シナリオ詳細
<悪性ゲノム>おれのイヌを”助けて”くれ
オープニング
●イヌ
夜だった。
俺は、排水溝からのそりと這い上がる黒い塊を見た。
そいつはイヌの形をしていた。
ずるずると足を引きずるようにして歩いていた。
やせっぽっちで、見るからにみすぼらしいイヌだった。
イヌはよろよろと歩くと、その場にばたりと倒れた。
獣に襲われたのだろう。
あちこちケガを負っていた。
もう虫の息だ。
それでも、そのイヌは呼吸をしていた。
俺は酔っ払いらしく、しゃがみ込んで、気まぐれにイヌに話しかけていた。
「生きたいのか?」
イヌが、声なく吠えた気がした。
そこまでしてか?
おいおい、人生なんてくだらないものだぜ。俺はイヌに言ってやりたくて仕方なかった。この世界なんて、そんなにまでして生きる価値があるのかい?
嫌なことばっかりだ。それでも生きたいって言うのか?
俺はわざわざ、そんなこと、イヌに聞きはしなかったが、犬は、もう返事する気もないようで、ただ、尻尾を動かした。
俺はポケットから、注射器と小瓶を取り出した。
なんでもこれを使うと、生き物が恐ろしい力を持った、生物兵器になるんだとか。酒場で知り合った酔っ払いが、うそぶいていた。
嘘だと思ったし、酔っ払いもまた誰かからそれをもらったのだという。高値で売りつけようとする酔っ払いの話を、俺はウンウン頷いて聞いて、結局、瓶をスリ取って、自分のものにした。だが、そんな話信じちゃいなかったし、そんなことはあり得ないと思っている。
イヌは抵抗しなかった。
二晩、イヌは高熱を出し、そして、みるみるうちに回復した。
俺は名前を付けようか迷って、結局、やめた。
●俺の毎日
俺は普段、くだらないチンピラとして過ごしている。
俺の顔はすごみがない。
俺に戦闘をする力はないが、そのぶん頭は回った。この前も仲間と一緒に、善良な村人から、ローレットを騙って金をむしり取ったばかりだ。
ここのところ、異常な生き物の変異体があちこちに現れているそうだ。
ふと、イヌにやった薬品のことが頭をよぎる。
あれと関係あるのか?
考えても無駄だ。
俺はローレットを名乗って、イヌを使ってモンスターを退治する。なるべく値をつりあげて、依頼を受けて、何もまじめに最後までやんなくても、適当に逃げればいい。
イヌは強い。
「結構稼げたな」
仲間が膨らんだゴールドの入った袋を見せる。
「まったく、お犬サマサマだぜ」
イヌは檻の中にいた。
俺は肉を投げてやる。
ほかの仲間は怖がって近づきやしないが、俺はこのイヌが、ただのイヌだったときを知っている。
哀れで、ちっぽけで、小さなイヌ。
ギラギラとした目をして、ほかのやつを寄せ付けない。俺にはとうに制御できないが、俺に対しては、なにか敬意を払っていると感じる時がある。
例えば、俺が酒のつまみに手を付けてから、イヌはようやく肉に齧りついた。俺が先に食べるのを待っていたかのように。
だが仲間たちは、このイヌの賢さに気が付いていないようだった。
「おお……怖い怖い。がっつきやがる」
「せいぜい、稼がしてもらおうぜ」
「そうだな」
俺は頷いた。俺とイヌはよくやっていけている。
●依頼の失敗
いつものようにローレットの退治屋を名乗り、前払いで金をせしめる。
どこからか……この手口が周知されてしまって、ずいぶんやりにくくなってきた。
幻想の片田舎でようやく仕事にありついた。
狂暴化したイノシシに、イヌをけしかける。
そこまでは良かった。
だが、俺のイヌの様子がおかしかった。
俺のイヌが、仲間の一人に噛みついた。
もはや制御できなくなっていた。狂ったように跳ねている。
イヌはもう制御が効かなかった。
あちこちに頭をぶつけては手当たり次第に噛みついている。もう敵と味方の区別がついていない。
「アオオオオオン」
イヌが吠えた。
俺はイヌを呼ぼうとして、どう呼べばいいか分からなかった。
名前なんてないイヌだ。
イヌは仲間の足に齧りつき、一人を引きずって、振り回して木にぶつけた。イノシシがイヌに体当たりする。イヌは狂ったように吠えた。
俺が助けを求める相手として思い浮かんだのは、皮肉なことにローレットだった。俺がさんざん騙ってきた、ローレットだった。
