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悪魔(ヒトデナシ)にも涙はあるのか
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- 恋屍・愛無の関係者
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●バケモノは何を『想う』?
この感覚を言葉で表すならば、何と言うのだろう。自分の一部にぽっかりと穴が開いたまま、ずっと塞がらないような気がする。
混沌で最初に出会った面白い人間、生き様すべてで愛を体現する女が居なくなったあの日も、今思えば胸の辺りにそんな感覚が――今でもある。
恐らくはこの感覚が、ヒトが悲しみや喪失感などと呼ぶものだろうと、愛なき怪物は怪物なりに考えていた。
「実に。あの海とは、とても思えないな」
此処はかつての夢の跡。愛無が訪れたこの岬からは、かの海域がよく視える。海は空の色を映してどこまでも青く透き通り、さざ波の音が心地よい。かつて絶望と呼ばれていた頃の面影は、欠片も見えないほどに。
人里からだいぶ離れたこの場所には、海を臨むように十数の墓標が立てられている。この土の下に眠るのは、絶望の渦にあって特に危険な戦場へ赴き、散った鉄の戦士たち。
先の海戦では勝利を収めたものの、失われたものは決して少なくなかった。どれほど失っただろうか、墓標の数からそれを思う。
(さて。弔いに来てみたはいいが)
共に戦った彼らの顔や大まかな人となりこそ覚えてはいるが、肝心の名前を聞けずに逝ってしまった。墓標に刻まれた名前だけでは、個人の判別が全くつかない。
どうしたものかと思案する愛無の傍ら、岬を訪れた者がもう一人。余程の――この墓地自体に用がなければまず来ないであろう場所に現れたのは、初老の軍人。
「おや。冷血卿殿か。久しぶりだな」
「ああ。卿は幻戯の」
身も蓋もない呼び方をしたものの、彼と愛無は見知った仲だ。
鉄帝の将、グラナーテ。彼もまたこの地に眠る戦士たちと共に、青き絶望を戦い抜いた者のひとり。
「卿は相変わらずのようだな。ヒトの真似事か」
「そんな所だ」
愛無の傭兵時代、『幻戯』に居た頃、グラナーテからの依頼を幾つか受けた。いずれも鉄帝しからぬ内容だった事は、今もよく覚えている。恐らく、血の通った人間ではやり遂げる事が難しいであろう内容も、それなりにあったように思う。
互いに冷血、化け物と呼び合うふたりの付き合いはそれなりに長く、事実ゆえに互いに傷つく事もない。そういった所も、互いに『悪くない』と思っている。
「グラナーテ君も、相変わらずで何よりだな」
「卿も、な。……変わらないというのが、何よりか」
そう繰り返して、グラナーテは墓の前に腰を落とす。あらゆる可能性を内包する混沌であっても、失った者は二度と戻らない。その事実も恐らく――余程に余程の、『可能性』さえも超える奇跡でも起こらなければ『変わらない』だろう。
グラナーテは懐から小さなボトルとグラスを取り出し、ボトルの中身をグラスへと注いで墓に備えた。
「おや。弔う時は花ではないのか」
「彼はこの銘柄が好きでな。花よりも、此方の方が喜ぶだろう。……本来なら、直接渡すべきものだったが」
ある者の息子は、本人同様立派だった。ある者の家には先日ひとり、家族が増えた。グラナーテはそうして墓標のひとつひとつをゆっくりと周り、ひとりひとりに声をかけていく。
「僕も花は持ってきたのだが。名を知らぬ者が、手向けても良いのか」
「構わん。卿も共に戦った間柄だろう、何の問題もない」
「そうか。では遠慮なく」
この場所に眠るのは、あの日最前線を張った彼だろうか。その隣に眠るのは、馬鹿撃ちをしていた砲撃手だろうか。名も知らぬ戦友を思い浮かべて、持参した花を見様見真似で手向けていく。彼らと話す事はもう敵わないが、もし今話せたとしたら、彼らは何と口にするのだろう?
鉄帝の戦士たるもの、勇敢に戦って死ぬ事を悔いるのは、ましてあの死地に挑んだ者たちならば絶対にあり得ないこと。彼ら自身を含め、その死を名誉、或いは『英雄』と呼ぶ者さえ少なくなく、墓標にもそのように刻まれている。
「このような価値観は、無い方が良いのだが……なかなか上手くはいかないものだな」
「そうなのか。あの戦いで勝ってもなお、なのか?」
「一朝一夕では変わらんよ。人も、国もな――今は英雄と囃し立てても、年が過ぎる頃にはどうだろうな」
「鉄帝の事だ。きっとまた戦って、戦って。次の戦いへ……そうやって、ずっと前だけを向いて。繰り返していくのだろうな」
「ああ。そして、死者はそのうち遠く……忘れられていくだろう」
ヒトの身に生まれた以上は前に進むしかなく、忘却が悪でという訳はないのだが、自分だけでも覚えておくのだと。そう言った時のグラナーテの表情を、愛無から窺い知る事は出来なかった。
「――私はあまりに『やり過ぎた』からな」
勝利の為なら手段を厭わぬ。散った者自身は英雄だとして、死を命じた者は果たしてどうか。
以前からも、鉄帝内ではグラナーテを卑劣漢と呼ぶ声は多い。愛無もそれをよく知っているし、直接聞いた事もある。
しかし、かの国の価値観は至極シンプル。何よりも自身の力を以って『勝ち続ける』彼に対し、表立って噛みつく者はほぼ居なかった。当然、今回勝って見せた事も大きい。
「そして、これからも。彼らと同じ場所には往けぬだろうが、それで良いのだ」
鉄血の将は静かに語る。『悪魔』とさえ呼ばれる事もあったが、そう蔑まれるほどの力と策を以って挑まねば、あの凝り固まった鉄を変える事など到底出来まい。愛無の目線から見ても――ヒトでない第三者の目線で見たからこそ、それは明白に思える。
「グラナーテ君のやり方なら、最終的な犠牲は少なく済むだろうな」
あくまで他人事として淡々と計算した結果だが、事実ではある。彼が挑もうとしているのは、つまるところ短期決戦だ。長引けば長引くほど、彼らのような死者や、それを良しとする者たちの動きで多くが失われていく。
「……話し過ぎたか。さて。私はそろそろ行かねば」
「いつもながら、忙しいのだな」
忙しい方が良い、とグラナーテは言う。止まってはいられない、と。その顔には再び、鉄の仮面を張り付けて。
「息災でな」
「グラナーテ君もな。身体には気を付けて」
いつか誰かが言っていた気遣いの言葉を、見様見真似で付け加え。
ほどなくして、岬に静けさが戻る。
墓標に咲いた白いネリネの花たちが、やわらかな潮風に揺れていた。