PandoraPartyProject

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永遠に花雨

登場人物一覧

雨泽・シュテル(p3n000218)
君だけの雨音
チック・シュテル(p3p000932)
同じ雨音


 幸せとは、何か。
 それを考えたことがなかった。
 時間というものは勝手に流れていくし、苦しくても辛くても時間が勝手にどうにかしてくれる。
 家を離れて自由を得たという感覚はあれど、幸せかどうかと尋ねられたとしてもそれがどういったものなのか解らなかった。
 ――幸せってなんだろう。
 そう考えられるようになって、人はきっとその形を想像したり此れだと思うようになるのだろう。
(僕にとっての一等の幸せは、美味しいものを口にした時……だったのだと思う)
 その瞬間だけの、刹那的な幸せ。食べ終えてしまえば、薄れて消える。
 けれどそれで良かったし、それ以上を望んでいなかった。
(だから僕も、きっと『欲張り』になってしまったんだ)
 時折『彼』が口にする言葉だ。恥じるように、申し訳ないように、けれどそうしたいのだと。
 幸せを掴むって、きっとそういうことなのだ。
 教わってばかりの『想い』にちゃんと応えられていいなと、いつだって思う。

 時間というものは、本当に勝手に流れていく。
 随分と先の未来を『予約』したものだと思っていたけれど、通り過ぎてみればあっという間だったし、通り過ぎている間もとても楽しかった。部外者だったはずなのに、お兄ちゃんの友人のひとりだったはずなのに、いつの間にか家族の輪に加えてもらって、一緒に食事をしたり穏やかな時間を過ごさせてもらった。あまりにも楽しくて穏やかに毎日が過ぎていくものだから、過ぎた日々を振り返ってみては結構驚いたりしたものだ。
 子供の成長は早くて、ずっとずっと先だと思っていたことが本当にすぐで――親代わりであり兄でもある彼は大丈夫なのだろうかと心配したものだ。……けれど俺の心配はいつだって杞憂に終わる。彼は俺が思っているよりもずっと強くて、芯が真っ直ぐで、成長した子供たちが独り立ちしていくのを穏やかな表情で見守っていた。……俺の方が本当に大丈夫なのかとハラハラしていたと思う。
 家族になる約束をしてから、もう3年が経過した。
 子供たちが巣立つまでは子供たちを大切にしてほしいという俺の我が侭を、チックは聞いてくれた。
 3年が経過して、子供たちが巣立っていった。
『何処がいい?』
 ある日、唐突に尋ねた俺に不思議そうな眸を向けた君は、ゆるく首を傾げてから幸せそうに微笑んでくれた。すぐに思い当たるくらい、その考えは日々君のすぐ側にあったことが知れて嬉しかった。沢山ふたりの思い出の場所を口にして、最終的にふたつに絞られた。俺の故郷の豊穣か――少しだけ色んなことが変わった土地、シレンツィオ・リゾート。
 ふたりで、沢山のことを話し合って決めた。
 番の契りを交わしたって何かが変わる訳ではない。
 けれどそれを君が望むのなら――違う。俺がそうしたいと、君の笑顔を隣でずっと見ていたいと願うようになってしまったから、望んだことだ。

