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<マナガルム戦記・外伝>栄光、未だ遠けれど
登場人物一覧
●栞が零れた
では、語るとしよう。
これは彼の地、幻想王国の片隅――美しき海を望むファーレル領の隣接地、ドゥネーヴ領に語り継がれる、ある偉大なる領主の話だ。
ドゥネーヴ領はその名の通り、ドゥネーヴ家が代々統治してきた領地である。王都の喧噪より離れ、牧歌的な眺めの続く景観のよいこの地に、近年暗雲が垂れ込めていることを知るものは少なくない。この安寧の地を脅かす脅威は、魔種や怪物、悪魔の類でも何でもない。同じ人間――盗賊達であった。
当代の統治者、ドゥネーヴ男爵が健在であれば、彼奴らの専横を許したわけもない。しかし、流行病に身を蝕まれた彼に、領の戦力を運用する余力はなかった。病により朽ちるドゥネーヴ男爵の身体はさしずめ、野盗どもという病原体に冒されていくかの領そのものの縮図であるかのようだった。
領民は苦境に喘ぎ、しかし生きることを諦められるはずもなく、助けを求め、やがてギルド・ローレットに辿り着いた。
彼らの悲痛なる声を聞き届けた特異運命座標の男は、迷いなくその槍を取ることを選んだ。
『ああ。俺は正義の騎士でも無ければ、聖者でも無い。
だが、俺に助けを求めている者が居るというならば力を貸そう。――それが今の俺にしか出来ぬ事だというのであれば』
斯くて、戦記は幕を上げる。
戦いの果て、盗賊の頭目は倒された。ドゥネーヴの血を引かずとも、この地に参じて民を護り、そしてそれを続けて行く意志を見せた、栄光の槍の担い手とその仲間達に。
ドゥネーヴ男爵は熟慮の末、その眩き、清廉なる理想の騎士に、この地の代理統治権を託すと決めた。
しかし、それでめでたしめでたし――とは、いかぬのだ。
任された領有権は重く、受け取るのは終わりではなく始まりに過ぎない。
書を紐解こう。
この物語は、栄光の槍を持つ彼――『ドゥネーヴ領主代行』ベネディクト=レベンディス=マナガルム(p3p008160)卿が身を立て、その槍が示す栄光の統治に到るまでの道行きの中。彼と、彼が頼みとする仲間達が演ずる雄大なる戦記の、頁の間の出来事である。
●暗闘
――夜風吹きすさぶ。木の葉が胸騒ぎを抱かせるようにざわめく中、蹄の音が風音を掻き乱す。
「ハッ!」
ドカカッ、と蹄が土を蹴散らした。林道を、白と黒の駿馬が風を追い越せとばかりに駆けていく。鍛えられた白の駿馬に拍車を掛けて、林道を駆け抜けるは金髪碧眼、凜とした顔立ちに槍を携えた精悍な体躯の青年であった。その名も、ドゥネーヴの救槍、ベネディクト=レベンディス=マナガルム。
見事な馬術を見せるベネディクトの横に、しかし少しも遅れることなくぴたりと合わせて馬を走らせる偉丈夫がもう一人。年の頃は二十過ぎといったところ、鍛え上げたベネディクトにも決して劣らぬ、実践的な筋肉の身についた大柄な体躯。浅黒い膚、黒い髪の狭間にギラリと赤い三白眼が光る。『黒狼』ルカ・ガンビーノ(p3p007268)だ。
疾風の如く駆ける馬上にて、ベネディクトがぽつりと言った。
「すまないな。分がいいとは言いがたい戦いになる」
「いいさ。前も言ったが、俺は貰えるモンが貰えれば何の不満もねぇ」
