シナリオ詳細
<神の門>Ave regina caelorum
オープニング
●
「ねえ、大名」
「何? キャロちゃん」
二人きりの空間で、椅子に腰掛けていた夢見・ルル家(p3p000016)の顔を覗き込んだ。
腰掛けたルル家に覆い被さり、カロル・ルゥーロルゥーは問う。長い髪がカーテンのようにルル家の周囲を覆っていた。
「どうして私を選んだの?」
「そりゃあ……キャロちゃんがハッピーエンドになって欲しくて」
にこりと笑ったルル家をまじまじとカロルは見詰めていた。その言葉に嘘は無いのだろう。
ルル家は一つも嘘は吐いていない。
カロルと友達になりたいというのも、ツロに興味が無く元の世界に戻りたいと思っていないというのも。
……ただ、カロルから見れば彼女は善人過ぎたのだ。
屹度、カロルが『滅びのアーク』ではなく『可能性』と紐付けば遂行者ではなく生き残れる道が出来るかも知れないと。
彼女はそう考えているはずだ。カロルはよく考えなくとも分かる。ルル家がそれに望みを賭けてこちらに来たのだと。
「私と一緒なんてお先真っ暗よ。聖女カロル・ルゥーロルゥーは借り物の存在だし、私の個だって何処までが『私』なのか分からない」
「それでも良いんだよ。今の話してるキャロちゃんが、私の友達なんだし」
「……アンタが正気で居られるのだって、パンドラのお陰なんでしょうけど」
聖痕が蝕めば狂気に駆られるというのに、彼女は自我を保っている。
いっその事、狂ってさえくれればカロルだって無慈悲でいられたのに、と思わずには居られなかった。
「ねえ、大名は好きな人が居たんでしょう? 私より、その人のために命を賭けたらよかったのに」
「あはは。キャロちゃんって情報通?」
「んー乙女の勘。恋バナしましょうよ。私も好きな人が居るのよ」
「ルスト様でしょ?」
「そう。……私の希望なの。大名とか、イレギュラーズから見れば、悪人だし、滅びとかマジクソかもしれないけど。
私にとっては光だった。あの人しか、いなかったのよ。でも、今になって……大名も来るし、私と話そうとする人も居るし」
カロルはルル家から離れてからその隣に腰掛けて膝を抱き寄せる。
椅子の上に足を乗せるなんてはしたないと怒る者もいない。今は二人だけなのだから。
「……なんだか、もっと早ければ良かったのにね」
「逢うのが?」
「そう。もっと、もっとよ。天義建国くらいに逢えたら、よかったのに」
無茶だと笑ったルル家に「知ってるわよ」とカロルは唇を尖らせた。
「あ、そういえば大名。拙者止めちゃったの?」
「え? まあ。仕事モードが拙者だったから……可笑しいかな?」
カロルは首を振ってから「全然。私だって聖女らしい話し方、いやだもの」と笑って見せた。
――でもね、本当よ。
あの時一人じゃなかったら。私は普通の女の子で居られたかもしれない。
●
カロル・ルゥーロルゥーという存在の話だ。
目の前の聖女ルルは『遂行者』である。魔種ではなく、聖遺物と滅びのアークが結びつき形作られた存在でしかない。
彼女の名乗るカロル・ルゥーロルゥーという名は歴史上眺めても見付けることが出来なかった。だが、存在して居た人物である。
それはネメシス聖教国の建国時にまで遡る。嘗て、この国に存在した『聖女』、神託を聞き届けることの出来た娘は民草の心を救い、民を連れ異教を退けたのだそうだ。
よくある建国秘話である。彼女はその地に訪れた竜と心を通わせ、その地に真なる神の国を建国する『手伝い』をしたのだ。
ある種の象徴であり、ある種の『柱』そのものだ。
だが――そうありすぎたのだ。民は聖女の言葉にばかり耳を傾け続けた。
故に、女は不正義であると『大罪』を被り、処刑された。
聖竜と呼ばれた存在諸共闇に葬り去られたのだ。聖竜はカロルと共に生を終えたと言われているが……。
「この場所はね、特異なのよ。誰だって此処を揺るがすことは出来ない。
私は『竜の聖女』と呼ばれていたの。この場所はあの時、私と共に在った聖竜の瞳と心臓を核として造り上げた私の聖域なの」
●
「さて」
エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)はテーブルに手を突いてから立ち上がった。
預言者ツロと、遂行者達。聖女の薔薇庭園での歓談と『選択』を終えたからには成すべき事がある。
「そろそろ、帰宅しなくては、ならないな。マリア達も、あまり出歩いては、いられない」
「ペットに餌でもあげるの?」
そんな風に軽口を叩いたのは聖女ルル――カロルであった。先に退席したアドレからイレギュラーズ達が『偽の預言者』と呼ぶシェアキムの招待状を駆使して神の国へと至ったことは聞いている。
審判の門を弾かれなかったのは招致の力がやや影響を残したか。レテの廻廊を走り抜け、テュルム大神殿にまで至ったという。
ただし、この『聖女の薔薇庭園』には入ることは出来ないだろう。
この地はカロルの領域だ。聖竜の力は濃く影響を残している。つまり、カロルと聖竜は密接に紐付きこの領域を強固な檻にしているのだ。
「帰りたいのよね」
「勿論、『また』来ても良いけれど、あまり帰らなければ心配させてしまうもの」
アーリア・スピリッツ(p3p004400)の視線はツロを見ていた。頬杖を付いたままアーリアを眺めて居たツロは「そうか」と一言零す。
「ルル」
「はいはい……でも、私って優しいのよ?」
「チャンスを一度も上げないのは我々の流儀に反するだろう? こういう時は情けをくれてやるものだ」
なんて傲慢な物言いだとアーリアは呟いた。知っている彼とは違った顔がそこにある。
けれど、名を呼ぶ声もその声音も心地良い。時折目があえば優しく微笑む瞳など知った存在を見た気がして目眩もするほどだ。
「……情けをくれるって云うならどんな事をしてくれるのかしらぁ?」
「暇潰ししましょうよ。体、動かさないとしんどくなるでしょう。ねえ、『―――』」
カロルが顔を上げた。何者かの名を呼んだが聞き取れない。しかし、彼女の様子を見ているだけでもそれがカロルと共に在る聖竜の名であることは理解出来た。
ツロが立ち上がる。遂行者の幾人かが退出していく。残ったのはカロルとルル家だ。
「『―――』いいわよ」
景色が変化していく。薔薇が蠢き、ある程度の広さが確保されていく。
「……これは、なに? 薔薇が自由に動いたように見えたけど、この空間も聖竜の力で変化できるの?」
アーリアを気遣う様に見詰めていたタイム(p3p007854)の問い掛けにカロルは「そうよ」と頷いた。
