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月が哭くこんな夜に
登場人物一覧
朝は通勤通学の人々が行き来する。
昼は外回りの会社員やベビーカーを押す母親たち、定年を過ぎた老人たちが集まって喋りながら過ぎていく。
夜は本業を終えた学生や社会人が街に溢れ、ゲームセンターや居酒屋が賑わっていく。
深夜はほとんどの店がシャッターを下ろすが、一部は朝まで営業を続けている。終電を逃した者はこういった場所に集まり、一夜を過ごすのだ。
無辜なる混沌ではないどこかの世界。
「──どうもこんばんは」
「ヒッ!?」
少女は突然かけられた声に肩を、いや体を跳ねさせる。そして気づいた──いつのまにやら、自分がいつもは入りもしないだろう路地裏へ入り込んでいたことに。それもちょっと足を踏み入れた程度ではなく、奥の奥。ばっと振り返れば遠くに都会の光が見え、ほんの少しばかり安堵した。
そろりと視線を巡らせると、そこには今しがた自分へ声をかけた異国風の女性、いや少女が座っている。彼女の前には黒い布がかけられたテーブルと、向かい合うような椅子が一脚置いてあった。
「もしや、哀れな迷い人でいらっしゃいますか。どうです? ここに辿り着いたのも何かの縁。自分の運命を覗いてみては?」
「う、占い師さん……?」
少女がそう問えば、少女はヒッヒッヒと不気味に笑い肯定する。高めの声も相まって御伽噺に出て来る魔女のような笑い声だ。
けれどもなぜだろうか。コスプレかと思うような白髪──いや、銀髪だろうか──とルビーのような瞳に不思議と惹きつけられる。少女は椅子に座り、料金を支払いながら彼女を眺めた。
「……外国人ですか?」
「おやおや……自身の運命よりワタクシの事でございますか? まあ、それくらいなら良いでしょう……ワタクシは日本人でございますよ」
カードを取り出す彼女に少女は驚く。それではやはりコスプレなのだろうか。いや、もしかしたら家族からの遺伝なのかもしれない。何を占うかと問われた少女は咄嗟に「人間関係を」と口にした。
そう──ここに辿り着くまで、ずっと悩んでいたことだったから。きっそのせいでこんな場所まで来てしまったのだ。
占い師はカードを広げ、円を描くようにシャッフルしていく。慣れたその手つきを眺めているうちにカードはひとつの束となり、少女の前へと出された。
「それでは、この束を上下に分けてカットを行って下さい。どうぞ、直観に従って下さいませ」
直感に従えと言われたならば迷う必要はない。少女は受け取った束をカットし、占い師へと返した。彼女はその束から数枚のカードを並べ、順にめくっていく。その絵柄と位置に占い師はほう、と小さく声を上げるも知識のない少女にその意味を解けるはずもなく。緊張しながらその口元がゆっくり動き始める様を見つめていた。
「……アナタはここ数日以内で何かトラブルに巻き込まれませんでしたか? それなりに近しい人物で……」
「! どうしてわかるの?」
目を丸くした少女が声を上げるも、占い師は小さく肩を竦めた。自身はただ、占いの結果を口にしているに過ぎないのだ、と。
「アナタが互いの事を分かり切っているなどという幻想に囚われているうちは、この不幸もまたアナタを囚えて離さないでしょう。精々気を付ける事です……ヒヒッ」
その言葉に少女は記憶を想起させる。喧嘩して飛び出してしまった実家。原因は自身の進路に関してだった。働きたい自分と、まだ働くなんて早いと反対する親──『どうして分かってくれないの』という思いが身体中を占めて突き動かしていた。けれども本当は、親の心など何もわかっていなかったのかもしれない。
(どうしてそうしたいのか、話さないと……言わないと、わからないんだ)
決して占い師の口調は優しいものではなく、不気味でさえあるものであった。けれどもそれが少女に一条の光を与えたことに間違いはない。
「ありがとうございます」
「……ありがとう? よく分かりませんが、謝意は受け取っておきましょう」
礼の言葉にぴくりと睫毛を揺らした占い師は、とても意外そうな表情をしながらも頷く。少女は立ち上がると頭を下げ、立ち去ろうとしたところで振り返った。