●ところ変わってローレット
「俺、情報屋に転身しようかと思ってるんだよな。冒険者もいいけど、なんかかっこいいじゃん? こう、何でも知ってるぜ、みたいなさ……ふっ」
今日は情報屋が出払っているのだろうか。
現れたのは、なぜかキータだった。
キータというのは、冒険者を目指しているらしい男だ。
どこをとっても一般人のイマイチぱっとしない男であるが、なぜかよくトラブルに巻き込まれる(依頼:嵐のあとに、駆け出し冒険者キータは見た)。
イレギュラーズの真似事をしたかと思いきや、勝手に情報屋の真似を始めたらしい。
「それでだな、今回はずばり、これだ! 題して、『ローレットローレット詐欺』……長いな……えっと。俺が集めてきた情報によると、なんとこの村に偽ローレットを名乗る男がやってきていて、」
不意に扉が開いた。
キータは、手元の手配書を見て絶句する。
「あ、あれ? 犯人? えっと、そいつだ! そいつを捕まえれば……そのー、懸賞金とかホラ。ええ?」
●というわけで
というわけで、俺はここにやってきた。
ローレットなら何とかしてくれると思った村人たちの気持ちが今ならわかる気がする。
ローレットなら……。ローレットなら……。
あんたたちに、俺の願いを叶える義理はない。だが……。あのイヌはただ、生きたかっただけだ。
「俺のイヌを助けて欲しい」
俺の口をついて出たのは、そんな言葉だった。
- <悪性ゲノム>おれのイヌを”助けて”くれ完了
- GM名布川
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2018年10月28日 21時55分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(8人)
リプレイ
●イヌよ
『闘犬種で、更には野犬なんでな。本気で行くが、なるべく死なせないようにしたいところだぜ』
『猛犬王』ベテルギウス(p3p006505)は、素早くイヌの匂いを嗅いだ。
(まず、これだけは、はっきりしている。同族が狂乱している)
困惑を感じ取るにつれ、憤りを感じる。
(一体、どこの誰が、こんな妙なことをしたのか)
助け出さなくてはならない。
ベテルギウスは、仲間の匂いを追いかける。
『尾花栗毛』ラダ・ジグリ(p3p000271) はイレギュラーズたちの先頭に立ち、誰よりもはやく走った。
道なき道を、跳ねるように駆けていく。
仲間たちは、ベテルギウスとラダの後を追うようにして現場に急ぐ。
「探す前に手配人の方から転がってくるとは運がいいとは思ったが、流石にそれだけでは終わらんか」
『風来の博徒』ライネル・ゼメキス(p3p002044)はへらりと笑った。幸運の女神さまは、どうやらさらなる冒険活劇をお望みらしい。
悲劇か、喜劇かはともかくも、こうして賽は投げられた。
「名は?」
『五行絶影』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831) は男に問うた。
「俺のか?」
「イヌのだ」
男は少し黙って、答える。
「ない」
「イヌ、名前はまだない、か」
「名付けなかった事を少しでも悔いているのなら、今の内に名を考えておくといい」
「だが、あんたらは、イヌを倒しに行くんだろう?」
「どうかな」
汰磨羈は答えた。
「少なくとも、仲間はそうは思ってないようだがな」
「両方助ける……絶対に!」
「ああ。命を弄ぶような薬を生み出すなど許し難いな」
『寄り添う風』ミルヴィ=カーソン(p3p005047)と『死力の聖剣』リゲル=アークライト(p3p000442)の表情は必死そのものだ。
(あの人、真剣に助けを求めてた……悪い人でも放って置けない)
どうしてそれほどまでに人のために動けるのか、男には分からない。
「生き残るかどうかは運次第とは言え、運ってのは執着心でもって縁をつけて掴み取るもんでもあるし、機が来たら名前ぐらいは付けてやれよ。……それが今かはともかくな」
ライネルが言う。
数刻前、男は、ミルヴィに詰め寄られて誓いを立てることとなった。
「諦めないで、アタシ達も諦めないから、貴方も諦めないで」
(これに何か意味があるのか?)
