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慧と百華の話~幸福論~

登場人物一覧

八重 慧(p3p008813)
歪角ノ夜叉
八重 慧の関係者
→ イラスト

 完璧だ。慧は自画自賛した。
 山を借景にした庭の、紫陽花咲き誇る一角。咲き誇るとの言葉に違わず、色とりどりに豪華絢爛。特に中央の珍種のたたずまいは女王とも評されよう。これなら、と慧は思う。主さんに見せても恥ずかしくない、と。
 慧の主人で恋人、百華は近い将来、領主として立つ御方だ。そんな方の庭がしょぼくれているのはいただけない。雑用係兼庭師の慧は、春夏秋冬、心を砕いて庭を作ってきた。出入りの植木屋に頭を下げて、植物の世話を教えてもらったのを、昨日のことのように思い出せる。ちょうどこんなふうに空がすっきり青くて天の高いところから鳥の歌声が降ってくる、気持ちの良い日だった。
 ローレットの依頼に出るようになってからは、庭の方は半分丁稚たちに任せていたので、慧が心ゆくまで庭を整えるのは久しぶりだ。無駄な葉を取り、枝を間引き、無駄をなくしつつも植物の力を損ねぬよう、そして空間へ余韻が残るよう、庭の世話へ慧は没頭した。特にこの紫陽花の一角は、百華のお気に入りなものだから、特に手をかけた。慧は心地よい疲れを感じ、ふっと横を見た。
「わあっ!」
「えっ、ごめん、驚かせちゃった?」
「いつのまにか忍び寄るのは観念してくださいよ主さん」
「えへへ~」
 にんまりと笑う百華に悪気はない。この笑顔がくせ者だ。なにせなんでも許してしまいたくなるのだから。心がふやけそうになるのを、慧は頭をガシガシかいて気を紛らわす。
「けーちゃんがなんか一生懸命やってるから見学してた」
「ちょうど終わったところっす」
 無用な雑草をちりとりへ放り投げ、慧は百華と視線を合わせた。大きな、きれいな瞳。優しいだけでなく、ときに叱咤してくれる瞳。
(この人に守られて、俺はここへ帰ってこれたんだ)
 あらためて自覚する、百華への思いを。
「百華さん」
 慧は手を伸ばした。こんなことをするたびに、以前は顔を真赤にしていたものだけれど、もうその季節は過ぎている。百華は何も言わず片手を慧に預けた。
「庭を見に行きませんか」
 小さく頷く百華を補助するように、慧は歩き出す。正門の近くに植えた大きな松が見えてきた。
「この松の木、そろそろ百年超えるっす」
「たしかひいじいちゃんの代に植えたんだっけ」
「子供の頃、百華さんが勝手に登ってしょっちゅう怒られてましたね」
「だってあんな曲がりくねってたらさあ、登ってみたくなるじゃん。上からは屋敷に来る人みんなの顔が見えてね、おーいって挨拶するとみんなペコリ、ペコリって会釈を返してくれるの。あれがおもしろくって、つい登っちゃうんだよね~」
「もうしないでくださいね。落っこちたらと思うと肝が縮み上がるんすから」
「はいはーい、わかってるよ」
 思い出をなぞるように、ふたりは庭を見ていく。きゃらきゃらと笑う百花の周りに星が散って見える。キラキラ輝く美しい星だ。慧にしか見えない星だ。恋し焦がれるものだけが見える光だ。慧は百華を抱きしめそうになり、自制した。つきあっているとはいえ、主従の身分。口さがない人たちからの視線が痛い。いつかきっと、悲しいおわかれの日がやってくる。……そうなる気がする。
(いや……)
 慧は唇を噛んだ。百華を握る手が熱い。
(それでも、俺は言いたい)
 どんな結果になるとしても、どんな未来が待ち受けているとしても。
「けーちゃん?」
「はい」
「どうしたの、黙りこくっちゃって」
「あ……」
 なんでもないですとぐじゅぐじゅ口の中で言うと、慧は自分たちが紫陽花の前にいることに気づいた。拾ってもらったその日も、この花は咲き誇っていた。あの日見た花畑を忘れない。
