シナリオ詳細
<花蔓の鬼>紫蝶
オープニング
●
――幸せに、なってね。
その美しいおんなに憧憬を抱いたのは、あくどい色彩ばかりが跋扈するこの街で穢れなく見えたからだ。
髪を掴み上げ罵る声が木霊する。悲嘆に暮れる女の泣き声はこびり付いて剥がれることのない瘡蓋のようだった。
地に転がされる醜女の肉塊に集る蠅の喧しさなど何処へやら。何れだけの苦難を味わえども彼女は幸福だと笑ったのだ。
感情の一つも込められていない愛の言葉ではない、抱き締めるだけで、傍に居るだけで味わえる愛情を手に入れたというその人が。
「……どう、して」
澄恋 (p3p009412)は刮目した。
取り乱しやしなかったのは急激に血流が下り、腹の中が冷たくなったからだったのだろうか。
お母様、お母様と半ば狂乱状態で死した魔種の元へと飛び掛からんとするすみれ (p3p009752)の身を抑えた瑞鬼 (p3p008720)は立ち尽くした儘の澄恋を見た。
「馬鹿娘」
呼び掛けれども響かない。愛の言葉なんて遠離った気がした。地を這うようにやってきた父親の声がやっとの事で澄恋に呼吸を促したかのようである。肺を満たした新鮮な空気に思わず嘔吐いた。
気付きたくなかったのだ。気付いたのは己が同類と言うことか。眼前の男は、父親なのだという。
肉屋くものくら――
何者であるかという伝令を御所に飛ばしていた白薊 小夜 (p3p006668)は噂半分だと伝令を受けた。
賢しい遊女であろうともその男の手に掛かれば色さえ知らぬ小娘のようにしおらしくなるのだという。
精神に干渉する某かが存在するか、それとも。
華やかな女の手を引き見世より姿を消したかと思えば骨の一本も残らない。
女の柔肌は喪われるが金貨となって見世に戻されるという。その男の商いは、人間を『解体』する事だ。
喰らう悪食もいるだろうが、男の場合は収集癖が強かった。加工した『妻』の角は黒曜石にも負けず劣らず。
「つまり、貴方は遊女を拐かし『売り捌く』為に此処に来ていたの?」
「捌いて売るの言葉の方が正しいなあ」
「不愉快ね」
眉を顰めた小夜を庇うようにすずな (p3p005307)が立ったのはこの美しい人を下卑た男の好奇の視線に晒したくなかったからだ。
榛の色は深い秋に良く似合う。あの尾を引き抜いて武器飾りにでもすれば良いか。品を定めるような志鸞の視線にすずなの肌が粟立った。
「……その様な視線で他者を見定めるなど……」
「クセやから、『しょうがない』やろう?」
「躾がなってないの間違いじゃ?」
銃口は向けられた儘だった。引き攣る表情と苛立ちを込めた視線でコルネリア=フライフォーゲル (p3p009315)は志鸞を見遣る。しかし、その視線に返されたのは笑みだった。
「怒らんでも」
「ええ、ええ、人様の趣味に口出しなど致しませんけれど――
どうやら光の下がよぉく似合うワタクシの友人が何かに気付いた模様。……教えて頂いても?」
囁くヴァイオレット・ホロウウォーカー (p3p007470)へと志鸞は朗らかに手を打ち合わせた。
「ああ! これなあ」
ずるりと剣が引き抜かれる。人間の脊椎を加工し、尤もたる強度を持たせたそれ。
ひゅ、と息を呑んだのはムサシ・セルブライト (p3p010126)だった。それがどの部位かを理解出来なくとも『人骨』であるインパクトは身をもよだつものだ。
「誰の骨だ。しかも、大部分を使ってるだろう」
医者である松元 聖霊 (p3p008208)は眉を吊り上げた。
耀 英司 (p3p009524)は気付く。澄恋に聞かせたくはない言葉の応酬がやってくる。
「澄恋」
呼びかけるが愛しいそのおんなはふらつきながらも『父親』に近付いていた。
「答えろ」
唇が震えている。朗らかに笑う姿はそこにはない。
見開かれた眸、憤怒の鬼。ぐらつく足元に力を込めて澄恋は言う。
「くものくら」
「お父さん、やろ?」
「……曇暗志鸞! 応えなさい!」
澄恋の脳内で警鐘が鳴る。聞いてはダメ、聞いてはダメ、聞いてはダメ、聞いては――
「そういや、玉枝におったんやんなあ」
