SS詳細
小さな棘
登場人物一覧
――知りたくなかった……。
いいえ……、認めたくなかったのだわ。私の中で、こんな汚い物が降り積もっているなんて――
●
荒れ狂う波濤の中、
その瞳は光の軌跡を生み出し、アメジストの髪は美しく揺らぎ続ける。
「さあ! 我ら騎兵隊が、この戦いを終わらせに来たぞ!!」
戦乙女は鎧でその身を包み込む。戦場へと出るためにと作られた戦乙女のドレスは超高密度医療用の魔術礼装を編み込み、乙女の体を護る。其れこそが
「穿つわ、只人であるからこそ――!
進め! 進め! 騎兵隊は止まらない! 恐れるは竜に非ず、恐れるは私達が歩みを止めることよ!」
バトルドレスを翻す。騎兵隊の盟主であるからというだけではない。『この場を変える為』にと声を張る。
華蓮はその姿をじいと見つめていた。若葉の色の瞳で、その気丈なる背中を追いかける。彼女達はその耳で、その眼で一つの事実を目の当たりにしている。
カタラァナ=コン=モスカ。騎兵隊の一人、コン=モスカの『空の器』、リヴァイアサンを一人で受け止めた者。
彼女は荒狂う
華蓮は、イーリンは、友を失った。共に戦場を駆け、騎兵隊として名乗りを上げる者を。
それでも尚、盟主たるイーリン・ジョーンズという娘は凛と立ち、仲間たちを鼓舞し続ける。只人たる彼女のその身の内に内包される魔力を『全力』だしてぶつけ、そして、旗を振り上げる。
華蓮はその姿の中を見つめながら何かが滲みです感覚を感じた。騎兵隊として、戦場に出る度に仲間たちの姿を見て感じていた違和感は肥大化し続ける――まるで、眼前に存在するリヴァイアサンの様に感情は聳え、冠位魔種アルバニアの様に膨れてゆく。
「――全軍突撃! 怯むな、竦むな! 進め! 進め! 今が好機! 騎兵隊は好機を逃がさない!」
その声は、喉を傷めただろう。美しい乙女の声が僅かに罅割れる。荒れ狂う波濤の絶望の色を受け、バトルドレスが重苦しい色へと変化していく。華蓮は、は、と息を飲んだ。美しく粧う赤いルージュは血の抜けた唇を誤魔化し、雨で拭われていくチークの下の頬にはもはや色彩など存在しない。褪めた肌の色を覆っていたファンデーションには何の意味も成してはいなかった。それでも尚、表情だけは明るく、そう見える様にと彼女は勤めたのだろう。
鮮やかなドレスから垣間見えた四肢には包帯が巻かれ、新たな傷が刻まれ、べたりとその血が付着している。それでも尚、その瞳の燐光は霞むことなく尾を引いて、光の軌跡と共に敵を穿つ。
(どうして――)
疑問が首を擡げた。彼女は、満身創痍だ。旗を振るい上げるための腕は痛み、肘に感じた重みは骨を軋ませている。声を発する為に酸素を送り込んだ肺さえもずきりと痛んだ事だろう。その両方の脚で揺れる甲板の上に立ち続け凛と背を向ける事さえ、厳しいと思わせる傷ましい傷。時折、僅かな逡巡を見せる――それは騎兵隊の皆へと声を掛けるが為の激励の隙間と思わせ、その実そうではない事を華蓮は気づいた。意識の断絶に等しい程の疲労がそこにはある。
「どうして……あの人はなぜ、凛々しく居られるのだわ……?」
思わず、唇から飛び出した言葉は荒狂う波濤に飲み込まれた。違和感として存在した感情に嫉妬と言う名前が付けられた。
彼女らはリヴァイアサンを追い詰めた。伝説が生まれる瞬間さえ、その双眸に映し込んだ――こんな気持ちじゃ癒せやしない。人を癒す事も、敵を斃す事も中途半端な私は――
●
彼の竜は眠りについたらしい。此れにて長きに渡った『海洋王国大号令』に幕が下りた。騎兵隊の中では邂逅した海賊の行く手を気にする者も居たが、戦線維持に努めたイレギュラーズ阿知波満身創痍だ。
乱雑に書物を積み上げ、書架には無数の本が収められている『文化保存ギルド』。漸く、自身らも帰り着いたとでもいう様に息を吐くものも多かった。心の中に渦巻く嫉妬を昇華できない儘に華蓮は開けっ放しになって居た扉をゆっくりと開いた。軋む音を立てた扉に僅かに肩を跳ねさせて内部を見遣る。海洋王国での祝勝会が終わり、漸く肩の荷が下りたのだろうか、ギルドの主が常に座っているソファーの付近には鮮やかなランプの灯りが揺れていた。
ゆっくりと、歩を進めながら華蓮は燻る感情がそこにあることを知る。器用貧乏、自分自身を称するにはその言葉がぴったりだった。癒し手としては十全でなく、それならばと攻撃手としての力を手にすれド他のイレギュラーズ達と比べれば自分は埋没してしまうとさえ感じていた。何かを極めることが出来ない自分の中には確かな嫉妬心が存在している――だと、言うのに。
「華蓮……?」
「お疲れなのね、司書さん。そんな所で寝ては風邪をひくのだわ」
想いを燻らせながら、華蓮は傍に放置されていた薄手のブランケットをゆっくりとイーリンへとかけた。ソファーに埋もれる様にうとうとと眠りの淵に居るイーリンはふあ、と小さく欠伸を漏らす。リヴァイアサンと戦い、そして傷だらけの体を突き動かして祝勝会へと足を運んだ。騎兵隊の旗頭として、海洋社交界にに凛とした笑みを浮かべた彼女の大きな仕事が終わったのだろう。「ありがとう」と呂律の回らぬ声音で答えるイーリンの側に腰かけて華蓮は茫とテーブルの上に山積みになった書類を眺める。
