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バザールであなたと。
登場人物一覧
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依頼集合場所は、バザールの入り口。ラクダがたくさん。ヒトの往来もたくさん。他国からやってきた者もたくさんで、ローレットの旗がなければ迷子になること間違いなし。
例によって、身支度もそこそこの時間ギリギリに駆け込んできたヴァレーリヤと巻き添えを食ったミラーカが待っていたのは、仲間ではなく、胡散臭いと評判の情報屋だった。
「ごめんねー。状況のわりに情報精度が低すぎたからおかしいなと思ってね。裏が取れてさ。この件、依頼人の自作自演だったんだよ」
情報屋は依頼の質にも気を配ります。
「『依頼人都合のキャンセル』ってことで、これ、迷惑料。ここにサイン。せっかくここまで来たんだから、遊んで行ったらどうかな?」
ここまでの経費と迷惑料の相場とたっぷり一日遊べるだけの上乗せ。
これで全員に知らせた。と、情報屋は人ごみに紛れてしまった。
予定が空いてしまった。ここは、傭兵国家。赤い砂漠。サンド・バザールを軽く見るだけでも一日では足りない。たまたま空いた時間をつぶすには十分だ。
「ねえミラーカ、もし良かったらこの後一緒に遊びに行きませんこと? 折角来たのだから、貴女と回ってみたいのだけれど」
ヴァレーリヤは、パチンと片目をつぶって見せた。
「そうね」
ミラーカは口元に手をあてて黙り込んだ。その下がフニフニと柔らかく動いているのは自分でもわかった。自分でどう誘ったら恰好がつくかと思っていたので、不意のお誘いは嬉しい予想外だった。
「――仕方ないわね、どうせ暇だから付き合ってあげるわ!」
語尾の跳ね上がり具合と、上がってしまう口角をなだめる下まぶたの柔らかい曲線でバレバレだ。
「では、善は急げですわ」
ヴァレーリヤはするりとミラーカの指を絡めると、小走りでバザールの人波に飛び込んだ。
乾燥した空気。嗅ぎ慣れない甘くもったりとした香料とスパイスの匂い。水煙草の煙。とりどりの被り布をかぶって歩く女達。
「ちょっと引っ張らないでよ!?」
「日が暮れてしまいますわよ? バザールは広いのですから」
早く早く。と、すでに露店に頭を半分突っ込んでいるヴァレーリヤに、ミラーカはほう。と、吐息を漏らした。
「迷子になったら困るから。 ここはとても広いから、探す手間がもったいないし――」と、自分に言い訳しつつ、ヴァレーリヤの手を握り直し、横に並んで品物に目を向けた。
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ラサの商人は商売上手だ。
物を買うのではなく、雰囲気を楽しもうとしている二人の手にもこまごまとしたものがいくつかぶら下がっている。
強い日差しは紙を傷めるし、飛んでくる砂は紙や肌を傷めると進められた被り布やら、日焼け止めやら、香油やら。
熱に浮かされた買い物から我に返って、してやられたという顔をするミラーカをヴァレーリヤはどんどん連れまわす。
「この絨毯、すごい模様ですわねー! 手織り……ですわよね。どれくらい時間がかかったのかしら」
はわぁ。と、ヴァレーリヤは感嘆の声を上げた。
「糸の一本一本が魔法陣みたいに緻密で繊細ね。織ったのはきっと女性ね、素晴らしい魔女だわ」
模様の細やかな絨毯ほど糸と糸の間が狭い。そこに入る細い指を持った魔女見習の年端もいかぬ女児達が魔力錬成の修行として年何位の時間を費やすのだ。絨毯が織れないほど成長するまで絨毯を仕上げられなければ魔女としての才能なしとして脱落する。
「つまり、この素晴らしい絨毯を仕上げた女の子は、そっちのお嬢さんが言う通り立派な魔女になってるという訳さ」
露天商が面白おかしく説明するのに、ミラーカは、ね?と、得意げな顔をする。
当然、お値段も法外。うっかりワインなどこぼした日には涙が止まらなくなる代物だ。
「あら」
ヴァレーリヤの視界の隅にできらりと光るものがあった。
とりどりの金属線をよじって作った装身具だ。