 百華が口を開ける。
「あのさ、じつはさ」
「はい」
「ずーと、自信なかったんだよね」
「なにがっすか?」
「信じてはいたけど……」
 慧を見上げていた百華が急にうなだれた。声が震えている。ぽたと音を立てたは涙か。
「……帰ってきてくれて、本当に良かった」
 百華の手がふるえている。慧は突然気づいた。自分だけが戦っていたのではないと。あの戦いは、混沌全土の人々の戦いだった。逝く者、送る者。立つ者、待つ者。誰もが等しく元凶を打ち破るべく動いた。そして百華もまた、戦っていた。慧を失うかもしれないという未来と。それに気づいた途端、言いようもない幸福感が押し寄せてきて、慧もしぜんと目元が濡れた。
「俺も、帰ってこられてよかったっす」
 百華の手を慧の両手が包む。
「またこうやって、なんでもない毎日が過ごせる」
「うん、うん……!」
 百華の手が、慧の両手に重ねられる。
「主さん、いや、百華さん」
「うん」
「俺といると苦労しますよ」
「うん」
「俺は獄人だし、身分差だってあるし、子どものことを考えると悩まざるをえないっす」
「……うん」
 百華が顔をあげた。涙まみれで、化粧が崩れている。けれどもそれをきれいだと慧は思った。
「でも、いっしょがいい。いっしょにいたい。もう俺は百華さんなしじゃやってられない。つらいこといっぱいあるだろうけれど、それでも来年も再来年も、ずっとずっと百華さんといっしょに紫陽花をみたい!」
「けーちゃん」
 百華がまばたきをした。涙の粒がまつげから跳んでちりりと光って消えた。
「待ってた。その言葉を、ずっと。けーちゃんに言ってほしかったから、待ってた」
「百華さん?」
「ひゃっほー! 私の勝ち! 私の勝ち! とうとう言わせた、言質取った! 言質とったからー!」
 泣いたカラスがもう笑った。百華はしばらく高笑いをし、大いにむせてハンカチで目元を押さえしゃがみこんだ。
「百華さん、だいじょうぶっすか?」
「うん。いや、ううん」
「だいじょうぶじゃない?」
「そう。私もね、けーちゃんいないとだめって気づいた。けーちゃんはずーっとそばにいてくれてそれが当たり前だって思ってた自分に気づいた」
「そうっすか。なら俺は長生きしないとっすね」
「長生きして、私のとなりで」
「毎朝起こしてあげますよ。百華さんはねぼすけだから」
「うん、お願い」
「掃除も洗濯もやるし部屋の室礼もやっときます。百華さんに二足のわらじ履かせたくないっすから」
「そう? 私は履く気まんまんなんだけどなあ。私だって、色々準備してるよ。なんで海辺の領地任せてたと思う?」
「え?」
「嫁ぎ先がシマを持ってたら箔もつくってもんでしょ」
「あ、あえ? えー、そんな理由だったんすか!?」
「そりゃそうよ。後ろ盾がないならつけるまでよ」
「お、俺はてっきり手伝いで……」
「手伝いでもなんでもやりきってみせたんだから胸を張りなよ。知ってる? 見回りの監査官も大したもんだって言ってたこと。執政官も善良な働き者で、けーちゃんは人を見る目もいいって」
 にっこりした百華が慧へ飛びつく。
「私だって、逃がすつもりはないからね!」
 言われてみれば最近周りからのチクチク言葉が減ってきたような……。慧は観念した。この人には一生叶わないと。
「俺が、俺らしく生きられるよう、根回ししてくれたんすね」
「下心もあったけどね。けーちゃんずーっと針の筵にいたじゃない? 私はそれが不満だったの。だからこれからはふかふかのおざぶに座って、いろんなとこいって、いーっぱい楽しいことして、おっきな家族になろうね!」
「家族」
