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遠き蛍火IV
神威神楽を変え始めた『大改革』の歩みは一つの小さな事件を機に完全に停止を余儀なくされた。
それは何も宮中の最高権力者の一人であった天香長胤の意向ばかりによるものではない。『宮中にて融和に舵を切った天香長胤の婚約者が殺害されるという事件は、支配階級であるヤオヨロズ全ての肝胆を寒からしめた』。言い換えればそれは明日は我が身の人災だった。霞帝が中心になって推し進めた融和政策が『前向きに対処した長胤に致命的な牙を立てた』のだから当然である。
或る貴族は「蛮人を甘やかした結果じゃ」と怒りを隠さなかった。
また別の貴族は「この責任の大本は帝にある」と言って憚らなかった。
元々は獄人に渦巻いた強い怒りは、最早ヤオヨロズ達のものともなっていた。それが『搾取』の結末であったと説いたとしても――元々の既得権益層である彼等がそれに納得する道理等無かったのである。
かくて宮中八扇を中心としたヤオヨロズ達は旧来の守旧派のそれ以上に強く『改革』への反対勢力として結束する事になる。
同時にその状況は霞帝自身が改革への強い意欲――自信と言い換えても良い――を失った事にも起因した。霞帝は果断な男だが、一度は『友』と呼び、分かり合う道を選び得た長胤の痛みを無視出来る程に情がない訳ではなかったからだった。
……再び、三度。宮中の主流派となった長胤は結果として獄人の処遇を『改革前』に押し戻してゆく。
但しそれはあくまで戻すに限った話だった。特別な許可なくば高天京へは入れぬ。
建葉晴明という例外を除いては、神威神楽の政に関わる事を許さぬ――その対処は不自然な程に甘く、長胤と特に友誼深い八扇・民部省の二階堂尚忠等は「蛍殿の仇ぞ! 何故、そのように手ぬるい真似をなさる!」と逆に憤慨さえ見せた程であった。
ともあれ、神威神楽の歯車は致命的なまでに狂っていた。
『何者の差し金ですらない、不幸な事故のような出来事によって』。
「……長胤殿?」
間近に見つめた碧石の妖しい煌めきに怪訝そうな顔を見せたのは夢見 ルル家(p3p000016)だった。
渦巻く呪いにより我が身を支配すると告げられた恐るべき呪具に怯む事さえ無く、皮肉な冷笑を浮かべたままの長胤を見つめている。
「……思えば、長き道程であった。
何時かの夏の終わりに我が光は途絶え。
それから幾年か――麻呂の生はただただ耐えるばかりの時間であった」
「……?」
「我が身焦がすは怒りぞ、憎しみばかりぞ。
それは貴様等、黄泉津の者には分からぬ。否、この地の誰にも分かろう筈も無い。
それが神使であろうとも、同朋であろうとも、ましてや獄人如きには」
遠い目をした後、独白めいた長胤は言葉を吐き出しながらも、ルル家に理解等求めていないようであった。
「分からぬであろうな、この長胤が何を思うかばかりは!」
己を前に急激に憤激した長胤にルル家の肌は粟立った。
生理的な反応である――彼の纏う鬼気は余りにも強烈過ぎた。
粘つく情念が形になっているかのようだった。
『何に対してのものかは知れなかったが』そこに在るのは恐ろしい程の怒りだった。
権力を掌握する長胤が獄人を根絶やしにしてやろうと考えた事は一度、二度の話ではない。
されど、彼は――『それを渇望する程に望みながら、それだけは出来なかった』。
『白妙蛍は傲慢ながらに誠実な政治家・天香長胤を愛していた筈だったから』。
……長胤は怒りに任せて獄人を排斥する事は出来なかった。
天香の家は、当主は、その誇りは、全ての憎しみを、己の生を焼き焦がす爆発的な怒りさえ、傲慢な誇り(ノブレス・オブリージュ)の内に抑えつけていた。『蛍の件を唯一つの事件と見做し、公正に己が正しいと信じた措置に留めた』。
――兄上、今日の修練は遠乗りですか? む、う、馬は得意ではないのですが……
――文武両道を極めねば。私とて今や天香の身、きっと兄上を見事補佐してみせましょう!
――兄上、見て下さいませ! 遮那も一人前に弓を引けるようになったのです!
