていた。
「また二日後に参ります。きっと気が変わると思いますよ」
「何度、言われても」
「お体にはお気をつけて。では」
優雅に一礼しディーオ伯爵は帰って行った。
ぎゅっとスカートの裾を握ったシアルは、青ざめる。
「まずいわ」
●少女の最後の宝物
「こちら、今回の依頼主の、シアル・イゼル元伯爵令嬢なのです」
「よろしくお願いします」
紹介されたシアルは、椅子から立ち上がってそっと頭を下げる。貴族の令嬢らしい、洗練された仕草だった。
少女が座りなおしたのを確認した『新米情報屋』ユリーカ・ユリカ(p3n000003)が、資料を片手に話し始める。
「依頼内容は『春の瞳』の守護と、襲いかかってくる敵をこらしめる、とあるのですが……。ボクもまだ、詳しく聞いていないのです」
「ご説明します」
凛とイレギュラーズを見つめ、金色の髪に青い瞳の少女は淡く色づいた唇を開く。
「いろいろありまして、イゼル伯爵家は屋敷も爵位も失いました。ですが、これだけは残したのです」
シアルはポケットから小箱をとり出し、蓋を開く。
中には大きな緑色の石がはめこまれた、ブローチが鎮座していた。
「名は『春の瞳』。イゼル元伯爵家の家宝なのですが、これを狙う男がいます。イゼル元伯爵家と同じ、幻想の貴族。ディーオ伯爵です」
「ディーオ伯爵、特に当主のフーゼリニ・ディーオ伯爵は美術商でもあるのです」
さり気なくユリーカが補足する。
「ディーオ伯爵は二日後、恐らく武力をもって『春の瞳』を奪いにきます。……逃げても、わたしがこれを持っている限り、追いかけてくるかもしれません。
そこで、みなさまには伯爵の手先を退散させるとともに、もう二度とディーオ伯爵が『春の瞳』を狙わないよう、こらしめていただきたいのです」
告げられる依頼は、何度も繰り返してきたかのようによどみなかった。
この瞬間のためにシアルは懸命に言葉を選んだのだろう。
「お願いします。わたしにはもう、これしか残っていないのです」
少女は涙を流すことも声を震わせることもなく、ただ深く、頭を下げた。
- 春の瞳はなにを映す完了
- GM名あいきとうか
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2019年01月23日 21時30分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(8人)
リプレイ
●奇襲作戦
気丈に振舞おうと奥歯を噛みつつ、瞳に不安を見え隠れさせるシアルから、『ロストシールド』イージア・フローウェン(p3p006080)はローブを受けとる。
事前にイージアは三人分のローブを用意し、すべてをシアルに着用させていた。
「大丈夫です。私たちが必ず、シアルさんと『春の瞳』を守りますから」
「フフフ、ワタシたちに任せておけば、どうにかしマスよぉ」
ローブをまとった『不運な幸運』村昌 美弥妃(p3p005148)は、にっと口の端を上げてシアルの肩を軽く叩く。
「心配ないよ。アタシたち、荒事には慣れてるから。アンタは上で、どっしり構えてな」
ローブについたフードを被り、『水面の瞳』ニア・ルヴァリエ(p3p004394)は腰に手をあてる。
家具がなくなったイゼル伯爵邸のエントランスで、少女は囮役になる三人の顔を順に見た。
そして、大きく頷く。
「わたしが弱っていても仕方ありません」
階段を下りてきた『傷だらけのコンダクター』クローネ・グラウヴォルケ(p3p002573)は、片手に持った空瓶を軽く振る。
「こっちも準備万端ッス……」
クローネは医療知識を用い、犬が嫌うにおいを屋敷のあちらこちらに撒いてきた。荒くれ者が連れているという野犬が、においでシアルの居場所を突きとめるのを妨害するためだ。
「屋敷の構造も、各自それなりに把握したな?」
「大丈夫デスぅ」
階段の手すりに腰を預けていた『蒼の楔』レイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)の確認に美弥妃が自信満々で返す。
「では、作戦を開始しよう」
時刻を確認した『タクティシャン』シグ・ローデッド(p3p000483)の言葉に、シアルは祈るような形に両手をあわせる。