言おうとして、ミルヴィの気迫に言葉を飲み込んだ。
「アタシ達は手伝いしかできない、助けるのは貴方なの」
「俺が?」
男は走っていた。何ができるのかは分からなかったが、とにかく何かしたかった。
人とは、常に移ろうもの。
時に魔が差し、時に惑い、時に心を変じる。
汰磨羈は黙って男を推量する。
(さて。この男は、その移ろいの先に何を見出すのか)
『この犬を助けるべきなのは、この男自身に他ならないのではと。私達がやるべきなのは、その手伝いなのではと』
『簒奪者』ヴェノム・カーネイジ(p3p000285) は、依頼の前に汰磨羈が言った言葉を思い返していた。
(仙狸厄狩先輩が来る前にいーこと言ったっす。己の欲望は己の手でこそつかみ取るモノすからね)
それは、決して人から与えられるものではないのだ。
(にしても、本音を言うなら、状況を解明する「標本」にゃ最適なんでしょうが。僕も甘いス)
ヴェノム は「次」を考えていた。
裏で何者かが駒を進めている。次はどう出る?
ヴェノムは回り込み、思いもしない角度から、正々堂々、不意を突いて奪う。
(一連の事件と関係あるのか。無いのか。全体的に被験体の扱いが雑すぎてイマイチ予想できねーすが。その酔っ払いとか調べられないモンすかね。流れ者なのか。地元の奴なのかだけでも)
とりあえず、考え事は保留にしておく。
道を抜けると、広い場所に出た。
イヌはイノシシの喉笛を食いちぎる。
「ローレットを騙り、その果てがこの犬(こ)の最期だと言うのならば何て哀れなのでしょうね」
『レジーナ・カームバンクル』善と悪を敷く 天鍵の 女王(p3p000665)はふわりと着地して、イヌと相対する。
「がふっがふっがうがうがうぅ!!(おまえか、狂乱しているっていうのは!!)」
ベテルギウスは猛々しく吠えた。イヌはうなり、吠えた。
怒っている。
……おびえている?
ベテルギウスの王者の威厳は、このイヌには通じない。今のイヌには理性がない。だが、じりじりと二歩下がる。残っているイヌの部分が、まだあるのかもしれない。ベテルギウスは再度吠える。
イヌが吠え返した。
イヌの言葉はわからない。それは一瞬だけ対話に似ていた。分かり合えたような錯覚はすぐに消える。
イヌは吠えかかり、とびかかってくる。
「表情や声をよく覚えているものだよ、犬は。それが残っている事を祈ろう」
ラダは言い、銃を構えた。
●吠える
周りには詐欺師の男たちがいる。
だがイヌはまず、手傷を負ったヴェノムに向かった。
(やっぱりこういう獣は血の匂いに反応するっすね?)