「さ、て。ツロも外に出たわね。大名はちょっと黙って居てね」
「え?」
「察知されると面倒ですもの。
……此処に居る間は外からの影響は受けないわ。ツロも、ルスト様も、この中のことは干渉できない。言葉も、声も聞こえない」
カロルは真っ直ぐにイレギュラーズを見ていた。星穹(p3p008330)は「信用できるとでも?」と問う。
「出来ないなら信じなくって構わないわ。けど、私って『優しくて可愛くて良い子』だから、まあ、ちょっとだけ信じときなさい。
正直、ここで貴女たちと永遠に過ごすってのは私の趣味じゃ無いのよね。それに、寝返らない貴女たちはどうせ何時か処分しなくちゃならないし」
カロルはさも詰らなさそうに云った。
確かに此の儘、悪戯に時間を消費しても平行線だ。ならば、処分――詰まりは存在を抹消(ころ)してしまった方が確かだ。
イレギュラーズの戦力を出来るだけ削ぎながらカロル達は本懐を求める事が第一なのだろう。
「……それじゃあ此処で処分するってことかい? それとも敗北したフリでもしてくれるとでも?」
マルク・シリング(p3p001309)はまじまじとカロルを見詰めていた。
カロルはクッキーを摘まみながら「そうねえ」と呟いてからちらりとマリエッタ・エーレイン(p3p010534)やリュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)を見た。
「どう思う?」
「ど、どう、って……」
慌てた様子のリュコスはまじまじとカロルを見た。相手は聖女ルルと名乗った遂行者なのだ。
その傍に立っているルル家はイレギュラーズだが聖痕を与えられ現在では遂行者だ。
「信頼、できるか、わからないよ。けど……それを信じなくっちゃ、どうにもならないってこと、だよね?」
「そういう事ですよね。貴方の言葉に従って何かを成さねばならないということでは?」
カロルはにっこりと笑ってから頷いた。
「天才」
「……いまいち、勘に障りますが。何をしろと?」
小金井・正純(p3p008000)は手を叩いたカロルを見詰めてから「武装を返して頂いても」と問うた。武装はこの場では解いて信頼をして欲しいと彼女は求めていた。
カロルは「返してやりなさい」とルル家に指示をする。白を纏ったルル家を前にしてから正純はやや反応に惑った様子で受け取った。
「有り難う、大名。それでいいかしら? 正純。
じゃあ、説明させて頂くわね。私は竜の聖女と呼ばれた聖女をベースにして作られた遂行者よ。
アリスティーデ大聖堂に存在して居た『頌歌の冠』は聖女ルゥーロルゥーの所有物だったけれど、今は茨の冠とも云われて不正義の象徴として葬られていた。
ルスト様はルゥーロルゥーを顕現させるためにそれと滅びのアークを結びつかせ、私が産まれたってこと」
自信満々に胸を張ったカロルにベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)は頷いた。
カロルはベネディクトの反応を受けてから次のステップよ、と指をくるくると回しながら話す。
「私は聖遺物と滅びのアークの結びついて生まれた自我。つまり、ルスト様が居なくっちゃ生きていられない。
そもそも私はルスト様ガチ恋勢なので、ルスト様の為ならなんでもしたいと思うわ。けど、ツロのことはちょっと腹が立ったわけ」
「……腹が立った?」
「だって、アーリア。貴方も思わない? 何かあの男勝手じゃないの」
唇を尖らせるカロルにアーリアは「え、ええ」と戸惑ったように頷いた。
「だから、一つだけ私からのお願いを熟しなさい。私は滅びが結びついて顕現した存在だけれど『―――』は、この聖竜は違うわ。
此処に居るのは私が居るから。けれど、この子は滅びの気配に害されすぎてはいけないの。
目玉は兎も角ね。心臓の方は清きままでいなくてはならない。……だから、それを顕現させるわ。此処で。
倒して頂戴。それを打ち倒せば鍵を上げる。ただ、開けたら外に引き摺り出されるからね」
カロルは微笑んだ。
つまりは、カロルの目的は聖竜の汚れ落しだ。それを撃破したという『理由』を携えてカロルから遁れたという理由作りをするらしい。
成程、外に出て仲間と合流するにはうってつけだ。
それに『準備』はある程度整っている――のだ。『お茶会』での決定がこれから先に影響を及ぼす可能性はある。
目玉に満ちた滅びがどの様に転んでも敵わないが、心臓までもが滅びに転化し敵に回ることは避けておきたい。
この地がルストにも干渉しかねうるというのは聖竜の存在が強力であること、そして、その制御を『ある程度』はカロルが成せるからという理由にあるのだ。
「……やるしかないか」
ベネディクトが呟けばカロルはにこりと微笑んだ。
「聖句をあげるわ」
――主は真実、正しい存在である。わたしたちが罪を犯したとき、主は必ず見て居る。
救済の光は天より雪ぎ、全てをきよめてくださることだろう。
疑うことは、罪である。すなわち、疑わず願うことこそがわたしたちに与えられた使命である。
願いなさい。祈りなさい。わたしたちの未来を開く光の再来を待ちなさい。
それは波となり、全てを覆い尽くす。
わたしたちがあるがままに生きて行く為に、主は全てを導いて下さるのだ。
「私って優しいから」
微笑むカロルは手を叩いてから、イレギュラーズの選択を待っていた。
- <神の門>Ave regina caelorum完了
- GM名夏あかね
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年10月29日 22時05分
- 参加人数9/9人
- 相談6日
- 参加費200RC
参加者 : 9 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(9人)
リプレイ
●薔薇庭園
「もう少しあなた方と談笑して見極めたくはあったんですが……。
そろそろ帰る手段を考えねば殺しに来る相手もいますし、待ってる人にも怒られそうですからね」
ティーカップをテーブルに置いてから『死血の魔女』マリエッタ・エーレイン(p3p010534)は一層美しく微笑んで見せた。
己の内部で嘲笑う『死血の魔女』が闘争の気配に、そしてこの場に満ちた奇妙な魔力に食指を動かした気配がする。
「そうね、帰ってもまた会えるわよ。大丈夫。『少しだけの時間は止めておいてあげる』のだし」
「……ああ。『選択』の……。
時間を止める、だなんて魔法仕掛けな言葉を仰る物ですもの。種明かしをしては?