からっと笑って応えるルカに、気負った様子はない。劣勢何するものぞと笑い飛ばすかのようだ。
――夜、各々のマグを傾けながらカードに興じていた二人に、凶報が届いたのはつい先程のことだ。
領の外れの村が襲撃され、傷ついた兵らが早馬を飛ばしてきたのである。
ベネディクトがドゥネーヴ領を代行統治し始めても、治安がすぐに良くなるわけでははない。甘い汁を吸っていた外道共が、おいそれと悪行を止めるわけがないのだ。それを解っていたからこそ、ルカは自信が団長代理を務める傭兵団からも人を割き、ベネディクトと共にドゥネーヴ領の治安維持に当たっていたのだが――
折悪く、傭兵団『クラブ・ガンビーノ』の傭兵達は別の地方の哨戒任務に当たっていた。他の
報告では百名に届こうかという武装勢力の鎮圧――動けるのはたったの二人だけ。常人ならば尻込みするような状況で、しかしベネディクトは迷いなく椅子を蹴り、立ち上がったのだ。
『ルカ、頼めるか』
数で劣ろうとも、そこに助けるべき民が、虐げられ苦しみ、涙を流す者あれば、躊躇いなく飛び込む。
ベネディクトはそういう男だった。
『しゃあねぇな。金は弾んで貰うぜ?』
応ずるルカも実に飄々として迷いがない。ベネディクトがそう言うことを予想していたかのように、複製魔剣『黒犬』を引っ提げベネディクトに並び立つ。
ともすれば死地に向かおうというのに、二人の男は、実にあっさりとした言葉を交わしたのである。
――そのやりとりから数十分。駿馬の背で、二人の男は気負うことなく声を交わし続けている。
「劣勢大いに結構だ。敵が百人でも千人でもやってやるさ。獲物は選り取り見取り、蹂躙しがいがありそうだぜ」
負けることなど有り得ぬとばかり傲然と言うルカの言葉に、ベネディクトは碧眼を細めて頷き、すぐに表情を引き締めた。
「頼もしいな。……村が近い。あの村は確か、北門と南門が設けてあるはずだ。纏まって突っ込むよりは、東西から柵を越えて不意を突き、側撃するのがいいだろう」
「ああ、ならそうするか。俺が注意を引き付けるから、あとはよろしくやってくれ。……こんなところで死ぬたぁ思ってねぇが、気を付けてな、ベネディクト」
「そちらこそ」
遠くに見える村の篝火。ベネディクトとルカは馬を止め、木に繋ぐと、一瞥視線を交わし頷き一つ。夜闇の中に紛れ、隠密に村へ侵攻を開始した。
村の東。柵の程近くを巡視していた――というより、金目のものを探し家々を渡り歩いていた盗賊が数名道を行く。村人達は既に村の中央に集めてある。盗賊らからしてみれば、安心して家捜しが出来る、という寸法だ。
「シケた村だが、領主様とやらが変わってから支援物資が回ってきてるらしいって話は本当だったな。お陰で懐が潤いそうだ」
「ああ、全くだぜ。全く領主サマサマってところだな、ハハハッ」
「新領主様バンザーイ、ってか。ちげぇねぇや」
野卑な笑い声が響く。――そこに、
「――それはお前達へ渡したものではない。返して貰おう」
凜とした声が混ざった。
「あァッ?」
声の方を一人の盗賊が振り返った瞬間、闇色の外套が翻る。家の影から飛び出したのはベネディクト。碧眼が月を映し煌めいた。
凄まじい速度での踏み込み。一歩ごとに土を捲り上げながら栄光の槍『グロリアス』を構え、その石突で一人目の鳩尾を抉り衝き飛ばすッ!!
