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C:Lost rain

【1:1】誰が為の世界


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「あなたの悪事はあなたを懲らしめ、あなたの背信はあなたを責める。あなたが、あなたの神、主を捨てることの悪しくかつ苦いことであるのを見て知るがよい。わたしを恐れることがあなたのうちにないのだ」と万軍の神、主は言われる。
―――エレミヤ書 2:19
(古い書物を閉じ、改めて中庭から建物を見上げる)
……子供のいない孤児院、神が守らない教会。
聖職者っていうのは本当に損な人種だ。
それでもなお天主を崇めなければならないのだから。
こんにちは、アトさま。
おや、読書中でしたでしょうか?

ふふ、まあそう仰らず。神様はいつでも見守ってくださる存在ですから。
でも、孤児院が本来の目的として使われないのは、喜ばしい事でもあります。
ま、まあ、寂しくは、ありますけれどね……ほぼ旅人さんの寝床って感じですし……ハッ、旅人が孤児(ポンと手をたたき)
ああ……聖書ってやつだそうだ。
話には聞いていたけれども初めて手にしたのさ。

孤児ってのは親に先立たれた子供を指す言葉だろう。
僕には知っている限りの親がいないのでそいつには当てはまらない。
そういう君はどうだい。
君も孤児の一人なのだろうか。
聖書……、宗教関連は、全く手を出さないかと思っておりました、いえ、勝手な想像ですけれど。
どのような経緯で手にしようと思ったのか気になります。

親がいない、ですか。不思議ですね、木の間や、キャベツ畑、コウノトリから生まれた――なんちゃって。
……え(呆けたような顔を一瞬だけして)
そういえば、自分、孤児でした。
いえ、正確には父は生きているはず、という形ですが。魔種……になっていると噂があって。
極めて父は存在しないに値しますので、孤児なのでしょう。
そっか、私、孤児か……お笑い下さい、孤児が孤児院をやるなどと。
なあに、湯を沸かす薪代わりの古書に混じってたのさ。
擦り切れ、欠落し、かろうじて読めるだけのものが。

「自分の父母を罵るものは、その灯火は暗闇の中に消える」、じゃなかったかな。
生きているだろうって君は思っている。
にもかかわらず、その命はなかったことにするのかい。
己を孤児と卑しめるのはそれは神の意志か。
それとも……君が自分は孤児だってことにしたいだけなのかい。
おお! それは興味があります。
アトさまがお持ちなのでしたら、混沌の聖書ではなく、異世界のものです?

ええ、生きておりますでしょう………でも
魔種は魔種。
そうなったのならばもう、父とは呼べません。
世界の癌、神の敵です。
故に、その命は無かったことに……いえ、無くなって欲しいくらいだ!!
その魔から己が生まれたと思えば、穢れた血に堕ちたものです。汚らわしい。
絶対に、アイツだけは生かしてはいけないのです。
孤児で構いません、父など、無いに等しい――!!
イスラエルと呼ばれる土地の話だ。
異世界のことだろう。

親を知らない僕だが。
なるほど、神の敵を憎み、それ故に君は親殺しの不道徳の完遂に駆り立てられる。
神の敵たる親の血を引いた事実は君を自己否定の疾苦で苛む。
そうか、君は神の敵ならば全てを憎むか、許せなくなるか。
……ああ、だから聖職者っていうのは本当に損な人種だ。
なるほど、異世界ですか、とても興味ありますが……。
そういえば、アトさまはどちらの世界からいらっしゃったのです?

