PandoraPartyProject

SS詳細

愛すべき君の話

登場人物一覧

イルダーナ・コンフィズリー(p3n000094)
凜なる刃
リンツァトルテ・コンフィズリー(p3n000104)
正義の騎士
カロル・ヴァークライト(p3n000336)
普通の少女
スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
ネメシス聖王

 天義の夜は深まり、柔らかな春風が吹く頃だった。
「ど、どどどど、どうしよう。どうしよう! どうしよう!」
「うーん、もう覚悟完了するしかないんじゃないかな?」
 スティア・エイル・ヴァークライトの眼前には青い顔をした娘が一人立っていた。
 眩い金の髪は癖があるのかふんわりと広がっている。丁寧に梳かしてはあるが落ち着くことを知らないその髪は所々がぴょこりと跳ねている。
 それを手で押さえながらも涙を浮かべている桃色の瞳がスティアをじっと見つめている。
「覚悟完了できない!」
「覚悟しないと、がんばろう! イルちゃん!」
「で、できない! できない!」
 何度も駄々をこねるように首を振る彼女、イルダーナ・ミュラトールにスティアは可笑しそうに笑った。
 天義と呼ばれる正義の国に生まれ、母は由緒正しき天義貴族の家系でありながらも父と手を取り合って駆け落ちをしたという経歴より平民として過ごしてきた娘はその生育環境としては決して知り合う事もなかっただろう存在をその双眸に映している。
 何せ、スティア・エイル・ヴァークライトは今やネメシス教王と呼ばれる立場なのである。
 聖女とまでも謳われた彼女は先代ともはや呼ぶしかあるまいフェネスト・ロッド・フォン六世が押し切られて退位寿退社することとなった際に、継位を提案されたのだ。
 それを受諾した彼女は天義国の教皇にして国王そのものなのだ。
 そう、通常ならばこのような場所に居る訳がない存在だ。
 彼女の傍に控えている聖女ルルは神聖ヴァークライト帝国と揶揄う程に、気安い教皇は婚姻を控えた騎士の娘の傍で励まし続けているのだ。
「イルちゃんならできるよ」
 それはスティアがであったころから懇意にしてきた騎士の娘を親友とも呼べるような間柄として慈しんでいるからというのも理由の一つだろう。
「で、できない」
「できる、できる!」
 ――それに、だ。スティアは彼女の恋を応援してきたのだ。
 イルダーナがと旅人であった父の名を名乗っていた頃から、ずっと、ずっと、恋をしていた事を知っていた。
 真っ直ぐな心根に、理想と正義に燃えた純真無垢な少女をスティアは愛おしいとさえ思っていた。大切な友人だ。幸せになって欲しい人でもある。
「イルちゃんなら、大丈夫だからね」
 だからこそ、イルダーナがとして、戦場に出る際に名乗るようになった新たな名を呼ぶことはない。
 何時まで経っても、聖騎士と教皇などではなく、イルちゃんとスティアなのだ。
「イルちゃんはね、とってもかわいい女の子なんだよ。まあ、負けず嫌いだし頭でっかちだし、あわてんぼうだけど」
「スティアには言われたくないな……」
「ががーん!」
「スティアだって、あわてんぼうだし、勢い良すぎるし、それこそ、何だって前のめりだろ」
 拗ねた様子で言うイルダーナにスティアは楽しげに笑った。ほら、こうやっていれば何時だって彼女はと変わりはない。
 長命種であるスティアにとってはまだまだ途方もない時間の欠片でしかないが、イルダーナはそうではない。彼女は順当に時を歩んで大人になった。
