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暁闇
登場人物一覧
『なんだ、だらしないな』
そう告げる男は、いつだって上から見下ろしていた。
『なんだ、負けたから睨むのか? 情けない奴だな』
俯けば、溜息が零れ落ちてきた。
『……はぁ、まったく。泣き虫め』
その言葉をいつか返してやろうと決意した。
その決意は叶わぬまま。何度も敗北して、甘ったれで泣き虫な自身を切り捨てて。
それでもまだ──敵わなかった。
クロバ=ザ=ホロウメア(p3p000145)は暗闇の中を歩いていた。本当に暗闇に来たわけではないだろうから夢の中か精神世界か──けれど今のクロバにはそれすらどうでも良かった。
数え切れないほどの黒星をまたひとつ増やしただけ。言ってしまえばそれだけなのかもしれない。けれどもあの時、クロバは大切なものを手から零しかけた。いいや、友がいなければ確実に零れていただろう。
未だ、失いたくないものを守りきることもできないと言うのか。
未だ、自らを切り捨てたあの頃から何も変わっていないと言うのか。
あの世界で妹を守り切れなかったように、この世界では彼女を──。
「──久しぶりだね」
その言葉が聞こえた時、クロバはこれ以上ないほどに目を見張った。聞こえてきたのは自らの背後、振り返らなければソレを見ることはできない。
嘘だ、嘘だろう。お前が存在しているわけがない。そう思えど、声は真実であると畳み掛けるように言葉を重ねた。
「君は捨てたつもりでいた筈だよ。もう、僕はどこにもいないと思ってた」
近づいてくる気配。ゆっくりと、ぎこちなく動く視界。そこにやがて映ったのは1人の少年だ。黒髪にあどけなさを残した顔の彼は、紛れもなくクロバの幼少期と同じ姿だった。
「……嘘だ」
「これが真実だよ。この通り、僕は残ってる」
少年はそうでしょ、と寂しそうに笑みを見せ。クロバは彼を視界へ映さんとするように顔を俯かせた。その手に力がこもり、周囲の闇が揺らめくと折れた筈のガンブレード──マリスエタンゼルが彼の手へ握られる。再び顔を上げたその瞳に灯るのは、明確な殺意だった。
射竦められた少年は顔を強張らせるが、首を振りながら「無理だよ」と呟く。
「無理じゃない」
クロバは1歩を踏み出した。消し去るべき対象を睨みつけ、憎悪を魔力に滲ませて。
この少年は昔のクロバだ。泣き虫で甘ったれたガキ。切り捨てたと思っていたそれを今度こそ切り捨てて、あの男への復讐を果たさねばならない。
そんな殺意に少年は怯えながら、それでもやはり首を振る。
「無理だよ。……だって、君は嘘つきなんだから」
「……嘘だと?」
嘘をついた覚えなどない。だと言うのに嘘つき呼ばわりされるのは心外で、クロバは眉をひそめた。誰かに嘘をついただろうかと記憶を掘り起こしてみるが──思い当たるような、思い当たらないような。
「嘘をついてるから……だから、僕がいる。それに、君は"とても苦しんでいる"んじゃない?」
その言葉を先ほどと同じように否定しようとして、けれどクロバは言葉を詰まらせた。膨れ上がるモノがあったから。それは切り捨てたつもりで、ずっとずっと押し殺していた感情たち。気づいた途端に心が悲鳴をあげて、否定する。
嗚呼、どうして。どうして捨てられないんだ。残っているんだ。捨ててしまえれば楽なのに──。
カラン、と落ちたガンブレードが闇に溶ける。少年は膝をついたクロバの前へ立った。
「……君は、君自身に……ううん。僕に、嘘をついた」
「…………そう、取られても仕方がないな」
より明確に言えば、嘘ではなかったのかもしれない。少年という自身の欠片を切り捨てようとしたのは、切り捨てたと思って忘却の彼方へやったのは一種の防衛本能だったのかもしれない。
それでも──クロバは、逃げたのだ。そして今、向き合わなければならない局面に立っている。
(とはいえ、ちっとも纏まりやしない)
クロバは胸元を掴む。自覚した上で拾い上げようとすれば、ソレは自由に様々な心情を吐き出して、心の中をかき混ぜた。
剣の師として、認めさせたかった。負け続けていたからこそその想いは膨れ上がって、今や山のようになっていた。
妹が死ぬように仕向けたことが許さなかった。ドロドロとしたものが蓄積して、息苦しいほどに満ちていた。
何よりクロバのことも妹のことも、『ただの道具』としてしか見ていなかったのだと思わされた、その直後の──悔しさ。それは口にはしないけれど、もっと近い場所にいたのだと思っていたからこそ、深かった。
殺意の火は徐々に小さくなって、複雑に絡んだそれらの中に小さく小さく潜むものが見えてくる。素直になれず、言葉には決してできず──しまいこんでしまったものが。
「聞かせて。……君の、
少年へ導かれるままにクロバは言葉を紡ぐ。もう気づいてしまった今、躊躇いはあれど喋らぬ選択肢は存在しない。
「……ただ落とし前をつけさせて、元に戻りたかったんだ」
殺す必要なんてない。ケジメをつけて、ただの家族だったあの頃へ戻れるのならどれだけ良いだろう。どれだけクソ野郎だと口で言っていても、クオンもまた大事な家族の1人だったのだから。
嗚呼、と溜息のような声が漏れた。それはクロバではなく、少年の口から。
「やっと、僕を思い出してくれたね」
くしゃっとした顔は年相応で、まだ頼りなく頑是ない子供のそれ。まだ左目と左腕も失っていない、クロバが願った『戻りたいあの頃』の姿だ。
「……結局、復讐だけに生きる魔物にはなれなかったってことか」
乾いた笑みを浮かべるクロバ。流石に姿形までこの少年同様にはなれない。けれどもまだ戻れるものも、確かにあるはずだ。
未だクロバの立ち位置は変わらず、絶望とほど近い場所にいる。自らの弱さを自覚した今、彼の脳裏に浮かぶのは混沌で出会った者たちの姿だった。
親しきイレギュラーズ。
依頼に関わる人々。
ローレットで働く情報屋。
倒すしかなかった魔種。
そして──大切な人たち。
ちゃんと周りを見れば様々な想いが溢れていた。自らへ向けられていた想いも、周りが見えなくなるあまり受け取れていなかったかもしれない。それはきっと、己の弱さのひとつだ。
なればそんな弱みも、そして今抱く負の感情も丸ごと引っくるめて力に変えてみせよう。
「……これからは、"取り戻す為の復讐"だ」
もちろん落とし前はつけさせる。妹があの世界で死んだことに変わりはない。クオンに大事なものを無くさせることもしないし、彼自身も連れ戻して見せるのだ。
その道のりは長く苦しいものになるだろう。それでもやらねばならない。
気づけば暗闇はうっすらと光を湛えていた。クロバはそれを見て、少年へ手を差し出す。ぱちぱちと目を瞬かせた少年はクロバを見上げた。
「一緒に行くんだろ」
少年はその言葉に嬉しそうな表情を浮かべ、手を握る。
罪も弱さも抱いて、彼が今より名乗るのは本当の名──クロバ・フユツキ(冬月 黒葉)だ。