シナリオ詳細
<花蔓の鬼>零落
オープニング
●
一夜の夢であろうとも溺れて居たかった。
哀れな獄人だと嘲笑っても構わない。情けであれども構わない。芸事で身を立てた我が身であれど、種は変えられぬ。
女は在る男に見初められた。獄人でありながら刑部に出仕する武家の家門の男だ。差別的な八百万達からは手頃な駒だと扱われていたがその矜持は曇ることはない。
揺るぎなき信を抱いた男は、女の前でだけ屈託無く笑うのだ。幼い子供の様に大きな口を開いて「あはは」と声を上げて笑う。
刀に一筋であった彼を女は「可笑しな人だ」と感じていた。愛だ恋だと知らぬ稚児のような顔をして「貴殿が好きだ」と語るのだ。
絆されたと言うのが正しいのだろう。男の情熱に、つい首を縦に振った。
柔らかな菫色の眸が細められて使い古した名を呼ぶのだ。――と。手垢が付いて他の男達に言いように呼ばれた名が愛おしいと思えたのは初めてだった。
墨色の世界に光が差したのだ、と。その時ばかりは思ったのだ。
ああ、けれど。
一夜の夢であろうとも、溺れたかった。それがただの一度の過ちだ。
金も絡まぬ惚れた腫れただけの言葉で、好いた男の腕に抱かれる。情欲だけが支配したその時間を愛したのは確か。
その腹に罪を孕んだのも確かな事。
悍ましき我が身が抱いた最大の罪は、『あの人』を受け入れたことだったのか――
「――め」
呼ばれてから女がそろそろと顔を上げた。柔らかな菖蒲色の髪をした獄人の女だ。
「どないしはったの? おかあさん」
「雲様がいらっしゃったんよ。しゃんとなさいな」
芸事で身を立てる遊女。見世を転々とし、ふっと姿を消してからまた姿を見せる。
疎まれる行いでありながら、女を受け入れる見世は多くあった。彼女が現れてから『瓊枝』は変わった。
神威神楽の端に存在する花街『瓊枝』は嘗ての帝の時代より細々とその経営を続いている。
今上帝なる霞帝ならば獄人を搾取するこの地の粛正を改革をと声高に叫ぶだろうが、それは為されない。
天香が敷いた八百万の治政は、獄人を搾取すべきだという根強い意識を残し続けて居る。故に、売り物となった獄人達の在り方を八百万は許諾し、貴族の中にはこの地を庇護する者も居るのだ。
おいそれと手出し出来ぬ『何者にもなれやしなかった獄人のなれのはて』。それが瓊枝の在り方だ。
その瓊枝には嘗て芸事でその身を立てた遊女がいた。一晩彼女を呼べば貴族のお家の財産が半分減るとさえ囁かれる獄人。
それが『彩芽』という女である。
八百万にも劣らぬ芸。肌を許さぬ事で知られた女を貴族達は買い叩き、瓊枝の重鎮とさえ囁かれたのだ。
その女が身請けされ早く随分と時が過ぎた頃――彩芽に良く似た一人の女が瓊枝に姿を見せた。
「あやめ、と申します。宜しくお頼申します。おかあさん」
しずしずと頭を下げた獄人の娘。菖蒲色の髪と眸。短角に銀舌。彩芽に瓜二つの女は芸事で身を立て、見世へ繁栄を齎した。
ああ、けれど、『雲』と呼ばれる男が決まって彼女を訪ねてくるのだ。
すると女は姿を忽然と消す。暫くののち、またも同じように別の見世にやってくる。
その繰り返しではあるが、女が見世に居座る間だけその見世では多額の金が動くのだ。
――ならば、無碍にも出来まい。
女は瓊枝のとある見世にその身を寄せていた。
「……あやめ」
「なんでっしゃろ」
「雲様はどうしてお前さんを迎えに来はるん? ずっと、ずっと、居ってくれてもええのに。
ウチはアンタを無碍にはしませんえ。きちんと生活をさせてやれる。何なら、貴族様への身請けやって――」
あやめと呼ばれた女はふるふると首を振った。
「ウチ、あの方のものやから」
うっとりと笑った女は、座敷へと歩いて行く。
その背を見送ってから見世の世話役は嘆息するのだ。
繁栄をもたらすと共に、あの女には薄ら暗い噂がある――
見世の女が一人、彼女と共に姿を消すのだ。身請けが決まった者も居れば、叶うことない恋に思いを馳せるの者もいる。
幸せそうな獄人の娘は何処かへ失せてしまうのだ。決まって誰もが「どうしてあのこが」と口を揃える。