「皆さん、よろしくお願いします」
「では上に行きましょうか」
三階でシアルを守る最後の砦を務めることになっている『イカダ漂流チート第二の刺客』エル・ウッドランド(p3p006713)が、護衛対象を促す。
歩き出そうとしたシアルを『天翔る彗星』ウィリアム・M・アステリズム(p3p001243)が呼びとめた。
「通信用だ」
一羽の鴉が声もなく、ウィリアムの手からシアルがとっさに伸ばした腕に飛び移る。
「ありがとうございます」
深く一礼したシアルは、エルとともに三階の自室に向かった。
「私たちも行きましょう」
「よーし、やりマスよぉ!」
「じゃ、ちょっと行ってくるよ」
囮役を務めるイージア、美弥妃、ニアが屋敷を出て行く。
「……外の様子を、見張るッス……」
使い魔である蝙蝠を召喚したクローネが、命令を与えて腕を振る。閉まりかけた扉から蝙蝠はするりと外に出た。
「俺たちも隠れるか」
凝りをほぐすようにレイチェルが首を回す。真剣な表情で首肯したウィリアムが移動し、シグとクローネも持ち場についた。
屋内で敵を迎え入れる四人の役目は、奇襲だ。
「一見誰もいない空の屋敷。見えない位置からの襲撃。まるで幽霊屋敷だな」
「……犬の鼻も効かなくなるッスからね……」
ウィリアムの皮肉を交えた声に、クローネが淡泊に応じる。
「その幽霊屋敷へ、お客さんのお出ましみてぇだぜ?」
「それでは、怖い怖い幽霊屋敷のお話を……、始めるとしよう」
外からの光だけが明かりとなる屋敷の物陰に隠れ、レイチェルが脅かすような声で言い、シグが微かに口の端を上げた。
事前に与えられた情報の通り、十人の荒くれ者たちが二匹の犬を連れてくる。
イゼル伯爵邸の前庭に立つ三人の囮は、顔が見えないよう目深にフードを被り、彼らを迎えた。
一度シアルが着用したローブには、彼女の匂いがついている。ある程度なら、犬の嗅覚を混乱させられるだろう。
「あ? 三人?」
「この屋敷には小娘がひとりじゃなかったか?」
「おやぁ? お屋敷になにかご用デスかぁ? お客様がくる予定はなかったと思うのデスがぁ?」
戸惑う男たちに美弥妃が首を傾ける。シアルに借りた服を着ているイージアが、怯えるように一歩足を引いた。
シアルに見せかけるための演技だ。
「一番奥の奴がそうか?」
「じゃあお前ら、なんだよ」
「あたしたちもこの屋敷に住んでるんだよ」
「……お兄さんたち、武器持ってマスぅ?」
少し身なりのいいニアと余裕綽々だった美弥妃も、声に恐れを含ませる。
美弥妃がさり気なく性的魅力と誘惑のあわせ技を発揮したことに加え、逃げようとする女三人という状況に、男たちは舌なめずりをした。
「女が増えたんだ、いいじゃねぇか」
「そうだな。おいお前ら、俺たちと遊ぼうぜ」
じりじりと男たちが接近してくる。
三人はさっと顔を見あわせ、一斉に身を翻して逃げた。
「いいことしてやるからよぉ!」
屋敷に向かって全力で逃げる三人を、十人の男たちと二匹の犬が追う。
●蛮行制裁
装飾品がなくなり、殺風景なほど広々としたエントランスに、美弥妃とニア、イージアが男たちに背を向ける形で立つ。
荒くれ者たちは女を追いつめたと、意気揚々と散開しながら距離をつめていく。
「へへ……」
「観念し、ぎゃあっ!?」
「なんだ!?」
突如、強大な静電気を受けた三人の剣士が振り返る。少し先に扉があるだけだ。
「出てきやがれ!」
扉を蹴破ったが、がらんとした応接室があるだけだった。隠れられる場所はない。人影も、ない。
「へ?」
「ぎゃあっ!」
「キャンッ!」
そうしているうちに、今度は正反対にいた二匹の犬と弓使い二人が奇襲を受けた。
「なんだこれ! 凍ってやがる!」
「どうなってんだ!?」
「さてね、幽霊でもいるんじゃないかい?」
ニアの言葉に男たちは震える。
「女どもを捕まえろ、『春の瞳』も忘れるな! こんなところにいられるか!」
剣士のひとりが叫び、動ける男たちが一斉に三人に襲いかかる。
「そうはいかないデスよぉ!」
ローブを脱ぎ捨て、隠し持った杖に魔力を宿した見弥美が、一番近くにいた男を殴る。
「覚悟はできていますね?」
