SS詳細
獣には、憐れみを。
登場人物一覧
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吹き荒ぶ風が細かくさらさらとした砂を運び、頬を撫ぜる。
照らしつける熱量はその大きさに比して爽やか。
点々と孤独に記される足跡は四つ。
「――熱いわね」
吸血鬼は一般に太陽の光に弱いと伝承されるが、彼女にとって如何であろう。Erstineが無表情な相貌に一縷の気怠さを呟くと、
「僕はその感覚を持ち合わせていない。ただ、腹は減ったが」
男装の麗人――性別不祥ではあるが只、酷く佳麗であることに違いない愛無が、その隣で返答した。
二人がそんな地を踏みしめて目指しているのは、既に視界にも入り始めた一つの小さな町。
俗に人々はこう呼称する――“オアシス”と。
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「残念だが、その要求は飲めねえなあ」
尊大さの中に狡猾さを潜ませたよく通る声が部屋に響いた。
……部屋と云っても所謂個人の部屋ではない。
より相応しい表現を与えるとするならば、“玉座の間”か。
まるで“王”を主張せんとするかの様な豪奢な玉座に腰を下ろした男は、それと同じくらいに装飾が施され絢爛を極める間に従者を従え、“下座”のErstineと愛無を鋭く見下ろした。
「この水は俺の水だ。俺がどう使いどう配分しようがどうこう言われる筋合いはねえ。
それもこの町に縁も所縁もない
そう云い放った男は、左右に従える従者が抱えている重厚な壺から、清廉な水を自らの左右の手の掌に注がせ、すり抜けていく多量の水が流れていった。
その男、外見は年の頃で言えば三十半ば位。髪はくすんだ青色の長髪で、両蟀谷から顎下まで辿り、後ろは項の所で一本に纏め上げている。屈強と云うよりは細身の
「……貴方の言う事も尤もでしょう、ウィンド。しかし町の人々は今、渇きに苦しみ、死者まで出ている。次第に貧富の差も拡大していて、水の供給を増やして欲しいと訴えている。
町が発展すれば必然的に貴方の生活も“潤う”でしょう。決して無益な話ではないと思うけれど」
「おかしなことをいう。水の対価が支払えないのならこの町を去るべきだ。
死ぬ気で働いて――その結果俺が潤えば、それが最善だ。違うか?」
「……《赤犬の群れ》も、気にし始めているわよ」
Erstineの脅し文句に、ウィンドと呼ばれたその男は高く笑い声をあげた。
「俺たちは自由の民だ。この国に王は、たった一人の指導者は、存在しない。
《赤犬の群れ》なんぞに――
敬愛するディルクを卑下するかの様なその物言いに、――Erstineの口角が僅か一瞬、吊り上がった。
「だが。君のやっていることは、正に“王様”そのものの様だ。
それも、人間の歴史によく見る、滑稽な王だ」
愛無のその指摘に、今度はウィンドが眼を細め、口を閉じた。
「――で。お前たちは俺と口喧嘩でもしたくて態々此処まで来たのか?