彼女が関与しているとしても此処は掃き溜めだ。誰ぞが口を挟めることでもない。
見世の世話役は己の腕を擦った。
……ああ、そういえば噂を聞いた。
『居なくなった女は何処かに売られていくの』だ。
「其の儘、売られてたら浮かばれるんやけどなあ……」
世話役はちらり、と見てしまった。ある時にあやめの元を訪ねてやってきた八百万の男の腰から下げた飾りだ。
それは見世に居た『漫はな』のものではなかったか。彼女の角は淡い桃色だったが途中に傷が付いていた。
客が勢い余って彼女の角を削ったのだ。その位置と丁度一致している。加工はされていたが世話役は漫はなを可愛がっていた。見間違えることはない。
もしも、角等を切り取られ無残に何処かに捨てられているのなら――
ああ、いやだ。気付かない方が良い。
悍ましい可能性に気付いてから世話役は蛻の殻となったあやめの部屋を後にした。
「行方不明事件が起きているのだ」と中務卿は静かな声音で言った。
彼も、そして彼の主たる霞帝も瓊枝には手出しが出来ない。しかし、その地の遊女が姿を忽然と消し、その背後に『人身売買』の噂が付き纏っていることを放置は出来まい。
「……調査を頼みたいのだが」
ちら、と彼はすみれ (p3p009752)を見た。その視線に「何か?」とすみれは首を傾げる。
「実は、貴殿に良く似た遊女がこの噂の中心に居る。名は確か……あやめ、だったか」
ぴくり、と肩を動かしたのはすみれと澄恋 (p3p009412)の両方であった。
知識の上で二人は『自身の母親の名前が彩芽(あやめ)』である事を知っている。
「何か、心当たりでも?」
「いいえ。人違いでしょう。……魔種ですか?」
すみれは首を振った。黙りこくった澄恋も心当たりがあるわけではない。
「ああ。行方不明事件が本当ならば十中八九、魔種が手出ししている可能性があるだろうな。
連れ去られた女も呼び声を受けてのこと……である可能性が高い。
……何も情報が手許に無くて済まない。ある程度与えられる情報だけ、纏めておいた。
良ければ参考にしてくれ。俺達もおいそれと手出しの出来ない場所だ。全てを貴殿達に委ねてしまうのだが……」
中務卿に澄恋は「構いませんよ、お任せ下さい」と告げた。
ああ、けれど、何故すみれと共に呼び出されたのか。偶然のことであったのかもしれないが、奇妙な気配だけが背中へと張り付いていた。
- <花蔓の鬼>零落完了
- GM名夏あかね
- 種別リクエスト
- 難易度-
- 冒険終了日時2023年09月07日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談8日
- 参加費---RC
参加者 : 10 人
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参加者一覧(10人)
リプレイ
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絢爛なる夜に滴る毒は、酩酊を誘う。消息を絶った娘の行方など誰も気にする余地もなく夜に汲み交される睦言は渇きを識る事は無い。
『簪の君』すずな(p3p005307)は言う。行方不明とは、人の気がごっそりと消え失せるとは普通であれば騒ぎにもなろうもの。だが、花街――況してやこの国の『獄人』など、そうあるべきと思われている。
「獄人……迫害される存在であるからと、搾取された果てに行方知らずとなっても誰も気にしないとは、なんとも惨たらしい事ですね」
眉を顰めたすずなに「仕方が無い事なのでしょうけれど」と『盲御前』白薊 小夜(p3p006668)は囁いた。
高天京の中でも、改革を求める主上の声も届かぬ場所。暗所と呼ぶに相応しきこの『瓊枝』の街に踏み入れた途端に淀む空気と気が眩むような香りが立ちこめた。これこそが花街だ。
育ちが妓楼である『姓なき花嫁』澄恋(p3p009412)にとっては大した問題ではありはしない。寧ろ慣れ親しんだ空気だと、誰よりも悠々とこの場を動けることだろう。