足元が暗くなっていく。体内の血流が一気に上昇し、眼球がぐりんと動いた。
「思い出話しとったで。良く似てる女の子がおってな、獄人で酷い怪我をして泣いてたって。
『あの時』は腕折られてたんか? 肋も数本逝ってたんやろ。大丈夫遣ったか、澄恋」
足ががくがくと震え始める。嘘だという言葉で全てが塗り固められた。これ以上は。
「詩音」
――……大丈夫よ、私でも運命の人と巡り合えたんだもの。
貴女にも素敵な出逢いがきっとあるはずだから、此処での生活を頑張って下さいね。
ひゅう、と澄恋は息を呑んだ。ああ、ああ、どうして。あの人は幸せであるはずだったのに。
結局、あの掃き溜めで生まれて育ったならば幸せに何て慣れやしなかった。
誠の愛など何処にもなかったのだ。澄恋は「はは」と乾いた笑いを漏す。分かって居たじゃないか。
恋も愛も何もかも無い。嬲られ傷付けられぞんざいに扱われ血を吐いて、それでも藻掻き生きてきた。
己は穢れている。他者にとっての不利益だ。人を愛する事の出来ない己に――誰かを愛する事なんて。
「詩音のパーツを分けてやろうか。旦那様、作ってるんやろう? なんや、同類や」
「おまえ、と……?」
「そうやろ。愛してくれた人達のパーツを集めたらええ。英司やったかな、あの子の腕でももいでやろうか。
旦那様にはぴったりやろう。ほら、次は誰にする? あの褐色の嬢ちゃんかなあ、それとも――」
澄恋はがくがくと足を震わせた。
己の過去も何もかもを、澄恋という一人の人間を肯定してくれる存在を作らなくちゃならないのに。
花嫁の概念を形成するべく愛情を与える存在を作らなくちゃ。否定もしない肯定だけする最愛の人を。
振り返った澄恋はすみれを見た。
「狂ってる」
同じ顔をした女は澄恋を信じられない物を見るような目をしていった。
「同類め」
震える足で、澄恋は眼前の『父』を見た。
「苦しいなら、終らせたろうか?」
彼の腕が、迫り来る――
- <花蔓の鬼>紫蝶完了
- GM名夏あかね
- 種別リクエスト
- 難易度-
- 冒険終了日時2023年11月22日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談8日
- 参加費---RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
リプレイ
●
一番、幸せな時を想像してみ? その時、お前さんはどんな表情してるやろか――
そんなの、想像できるわけもなかった。立ち竦んだ『姓なき花嫁』澄恋(p3p009412)と対照的に憤怒に身を添わせた『姓秘し花嫁』すみれ(p3p009752)。
一方はこの世界で生まれ、もう一方は異世界より現れた。一方は両親に捨てられ、もう一方は嫁ぐ刹那であった。
「これは」
すみれがごくりと唾を飲み干した。
「これは、永い永い悪夢……でしょう?」
女の唇が戦慄いて、落ちた絶望はたったの一滴だった。貴女に涙が似合わないなどと甘ったるい言葉をすみれに告げるのはただの一人だけ。
その人の居ないこの世界は、それだけでも絶望的だというのに。更に暗澹たる雲で覆い隠すのだ。
「……母を、母を引き摺るな下郎。そのお方は本来お前如きが気安く触れてよい相手ではないのです」
「好きにしてくれって良く言うてたけどなあ」
「母を弄り澄恋を産み愛でる愚かな蛆が本ッ当に気にくわない。全て思い通りになると思うなよ、奸賊が――!」
眼光に宿した苛立ちは鬼と呼ぶに相応しい。祝言を邪魔され、母は堕ち死にイカれた女が上等だと宣うのだ。
苛立つすみれは地を踏み締める。その傍を駆け抜けようとした『簪の君』すずな(p3p005307)の尾っぽがくんと引っ張られた。
「きゃ」
「すずな」
ゆっくりと近付いてから『盲御前』白薊 小夜(p3p006668)はすずなの髪を指先に掬いあげる。滑る絹糸のような榛色。
その髪先に口付けた小夜にすずなは身を固くする。動けやしないままの彼女の肩に手を遣って頸筋をなぞった。
「ねえ、私の前に立つのもいいけれど、貴女は私のでしょう?