あの選択の結果が私に降りかかっていないのは貴女の小細工なのでしょう? 聖女ルル……いいえ、カロル」
離れた位置には白いテーブルとガーデンチェアが置かれている。腰掛けてローズパウダーを練り込んだスコーンを口に放り込んだカロル・ルゥーロルゥーは悩ましそうに天を仰いだ。
「ここ、そういう場所だから。貴女たちの選択は無事に『行なわれている』わ。
その結果をこの庭園から出る前の貴女たちは知らないし、『神の国』の無数の別時間軸の一つにしか存在して居ないワケ。
ま、そーいうことで。一つ宜しく、どうぞ?」
当を得ない反応に、鮮やかな微笑みを浮かべる彼女の掌から離れた『聖竜の心臓』が見る見るうちに姿を作る。
その様子を見るにカロルが制御している事が良く分かる。『約束の瓊盾』星穹(p3p008330)は「そうやって制御が出来るのは心臓の側と言うことですか?」と問うた。声音は硬く、周囲を見回している事が良く分かる。
「ええ。目玉の方はどうしようもなくって。でも、心臓だけは守ってあげたつもりなの。汚れてしまったけれど」
「そうですか。互いに利用し合うという相互関係ならば悪くはありません。もう一つお聞きしても?」
星穹はそこまで言ってから置いてけぼりの子供の様に唇を尖らせた。「お兄様はどこへ」と。
「えーと、セナ……? セナ・アリアライトだったかしら。ああ、そうね。入り口辺りに今居るわ」
「それは、どうして」
一瞬の焦り。さりとて、悟られぬように息を吐いてから星穹は問うた。
「ゲツガ・ロウライトは知らないわよ? セナはね、星穹が困った顔を私が見たかったから」
「は?」
「嘘よ。嘘嘘。……ツロと交流のあるとある喫茶店のオーナーがね、星穹とセナを探している。
差し出せと言って来たのだけれど、お前に恩を売っておこうと思って。庭園の外で一先ず待たせているのよ。
彼も勝手に調査してるみたいだけれど……まあ、良いわよ。私の個人情報くらいしかないし」
乙女の空間を土足で踏み荒らすのだものと拗ねるカロルに星穹は何とも言えぬ表情を見せた。
「あの……ルル。
正直な話、まだ迷ってるんだ。悩む、けれど、ルルの言う事は信じて良いと思ってる」
『うそつき』リュコス・L08・ウェルロフ(p3p008529)がおずおずと口を開いた。「良い子じゃないの」と褒めるルルにリュコスが眉をへにゃりと下げた。
遂行者マルティーヌと同じ過去の人間をベースにした滅びのアークの集合体。つまり人間ではないのだ。
彼女の成り立ち、彼女の知る歴史、そして彼女個人的な怨恨さえも『元々の人間が宿した個人感情』だというなれば否定など出来るものか。
「ルストを好きなのはちょっとフクザツだけど……何かが違えばもっと仲良くなれたんじゃないかな……なんて」
「仲良くなれるわよ、フツーにね。ほら、こっちに来たら?」
おいでおいでと手招くカロルにリュコスは肩を竦めた。選べなかった。
リュコスは『選ぶ事』が出来なかったけれど、最期までそばにいる覚悟でカロルの手を取った遂行者ルル家を羨ましく想う気持ちはある。
「マルティーヌに、逢いたいんだ」
「あの子、何処に居るんでしょうね。リュコス、私と仲良くしたいとか言った違いの分かるお前に大事な事を教えて差し上げるわ。
仲間の元に戻りなさい。その方がマルティーヌには会える可能性が上がる。ま、何がしたいのか迄は分かってないけど、あいつはそういう女でしょ」
個人行動をしてルスト様の目にでも止まったら最悪よと戯けた様子で告げるカロルにリュコスは「ルスト」とぽつりと呟いた。
此処が遂行者達の領域で、冠位傲慢の膝元である事は良く分かっている。そして『選択』が冠位傲慢へと手が届くチャンスを与えてくれているのだ。
「お話は終わりで良い?」
「待って、待って。……わたしね、アーリアさんが迷ってるんじゃないかって結構心配でここに来たの。
そしたらルル家さんが遂行者でお茶飲んでる。全然意味わかんない。
もう! 天香家はどうするの! 正純さんどうしてそんなに落ち着いてるの!」
「そう、言われましても……」
肩を竦める『明けの明星』小金井・正純(p3p008000)に頭を抱えた『この手を貴女に』タイム(p3p007854)は「はあー」と息を吐いた。
ルル家の人となりを知らないわけでは無い。彼女が何を考え、どの様に行動するかだってある程度の付き合いがあれば理解は出来ていた。
その理由が『カロルの傍に居たいから』だという。聖女を名乗って居た彼女に『聖女』という役割を押し付けたのは過去の天義であり、その立場に雁字搦めになりながらも国家の建国にまで携わった彼女は扇動する者であるとして時代の闇に屠られた。
そして目の前に存在するのが彼女だというのだから――
「むぅ~! 理由を知ったら怒るに怒れないじゃない……」
「苦労するわね、タイム」
「それ、貴女が云う事かしら……」
がっくりと肩を落としたタイムにカロルはくすりと笑った。覚悟は決まったのだ。
「それならわたし達は"こちら側"から可能性を探してみるわ。
心臓の穢れ落としはその手始め。……信じるわ。信じるしかないでしょ。だから上手く出来たらもう少し聖竜のこと聞かせてね」
「ええ、約束しても構わないけれど」
「約束よ」
タイムは念押すように堂々と言って見せた。
●薔薇庭園II
聖女と聖竜、その伝説から生まれた遂行者。
それが嘘とは思えない現状を目の当たりにしている。正純はそれを目の当たりにしてまでも同情するなと言われても土台無理な話だと認識していた。
ただ偶然拾い上げられた心優しい娘が正義を掲げ、民を護り聖女と呼ばれた。聖女と呼ばれるに至ったのは裏で手を回した天義の建国の祖達が居たか。
そうして、天義という国が出来上がり聖竜と心を通わせた彼女は魔女とさえも呼ばれたのだ。
(……もちろん、私たちが今生きているこの場所が、なにかの犠牲の上に成り立っているものだとは理解している。
――理解、した気になっていた。何が正しく、何が間違っているのか。私にはまだ、決められない)
カロル・ルゥーロルゥーが犠牲になったことだって、きっと、必要な犠牲だったと割り切る者が居る。
割り切れる訳が正純にはなかったのだ。
「はーあ」
『キールで乾杯』アーリア・スピリッツ(p3p004400)はがっくりと肩を竦めた。
アーリアとて頭も心も整理は付いていない。真白の衣服に身を包んだ仲間達を見たときに愕然としたものだ。少しは分かった気で居たグドルフの事も、優しく笑って『アリア』と囁くカロル曰く『顔が良いけど腹が立つ男』の事だって。
「……あのね、色々とね、捨てられない感情があるの。なーんて言ったらルルちゃんには『馬鹿じゃないの』って言われちゃうかしら」
アーリアが肩を竦めればカロルは「そういうと思う?」と揶揄うように声を弾ませた。
「でもね、女の子は馬鹿だって知ってるでしょ?」
「知ってるから言わないわよ。私のルスト様の顔面の良さとか黒子の位置とかの話、聞いたでしょ?」
「勿論。……あーあ、私結構ルルちゃんの事好きみたい!
薔薇園のお茶会じゃなく、酒場で好きな人の顔のよさを語って、はしゃいでグラスを倒して怒られて、夜道をころころと笑って歩きたいなんて思ってしまったもの」
アーリアは悲しげに眼を細めた。カロルが目を見開いてから「私も」と呟く。
全く以て嫌になる『大名』も、彼女も。どうしたって自身をただの女の子としてみて接してくるのだもの。
「だから、私は貴女を信じるわ。男は勝手で、狡くて……だからちょっとくらい反抗したっていいわよね?