対照的な程にこの場に慣れぬ様子の『姓秘し花嫁』すみれ(p3p009752)は眉を顰めて嫌悪を滲ませている。女は夫が居る。言祝ぎ、婚儀の随に混沌へと導かれた旅人だ。この地に足を踏み入れる機会など存在するわけも無かったのだ。
薫りに眉を顰めてから『宇宙の保安官』ムサシ・セルブライト(p3p010126)は思わず呟いた。
「……手を伸ばしたくても手が届かない場所……『何者にもなれやしなかった獄人のなれのはて』……。
色事は不得手でありますけど……緊張や気恥ずかしさよりも、何か悲しさを感じる街であります。
……もし。『手を伸ばしたくても伸ばせない』ような問題が自分の近くでにあるとしたら……」
ぐ、と息を呑んだムサシは己が姿を隠してから、事件の外郭でも探りたいと願った。成年と言うべきかあやふやな年の頃であるムサシが大手を振って歩くのも妙な心地だと裏からの諜報に徹すると決めたのだ。
「いやしかし、怪しげな事件関連以外で花街に入れたことが何回あるかね」
呟いた『怪人暗黒騎士』耀 英司(p3p009524)は頭を振った。焦臭さが拭えぬのはこの国の暗部に触れているからか。不穏な事件に触れることは多くあったが、一等嫌な気配がするのだと『慈悪の天秤』コルネリア=フライフォーゲル(p3p009315)は思わずぼやく。
「物騒ねぇ。まぁアタシとしては飯食うための種に困らなくて良いけれど……んじゃ、貰った分ぐらいは働こうかしらね」
仕事をするならば対価が必要だ。傭兵とはそうやって生きているのだ。人間とは金が行動の指針となる事もある。この花街では己を切り売りして、そうして対価を得る者も多く居るのだろう。その生き様を否定はしまいが、餌にするなら赦しておけるものか。
「豊穣にも……熟成された悪の温床があったのですね。
人の業、欲望と利害…搾取と差別が蔓延りながら、正義も指を咥えるしかない裏世界。何とも芳しく……それでいて、反吐の出る事でしょうか」
ここに悪人がいるならば。悪には悪の流儀を持って応報を。それこそが『水底にて』ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)の信念だ。
この場においても許せぬのだ。噂話の火元が此処であるならば煙を手繰る必要がある。人身売買という所業を見過ごせるわけがない。
「まぁた行方不明とな。相も変わらずきな臭い国じゃ。そんなところでもわしの生まれ育った国なのでな。面倒は解決させてもらう。
……なんぞば澄恋のばかむすめも関係ありそうじゃしな」
ぴくり、と澄恋の肩が揺らいだのを『幽世歩き』瑞鬼(p3p008720)は見過ごさぬ。紆余曲折あり『育った』のがこの場だと澄恋は言った。
「……この依頼はきっとそこでお世話になった方への恩返しのために巡ってきたのだと思います。
昔は虐げられてきた獄人ですが神逐を経て世は変わり、花街でも安全が保たれるべき時代ですもの」
この様な地で育った女なのか、とすみれが非難めいた声を上げたが澄恋は否定はしない。本来ならば澄恋もすみれと同じように感じただろうか。
「世話になった人が……『花堕』のあの人も屹度此処に居る……。『花堕』のあの人に悪事が飛び火しないためにも、必ず犯人を突き止めて――」
それから、また笑顔で語りあいたいのだ。あの人の横顔を思い出す。あの優しい人は今、何を為ているだろうか。
その切なげな表情に『医者の決意』松元 聖霊(p3p008208)は首を振った。
(俺の知ってる澄恋は無茶しまくって大怪我してそれでも笑うような大馬鹿者だ。こないだなんか入院中に窓から飛び出しやがったし。……でも、とんでもなく優しくて綺麗な真白の人だ)
美しく、嫋やかな娘であると聖霊は認識している。この街に満ち溢れた悪意はまだ目に見えぬ、正しく『雲』そのものだ。
「……これが人身売買だとして、見逃せる訳ねぇよな」
思う事が同じであれば、進む先は最早決まっているのだ。仄かなる灯に照らされる街に、踏み入れた一行は各々の思うとおりに調査を始めた。
●