いつもちゃんと櫛を通されたさらさらの髪も、ふかふかの尾も、弱めの精油の香りも。
見えぬ私の為にしてくれていると思っているのでけれど自惚れかしら?」
「あ、え――あの、小夜さん……?
確かにそれは間違ってないというか、私は小夜さんのですけど――そうじゃなくって!」
ひゅ、と息を呑む。ああ、唇が近付いてくる。喉がごくりと音を立てた。頸筋に近付く紅い唇からすずなは目を離せない――と。
「……ふふ、つい困らせてしまいたくなってしまうわね。大丈夫よ、後ろに居ろなんて言わないわ。隣に居て頂戴」
「……あの。…………ねぇ!」
すずなは子犬のように吼えた。かあと頬に熱が昇る。
「そういうの、ずるくないです? ああ、もう。そうですよ! 普段以上に身嗜みを気にするのも! 前に出て盾になろうとするのも!
誰の為だと思ってるんですか! 貴女以外の為にそこまでしませんよ! これで満足ですか!?」
恋する乙女。その目映さが今の澄恋には目が潰れてしまいそうなほど。愛おしいと叫ぶ事が出来ればしあわせになれたのだろうか。
女の思いを救うように、『水底にて』ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)が囁いた。
「澄恋様、ワタクシとアナタは似ています。己が性に懊悩し、それでも渇望する事をやめられぬ、怪物としての性がある。
それでも、アナタは違う。誰かを悲しませる存在ではなく、誰かに寄り添える……。
ワタクシの友達が好きだった、紛れもない『菫』の花のような存在なのです」
澄恋は頭を抱えた。違うのだとヴァイオレットに否定を叫びかけた唇を引き結ぶ。
だって。だって――こんなにも醜い。
「下がって。自分は保安官であって商人でもなんでもないでありますけど……。
よしんば自分が商人だったとしても同じことを言えるであります。
お前にはもう何ひとつも渡さない。ここにいる人達のことも、大切な人のためにある自分の身体もお前には絶対渡さない。
むしろ……今まで犯してきた罪の精算を払わせてやる!」
鋭く睨め付ける『宇宙の保安官』ムサシ・セルブライト(p3p010126)が『父親』に投げた言葉に澄恋は苦悩した。
そうだ。否定するべき行いだ。分かって居る。それが罪であると、知っている。
「こ奴はあれじゃな。話の通じない気狂いじゃろう。一々言っていることを気にしてもしょうがない。
……気にするな、とは言わんぞ馬鹿娘。じゃがあやつをお前は似ているようで全く違う。
他人に危害を加えるという一線を越えたかどうかじゃ」
びくりと澄恋の肩が揺れた。『幽世歩き』瑞鬼(p3p008720)は確かめるように「お前はまだそこまで堕ちておらんじゃろう? 澄恋」と声を掛けた。
馬鹿娘と呼ばれた女は動かない。応えない。不審に思うこともなく瑞鬼はそっと目を逸らした。
「さて、人を解体して、加工して捌く、ね。そんな仕事があるとは世界は広いな。
俺は職業に貴賎はねぇと思ってるが、人の生命を生命と思わねぇなら話は別だ。
お前は医療従事者(おれたち)にとって、最たる敵で排除すべき癌だ。俺の目の前で誰も死なせやしねぇよ」
特に『獲物』はどうしようもない程の莫迦者で、どうしようもない位に愛するべき患者だった。
「お前なんぞにくれてやるかよ」と低く『医者の決意』松元 聖霊(p3p008208)は呟いた。
澄恋の唇が震え、指先がかたかたと音を立てた。気付いたのはすみれだけだろう。
「他所様の家庭事情に首突っ込むも野暮でしか無いけれど……ちぃと趣味が悪すぎんねぇ。
吐く言葉ぁ耳に入れるだけで反吐が出るが、これも仕事。やるべき事はしましょ」
『慈悪の天秤』コルネリア=フライフォーゲル(p3p009315)に澄恋はやるべき事は知っているとそっと立ち上がった。
魔種は死なねばならない。魔種は殺さねばならない。ああ、けれど。
――皆さんごめんなさい。
あの人は、たった一人だけ残された『家族』だったのだろうから。
澄恋がふらりと足を縺れさせた。
「親父さんよ、アンタ、役者のオーディションを受けたことあるかい?
