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アレクシア
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「おかあさん、大樹ファルカウが
そう告げるのは小さな幻想種の少女だった。くい、とその手を引っ張った少女を見下ろした母は優しく微笑むようにそうと目を細める。
「そうね、きっとファルカウがアレクシアを呼んでるんだわ」
「アレクシアって、精霊のアレクシア?」
「そう、精霊のアレクシア。よく覚えて……ああ……あのおとぎ話が大好きだったものね」
「うん!」
幻想種の少女は本を読んでと母へとせがんだ。
その小さな少女は病弱だった。生まれた頃より、体の中に魔力を留めていられない体質であった彼女は、この森で生きていくのも苦しいとさえ言われていた。
アンテローゼ大聖堂での治療により、こうして自由に外を歩けるようになった彼女は、あの場所で読み聞かされたおとぎ話を好んでいた。
「良い子にしていれば、アレクシアにもきっと会えるわ」
「本当? アレクシアって、大精霊なんでしょう? そんな簡単に……」
「いいえ、あの人はね、こっそりと出てくるから大丈夫。だから、良い子にしていてね」
バスケットを抱えて幻想種の親子にそう声をかけたのは、アンテローゼ大聖堂の司教である娘であった。
義足を軋ませて微笑んだ彼女は、随分と長い間このアンテローゼを護り抜いている。その次の代を育成しながらも、大樹ファルカウを愛し、敬い続けているのだろう。
「本当?」
「ええ、本当。アレクシアは、本当にそう言う人だったから――」
「司教様、いっつもアレクシアとお友達みたいに言う!」
「……ふふ、どうだったかしら?」
ふと、司教シルクァーレ・ロア・ヘクセンハウスはゆっくりと振り返る。
――ルクア君!
森のざわめきが、自身を呼んだような気がして司教シルクァーレは目を細めてから笑った。
「けれど、そうね。きっと、私とあの人は友達だったのよ。だから、貴女も良い子にしていてね」
大精霊アレクシア。それは大樹ファルカウに寄り添い、彼女と共に大樹を護り切る
大樹ファルカウの幹をくるりと包むように伸びた細木。それは大樹を護る様にぐるりと幹へと絡みつき、季節が来ると淡い蒼空の華を咲かせることで知られていた。
大樹ファルカウを支えるように伸びたその樹を人々は霊樹アレクシアと呼んでいた。
その呼び名には様々な感情が込められる。ある者は友人の名前であると言い、またある者は世界を救った特異運命座標の一人でヒーローだったと言い、またある者は少々手のかかる弟子であったとさえも言う。
彼女の物語は、幻想種たちの中でも親しまれ絵本として幼い子供達にも読み聞かされていた。
アレクシア。
――かつては、アレクシア・アトリー・アバークロンビーと呼ばれていた一人の幻想種が、たった一人を護る為に大精霊となったおとぎ話。
彼女が実在していたのかを知る者が居なくなった後の世でも、その物語は語り継がれるのだ。
ああ、けれど、きっと物語はそれらしく脚色されている。本人が見たならば「ちがうよ」と少しばかり困った顔をして、照れくさそうに笑うのかもしれないが――
アレクシアという少女が居た。愛すべきファルカウに抱かれた森に生まれた少女である。
彼女はその身を病に侵されていた。
魔女の魔法と呼ばれたその奇病は魔素が少ない程に体を蝕む
じわじわと自らの肉体に巡る魔力を食われていく。それは混沌世界では稀にあるとされるものであったらしい。
魔法使いであれば、無尽蔵の魔力を食わせる事が出来たのだろうか。
だが、アレクシアという少女は幼き日にそうなったが故に、自らの魔力が食われ続け部屋の中で過ごす事しかできなかったらしい。
体は余りに自由に動かない。少しでも無理をすれば熱を出す。
魔女は、彼女のすべてを喰らってしまおうとしていたのかもしれない。
少女の世界は、その
その窓から見る代わる代わる四季折々の姿を見せる美しき大樹に抱かれながら彼女は願ったのだろう。
天使様の様に、世界を救ってあげたい。
天使様の様に、誰かを幸せにしてあげたい。
自分のような不幸が起らないように。
少女は大樹に願った。
――その願いは、彼女を
少女は小さな部屋から抜け出すことが出来た。天高く、美しい空中庭園へと訪れた娘は特異運命座標と呼ばれるようになったのだ。
はじめの一歩は恐る恐るとしたものだっただろう。