往来を行くのは八百万ばかりかと思いきや獄人の姿も見られた。彼等は商人なのであろうか。見世をじろりと眺めては物色するように見て回る。
成功者が大手を振って通りを歩けば、楼より見下ろす冷めた女の視線は天と地の差を羨むかの如く。籠の鳥達は翼を喪い、撓垂れ掛かる事しか出来まい。
「最近、遊女が消えるらしいが……駆け落ちかい?」
路地裏で英司は楽しげに問うた。適当に食料を渡せば、傷だらけの女は「さあねえ」と笑う。
「噂じゃ、適当に売られてるそうだよ。角もへし折られた女が見つかったこともあったからね。まあ遊女が売られるなんて何時ものことさ」
「人身売買とあっちゃ色気がねぇ。聞いた噂じゃ、しかもイケメンだって? 俺以上にかい? どちらかと言うと後者の方が気に食わねぇな」
英司が揶揄うように笑いながら「それでお前さんは?」と問うた。澄恋が死者に聞き込むならば自らは生者に聞けば良いと考えて居た。
故に問うた相手は暗い顔を為てこんなドブから抜け出そうとしただけだよと呻いた。それがバレて酷い手打ちにあったのだろう。
「サンキュ」と軽く返してから食料を渡し、英司は待ち合わせ場所へと向かうことにした。潜入ならば得意分野だ。どうせ、今後、誰も路地裏で話を為ていた男など思い出せまい。
何故ならばマスクを脱いだ素顔を知っているのは澄恋だけだからだ。
「小夜さん」
呼び掛けるすずなは背筋をぴんと伸ばし笠を被って声を掛けた。ゆるりと頷く小夜は己のかんばせを隠すように俯いてみせる。
一人では人相の確認が出来ないからと告げる小夜に「旅の芸者として問題ないなど何もないでしょう。実際按摩も三味線も出来ますしね」と穏やかに微笑んだ。全く不自由しないとまではいかない。小夜の言う通り『人相を確認出来なければ犯人の特徴』も掴めまい。
「何でも云って下さいね」
「ええ。まあ、大丈夫でしょう。実際昔はやっていた事だもの。少し腕が鈍ったかもしれないけれど嘘では無いわ」
遊女達からの情報を得るならば『異国からやってきた旅の芸者』として見世などに立ち寄るのも良いだろう。獄人でないならば八百万かと目の敵にされては叶わない。ならば、神人(旅人)であると印象づけるが吉である。
「一つずつ寄ってみましょうか。どうやら入り込む余地はありそうだもの」
眉を顰めたすずなに「そんな悔しそうな気配(かお)をしないで」と小夜が囁いた。すずなの形の良い唇に指先を当ててから揶揄う声音に娘の肩が跳ねた。
「もう」と拗ねた様子で返してから「だって」と続いたのは致し方がないのだ。澄恋や瑞鬼を見ていれば、そんなことも忘れてしまうが獄人は迫害されていた大した教育も受けていない者が多く居たのだ。
「へえ、旅してるんだねえ。アタシは雨久花。宜しくね、えーと……薊と菘でいいのかい」
「ええ」
「はい!」
敢て『名を偽った』小夜に続き、すずなも真似ようとしたが――間に合わなかった。花を売るつもりは無いと最初に決めたのはすずなの眉間に皺が増えてしまわぬようにと言う小夜のちょっとした決意である。無論、そうすると告げればすずなが喧々囂々と叱ることになるのだが。
「『あやめ』という方なのだけれど。見世で遊んでいるお客陣と繋がれば嬉しいなとは思って居るの」
艶やかな蒼い髪を束ねていた雨久花は「ああ、じゃあ時夫の旦那がいいよ」と自身の客人を紹介してくれるのだ。小夜のサポートである菘はまじまじと雨久花を眺めてから「どうして教えて下さるんですか?」と問うた。
「こんな所に来るんだから訳アリだろうしね。アタシもさ、アンタらも」
鏡台と睨めっこをしている獄人の女はからからと笑った。お礼に何か聞かせて欲しいと請われてから小夜は三味線を、すずなは琴を弾いて見せた。
雨久花に紹介された時夫という男は『芳元屋』につい最近まであやめが居たという噂を聞いたのだそうだ。
「それにしたってどうして旅の人があやめを探すんだい? お嬢ちゃん達もあの子に肖りたいのかい」