天香に迎え入れた『弟』は素直で優しい気質だった。
何処か蛍の面影も残した可愛い弟との思い出は絶えなかったが、全ての痛みが癒される事など有り得ない。
長胤は治らぬ傷に徐々に弱りながら、摩耗し、擦り切れながら。『結局、婚礼さえあげる事の出来なかった愛しい彼女の遺した――たった一人の弟を養育する事だけを支えにして』長く短い――僅か十年に満たない終わらぬ煉獄を過ごしたのだ。
だから四年程前のあの日――
甘い毒を帯びた巫女姫エルメリアが現れた時、長胤は漸く楽になれると思ったものだった。
『長胤は天香長胤だから』。その気になれば魂を引く強烈な呼び声に抗う事はきっと出来た。
出来た筈だが――もう彼にはそんな気力は残されていなかった。
『傲慢』で全てをねじ伏せ、長き日を支配しても――消せなかったのは愛だった。
『色欲』を求める呼び声は余りにも甘美で強い誘惑だった。
何の事は無く、長胤が――望月とまで称された男が求めていたのはあの日から蛍だけだったのだから。
『色欲(あい)』は『傲慢(ほこり)』を超えた。裏返れば、成る程、確かに全ての苦しみは形を変えた。
苦しみは消え失せる事は無かったが、少なくともその形を変えていた。
「愚かな弟よ。彼奴めは天香の血筋に非ず。
神威神楽の政等に関わる事無く、適当な姫でも貰って――幸せに生きれば良かったものを」
長胤は繰り返す。
「愚かな弟よ。麻呂は救いを求めたに過ぎまいに。
真っ直ぐにこんな男を尊じよる。姉と変わらず、この麻呂を愛してみせよる」
長胤は云った。
「麻呂は最早、引き返さぬ。この道は我が道。我がそれと決めた道。
故に巫女姫を奉じ、神威神楽に我等が秩序を打ち立てんとするは譲らぬ道よ。
じゃがな、娘。一つ問おう」
「……拙者に、ですか?」
風向きの変わった長胤の声色にルル家は僅かな光明を見出した。事情はまるで知れなかったが、恐ろしく、尊大で、身勝手なばかりにも思えていたこの『兄』に情があるのはこの期に及べば、彼女にも分からない筈はなかったからだ。
「天香は神威神楽最大の名門である。
神威神楽存続の為には天香は必要不可欠じゃ。『貴様は天香の為に死ぬな?』」
「……はい」
ルル家は長胤に殉じる心算は無かったが、聞き手もそれは期待していなかっただろう。
故に彼女は迷わず、強く頷いた。
「拙者は遮那殿を必ず助けます。その為に死ななければならないのなら――今更。それも迷いません」
言い切ったルル家の手を長胤が掴んだ。目前まで近付けた呪眼を彼女の手に握らせる。
「……長胤殿!」
「呪眼は大いなる力と破滅をもたらす呪具じゃ。次第は貴様に委ねようぞ。
唯、天香の為に生きて、死ぬがいい。その言葉に、愛に違わず。
『この深き秋にも未だ残る美しき蛍の残火のように』」
『それをそうと言う事は出来ない、絶対に許されない』彼の告げるは弟を気遣う兄の愛に違いなかった。
それはこのルル家が今一度――最大の機会をもって遮那を救う道を得たという意味を示す。
なればこそ、ルル家の口を突いて出た言葉があった。
「長胤殿! 遮那殿はきっと今も貴殿を――!」
感傷に満ちた言葉を「――魔星」と長胤の呼びかけが遮った。
「!?」
歴戦の忍者と言ってもいいルル家に気配を感じさせる事さえ無く表れた御庭番衆(しのび)は闇夜の向こうから現れた。
「心得ております。監視の者は既にこちらに」
両手に二つの首をぶら下げた柵魔星は「相変わらず人遣いの荒い御仁ですな」と長胤に冗句めいた。
「巫女姫様は、男が嫌い故な。
御本人か周りの者の差し金かは知れぬが、麻呂もそう信じられてはおらぬ。難儀な事じゃ」
私兵を伴い、魔星と共に踵を返した長胤は振り返らずにルル家に言った。
「首輪の通りに、己が為すべきを為すがいい。
神使の娘よ、無為に抗え。麻呂はそれを踏み潰し、全ては大呪の前に静まりひれ伏す。
じゃがな、娘。もしそうならなかったとして。
天がこの望月を見放したとして。それも運命の妙というものじゃろうよ――」
*カムイグラでの戦いが終結を迎えました――
*捕虜達への交渉が終了したようです。アルテミア・フィルティス(p3p001981)さんと夢見 ルル家(p3p000016)さんが巫女姫陣営に座す事となっています。
*交渉を拒否したメンバーは自凝島に流刑される事となったようです。
*カムイグラ限定クエスト黄龍ノ試練が発生しています!
*カムイグラの一角で死牡丹 梅泉の目撃情報が発生しています――
これまでのカムイグラ / これまでの再現性東京
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