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My friend.
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「──目が覚めた?」
その声にイーハトーヴ・アーケイディアン(p3p006934)はまだ夢を見ているのだろうかとまず疑った。けれど苦しいこの状況が現実であると強く訴えていた。
「シャルル嬢……? どうして、ここに」
「あ、覚えてないんだ。ローレットで倒れたんだよ」
びっくりした、と言うシャルル(p3n000032)は手際よく絞ったタオルでイーハトーヴの汗を拭く。どうやらローレットから下宿先までローレットの者が運び、看病にシャルルが残ったようだった。
ごめんと思わず謝るとシャルルの眉根が小さく寄せられる。何か悪いことを言っただろうか。
「謝る事じゃないでしょ。ま、具合が悪いならちゃんと休んでっていうのはあるけどさ」
頭にタオルを乗せられるとひんやり心地よい。しかしそこに殊更熱を持つ何かを感じて、イーハトーヴはぱちぱちと目を瞬かせた。そんな彼にシャルルは告げる──たんこぶだ、と。
「だってイーハトーヴ、突然つんのめったかと思ったら机に頭をぶつけて気絶したんだ。かと思えば熱あるし」
恐らくは腫れてきたのだろう。けれども腫れるという事は中に異常がない証拠。思い切りぶつけたのに何も起こらない方が不安を煽るというものだ。
「ご飯食べる? まだ寝る?」
シャルルに問われて、イーハトーヴはようやく空腹を感じた。頭はぼんやりして苦しいけれど、いつもの突然高熱が出た時ほどではない。既に山場は越えたという事だろう。
告げればシャルルは待っていてと一旦立ち上がると、どこかへ行ってすぐ戻ってくる。ふわりと甘い香りが遠ざかった。
(あれはシャルル嬢の薔薇の香りなのかな)
いつもより鈍い嗅覚が、それでも良く嗅ぐ香りを感じ取る。甘ったる過ぎないほどに甘いあの香りは蔓薔薇から香っているのかもしれない。
『倒れるなんて危なっかしいわね』
そんな声に視線を巡らせれば、ベッドの近くにオフィーリアがいた。彼女はローレットにも連れて行っていたはずだが、一緒に連れ帰ってもらえたらしい。
「ごめんね、オフィーリア。俺も倒れるとは思わなかったんだ……あ、」
他者には聞こえないぬいぐるみの声へ律儀に答えたイーハトーヴは、戻ってきたシャルルの姿を見て言葉を研ぎらせる。彼女は1つの椀を手にしていた。持ち帰れるような容器のそれからはイーハトーヴも嗅いだことのある温かな匂いがする。
「それって……」
「そこの露店で売ってたんだ。……間違いないでしょ」
味が。そう呟いたシャルルが持ってきたのは露店で売るスープだった。
イーハトーヴの下宿先からほど近くに商店街が存在する。ローレットから下宿先へと帰る時、いつもこの匂いを嗅いで「美味しそうだなぁ」と思っていたのだった。
「温かいのも売っているんだね」
「……、……そうだね」
何とも言えない間が存在したが、病人であるイーハトーヴはそれに気付く余裕もない。シャルルが「病人に飲ませたいのだ」と言って温めてもらったことも預かり知らぬことである。
上半身を起こしたイーハトーヴは受け取ったそれにふうふうと息を吹きかけ、匙で掬ったそれをそっと口の中へ。優しい味と素朴な野菜の甘味がイーハトーヴの表情を綻ばせた。
「美味しい」
「そっか。……ボクも買ってくれば良かったな」
考え込むシャルルに思わず「ひと口いる?」と聞こうとしてイーハトーヴは押し黙った。病人が口を付けてしまったものを他者にあげるわけにはいかない。もう少し早ければ、ひと口目をシャルルにあげられたのに。
「今度、一緒に買いに行こう」
「ん? ……うん、そうだね。イーハトーヴが元気になったら」
友人との新たな約束にイーハトーヴは笑って頷く。倒れている暇などない。さっさと治してしまわなければ。
ぺろりとスープを平らげ、再び横になる。けれども起きた時よりすっきりした意識はどうにも睡魔がお呼びじゃないらしい。
「ねえ、シャルル嬢。ひとつ頼んでもいいかな」
「ひとつと言わず、いくらでも」
ありがとうと微笑んだイーハトーヴはシャルルの話を望んだ。何でも良い、シャルル自身の話を。目を瞬かせたシャルルは思い返すように視線を巡らせ、ゆっくりと口を開いた。
「……ボクは
世界の基本的な知識は身についていたけれど、赤子から成長する過程で得るような機微は備わず──文字通り召喚されて『生まれた』のだ。
「けれど皆が教えてくれるから、ボクは少しずつ学んでるんだ。多分まだぎこちないけれど」
淡々と喋るシャルルの視線はイーハトーヴへ向けられる。シャルルの過去の話かな、と聞いていたイーハトーヴはぱちりと目を瞬かせ、シャルルは小さく笑った。
「前に言ってた、『世界がキラキラしてる』って話。ボクの世界はね、皆のおかげでキラキラしているんだ」
1人ではきっとよく分からないままだった世界。喜怒哀楽など知ることはなかったかもしれない。けれどシャルルに話しかけて、誘ってくれる人がいるから今のシャルルがいるのだと言う。
「アンタもそうだよ、イーハトーヴ。ボクの大切な──友人」
「俺? ……そっか」
シャルルの瞳に目を丸くしたイーハトーヴが映っている。そこに映った彼は殊更嬉しそうに笑った。
友人だと思っていた彼女に友人だと言われて。彼女のキラキラした世界を自分が作っているだなんて胸の内が熱くて仕方がない。
「俺も一緒だ。シャルル嬢と、皆といると楽しくて……」
いつだって夢のような世界にいる。
いつだって夢のような現実にいる。
これを夢で終わらせることが無いように、イーハトーヴは強くなりたいと思ったのだ。
「──さ、話はここまで。熱がまた上がったら大変だよ」
「そうだね。でも、眠気がちっともこなくて」
「目を瞑って……羊? ひよこ? を数えるんだっけ」
やってごらんよ、と促されるまま目を閉じる。羊だったような気がするが、シャルルの言葉で浮かんだのはローレットの情報屋たるひよこだ。
(ひよこが1匹、ひよこが2匹……)
ひよこが柵を乗り越えようと飛び跳ね、どうしよもなくてよじ登る。次のひよこもよじ登る。あ、落ちた。
災難続きのひよこを思うとどうしたってころん、ぽてんと転がっていく姿が浮かんで、イーハトーヴはくすくす笑ってしまう。怪訝そうな気配がするが、特に何も言われない。そうしている間にひよこ効果か、睡魔がやってきたようだった。
(おやすみ……シャルル嬢)
元気になったら彼女と、友人たちと遊びに行こうと考えながら──彼の意識は夢の中へ沈んでいった。