そう言ってそっと小夜の腰へと手を伸ばした時夫を制してからすずなは「見世でお仕事させて貰おうと思っておりまして、それなら詳しく知ってから決めた方が良いでしょう?」とそう言った。色事はと問うような視線に小夜は「花を咲かせやしないけど、按摩ならかけて差し上げれるわ。宿を取っているから、良ければ『また』何か」と囁いた。
「所詮小娘の児戯だろうと思われるかも知れませんが、如何かしら?」
「まあ、また何か浮かんだら伺わせて貰うさ」
ひらひらと手を振って去って行った時夫を見送ってから小夜は一度たりとも顔を動かさないまま「聞いていたかしら」と囁いた。
密偵のように影に潜んでいたムサシは「はい」と小さく頷く。あやめが居る場所に『雲』が出る可能性がある。芳元屋の周辺を探るのが良いだろうか。
ムサシは情報を探り当てるようにやってきた。姿を消した女達は皆、『雲』と一夜の遊びを楽しんだという。それを言葉にすることも戸惑うようにムサシは僅かにまごついた。
「どうやら、『あやめ』という遊女が居る見世の女性が姿を消すというのは一貫しているようででありますから」
雲を探すべきだろう。人の往来が多い場所を中心に『あやめ』が居る可能性があるという見世の周辺を張る。
仲間達との連絡係を担うムサシは一度、場所を絞って張ってみせると告げた。
だが、しかし『つい最近まで』は居たというのだから移動している可能性はある。芳元屋からは最近、一人の獄人の娘が行方不明になったと聞いた。
「――なら、芳元屋以外への潜入が良いか」
路地裏で行方不明者の情報を探していた英司はぼそりと呟く。
「そうでありますな。一応周辺の聞き込みをしたらそれらしき人物の出入りがあったのは――」
ムサシは三つほどの見世を上げた。その内、大店(おおだな)である『滝雫』という見世に着目した。何故ならば、この見世は未だ行方不明者が出ていないからだ。
「色々と聞いてみたが、まあ……『雲』って奴は太客なんだそうだ。決して怪しくもない商人で、雲と呼ばれているのはその本名が由来とは聞いたが――」
英司は路地裏で「安く買える相手を探してる」と声を掛けた。「あたしは?」と問うてくる獄人を去なしながらなんとか聞き出したのはそうした情報である。ムサシと連携しながら外部の情報を探るだけではない。これから潜入を行なう仲間達の補佐も英司の役割だ。
「さ、何かに気に掛かる事があれば言ってくれよ」
聖霊は頷いた。ゆっくりと振り向けば穏やかに微笑んだヴァイオレットの姿が見える。
「だ、そうだ」
「ええ、そう致しましょう。けれど……凶星が瞬いているのが気になりましょう。澄恋様に似ているという遊女、あやめ……とは」
それが不吉の象徴で無い事を願いながらヴァイオレットは滝雫へと向かった。
●
「源氏名は……『あやめ』など如何でしょう」
楼主は目の前のすみれを見て、まじまじと眺めた。富をもたらす女と瓜二つの女だ。
髪と眸に菖蒲の花、ぴったりでしょう。「新入りとして彼女の技芸を見て学び、一刻も早く当楼のお役に立ちたいのです」と囁けば楼主はおずおずと納得してくれた。
式神を放ってからすみれは「何か?」と遊女に聞いた。
「あやめに良く似てて」
まあ、とわざとらしく驚いてからすみれは耳を傾ける。遊女曰く『あやめ』は滅多に姿を現さない。だが、その外見は特徴的な菖蒲色なのだと言い伝えられている。
そのうり二つな『小さいあやめ』が現れたという噂は遊女の中ではすぐに立った。同時期に農民上がりの遊女の名が知られる。『菫』という女は褐色の肌に良く似合う白地にその身を包んでいた。仮初めの身分なれど、安く売られるつもりもない。菫と共に居るのは月人(幻想種)の聖霊だ。見世に出るという噂だけで持ちきりだ。菫とは対照的に臙脂を纏う白き青年は足を崩し、何処か気怠げに客を眺めて居た。
「なぁなぁ、こっち来て俺とお話しようぜ?」
見えそうで見えないのが良い、と聞いたという聖霊の誘惑に、小首を傾げた愛らしい仕草に訪ねてやってきた男がごくりと生唾を飲み込んだ。
「おや……お一人だけでよろしいの?」
揶揄うような声音と共に、淫靡な気配を纏った『菫』がしずしずと一歩歩み寄った。目も眩むような色香を纏った娘の妖艶な気配に男達が響めいた。