得物に紫水晶龍の呪いをまとわせ、イージアが一閃。ふわりとフードがとれ、その顔があらわになる。
「お前ら、まさかここの娘じゃない!?」
「気づくのが遅いんだよ!」
ニアの足元から風が吹き上がる。精霊の風は剣を持つ男たちに絡みつき、感情を掻き立てた。
「娘をさが……っ!」
階段を上がろうとした弓使いのひとりの怒号は、強力な呪いを受けたことで途絶する。同時に、彼の体がびくりと震え、体勢が崩れた。
「不幸につけこむヤツには、キツく灸をすえてやらないとなぁ?」
星天断絶を放ったウィリアムが物陰から姿を見せる。
「なん、ぐあっ!?」
「ひぃぃっ!?」
伏兵に驚く荒くれ者たちの足元から血色の槍が突き出た。
「シグ」
「心得た」
男たちを突き刺した槍が消えるより早く、最初に放たれたのと同じ雷弾が炸裂、再び限定範囲内に雷にも等しい静電気が発生する。
「幽霊屋敷にようこそ、ってなァ?」
王のように傲岸な態度でレイチェルが現れた。そのすぐ側の壁を、彼女と簡易契約「魔剣の主」を結んだシグがすぅっと透過してくる。
「こ、このっ!」
「ああ、その術は使わせない」
仲間の回復を行おうとした術師に、シグが手のひらを向ける。
術師の周囲に眼に似た紋様の魔法陣が展開。術は不発に終わった。
「なにしてんだ!」
「だ、だって発動できなくて」
「犬ども、娘を探せ! 匂いは覚えてるだろ!」
「……無駄ッスよ。分からないッス……」
男たちの半数と犬二匹に、呪いが降りかかる。
クローネが放った呪詛は、幻覚でありながら現実の疫病のようなものとして確かに作用した。
「っらぁ!」
「ふおぉっと!」
弓使いがでたらめに矢を引く。ちょうど剣士の一撃を間一髪、かわしたところだった美弥妃の鼻先を掠めたそれは、術師に直撃した。
「ぎゃああっ!?」
「うわああっ!?」
「おおー?」
階段を上ろうとする者はことごとく叩き落され、術師たちは力を順に封じられる。犬の嗅覚は使い物にならなかった。
奇襲を受けた荒くれ者たちは、出口すらいつの間にかイレギュラーズに塞がれ、頬を引きつらせる。
かすかだが、戦闘の音は三階まで響いた。
「大丈夫です」
「……はい」
貴族の令嬢が寝起きしていた部屋には、今やベッドのひとつもない。
現在のシアルが寝具の代わりに使用している薄い毛布と、数着の質素な衣服が、ぽつんと床に残されているだけだ。
「縫物って、どんなものを作っていたのですか?」
「ぬいぐるみです。お洋服も作りたかったのですけど、難しくて」
話題はシアルの趣味についてだった。エルは戦いが始まる前から、こうしてシアルと話し、このあと交渉の場に立つ少女の緊張を和らげようとしている。
実際、効果は大きかった。
「エルさんがいてくれて、よかったです。わたしひとりだったら、やっぱり不安で、きっと胸が張り裂けていたから……。もちろん、皆さんの力は信じていますが」
「私はなにもしていませんよ」
小さく笑んで、いざというときにすぐ動けるよう、片膝を立てて座るエルはシアルの手を握る。
「ことが終われば呼びにきてくれます。それまでのんびり、お話していましょう」
「ええ。エルさんのことも教えてください。ローレットのことも」
「そこは、話せる範囲で」
ぎこちなくではあるが、シアルが微笑む。敵がこないことを願いつつ、エルは次の話題を探した。
ウィリアムの鴉は窓辺でおとなしくしている。
集中砲火を受けて倒れた術師二人に続き、範囲攻撃に巻きこまれた犬が一匹、倒れた。
「どけぇっ!」
「退かないし、逃がさないし、許さない」
ウィリアムの杖が逃げてくる弓使いに向けられる。その身にかけられた異常の数々が、呪術の効果を増幅させた。
「がっ」
「行きマスよぉ!」
痙攣する弓使いのついでに彼の側にいた犬を巻きこみ、美弥妃が杖を横薙ぎに払う。
瀕死だった犬は倒れ、弓使いも膝をついた。
「終いだ」
どうにか反撃しようとした弓使いを、レイチェルが放った炎が襲う。
指先から流れる血を気にもせず、レイチェルは二人目の弓使いに目を向けた。意図を察したシグがマジックロープで弓使いを絡めとる。
「このぉっ!」
「させません」