「げエッ?!」
「な、何だテメェッ――」
吹き飛んだ一人目が地につくよりも早く、ベネディクトはグロリアスを回旋。誰何の言葉に応えてやる必要もない。振り回した槍による打突と薙ぎ払いで残る二人を一瞬で薙ぎ倒す。手応えは確か。一人は側頭部を打ち据え、もう一人は肋を砕いた。
「ぎゃあっ?!」
「がっ、ふ」
吹っ飛び悶える二人の盗賊。――攻撃はいずれも石突と刃元で行われた。この村を血で汚すわけにはいかぬという、ベネディクトのどこまでも清廉な想いによるものだ。
「罪を償う機会は与える。お前達も、望んで盗みを働くようになったのではあるまい」
痛みに悶え、或いは意識を断ち切られて沈黙する盗賊達を手早くロープで戒め、ベネディクトは村の中央広場の方向を伺う。手枷を填められた村人達が、一所にまとめられている。
「酷いことを。……必ず解放しなくては」
眉をひそめ呟いた折――俄に、村の西側が騒がしくなるのが感じ取れた。呼び笛のようなものが鳴り、鬨の声が風に混じる。
「始めたか。……遅れるわけにはいかないな」
ぽつりと呟き、槍を手に、ベネディクトは風の如くに走り出す。
村の西側は、既に乱戦状態であった。
鳴り響く招集の笛。近くにいた盗賊も、家々から金目のものを奪っていた者達も、続々と西側に
「何だこいつはッ……!?」
「く、クソ、強すぎる! 人を集めろてめえら! ボサッとしてんじゃねぇぞ!!」
「っハハァッ! どうしたどうした、こんなもんじゃうちの見習いにだって勝てやしねぇぞ!」
その戦い方はまさに暴風。ルカが『黒犬』を振り回すたび、まるで木っ端のように盗賊が吹き飛ぶ。ルカの戦い方は分かりやすく大雑把で、剣を力任せに振るい薙ぎ倒すだけの、剣術とも言えぬ剣術であったが、問題はそこに込められた力である。
盗賊の一人が剣を構え雄叫びと共にルカに打ち掛かった。ルカは振り上げた黒犬で無造作に盗賊の剣を受ける。ただの盗賊とは言え、実践慣れした成人男性の、大上段からの渾身の打ち下ろしだ。人を殺すのに十分以上の威力があるはずだった。
だが、火花が散っただけ。ルカが構えた黒剣を、僅かに押し込むことも出来ない。
「なッ――」
「軽ぃな。剣ってのは――こうやって振んだよ!!」
受けた剣を流して身を翻す。よろめいた盗賊の脇っ腹に、ルカは一転して黒犬の平を叩き込んだ。骨が砕ける音、涎と「ごべあッ」という奇怪な声を垂れ流し、また一人盗賊が吹き飛ぶ。
「って、てめえ! 俺達をゼラ・スカル盗賊団だって知ってケンカ売ってんだろうな?!」
「テメェだけじゃねえ、テメェの家族も一族もまとめて攫って売り飛ばして、買い手がつかなきゃブチ殺してやる!!」
口汚く吐く盗賊達に、ルカはすうっと目を細める。
「悠長に未来の話なんてしてやがるが、てめぇら、俺が来たってのに無事で帰れるつもりでいやがるのか?」
そいつは幸せな夢だな。
吐き捨てるようなルカの一声。その声すら置き去りにルカは跳ねた。外道共相手でも、刃は立てない。殺すことは容易いが、しかし殺さないのが今回の依頼人の――ベネディクトの意向だ。酌まねばならない。
――だが、ふざけたことを言った分は解らせてやらなければならない。
ルカは稲妻の如く動いた。むやみに剣を振り回す一人の間合いに踏み込んでその手から剣を蹴り飛ばし、闘気を集中させた拳を顔面に叩き込んで吹き飛ばす。もう一人が大上段に剣を振り上げた隙に低姿勢で吶喊、鳩尾に剣の柄を叩き込んで骨を砕き、動きが止まったところをアッパーで意識を刈り取る。
明らかな力量の差に、今だ周りを囲む数十人の盗賊達が浮き足立つ。
「お、おいッ、村の連中を連れてこい!! 人質にすりゃあ動きも鈍る!!」
「へ、へいっ!」
頭目らしき男の声に、数人の盗賊が応じて村の中央広場へ向かおうとするのを、
「――外道め。させるものか」