菫という名はそれなりに売れ始めた。彼女がその名を菫としたのは『紛らわしいすみれ』の名が売れれば、もしも『澄恋』の関係者であれば必ずしや興味を持つだろうと考えたからだ。
現に、雲と名乗る男が菫の人となりを問うていると聞いた。獄人であるかを確認してきたという噂は『獄人をターゲットに絞っている』事を理解するのに一番だった。
菫は「お眼鏡に叶わなくて」と唇を尖らせる。聖霊は馴染みになった客に「菫がだぜ」と驚いたお湯に言った。
「酷いよな、雲ってひと。
あ、そーだ、俺、ここの国に来たばっかで全然詳しくねぇんだけどさぁ。なんか最近物騒らしいじゃん……? 行方不明とか、なんか聞いたことある?」
客人は「それも獄人が多いのだとか……気になる?」と聖霊の顎をそっと撫でる。振り払えば怪しまれる。
「だって、こえーじゃん? それともお客さんが俺のこと守ってくれるのか?」
囁く聖霊の瞳が怪しげに光った。
潜入してからと言うものの、花を売らぬと言う仕草にお高くとまっているとは言われたがいつか彼女を落とす男が出てくるのではないかと噂になったのだ。一躍有名になった花たちは、あやめという遊女の噂を聞いてやってきたと伝えられている。
「どうして探していらっしゃるのですか?」
「それを聞きにアタシの所にいらっしゃったのですか?」
幸さん、と呼ばれたコルネリアが顔を上げた。潜入時にどの様に動くべきかと瑞鬼と打ち合わせた際に彼女が用意した名である。
「まあ、他の遊女達と比べれば幸さんは面白くてね。あまり斯うした仕事に慣れているようにも見えなかった」
「うふふ、ご冗談」
若作り頑張らないとね、と拳を振り上げたコルネリアは着付けなどは澄恋に学んでおいた。豊穣の遊女を完璧に演技するには付け焼き刃では難しい。だからこそ、敢ての初々しさを見せたのだ。しつこくなく、と言っても然り気無く素を出してしまったかのように見せる。
「……それにしたって、坂田屋様。何を聞かせて下さるの?」
「ああ。幸さん達があやめを探していると聞いていたから。彼女に会うのはそれなりに詰まねばならないからね」
コルネリアは「へえ」と呟いた。一見さんはダメ、それ以上にその女は体を許さず芸で一夜を過ごす事を納得して買わねばならないのだと言うのだ。
「でも、色々薄暗い噂もありますやろ? 『雲の上に連れ去られた』らどうしよう。護ってくださいますか……」
「幸さんなら守るよ」
坂田屋と呼ばれていた八百万の男は穏やかに微笑んだ。酒を注ぎながら笑みを崩さぬコルネリアはふと思う。
(さぁて、こっちのコトワザで鬼が出るか蛇が出るか……だっけ? ほんとうに碌でもない情報が待っていそうだね)
獄人の遊女は掃いて捨てるほどいる。敢て自然に、コルネリアとは他人の振りを為て潜入する瑞鬼は微笑んだ。
「わっちはまだ新参故あれやこれやと手ほどきをしておくんなまし」
廓詞も久々だ。獄人の遊女を見れば噂話に花が咲く。何せ、行方不明になるのは『獄人』ばかりだからだ。
「雲に連れ攫われた?」
「決まってあの人が買った女がいなくなるからね。駆け落ちかな。それとも、追掛けたのかも」
「追掛けた……」
興味深そうに瑞鬼は云った。雲は見目麗しい獄人の男だ。商人をしている彼に惚れ込んだ女が妓楼を抜け出したのではないかと。
そもそも簡単に足抜けなどできまい。故に、裏で処分されたのでは亡いかと客の間では言われていたのだ。
「おっかない」と慄いた瑞鬼に「心配しないでおくれ」と甘い声を出す男はうっとりと女を眺めて居た。
(雲、あやめ、行方不明になった遊女。何が起きているかは想像に難くないが……何故そうなったのかが謎じゃな。
いづれにせよわしがすることは変わらん。ばかむすめ共がばかをしない様に見ておく必要はありそうじゃな……)
ばかむすめ――そう呼ばれる娘は路地裏を歩いていた。
脇道の亡骸に声を掛ければ、『くものくら』という売人がいるという話を聞けた。薄暗い商売をしているのだ、と。
