『何処へ行くの』『何処へ行きたいの』
木の幹の扉が語りかける。

柔らかな風に木々がそよぐ。
花が鮮やかに咲き誇る。
砂糖細工の蝶が舞う。

天に伸びたキノコの傘を暖める、春の日差しは蜂蜜の色。
晴れ渡る空を泳ぐ青い鯨がないている。
帰りたい。帰りたい。帰りたくない。

不思議の御伽噺によく似た世界。
永遠の少女の夢の世界。

……、ん…、
(ルクスの言葉は『止めても、止めなくても、どちらであっても彼だろう』といった心持ちで。撫でるに飽き足らず抱き着いて顔を白い毛並みに埋めてみようと)

「随分と人間らしくなったね、銀の月。
昔の君より今の君の方がずっと好きだな」
(抵抗する様子はなく、抱き着くソレを受け止めて)
(純白の毛並みは柔らかく、暖かな温度を伝えるだろう)

「ところで紫苑の月。
君は今の僕らにも嫉妬を覚えていたりするのかな？」

むにゅ……。
(一方、少女は大人しく頬をつままれ、クウハを気遣わしげに見上げている)

………まぁ、多少はな。
(寄り添い合う二人からさりげなく目を逸らし、ぶっきらぼうに一言)

あー…、ルミエール。大丈夫だからな。
オマエは俺を心配しすぎなんだよ。
(頬から手を離し、ルミエールの頭をわしゃわしゃと撫でる)

そぉ？そっか…、

（柔らかな毛並みにどことなくホッとしている様子で抱きついていたが、ふと心配そうに自身の猫へ視線を向ける）

「……重症だね？」
(クウハを、ルミエールを、ソレを、順に見てゆるりと首を傾げ)

「勝手な妄想だと聞き流してくれて構わないのだけど。
君、自暴自棄になっていはしないかい？
全てを捨てて逃げ出したいと考えてはいないかい？」

ンなことねーよ。
他は兎も角、旦那を捨てる事だけは有り得ない。
オマエには俺がそう見えるのか？

「……可哀想にね。
君が今程善良でなければ。
或いは、今程愛されていなければ。
君の苦しみを嘲笑う程に、君を傷付ける者が皆悪辣であれば。
絶望が君の友として、君を守護してくれただろうに」
(クウハの問いには答えず、穏やかに淡々と)

（ゆらりと、煮え炎が一度燃え尽きる）
（意外なくらいに凪いだ瞳で、ソレは己が猫へ視線を送った。深い信頼、穏やかな愛情、それらを縁取る強い執着──そういったものを含んでいる）

―――………、
(返す言葉を見つけられず、ただ唇を震わせる)
(臓腑の底から黒く濁った悍ましい感情が湧き上がる気配を感じ、反射的にパスを閉じた)

（ソレは、そっと視線を伏せた。そっかァ…。そう、唇が動く）

……何がしたいんだい、ルクス。
（静かに、静かにソレが尋ねて）

「我慢のし過ぎは心身に毒だろう？」
(ソレの疑問に変わらぬ調子でそう返して)

「紫苑の月。
君、銀の月に近寄る恋人を憎んではいないかい。
疎ましく不快であると感じてはいないかい。
素直になった所で罰は当たらないさ。
現実に帰ればそれら全ての感情に君は蓋をするのだろうし」

………。
(半身を見る少女の瞳に涙が滲む)
(どうして、と唇の動きが彼を責めて)
(クウハを守るようにぎゅっと強く抱き締めようと)

………否定はできない。
酷いな、俺は。
(弱々しく自嘲し、ルミエールの頭に手を置いて)

…いいんだよ。
俺を責める奴がいないのは不公平だろう？

「そうだね。酷いのかもしれない。
けれど、それは悪い事かい？
君は悪霊なのだろう？
清廉潔白である方がどうかしているさ。
己の感情の醜さに苦しむ必要はない筈だ。
君が彼を最初から愛していなかったとしても、決して驚きはしないとも」
(その瞳には怒りも侮蔑も無く、空虚な程静かに凪いでいる)
(白狼の言動に彼を責め立てる意図は無いのだと、その場にいる者には分かるかもしれない)

……にく、む…？
骸骨のコ（あのコ）を……？
（まるで人間みたいに不可解そうな、困惑した表情を見せる）

愛していたし、愛している…と言いたいが、今となっちゃもうわからねェな……。
オマエ達や旦那の事も、本当に愛しているのかどうか。
俺はオマエの言う通り、悪霊だからな。

…心底、暴れたいほど嫌だった。
居場所を奪われる…違うな。穢されるようで。
旦那にもアイツにも、そんなつもりはないってことは分かってる。
そもそもおかしな話だろう？
俺はアイツに対して近づくなと言った覚えはない。
顔を合わせる機会も多いんだ。
親しくなるのは自然の摂理だろう。
俺にそれを制限する権利があるわけもない。
俺がイかれてるってだけの話なんだよ、これは。
(臓腑を焼き切り、魂をすり減らす痛みを孕んだ感情を表に出さぬよう、努めて穏やかに)