同じ役でもな、演じる者によって全く違うんだよ。そこに込める感情も、元になる信条も。結果現れるキャラクター性も。
澄恋も、アンタも、もっとよく比べてみろよ。本当に同じか? お前達は同じ存在だと、間違いなく言えるか?」
『怪人暗黒騎士』耀 英司(p3p009524)は確かに彼女を愛している。愛していたからこそ、女の意見を尊重したかった。
「――なぁ、”お前は誰だ”?」
愛しい貴方様、知っていらっしゃる? 私も分からなくなったのですよ。だって、私、本当は――
●
何処まで堕ちれば己をけだものであると認識出来るのだろうか。
つい最近まで己は狂ってやいないと思い込んでいた。澄恋はのろのろと立ち上がってから『父』を見た。
曇暗志鸞は相も変わらず穏やかな笑みを浮かべている。月明かりの下、周囲にあばら骨がざらりと広がった。
「ハッ!死体を再利用して武器かい、胸糞悪ぃことするねぇ。反吐が出るが……効率的だわ」
コルネリアは実にリサイクルの観点で言えばそれは理に適っていると呟いた。この場において地の利が男に上がるのならば逃げ道を潰さねばならない。パーツを持ち逃げされて再利用など据わりが悪くて堪らない。
「貴方の事を口汚く糾弾するつもりはないのですが。
ただ、私の友人と――小夜さんを傷つけ、奪おうとするのは看過出来ません。勿論、私自身も貴方に奪われるのは御免です故。
この刃にて、抗わせて頂くまで。――御覚悟は、よろしいですか?」
「そう言われると、興味をそそる事を嬢ちゃんは知らへんのかな。初心(ウブ)な子ほどそういう誘い文句をするもんや」
唇を吊り上げた志鸞にすずなは「な」と引き攣った声を漏した。
「あら、そうね。男性という生き物は拒絶を許諾と捉える事があるのだものね。
ね、曇暗さん。私も色んな方にお会いしたことがあるから貴方の趣味もわからなくもないけれど、その上ですずなは勿論、私の友人から何かを奪うなら相応の対価を払ってもらいましょう」
「妬けるね」
相思相愛かと呟いた志鸞にすずなは取り乱した。慌てた様子で小夜を見れば彼女は表情を変えずすらりと刀を引き抜いた。
その姿に思わず見惚れてしまっていたと首を振る。
「すずな」
「は、はい」
「……戦いに集中しましょう。私の件は誰かを守るには向かないわ。
前に、進むことしか出来ないの。ねえ、可愛いすずな。私も剣士だから、分かって頂戴ね?
私の為に、私と同じかそれ以上に踏込んで、傷だらけになる可愛い貴女。その傷一つだって愛おしいの」
傷付くことを厭えども、傷が己のためだと思えば愛おしさが溢れ出る。かあと頬を朱に染め上げてからすずなは「倒しますよ!?」と叫んだ。
仲睦まじい前衛を一瞥してから聖霊は「澄恋」と声を掛けた。この場で最も狙われやすいのは彼女で、その彼女を守る英司とて危険のある立場だ。
(……澄恋がちゃんと自分の人生歩める様に、悩んで、考えて結論出せるまで、澄恋も英司も他の奴らも倒れさせたりしねぇ)
長時間の手術には慣れている。医者を前にしてなんと生命を愚弄する行いをする魔種なのかと憤りさえもある。
だが、今必要なのは志鸞へと不満を伝える事ではない。必要なのは澄恋が前を向くことだと英司は言った。
「どれだけ時間がかかってもいい、どんな結論でもいい。
俺に出来ることは、澄恋にもらった温かな時間の分、命で応える事だけだ。
夢を見せてもらった。もう十分、分不相応なまでに、人としても生きることが出来た。後は、君の選択を受け入れる。
――選べ! どう生まれたかじゃねぇ、どう生きたいかを!」
立ち竦んだ澄恋を護りながらも、志鸞を見遣る。今更手脚の一本も二本もその程度で音は上げやしない。
何処を切れば綺麗に立てるかくらい知っている。奪われる前にみじん切りにして骨をも砕く覚悟は疾うにしてきたのだ。
志鸞を前にしたすみれの背を眺めてから瑞鬼は何気なく腕をぶらりと揺らして見せた。
「何年物かわからぬ獄人の腕、欲しいのはこれじゃろう?」
振り向いたすみれの非難がましい瞳に「構わんじゃろう」と瑞鬼は微笑んだ。
「全くねえ……」
