PandoraPartyProject
仮初めの契約
不可侵の森を真っ直ぐに、石畳の参道が続いている。
白無垢を身に纏った花嫁が、ゆっくりと道を進んでいた。
降り注ぐ陽光は、肌が痛む程照りつけるのに、不思議と辺りの空気は冷えていて。
頭に被った綿帽子が、顔に影を落す。
俯き気味に参道を歩く花嫁――『掃除屋』燈堂 廻(p3n000160)は、白無垢の重さと帯の締め付けに小さく息を吐いた。
「大丈夫? 廻」
足取りの遅い自分を、心配そうに見つめる『陽だまりの子供』周藤日向へ、作り笑いを見せる廻。
「もうすぐ一の鳥居につくから、頑張って」
僅かに視線を上げれば、大きな赤い鳥居が視界の端に映る。
祓い屋を生業とする燈堂の本家の敷地を二人は歩いていた。
練達国、再現性京都にある『深道家』は、燈堂暁月の生家である。
遙か昔より、夜妖を祓い戦い続けてきた一族『深道』は、自分達が人々を守らなければならないという尊き矜持を紡ぎ続けていた。
それは、深道が信仰する『白鋼斬影』の言い伝えがあるからだ。
――人を守護する者たれ。導く者たれ。支える者たれ。
護り導き支える。それが深道三家に与えられた宿命であり信仰だった。
深道に連なる人々はその信仰を護り続けている。
燈堂家よりも遙かに大きな敷地の中には沢山の建物があり、深道直系の人達が住む母屋から少し離れた場所に廻が入る『煌浄殿』があった。
「煌浄殿までは歩いて行くしか無いからね。白無垢だと大変そう」
日向は慣れない白無垢の重さにふらつく廻の周りをうろうろと回る。
出来る事なら支えてやりたいけれど、『花嫁』に触れる事は禁じられていたのだ。
「あ、明煌さん迎えに来てくれたんだね」
ぱっと顔を上げた日向に習って、廻も顔を上げた瞬間、世界がぐるりと傾いだ。
視界がスローモーションで横に流れ音が遠のく。
「おっと、大丈夫かい?」
目を回した廻は、『聞き慣れた声』に目を瞑ったままこくりと頷いた。
「暁月さん? 来てくれたんですか?」
揺らぐ意識の中、安心する声に、廻は意識を落した。
――――
――
「……気がついたかい?」
上半身を起こした廻は目を瞬かせ、部屋の中をぐるりと見渡す。
見知らぬ和室に寝かされていた廻は、顔を覗き込む『暁月』に似た誰かに肩を振わせた。
声も廻が聞き間違える程そっくりで、先程の暁月だと思った声はこの人だったのだろう。
「えっと、すみません。此処は?」
「此処は『煌浄殿』の二ノ社だよ。君は一の鳥居の前で倒れてしまってね」
いつの間にか白無垢を脱がされ、巫女服へと着替えさせられていた廻は、暁月に似た男へ視線を上げる。
「ああ、自己紹介がまだだったね……俺は『深道明煌』。この煌浄殿の主だ。よろしくね」
差し出された手を握れば、本当に暁月と瓜二つの笑顔が見えた。
違いといえば、右目の眼帯ぐらい。
「ふふ、暁月に似ているかい? いつも一緒に居る君が、そんな風に戸惑うぐらいだから。まぁ、昔から相当言われたからね。話しのとっかかりには丁度良い。俺はね、暁月の叔父だよ」
遅くに生まれた明煌は甥の暁月と歳も近く、双子と思われるぐらい瓜二つであったらしい。
「あ、廻起きた!? 良かったー!」
障子を開けて飛び込んで来たのは泣きそうな周藤日向と、『深道の相談役』葛城春泥だった。
春泥は廻を『泥の器』にした張本人だ。廻の身体が強張る。
「どうして春泥さんが? そういえば、日向も入れてる?」
煌浄殿には主である明煌の許しが無ければ入れないはずだと記憶していた。
「ああ、この二ノ社までは大丈夫なんだよ。煌浄殿の神髄はこの先にある瑞垣に囲まれた、三の鳥居の中だからね。言わばこの先は神域。俺の許しが無ければ絶対に立ち入れない。でも、この二ノ社も狭間だからね。あまり日向には来て欲しくないのだけれど」
「……だって、廻が心配だし」
しょんぼりと耳を下げる日向に明煌は仕方が無いと溜息を吐いた。
「手を出して日向……『契約追条』周藤日向に許しを。一の鳥居から、二ノ社まで」