不道徳だなんて、そんな。
魔を屠る事は誉にございます……というのは曲がった考え方でしょうか。

神様はいつでも私たちを見守ってくださいますから、でも、神様って孤独だと思うのです。
神様が困ったときは何に頼るのでしょう?
そんな神の仇をつみ取るのが自分のお仕事です。
この世界を創造せし神なればこそ、この世界を狂わせる存在はすべて悪です。
そうですね、自分の人生を歩めないという点でしたら、損かもしれません。
でも良いのです、己の道を全て神にささげると決めたのですから。
墨の世界は運命の大迷宮、とは呼ばれていたか。
延々と広がるダンジョンさ。

なるほど、全てを天主に捧げ、故に悪魔であるその親を討つことさえも名誉であるか。
その名誉故に、父に刃を向けることさえ、許されるか。

天義において、天主とは不完全なものなのかい?
全てにおいて全知全能であるならば、何かを頼る必要もない。
この世界を狂わせる存在も、生まれることもない。
創造物たる人間にそのような自身の不完全性の尻拭いをさせようというのか。
魔種とは、天主を信仰する人々の敵ではなく、天主そのものに対する敵対存在であるか。
とてもミステリアスなところからいらっしゃったのですね。
ああ、故にダンジョンがお好き、というか、よく依頼を受けていらっしゃいましたね……なんだか納得しました。

はい、許されると……思います、彼は既に世界の敵に変わりはありません。
……父のことは好きでしたよ、でも、もう。

神様は見守って下さる存在ですから。
もし、神様が大きく干渉するようなことがあって人々がひれ伏すならば、人と変わりません。
神託のざんげさまに、私のギフトのように、たまに神様の指先がこの世界に触れることはありましょうが……

そも、魔種も元を辿れば、この世界の兄弟。
人の罪は、人が摘み取ることでしょう。

あはは、アトさまはむつかしい質問をしますね。
強くを向け、公共の敵たる肉親のその喉に刃を立てることを望み……それが許される行為であるか。
……君は罪を背負う親の血が流れる体を許されたくて剣を振るうのだろうか。
強い憎悪を持つ以前は、好きという言葉を向けられる相手であるがゆえに。

なるほど、天主はただ指先から雫を垂らすのみ。
人の営みを見守り、変えることはなし。
うん、その程度が僕も好ましい。

だが、何故、天義の聖職者たちは神の威光のもとに人をひれ伏せさせるのだろうか。
天主は人々のただの営みを望まれる。
何故彼らは、神がそう望まれたとして、人を、禁欲と義務の鎖で縛り付けるのだろうか。
その鎖は天より承ったものであると声高らかに叫ぶのか。

いや、僕が難しい質問をしているんじゃないんだ。
人の心が、僕には難しい。
はい。
自分は、神が創造し、見守るこの世界を護りたいだけです。神のため、民のため。
自分のように、魔種に故郷を灰塵に帰された辛い思いをするのは、自分だけで……いえ、少数で十分です。
父の血が流れるからこそ、より神に仕えたいのです。この魔の親の血が流れる身体が許されるまで。

自分がこれから倒すであろう魔種も、
元をたどれば誰かの子であり、誰かの母であり父である事もあります。
それらと己が父を別ものとしてみることはできません。
アトさま……自分もきちんと人間です。もちろん、思いますよ――父が、普通に帰ってきてほしいと。
しかし、騎士としてはその感情を押し殺すことができます。

神の威光はもちろん、ただの威光であり、以上でも以下でもなく。
これは個人的な意見とはなりますが、人とは非常に弱い生き物です。
故に……何か己よりはるかに強い芯があれば、人は不幸を背負っても生きていけます。
天義はその典型的なものです。その芯が、神であっただけのこと。
人により、芯は恋人であったり友人であることもあるでしょう。それは自分が天義から出てから知った受け売りとなりますが……。
国規模の共通の芯がより偉大であることで、結び付け、その一定のルール上で民が安寧に暮らしているのなら、それは幸せとは呼べませんか。
神を利用するのはあまり感心できませんが、故に神のお告げは絶対の法……それ以上に尊いものなのです。
その身体が許されるまで、か。
……そうだねえ、誰に赦されたい?
悪しき血をその身体に巡らせているという罪を天主に赦されたいのかい。
それとも、自分で自分を赦したいのかい?