そう来ることは読んでいた。ゼシュテルの壁で牙を押さえる。防御に回るだけではない。イヌの死角から、気功爆弾が爆破する。
「ウォオオウ……」
イヌは牙から液体を滴らせながら、がちがちと牙を鳴らす。
「こっちだよ、こっちを見な!」
ミルヴィの六方昌の眼差しが、イヌを射貫くように見据えた。美しい舞。イヌは、引き裂きたいという衝動のままに、ミルヴィに飛び掛かる。
大きな衝撃がミルヴィを貫く。
「倒れるか! アンタを助けさせるって約束したンだ!」
ミルヴィは引かない。痛手を負ったが、イヌに大きな隙ができた。
「よし!」
その間に、汰磨羈が攻撃の準備を整えていた。電気を帯びた水行のマナが、掌の上ですさまじい速さで回転する。破禳・震月雷環。
ばちばちと雷が鳴り響く。イヌの毛が逆立ち、イヌは興奮して吠えたてる。
あっという間に、戦場の範囲は拡大する。
「その場を動くな! ここは俺たちが何とかする!」
リゲルは犬と男たちの間に割って入り、暴君暴風を振り上げた。
「救える命は救う。騎士の誇りに懸けて!」
「ああ、こっちも任せてくれ」
ライネルが気絶している詐欺師を抱え、戦場から引き離していく。
こちらの損傷はまだ、少ない。
「攻勢に移るわ」
レジーナが使い魔を召還した。大罪女王の遣い。それは、善と悪を敷く天鍵の女王の権能。レジーナと同じ姿をした使い魔は、鏡のようにレジーナの前に立った。
手をひらりと優雅に前に出し、無数の武具を召還する。天鍵:緋璃宝劔天。現れた武器がイヌに降り注ぐ。
切り傷を負いながら、攻撃をかいくぐるイヌに、ベテルギウスが弾丸のように突撃していった。
スーサイドアタック。捨て身の攻撃だ。
イヌは、振り払おうと跳ねまわるが、ベテルギウスはがっちりとイヌを離さない。
「本気で助けたいのなら、必死に声を掛け続けろ。何が切っ掛けで戻るか分からんからな!」
汰磨羈が叫んだ。
「声をかけろ」
ラダは男を後ろにかばいながら言った。
「戦闘中かけていた指示でも、イヌと自分だけの時に話しかけていた事でも。初めて告げる事でもいい。声を聞かせ続けろ」
「おい、イヌ」
イヌは攻撃の手を止めないが、耳がピクリとわずかに動いた。
「……帰るぞ」
「ああ、そういうのでいいさ」
●なんて言えばいい?
ラダのライフルから繰り出されるバウンティフィアーが、イヌを木の幹まで追い詰めていく。すかさず、ヴェノムの爆彩花が炸裂する。
男は必死に呼びかけているが、言葉はまだ届いていないようだ。
イヌは狂乱し、吠え、手当たり次第にかみつこうとする。だが、イレギュラーズたちの布陣は男たちが避難を終えたところで完成していた。
ミルヴィが、自らに手傷を負いながらも、暁の響宴を繰り出した。
「自分を失う感覚は辛いものだろう。一刻も早く解放してやる!」
リゲルは憎悪の歯牙を向ける。
(だが、憎むべきは目の前の犬じゃない)
こんな姿にしてしまった薬へ。そしてその薬を生み出した相手へと。
ヘイトレッド・トランプルが、異形の犬を蹂躙する。草地が一瞬にして地面へと変わる。
イヌは攻撃の手を緩めない。
「回復するわ」
「ありがとう、まだ戦える!」
傷つくミルヴィに、レジーナがヒールオーダーを飛ばす。
「相手もまだまだ元気か。ちょっとばかり、削る必要がありそうだな」
ライネルのドゥームウィスパーが、イヌの精神をかき乱す。汰磨羈が射線に割り込むと、再び破禳・震月雷環を放った。
イヌは、大きく頭を振った。
(通ったか……!)