指先を小刀で裂いた明煌は血で日向の手に許しを書き記す。
ふわりと消えた血の跡を見て日向は目を輝かせて手を掲げた。
「これで、俺が居なくても迷わず此処へ来れるだろう。でも、決して三の鳥居の中には入ってはいけないからね。それだけは守って欲しい」
明煌は日向を心配そうに見つめる。
「おや、じゃあ僕は特別なんだね。何たってその神域に入れるのだから」
パンダフードを触りながら春泥は口の端を上げた。
「そうですね。先生は特別ですよ。『自分の身は自分で守れる』でしょう? それに貴女を許したのは先々代の煌浄殿の主ですし……俺より詳しいんじゃないですか?」
物理的な強さは勿論のこと、精神の強さも春泥は特別であった。
「廻も手を出してごらん。お前は日向にやった許しとは違うからね。まずは、ここの『空気』になれなければならない。その為の『仮初め』の契約だよ。一の鳥居の外へは出られないからね。出たら、狛犬に首根っこ噛まれて連れ戻されるから注意しなさい」
手首に巻かれた赤い紐。明煌の血と魔力で編んだものだ。
「決して外してはならない。これは君を縛るものだが、守るものでもある。煌浄殿には無数の呪物があるからね。夜妖そのものが跋扈している。でも、煌浄殿の主――『明煌』の血を攻撃することは出来ない。けれど、気を付けなさい。攻撃は出来なくとも、貶める事はできるからね」
そういった呪物や夜妖が繋がれている場所。それが煌浄殿であるのだ。
「そうだ、三の鳥居の中に入るなら、『獏馬』は要らないよね? 浄化の邪魔だし」
「ああ、廻は夜妖憑きだったね。邪魔になるから祓おうか」
春泥と明煌の声に廻は目を見開く。
自分の中には深い眠りについている『獏馬のしっぽ』あまねが居るのだ。
それを祓うということは、小さな命を握りつぶすことと同じ。
「駄目です。あまねは、いま深く眠ってて」
大きく首を振った廻の手を掴む明煌。
「これは――『命令』だ。大人しくしなさい廻」
「……ぇ、ぅ? ……なんで」
がくりと廻の力が抜ける。明煌の言葉を聞いた瞬間、指一本動かせなくなったのだ。
今はまだ仮初めの契約といえど、煌浄殿の呪物となった廻は、主である明煌に逆らえない。
廻の腹に手を当てた春泥は、術式を巡らせ、無理矢理あまねを引き抜いた。
「やめ……て」
強引に祓われたあまねはぬいぐるみ姿で、ぐったりとして眠っているようだった。
「じゃあ、これは貰っていくよ。確かめたい事もあるしね。大丈夫さ、すぐに殺しはしないよ」
「あまね……あまね……!」
記憶喪失の廻は、気付いた時からあまねと一緒に過ごして来た。
だから、あまねが居なくなることは、半身を無理矢理もぎ取られたに等しい苦痛が伴う。
計り知れない喪失感と寂しさ。ぶるぶると震える廻に、明煌は青いシャツを掛けてやる。ふわりと香る暁月の匂い。熱を出す度に着ていた暁月の青いシャツだった。
「これは、君が安心するものだろう? 日向に持ってきて貰ってたんだ」
明煌は青いシャツごと廻を抱きかかえる。
「じゃあ、日向は真っ直ぐ帰るんだよ。振り向かないように。先生も日向を一の鳥居の外までお願いします」「分かったよ。さあ、日向、行こうか」
あまねを抱えた春泥は、日向の手を引いて二ノ社から去って行く。
明煌は腕の中でぽろぽろと涙を流す廻の頭を優しく撫でた。
「大丈夫、大丈夫……怖くない。ゆっくり目を瞑ってごらん。暁月の香りは安心するだろう?」
暁月とそっくりの声。いつも熱を出す度に着ていた青いシャツ。
慣れない場所に疲れ果てた身体は睡眠を欲していた。
(明煌さん、怖い人だと思ってたけど、とても優しい……)
うつらうつらとした意識の中、廻はそんな事を思いながら明煌の腕の中で眠りに落ちる。
暁月の青いシャツを握る廻に、口の端をあげる明煌。
「ふふ……香りは何れ薄れるもの。それを失った時、お前はどうするのか、楽しみだ」
その表情は、憎悪と愉悦を織り交ぜた悪辣な笑みだった。
※『祓い屋』燈堂一門の本家で大きな動きがありました――