損な役割だ、騎士と聖職者の二重苦の高炉の中で、己に通る現実という鉱石から夢想を剥ぎ取り理想だけで体を作る。
故に君は帰ってきてほしいという情念に打ちひしがれることはない。
ただ、ひとふりの天主の理想の剣として徹することができる。
……理想というものは、夢想と比べて存外重たいもので、それのみを飲み込み続ければ……さてはて。

不幸のどん底であろうと、芯なんて持ってない粘液性生物みたいなやつなんかは、メフ・メフィートの路地裏にごまんといる。
そいつらですら大地を見下ろせば砂金を掘ろうと円匙を振り上げ、空を仰ぎ見れば天の星を手中に収めんと手を伸ばす。
生き地獄の中で光を見出さんがために彷徨い続ける人間たちのその姿はまさに天より垂らされた雫で生まれた大地の染みだ。
安寧こそが幸福である、だなんて僕にはまるでよくわからない。
幸福とは己の命を賭金にして手に入れようとする、結果が訪れる寸前こそ幸福の絶頂期。
その姿こそ、僕にとっては尊いのさ。
誰に……ですか、それは天主もそうですが、尊い命を魔種の父に葬られた方々……。
自分を自分で許すですか、それは一番最後ですね。

人を殺めるのも嫌いです。
殺しておいて何も感じない事はありません。ただその魂が、天上の世界では楽園に召し上げられればと祈るばかり。
ですが、自分はそれに対して慣れてしまったので、殺しても眉ひとつ動きません。そういう訓練をしてきましたから。
神が殺せと申すのならば、そこに迷いなど不要ですもの。

旅人の貴方に天義の常識は難しいですよね。
咎めているわけではありません。
私は……、貴方のそのような考え方はとても、素敵だとさえ思えるようになってきております。
無知は罪とはよく言ったものです。
ですが、天義の民はあの白き壁の法の下で幸せを見出しているの。
それは人の数だけある幸福の数の、ひとつの集合体に過ぎません。自分はそれを、ただ、守っているだけの騎士。
特別でもなんでもなく、ただ、それだけの騎士です。
命の火を燃やす幸福も結構です、自分も、守る事に幸せを感じている分、そのカデコリに分類されていると思えます。
ふふ、でも……
世界の人々が、自分の幸せを己でつかみ取れるものばかりならば、自分のような存在は不要に、なりそうですね。
君は死者の想いと言う負債を信じる性質か。
死人というのは無敵だ、口なしが故に自分の後悔を全て肯定する。
そして無駄に重い、捨てるに限る。

その剣は相手を天の住人へと召し上げる為のもの。
そうであるならば剣を振るうは神の意志。
自分は人を殺めることを嫌っているが故に、その殺人は己の心のままのものではない。
己の心とは別に、大いなる存在が命じたが故に不作為が許されぬものなのだと。
よって己は神の意志に従うという意思を持ってその首を頂戴する。
その二重の思考が、騎士として育んだ、神の装置であるための心核ってところかい。

なるほど、彼らは観光客となる喜びを知らず生きる。
故に彼らは幸福であると。
ローグにとっては耐え難い平穏の牢獄の中で幸福を見出すわけだ。

そしてその彼らはその幸福の維持を何よりも優先する。
白き壁の割れ目すら許さない。
故に白き壁に鶴嘴を突き立てる逃亡民には追手をかける、観光客になろうという幸福は、選択肢から外される。
それ以外の方法で幸福になれと命ずる、それが彼の国の幸福を維持する仕組。
君はそれを神に命じられた最上の幸福を維持するものと信じ、天義より生まれいづる観光客には死の制裁を加える。
それだけである、か。

むしろ、自分の幸せは他人が決めるものなのがそちらの常識なのかい?
自分が何が最も大切かは己の決めることだ。
そしてそれに全力で命という掛け金を賭けることこそが、生きることだ。

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