「がふうううう!」
ベテルギウスが喧嘩殺法を繰り出した。本気の噛みつきだ。無軌道な攻撃を、イヌは退けることはできない。
地面にたたきつけられたが、それでもベテルギウスは牙を離さずに食らいついていた。
●最後の一撃
「破禳・鴻翼楔!」
イヌは、ぐるりと翻る汰磨羈の武器を追う。だが、空中で華麗に反転させた汰磨羈は、急回転し、強烈なかかと落としを降らせる。
穢れを濯ぎ、道理を究める。その名が示す通り、汰磨羈は攻撃によって、イヌの狂気をそいでいくようだ。その技で、厄を絶ち続けてきた。
吹き飛んだイヌは、そのまま男に突進しようとした。
(ツイてるな)
ライネルは思った。
幸運の女神というものがいるのならば、今、笑ったような気がした。
風が吹いている。ライネルのマギシュートが、イヌをけん制する。それと同時に、ラダの精密射撃が、イヌの前足をかすめる。
「お前が嗅ぎたいのは、そいつの血の匂いだったか?」
「ウォオオオン……」
違う、と言っているように、ベテルギウスには聞こえた。
『がふっ! (そうだ)』
「呼びかけて!」
イヌの注意を引きながら、ミルヴィは叫ぶ。
「責任は取って貰う。助けるのは貴方」
「だ、だが……」
「この子が傷付き倒れていた時に手を差し伸べたのは貴方なの。手伝ってあげる、だからありったけ声をかけてあげて。貴方が取る責任は友達を助ける事」
「ダチだって?」
ミルヴィとイヌは、まるで舞うように攻撃をかわした。悲哀の輪舞。牙にはじかれた妖剣イシュラークは、再びミルヴィの手元へと戻る。
(まだか……! だが、もう少しだ)
ライネルはマギシュートではなく、遠術に切り替えて攻撃をする。
「お前の相手はこの俺だ!」
リゲルが叫び、その身に光輝を宿した。
リゲルの武器は、攻撃を受け流すために使われる。繰り出されるのは蹴戦による攻撃だ。イヌは、リゲルと相対する。
イレギュラーズはイヌの動きが、次第に弱まってきたことを感じ取る。
男を狙った噛みつきを、ラダが叩き落す。イヌの攻撃が、乱暴で無軌道になってきた。
「おっと、まずいな」
ライネルが下がり、詐欺師たちの方へ攻撃が行かないようにと戦場を移す。
「あとは任せた」
汰磨羈はブロックに専念し、仲間たちに攻撃を任せることにした。
『(おい、さっさと目を覚ませ!! 間違って殺したら、後味が悪いんでな!!)』
ベテルギウスはイヌに組み付き、ゴロゴロと地面を転がった。
「倒れて……!」
ミルヴィが武器を捨て、素早く拳闘を繰り出した。イヌは、狂ったように吠える。
「頼む……どうか……」
男は手を組み合わせる。
どうか、神様ってやつがいるというなら。
(頼む?)
ヴェノムは皮肉気な表情を浮かべた。
(僕はしたり顔で全て取り立ていく運命ってヤツが大嫌いだ)
ヴェノムの攻撃は、すべて急所を外していた。その攻撃に、男はあっけにとられる。
(イヌ。お前は願った。詐欺師。お前は願った)
そうだ、違う。
(思い知らせてやれ。足掻け。願え。奪え)
男は言いよどむ。ヴェノムを見ていて思った。するべきは、哀願じゃない。そんなことをするために来たのではない。
「頼むんじゃない」
(そうだ。奇跡なんざ糞喰らえだ。助けるのは、此処にいる者の意志だ。力だ)
「奪う」
「戻ってこい!」
ヴェノムと同時に、男が叫んだ。
それは命令だ。
ヴェノムの爆彩花が爆炎を上げる。その後ろから、ベテルギウスが飛び出した。
狂乱し、最後に遺言のように一吠えを上げようとしたイヌの喉を押さえつける。
運命を踏みにじるように。
もぎ取るように。
●倒れるイヌ
「がふっ! (おい、生きてるか?)」
ベテルギウスがイヌに駆け寄った。イヌは虫の息だった。
(この子を生かして助けたい)
打ちのめされた小さな命に、ミルヴィは思う。
「どうしてアタシはいつも間に合わないの! お願い、生きて……!」
「行け」
ラダは促した。
「声をかけてやれ」
「まだ声は聞こえているはずだ。踏み止まらせろ、できるのはお前だけだ」
「俺が?」
だが、生きている。
「何はともあれ血を止めるぞ」
ラダがイヌの傷口を抑える。
「効果があるかはわからないけれども、やらないよりはましよね」
レジーナがヒールオーダーを施した。
「注射されたのはここっすかね」
ヴェノムがイヌの腫瘍と思しき部分から液体を抜き取る。鼓動は弱い。
医療技術の知識はある。だが、未知の薬剤だ。対症療法だが、やらないよりははるかにましだろう。
「この体の大きさだと、たぶん適正な量はこのくらい……」
ミルヴィは動物知識でヴェノムに助言しながら、悔しそうに唇を噛みしめる。
(こんな事ならちゃんとアイツから医術勉強しとけばよかった! 畜生!)