 それこそ、スティアが教皇となる際にはそばで支えると言い出してしまう程度に、彼女は研鑽を積み上げて大人になったのだ。
 けれど、スティアはそれを断った。「イルちゃんにはイルちゃんがやるべきことがあるし、私のサポートの騎士はもう決めてあるから」と。
 そのサポートの騎士と言うのが、イルダーナの悩みの種そのものだった。
「か、髪の毛もやっぱいつもふわっふわしてまとまらないし」
「うんうん」
「ド、ドレスとか、着るために頑張ったけど、傷とかいろいろあって、恥ずかしいし」
「それは名誉だよ」
「そ、それに、眠れそうにないし」
「寝不足はだめだね?」
 ――そう、彼女は婚姻を控えている。
 天義貴族ミュラトールが彼女を実子として迎え入れ、しばらく経っての事だ。
 教皇の友人と言うお墨付きをも得てしまったイルダーナが聖騎士として活動をしている中で一つの婚姻の申し入れがあった。
 それは彼女がずっと恋に焦がれて生きて来た相手からである。元々、戦場で愛を叫んでしまったような間柄だ。寧ろ、そうまでしてしまった貴族令嬢を娶らないという選択肢はなかっただろう。
 つまり、イルダーナから見ればを彼がしてくれただけのようなものであり、混沌世界が平和になった段階で色々とうやむやに出来てしまったのではないかと言う奇妙な心配事だって湧いてくるほどの事でもあったのだが。
「リンツさんは色々とめんどくさそうだけれど大丈夫だよ。イルちゃんのこと、大事にしてくれるし可愛いと思ってるよ」
「ううう……」
 元々は不正義として断罪された家門コンフィズリーは再興し、今やスティア指名の教皇付きの聖騎士としてレオパルの傍に控えている青年。
 リンツァトルテ・コンフィズリーからの婚姻だ。
 イルダーナにとっては長年恋焦がれた相手である。それに、恋人のような関係性ではあるとは言われていたがそれ程近しい距離間で過ごしてきたという自覚もない。
「う、うううう……」
「大丈夫、大丈夫」
 それだけの時間、忙殺されてきた。それこそ、不正義だとし没落した家門を背負いながらも苦心して日々を過ごしてきたリンツァトルテが恋にかまける暇はないとでも言いたげな程に。スティアもイルダーナもそれを否定してはいない。どれだけコンフィズリーが不遇を背負って来たのかを知っていたからだ。
「大丈夫だからね」
 もう、落ち着いた頃だろうと婚姻の話が降って湧いた。
 ミュラトール家は突然湧いて出て来た娘の恋人が聖騎士であるというだけではなく、正式な婚姻の申し込みまで来たと喜びに溢れ、すぐ様に娘を差し出すことに決めた。
 元々、否かったも同然の娘だ。それに、女でありながら聖騎士として明日も知れぬ身であったのだから、そのような扱いを受けたって致し方はあるまい。
「大丈夫」
 スティアは繰り返すようにイルダーナにそう言い聞かせた。
 きっと、当人たちなど知らぬ間に婚姻の話も、日取りも、何もかもがポンポンと進んだのだ。
 ――いや、リンツァトルテは当主である以上、口出しはしていただろうが、イルダーナにとっては何も知らぬ間に始まった婚姻だったのかもしれない。
「……スティアに、一つだけ聞いてもいいか?」
「んー? 何かなあ」
「私、かわいい?」
 家門がどうか、世間体が云々、政治がどうだ、そんなことなんて知らぬ顔をして、彼女は当たり前のようにを聞くのだ。
 だからこそ、スティアはイルダーナが愛おしい。
 何時だって、真っ直ぐな女の子。掛け替えもない、自分が誰だって、何だって関係はなく等身大に接してくれる女の子。
「勿論、かわいいよ!」