剣士がクローネに刃を振り下ろすより早く、間に割って入ったイージアが仲間を庇う。クローネは荒くれ者を可能な限り大人数、範囲に捉え、毒の霧を生成した。
「氷もあるッスよ……」
猛毒を吸いこんだ弓使いに、氷の鎖が巻きつく。
「その身に呪いは効くだろう?」
「ギャッ」
扉を物質透過ですり抜けたシグが倒れかけの弓使いの背後を突き、呪術を放つ。彼が倒れると、剣士がくる前に再び扉の中に潜った。
「はっ……!」
剣士の大半を引き受けているニアがふらつく。
痛いが、それ以上に怒りがあった。まったくもって気に食わない。
「アンタたち、こんなことをあの子にしようとしてたのかい?」
ハイ・ヒールの温かく清浄な光がニアを包み、傷を癒す。出所に目を向けると、ウィリアムと視線が交わった。目で礼を言い、少女は男たちに向き直る。
「反省してもらうよ」
「うるせ、がっ」
「うるせぇのはどっちだ?」
血を媒介として鮮血の槍を召喚したレイチェルが皮肉気に笑う。続けざまにシグが雷球を放った。床に着弾、一定範囲に強大な静電気が発生し、副次的効果で凍結まで引き起こす。
「仕置きは強めの方がいいみたいだな」
反動を意に介さず、ウィリアムが荒くれ者に星の魔力を用いた呪いをかける。
戦闘が終わろうかというころ、どうにか息がある三人の剣士にニアが提案した。
「雇い主様から言質をとるのに協力してくれないかい? ちょっとお出迎えしてくれるだけでいいんだ。……命の対価としちゃ、簡単な話だろ?」
エントランスに転がる仲間たちを見捨てて逃げようにも、大きな扉はレイチェルとシグがさり気なく守り、その前には傷が癒えたクローネもいる。
窓を破ろうにも、美弥妃に殴られるか、ウィリアムの呪術を受ける方が早い。逆側の窓は、すっと移動したイージアが立ち塞がっている。
つまり、荒くれ者たちが生きて帰る道はひとつしかなかった。
ウィリアムの鴉の合図でエントランスに下りたシアルは、両手で口を覆って腰を抜かしそうになる。階段を下りきる前に崩れかけた少女を、エルが支えた。
「まだ終わってませんよ」
「もうすぐ伯爵がくる時間だろ」
羽ばたいてきた鴉を腕にとめ、労いをこめて撫でたウィリアムが扉に視線を向ける。
シアルは頷き、立ち上がった。
「ありがとうございます、皆さん。……もう少しだけ、お力をお貸しください」
イレギュラーズがそれぞれ、了承の意を示した。
●汝、罪を告白せよ
馬車から降りたディーオ伯爵は、上機嫌で扉に手をかけた。
もうすぐ『春の瞳』がこの手に渡る。小娘はどうなっていても構わなかった。
「汚い死体は見たくないがな」
うそぶきながら扉を開き、固まる。
「……は?」
「お待ちしていました、ディーオ伯爵」
出迎えたのは見慣れた小娘、シアルと、捕らわれている三人の男たち。それに見知らぬ男女が計八人。
エントランスを見渡せば、一か所にまとめて転がされている残りの荒くれ者たちと、二匹の野犬の姿があった。
瞬時に状況を理解したディーオが身を翻そうとする。バン、と激しい音を立てて扉が閉まった。
「おーっと。そうは行かねぇぜ?」
「話しあいをしようではないか」
「ひっ」
扉を足で締めたレイチェルとシグが、ディーオ伯爵の退路を塞ぐ。
「伯爵。皆さんに見えるように、証書を公開していただけませんか?」
凛と背筋を伸ばしたシアルの要求は、その実、命令に等しい。
男は歯噛みし、絞り出すような声で怨嗟を吐いた。
「ローレットの手を借りるとはなァ……!」
「お前も荒くれ者たちを雇っただろ」
お互い様だと、捕虜として意識を保たせている荒くれ者たちを見張りながらウィリアムが冷たく返す。
イレギュラーズ全員が視界に入るよう、体の向きを変えたディーオ伯爵が唸った。
「……証書、持ってるッスね……? 早く、見せるッス……」
「抵抗はお勧めしませんよ」
クローネとエルが得物に手をかける。
冷や汗を流しながらも視線を素早く走らせ、逃走を企てているディーオ伯爵に、ニアは大げさに肩を竦めた。
「あたしには小難しいことは分からないけど……、あんたなら、この紙ペラの価値が分からないってことはないだろ?」
懐から出した紙を、ニアはディーオ伯爵につきつける。
男の顔色がさっと変わった。
「アルパレストの紹介状!」