何もかもを恐れるようにアレクシアは踏み出した。
大樹より離れた街並みは、きっと彼女には恐ろしいものだっただろう。
それでも、大樹へと愛と慈しみを向け、彼女は祈った。
常に傍にありますように。ファルカウが慈しみ抱く同胞への願いを抱いてくれるようにと。
はじめの国はまるで知らぬおとぎ話のような場所だった。
美し石畳を踏みながら、少女は踊った。なんて幸せなんでしょう。
ただ、その世界にも会った不幸を一つずつ摘み取る事は忘れなかった。
世界の不幸が耳を劈く時、少女は自らの魔法を身に着けたのだ。
魔女が喰らってしまう魔力を、誰かのために使いたい。
それが少女が魔女と呼ばれるまでのはじまりのお話だった。
白き都は、美しかった。けれど、大樹と違う祈りがあった。
少女は様々な祈りが人を救うのだときっと知った。
恐ろしくとも、挫けやしなかった。その場に満ちる祈りや願いが人々の在り方で大きく変わっていくのだと、そう知った。
砂漠の国には愛が溢れていた。ひとつの芽も出ぬ場所であれども、願えばこそいつかは芽吹く。
人と人が手を取り合えば、何時しか大樹の聲も聞こえる事をきっと知っただろうか。
潮騒の国は、きっと心地の良いばかりではなかっただろう。
それでも少女は駆け抜けた。船の上では緑は遠く大樹の声が聞こえずとも心はいつだって繋がっているのだとそう願う様に。
歯車の国は、全てを枯らし尽くしてしまうだろう。
それでも、少女はその地の冬が何時か溶ける事だって知ったのだ。
電子の国は、知らぬものも多かった。
人の幻想が、作り上げていく素晴らしさを知った事だろう。
――世界歩みながら少女は様々な事を知った。
苦しむ人々の在り方も、悲しみの在り方も、何もかもを知ったのだ。
誰かの悲しみを摘み取る為に、自身の犠牲だって厭わなかった。
けれど、大樹は酷く悲しんだことだろう。
あなたはあなたを大事にしてほしい。そう慈しみ深き大樹は願った筈だ。
抱きしめるようにして声をかけるのだ。
アレクシア、アレクシア。かわいいあなた。
――どうか、自分を傷つける事を良いとしないで。
アレクシア。
少女は大樹の精霊にそう呼ばれながら彼女を愛し、慈しんだ。
「愛しき大樹。私たちのファルカウよ。海の向こうには新たな国がありました。穴の底には美しき国がありました。
そこで鏡写しの貴女と出会ったのです。私たちと同じような幻想種の魔女。
誰かを救いたいと願った、美しき大樹の人。
貴女は誰かの不幸を摘み取りたいとそう願ったのです。だからこそ、私は貴女と友人となれた」
「ええ、ええ、アレクシア。私の森の子供」
大樹ファルカウは異なる鏡写しの国では、私たちと同じ幻想種だった。
森に抱かれた命として生まれた彼女は、森を守り抜くために大樹の守り人になることを決めたのだ。
アレクシアはその在り方を深く抱きしめた。
彼女が森を、そして、世界を護ろう願うならば、それはきっとアレクシアと同じだった。
遍く命の不幸を消し去り、世界に幸運を与えたい。
そう願うファルカウとアレクシアは友人となったのだ。
アレクシア。
彼女は、同胞と大樹ファルカウ、そして、世界の為に駆け抜けた。
体を蝕む呪いなど忘れ、森を焼く焔を消し去るように、ただ、ただ、前を向いてひたむきに走った。
彼女の願いは誰かを護る事だった。苦しみも、悲しみも、何もかもを取り去った未来に繋がる事だけをただ願っていたのだろう。
アレクシア。
彼女は、同胞と大樹ファルカウ、そして、世界を護る為に彼女の心を救おうとしたのです。
大樹とて私たちと同じ心を持っていた。アレクシアはそう知っていたのだから。
異なる鏡合わせの世界で出会った彼女の憂いも、悲しみも。
――どうして、人々は争うのでしょう。
――どうして、森は傷ついてしまうのでしょう。
その苦しみは幻想種である私達ならばよく知っている事だった筈。
森を、人を、そして、同胞を傷つけられる苦しみを嘆くファルカウの心を救いあげるようにアレクシアは手を差し伸べたのだ。
――私は、この世界を救う。
それが、一人の幻想種の少女の願いだった。
――ずっと、傍に居るよ。
長い長い時をただの一人で見つめながら私たちを守っていてくれた大樹の魔女。美しき大精霊ファルカウ。
一人の幻想種の少女は彼女を救うために、精霊となる事を選んだのだ。
それから、彼女たちは仲睦まじくこのアルティオ=エルムを見守ってくれている。
人々よ、忘れてはならない。