 当日の朝、スティアは聖女として立会人となる事になっていた。
 と、言えども自身の準備にだけ構っていられるような状況ではなかったのは確かだ。
 寝起き早々に「どうしようどうしよう」と昨晩と同様の泣き言を繰り返すイルダーナを引っ張り出して、風呂へと叩きこむ。
 ミュラトールの使用人ではなく、ヴァークライト家から使用人を連れてきて丁寧に彼女の準備を整えた。
 不安と困惑をその双眸に浮かべ続けるイルダーナの泣き言を払い除けるように丁寧に丁寧に準備を整えて「また後でね」とスティアは手を振った。
 外に出てから、次に向かったのは新郎の控室だ。ノック数度と返答を待ってから顔を出すスティアを見てから、室内に居た青年はゆっくりと立ち上がり背筋を伸ばした。
「猊下。朝早くから」
「猊下って呼ぶのいやかもしれないね」
「……そう言われても困るな。教皇猊下?」
「意地悪で言ってるでしょ? リンツさん」
 リンツァトルテ・コンフィズリーは小さく笑った。初めてであった頃と比べると随分と表情も柔らかくなったものである。
 漆黒の髪と瞳。実直そうな青年はスティアを見てから肩を竦め「イルは?」と問い掛ける。
「随分と大騒ぎって感じだよ。リンツさんが不器用だからイルちゃんが不安がるんだから!」
「……申し訳ないとは思っている、のだが、俺はもともとこんなものだから」
「そうだよね。イルちゃん、あ~んなにリンツさんの事大好きだったのに気が付かない程だったしね」
「……いや、もうそう言われると」
「あはは、意地悪に来たんじゃないんだよ。様子を伺いに来ただけ。昨日からね、ずっとイルちゃんと一緒に居たから。
 イルちゃんが、不安だったり、困ったり、そういう表情をしてるけれど、今のリンツさんを見ていたら大丈夫だなあって安心しちゃった」
 スティアをじっと見つめるリンツァトルテは「それならよかった」と肩を竦める。
 普段ならば教皇と聖騎士そのものだ。猊下と呼ぶのは彼女の立場をよくよく理解しているリンツァトルテらしい真面目さであったのだろう。
「スティア」
 穏やかにリンツァトルテがスティアを呼んだ。それでも、今は友人として彼はスティアに向き合う事に決めたのか。
「ありがとう。色々と……心配をかけたとは思っている」
「ふふ、ほんとにね」
 スティアは肩を竦めてから彼を見た。リンツァトルテは少々困ったような顔をして「本当に、いろいろと」と呟く。
「……コンフィズリーの家として、イルを迎え入れる事が出来たのはスティアたちの協力もあっての事だとは思う。
 元々、彼女は家門など気にしていないような性格だったが、俺はそうじゃなかった。不正義の家門と呼ばれていては誰かを受け入れるのもとも考えていたし、この家門を存続させねばならないとも、そう思っていた」
「そうだね。私たちは貴族だから」
「ああ……だから、俺はコンフィズリーを背負って生きていくならば、それこそ一人でもよいと思っていたし。
 頃合いが良い頃にアドラステイアなどの孤児を受け入れて、コンフィズリーを継いでもらうという事だって考えていたんだ」
「うん、後継ぎが必要だったね」
と思っていた。この身に流れる血が不正義ならば、せめて名だけでも残せたら、と。
 ……俺が勝手に色々と考えていたんだ。コンフィズリーを護り抜くために何が必要だろうか、とずっと、ずっと」
「うん……」
「イルが、あの子がただの騎士見習いであった時に、コンフィズリーという家に対して不正義って何だろうと疑問をぶつけて来た時に不思議な子だとは思っていた。
 ある意味、救われていたのかもしれないな。
 それに、ミュラトールの血筋の令嬢であったとしても、不義理を働いた女の子だと彼女の立場が悪くなる時に俺はきっと力になれないと――」
「それは、不正義の家門だから」
「ああ、そうだ。コンフィズリーはだというレッテルが張られていたから。
 まさかそんな不正義何て物を払しょくして教皇猊下にまでなってしまう聖女が現れたんだから、もうそんなことも言われなくなったが」
「ふふー、教皇猊下のお友達って言ってイルちゃんはすっごい大事にしてもらいました」
 立場って使いようだよね、とスティアは楽しげに笑う。リンツァトルテは緩やかに頷いてから「スティアが居て良かった」とそう言った。
「イルを護ってくれてありがとう」
「これからは、リンツさんがするんだよ」
「……上手くできるかは分からないな。何せ、俺は不器用なようだから」
 スティアはたまらず笑った。本当に不器用な人なのだ。
 どれだけイルダーナが愛していると叫ぼうと、彼はそれにこたえるために踏み出す勇気の一つさえ持てやしないのだから。
 愛しているだとか、大切だとか、死んでほしくないだとか、そんな愛の言葉を吐き出してくれる娘の一人も幸せにできないならば聖騎士なんてやめてしまえとスティアはその背を蹴り倒すのだろう。
「大丈夫だよ。今はこの国の教義である私が居るんだから。
 二人は絶対に幸せになる。聖女の加護だってあげちゃう? ルルちゃんと一緒にお祈りしたっていいよ?」
「それは……何かあった時に、恐ろしそうだから」
「あ~、確かに?」
 執念深い加護になりそうだと思わず笑って見せたスティアにリンツァトルテはもう一度肩を竦めた。
 ――彼女を大切にしようとは思っている。幸せにしたいとも願っている。愛していると手を伸ばす事だって、きっとできる。
 愛も、恋も、何もかも。長年培ってきたものだ。今更そんなものがなかったなんて言い出す輩は何処にもいない。
「リンツさん、私の友達を大事にしてね」
「ああ、承った」
 彼女が、幸せだと笑ってくれることだけがスティアにとってなによりも、掛け替えのない、なのだ。