「助かってるっす」
ヴェノムは言いつつ、ふと思う。このまま処置をせず殺してしまえば、……この事件への手がかりも増えるのだ。
(まあ、きっと僕は馬鹿なんだろうな)
けれど、ヴェノムの手はイヌを救うために動いていた。
イヌは浅い呼吸を繰り返している。
「も……」
男はもういいと言いそうになった。
男の脳裏に浮かんでくるのは別れの言葉ばかりだ。
「諦めないで!」
ミルヴィが叫んだ。
「この子が生きたいって思う限り諦めないで!」
生きたいのか?
イヌは何も言わなかった。だが、しっぽを動かした。初めて会った、あの時のように。
「なら、そうしよう」
「アオン!」
イヌが吠えた。
戻って、来た。
踏みとどまった。
だが、イヌが吠えたのも一瞬のことだ。
ラダが体温を維持するために、イヌを寝袋に入れてやる。本格的な治療は、村に戻ってからになるだろう。峠は越した。そんな予感がした。
「馬車は貸す」
「ヘラオスも貸すよ」
「梅雨払いは任せてくれ」
ライネルとミルヴィが言い、リゲルが剣を掲げる。助け出された詐欺師たちはすっかり呆けていて、逃げ出すそぶりもないようだ。
「罪を償い、出直すべきだ。それと、貴方は」
リゲルは男を振り返る。
「名前とは、その子を示す器のようなもの。この子を一番想っているのは貴方の筈。よろしければ貴方が……名付け親になってあげて下さい。貴方の家族に、してあげて下さい」
何を言えばいいかと男が迷っている男に、リゲルの言葉が、まっすぐに胸に突き刺さった。
たとえ人生がくだらないものだと思っていても、この子との出会いは彼の心に一生残るものだろう。そうリゲルは思った。
「支え合いながら生きて欲しい」
「俺も」
男は言った。
「俺もこいつに生きててほしいんだ」
●名前
ローレットへの依頼は取り下げられた。退治すべきイヌは「生きている」。
イヌは、やってきたレジーナをゆるりと見返した。そして幻影を探すように、ふんふんと鼻を鳴らした。
「今日は一人なのだわ」
やってくるヴェノムを、イヌはじっと見て一歩下がった。
「なーにおびえてんっすか? 何もしないっすよ」
「強者だと認識したんだろう。嫌われてるわけじゃない」
汰磨羈は、イヌの言を代弁してみせる。
イヌはまだ元気がない。すべての影響がなくなったとはいいがたい。まだ予断を許さない状況ではあった。
「打った薬が原因ならば、練達なら……いや、希望的観測か」
汰磨羈は考え込むしぐさを見せる。
「ツキのある奴は、そう簡単には死なねえもんさ」
ライネルが言う。
怪しい男については、ヴェノムがあとを探り、ギルドへとしかるべき報告をした。ラダは瓶と注射器をおさえ、原材料と購入者を調べるように進言した。
薬品の出所は、判明すれば一連の事件の解決の役に立つだろう。……もしかすると、イヌの治療にも。
『がふっ(ひとまず良かったな)』
ベテルギウスとイヌは、匂いを確かめ合う。
薬の影響を減じたイヌは、少し縮んでいた。こうしてみると、少しだけ野犬軍団の犬にも似ている。
イヌは、イレギュラーズたちに礼を言うように声なく吠えた。
ミルヴィはそっとしゃがんでイヌの頭を撫でる。リゲルは満足そうに頷いている。
「あんたらのおかげだ」
男が罪を償う間、イヌは老夫婦に引き取られることとなった。
「それで、俺のことを忘れたら、そのまま老夫婦のイヌになればいいさ」
「で、名前決まったか?」
ラダの問いに、男は頭をかいた。
「レギュラー……だ。いや、センスないんだよな、俺」
多分、イレギュラーズからとったのだろう。
「このイヌのこと考えてたら、あんたらのことを思い出したんだ」
男は笑った。
「元来、獣に固有の名など必要無い。人から与えられない限りは。――だからこそ。名前というものは、人と繋がっていた事の証となるのだ」
汰磨羈は、遥か昔を懐かしむように言った。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
まだまだ油断はできない状況のようですが、ひとまず、イヌは一命をとりとめたようです。
イレギュラーズの皆様、お疲れさまでした!