獄人を商品として扱っており、その躯の主も角を撮られたと憤慨していた。澄恋はもしや臓器売買などを行って居るのではないかと考えながらも妓楼へと踏み入れる。
白無垢姿でしずしずと姿を見せた女を始めは煙たがっていたが「こんな姿なので、綺麗なお姉様方にお化粧を教えてもらいたくて」と困り切った様8素で言う女の半開きの濁った瞳に同情するように遊女達は澄恋を部屋に招き入れた。
あやめの話を聞き、その様に身を立てるのは素晴らしいと褒めれば「あやめ姐さんは此処に今居てはるのよ」と囁かれる。ある程度、話を為ながら化粧を教えて貰った澄恋は「お礼をしたいのですが」と声を掛けた。
「なら誰か買っておいきなさい」
「格の高い方は一見お断りなのですか、そしたら新入りさんを何名か」
菫の部屋に集まることで情報共有をしよう。夜半の月が雲に隠されてしまう前に。
●
――月は隠れることはなく、雲の行く先はあやめの元であった。
客人として、影に潜んだムサシは色めいた世界に目眩を覚えながらもゆるりとその影を進む。芸子としてやってきたすずなと小夜の姿も見受けられた。
(凄い薫りでありますな……。香を焚いた、というよりも、此れは――)
意識さえも眩むような薫りだ。それは独特の薬を思わせる。出来うる限り吸わぬように、空気を手繰り寄せるムサシはゆっくりと部屋へと向かってくるの姿を確認した。
来てはいけないと声を上げることは出来まい。その名を呼ぶことさえ憚られた。何故ならば、覗いた『あやめ』の姿が余りにも。
余りにも、『彼女』達に似ていたからだ。
「『あやめ』がいくんだ」とすみれを見かけた遊女の一人が声を掛けた。
雲は決まってあやめの部屋に遊女を呼び出すらしい。何とも妙な気持ちになる話ではある。
「売れっ子の菫が行くかと思ったけど、雲様は獄人が好きだからねえ」と揶揄うように彼女は言う。
最早情報の共有は終っている。その菫も、潜入しているコルネリアや瑞鬼も、待機をしている状態だ。
「そうなのですね。雲という方はあやめ様を身請けされてないのですね……?」
「どうしてだろうね」
妓楼随一の売れっ子。一晩閨を共にすれば財を崩さねばならぬと言う。あやめが居るのに他の女と出会うことを求めるとはどうしたことか。
連れ去るのは他の女。それが利害の一致で協力するだけの仲では無さそうだというのが何とも引っかかりを覚えたのだ。
隣をしずしずと歩くすみれを一瞥してから澄恋は同じ願いを抱いているのだと、皮肉な事を思っていた。
ああ、だって。
あやめ――綾芽。その名は、己の母のものであるからだ。
「失礼致します」
ゆっくりと戸を開いて頭を下げた澄恋とすみれを見下ろして、部屋に居た遊女は「ああ」と切なげな声音を漏した。
「おまえだったの……澄恋」
あやめの声音に、ひきつった声が漏れた。
「お母様……」
「お母、様……?」
澄恋の膝ががくがくと震えた。傍らのすみれの目が見開かれる。
『母』とは――澄恋にとってはその腹より産み落としてくれた血縁の女であり、すみれにとっては別世界線(パラレル)の母親である。
すみれの唇が嘘だとざらりと嫌な音を立てた。己は旅人だ。あの女との関係性などない。分かって居る。分かって居るのに。
「すみれ」と呼ぶ母の声が『ホンモノ』と重なった。優しい微笑みを浮かべ、嫁入りを祝福してくれたあの人。秘めた姓と、指輪が『本来の自分を思い出させてくれる』
それでも、あんまりだ。
「どう、して」
別れの言葉さえも思い出す。その人が目の前に居る。家も、姓も何もかもを捨て去って己の中に流れる血しか繋がりの無いその人は。
「どうして……? 妓楼を捨てて、花を売ることを止めて野垂れ死んでいるかと思ったのに。生きていたのですか、澄恋」
ひゅ、と澄恋は息を呑んだ。己が遊女だという事を知られたくは無かった。穢れたその身を曝け出すかのような感覚に隣のすみれが目を見開く。
だが、それだけでは無かった。一歩踏み出そうとした『綾芽』に驚いた様子でコルネリアが「止まれ!」と声を掛ける。
「オイオイ……マジかよ。澄恋!」
咄嗟に英司が澄恋の腕を引いたのは、目の前の女が『魔種』であったからだった。