きっと、ルルちゃんにとってもこの子は大事なのでしょう? それなら、この子の穢れは祓わないと!」
ゆっくりと席を立ったアーリアに続き『金の軌跡』エクスマリア=カリブルヌス(p3p000787)がゆっくりと立ち上がる。
「ルル家を始め、誘いに乗ったものも存外多い、な。まあ、決めたことなら、仕方あるまい。それが、どんな結果となろうとも……お互いに、な?」
「ああ。そして我々が此処に居るのも『ある意味の選択の結果』だ」
頷いた『騎士の矜持』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)は遂行者の考えに自身が知りたかった質問はある程度の『答え』を得る事が出来た。
「本来であれば話す必要も無かった様な質問に答えて貰った礼くらいは返さねばな」
「お礼を下さるの?」
「何も返さぬほど無礼ではないさ」
肩を竦めるベネディクトの気の抜けた笑みを見遣ってから『ウィザード』マルク・シリング(p3p001309)は小さく笑った。
斯うしていれば『ただのお茶会』だ。一つの選択を行なって『分れた時』の中で何が起こっているのかさえ忘れてしまうような奇妙な感覚がある。
こうしてカロル単体と話して居たって普通の人間に思えてならないのだ。
(……ああ、そうだ。遂行者達と言葉を交し、彼等の理由を、願いを知った。それを私怨だ、無意味な復讐だと切り捨てる事もできただろうな。
けれど――分かって仕舞った。分かって仕舞ったなら、それをそう断じることを僕には出来ないんだ)
マルクはゆっくりとカロルを見据えた。
「君を否定する事は僕には出来ない。君らの願いは、今の歴史を生きる人々の命を代償とするものだ。
彼らの願いは尊い。けれど、それと同じくらい、今を生きる人々の命も尊いはずだ。
……死を遠ざける者として、僕はそれを受け入れるわけにはいかない。それが僕の結論だ」
「ええ。そうでしょうとも」
カロルはゆっくりと頷いた。それでも『聖竜』について知っておきたいことはある。
向き合うべき対象が増えただけなのだ。マルクは「そろそろ取り掛かろうか」と席を立った。
エクスマリアの藍玉の瞳がカロルを見詰め、細められる。周囲の風が変化し、戦場が構築されていく。
「さて、離反した連中のことも含めて、得られた情報を無事に持ち帰るためにも、ひとまずルルの厚意に甘えるとする、か。
茶の礼に、聖竜の穢れとやら、落としていこう」
ただの気紛れであってもいい。
それでも『安全な茶会の席』が確約されたことは予想にもして居なかったことだからだ。
カロルは「行ってらっしゃい」と囁いてから――それが形作る滅びの竜をエクスマリアの双眸は真っ直ぐに捉えた。
●滅びの気配
悪しき翼竜と、そう呼ぶべきなのだろう。顕現したそれは滅びのアークによって形作られている。
双眸に移し込んでからリュコスはごくりと息を呑んだ。
悩みの種は尽きず、思えば言葉に差し詰る。悪いジョークでも聞いている気分だ、相手も人間らしいのだから救いがない。
(……ルルもマルティーヌも、みんながみんな、思いを抱いて生きている。
ぼくの道は間違ってないのかな。遂行者の迷いは、どう足掻いたって、すくわれないのかな……)
帰り道は指し示されているというのに、どうしたって背を向けたくも鳴る。
此の儘で終われないから人はどうしたって悩むのだ。
庭園での様子を録画しようとしたリュコスはふと、眼前に赤い『糸』が迫る事に気付いた。
「えっち」
「ッ――!?」
カロルのまじないの一つなのだろう。運命を求める赤い糸。それが無数に重なり合ってからリュコスの手にした8ミリビデオカメラを握りつぶす。
「ちょっと、だめでしょ! 許可とりなさい、許可ァッ!
知ってる、盗撮って言うのよ? えっち、リュコスのえっち! 罰を与えるわ」
「えっ、えっ!?」
勢い良く引き寄せられたリュコスはカロルと見つめ合う。
口にクッキーを突っ込まれ「もご」と呟いたリュコスを見てから満足げに「それ、レシピを改良したいの。美味しいクッキーを持ってくるのよ、次回があれば」とカロルは微笑んだ。
仄かに薫った薔薇の香り、甘みが少し少ないのが難点なのだろうか。カロルは紅茶に角砂糖を幾つか『ぶちこんで』居た。
詰まり甘い物が好きなのだろう。クッキーの改良を頼む罰とは敵らしからぬ、聖女らしからぬ、『悪役』らしからぬのだ。
「で、何悩んでんの」
「……マルティーヌの居場所はわかる?」
「テュルム大神殿の中でしょうけれど、あの子はツロの最側近では無いから余り顔は出さないでしょうね、ここにも」
「じゃあ……聖竜は反転してるわけじゃなくて戻れる可能性がある?」
「戻るという意味が分からないわ。そもそも、この子は『コーディングされているだけ』だもの」
頬杖を付いていたカロルは「悩みが済んだら戦いなさいよ」とリュコスを適当に蹴り飛ばした。突然背を蹴られて驚いた様子のリュコスを見遣ってからカロルはクッキーを囓る。
「来る」
マルクが呟けば巨大な翼竜がその双翼を広げ大地を蹴った。モーションだけでも大袈裟な程。
顔を上げたタイムは「大きすぎない!?」と非難めいた声を上げ聖なる気配をその身に纏う。懐には琥珀刀、守護の金――護刀の気配が確かに分かる。
あの地で共に過ごしたものの手が離れたのは苦しいがそればかりには頓着していられない。
「貴女の、聖女ルルの願いに応じて戦いましょう。
その後のことは、また考えます。貴女のことも、アドレのことも、そちら側に行った方々のことも。特にそこで茶をしばいてる人の件とか。ええ」
「茶ァしばくのって楽しいじゃない、ね」
ルル家はカロルの合図で此方を『認識』できるのだろう。振り向くカロルに頷き笑みを浮かべるルル家を見れば正純は唇を噛み締める。
彼女は『あちら側』の人間なのだ。だからこそ眼前の竜を見ても恐れる事などないのだろうか。
聖竜の内部に巣食っていた邪悪な滅びそのもの。それを見れば不安に押しつぶされそうになる。心臓を誰かに掴まれた様に息が詰るのだ。
「……ッ、自由に飛び回られぬように警戒を。制空権をとられてはなりませんよ」
構えた大弓は大いなる宿命を背負っていた。呪いと祝福。災いと祈り。ぎり、と弦を鳴らす女の声を聞いてからベネディクトは槍を構えた。
「聖竜か……竜と呼ばれる存在とは戦った事はあるが、その強さは如何ほどの物か」
足元から走り逃げたポメ太郎はルル家の腕に収まったか。それを確認し、地を蹴り肉薄する。
巨大だ。竜と戦えば何時だって思う。全容を接近すれば見ることが出来ず情報が不足する。仲間達の合図だけが頼りになるのだ。
モーションの一つとってもこれだけ近ければ全てを把握は出来まい。ならば。
「『細切れ』にしてやろう」
黒狼の咆哮が如く槍が肉を断った。僅かに仰け反る翼竜の眼前に星穹が飛び込む。
「戦うことは割り切れて等おりませんわ、ルル様」
「あら、これは護る為だってこと? そうねえ、顕現しちゃったら仲間も傷付きますものね」