実のところ、このシナリオを書いたときは、一応はイヌが助かることも念頭に入れつつ「どうやってきれいに終わらせようか……」という結末を思い浮かべてばかりいたのですが……、皆様のご活躍により、イヌと男の物語は、まだまだ続く模様です。
謎の薬品を提供した人物とも、いずれ相まみえるかと思います。
機会がありましたら、またご一緒下されば幸いです。
GMコメント
●目標
ハウンド・ドックを退治する。
●男の願い
イヌを”助けて”欲しい。
●登場
ハウンド・ドッグ……名前のないイヌ
大型犬ほどの大きさの名もなきイヌ。
正気を失っており、動くもの、見えるものすべてに噛みつく。
今は、もともとの討伐目標だった暴れイノシシと戦っている。
イレギュラーズたちが現場に挑んだところでちょうど勝利して、こちらに牙を剥くだろう。
ハウンド・ドッグの牙は麻痺と出血を引き起こす。
全身が黒いが、腹がほんの少し白い。
詐欺師の男×2
共に詐欺を働いていた仲間。
ハウンド・ドッグと暴れイノシシが戦っている周辺にいて、何もできずにいる。
一人は足をけがして動けず、一人は気絶している。
たどり着くまでは、イノシシとイヌが戦っているので問題ないが、状況によっては、危険が及ぶ可能性がある。
●場所
とある田舎の村、森の広場。詐欺師集団以外に人はいない。
●詐欺師の男
ローレットを名乗って詐欺を繰り返してきた男。
理由は分からないが、なんとなくイヌに愛着がわいているようだ。
詐欺師の仲間も見捨てられないとは思っている。
プレイングに特筆がない場合は、イレギュラーズに同行する。
戦闘能力はない。
●PL情報(メタ情報)
ハウンド・ドッグは正気を失っている。
戦闘中に正気を取り戻すことはない。
詐欺師の男に対しても、特別な反応はしない。
倒れる間際、一瞬、ほんの一瞬、普通のイヌに戻る瞬間がある。
だが、もともと死にかけていたイヌである。
たとえ、<悪性ゲノム>の影響を取り除けたとしても、死にかけていたころの状態に戻るので、そのまま息を引き取るだろう。
※あらかじめ知り得ない情報です。洞察なり、ロールプレイなりで活用してください。
※なお、この症状はほかの依頼の<悪性ゲノム>とは異なる場合があります。
固有のものだと思ってください。
●補足
依頼人は、助けてくれと言いながらも、イヌの生存を半ばあきらめています。
絶対に助けられないというわけではないのですが、具体的に”これをすれば助かる”という解法を用意しているわけではありません。
助けるかどうか、また、助けられるかどうかはプレイング次第です。
ハウンド・ドックを倒せさえすれば、依頼は成功します。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
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