……ここにいてくれればいいのに。
つまらない事考えなくていいのに。
目を塞いで守ってあげるのに。
(クウハの体に頭をぐりぐりと押し付けて)

…、クウハ……、
（何を言えばいいかわからず言葉に詰まり、ただルクスの毛並みを握りしめて）

…そうするのも悪くはない。
悪くはないが…偶にな。偶にでいいよ。
(とん、とん、とルミエールの背を叩き)

…恋人としてアイツを多少知ってる分、無駄に想像力が働いちまうってのも原因かもな。
俺がアイツを受け入れ切れていない所為でもあるんだろう。
悪いのはただ、俺一人だけだよ。

「……君はそれで、いいのかい？」
(ソレに寄り添ったまま、柔らかな声で静かに尋ねた)

…いいんだ。
しかし、まぁ…初心に帰るべきかもな。
他人を信用せず、期待もしない。
“好きなようにすればいい”
やっぱ、俺にはそれが合ってるよ。

…、

(ルミエールとクウハから、顔を隠す様にソレがルクスの毛並みを抱き寄せる)
(ルクスは自身の毛並みに何か付く感覚と、強い呪いの気配を感じるかもしれない)

「……辛いね、銀の月。
人の心というものは、時にとても難しい」
(ソレに身を寄せ、幼子を宥めるように優しく声をかける)

…慈雨……、

(思わず主人の名前を呼び、眉を下げて静かに歩み寄ろうと)
(主人への深い愛情と心配が緩んだパスにとろとろと流れ込む)

…っ、…？

(クウハのパスが緩んだことに、更にそこからとろとろと愛情と心配が流れ込んでくるのに驚いてつい顔を上げる)

(ほとほとと目元から溢れる雫には呪いが込められ、その矛先は全てソ●レ●自●身●に向けられている)

…泣くな。泣くなよ……。
慈雨は何も悪くないだろ……。
あぁ…ごめん……。ごめんな……。

(主人の涙に胸がキリキリと痛み、抱き締めようと腕を伸ばす。
抑え込んだ感情が溢れ出す様に、瞳に涙が溢れて頬を伝った)

……………。
(退屈そうに。他人事の様に。その光景を眺めている)
(少女の青い瞳が揺れる)

……カミサマになりたかったわ。
誰もに愛を注いで。どんな願いも叶えて。
皆を幸せに出来る、素敵なカミサマ。
父様もそうなりたかった？

本当は知ってるの。
父様はカミサマなんかじゃないって。
ずっと昔から知ってるの。知ってた？

(空を泳ぐ青い鯨が孤独を湛えてないている)

……ごめんなさい、クウハ…。
(クウハの腕から逃れることはせず、泣き出してしまった彼を逆に宥める様に背中を撫でようと)
(本当に涙を見せるつもりはなかった。だからルクスに抱き着いて隠した。だがそれ以上に、純粋に愛情と心配が注がれたことに驚いてしまったのだ)

……カミサマにはなれないよ。
赤狐の君（トモダチ）が、殺されてくれなくなるもの。
ああ、でも。
……おまえがそれを望むなら。その様に、振る舞いたかった。
（ゆっくり、ムスメを手招いて）

っ…、ぅ……、
(主人へ向ける愛情や執着と共に、痛みと悲しみ、不安、孤独……様々な感情が吹き上がり涙となって頬を汚す)
(その中には微量ながら恋人に向ける嫌悪や憎しみも含まれていて)

……うん。
(歩み寄って父の頭を撫でようとして、ふとクウハに視線を向ける)

……可哀想な人。
誰が貴方をそうさせるのかしら。
貴方が許さないことを、誰も許してくれないのね。

……痛い…悲しい……不安で…、……寂しい…、ん……ごめんね、たくさん抱え込ませて……、おまえの命を、削らせて……。

(ゆっくり、ゆっくりと眷属の背中を撫でる)
(彼の恋人である筈の隣人に、己が原因で嫌悪や憎しみを向けさせてしまったことを呪い、彼を可哀想なことにしてしまっていることを呪う)
(何もかも、呪わしい（その矛先は全てソレ自身へ向いている）)
(ムスメが心を痛めているのも、隣人が仲間外れと嘆くのも、眷属にあらゆる我慢を強いさせることしかできないことも)
(元凶たる己の、その性質も)

違……、慈雨は何も……。
っ…ごめん……。
(溢れ返る感情を必死に押し込め、涙を零す主人を強く掻き抱いて)

…何もかもが憎らしいと言っても、オマエは許してくれるんだろうな。
(親愛を込めて呟き、潤んだ瞳を静かに伏せる)