カロルがにんまりと微笑めば星穹は一頭美しく微笑んで見せた。
「いいえ。お兄様も、父も母も、ロイブラックと名乗る男の子ともまだ何も解りませんとも。
だからこそ、悠長にお茶を飲んでいるのも、今日までというところです。
丁寧なもてなし、心より感謝致します。貴女と戦わずに居られたらどれほど良かったでしょうね」
「……どうして」
カロルは翼竜を受け止め力を込めた星穹をまじまじと見た。傷付こうとも構わない。後方のベネディクトとエクスマリアを護る為に星穹は立っている。
「あら、……なぜって。お茶を飲んで話した相手を『はい殺します』なんて簡単に割り切れるような人間ではないからですよ。
あの時戦ったまま、会わないままなら……なんて。そんな過去を恨んだって、仕方ありませんし。
――次にあうときは全力で。貴女の沢山の心遣いを忘れませんわ、ルル様」
「人間らしい感想ね。人というのは一度でも懐に入れた相手に対して割り切ることは出来ないらしいわ。
待ち受けるのは相手へと完全なる信頼か、ある種の失望よ。割り切れて等居ないから、欲しがりは望みが叶わなかったと悲嘆するの」
眺めるカロルの顔色は見えない。それだけ眼前の翼竜が巨大であったからだ。
星穹とタイムは己の位置を確認しながら翼竜の興味を惹くこと注力して居た。
後方で息を吐く。此程の巨体であれば仲間達を巻込む可能性は少ないか。ならば――見定め、落とす流星。
「さあ、聖なる竜よ。悪酔いから覚める時、だ」
聖なる竜。その言葉にマルクは気に掛かるのだと翼竜を眺めて居た。その姿が『聖竜』の本来の姿ではないと知っている。
伝説上の竜とはまた違う。しかし、カロル・ルゥーロルゥーと云う名を他の場所でもマルクは耳にしたような気がしたのだ。
あの天帝種の『先代』は何を物思い、何を願って人間と心を汲み交したか。
人も竜も種をも越えて万人に愛される聖女であったのか。カロルという娘の全容は知れず、聖竜の正体にも行き着かない。
(誰だ。紐解けば必ずしやヒントが何処かにある筈だ)
マルクは急いた心を静めながら冷静に翼竜を見詰めていた。その視界の端を柔らかにたゆたう紫苑が見えた。
「普段あんまり『力任せ』はしないんだけど!」
銀の指輪に揺らぐ満ちぬ月が光を帯びる。アーリアは奥歯を噛み締め、魔力を束ねた。
幻想魅惑のベルベッドは穏やかな並となる。黒い片手袋の先から漂ったアルコールは紫苑の魔女のとっておき。
マルクが次に控えている。己の『動き』を確認し狙うべき場所を知っている。-―なら、魔力で飲み干すことだって悪くはない。
竜の眩む視界に、光が差した。
エクスマリアの落とす彗星に、そして淡い緑の衝撃波に動きを止めた竜へと叩き付けた朝焼けから蒼穹へ至る誓いの剣。
撃鉄を落し、世界にリンクした青年の意志が魔剣を創造し翼竜を斬り伏せた。
(如何なる資料を見たって残されていない。だが、此処にカロルが居て聖竜がいる。
いや――『カロル・ルゥーロルゥー』は歴史から抹消された存在ならば、共に在った竜の事を歴史に残す者は居ないか)
マルクは翼竜が分断され、意志を持ち動き始めたその瞬間を捉えて離さない。
ちらついたのは夜色の翼に星きらめくような美しい姿。それが『本来』の姿ならば――今の翼竜の姿は余りにも酷だ。
「……ねえっ! っていうか分裂とか聞いてない! ズルじゃないの!?」
拗ねるように声を上げたタイムは「でもこれならなんとか! ねえ、星穹さん!」と声を上げた。
「ええ、ええ、此の儘抑えて見せましょう!」
星穹の表情が僅かに歪む。だが、リュコスより受けた加護の気配に、自らを支えるだけの癒やしに。絶対的な信頼を置かねばならない。
「ルル」
マリエッタは地を蹴って飛び上がった。決して空は渡さない。血剣は翼竜を串刺し引き抜かれる。反撃と言わんばかりに大口開いたそれを真っ向から睨め付けた。
「私は貴女を信頼などしていません。貴女の思惑は信頼に足るとは思って等居ない。
他の罠も……何より聖竜に何かあるかもしれない。はたまたルルを利用している他遂行者が何か仕掛けている可能性だってある。
とはいえここでお茶をしているだけでは私自身の状況は悪化してしまうからこそ、戦うのです」
「ええ、今殊更に信じろなんて一言も言わないわ。好きにして良いわ。
竜に噛み殺されるか、私のお願いを聞いて家に帰るか」
本当に喰えない存在だとマリエッタは呟いた。信の前に疑が存在してこそなのだ。
この場の人間を見たってそうだろう。信じる者、信じられぬ者、迷う者。
どうにも人の心というものは一つにはなりきれやしないのだ。
それはどの様な場所であれども、個が密集すれば起こり得る分断だ。マリエッタは唇に笑みを浮かべた。
心の内に『二人』存在する己はどちらの側から見ても警戒するべき対象になりえてしまうのではないか――
(……ええ、だからこそ私は何時だって最悪を想定して思考するのです。
挑む相手が…本当に勝てるのか。ただの玉砕にならぬように、そして私達という可能性を絶やさぬように)
己は魔女だ。誰ぞに後ろ指を指されることだって慣れている。
全ての可能性と選択肢を意識した上で、己は『選ばねばならない』のだ。
どの様にこの場を乗り切り、誰を味方にするのかを。
●滅びの気配II
降り注ぐ流星は無数に分れた翼竜を諸共薙ぎ払うことを狙って放たれた。
エクスマリアを一瞥してからマルクは頷く。この場に居ては巻込まれる可能性も高い。傷付けば癒やすが如く。仲間達のリソース管理をも行うエクスマリアははたと気付いた。
「星が降る、ぞ」
「……ああ」
マルクは小さく頷いた。星の煌めきは此処で終いだ。エクスマリアは星穹の傷を癒やしながら周囲を確認する。
あちらこちらに散らすわけには行かない。リュコスが声を張り、分裂する翼竜を引き寄せる。ある一定の所で細かく分断していくが故に手数が増える。
小さなダメージでも蓄積すればそれなりだ。どのようにそれを去なすのか――が問題ではあるが。
招かれた人間は限られたリソースを駆使し、万全に利用せねばならない。何より聖竜のけがれの権限は聖女の手心が加えられていた。
(本当に……困った娘(こ)ね)
アーリアは独り言ちた。正純もタイムもきっと気付いて居る。カロルは敢てイレギュラーズと良い勝負をする程度の出力に『けがれ』を抑えた気がしてならないのだ。
カロル曰くは別たれた世界線。何れ合流するであろう時間の流れ。それが『合流する』事を見越して戦っているのか。
此処で勝利を収めるつもりはないとでも言うようで腹に据えかねるものがある。
「……だが、これが『此方の手の内を探っている可能性も』」
「捨てきれませんね。しかし、心臓でこのレベルの敵。……本気で敵対したら、かなり危険ですね。
『あの時間の私がどうなっているのか』……」
ベネディクトに正純は言葉を返しながらも翼竜から視線を外すことはなかった。厄介な翼を穿てば、それは簡単に地に落ちた。
その程度で済むのか。済んでしまった時間が合流したならば――?
