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ジル・チタニイット(p3p000943)
薬の魔女の後継者
ジル・チタニイットの関係者
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 今日も薄曇り。積んだ薬草が干からびすぎない薬草積み日和だ。今日もいい感じでたんまり積むことができた。一か所で根こそぎ摘むと次の年は得なくなるから、ほどほどを何か所かローテーションする。今日行った斜面はなかなかいい育ち具合だった。今シーズン、ひょっとするともう一回摘むことができるかもしれない。
 鼻歌交じりで摘み籠を背負って歩いていると、あちこちから声がかかる。
「ジルちゃ~ん。うちのじいさんの膏薬もらいにいくでね。先生に聞いててほしいんだけども」
「先生にこれ。ジルちゃんも食べてみてちょうだい。おいしいから」
 あれよあれよと、集落のおばちゃん達に発見され、言伝ともらいものを渡される。
「ジルちゃんもすっかり娘さんだねえ。どうなの。いい人いるの。うちのバカ息子にはもったいないからねえ」
 あははは。と、当たり障りなく相手する。そういうデリケートな話はまだ避けて通りたい。
 いただきもののお礼を言いながら、ジルは集落の広場を横切り、自宅兼診療所に戻ってきた。
 ジルの母・モアサは聡明な薬師で、集落でも尊敬されている。結果、親子二人、集落でのんびり暮らすには何の問題もない。
「ただいま帰ったっすよー」
 おかえりなさい―と、診察室の方から声がする。
「おっかさん。今朝言われた分は積んできたっすよ。他にもいくつかサンプル採取してきたんで、後で目録見といてほしいっす」
「――」
「それと、おっかさん。膏薬用の油紙そろそろ在庫がやばいから発注しとくっすよ。この際、小間物まとめてするから、他に入用な物書いといてほしいっす」
「――」
 気配はすれども、返事がない。
「話聞いてますか、おっかさん」
 荷物を下ろして、診療室の方に行く。よもや、働きすぎて倒れているということはないだろうか。研究熱心も善し悪しだ。薬師と研究者、天秤にかけたら研究者の方が下がる母だ。徹夜テンションで診察に入るのやめてほしい。
「――に」
「はい?」
「ママって呼ぶように育てたのに――」
 しくしくしていた。いや、涙は出てないので、本気で泣いている訳ではないが、意気消沈アピールしてくる。
 くすんと鼻を鳴らす母に、ジルは何度目かのため息をついた。
 育てたも何も、ジルはとっくに成人している。そういうことは十数年前に着手し、十年くらい前に諦めるべきだ。
 母は聡明だが、ジルは彼女が十代の時の子なので子育てに夢をお持ちになっている。マイルドな表現をすると。
 要領の得ない話をつなぎ合わせると、娘にはキラキラと育ってほしかったらしいのだ。簡潔に構成要素を数値にして出せ。と、ジルは思う。
 そもそも、ジルが育ち切っていることから目を背けないでほしい。同じ年回りの娘達に母親になっているのは藪蛇なのでそれ以上は言わないが。
「そんなこと言われたって、無理なもんは無理っすよ」
 この辺りでは両親の呼称は「おとっつぁんおっかさん」が仕様なのだ。この山奥の集落で果たしてどのくらい母親を「ママ」と呼ぶ子供がいるだろうか。
「ママ」等というあまやかな呼称を採用した途端、「都会の変な本でも読んだか。見せろ」みたいな話になってしまう。場合によっては「何、かっこつけてるわけ?」みたいな空気にならないとも限らないのだ。
 こう言っちゃなんだが、物語とかでしかそんな呼び方してる事例を知らない。そういうことを考えている時点で、母は実務とは違う次元で夢見がちなのだ。理想があると言える。マイルドな表現をすると。
「やっぱり、条件付けが足りないのかしら」
 母が何やらぶつぶつ呟きだした。何を言っているんだ。落ち着いてほしい。
「ちっちゃい時はママって呼んでくれていたでしょう。ジルにはね、元気で育ってほしいっていうのが勿論一番なんだけど。でも、ママって呼んでほしいわ」
 もう育ち切っているのだが。現在進行形。親にとって、子供は死ぬまで子供である。
「こっぱずかしくて勘弁してほしいっす。そういう柄じゃないっすよ」
 客観的に見て、別に母は高望みしているわけではない。「ママ」呼びだって成人してたって言う。何だったら、むくつけき髭ダルマでもママをママって呼ぶ。だって、ママだから。
「いつから、ママがおっかさんになっちゃったのかしら」
「いつって、それは――」
 母のポソポソした呟きに、ジルの記憶のふたが開いた。


 その年は、そもそも夏から気候がおかしかった。
 寒い夏。その割に気温が下がらない秋。そして、ぞっとするほど寒い冬。
 近隣の集落でも体調を崩す者が続出。雪も少なく、骨身を凍らせる冷たい風が吹きすさんだ。
 他の村に乞われて診療に行く日が続いていた。
 ジルはまだ母の手伝いができないほど幼く、近所のおばさんに預けられていた。「何故か」ジルの集落の人はみんなピンピンしていたのだ。
「ママは?」
「お仕事だよ。お迎えに来るまで、ジルちゃん、いい子で待ってようねぇ」
 おばさんがそういうのに頷いた。
 母はずいぶん長いこと迎えに来なかった。何度か夜を迎えたが数は数えていなかった。
「ジルちゃんのおっかさんは大した人だよ」
 会う人、会う人、皆そう言った。あんたのおっかさんはすごい人だ。この辺りの村からほとんど死人が出なかったのはおっかさんが頑張ったからだよ。
「うん。僕のおっかさんはすごいんすよ」
 幼心に刻まれたのだ。ママは迎えに来てくれないけれど、おっかさんはすごいんだって。


 母はまだシクシク言っている。
「おっかさん。諦めてほしいっす」
 ジルは言った。
「おっかさんが薬師で僕が薬師である以上、無理っす。おっかさんはおっかさんっす」
「それは、どういう意味――」
 母にして偉大な先達である人よ。甘やかな響きであなたに甘える「子供」でいられないことを許してほしい。
「僕はおっかさんの跡継ぎですからね。ママとか言ってる場合じゃないんすよ」
「ジル。意味が分からないわ」

 それは、呼び方にこだわっていられた優しい日々。野菜を分けてくれた家も預かってもらった家も膏薬を渡した家も、みんなみんな焼けた遠い世界の出来事。
 肉も薬、骨も角も薬、目玉をしゃぶれば寿命が延びて、肝も胆も万病に効く。
 皮もはがされ、爪もはがされ、逆さに吊るされ、血を絞られた後、再び吊るして脂も絞る。
 ああまったく、捨てる所なし。ありがたくありがたく使われる。推し頂いて使われる。これぞ生薬、霊薬、よくぞ畜とし、お育て申した。
 ああ、誰もかれも肉と骨により分けられて、誰が誰だかわからない。
「逃げなさい! ジル! 生きなさい!」
 僕を逃がすため残ったおっかさんの眼球は片方えぐられ、角はへし折られ、膝が砕かれていた。
 混沌についた時、頬を汚していた血はおっかさんの血だった。だから、ジルの顔に傷は残らなかった。
 練達で母に似た人を見たという噂を聞く。
 いつか会った時、とりあえず、おっかさんと呼んでみよう。と、ジルは思う。
 よその世界から来た高名な薬師をそんな風に呼ぶのなんて、ジルしかいる訳ないし、ママって呼んでとシクシクしたら、間違いなくおっかさんだから。
 本人確認がすんだ後、一回くらいなら、ママって呼んであげてもいいっすよ。

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