 口に出してみると、体温が上がるのがわかった。家族、そんなもの縁がなかった。知らなかったから、わからなかったから、主従という関係だけは理解できたから、ずっとそこにいたいと考えていた。でもだけど、そのさらに先まで、この人と、百華と、いっしょにいけるのなら。
「百華さん」
「なに、けーちゃん」
「好きです。俺と夫婦になってください」
 ぽんっと音がしそうな勢いで、百華は赤くなる。
「も、もちろん、です、ひゃい。は、はい!」
「百華さん、緊張しすぎっすよ」
「だってそんなドストレートに来るなんて思わなかったもん、けーちゃんが!」
 百華の反応に慧も口角を上げる。
「思ったことを言葉にしただけっすけど。俺、いままでどんなヘタレだと思われてたんすかね」
「まあちょっとはね……」
「わあ、そこ肯定されると傷つくっすね~」
「火の玉ストレートは私が投げるつもりでいたのにな」
「そこはほら、俺も男ですし、決めたいところがあるというか」
 などと言い合いながら、ふたりはようやく紫陽花へ顔を向けた。
「慧ちゃん、ちょっとそこに立ってて」
 百華が三歩ほど下がり、手で窓をつくった。百華からは、ちょうど慧が紫陽花のとなりに立っている姿が見えているはずだ。
「いーい景色だねえ」
 自分のことを言われているとさしもの慧も気づいた。軽く手を上げ、百華の戯れに応える。
「絶景かな、絶景かな。うるりはかなき花色の、横に立ちたる男ぶり、はて清らかな眺めじゃなあ」
 慧は小さく拍手をすると、今度は自分が百華と位置を入れ替わった。真似をして手で窓を作ると、かわいくポーズを取った百華を収める。
「今からがこの慧が戯言の初音。花をばふたつ並べてみたが、動き笑いよく食べよく寝る、生ける花の愛らしいことよ。華という字は百あるやもだが、俺が選ぶはただ一つ。百華がなければこの世は闇夜」
 百華が顔を背けた。照れたのだろう、白いうなじが赤に染まっていた。
「すごい決め台詞言ってくれるじゃん」
「百華さんもなかなかのもんしたよ」
 顔を合わせ、二人同時に笑い合う。はじけるように笑って笑って、抱き合って崩れるようにしゃがみこんだ。お互いのぬくもりが混ざっていく。
「……帰ってきてくれて、ありがとう」
「……待っていてくれて、ありがとうっす」
 雨の気配がした。薄い雨雲が空を覆っても、庭へ銀の粉が振りまかれても、ふたりは抱き合ったままだった。

 屋敷へ戻り、風呂へ入って一服。あとから風呂を使った慧は、長い髪をてぬぐいで乾かしながら廊下を歩いた。百華の自室まで来たものの、気配がない。ふと思い立って、屋敷の一角へ足を向けた。
「けーちゃん」
「ここにいたんすね。百華さん」
 その部屋からは紫陽花がよく見えた。百華は足を崩してそれを見つめている。風呂上がりのまとめ髪の、うなじが色っぽい。慧の欲目をさしひいても、いい女だと言える。いままで縁談らしい縁談がなかったのが不思議だ。
(もしかして)
 慧は眉をひそめる。
(俺なんかが主さんについてまわってたからじゃ)
 心に暗い気持ちが一差し。百華へ声をかけて部屋へ入る。
「けーちゃん、こっちきて」
 ちょいちょいと手招きされ、慧は百華のとなりへ座った。
「もうちょっと前出て」
「こうっすか?」
「そうそう。そんな感じ。あ、手を上げて」
「はい」
「よいしょーっと」
「わっ」
 膝の上に百華が頭を載せてきた。反射的に身を引こうとしたが、先に乗っかられて動くに動けない。膝枕をしながら、慧はあわてた。
「ひゃ、百華さん、さすがに嫁入り前の娘のするこっちゃねえっすよ」
「うふふ、いいじゃん。ちょっとくらい。もう親戚にまで私のお婿は慧ちゃんしかいないって言ってまわってるんだし」
「そんなことしてたんですか!?」
「うん、折を見てちょくちょくね」