コルネリアが肩を竦めた。コルネリア=フライフォーゲルという女は轟焔と光を武器とする。
それ全てが女の命そのものなのだ。赫々たる色彩は人の生き様であるかのように罪をも灰に戻し行く。
この場に贖罪なんてない。断罪する立場でもない。ただ、依頼を受けた傭兵として仕事を遂行するだけなのだ。
それでも目に見るその姿は反吐が出て溜らない。
弾丸の中を駆け抜ける仲間達を支援する。澄恋を守る英司を前にして志鸞が手にした『詩音』は元は美しい獄人の娘であったという。
(本当に遣る瀬ないね)
――女は、澄恋の心の支柱であった『幸福な花嫁』だった。
それを奪われ、武器とされ、誰が正気でいられようか。コルネリアは咥え煙草をぽとりと落としてから「ああ、ツイていない」と。それだけのことを考えた。
●
「いただきます」
軽やかな男の声が響いた。澄恋に向け『詩音』が振り下ろされる。
それを、払い除けることは出来なかった。その人は大切で――
「澄恋!」
飛び込んだ英司の腕が澄恋の体を弾き飛ばした。「えい、」と名を呼ぶ舌は縺れ澄恋の体が地へと叩きつけられる。
「ふむ、筋肉のバランスは良さそうだ」
英司の肘より下の部位が宙を踊る。スローモーションでその様子を眺めて居たムサシの背筋に嫌な気配が走った。
「ッ、き――貴様ァッ!」
叫ぶムサシより早く聖霊が反応する。後方に控えさせたアネストならば応急処置をしてくれるだろう。
「アネスト、圧迫止血。部位を奪われずに袋に入れて密閉しろ。氷水を入れること」
「分かってる」
静かに返したアネストに聖霊は血相を変えることなく適切な処置を施していた。
麻酔の針なんて恐ろしくないだろう。馬鹿患者達は何れにしたって傷だらけ。
「はんっ、満足などしておらんじゃろ? わしの片腕を持って逝くがよい。ほぅら獲りに来い」
ぎらりと瞳に怪しい色を灯した瑞鬼が駆ける。志鸞はふと思いついたように「澄恋のモンが一番良いんやけどなあ」と囁いた。
「私は夫のもの。皮膚の一片たりともお前には渡しませんし、私を選んで下さった夫をも卑下するそのセンスを許さない。
兎円居の寵愛を受けし傑作を見下すのなら――」
「ああ、兎円居の人間は誰も彼も脳が足りてへんのやな」
すみれが引き攣った様子で声を上げた。
「貴様ッ!」
母も、澄恋も、お前の世界から奪ってやる。可愛い娘と揃いにしてやると眼孔を狙った女に志鸞は笑う。
「知ってるか、目ェってのはこうやって獲るんや」
ぐりんと指先が眼孔に入り込んだ。刹那に走った痛みと、理解不能な感触。そちらに意識が向いているうちに腿の辺りに痛みが走る。
臓腑を生きながらに弄られる感触というのは筆舌尽くしがたい。すみれは「ぎい」と声を上げた。
血濡れの娘から志鸞を引き剥がしたのはムサシ。「すみれさん」と呼ぶ声に被さる程にすみれが叫んだ。
「貴様――ッ!!!!」
「ほおら、『兎円居』のお嬢さん。澄恋とお揃いで良かったなあ。足も片っぽ味見させて貰ったけど、ええ肉感や」
「殺す。殺してやる」
其の儘地へとへたり込んだすみれが叫ぶ。母を愚弄され、家を嘲笑われ、挙げ句に己が『肉体』をも傷付けられた。
志鸞はへらりと笑ってから彩芽の腕を引き抜いた。肉を削ぐよりも早く骨をすみれの頭蓋に向けて叩き音さんとする。
「止めろ―――!」
ムサシは滑り込み叫ぶ。悪党め、とは余程じゃないが言えやしなかった。
相手にだって傷は増えているはずだというのに男は怯む予感さえさせない。すみれがひ、ひ、と息を漏し髪を掻き毟る。
殺さなくちゃ殺さなくちゃ殺さなくちゃ。この男を許しては。
「……くそ」
ムサシは呻いた。人の恋路を邪魔する奴は、と格言があるが何時だって背を押してくれた彼女達を支えるのは己の役割である筈だ。
「お前には何も渡さない」
返せと呻くように叫んだ。すみれの足を後方へと滑らせて、ムサシは尚も応戦する。
接近など許してなるものか。撃て、撃て、撃て。コルネリアは銃声と撃鉄の音だけを刻み込むことを考えた。
目の前の魔種は『趣味趣向』はさて置いても強敵だ。生半可な覚悟では奪われて終わりである。
(だから骨も肉も断たせて命を奪うって戦法じゃあるけれどね――!)