頬を掠めたのは風の刃。すぱりと走った傷から溢れた血を拭ってから正純は鏃に漆黒の気配を纏わせる。
負荷を掛ければ良い。幾ら耐久や癒やしに優れていても多重に攻撃を重ねれば幾らかは動きが鈍るのだ。
「あっち!」
リュコスが呼んだ。傷などどうでも良い。贄の仔は己の傷をも力に変えるが如く。渾身の魔力を振り絞り、魔剣を振り下ろす。
その小さな体が宙をぐるりと踊った。翼竜の『分裂』の一つが消え失せる。だが、まだだ。
「くるよ!」
リュコスの声に振り向いたのはベネディクトであった。
「ああ。竜と命のやりとりをするのにも慣れたものだ――なっ!」
剣にぶつかった竜の牙。受け止めてリーチの長い槍で切り伏せる。分裂した相手だからこそ遣りやすい、だが、何れだけ立っていられるかが問題だ。
「んん~~っ、もう! ここで倒れてなるもんですか。抑えているわ、だから畳みかけて――!」
叫んだタイムに「了解」とマルクの声音が『振った』。魔力だ、魔力が剣の形を成した叩き付けられる。
「んもう、カッコイイんだから。タイムちゃんったら」
揶揄うように笑ったアーリアにタイムが「ルルがにこにこ笑っているのが見えたんだもの」と外方を向く。
「ねえ、ルルちゃん、私達が傷付いてて楽しい?」
「勿論」
「……」
何とも言えない顔をしてからアーリアは「いじわるなこと!」と揶揄って見せた。
「聖竜、君と話が出来ないことを残念に思うよ」
「マルクはこの子が気になるのね。じゃあ、私が死んだり私が掻き消えたら、この子の心臓を此処の皆にあげようかしら」
「……なんと?」
マルクは一寸だけ動きを止めた。出来うる限りを支える。誰も欠けてしまわぬように。
リュコス、タイム、星穹が引き寄せ、正純の弓が先を切り拓かんとする。
アーリアは「ルルちゃん?」と問いながらマルクとベネディクトと連携をとりながら分裂した翼竜の対応に追われていた。
にこにこと微笑んだカロルは「故郷にあんた達は征ったことあるのよね。連れて行って上げてよ」と微笑む。
「この子、私のせいで帰れなかっただろうから。……ね、イイでしょ。だから、浄く保っておくのよ。
この子がこの子であるためにね。いい人っぽくない?」
「貴方達を知れて良かった。その想いや理想は……どうあれ尊ばれる人の意志ですから」
掠れた声音で囁いてからマリエッタは目を伏せた。強大な魔術の連続は、己にとって枷になどならない。
足枷の全てを捨置いたのだ。無尽蔵に湧上がる魔力が造り上げた血色の武具。
その切っ先より滴り落ちる血液は、魔力そのものである。死地の魔女と呼ばれた女の傑作はその姿を小さくした翼竜の喉元を突き刺した。
「小さくなり逃げ惑う、ただの狩りではありませんか」
うっとりと微笑んだ魔女の唇が呪文を唱えた。魔術の気配は更に死と血の舞踏を呼び覚ます。
正純の矢が周辺を漆黒に塗り潰す。
夜明け前の気配。その漆黒の気配を切り裂くのは乙女の弓だった。一矢は常に光を求める。
明けの明星。東に輝く光は何時だって眩むことはない。
眩まない光は、英雄であり、聖者であり、イレギュラーズだ。可能性の化身なのだろう。
ベネディクトは眉を顰める。
(英雄にしろ、聖者にしろ。突出した存在は大きな影響力があるからこそ、崇められ、その逆もまた然り。
……竜の巫女、カロルもその一人だったのだろう。他の遂行者もまた同じような存在だった者も居るのかも知れん)
それだけ天義は罪を犯したか。罪は消えず、吹き出すようにして全てが明るみに出てしまったのだろうか。
何もかもを嘘であれど誠にした代償だと言えば――悩まずには居られない。
だが、此処で泊まることなどできなかった。
「生きていたいのです。生きなくては、ならないのです。
生きたいと思わせてくれたこれからの家族と、生まれてきたことを喜んでくれたこれまでの家族。私の命と変わりないひと達に、会うために――!」
星穹が地を踏み締めて飛び込んだ。その視界にちらついたのは。
「星穹……!?」
驚愕した声を漏したのはセナ・アリアライトだった。
カロルの言葉は本当だったのか。『恩を売る』とはどう言うことか。今際の際に来て彼女は何を望むのか。
顕現した悪しき翼竜はもうすぐ潰えるはずだ。その滅びの気配を打ち払えば――
もしかすると、さいわいが待ち受けているのだろうか。
星穹は理解している。理解していた。
ヴェルグリーズが居て、空が居て、心結が居る。この世界は何物にも代えがたい。
カロルの言を鵜呑みになど出来ない。彼女の事情を知ったとしても異なる世界を求める事はない。
ここで息をして、歩み、その命潰えるまで共に在らねばならぬのだ。
地を蹴って跳ね上がる。ドラムへ振り下ろすステッキの要領で跳ねて、翼竜の爪を避けた。
刀先が鈍ることなど、存在しない。
(――カロル・ルゥーロルゥー、貴女の思惑は分からない、けれど)
星穹は呼んだ「お兄様!」と。
「星穹」
「避けて!」
セナが頷く。抜いた剣を仕舞い込み、物陰へと退避しようとした男の首根っこをカロルが掴んだ。
「星穹! アンタのか~わいいお兄ちゃんは私が直々に守ったげる!」
「なっ」
「セナ・アリアライト。私の領域で『聖女カロル』について調べようとしてたわねえ。えっち!」
「……」
あんぐりと口を開いたセナの頬を突きながらカロルは楽しげに笑う。
「何が望みなのです。聖女!」
星穹が叫んだ。その声音を耳に為てから、カロルの表情が和らぐ。ぴくりとリュコスの肩が揺らいだ。
「全員に願うわよ……」
聖女の言葉にリュコスはみるみるその瞳を見開き、引き攣った声を漏したのはタイムだった。アーリアは「ルルちゃん」と言葉を漏す。
結末なんて呆気がない方がいい。特にヴィランというのはそういうものなのだ。
心の何処かに蟠りがあって、掛け違えた釦のようにちぐはぐな世界に生きている彼女にも降りかかるものがある。
――心臓だけは守りたかったの。
――このこと私は強く結ばれている。
『選択』によって降りかかる結末はイレギュラーズにだけではない。カロル・ルゥーロルゥーにどの様な変化があるのか。
気になっていても彼女は「さあ?」「どうかしら」と告げるだけだ。そういう度に視線が夢見・ルル家を追っていた。
傍に居たいと、もう手を離さないと決意したが故に己が身に聖痕を宿し死をも受け入れる選択をした彼女を。
「――私(ルル)のこと、忘れないでね」
声音が落ちた。
それは、最期の翼竜を掻き消したのと同時であっただろうか。
●平和の終わり
「――終ったわね」
聖女の声が、響いた。
エクスマリアはゆっくりと聖女の元へと近付いた。先程の悲痛な表情を見せやしない、楽しげな笑みを浮かべた女の元に。
「薔薇を一輪貰っても?」
「意味などないかも知れないわ?」
エクスマリアは首を振る。この地へのみちしるべになるならばそれで十分だったが、そうでなくても大切にしたいと言った。
卓を共に囲んで茶を飲んだのだ。僅かな一時ではあったが思い出として大切にしたいという。
「ルル。敵対関係であるというのに、なかなかに憎めない相手だと、そう思った。
記念品で構わない。一輪頂いていく。……また会おう、ルル。次はマリアが、特製の珈琲を淹れてやる」
「あら、楽しみ。ケーキも宜しくお願いするわね」
カロルは卓を抜け、『庭園の入り口』へと向かうエクスマリアの背を見送った。
「カロル、一つだけ聞いても?」
「ええ」
「……先程伝えたけれど、聖女カロルは月宮竜『とも』心を通わせていた、だろう?