ラサの大商人、アルパレスト家の紹介状。その名と価値を知らない商人はおらず、美術商であるディーオ伯爵も例に漏れない。
「我らは実際にその証書を見ていない。やましいことなくば、見せるのになんの問題がある?」
「見せて、質問に答えるだけ。簡単だろ?」
悠然とシグは腕を組む。ニアは明るく微笑んだ。
「しょ、証書は、持ってきていな……」
「おやぁ? 持ってないってことはないデスよ、ねぇっ!?」
「がっ」
近づいて魔眼を発動させようとした美弥妃が足を滑らせる。頭が見事にディーオ伯爵のみぞおちに直撃した。
「上着の右の内ポケットです!」
「なっ!?」
探られたら困る、と思った場所をイージアに言いあてられ、ディーオ伯爵は目を剥く。
ちょうどあされる体勢だったのをいいことに、美弥妃は素早くそこに手を入れ、証書を引き出した。
「あるじゃないデスかぁ」
「この……っ!」
ディーオ伯爵が手を伸ばすより早く、美弥妃はさっと後退して紙をレイチェルに渡した。
「嘘はよくねぇぜ?」
「ぐ……、返せ!」
要求を無視し、レイチェルは喉の奥で嘲笑しながら四つ折りの紙を開く。
「内容はまともみてぇだな」
「証書自体も本物です」
持参した未使用の証書と見比べたイージアは頷く。
「ほ、ほら、証書は本物だ。もういいだろう」
事態を見守っていたシアルが唇を噛む。エルが勇気づけるようにその手を握った。
「いや。この四方の糊の跡はなんだ?」
「……それに、この署名の横の黒い汚れ……。変ッス……」
シグとクローネが気づく。男は慌てた。
「の、糊の跡などないぞ! 汚れは、汚れただけで」
「感圧紙の痕跡ではなく、ですか?」
領収書を発行する際などに、紙と紙の間に挟む複写用の黒紙。商業知識を持つイージアには、馴染みの物だ。
「つまり、だ」
にぃ、とレイチェルの口の端が吊り上がる。
「イゼル伯爵と取引をしたとき、証明書にこの借金の証書を糊づけ。署名蘭のあたりに感圧紙を挟み、名前を書かせたってことか」
「そっ、それが真実として、判は! 判は複製できんぞ!」
「おとうさまは、伯爵家の判を執務室にしまっておられました。……取引も、執務室で行われていたはずです」
シアルが静かに証言する。ディーオ伯爵は陸に上がった魚のように、口を開閉させた。
「イゼル伯爵が席を外した隙に、判を押すことくらいできたよなぁ?」
「偽の証書に効果はない。シアルの財産、返してもらうよ」
「く……っ」
「俺たちと、こいつらが証人だ」
ニアとウィリアムに睨まれ、ディーオはうなだれた。
「くそ……っ、もう少しで『春の瞳』を手に入れられたというのに……」
「どうしてそこまで『春の瞳』に固執するんだ?」
ウィリアムの問いかけに、ディーオ伯爵が吼えるように答える。
「ふん、世に二つとない宝を手に入れたいと願わない美術商がいるものか!」
「……呆れた理由ッスね……」
「もうひとつ」
屈んだ美弥妃がディーオ伯爵と視線をあわせ、魔眼を発動する。ディーオ伯爵の双眸から、正気の光が失われた。
「シアルさんのご両親の事故の真相について話してください?」
「あれは……、あれは知らん……。私はただ、好機と思っただけで……」
「ふーむ?」
「借金は偽物、事故は別か」
「どうする? もうちょっと吐かせるか?」
レイチェルがシアルに視線を向ける。少女は涙を堪え、首を左右に振った。
「もう、十分です。皆さん、本当にありがとうございました……っ」
イゼル伯爵が守ろうとしたものは、戻ってくるだろう。
喜びながら、一方で決して戻らない両親を想いシアルが胸を痛めていることを察し、エルはシアルの頭をそっと撫でた。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
お疲れさまでした。
ディーオ伯爵が奪取したイゼル伯爵の財産の数々は後日、無事に返却されました。
また、今後一切シアル・イゼルにかかわらない、『春の瞳』からは手を引く、という契約も証人の皆様の前で行いましたので、今後、ディーオ伯爵の手がシアルに伸びることはないでしょう。
現在シアルは伯母であるマーゼル子爵と、爵位譲渡撤回の旨について交渉中とのことです。
ご参加ありがとうございました!