腹立たしい存在だ。油断してくれれば儲けもの。コルネリアは自らの命を削って弾丸をその場に産み出し続ける。
「クソッタレ」
呟いた。誰に対してかは分からない。
ただ、コレだけは成功させなくてはならない。よく狙え。コルネリアが息を呑む。
コルネリアの祝福は自身の弾丸に限り音色を変える。聴覚を乱せ、対応を遅らせ、腕を穿て。
狙うのは命で無くて良い。僅かでも良い。絶対的な隙で構わない。
獣が如く。復讐者の残滓は牙を剥く。生きていたいというならば、福音となり響け――復讐と祝福の余燼はまだ揺れている。
志鸞の腕を穿った弾丸に男が顔を上げる。その一瞬の隙を澄恋は見逃さなかった。
英司の肩を叩いて、前へ、前へと走る。その足は淀みなく、覚悟を乗せているかのようだった。
「ああ……英司様、わたしやっぱりあの魔種と同類なんだと思います。
手法や出来は異なれど好きなものと共に在りたいというその趣旨は、どうしても血の繋がりを覚えてしまって――だって、あなたも欲しくてたまらない」
貴方から毀れ落ちた腕の一つを引っ付けて、誰も彼ものパーツを愛し、本当に『愛してくれる唯一無二』を作り上げる事が出来たなら。
彼は知っているだろうか。人間なんてものは簡単に心変わりしてしまうのだと。
「……今、あなたが捌いたその太刀筋でただ、心が揺らいでしまった。
ええ、継ぎましょうか。『くものくら』を踏襲し、娘というパーツがあなたの所属になりましょう。
ですので、『お父様』――愛娘の最初の仕事、見てくださいますか?」
ただ殺すのではなく、捌かなくてはならない。『花嫁』は常に尽くして、亭主を愛する事が幸いだと知っている。
ならばこそ、詩音は『お父様』を愛していた。あの人を同じように加工してしまえば良い。
●
「かっかっか! わしの腕はよく燃えるのう!」
志鸞に放り投げた瑞鬼の腕。それを受け取った途端に、燃やし尽してやると悪戯に彼女は笑った。
あの酷く落胆した顔よ。その表情に滲んだ諦観よ。死の差し迫った男の顔としては上等だ。
「さぁ澄恋。ただ血の繋がっただけの男と決別するがよい――ついでにわしの腕の分も頼んだぞ」
お節介など焼くつもりはなかった。いつからか彼女の事が目を離せなかった。
(何もかもを肯定してくれる相手が欲しいなんぞ考えておるから馬鹿娘なのじゃ。
……そんなもの必要なかろう。傍らにいつでもいてくれる人がいれば花嫁にはなれる)
過去までも全て、燃やし尽して仕舞いたかった。瑞鬼は彼女を母として見ていたのだから。
ああ、けれど。澄恋に『己が母代りである』のだと伝えて深く愛を交しておかなければ、通う心が有るのか定かでさえなくて。
「『私』は澄恋様を、彼女の選択を信じます。ただ、思うのです。志鸞。
アナタのように人の痛みのわからぬ者が、同じ目にあった時。
……或いは、アナタの内より産まれた者が、アナタよりも幸福な人生を歩んだ時。果たしてアナタは、どんな顔をするのでしょうか」
「菫ちゃんやったかなあ、一つ教えておいてやろうなあ」
志鸞はヴァイオレットを見た。ヴァイオレットの美しく澄んだ眸は『価値がある』のは良く分かる。
だが、遠い異郷のものは毛嫌いされることもあるのだと肉屋は底まで考えてから唇を吊り上げた。
「十分僕はね、幸せやったんよ」
男の周辺にまたも無数の骨がばら撒かれた。彩芽のものだ。彩芽の脊椎をも剣のように振り回す男に小夜が「すずな」と声を掛ける。
「ああ、もう、落ち着きませんね!」
骨片までもが意志を持ったかのよう。傷だらけ。血潮の一つ零しただけでもそれが『奪われた』かのようで心地も悪い。
意識がパーツに逸れているならば、それで構わない。
「澄恋様ッ!」
ヴァイオレットはふらつく足取りの彼女を見た。
「"私"だって、殺戮者です! 己の内より湧き出る衝動を、悪人の命でなら慰められると……詭弁を振るう倫理破綻者です!