我々を見守ってくれる麗しき大樹は決して、当たり前のものではないのだと。
世に不幸が訪れたならばその手を差し伸べることが出来なくてはならないのだ。
「なんだかさ、私とファルカウさんがすっごい関係って感じだよね、これ」
そう笑った少女はさくさくとクッキーを食べていた。アーモンドを砕いて作ったそのクッキーはアンテローゼ大聖堂の司教であるシルクァーレの得意料理である。
注がれた青百合の紅茶にミルクを注ぎ入れてから少女は「すっごい美化というか。ファルカウを信じなさいって感じって言うか」とそう呟く。
「照れちゃうよね。確かに私は幻想種だったし、大樹ファルカウは信仰の対象そのものだったよ。でも、なんだかなあ、教えって感じ?」
「おとぎ話ってそういうものでしょう。
シルクァーレが困り切ったような顔をしてそう言えば、少女――いや、大樹の大精霊アレクシアは笑った。
おとぎ話の通り、彼女は普通の幻想種
アレクシア・アトリー・アバークロンビーという少女は不幸にもとある魔女の呪いで肉体を蝕まれた経験がある。
それをも乗り越えて、今がある。嘆きを知った精霊ファルカウと最初に出会ったのが異なる鏡写しの世界での事だったというのもまたおとぎ話に箔を着けたのだろう。
プーレルジールで出会った魔女ファルカウは確かにただの女のようでもあった。
友人関係になったというのは確かにアレクシアが語った事だったが、気が付いた頃には大きく脚色された物語が出来上がっていたようだ。
「仕方がないわ」
「仕方がないけれど気恥しいよ」
さくさくとクッキーを齧りながらアレクシアはそうぼやいた。
そっと顔を上げれば目の前で笑うシルクァーレも幻想種にしてはやや衰えを見せていた。随分と長い時間が経ったのだとアレクシアは認識している。
気がつけば、シルクァーレも幻想種の中ではかなりの
師も時折はふらりと猫のように姿を消してしまっていたが、晩年の頃にはアレクシアの傍にいてくれた。
今のアレクシアは長い長い時間を生きていく存在となってしまった。見送る者が多くなったのは、きっと苦しい事ではあったが、それだけではない。
「シルクァーレ様」
アンテローゼ大聖堂の地下庭園の扉が開かれて、困り切った様子で少女が顔を見せる。
長い耳、柔らかに伸ばされている桃色の髪。ローブを身に纏っている彼女は肩を竦めてから「またアレクシア様がいらっしゃっているのですか」とそう言った。
「来ていけない訳ではないでしょう」
「ええ、来てはダメな訳ではありません。けれど、お伝えくださらなければ、何処にシルクァーレ様が言ってしまったのかと皆大騒ぎではありませんか。
お身体ももうずいぶんとお悪くなったのです。出来れば何処かに行かれる際にはこのフローエにお声掛けください」
唇を尖らせる幻想種フローエにシルクァーレは肩を竦めた。それから
緩やかに姿を現したアレクシアが「こんにちは、フローエ。今日はココシュカはお仕事中?」と問い掛ける。
「ご機嫌ようございます。アレクシア様」
微笑むフローエを見ているとアレクシアは
フランチェスカ・ロア・アズナヴェール。かつてはアンテローゼの魔女であったフランツェル・ロア・ヘクセンハウスの血縁者である。
次代をシルクァーレに譲ると決めてから、あれやこれやと大騒ぎしていたかの魔女も、アズナヴェール家が持ち込んだ縁談に観念したらしい。
深緑の幻想種である青年との婚姻をし、生まれた娘が更に子をもうけた。その一人がアレクシアの前に佇んでいるフローエ・アズナヴェールだ。
フローエ自身は幻想貴族としての名を残しているために、深緑との懸け橋になろうと様々な商売を行っている。シルクァーレが次代に選んだのがココシュカ・ロア・ヘクセンハウス。
フローエの3つ下の妹であり、赤子の頃に様子を見に来たアレクシアに気が付いてその髪を引っ張って離さなかった剛の者だ。
「アレクシアねえさま」と呼び慕うココシュカはフランツェルにもよく似た快活で楽し気な娘である。彼女がお勤めをしてくれているからこそシルクァーレは穏やかな時間を過ごせているのだろうが――
「許してほしいわ、フローエ。アレクシアがあのおとぎ話を聞いてから困惑してしまったのよ」
「ああ! 読みました。アレクシア様。あの御本は幻想王国でも知られていましたよ」
「えっ、嘘……そんな、ちょっと恥ずかしいなあ……」
「演劇にもなったそうです。ご覧になった事はありますか? 御身が行きたいというならばチケットの手配もしましょう!