GMコメント
●目標
荒くれ者たちの退治。
及びフーゼリニ・ディーオ伯爵に『春の瞳』を諦めさせる。
後者は暴力的にでも平和的にでも構いません。
●情報精度
このシナリオの情報精度はAです。
想定外の事態は絶対に起こりません。
●ロケーション
現場に到着するのは依頼を受けて二日後の昼頃です。
幻想某所、小高い丘の上に立つイゼル伯爵家の屋敷です。
最後まで残っていた執事がいなくなってまだ三日ほどですので、それほど荒れていません。
広々とした前庭があります。噴水の水はとめられています。
エントランスもダンスパーティがかつて開かれたほどの広さを誇ります。
ただしシャンデリアにも壁にも、売約済みの紙がベタベタと貼られています。
屋敷は三階建てで、相当な部屋数を誇ります。また、敷地内に使用人たちが暮らしていた離れもあります。
三階にシアルや両親が暮らしていた部屋があります。
家具類はすべて撤去されています。
●敵
ディーオ伯爵が雇った荒くれ者たちです。
「小娘を脅してやれ」と命令されています。
品性は欠けていますが、戦いには慣れています。
装備は伯爵が用意しましたが、家紋などはどこにも入っていません。足がつかないよう流通経路も工夫されています。
皆様が屋敷に到着した十分ほど後にやってきます。
また、戦闘後には悠々と『春の瞳』を回収にきたフーゼリニ・ディーオ伯爵が馬車でやってきます。御者はいますが他にお供はいません。
『荒くれ者』
貴族の小娘と暴力的な遊びができると聞いてやってきた男たち。
金で雇われているだけなので、忠誠心はありません。
・荒くれ者(剣)×6:体力と防御力に優れる。
・荒くれ者(弓)×2:毒矢や炎矢を使用してくる。
・荒くれ者(術)×2:回復を行う。また、植物を操り対象を拘束する。
・野犬×2:荒くれ者たちに飼われている大型犬。非常に鋭い嗅覚を持つ。
●NPC
『シアル・イゼル』
幻想の元伯爵令嬢。
金髪に青の瞳の、気丈な十五歳。伯爵家の娘であることを誇りに思っている。
この世に二つとない大粒の緑色の宝石がはめられたブローチ、『春の瞳』を今は肌身離さず持っている。
決戦日の夜から伯母の家に引きとられることになっており、「爵位と領地を差し上げる代わりに、『春の瞳』には手を出さないでください」という内容の契約を交わしている。
手先は器用だが体力はほとんどない。コネクションにも期待できない。
決戦日については、要望があれば屋敷までついていくが、そうでなければローレットに保護されている。
両親の事故は『春の瞳』と伯爵家の財産を欲したフーゼリニ・ディーオ伯爵が引き起こしたのではないか、と疑っている。
『フーゼリニ・ディーオ』
幻想の伯爵。小太りの中年男。
美術商としても名高く、個人的にも美術品の蒐集を趣味にしている。
その縁でイゼル伯爵と知り合い、度々、屋敷にやってきていた。取引も何度か行っている。
「私が美術品を販売する際、何度かイゼル伯爵が借金を申し出た」
「もうずいぶんとたまっている。亡くなられたなら返済もできないだろう、売れるものをすべて売ってでも金を作ってほしい」
「それでも足りないなら屋敷も売れ、ただし『春の瞳』には家財道具に屋敷を売ってなおつりが出るほどの価値がある」
などと言って、あっという間にイゼル伯爵邸をからっぽにしてしまった。
借金の証書はディーオ伯爵が悲嘆にくれるシアルや使用人たちに一度見せただけで、以後、誰の目にも触れさせていない。
「うちにもそんな書類はありませんでした。家の物を買いとりの業者さんに持っていかれるときに、うっかり回収されたのか、それとも……。
本当におとうさまがディーオ伯爵からお金を借りていたとしても、子どものわたしには教えてくれなかったでしょうけれどね」
とシアルは言っている。
●他
情報精度はあくまでAです。
彼に『春の瞳』を諦めさせる方法は複数あるかと思います。
以上、ご参加お待ちしています!
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