「お姉さんの名前を聞いても良いですか?」
「名前、ですか。そんなものを聞いても何にもなりませんが……」
ヴァイオレット。占い師は自らの名をそう告げ、また不気味に笑ったのだった。
少女が都会の光を浴びれば、そこにはまだ多くの人々が行き交っている。おおよそ夜とは思えないような賑わいであるが、道ひとつ入り込んでしまえば、或いは住宅街に向かってしまえば時間帯相応の人気になるだろう。
(帰ろう)
少女はヴァイオレットの言葉を思い返し、逃亡先にしていた友人へ『家に帰ってみる』と連絡すると帰路へ着いたのだった。
(ありがとう……何度聞いてもよく分かりませんね)
ヴァイオレットは先ほどの少女が告げた言葉を思い返す。これまでも数人が同じ言葉を吐いていったが、ヴァイオレット自身は謝意を与えられるような言葉をかけた覚えもない。むしろ不幸を示唆したはずなのだ。
そう──これより訪れる男のように。
「占ってくれ」
そう短く告げた男は言われるまでもなくテーブルへ金を乗せる。こんな怪しげな占い師に払うとは到底思えないような金額に、ヴァイオレットは小さく瞳を眇めた。
「これはこれは……随分と羽振りがよろしいのですね。何か収入がございました?」
ヴァイオレットの言葉に男は答えず、ただ占えば良いのだと言いたげに顎で促す。束の間目を伏せたヴァイオレットは先ほどと同じようにタロットカードを混ぜ合わせ、ひとつに束ねて男にカットしてもらう。並べて表へ返したカードを見て、ヴァイオレットはフェイスベールの下に笑みを見せた。
「これは、これは……」
「どうなんだ」
「随分と懐を温めたようではございませんか。多くの命と引き換えにして、ね」
ヴァイオレットの言葉に男が固まり、次いでその眦を吊り上げる。それでもヴァイオレットは余裕の不気味な笑みを絶やさず、その唇から男の悪事を吐き出した。
「なるほど、取引の末に裕福な暮らしを手に入れたという訳ですね」
「で、出まかせを」
「何という悪辣、何という醜態。差し詰め人の生き血を啜る吸血鬼のようではないですか」
歌うように軽やかに、しかしそれでいて詰るような口調に男が勢い良く立ち上がる。大きな音を立ててテーブルを叩かれ、ヴァイオレットはゆっくりと顔を上げた。
「そのように叩かれては──」
「いくらだ。いくら払えば良い」
見下ろす男の視界で、柘榴のような瞳が怪し気に細められる。ヴァイオレットからすれば払う払わない以前の問題で、そもそも払ってどうなることでもない。
彼女は『占いの結果を口にしている』だけなのだから。
そう告げれば男は憎々し気にヴァイオレットを睨みつける。視線に刃があれば切り裂かれていただろうと思う程のそれは、この世界においてなかなか感じることのない殺意だ。
「おお、怖い怖い。ヒッヒッヒ」
あからさまに嘯くヴァイオレットに、とうとう男が顔を真っ赤にする。暗がりでも分かるほどの形相で男は手元に何かを持った。
「ヒヒッ……そのような手段しか取れないとは」
ヴァイオレットは月明りに煌めく刃を見ても笑みを絶やさず──ふと、風が路地裏を駆ける。長い前髪が揺れ、露わになった第三の目に男は一転顔を引きつらせた。
「もう遅いですよ」
その声すらもどこか遠くに感じる。代わりに近くで感じるのはもっと多くの人、人、人。影が伸び縮みするように動くそれらは男を攻め立てるように取り囲み、苦痛を与える。その合間に三つ目の『何か』を見た気がして──。
「──っ!!!!!!!」
幻から解き放たれ、男は一目散に走り出す。ヴァイオレットは酷薄な笑みを浮かべながらその背中を見送った。
彼の末路は大体予想できるものだ。あまりの動揺に警察へ駆けこんで一部始終を訴えるか、勢いに任せて更なる罪を犯すか。どちらにしても、近々男は失墜するだろう。
「ヒヒッ」
ああ、楽しくて愉しくて仕方がない。他人の不幸は蜜の味、などとよく言ったものだ。本当に、人間とは醜く滑稽だ。
少女の不気味な嗤い声が路地裏へ静かに響く。月明かりの下、彼女は今日も、明日も──無辜なる混沌へ召喚されるその時まで人間を、その身に秘めた悪意を弄ぶのだ。