……貴方が誰を憎んでいても構わないわ。
私達のことが大嫌いでも構わないわ。
私だって同じだもの。
みんな嫌いでみんな好き。
……泣かないで。でも、無理に笑わないで。
貴方も父様も繊細だもの……。
(視線を落として父の頭をよしよしと撫でる)

「しかし、こうも恨み言を吐かない悪霊というのも珍しい。
きっと怒りたいことばかりだろうに。
銀の月の首の一つや二つ、絞めるなり撥ねるなりしてみてはどうだい？
少しは気が晴れるかもしれないよ」
(ゆらゆらと尾を揺らし、お茶でもいかが？と言うような調子で)

クウハ……くぅは……、
(ぎゅっとクウハを抱き締めて)
お願い…無理に抑えないで……
…“怖い”んだ。我（アタシ）のせいで、おまえを殺すのが。
痛いも、悲しいも、不安も、孤独も、…憎しみも。
単純にそれだけを言葉に出してもいい……ルクスの言う通りにも、してもいいから…

…一体何を言えっていうんだよ……。
(震えたか細い声で)

（ほろほろと呪いの篭る涙を落としながらムスメを見上げ、緩く頷く）

……クウハは、今、悲しい？不安？

…悲しくて、苦しい。
違うんだ……。
慈雨に自分を呪わせたいわけじゃない。
ルミエールに心配を…かけたいわけでも……。
(呼吸を詰まらせながら声を振り絞って)

……私？
(可愛いらしく子首を傾げてみせて)

「実際、銀の月とルミエールの方が重症とも言えるしね。
少しばかり心配し過ぎさ。
ニンゲンは、脆くとも強いものだろう？」
(ソレの瞳から溢れる涙を舌で舐め取ろうと)

うん…、

(ぎゅうっとクウハを抱き締めるソレの涙を舐めれば、焦げついた様な呪いの“味”がする)

……心配し過ぎなければ、クウハは、自分の感情で、命削らな、くなる…？
(すっかりと幼子になってしまったかの様な様子でルクスを見て)

「さて、どうだろう。
けれど此処からは紫苑の月の問題さ」
(弱り切ったソレを支える様に身を寄せて)

「……紫苑の月。
君はとても優しいけれど、君の強がりはもしかすると、二人には優しくないのかもしれないね。
君は銀の月が君以外に愛を振り撒くことが嫌なのかな。
それとも彼●だ●か●ら●嫌なのかな」

…アイツは、何を要求するかわからないだろ……。
(不信感の滲む声で低く答える)

…ありがとぉ…ルクス…。……、
（自身に身を寄せ続けてくれるルクスに小さくお礼を言って、彼の毛並みを撫でて自身が汚してしまったところを綺麗にしてやる。それが済むとまた、クウハにぎゅ…と腕を回すだろう）

「僕にその判別は不可能だ。
彼については詳しくない。
君にとって、彼はそう見えるのだね」

「どうという事はないさ、銀の月。
僕も君を愛する者の一人だという、それだけの事だとも」
(撫でる手に青い瞳を細め、頭を擦り付けて親愛を示す)

…アイツが何を望んだとしても、慈雨は叶えようとするんだろう？
俺にバレなきゃ構わないと思っているんだろう？
…それが嫌だ。吐き気がする。
(主人を抱く腕に強く力を込めて)

……ごめんね…おまえの事を、軽んじようとしたわけじゃ無いけど……うん…嫌な思いをさせたね…ごめん…
(自分を抱きしめる強い力に応える様に、どこにも逃さないと言いたげに腕の力を強めて)

……分かってる。
俺が身勝手なだけだって事も。
それでも、アイツが俺の恋人だからそうするんだと言うなら…俺は……。
(嗚咽を飲み込み、抱きしめる腕を緩めようと)

私の猫ちゃん……。
……やっぱり私のモノになる？
(じぃっ……と物欲しそうな瞳でクウハを見ている)

ゔぅうう…………、
(警戒する獣の様な唸り声、次いで手の痕が残りそうなほどがっちり猫を抱き込む)

(夢が溶け、現実が息をぶり返した時。砂浜より喚ばれた薔薇が訪れる)
…………それで、引き取る（話を聞く）べきはどちらで。
(ひんやりした声の底に温もりを潜ました男は惨状に眉ひとつ動かさずに歩み寄った)

……ぅ、…、
(増えた気配に、ひたひたと悍ましい気配が周辺に満ちていく)

お兄ちゃあん……。
父様が猫ちゃんくれないの。
泣かせてばっかりの癖に。我儘。
(ほんのりと困った表情で訪れた京司の顔を見上げる)

「やあ、京司さん。
どちらかというより……両方かな？
なにせ、この状態だからねぇ」
(クウハを抱え込む商人を見、白狼はのんびりと首を傾げた)