「……これって、あの戦いの?」
「……ええ」
「そう。司書さんは、頑張り屋さんね。
私には無理だったのだわ。どうして、司書さんはあれ程、力強く、凛々しくリーダーで居られるのか……自分と、貴女の何が違うのかすら、分からないの」
夢に誘われるようにうとうとと、眠りの淵に居るイーリンへと華蓮はそう、呟いた。まるで独り言ちる様に、言葉は雨垂れの様に流れ続ける。その声を心地よく聞きながらイーリンは茫とあの日を思い返す。
友を失った。カタラァナと、呼び、星を見に行こうと深い海を覗きに行った。
とびきり綺麗で、しあわせになれるような、さいわいの星を――そう告げた彼女は一足先にさいわいの星を見に行ってしまったのだろうか。名前を呼べど、返らぬ事をイーリンという女は理解していた。凡人と、只人と、何も才などないと自身を称した女の頭脳はそれ程に凝り固まってはいない。泣き崩れ、諦めてしまえば恋人はそっと背を撫で共に泣いて抱きしめてくれただろうが、そうやった停滞の内にカタラァナが返ってこない事だって分かっていた。
夢見る様に、イーリンの唇は動いた。それが、華蓮へ伝わる言葉になって居たのかは分からない。
ただ――ただ、カタラァナを連れて帰る為の、戦いだった。
生きて帰る為の戦いであったのは同じ。器用貧乏であったのだって、同じだった。ソファーに埋もれる彼女と自分の違いが小さな棘の様に胸に刺さる。
「……司書さん」
「んぁ……?」
「お話、してもいい?」
「なぁに、ええ、話は聞くわよ……ふぁ……」
ゆっくりと瞼を押し上げる。長い睫が影を作り、直ぐにその位置が変化する。嗚呼、眠ってしまうのねと華蓮は茫と考えた。夢はどうやら彼女を捕らえて離さない。体が睡眠を求めているのだろうか。それだけの傷を負っているのだもの、と華蓮は気づきながらも止まらぬ自身の疑問を彼女へとぶつけ続ける。
「敵わないのだわ。癒す事も、戦うことも。それを極めると決めた人の信念には全然、敵わない。
すると、心の中で悪魔が言うの。恋も、戦いも、なんだって、何時だって、誰かに劣っていることに気付いてしまうから」
「ん、」
「司書さんは、器用貧乏の凡人だって自分を言うのだわ。それって、辛くはないのかしら。怖くはないのかしら。
優劣で比べることが、本当はいけない事だって分かっているのだわ。けれど……けれど、心は、良い子に理解してくれないのだわ」
どうして、が何度だって、何度だって繰り返される。
「……知りたくなかった。
いいえ……認めたくなかったのだわ。私の中で、こんな汚い物が降り積もっているなんて」
晦冥の道より抜け出せぬ儘に華蓮の言葉は震えていく。イーリンから返される言葉はない。生返事の、眠りの淵に子守唄の様にきっと、聞いているだけ。それでも、誰かに話せるという事が華蓮にとって救いで――そして、自分の中に存在する嫌な感情の答えを見つけられる唯一の方法に思えたのだ。
「――ねぇ、どうして」
華蓮の鼓動が、とくりと跳ねた。ブランケットに包まってソファーに埋もれていく紫苑の君。凛とした戦乙女でも、社交界の華でもない、只のイーリン・ジョーンズを覗き込んで華蓮は唇を震わせた。
「――ねぇ、どうして司書さんは、あんなに頑張れるのだわ……?」
長い睫が縁取った赤いルビーの瞳が華蓮を射る。その眼光の鋭さにたじろげば直ぐにそれは隠された。もう眠たいのよと柔らかな色を乗せて、ゆっくりと細められる。
「んぁ……? 決まっているじゃない……『私がそうしたいと望んだから』、よ」
すう、と息を吸い込む音がした。規則正しい寝息が聞こえだす。華蓮はその言葉に、ぽろりと目から鱗が落ちる感覚を覚えた。彼女は、他者と優劣を比較していない――自身の進む道を自身で決める。その強き意志力と覚悟を持って、傷つけども、友を喪えども前を向き、自身の定めた目標の為に進んだのだ。
(そっか――)
決定的に違うのは意志力と、覚悟だったか、と華蓮は感じ取る。実際にそれを手に入れるにはまだ、一歩を踏み出したばかり。此れからの苦難は多く存在する事は分かる。けれど、明確なる違いを理解した時に自身の中へと光が差したのは確かだった。
強き意志と、決定力、それから――為すための覚悟を胸に。
嗚呼、そんな簡単で、そんな難しく、それでも――それでも得たいと願える高みがそこにあるならば。
深い眠りに落ちていくイーリンからずり落ちたブランケットをそっとかけなおす。
「司書さん、今まではね、騎兵隊への帰属意識って正直強くなかったのだわ。
戦いが起こった。人手が必要だ。猫の手も借りたい……だから、呼ばれたから来た……って」
寝息を聞きながら華蓮はゆっくりと、息を吐いた。向くべき場所が、向かうべき場所が、もう、分かったから。
「でも次からは違うのだわ。
――いつでも必ず呼んで。癒し手として、矛として、盾として、必ず駆けつけるのだわ」
その決意と共に、自身は進むのだと。眠った旗頭へと、そっと誓って。
小さな棘はぽろりと落ちた。嫉妬はこれからも抱くだろう、けれど、それも自身が進むための必要な感情なのだ。