そんな私にも…あなたは寄り添ってくれた、違いますか……! 眼を、角を失おうとも、誰かの傍に立ち続けた、あなただから……!」
誰かを活かす事を選ぶあなただからこそ、幸せになって良いと。
そうスタ得たかったのに――『ワタクシ』ではない『私』の言葉は雨垂のように地を打ってゆく。
「ええ、けれど、違いがあったならば」
澄恋の唇がヴァイオレットにだけ聞こえるように動いた。
「私は狂って居るなどと、気付けなかった」
ヴァイオレットは目を見開いてから澄恋の名を呼んだ。
「愛娘として、あなたを継ぐ者としてその全てに応えてみせましょう――今ここで!」
澄恋の瞳が志鸞とぶつかり合った。それはまるでダンスホールで見つめ合っているかのようなただの一瞬だけであった。
「なあ、澄恋。よぉく知ってるよ、願い事。母親に良く似てる」
臓腑を抉る感覚がする。本来の用途など、知りやしなかった決意の形は黒い色に染まってゆく。
内に秘めた想いは口にはしなかった。
「澄恋―――そういや、言ってなかったなァ」
おまえのその唇が吐き捨てるのは呪いでしかない。
おまえのその唇が紡いだ言葉は未来永劫に燻り続ける。
「誕生日おめでと」
澄恋は膝から崩れ落ちた。育ての父はお前など産まれてくるなと詰った。生みの母もそうだ。
唯一無二。何人とて取って代われぬ肉親のくれる初めての愛情が女の臓腑に染み渡り昏い色を灯す。
ああ、同族なのだ。仲間達があの男を否定する度に胆が冷えた程に。あの男が狂って居るなどと良いながら何もかもを理解出来なかった。
だって『その行いは職人ならば当たり前』だと思えてならなかったのだから。
「馬鹿娘!」
瑞鬼が叫ぶ。何か燻る炎をその胸に抱えた女は引き攣った声を漏す。
その後方から飛び込んだのはすみれであった。その眸は狂気が走り怒りに濡れている。
「あはは! そう簡単に『大切な人』を見せびらかさない方がよいですよ。気に入った余所者に盗られちゃいますから!
ほらっ! ねえ!? ご自慢の通り本当に切れ味が良いではないですか! 流石は『肉屋』。
『妻』に刺されるなんてこれ以上ない幸せなのではないでしょう!? 他人の血を吸わせるなんて浮気ですからね。詩音とやらもさぞ喜んでいるでしょうね!」
志鸞の背へと『詩音』を突き立ててからすみれは血走った眸で男を見詰めた。澄恋にも志鸞にも『詩音』は渡さない。
ざまあみやがれ。
すみれの眸は叫んでいる。からん、と音を立てて落とされたのは『彩芽』だった。
「おか――」
すみれは呟いてからふらりと離れる。其の儘尻餅をついて頭を抱えた。
「あ、あ」
すみれの左の眼窩はがらんどう。愛おしい人にこの姿を見られたならば、どうだろう。
『旦那様』はがらんどうの眸も、肉体から外れてしまった足も、全てを受け入れてくれるだろうか。
「あ――」
ああ、あの人嫌われてしまったら。
すみれは頭を抱えて俯いた。背を撫でるヴァイオレットは魔種が死した事に気付く。
「終りましたよ、澄恋様。……もう、貴女は幸せになって良いのです」
ヴァイオレットがほっとしたような顔をして振り向いてからその笑みを引き攣らせた。
あの人が幸せになることが、何よりも救いだった。生きる道さえ惑った己を導いてくれるような――
「……わたしは、」
ふらりと足が縺れた。英司が「澄恋」と名を呼んで手を伸ばす。
死神のタロットが嘲笑う。失った片腕を宙ぶらりんに動かしてその腕を掴み取る。
「ああ」と。唇が戦慄いた。女の瞳に映り込んだ狂気はくそったれな現実のようで。
「わたしは『くものくら』の娘――そして、あなたに愛されたかった一人の女です」
父親にも、そしてその人にも。
囁く声音が響いた。
「澄恋」
お前を殺すのは俺だと宣った唇で、その女の名を呼んだ。
ああ、あなたと生きて死にたい。澄恋に被さったのは言葉にもならぬ気配。
「ご存じでしょう? わたし、まだか弱いのですよ」
頭の奥から響く声音に、女は微笑んで勢い良く刀を振り下ろした。骨を断った音、肉の抉れる音、それから飛ぶ小指。
「指切りげんまん」
姓なき花嫁はうっとりと笑ってから、隘路へと歩を進める。
まだ、終ってなんかいないの。
澄恋の背を追掛けようとした仲間達へとすみれは「待って」と叫んだ。