月宮竜はクワルバルツの先代。なら、その友の聖竜は将星種以上、おそらく天帝種。
……該当する聖竜の正体を推測する。覇竜領域を去り、天義に渡った天帝種。そう推測しているんだ」
カロルは「竜の種別には詳しくはないけれど、それが何か?」と問うた。
「君と僕たちの歴史の交差する点が、聖竜。それを読み解いてみたいと思ってね」
「もし、竜に詳しい誰かがいるならば……そうね、月宮竜について更に詳しく調べて見なさいな。
些末なことでしょうし、あの子のことは歴史から屠られたようなものだろうけれど本来の姿を知れるかもね」
微笑むカロルにマルクは「そうするよ」と頷き、庭園へと向かう。
「寂しくなるな、ルル家」
『あん』
何故かカロルの腕に収まっていたポメ太郎は手脚を揺れ動かしてからその腕から抜け出した。
カロルの傍に姿を見せていたルル家へと飛び付かんとし尾をゆらゆらと揺れ動かしている。
まるで一緒に行かないのですか? どうしてですか? と訊ねるように吼えるのだ。ルル家はカロルを振り返ってからポメ太郎に近付く。
「一緒には行けないんですよ。ポメ太郎、太っちゃ駄目ですよ。気をつけてね」
『あん?』
些か雰囲気の変わった彼女にポメ太郎はこてりと首を傾げた。ベネディクトはそっとポメ太郎を抱き上げてからルル家に向き直る。
「次に会う時は敵か。加減はせんぞ」
「ええ。またね」
穏やかに微笑むベネディクトに続きマリエッタは「それでは、またお会いしましょう『遂行者』と一礼をする。
「貴女はどうするの? お母さん?」
「母ではないですが、私は話をしたくて、ここに残った。聖女様やアドレやほかの遂行者ことを、少しでも知りたかった。
この世界を作り替える。そのために一度滅ぼす。今こそが偽りだから、その全てを否定する。……それが、彼らの目的。そうですね」
正純はカロルのテーブルに一度着席してからローズパウダーを練り込んだクッキーを一つ口に含んだ。
毒などない。けれど敵陣で何かを口にするなど正気の沙汰ではないとも正純は認識している。
俎の上に寝そべって好きにして下さいとでもいうかのようだからだ。何ら体の変化がない辺りこの領域内でのカロルは『敵』ではない。
「……やっぱり、私は戦場じゃないこの場所で、その話を聞けてよかったと思います。
これでやっと私は、あの都市でもそうしたように、その信仰を、祈りを、否定できる気がするから。
さて、覚悟を決めましょう――」
「アドレを宜しくね、優しい星。あの射干玉の空に包まれた彼の世界に瞬く光」
目を見開く正純にカロルは「行け」と蹴り出すように言った。
(一つ考えたのは、聖竜は、魔種でない……んだよね。
ルルの制御でも、不完全。なら、別の人と契約して、遂行者側から外れる可能性もあるんじゃないかな……)
リュコスはそう考えはしたがマルティーヌに逢いたかった。カロルが『この場に居ては会えないかも知れない』と行った以上、奥に先行するよりも正攻法で彼女と出会った方が良いか。
「ルル……」
「貴女が、追い求める者があるならば――帰りなさい。そして、向き合いなさい。
聖句を授けるわ。あなたがたが幸いであらねばと願うのであれば、あなたは真なる主の助けを受ける事でしょう」
リュコスは小さく頷いた。『事』が起こる前にマルティーヌを探すならばツロの膝元ではない筈だからだ。
「ねえ……皆を遁してしまったってツロにバレたら、ルルちゃんは大丈夫なの?」
「……まあ、どうかしら」とアーリアを見てからカロルは興味も無さそうにスコーンにたっぷりのクロテッドクリームを塗りつけた。
手遊びの一環だったのだろう。指先が汚れぬように気を配ってからそろそろと頬張って笑う。
「まあ、あの子に干渉した時点で今後の事なんて何も分からないけど」
「うーん、でも……こんなのは如何? 『皆は遁してしまったけれど、一人は残した』なんてストーリー。
私、まだツロのこと何も知らないから――話し足りないし、まだぶつけたい文句も沢山あるのよ」
そんなの方便だ。ツロについて知るならば、この場を後にして彼に直接対面した方が良いだろう。
現にカロルはそのための道を示してくれているのだ。
「でも」
「でも、じゃないわ、ねえ、もっと話を聞くって話だったでしょ?」
タイムは「ちゃんと説明して貰わないと納得しないんだから」と頬を膨らませた。
彼女の仕草は愛らしい少女そのものだ。カロルにとっては『禁じられていたそれ』はある意味で羨ましくもある。
真似てみて、少女らしく動いたけれどいまいち『勘に障って腹立たしい動き』になっただろうか。
「ルル、ツロのことムカつくって言ってたでしょ。そういうところ人間臭くて結構好きよ」
「私がかわいすぎてって事?」
イラッとしたような顔をタイムが見せたカロルは吹き出しそうになりながら敢て堪える。
「でも、それだけが理由でわたし達を逃がそうなんて考えないでしょ? 心臓の浄化の方が本命だった。
なぜ竜の滅びを祓う必要があったか教えてほしいな。あなたは竜をいい子って言ったわね。
制御が万能ではないのはかの竜が本来は聖なる存在、だから?」
「私が今は滅びで出来た肉体を有しているからよ」
タイムは悲痛そうに眉を顰めた。何処まで行ったって、彼女は『イレギュラーズと交わる世界に生きていない』のだ。
それでも、友人が彼女を救いたいと願った。その結果を求める為に肉体に聖痕まで得たのだ。
「ルル家さんはあなたとのハッピーエンドを考えると言ってた。
……その言葉であなたも『もしも』の可能性を描き始めていて、そのもしもに繋がるのが聖竜じゃないかと思ったの。
ルル家さんが命賭けちゃったんだもん。じゃあ宜しく、帰るね! なんて無理よ――それで、あとは何をすればいい?」
タイムの真剣な表情を目にしてからカロルはからからと笑った。
「大名は私と一緒に居るわ」
「はい」
「これには違いはない。ツロが渡せと言ったって渡さないわ。友達だもの」
「キャロちゃん……」
カロルを見たルル家が友達という言葉を胸に染み渡らせてから唇を注ぐんだ。
忘れないで、とはどう言う意味なのか。彼女は何を覚悟したのか。