「あっ、あの髪飾りも素敵! ミラーカの金色の髪にピッタリではありませんこと? ちょっと着けてみて下さいまし!」
赤い鎖が絡まるような意匠の髪飾り。この地方特有の髪と被り布を一緒に留めるものだ。
露天商がいい感じにミラーカの髪に留め、ヴァレーリヤに鏡を差し出した。ラサの商人は商売上手だ。。
「どうかしら……?」
ヴァレーリヤが胸元に捧げ持った鏡をのぞき込み、やや不安げに上目遣いで聞く。
揺らめく飾りの赤いきらめきがが照り映えし、ミラーカの髪のつやが際立って見えた。
「思ったとおり。お似合いですわ!」
ヴァレーリヤは、にっこり笑った。その瞬間、ミラーカの腰がぐっと沿った。身長伸びた。
「お勧めしたんだから貴女が買ってよね!」
言った瞬間、自分でも無茶振りっぽく聞こえた脊髄反射でやってしまったものはしょうがない。
「――代わりに……これなんてどうかしら。似合うと思うのだけれど」
ヴァレーリヤの赤い髪に映える金と白の髪飾り。
やってしまったのを埋め合わせをするというか、はじめからこういう感じにするつもりだったとわかってもらえたら幸いというか。
透かし模様でラサの砂丘を意匠してある。ヴァレーリアがつけると砂漠の夕映えのようだった。
「では、お包みしましょうね」
ラサの商人は商売上手だ。
金髪に赤、赤髪に金、色を交換するように互いに贈り合った。
砂ナツメに羊の串焼き。乳は煮て果物の汁を垂らして固める。喉が渇いたら、切られたスイカやメロンにかぶりつく。
食べ物の匂いに空腹を刺激され、あれやこれやとつまんではいたが、そろそろ足がだるい。
「そういえば、そろそろ夕食の時間ですわね…ミラーカは何か食べたいものはありまして?」
「そうね、休憩がてら座って食べたいわね。ラサの食べ物はあまり詳しくないのだけれど――」
客引きに聞く? 女二人に客引き。面倒な香りがプンプンする。
「ねえ見て、あの行列。きっとすごく美味しいに違いありませんわ。行ってみましょう!」
困ったときは地元民の動きを参考にすべし。ヴァレーリヤは民衆を信じた。
「ほらほら早くー!」
もう、ヴァレーリヤはミラーカの手を引っ張るのが当たり前になっている。
「人間って何故行列に惹かれてしまうのかしらね」
死なばもろとも。自分だけが痛い目を見るのはごめんだし。他人だけおいしい思いをするのも腹立たしい。ああ、衆生を許したまえ、神よ。私も衆生と共に参ります。
「全く、しょうがないわね。ああもう、だから引っ張らないでってば!?」
そう言いながら、あとをついていくミラーカの頬がバラ色なのは何も熱中症だからという訳ではない。
実際、とりどりの具を野菜と一緒に平たい小麦のパンでくるんで食べる料理はおいしかった。少しからい料理は最高にのど越しのいい酒に合った。程よいところでミラーカがコップの中身を水に変えた。
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食べ終わっても、まだ日は沈んでいなかった。
宿に戻って、明日は来た道を戻る旅の始まりだ。こんにちは、野営食。
「ふふ、お陰様でとっても楽しかったですわー! 付き合ってくれてありがとう! また一緒にどこかに行きましょうね!」
ほろ酔いのヴァレーリヤの声は華やいでいる。
「まぁまぁ、悪くなかったわね」
悪くなかったどころか、いつ日が暮れたかわからないほど目まぐるしかった。時間を忘れて――とは、こういうことなのだ。
「また時間が空いたら付き合ってあげなくもないわ。貴女と……ヴァリューシャといると、暇はしないみたいだし」
ミラーカの呼び方が愛称に変わったのを、ヴァレーリヤは気が付いているだろうか。
そっぽを向いてしまったので、今、ヴァレーリヤがどんな顔をしているのかミラーカにはわからない。腕を組んでしまったのも失敗だったかもしれない。これでは手をつないでもらえない。というか、手も足も出ない。
耳の辺りが温かいのは差し込んでくる夕日が当たっているからであってほしい。
「――うふふぅ」
ヴァレーリヤは笑っている。
こんな時に限って、時間ときたら進むのをやめてしまうのだ。