あのフィッツバルディ家のお墨付きですからきっと素晴らしい出来栄えですよ。アレクシア様役の娘さんがとっても愛らしくって……でも、本物のアレクシア様には敵わないですね」
「フ、フローエ……」
くすくすと笑うフローエは幻想貴族としてアズナヴェール一家を切り盛りする一方で、その家督は我が子に譲っていた。
すぐにでも長男坊にアレクシアの観劇の席を用意させても構わないと告げる彼女にアレクシアは嬉し恥ずかしと言った調子で肩を竦める。
「でも、……うん、でも、それで、誰かが笑ってくれたり幸せになってくれるならいいや。
観劇は、ちょっと見てみたい、かもしれないね。良いかな? ルクア君。フローエ君とマルタン君たちっぽいけれど」
「ええ。フローエが居るならば。その日は私が大聖堂に居ますからココシュカも連れて行ってあげてくださいね」
朗らかに告げるシルクァーレにアレクシアは「だって」と悪戯めかしてフローエを見た。
「まあ! 嬉しいですわ。それでは早速用意をしますわね。マルタンと、末の子供ではありますけれどルネもよろしいかしら」
「勿論! フローエ君が私を招いてくれるんだから」
アレクシアが笑えば彼女はココシュカにも伝えてくるとうきうきとした調子で走り出した。
その背を見送ってからアレクシアがふわりと笑ってシルクァーレを見る。
「……ずっと、こうやって続いていくといいね」
「続いていくわよ。アレクシア。あなたがどんな存在になったって。
……触れる事だって出来る。いつだってあなたに会える。そんなあなたを誰もが忘れないようにあのおとぎ話があるのよ」
「そうだね。うーん、そう思うと、時々はみんなの前に来なくっちゃ」
シルクァーレがアレクシアを呼び出して茶会の席を設けるのも、自分が死した後に彼女がさみしくはないように、だ。
寝坊助のファルカウだけではない。もっとアルティオ=エルムの人々がこの大精霊を慈しみ愛してくれればそれ良いと、シルクァーレはそう願っている。
「ああ、そうだわ。アレクシア、お願いがあるの」
「ん?」
「この本はね、少しばかり私は満足できていなくって。
記述を一文足したいの。アレクシアの力を借りても良い?」
「え? うん、勿論」
「でも、ごめんなさい。最後は貴女の名前をしっかり残したい。
これはアンテローゼの書架に仕舞い込んでおくものだから外には出ないから許してくれる?」
「……うん、もちろんだよ。ありがとう。ルクア君」
「いいえ、私だって貴女に救われたの。だから、貴女をずっと覚えていない。それが私にできる事だとそう思うから」
シルクァーレはそっと一冊の本をアレクシアへと差し出した。美しい森の魔女の物語。ただ、誰かを愛し慈しんできた証としての物語。
そうして、森の魔女は森の大精霊になりました。
私たちは彼女と共に一緒に生きていくのです。誰もが幸せに笑いあえるような世界を。
「また、逢おうね。何処に居たって、私はあなた達のことが大好きだよ」
――アレクシア・アトリー・アバークロンビー。森の魔女。
- アレクシア完了
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- テーマ『これからの話をしよう』
・アレクシア(p3p004630)