どうせ、こうなることは識っていたのだろう。それで、どうしたい。
まさか貧しい人々の代わりに、金を払うとでもいうのか? それなら話は別だぜ」
「いや。それこそ、“僕たちが此処を訪れた時から、君は識っていた”のだろう?」
愛無の胡乱な視線と、ウィンドの鋭い視線が交錯した。
「――ああ、面白い。話が早くて助かるぜ。そうか、そういう事か。
偉そうな御託を並べやがって、最初からそう言やいいのに。
……おい、お前らは全員退いてろ、邪魔だ」
ウィンドが玉座から立ち上がる。豪奢な内装に比して、衣服は地味だ。黒の上下に、灰色のマント。だが長身のその身に、仕立ての良さが際立っていた。彼は付近の従者を追い払うと、傍らの剣を取る。朱色に染まった刀身の、奇妙な剣だった。
「……実力行使は出来れば避けたかったのだけれど、残念ね」
さして残念“でなさそう”にErstineが言うと、ウィンドは口の端を吊り上げた。
「俺にとってはむしろ朗報さ。
なんせ、退屈で退屈で仕方がなかったんだからな――!」
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戦意の発露に呼応し、即時にErstineは剣を、愛無はチェーンソーを其々構える。
戦い慣れした二人のその様子に、ウィンドは至極満足したように破顔した。
「――何故俺がこの国で、たった一人で巨大なオアシスを築くことが出来たのか。
その答えを教えてやろう」
ウィンドが剣を構え――飛ぶ。
「……!」
激しい衝撃が空間を殴る。Erstineの氷刃が正面からその剣を受けていた。成程、その尊大なウィンドの態度も、強ち嘘では無さそうだ――。
ウィンドはそのまま剣を振り払う様に横に一閃。後方から斬りかかる愛無を、その勢いの儘、剣を上方へ斬り抜き、チェーンソーごと撫ぜると愛無を虚空へと撃ち上げる。
すかさず跳躍。ウィンドは愛無を射程に収めるとその柔そうな腹部を膝蹴り、剣で薙ぎ払った。
轟音と共に愛無が地面へと叩きつけられると、その威力に床が瓦解し煙に愛無の姿が消える。
着地したウィンドはじろり右九十度に移す。――次手は、嫌な予感がする。
剣を正面に構えたウィンドが旧式の防衛魔術を唱える。
ちり、ちり、――ちり。
その音は何か。ウィンドは眼前のErstineを凝視する。
その貌は。
冷たく。
そして。
――美しい。
ウィンドは室内の気温が急激に下がっていることに気づく。
それは彼らにとっては少しなじみが薄い――。
室内にあった水が凍て尽き。
部屋が氷で覆われていく。
その氷結化は。
「”彼”を侮辱した罪は重い」
Erstineの足元から始まり、
「溺れる間も無く―――すり潰してあげる」
そう言ってErstineが踏み込み。
ウィンドとの間の間合いを殺し。
Erstineの切っ先に従って空間が氷の曲線を描いていく。
やがてその氷刃はウィンドの剣と重なり、
「――――っ!」
ぱきん、と室内全ての氷が同時に瓦解する。
刃と刃が交じわる凄絶な衝撃。
……一秒遅れて、ウィンドが弾け飛んだ。
後方へよろめいた彼の体躯から、鮮血が噴き出す。
「興味深いな、君は」
間髪入れずに、かつかつかつと極めて規則正しい靴音。
煙から現れた無傷の愛無が右手の手袋を肘側に引きながらウィンドを見据える。
「丁度いい。腹が減って腹が減って、堪らないんだ」
可憐な愛無の姿が変容していく。
「――今日は良質な肉が食べたい」
「なんだ――“それ”は」
愛無の全身の粘膜が展開され、その姿が蠢く。
その姿は蟹でも蛇でもない。
敢えて形容するなら――巨大な黑き口腔。
ウィンドの体はその存在に最上位の畏怖を覚えた。
「――いいぜ、お前ら。人生で一番、ヒリついてやがる!」
だがウィンドの精神はその存在に高揚した。
「勝負だ、
変態した愛無とErstineがウィンドを挟撃する中、ウィンドは深紅の剣を高く掲げる。
「血界限界解放――!」
刀身から夥しい鮮血が溢れ出す。
Erstineはその様子にぴくりと蟀谷を震わせた。
「――――燃えろ!」
突如、部屋全体を噴き上げる業焔。
灼熱の大地に降り注ぐ火焔が、Erstineと愛無を襲い、
「――っ!」
しかし、その炎の中を意に介せず突き抜けてきたErstineの放つ一閃がウィンドの胸を切り裂き、彼が相貌を歪めると、
「いただきます、ごちそうさま」
その眼前には。
暗い喰らい昏い庫い冥い――口腔が。