「……一度は返すわ。あとは、もう一度私を追掛けなさい。大名と私は成すべきを成す。お前達がいたらできないだろ、だから帰れ」
「あなたって……」
タイムが眉を顰めて「むっ」と叱るような顔をした。カロルは面白くなってから腹を抱える。
「……違うわ、タイム、アーリア。お前達は餌なのよ。
私はお前達に敗北し、『みすみすお前達を逃した聖女』である。このストーリーに変わりはない。
けれど、お前達は『倒した聖女のトドメを差し損ね』た。その理由がこの大名やら山賊やら、あとまあ茄子子とか」
「適当ねぇ」
アーリアが肩を竦めた。
「それでも、お前達は勝たねばならない。私に、ツロに、ルスト様に。
だから、私から一つ奪って逃げるんでしょう。宝の鍵よ。地図だってある。あとは掘り出すだけ。
そこで私が待っている。悪い顔をして『何か変わった』私がね。それからツロだって居るわ。鍵はお前達の身の内にある」
カロルはとんとアーリアの胸を差してから言った。
「招かれざる客でしょ。扉蹴破って逢いに来なさい。私が見られたくないことがあるの。それだけよ」
聖女は笑ってから、扉の前へとイレギュラーズを並ばせてから一度俯いて――手を打ち合わせた。
「おめでとう」
乾いた音が立った。
時とは有限だ。時とは夢幻だ。
歩みが鈍く急かす気持ちで背を押すこともあれば、呆気なく過ぎゆくことを悔むことだってある。
緩慢で怠惰な時間が流れていたかと思えば、お構いなしに全てが変化して行く事だってある。
時とは決して手綱を握れるものではない。少なくともそれは、『外』での話だ。
この場は如何なる干渉をも跳ね返すだけの小規模なシェルターと言えよう。
術者が支払う代償は如何程か定かではないが、時を牛の歩み程に変化させることは造作なく、秒針を暫し留める事とて為し得る。
ただし時とは不可逆だ。起こり得た『事象』は決してなくなることはない。
ゆめ、忘れてはならぬ。そして――
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
刻の流れが合流するまでの間、しばし平穏を楽しみましょう。
この戦いでの『怪我』は、カロルが暫くの間はストップしておきますね。
全てを『合流させた』時に皆様にお返し致します。
どうか、楽しい毎日を。
GMコメント
●成功条件
『悪しき翼竜』の撃破
もしくは
『カロル・ルゥーロルゥー』と共に此の儘此処に滞在し続ける
●フィールド
聖女の薔薇庭園。美しいこの場所は、カロル・ルゥーロルゥーの領域です。
特異なことに『伝説上で名の知られた聖女』であるカロルとその友である聖竜の結びつきによって形成されています。
カロルが認めた存在のみしか立ち入ることは出来ません。基本は遂行者は顔パスですが現在は『鎖されています』。
カロルを信用できない場合は「お茶会に戻して」と告げれば茶を楽しむだけの空間です。(難易度はEasyに低下しますが、このまま滞在を続け『不明』が継続されます)
カロルを信用し『悪しき翼竜』を撃破した場合はカロルが敗北した振りを為てくれるため、仲間達と合流可能です(難易度はHard相応です)
薔薇は攻撃では傷付かずカロルの計らいである程度動きやすくなっています。
●敵エネミー『悪しき翼竜』
聖竜『???』の心臓に巣食った滅びが具現化した姿です。黒い靄で形成された竜の姿をしています。
滅びの気配をさせるブレスを吐く他、非常に強力な爪での攻撃を繰り出します。
それなりに巨体であるため、押し止めるためには3名程度必要となります。
飛行も可能です。状態異常からの回復能力にも優れています。
また一定ダメージを得ると分裂します。徐々に小さくなっていきます。HPも分割されていきますが、手数が増えて面倒かもしれません。
それ以外の詳細は不明です。
●遂行者
・カロル・ルゥーロルゥー
聖女ルルと呼ばれる少女です。甘い桃色の髪に、金色の眸の少女。
『神託の乙女(シビュラ)』とも呼ばれ、遂行者の中でも特に強い力を有していることが推察されます。
非常にお喋りです。そして、非常に『甘い』です。イレギュラーズを相手に全員を此処で嬲り殺すことが現実的ではないと考えて交渉を持ちかけたようです。
口は悪いですが、性格はそれ程捻じ曲がっていません。実は聖女らしさを少しは持ち合わせて居ます。
子供っぽさは年齢相応でしょう。本人曰く『ルスト様ガチ恋勢』です。
民草によって断罪の処刑を行なわれたため、基本的には悪辣に振る舞います。
カロルに此処で攻撃した場合は本気で反撃してきます。
・聖竜
嘗ての時代に聖女と呼ばれた少女カロル・ルゥーロルゥーと心を通わせた竜種です。
正確な名称は伝えられていませんが、カロルの庭園(聖域)維持にその力を発揮しています。
滅びの力にコーティングされている状態です。聖竜自身はカロルと共に存在している為、彼女と同様に滅びの気配を有します。
カロル自身はこの聖竜のコントロールが『やや』可能です。万能ではありません。
心臓だけは清きままでいなくてはならないらしく、その気配をカロルが具現化してくれました。
・夢見・ルル家
イレギュラーズ。聖痕をカロルに与えられたイレギュラーズです。
基本は普通のルル家さんですが、カロルが危機に陥った場合は『カロルの聖痕』の影響を受けて彼女を守るように体が動きます。
ただし、カロル的にも本意ではないため出来るだけ彼女には正気で居て貰うつもりのようですが……。
なにもない場合はカロルとお茶を楽しんでます。
●備考
『皆さんのお茶会』はこのシナリオの前です。
それぞれにて判定が行なわれますのでこのシナリオでは『帰還』をどうぞ目指してください。
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
予めご了承の上、参加するようにお願いいたします。
●情報精度
このシナリオの情報精度はEです。
無いよりはマシな情報です。グッドラック。
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