「あんな女、死んでしまえ。お前がいるから、私は惨めで……。嗚呼、どうして――どうして。
殺しても、殺しても、目の前から消えたって、この悪夢は冷めないの」
永遠の愛なんて陳腐なものを誓えるのならば、また出会えたら口づけを。
ねえ、あなた様――地獄の底で、待っています。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
あとがき
お誕生日、おめでとうございます。
GMコメント
第三戦。これが最後です。
●成功条件
曇暗志鸞の討伐
●失敗条件(11/13追記)
イレギュラーズのパーツが『持ち去られて』しまわないこと
・男はパーツを集める魔種です。某かのパーツを得た時点で満足度が上昇します。
・パーツを渡すことで何らかの『メリット』が得られる可能性があります。
・持ち逃げされないことに留意して下さい。イレギュラーズが五体満足である必要はありません。
ただし、澄恋 (p3p009412)及びすみれ (p3p009752)に関してはこの条件に含まれない。
・お二人に関してはパーツの在処は問題ありません。もげても、抉れても、この失敗条件にはなんら寄与致しません。
●フィールド情報
花街『瓊枝』近郊。美しい月を覆い隠す黒い雲が印象的です。
花街の喧噪よりやや遠離ったのは強大な魔種との戦いに至るからです。地に横たわった『兎円居 彩芽(うのまどい あやめ)』の死骸は引き摺るようにして志鸞が持ってやって来ましたが、その辺りに横たわっています。
もうちょっと綺麗だったら売り物になったかもしれんけど、まあ、あかんなあ――だそうです。
障害物と思わしきものは現時点ではありません。ただ、地の利は志鸞の方があります。
●曇暗志鸞
魔種。澄恋さんの実父です――が、すみれさんにとっては赤の他人です。
澄恋さんの母である兎円居 彩芽の好きな人であり、たった一晩だけの契りを結んだ相手です。
彩芽が孕んだ子が志鸞の子であった為、彩芽は離縁し澄恋さんは暴力の果て家を追い出され花街へと放り出された現状です。
志鸞の通称は『くものくら』。『肉屋』。人間を解体しパーツを集め、売買を行って居ます。
狼牙に長双角。外見はああ、ほら、澄恋さんに良く似ていらっしゃるでしょう。
彩芽の頭を突然掴んだかと思えばそのパーツをばらして武器とする可能性があります。魔種なので使いやすそうですね。
彩芽をバラす前でも獲物として持っているのは脊椎を加工した刀でしょうか。
肉切り包丁も所持しているようです。眼球には爆薬を、骨を繋ぎ合わせて作り上げた棍も武器です。
迚もオススメしたい武器は骨を加工して作った爪です。毒が仕込んであります。
因みにこの武器は全て『詩音』という女の骨です。お気に入りです。妻にしましたが、生きたまま捌きました。
澄恋さんには眼球を一つプレゼントしますね。頑張れば、どれだけ汚くったって幸せな花嫁になれると彼女が行ってましたね。何時までも愛する人と一緒ですよ。幸せでしょう。
武器を多く所有し、戦い方に一貫性は無さそうです。『人間を捌く』事に優れています。
イレギュラーズを相手に彼等を圧倒するよりもパーツを多く得て此処で逃げ果せる事が目的です。
彼の美的センスを参考に掲載します。
澄恋(己に良く似ている・価値が高い)>獄人>その他・すみれ(特段価値を感じない)
ただ、澄恋に対して肉親の情があるわけではありません。
そもそも、欲しかったのは己の血が通っている存在です。それが『よもや同じように人間のパーツを集めて旦那様を作ってる』のは彼にとっては思いもしない幸運でした。同族なら後を継がせるのも有りだ。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
特に澄恋さんは狙われています。予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●情報精度
このシナリオの情報精度はDです。
多くの情報は断片的であるか、あてにならないものです。
様々な情報を疑い、不測の事態に備えて下さい。
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