凜とした声が遮った。
びゅ、おうっ!! 風と空気が裂けて、何かが飛んだ。金属の歪む快音がして、先頭を走っていたはずの盗賊がもんどり打ってぶっ倒れる。
「な、何だっ?!」
見れば、決して薄くはないはずの盗賊の
盗賊の胸から跳ね返り、宙に飛んだのは――槍。『グロリアス』。黒外套を翻し跳躍、その槍を宙で取り、まるで猛禽の如く襲いかかるのは当然、ベネディクトだ! 刃をではなく石突を向けて必殺の投擲『ガルム』を放ち、一人目を倒すなり跳躍して奇襲を掛けたのだ。二人目は振り下ろしで鎖骨を粉砕し、降り立つと同時に縮めた膝のバネを解放、立て続けにもう二人を薙ぎ払いと石突での突きにより打ち倒す。
石突を地に衝き、ベネディクトはよく通る声で語る。
「今更広場に向かったところで無駄だ。見張りから手枷の鍵を奪わせてもらった。今頃、村人達は各々逃げ出しているだろう。――争いはここまでにして、大人しく投降しろ。――罪を償うなら、僅かでも軽いうちに始めるのがいい」
ベネディクトの言葉に、しかし、頭目らしき男はビキビキと血管を浮き立たせ反駁する。
「ふ、ふざけやがって!! てめぇら、生きて帰れると思うなよ!! たった二人程度、囲んで嬲り殺しにしてやるッ!!」
ベネディクトの背後から、ルカの背後から、回り込んだ盗賊らが纏まって襲いかかる。
刹那、ベネディクトとルカの視線が交錯した。
「ルカ!」
「おうッ!」
二人は全く同時に、引かれ合うように駆けた。意表を突かれるも、背後から奇襲した盗賊らも当然その背を追う。
ベネディクトとルカは疾走のまま交錯し――擦れ違う。そして、
「「おおおおおっ!!」」
ルカが、ベネディクトの背後の敵を。
ベネディクトが、ルカの背後の敵を、それぞれの武器で一蹴、吹き飛ばす!
「な、んだとォ……!?」
頭目が呻くように驚愕の声を漏らす。――彼らはたった一声で、同時に攻撃対象をスイッチし、背を守り合ったのだ。百戦錬磨の特異運命座標の二人だからこその連携行動。
「――話しても通じないとあれば仕方ない」
「なら、一人残らずブッ潰すだけだ!!」
互いに背を預け武器を構えるベネディクトとルカ目掛け、
「ナメやがって……!! 野郎共!! 殺せ!! 逃げるな!! 逃げるやつァ俺が殺すぞ!!」
頭目に焚き付けられた盗賊達が、怯えを誤魔化すような大声と共に殺到する――!
●進むべき道を、ただ
――村に払暁の光が降る頃、二人の男が荒い息をつき、死屍累々と横たわる盗賊らの合間に座り込んでいた。言うまでもない、ベネディクトとルカである。
幾度とない増援、敵の奸計、そして頭目の苛烈な攻撃を撥ね除け――勝利を掴んだのは、つい今しがたのことだ。背中を重ね、互いが互いに寄りかかり合う。そうでもしていなくば、倒れ込んでしまいそうなほど疲弊している。
「ルカ、……無事か?」
「ああ……なんとかな」
身体には無数の傷と出血があったが、意識ははっきりとしていた。声を掛け合い、互いの無事を確認する。
「夜通し殴り合うってのはなかなかしんどいが――まぁ、でも、」
空には、意識のある盗賊達の呻き声をバックにしてさえ美しい、登りたての日の光。手を透かすように掲げてルカは笑う。
「村人があの日の下で、また生きていけるんだ。悪くねぇ気分さ」
ルカの言葉に、ベネディクトもまたゆっくりと首を巡らせ、昇る陽を目を細めて見た。
――まだこの領は決して安心して住める場所ではないかも知れない。けれど、いつか、陽が昇るたびに安堵するような生活から、領民達を救ってみせる。ベネディクトは一つ頷き、決意を新たにする。
「――違いない。報酬は弾もう。感謝を込めて」
「多めに色つけといてくれよ。領主代行様」
成し遂げた男達の誇らしげな笑い声が、漸く目を覚ました鳥たちの囀りに混ざり溶けていく――