 それで縁談がなかったのかと脱力する。慧は猫のように頭を擦り付けてくる百華を撫でた。自分のざらついた手が、百華には心地良いらしい。
「それっていつ頃からですか?」
「んー、けっこう昔から。けーちゃんは私のって言い張ってぶたれたし泣かれたこともあった」
「百華さん……」
 そんなにも昔から、思いをひたむきに注いでくれたのか。慧はありがたさと申し訳無さで小さくなる。せめてもの感謝をこめて、百華の頭を優しく撫でる。
「でもほら、じっさい領主だって立派にやってたし、ローレットからは銅褒章までもらってるし、私見る目あったでしょ?」
「それは結果論っす百華さん」
 苦笑しつつ慧は百華の頭をぽんぽん叩く。
「うまくいかなかったらどうするつもりだったんっすか?」
「どうもしないよ。私はけーちゃんがすき、それだけだよ」
 まったくこの人は、自分の前でだけ乙女になる。強気で傷つきやすくて誰もの目を引きそれでいてただ独り自分だけを見てくれる、真珠のような人だ。真珠ほど脆い宝石はないという。ならば己が目指すは貝殻か。真珠をさらに磨き上げる分厚い貝。
 とはいってもこのお転婆娘は、おとなしく腕の中にいてくれるたまではない。風の向くまま気の向くままに、あちらこちらへ駆けずり回るのが似合っている。だから手をつないで、そばにいるよと示し、疲れたら頼ってくれと告げよう。ほらもう、うとうとしかけている。
「百華さん、百華さん、風邪ひきます」
「んー、やだあ」
「部屋まで連れていきますから」
「やーのやーの。この部屋がいい」
「どうしてっすか?」
「紫陽花がよく見えるから」
 眠たげな視線を、百華は紫陽花へ向けていた。
「初めて会ったときも、紫陽花、咲いてたよね。あのね、私思うんだけど、あの紫陽花たちが私たちを出会わせてくれたんじゃないかな、うん、そう思う」
「そうっすね……」
「私はね、あの日からずーっと、紫陽花を守り神にしてきた。不思議なことに何でもうまく行った」
「それは百華さんが努力したからっすよ」
「そんなことないよ」
「いいえ、あるっす。俺がその証明です」
 百華は寝ぼけ眼で慧を見て、小さく吹き出した。
「けーちゃんこそ、がんばってたじゃん」
「それは百華さんの顔に泥を塗りたくなかったからっす」
「そう、ふふ、そうなんだあ、ふふふ。けーぇちゃん!」
「わ!」
 百華が慧の脇腹へ抱きついた。
「けーちゃんと私、両想い、だねえ」
「……そうっす」
「うれしいね」
「はい」
「死んじゃいたいくらいうれしい」
「それはだめっす。俺に名前をくれた人がいなくなるっす、百華さんがいてくれるから、俺は慧でいられるんです」
「ほんとけーちゃんって、ときどきすごい殺し文句言ってくるよね」
「そうっすか?」
「うん」
 百華は耳まで赤くなっていた。
 日が暮れかけている。一枚一枚薄紙を敷くように夜が近づいてくる。せっかくの紫陽花が色褪せていく。だがいまは野暮な説明などはやめて、眼の前の優しい人へ夢中になろう。あの戦いは禊だった。それを終わらせたのだから、はっきりとピリオドを付けたのだから、もう悩む必要はどこにもない。
 百華の体を抱き上げ、紫陽花へ背を向ける。長い廊下を歩き、百華を寝所まで連れて行く。目が覚めたらきっと、このかわいい人に、いやというほど振り回されるのだろう。だけども自分は、そのために戻ってきたのだ。ともに過ごす何気ない日々。
 未来、口にしてみればシンプルな言葉。だが慧にとってはあの戦いを通して勝ち取った最大のものだ。大事にしていこう。一日一日を心地よくつつがなく過ごそう。大切な人の笑顔を守ろう。来年も再来年も、ずっとずっといっしょに、紫陽花を見るために。


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