「……雨泽?」
 名を呼ばれ、ぱち、と瞬いた雨泽が視線を持ち上げた。
「あ、ごめんチック。何か話しかけてくれていた?」
「ううん。雨泽、ぼんやりしてた……みたい、だったから」
「……ああ、うん。何か、感慨深いなーって思っちゃってさ」
 今日は少し、そういう日なのかも。
 首を緩く傾げた雨泽が両手を広げたから、チックはその腕に飛び込む。抱きつくのも抱きつかれるのも当たり前になったのに、いつだって幸せな気持ちになるのは変わらない。
「思っていた通り、よく似合っているね」
「雨泽も、似合っている、よ」
 揃いで袖を通しているのはどういうものにしようかとふたりで選んだ、どこの国にもきっと属さない、ふたりだけの婚礼衣装だ。
 心地良い風が吹いた時に翼が膨らむように、心が膨らんで高揚していた。幸せで胸がいっぱいでずっとこの瞬間が続けば良いのにとチックは思うけれど、今日の『目的』を忘れてはいけない。番の契りを交すのだ。雨泽が縛られたくない性質であることを知りながらそれを望み、雨泽が受け入れてくれたのだから。
 行こうか。どちらともなく囁いて、歩を進めるは礼拝堂。
 本来ならば――結婚式ならば沢山の参列客で満たされているだろうそこは、無人。そう、ふたりで望んだから。チックにはもう血の繋がった家族は居なくて、雨泽は血の繋がった家族と縁を切って久しい。けれども友人や大切な人たちへと伝えれば万雷の拍手とともに祝福をくれるだろう――そう解っていても、ふたりは『ふたりきり』を選んだのだ。
「神父さんくらい居てもらった方が良かった?」
 がらんとした礼拝堂で雨泽が問えば、チックはふるふると頭を振った。
「おれと、雨泽。ふたりで、いい」
「『あの日』は夜でチックが先に居たけれど、今日は一緒に歩いているね」
「……ふふ。もう、懐かしい、ね」
 あの日は今日の装いとは違う白いドレスのパンツスタイルで、チックの頭にはベール、雨泽の頭にはシルクハットがあった。天窓から差し込む月の光に反射して煌めくステンドグラス下、チックを写真に収めたのだ。
「あの時の写真ってどうしたの?」
「家にある、するよ」
「飾っておいてよ――あ、うーんでも、嫉妬しちゃうかもしれないか」
「……嫉妬?」
「僕が」
「誰、に?」
「かみさまに?」
 ふたりきりだから、口を閉ざす必要はない。祭壇に辿り着いてステンドグラスを見上げながら、普段と変わらぬように言葉を交わした。
「チックって『かみさまのこ』って感じだったよ」
 清廉で、無垢で、潔白で――神に、人に愛される、遠い存在。
 でも今は、そうじゃない。手を伸ばせば触れられるし、雛たちの巣立ちも見送ったから本当に独占しても良いのだ。
「あ。雨泽……あのね」
「……チック?」
 胸がいっぱいで忘れるところだったと、チックが祭壇の裏へと回り、手に何かを抱えて戻って来る。
「これ……かける、しても……いい?」
「それ……」
「おれ、祈りをこめる、するよ。雨泽の幸せ、祈る、するし……おれが雨泽、幸せにする」
 幸せにする。幸せにしたい。思うだけだったその言葉を、チックはこの三年間で何度も口にするようになった。雨泽が嫌がったってそうしてみせるし、一緒にそうなりたい――いや、なるんだと決めている。温厚そうなのに譲らないと決めた彼が曲げないことを知っている雨泽は「いいね、そうして貰っちゃおうかな」と軽く笑った。
「チックは僕が幸せじゃないと幸せになってくれないし」
 あの日そうしたように、雨泽が屈む。チックが祈りを篭めながら雨泽にベールを贈る。
 けれどあの日と違うのは、立ち上がった雨泽がえいっとベールの中にチックも招き入れたこと。
「雨泽っ」
「驚いた? でも僕だけじゃ勿体ないしさ。それに――」
 誓いの口づけが出来ないでしょう?
 雨泽の悪戯めいた笑みに、チックの頬はいつだって熱を覚える。
 恥ずかしいのに期待して、嬉しくて求めてしまう。
 ――けれど今はもう少しだけの我慢をする。誓いを立てるのが先だから。
「雨泽。……おれ、雨泽のこと……いっぱいじゃ、言い表す……出来ないくらい。好き、だよ」
「うん、知ってる」
 そう、返せるようになった。
 それだけの愛情をわかりやすくチックが示してきてくれたから。
「……ふふ。何回言っても、足りないくらい。君が、大切なんだ」
「僕も君が好きで、大切だよ」
 向かい合えば、自然と慈しむような笑みが浮かぶ。
 手と手を取り合って感じるぬくもりに愛おしさが増して、思いのままに顔を寄せたくなる。
「この先、何年……何十年も先。どちらかが最初に、遠い所……行ってしまっても」
「チック。ねえ、ちぃ」
 雨泽が額を寄せ、最愛の名前を呼ぶ。
 これはもうずっと前から何度も伝えてきている言葉だけれど、今、伝えるべきだと思ったから。ちゃんと思ったことを言葉にすること、人は弱くて疑ってしまうこともあるから何度だって伝えようとすること、それが大切なのだと築いた関係で学んできたから、雨泽は言葉を紡いだ。
「もう、離してあげられない」
 ごめんね、を頭につけて告げていた言葉は、いつしか短くなった。
「離さないで。……おれも、翠雨のこと……離してあげる、出来ないから」
 チックも同じ事を望んでいると信じる――自分のことも信じられるようになったから、うんと顎を引いて返す。
「こういう時のチックは格好良いね」
「……惚れ直す、する?」
「うん。チックってば、何処まで俺を骨抜きにする気?」
 指先を救って唇を落としたくなる。
 そうして欲しいと思ってしまう。
 けれど後少しだけ、ふたりは我慢する。
「――俺の番になって、チック」
 『予約』をした日、言えなかった言葉を口にして。
「雨泽。おれだけの、優しい雨音。これから、すべて。全部、全部……おれにください」
 欲を告げても受け入れられることを知ったから、飲み込まずに口にして。
 見ているかどうかも知れない、救って欲しい時に救ってくれない神にではなく、ふたりは互いへと誓って唇を重ねた。


 誓いを立てて外へと出れば、人の居ない一面の花畑がふたりを出迎えた。
 空の眩さに瞳を細め、それから互いに顔を見合わせると花畑へと駆けていく。
 湖風がびゅうと吹き抜け、ベールを飛ばした。
 あっとチックが空を見上げた隙に、雨泽がチックの身体を抱き上げる。
「わっ、雨泽……ッ」
「駄目だよチック、僕だけを見ていてくれなくちゃ」
「……少し目で追った、だけ、だよ」
「僕の独占欲を甘く見ないでよね」
 冗談だと知っているからどちらからとも無く破顔し、明るい笑い声が花畑に響いた。

 ――幸せとは、何か。それは君といる限り更新されていくもの。
 ――今なら、この瞬間。
 ――明日なら、明日のそう思った瞬間。

「世界で一等愛しているよ、ちぃ」
「おれのほうが、離してあげないから、ユウ」
 愛称を口にすると再びふたりの影が重なった。
 花が降る。
 美しい花の雨がふたりの頭部を飾った。
 空が花が風が、祝福をくれたのだ。


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