 先輩。
 先輩の事、大好きです。ずっと、ずっと、大好きだった。

 そう言いながら駆けずり回ってここまで来た。道ならぬ恋だった。叶わなくっても良いとさえ思っていた。
 愛する人が、自分を愛してくれなくってもそれでよかった。ただ、あなたが生きてさえいてくれたならば全てが救われる気がしたのだ。
 だからこそ、叶いっこないと諦めていた恋の果てが、これだっただなんて。
 イルダーナは息を吐く。純白のドレスも、桃色の薔薇も。何もかも、自分の為に用意された今日と言う晴れの日の衣装だ。
 その身から香ったバラの香りも、大丈夫だと背に充ててくれた優しい掌も。全部が全部、覚悟を決める時が来てしまった。
「……う、ぐぐ」
 呻いた。新婦とは思えぬほどの、情けない声だった。
 可愛いかな、なんて問うてしまう程に自分はまだまだ子供だった。
 大人にはなりきれやしないような。そんな自分がまだそこには立っていた。
 騎士見習いとして初めて彼を見た時から、きっと、好きだった。暗い表情をして、復讐に燃えているかのようなその姿が印象的だったのだ。
 あの黒い瞳はじっと何もかもを見通すようであったから。
 この国に存在した苦しみや悲しみだって、何もかもを取り払ってやると決めたあの瞳は何処までも暗かった。
 暗く、自身が悲しみの淵にあったとしたって、それでも生きて、生きて、足掻いていてくれた。
 生きて足掻いた彼の在り方が、衝撃だった。赫赫と燃え盛る炎その物で、強く、イルダーナの視線を釘付けにしてしまったのだ。
 少しでも彼の瞳に映りたくって努力をした。ただ、どんな理由があったとしても、自らの志に向かって真っすぐに進んでいくその背中に憧れたのだろう。
(先輩、リンツァトルテ先輩)
 繰り返し、繰り返し。その名前を呼んで来た。
 追いかけて、追いかけて。転んだって何度だって歯を食いしばって走って行った。
 スティアと出会った頃、天義というその国に溢れかえった死の海を越えて進んだとその時に、彼は遠い人のように感じていた。
 愛するべき隣人たちと共に英雄のように駆けて行ってしまったあの背中はどれ程に遠かっただろう。
 自分は、ただの見習いで。彼に恋をしているだけの馬鹿げた一人で。きっと、どこにだってそう言う人間は居ただろう。
 たくさんの人たちが彼を愛したはずだ。英雄然としたその姿を見てと、その声が立ち上がった時に彼に擦り寄る人間は数多くいた。
 あの人が、只の不正義から、没落貴族から、英雄となってしまった時に、遠ざかった背中が悲しかった。
(リンツァトルテ先輩)
 私はただの子供で、彼は英雄になってしまった。
 特異運命座標たちと共に駆けてゆくだけの信念がそこにあったのだと気が付いた時、無性に物悲しくもあった。
 私には、何も追いつけないものがそこにあるような気がしてならなかったからだ。
 だからこそ、がむしゃらに努力をした。あの人の傍に居たかった。それは、スティアたちの傍に居る事と一緒だった。
 彼女たちに追いつきたくて努力を重ねて来た。母の呪いのように家を見返せと言われ続けていたそんな目標何て忘れてしまう程に友の傍に居たかった。
 友達の傍に居たかった、などと言いながらその傍に立っていたかったのだ。あの人が自分を愛してくれることばかりをずっと、ずっと考えていたから。
(……先輩)
 あの人に、その中の一人だと思われたくなかった。だから、ずっとずっと、努力をした。
 後ろを引っ付いて回ってくるただの後輩で良かった。この人が、自分の抱いた目標に向けて、一歩、一歩進んでいってくれるなら、何だってよかった。
 