「あ、あ」と澄恋の唇が譫言めいた音を漏す。一堂に会するイレギュラーズを見詰めてから聡い魔種はすぐにそれが『神使』である事に気付いたのだろう。
「『あやめ』を探っていたのはあなた達だったのでしょう。澄恋。
ああ、何てこと……邪魔が入ってしまいました。……志鸞様」
ゆっくりと顔を上げた女の視線の先に――澄恋と同じ種族特徴を、同じ髪色をした男が立っていた。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
なし
あとがき
お疲れ様でした。
絢爛なる花街で、雲を掴み、全てを解き明かせますように。
GMコメント
●成功条件
『行方不明事件』に関しての何らかの情報を得ること
(遊女あやめ、『雲』と名乗る男についての情報を得ること)
●フィールド情報
豊穣郷カムイグラの花街『瓊枝(けいし)』。建ち並ぶ妓楼と、掘と塀の閉塞的な場所です。
獄人が多く存在し、霞帝の治世となっても未だこの地の改修・立て直しには手が回っていません。
幻想スラムや鉄帝スラム、天義アドラステイアのように『手を伸ばしたくとも伸ばせない場所』の状態です。(この地を庇護する八百万が居る為、おいそれと朝廷も手出し出来ないのでしょう)
さて、瓊枝周辺に蔓延る行方不明事件・人身売買と思わしき非道な事件の調査に皆さんは訪れました。
1)『妓楼』への潜入
見世と遊女としての潜入を行ないます。見世の種類は様々です。男性であれど、それ専用の見世がありますので其方に潜入可能です。
瓊枝内部の見世では何方でも何らかの行方不明事件が起きています。それに関与しているという遊女『あやめ』の存在を事前に耳にすることが出来ましたが何処の見世にいるのかは定かではありません。
2の調査を経てから各見世への潜入も可能です。役割を分担し効率的に調査して下さい。
相手に勘付かれた場合は拠点を移動される可能性もあります。
2)『瓊枝』内部の調査
花街瓊枝内部を客人として調査します。裏通りには行く手を喪った獄人の姿や無残な姿になった女が横たわっていたりと不衛生な空間です。
八百万達が闊歩し、どの見世に行くかなどと話しているようです。
皆さんは身分を偽っても構いませんし、神使(イレギュラーズ)であると宣言しても構いません。
神使であればサービスも多く受けられるでしょう。ただし、『この地の調査を行って居る神使』として認識されることは出来る限り避けて下さい。何故ならば、神使は霞帝と懇意にしていると知られているため、この地のお取り潰しの為の調査と勘違いされる可能性があるからです。
●事前情報
・『人身売買』『行方不明』
妓楼の女が行方不明になるという噂です。彼女達は『雲の上に連れ去られた』という噂があります。
中務卿曰く『魔種が関与している可能性がある』というタレコミもあったようです。
雲と名乗る見目麗しい男に入れ込んだ遊女達が決まって行方不明になることで知られています。
雲と名乗る男は決まって満月の夜に瓊枝へと現れるそうです。彼が訪れる見世には彼が来るより先に『あやめ』と名乗る遊女が在籍しているのだとか。
また、薄ら位取引が行なわれているため人身売買を行なわれているのでは――とされていますが……?
・遊女『あやめ』
嘗て瓊枝の重鎮であった『彩芽』の生き写しとされる遊女です。見世を渡り歩き、雲との逢瀬を楽しんだ後、忽然と姿を消します。
数日後に何事もなかったように戻って来るため気味が悪い存在ではありますが、彼女が現れた見世は繁栄が約束されていると噂されるため受け入れる見世も多くあるようです。
獄人であること、短い角と菖蒲色の髪を有した女であることが識られています。その姿はすみれ (p3p009752)さんにも良く似ているようですが……?
●情報精度
このシナリオの情報精度はC-です。
信用していい情報とそうでない情報を切り分けて下さい。
不測の事態を警戒して下さい。
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