 日常の中に溶け込んでしまっても良いと思っていた。
 
 彼が他の誰かを愛しても良いと思っていた。そうして、幸せにさえなってくれたら。
 
 無理ばかりをして、名を上げてコンフィズリーを世に知らしめようとするあなたが、生きていてくれたらそれで良かった。

 ――イルちゃんは、それでいい?

 何時だってスティアが傍にいて、そうやって聞いてくれたのだ。彼が好きだという子供のような感情に答えを探すようにして笑ってくれた。
 親友のような、ひとだった。それでも、イルダーナにとっては遠い遠い背中の一つだった。

 ――イルちゃんは、リンツさんを見ているだけでいいの?

 厭だと叫んだって変わらない現実があると思っていた。それでも、こうして今、この時が来た。
 
 ずっと、ずっと、ずっと、その感情は変わらなかった。
 扉がゆっくりと開かれる。顔を上げたイルの視線の先には微笑むスティアと、最愛の人がいる。
 先輩と、唇が自然に動いた。
「イル」
 呼ぶその声が心地よくて、イルダーナは一歩ずつ踏み出していく。
 ドレスの裾を踏んで転んでしまわないかな、なんて心配した昨晩の事を思い出す。
 かわいいかな、なんて泣き出してしまいそうだったあの夜のことを今は笑いたくもなってしまった。

 ――イルちゃんは、可愛いよ。

 何時だって褒めてくれるあの人が教皇になって、自分の後ろ盾になってくれた。そんな有難い事はない。
 傍にいたのはそんなことを期待していたからじゃない。ただ、スティアという友人をイルダーナは大切にしていた。愛していた。かけがえのない存在だと、そう思っていた。

 ――だから、大丈夫。大丈夫だよ。イルちゃん。

 あの人がそう言うのだから、自分はきっと大丈夫だ。
 リンツァトルテの前に立ってから、イルはゆるやかに顔を上げた。視線の先に愛おしい人がいる。
 穏やかな微笑みに、いつもと変わる事のない真面目な空気。曲がった事なんて嫌いな彼がじっとイルダーナを見ている。
「イル、綺麗だ」
「……えへへ」
 彼の精一杯がそこにある気がして、イルダーナは笑みを浮かべた。
 こんなにも真面目で、何時だって曲がった事が大嫌いな人なのだ。愛の言葉何て吐き出せるわけがない事だって知っていたこの人が、そうやって笑ってくれた。
 ゆるく、視線を送ればスティアがにんまりと笑っている。聖女と呼ばれた彼女から感じられたその空気が確かなもので、イルダーナは一度目を伏せった。

「イルダーナ・ミュラトール」

 スティアが静かに名を呼んだ。イルダーナは顔を上げ、一度、頷く。

「リンツァトルテ・コンフィズリー」

 スティアが彼の名を呼んだ。イルダーナにとって、生涯忘れる事なんてできない愛おしい彼の名前を。
 彼の瞳に映りこんだ自分を眺めてからイルダーナは笑うのだ。
 スティアは滞りもなく式を進行していく。彼女の柔らかな声が、聞こえている。
 この国の最高位が祝福を与えてくれている。その誉れなど――彼女の友人として、きっと後で笑われてしまうけれど――どうだってよくなってしまう程の幸せがその体を包み込む。

 リンツァトルテ先輩。
 生きていてくれたことが何よりも嬉しい。
 ただ、そこで息をしているだけでも私にとっては何にも代えられない程の誉れであったのに。
 そうやって、私を見ていてくれる。
 あなたが、そこに居てくれるだけで幸せだ。


PAGETOPPAGEBOTTOM